はてなキーワード: ガガガとは
「AVが教科書」のせいで女性は悩んでいる。"エロメン"一徹さんに聞く、男女のセックスがすれ違う理由
http://www.huffingtonpost.jp/2017/08/22/adult_video_n_17799470.html
にこういうブコメがついてた
男向けのAVを理想とするのは間違いなのは確か。だけど、そこで「女性向けのAV」がアドバイスとして出て来るのに毎回疑問を感じる。それは女性のファンタジーを男に強要することに変わっただけでしょ。そこに気付こう
いや言ってる主旨はわかるし正しいと思うよ。
けど女性向けAV1度見てみてほしい。
全然「女性向けファンタジーの強要」ってほど色ついてないから。
(但しセックスの前にトレンディドラマみたいな小芝居がついてるものもあってあれのドラマ部分は女性向けファンタジー色ある)
ていうか俺は男として男性向けAVが本当に楽しめなくて困ってたんよ
とにかく気持ち悪い
あれで気持ちよいって奴がどこに居るんだよ?
つまり男性向けAVを教科書にすると男にも気持ちよくないセックスにしかならないんよ
ここからは仮説だけど
春画はあれは絵だからエクストリーム体位や超ハイテンションシチュエーションや断面図のような局部描写や漫画的な台詞がちりばめられてたんだよね
そういう刺激性のある情報を過多なぐらい盛り込むのは正しかったんだよ
それがエロ小説やエロ漫画になって、AVってのはその後から普及したものでしょう?
最初に作った人達が「エロ漫画・エログラフィックノベルの実現」をモデルにやっちゃったんだよ
で、現代まで続いてる
女優と男優の身体を使ってエログラフィックノベルをしてるんだよ
エロ漫画として正しいのとVRや教科書として正しいのは全く違うというのが罠で、
男性向けAVは常に前者なんだよ
それが性差で生まれてるのか取り巻く文化の差で生まれてるのかなんなのかはわからん
実際にやるなら男性向けAVのセックスと女性向けAVのセックスは圧倒的に後者の方が気持ちいいんだよ、男にも
ゆっくり動くのとうおおおお!ドガガガガ!って動くのどっちが集中できて気持ちよいかだけでもこれは答が決まりきってる
だから俺は子供にどっちかを教科書に与えるなら絶対女性向けAVにする
それぐらい違う
ほんとに一回見て欲しい
たまにこの方向性っぽい売り文句の作品を出しても、期待してみてみると
やっぱり男優が気持ち悪い漫画でしかいわない笑っちゃう言葉責めをしてて
女優がアンアンアンアン!って萎えるわざとらしい喘ぎ声出してて
羊頭狗肉なんだよね
該当するバンドが好きな方にとっては悪口になると思うのでご了承ください。
僕は音楽を聴き始めてこの方、基本的にロックバンドを好んで聴いていた。
中学生の通過点ともいえるアジカンから始まり、やはりバンプは高校で一度離れたり、
洋楽はやっぱりグリーンデイがスタートだったり、ロキノン系聴いてる自分カッケーになったり。
至って典型的な「一歩外れていると思いきや何だかんだ王道系」な人間だった。
基本的に大体のロックバンドは好きで、わざわざお金を払ってウォークマンに入れるほど好きでないバンドもあるけど、
大体は好意的に捉えていた。
僕は今年で23歳だけど、早くも最近のバンドに着いていけなくなってしまった。
ここでタイトルに戻る。
僕がハマれないバンドは何個かに分類されるので、書いていきたい。
援助交際とか、銀亜鉄道の夜とか、透明少女とか、売れた曲はやっぱり売れるだけの理由があって、
僕も評判通りその辺の曲は好きだけど、そうでもない曲に関してはとことん合わない。
2.甘い声のバンド
ここ最近はとにかく多い。
甘い声というと語弊があるかもしれない。
そうでないとわざわざ聞きたいって気持ちにならない。
そもそも、この辺のバンドに共通して言えるのは「女性人気が高い」という事。
やっぱり、ハマる周波数というか、その辺がやっぱり違っているんだろうか。
3.明るすぎるバンド
ここ最近で言えばWANIMAだろう。
僕はパンクバンドも好きだ。それこそ、WANIMAの師匠ともいえるハイスタだって好きだし、
その辺と何が違うのかというと、とにかく明るいのだ。
歌詞を聞いてもらえば分かる。
CMでタイアップしてるから余計に、というのもあるかもしれない。
「曲調は激しいけど歌詞は案外ウジウジしてる」要素が薄くて
受け入れるまでに時間がかかっているだけかもしれないけど。
4.ヤバTとかキュウソとか
なんでここだけ名指し?となるかもしれないが、
ヤバTあたりはちょこちょこ対象をおちょくったような曲を出す。
でもそれは内輪でのイジリ合いみたいなもんで、
許さん、絶対に許さんからなみたいなリアルガチな代物ではない。
僕が人生がうまくいってなくて、音楽にある意味救いを求めている面があるから
こんな感想になるのかもしれない。
僕としてはそんなすかしっぺみたいな軽いディスじゃなく、
勢いよく出るウンコみたいな痛快なディスを含んだ曲が好きだ。
だから「ウケる~w」みたいなリアクションを人前で取れるような曲は
イマイチ好きになれないのかもしれない。
ここまで読んでもらえれば分かるが、これは単に僕が偏屈なだけだろう。
バンドについてだからこの程度だけど、EXILE系についてとかだったら
エライ有様になってると思う。
人前では寛容でいることが重要だ。
特撮ガガガって漫画に主人公が子供の頃に女の子なのに黒いランドセルを欲しがり、親が
女の子は皆赤色でしょ!こっちにしなさい!一人だけ違ったら変でしょ虐められるよ、どうしてこっちじゃダメなの?色が違うだけでしょ?
と赤を押し付けてしまうシーンがあり、親はモンスターの姿で否定的に描かれている。
ここを読んで思ったが、子供の要望を受け入れず性別にあったランドセルを押し付けるのってそんなに悪いことか?
ランドセルは5万から10万くらいの高い買い物だ、子供がやっぱり嫌だと言い出してもそうそう買い換えが出来ない。
小学生は幼稚だから一人だけ違う子供を苛めがちで黒いランドセルの女の子はとてもリスクが高い。
子供が虐められてもいいから黒がいいと覚悟しているならいいが、まだ幼稚園の子供がそこまで解っているわけもない。
子供の要望通りに黒を買い与えて虐められたら数万どぶに捨てて買い換えてあげるのがいい親なんだろうか。
虐めの危険がなくても金を出すんだから子供に良かれと思ってなら意見を押し付けてもいいと思う、娘がパールパープルのレースやリボンやハート刺繍スパンコールまみれランドセルが欲しいと言い出しても、それは将来飽きてダサくて嫌になるから普通のにしろと止めて押し付けるくらいかまわんのでは。
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「青年誌でやれえええ」的な、性的接触描写を回避しない漫画を少年誌で描いている漫画家が、「体面とか世間体を気にする必要がなければ、世の中の人は、みなエロや下ネタ大好きなのだろうと、ごく最近まで思っていた」的なことを言っていた、というような話を小耳に挟んだ。
というのは前フリ。
性的な表現が規制された近未来を描いた、とあるガガガ系のライトノベルがこの夏にアニメ化するので、マンガやアニメの宣伝にちょっとかかわる自分のところにも情報が回ってきた。それで想起したのだが、たしか出版当時、表現規制に絡めて「こういう作品が出せる世界こそ自由」「これが許さない人間こそファシスト」的なことを言っていた人がいたような記憶がある(出オチ的近未来ものといえば漢字が読めない妹とかもあったなあ)。
この作品で描かれている社会も極端だが、じゃあ、いま我々が身をおいているこの社会は極端ではないのだろうか、ということが頭に兆した。たしかに最近でも女性器をかたどったアートで逮捕される的なことはあるけど、性的な表現はわりあいフリーダムに思えるこの国の社会。
「18歳未満禁止」、「この作品には性的な表現が含まれます」といった、とりあえずの警告を「もちろんわかってますよ、皆こういうの大好きですもの。でも、体面とか世間体とかを気にするあなたは、ちょっと注意してくださいねえ」くらいの意味に思っているとしたら。
「わかってますよ、あなたがたの預言者を絵にしてはいけないんでしたね、でも、そんなタブーに何の意味もないんですけどね、周りの目もあるから怒ってるだけでしょう? まあ今のあなた方では難しいかもしれませんが、私たちが本当の自由を教えてあげますからね」
そんな感じに考えているとしたら。
あんがい我々も、大義名分を掲げ実力をつけた少数の性嫌悪者と、それに引きずられ、"体面とか世間体"を気にして"向こう側"についた多勢に焼き殺されることになるかもしれない(それとも、いざそのときになったら自由もなにもかなぐり捨てて"多勢"の方にもぐり込むのだろうか)。
以前ここでさらした者です。
さらしたら、その増田(http://anond.hatelabo.jp/20140620190651)がちょっとブックマークされて、小説のブクマも伸びました。どなたか知りませんが、本当に本当にありがとうございました(´;ω;`)
ちなみに小説はこれです→『月精のコニーリョ』http://ncode.syosetu.com/n8411cb/
「なろう」の相互お気に入りユーザーの方に「1話読んだだけでおなか一杯」って言われたので、まあそうなんだろうなと思いました。活動報告にだらだら書きましたが(http://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/445982/blogkey/928868/)、文体は微妙にジュリアン・グラックを意識したのでとにかくだるいです(いや、全然そんな完成度はないんですが)。
で、今回この小説を「なろう」との連動企画「第2回オーバーラップ文庫WEB小説大賞」に応募したんですね(タグはもうはずしました)。今日一次選考通過作品が発表されたんですが(http://over-lap.co.jp/bunko/narou-award2/)、まあ、普通にぼくの名前はありませんでした。
でも一次落ちなんてよくあること。つぎは「創元ファンタジイ新人賞」を目指しています。ぼくはラノベはあまり読んでこなかったので(少女小説や児童文学は好きなんですが)、こういう普通のファンタジーのほうが適性があるのではないかと思いました。
ちなみに、次回作はスティーヴ・エリクソンをかなり意識してます。スティーヴ・エリクソンのような大胆な構成で、日本サブカルチャーのぶっとんだ荒唐無稽さを利用して、人間のおかしさ、悲しさ、愛、さらにはそれを超えた永遠性みたいなものを表現したいと思ってます。あと、大好きなル・クレジオのエッセイや上橋菜穂子の某小説オマージュみたいな部分もあります。
話は戻りますが、じつはこの『月精のコニーリョ』はガガガ文庫の賞でも一次落ちしたやつなんですよね(もちろんガガガの落選原稿を書き直して「なろう」に投稿したわけですが)。だから今回落ちたことにはあまりダメージはないんです。でもまあラノベはむずかしいのかなあとあらためて思ったりもします。ラノベってほんとにむずかしいよ。だからといって、自分はガチ純文学の人間でもないので、めんどくさいんですが……。
ぼくは文学が大好きで、人生でそれしかやる気がないんですが、悲しいことにまったく才能がなさそうなのです。でももう引き返しません。もう人生消化試合なので。ほかにやることもない……。
ぼくの場合、他人に認められるかどうかよりも、真の芸術がやりたいというか、結局自分が納得するものが書きたいのです。書けたらもう死んでもいいのです。もちろん他人に評価されたほうがいいのだろうけれど、でも世の中つまらない低レベルな作品ばかりが売れているので、べつに認められなくてもいいのかなとか思ったりもします。どうせぼくがすばらしい作品を生み出したところで世間は見向きもしないだろう、そういう失望感はあります。ただまあこれはワナビの堕落最終形態ですね……。それをいってしまったらおしまいってやつです。でも実際、ル・クレジオの『調書』が大好きな人間とか日本にあんまりいないですよね。そういう日本の小説読者を相手にどうやって表現していったらいいのか……。わかりやすいエンタメ、わかりやすいエンタメ、わかりやすいエンタメ……。
先日、冗談で『スタバ☆de☆マック』(http://ncode.syosetu.com/n0138ci/)というショートショートを「なろう」に投稿したのですが、ありがたいことに現在74ptついてます。書くのに全然時間かかってないのに。あ、ちなみに、わかると思いますが、書き出しはカルヴィーノオマージュです。あまり意味はないですが、ワナビなら一度はやりたくなりますよね!? こういう雑なギャグのほうが需要があるんだなあと、なんか自分で書いてて複雑な気持ちになりました。
なんだろう。真面目なファンタジーはだめなんでしょうか。もう日本でファンタジーはできないんでしょうか。でもぼくはまだファンタジーの可能性を信じたいです。というわけで、「創元ファンタジイ新人賞」に向けて頑張ります。でもまた一次選考で落ちると思うので、それを「なろう」に投稿して、また増田で愚痴って、そうやっていつの間にか年を取って死んでいくんですねw
でもその辺の一般人の人生なんてそんなもんかもしれません。なにかを成し遂げようと思ったはいいけれど、それを夢見ただけで終わってしまう。自分はいつも自分の人生から疎外されているわけです。ため息が出ます。
違うよ。
むしろ一冊あたりで売れないから刊行点数を増やして全体の売上を確保するんだよ。
さて、棚が飽和してこれ以上ラノベを置けなくなるなんてことは個々の書店の視点では起こりうるけど、それが出版社の視点とか市場全体にそれほど影響するかな?
するよ。
電撃文庫は毎月10日発売だけどその新刊が平台に並ぶのはせいぜい10日間ほど。
すぐにGAやガガガや富士見と入れ替わり、またすぐにMFJ文庫Jやスーパーダッシュと入れ替わる。
ラノベ棚の特殊事情? については認識があまりなかったのでそこらを説明してくれてやっと意味がわかった。
そもそもそんな売れてないというのはそうだろうなと思ってた。絶版が早いのは確かに困っている。
物理的限界で売れないなんてのが本当なら、構造的欠陥じゃないの?
言い方の問題じゃないの。
いやあ、そう言われると僕は、「じゃあライトノベル買えよ」って思っちゃうけどね。
既にそうなっていると思うけど、それへの対処はゆっくりと相互理解を深めることだけでしょ。
あのね、実際のところ黒人を定義しなくて不便なことなんか無いんだよ?
誰も気にしないならね。
いやいや、それを言うなら
「皆がジャンルやレッテルではなく、内容だけで本を判断するなら、ラノベを定義する意味は無い」と同義、だろう。
君のいう例だと
これはさすがに詭弁だな。
黒が邪悪であることに文化的・論理的な背景があるならともかく、およそそんなわけがないのだから「黒が邪悪」なことが差別だろ?
黒が邪悪なのに論理的な根拠があるなら黒人は邪悪でいいよ。差別じゃないからね。
でもそうでなくて、そしてもし僕が黒色が好きな人間で、黒が邪悪じゃないことを皆に説明しようと思ったら、
定義することで差別がなくなるんじゃなくて、差別をなくすには必然的に定義することは必要になるってだけだ。
相互理解するためには、それを知らない相手にラノベとはなにか説明するよね。
一人ひとりに説明するのと、定義として、共通認識として提示するのは対象にしている人数が違うだけで結局同じ道程だと思うけどどう?
違うよ。
むしろ一冊あたりで売れないから刊行点数を増やして全体の売上を確保するんだよ。
さて、棚が飽和してこれ以上ラノベを置けなくなるなんてことは個々の書店の視点では起こりうるけど、それが出版社の視点とか市場全体にそれほど影響するかな?
するよ。
電撃文庫は毎月10日発売だけどその新刊が平台に並ぶのはせいぜい10日間ほど。
すぐにGAやガガガや富士見と入れ替わり、またすぐにMFJ文庫Jやスーパーダッシュと入れ替わる。
だから「ラノベは初速が命」「発売後一週間が勝負」なんて言われるんだけど、
言い方の問題じゃないの。
「たとえ外見は違っても中身がライトノベルであることに価値を見出している」とも言えるだろ。
既にそうなっていると思うけど、それへの対処はゆっくりと相互理解を深めることだけでしょ。
あのね、実際のところ黒人を定義しなくて不便なことなんか無いんだよ?
誰も気にしないならね。
それは「ラノベが一冊も売れないならラノベを定義する意味はない」と同義だよ。
5作同時新連載ということだったので読んでみて、感想をのべることにした。
1.あいだゆう 1518
ガンスリンガーガールという漫画の作者による新連載。
10点満点の4点。
ガンスリンガーガールは俺は読んだことないけど、確かアニメ化もされた人気作だったはずだ。
アニメも見たことないけど、おそらく少女が銃で撃ち合うギャルゲー版ヘルシングまたはトライガンみたいな漫画だろう、多分。
そんなことはどうでもいいが、とにかくこの新連載の一話を読んだ限りでは特に魅力のない漫画だった。
話は生徒会で青春するスケットダンスみたいな漫画になる予定だと思われるが、一発目のネタが「中学生の時野球部で活躍していた男が怪我で野球ができなくて・・・」みたいな今までに100個くらい類似のネタがありそうなもので、なおかつ全く新規性が認められなかった。いや、次回全く新しい驚きの展開が待っているのかもしれないが1話の時点では次が気になるという感じではなかった。
絵もなんか、別に上手くも綺麗でもない感じだった。かき分け微妙だし。同じキャラでもコマによってブレるし。
2.あべじゅん 忘却のさちこ
10点満点中の6点。
話も冒頭結婚式で始まって、途中で新郎に逃げられて、新婦(主人公)が徐々に衝撃を実感して、ご飯食べたら癒されて・・・という、ふんふんと読んでいける、興味がある程度持続する構成。
どうして新郎は逃げたんだろう?という謎もあって、それなりに読んでいてつまらなくはないんじゃないかと思う。でもまあ、次回がすごい気になるとか、単行本買いたくなるというほどではない。
モーニングでコスプレ好きなOLの漫画が始まったので対抗してみようという安易な発想で見切り発車したんじゃないかと特に根拠もなく邪推。
まあなんていうか「主人公はOLで、特撮が好き」という設定の説明以外にはなにもなかったような第一話だった。
いや、他にも内容があったのかもしれないけど読み飛ばしてしまったのでよくわからない。
2点。
「大手商社のエリートだった主人公がなんだかんだでエロゲーの会社に入社」
という新連載の企画書とかに書かれたあらすじ一行以上の内容が読み取れない第一話だった。
これ、原作者が実際にエロゲー作ってた人みたいなんだけど、つまんないエロゲーの冒頭部分みたいなつまんないネームで、あらすじにおける「なんだかんだ」の部分をいかに描写するかに原作者の力量が表れると思うんだが全く力を感じなかった。エロゲー会社の漫画というのはやりようによっては結構興味深い内容になりそうだと思うがこの漫画には全く期待が持てない。
とりあえず出てくる女と全員セックスしないと間が持たないんじゃないかこの漫画。
10点中の7点。
新連載のなかでは意外にも一番まともに読めた。
絵はあれだが。
この作者にはヤンマガで延々やってたなーというくらいの印象しかないが、やっぱり長期連載してるだけのことはあって、改めてちゃんと読んでみると結構面白かった。絵はあれだが。
割と展開も早いし、次回どうなるんだろうという引きもある。なんとなくしばらくするとだらだらしてくるんじゃないかという懸念もあるが。
以上、5作の感想。
しかしまあ数が多いのは内容に自信がないことの裏返しに他ならない気がする。
どうせ次号は買わないので、どうでもいいのだが。しかしガンスリンガーガールの作者の漫画はなんでこんなどうでもいい漫画をわざわざ書かせたのだろう。謎だ。なんかもっとデスゲームものみたいなやつの方が向いてるんじゃないのかこの人。いや知らんけど。
小さい時にほとんどアニメを見せてもらえなかった自分からすると、そういう思い出が少なすぎてものすごく悔しい。
小さい時にみてたのは、勇者シリーズ、ドラえもん、キテレツ、ハウス名作劇場くらいだった。
なんつーか、基本平日はアニメ見たらいけない感じだった。
金曜夜のドラえもん、土曜の勇者シリーズ、日曜のキテレツ、ハウス名作劇場だけ。
平日夕方の時間帯にこそ面白いアニメたくさんやってたはずなのに。
俺のソウルソングと言えば、やはりロミオの青い空の「空へ…」だ。
エンディングのSi Si Ciao ~ロマナの丘で~も捨てがたい
ただ肝心のアニメ自体が、途中でロミオが奉公先ですっごい暴力受けてる次回予告見て怖くなってみるのやめちゃったんだよなあ。もったいない。
それから七つの海のティコのSea loves you。底抜けに明るい。朝の目覚めのようなイントロ、Aメロから、外のまぶしい日差しを受けながらサビへ!イルカウォッチングとかいきたくなるね。
そんでエンディングがこれまた・・・すっげー子守唄チックで聞いてると眠くなるのよ。twinkle talkだったか。星のささやき。まさに。
ナナミみたいに泳いでシャチと通じ合いたいと思ったわ・・
キテレツははじめてのチュウは不気味さを感じてそこまで好きではなかったけど、OPのお料理行進曲は最高だった。コロッケすっげー食べたくなる。
すいみん不足の放送時は見てなかったはずだけど、改めて大学生とかになってから聞いたらかなりよかった。
勇者シリーズは5歳くらいのときのファイバードが原初の記憶だ。
ガオガイガーのOPは正直放送当時はだっせえと思ってた。ガガガッガガガッて。
あとダグオンのOPも古臭すぎてダメだった。いつのアニメだよって思ってた。
ドラえもんは・・・なんかもう良し悪しじゃねーよ。OPのドラえもんのうた。アンアンアンってなんだよ。エンディングは俺が見てるときはずっとキミョウキテレツマカフシギキソウテンガイシシャゴニュウホンワカパッパだったよ。このエンディングでシシャゴニュウって言葉覚えたよ。
たったこれだけしかない。
悲しい。
*6/12追記しました (この記事には間違いが非常に多くあります、詳しくは記事最下部を御覧ください)
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3年前に1年間にデビューする新人ライトノベル作家は大体何人くらいなのか?という疑問について調べた以下の記録があります
・2011年デビューしたライトノベル作家は何人でしょう? → 答.104人
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/news/1324040929/
104人内訳
やのゆい 乙姫式 月本一 湊利記 会川潮 川波無人 上総朋大 八奈川景晶 更伊俊介 根木健太 一橋鶫
浅羽なつ 朽葉屋周太郎 多宇部貞人 広沢サカキ 蝉川タカマル 和ヶ原聡司 兎月山羊 飛田マンダム
阿羅本景 水上貴之 水沢黄平 葛西メイダイ 榎本俊二 森野樹 みなみケント 西村文宏 槙岡きあん 朝倉サクヤ
岸杯也 雨野智晴 野村193 中谷栄太 浅生楽 竜ノ湖太郎 若桜拓海 宮元戦車 カミツキレイニー 赤月カケヤ
竹雀綾人 水無瀬さんご 明坂つづり 樹カナタ 澄守彩 森田陽一 中維 かみじま柚水 望公太 ツガワトモタカ
大黒尚人 花花まろん 黛ましろ 浅葉なつ 末羽瑛 椎出啓 かじいたかし 鷹山誠一 秀章 根岸和哉 村上凛
柊晴空 砂義出雲 秋目人 佐島勤 波乃歌 黒宮竜之介 東方博 彩木沙茄 叡惟匡見 野口祐加 優妃崎章人
夜空野ねこ 神堂劾 北原みのる 玉城琴也 森田季節 マナベスグル 小林がる 火海坂猫 大坂翠 天羽伊吹清
中田明 村上裕一 瓜亜錠 千羽カモメ 本村大志 石原宙 葉巡明治 初美陽一 鷲宮だいじん 秋水 八針来夏
大澤誠 小岩井蓮二 太田僚 竹内佑 高木幸一 山田隆道 直井章 佐原菜月 二丸修一 宮澤伊織 遊佐真弘 涼木行
ここから現在(2014年)、いったい何人が続刊を出し作家を続けているのかを調べてみました
上の104人ついてもそうですが調査は結構テキトー、活動の有無は単純に2014年に発刊された本があるかないかで分けています
以下がその結果です
●が現在も活動されている方
--が現在は活動されていないと思われる方です
シリーズ数 作品数 作家名 主なレーベル(デビューレーベル)
● 02 15 初美陽一 GA
● 06 14 望公太 HJ
● 01 13 佐島勤 電撃 *アニメ化(魔法科高校の劣等生)
● 01 11 和ヶ原聡司 電撃 *アニメ化(はたらく魔王さま)
● 01 11 竜ノ湖太郎 MF *アニメ化(問題児たちが異世界から来るそうですよ)
● 01 09 更伊俊介 ファミ通 *アニメ化(犬とハサミは使いよう)
-- 03 07 阿羅本景 スーパーダッシュ
-- 02 06 多宇部貞人 電撃
-- 02 06 広沢サカキ 電撃
● 02 06 蝉川タカマル 電撃
● 02 06 赤月カケヤ ガガガ
● 05 06 浅葉なつ メディアワークス
-- 04 06 秋目人 電撃
-- 02 05 明坂つづり ガガガ
● 04 05 中維 電撃
-- 01 05 瓜亜錠 HJ
● 02 05 二丸修一 電撃
-- 02 04 浅生楽 メディアワークス
-- 03 04 樹カナタ スーパーダッシュ
-- 01 04 火海坂猫 GA
● 02 04 八針来夏 スーパーダッシュ
● 03 03 月本一 ファミ通
-- 02 03 末羽瑛 電撃
-- 02 03 秀章 ガガガ
-- 02 03 柊晴空 ファンタジア
-- 02 03 波乃歌 電撃
● 03 03 優妃崎章人 ぷちぱら *成人向けレーベル
-- 02 03 天羽伊吹清 電撃
-- 01 03 本村大志 MF
-- 01 03 涼木行 MF
-- 01 02 湊利記 講談社BOX
-- 01 02 会川潮 スーパーダッシュ
-- 01 02 森野樹 講談社BOX
-- 01 02 花花まろん GA
● 02 02 椎出啓 スニーカー
-- 01 02 黒宮竜之介 電撃
-- 02 02 神堂劾 ぷちぱら *成人向けレーベル
-- 02 02 中田明 電撃
-- 01 02 鷲宮だいじん 電撃
-- 01 02 大澤誠 スーパーダッシュ
● 01 02 佐原菜月 電撃
-- 01 01 槙岡きあん スーパーダッシュ
-- 01 01 竹雀綾人 スーパーダッシュ
-- 01 01 かみじま柚水 スーパーダッシュ
-- 01 01 彩木沙茄 幻狼ファンタジア
-- 01 01 叡惟匡見 幻狼ファンタジア
-- 01 01 直井章 電撃
△ ** ** 浅羽なつ *浅葉なつの間違い(重複)
結論としては
元の104人には非ライトノベル作家や成人向けレーベルの作家が混じってしまっているのでその方たちを除き、母数を104人改め95人とし
35人 / 95人 = 37%
04人 / 95人 = 04%
となりました
逆に既にアニメ化されている作品を執筆している方も4人いますが、全員が1シリーズのみです
アスキー・メディアワークス - KADOKAWA (電撃文庫)
07人 / 18人 = 39%
アスキー・メディアワークス - KADOKAWA (メディアワークス文庫)
01人 / 05人 = 20%
メディアファクトリー - KADOKAWA (MF文庫J)
04人 / 09人 = 44%
03人 / 04人 = 75%
02人 / 06人 = 33%
富士見書房 - KADOKAWA (富士見ファンタジア文庫)
03人 / 10人 = 30%
02人 / 06人 = 33%
03人 / 04人 = 75%
02人 / 06人 = 33%
01人 / 03人 = 33%
03人 / 12人 = 25%
04人 / 08人 = 50%
00人 / 04人 = 00%
成人向けレーベル パラダイム(ぷちぱら文庫) フランス書院(美少女文庫)
04人 / 06人 = 66%
角川レーベル
20人 / 52人 = 38%
非角川レーベル
15人 / 43人 = 34%
アニメ化率は
角川レーベル
03人 / 52人 = 06%
非角川レーベル
01人 / 43人 = 02%
ということで表題「ラノベ作家はデビューできても3年以内に消えるってホントなの?」に対する答えは
― 3人に2人くらいは消えるけど、20人に1人くらいはアニメ化までこぎ着ける
でした
もう誰も見ないだろうと思いましたが「ラノベ作家 デビュー」等のワードで検索しするとそれなりに上の方に出るみたいなので一応追記しておきます
まず杜撰な調査でラノベ作家を辞めたかのように書いてしまった作家の方たちには謝罪します、申し訳ありませんでした
あくまで本年に入ってから5月末までに発刊されていないという意味で活動されていないと便宜的に表現したつもりでしたが
タイトルがそもそも消える消えないなので普通に見れば消えた作家と捉えられてしまうでしょう、改めてすみません
それ以前に単純なミスで活動を辞めた作家に入っている方もいるようです、こちらも本当に申し訳ありませんでした
このように片手間の非常に雑な調査なのですが下記のブログで具体的に間違いを指摘してくれていますので
気になる方はぜひ見てください
●ラノベしか読まない?他の小説は読む?それは何故?どこに魅力を感じている?
他の小説も読む。最近は歴史小説が多いけど前はミステリーが多かった。
レーベルでいうと講談社ノベルスとカッパ・ノベルスとミステリーフロンティアが多かったんだけど、最近では戦国時代モノの小説読んでる感じ。BASARAとか戦国無双とかの影響じゃないよ。本屋さんで平置きしてて面白そうだったからだよ。ゲームはほとんど出来ない。
読む理由は単純に面白いから。今度映画化する超高速!参勤交代なんかはまんまラノベっぽいというか少年漫画っぽい雰囲気で面白かった。勢いあったし最後は主人公の俺TUEEEEEEEEEEEEEEだし。話自体が魅力っちゃー魅力。
●ラノベファンはラノベを一般娯楽小説(定義付けのために一般と称しているだけ)と同じだと思っている?
どちらも小説には変わりないんだし同じだと思ってる。
そんなこと言ったらハヤカワはハヤカワという何かだしガガガはガガガという何かだし。一般娯楽とおんなじだと思う。レーベル移動をした砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけないとか彩雲国物語とかどうなっちゃうのって話だし。
歴史小説だけど金ケ崎の四人とかすっごくラノベっぽかったなあ、キャラ付けとかも含めて。あれは一般娯楽小説の範囲に入ると思うけど雰囲気的にラノベっぽい。でもどこのレーベルっぽいかと聞かれたら即座には言えないので強いて言えばカテエラレーベルガガガっぽい。
あんまり挿絵を重要視しないで文字列を文字列として飲み込んで読んでるのでそんなに違いを感じない。ラノベレーベルから出てても挿絵ないのとかも多いしね。
●ラノベで、パロディ要素が殆どを占めるようなものはどう思っている?
あんまり好きじゃない。でもパロディの元ネタがわからなくても面白いのは好き。
普段活字ばっかりだからあんまりアニメのネタがわからないので、元がわからなくとも面白いのが読みたい。
警視庁草紙で半七出てきた時は半七捕物帳を読んでいたから嬉しかったけど、あれよく考えたら二次創作というかパロディというか、そういうもんな気がする。
●ラノベは何故ジャンル分けされない?ライトノベルという呼称は既に不要ではないか?
ライトノベルて呼称は、主人公が若い小説っていうカテゴリ分けとして見てる感じなのであればあるで便利。
ラノベを主に買う理由が、最近では新刊が文庫で出てくれるに偏ってきた。ハードカバー置き場ないんだよなー。歴史小説で読みたい奴はだいたい文庫化数年後だし。タイトル買いしたくとも置き場がない。
ラノベもそれ以外の本も読むけれど、あんまり違いを意識して読んだことはないなあ。
一般小説でも主人公これGA文庫の主人公かよwって突っ込みたくなるぐらい会う女に片っ端から惚れられてるような本だってあるし、ラノベでもガガガあたり読んでるとなんでこれ小学館の普通レーベルにいかないんだろう、ソッチのほうが売れそうなのにって思うのもあるし。
MWなんて一般レーベルの皮かぶってるけどどうみたってラノベだし。
歴史小説の中にもこれどうみたってラノベって言いたくなる山田風太郎もあるし、あれやこれやあんまり考えて分けて読まない。
ただ、ラノベでもなんでもいいから文字を読むことが苦にならないようになっておくと、それ以降必要に迫られて本を読むとき楽かなって思う。
そういえば今度映画化するっていう超高速!参勤交代がまるっきりラノベで、見せ場を作ったり主人公が実は最強だったり読んでて面白かった。
とある書店でGJ部全巻(当時)が平置きされた棚に「ラノベに不要なもの、それはストーリーでした」なる手書きPOPが垂れ下がっていたのを見かけたのはもう何年も前のことで、この世にはそんなふうにまだアニメにすらなっていないガガガの売れもしない怪作のために棚の上段を使い潰す書店というものが存在する。近年では「書店員が本当に売りたかった本」なんて惹句がなにかqualifiedとconscientiousの合成語のようにして使われているけれど、いくら書店員が書物に通じているとはいえ現実問題としてかれらの大部分は時給で贖われる単純労働者であり、その無資格の書店員にキュレーターとしての資質まで期待する人間のほうがそもそも恥知らずなのであって、現実の書店員はガガガ文庫で、それもガガガ文庫のなかでも売れてないほうの作品で棚を使い潰しもすれば、そこに面白くもない手書きPOPを貼り散らして俺の心の甘皮をささくれさせもする。そんなに手書きPOPが嫌ならAmazonで買えばいいじゃない、という意見は確かに正論ではあるのだろうけれども、どうなんだろう、それはあくまで消費者側に向けた意見であるはずで、それを書店員たちが「人間がいなくちゃ本屋じゃないですから」なんて言いながら「書店員の顔が見える本屋」を構築し始めるのはどこか歪んでいるというか、個人的にはそういう手書き看板みたいのはラーメン屋に任せておけばいいと思う。話が逸れた。
GJ部原作の1巻が刊行されたときのキャッチコピーは「史上初、四コマ小説!」といったものだったと記憶している。GJ部の原作小説というのはひとつ数頁の独立した掌編が何の脈絡もなくただ三十も四十も寄せ集まって一冊の本になっており、ストーリーに類するものはまったく排除されていて、なるほど「四コマ小説」とは上手いことを言ったものだと思う。主人公的ポジションのキョロ君は「GJ部の部室の前を通りがかったところ突然袋詰めにされ拉致されて強制的に入部させられた」ことが節々でほのめかされるが、その具体的な様子については一向に語られる様子がないし、こないだアニメにも出てきた緑髪の後輩にしてもアニメ6話の時点では影も形もなかったのが7話の冒頭では既に部の一員になっていて、彼女もまた袋詰めで拉致されたということだがやはりその場面なり様子なりが具体的に描写されることはない。GJ部は万事その調子で、はじめは戸惑ったものの、やがて「これは実はよく考えられたシステムなのかもしれない」と思うようになった。
GJ部が面白いか、と問われれば首を傾げざるを得ない。すくなくとも原作には心動かされるようなものはなにもないし、作者の新木伸ならではの詩情や美意識といったものも感ぜられない。たとえばGJ部には紫音さんという紫髪の先輩がいて、彼女は完全記憶力を持つチェスの天才で喋りも衒学的という設定だが、その「衒学的な喋り」がなんというか、よくある「頭の悪い中学生が一生懸命考えた頭のいいキャラの喋り」という例のアレそのものであり、結果として紫音さんの喋りというのは口を開けばテレビやネットの受け売りを垂れ流す残念な女性のそれのようで、見ているとどうしても生暖かい失笑を浮かべてしまう。ポテチの重量の何十%は油だが油は美味しいからね、味覚というものは人間が常に飢餓にさいなまれていた頃から進歩していないものなんだよ、とかなんとか。作家の仕事というものはこんな愚にもつかないトリビアを並べて枚数を稼ぐことではないはずだ、と柄にもなく文学論をぶちたくなりもするというものだが、たとえばこれを杉井光に書かせればこうなる。
「ここで一晩膝抱いてればお父さんの気持ちがわかるとか、そんな馬鹿なことでも言い出すつもり?」
けれど探偵はそれには答えなかった。かわりに、問いを返す。
――「神様のメモ帳7」
薀蓄のお手本として壁に貼っておきたいくらいの素晴らしいフレーズだが、しかしこのレベルのクオリティで作品を量産しつづけるのは普通の作家には不可能であるし、たとえその離れ業が杉井光という超人には可能だったとしても、その属人的才気は模倣も複製も不可能で、だから杉井光という才能それ自体が神様のメモ帳という作品の限界になってしまうし、結果としてアニメ化は無残に失敗する。杉井光の詩情をアニメに翻訳することがそもそも困難だから。映像化不可能、という言葉はなにも特撮の困難さばかりを指すのではない。
唐突に杉井光を引用したのは、GJ部の原作者である新木伸はかつて若き日の杉井光を指導していたことがある、というよく知られたエピソードからの連想であるが、しかしよりにもよって新木伸と杉井光とは、つくづく扇情的な組み合わせだと思う。杉井光は業界レベルで見ても期待の星であり、対して新木伸は今となっては完全に過去の人で、書くものも時代に合っていない云々以前にそもそも単純に質が低い、という印象だったが、しかしGJ部のアニメ化はとても上手く回っているように見える。GJ部の原作からはスケールしない要素が注意深く排除されており、新木伸にしか書けないような描写はけして登場しないから、容易に原作を脚本に翻案できるし、違和感なくオリジナル要素を追加できる。ストーリーが存在しないから原作破壊の心配もなく、忙しいアクションや息詰まる心理劇もないから演出も難しくない。それはサザエさんやドラえもんのアニメが到達した地平に似るが、しかし教育的正しさの美名のもとに去勢されたドラえもんや長谷川町子の遺産を絞りつくした出し殻としてのサザエさんとは違い、GJ部はそもそもはじめから記号のみを志向していたという点で特異である。それがああして幸福にアニメ化されているのだから、作家としては疑問符の新木伸も原案者としては悪くなかったということなのだろうし、その意味では神様のメモ帳アニメ化失敗の原因の一端はある意味で杉井光に求められるといえるのかもしれない。結局神様のメモ帳のアニメはまったく話題にもならず、ヒロインのアリスが「神メモちゃん」として一部で消費された程度であったが、その消費のされ方が「喋るときは○○めも、と謎語尾で喋る。風呂に入ってないので臭い」というまったく原作と無関係の記号を与えられた上できわめて記号的に消費されたのは、考えようによっては皮肉ともいえる。
しかし人生は続く。平野耕太はアニメHELLSINGの最終回を見て「前座にしてやる」とのたまったそうだ。新木伸の物語が「杉井光は電撃文庫でデビューを果たし、新木伸はその後鳴かず飛ばずのまま引退しました」では終わらなかったように、杉井光もまたここで終わりではない。次の杉井光原作アニメがGJ部とは別の方向で大成功することを期待しつつ筆を置く。
若き日の谷川俊太郎さんは詩集『二十億光年の孤独』で世に出た。本の題名にもなった名高い詩は、〈人類は小さな球の上で/眠り起きそして働き/ときどき火星に仲間を欲しがったりする〉と始まる。
(略)
谷川さんの詩を、オバマ大統領に献上したくなった。2030年代を目標に火星に人を送るという新しい宇宙政策を打ち出した。(略)「月へ行く」とケネディ元大統領がぶち上げたとき、米国はまだ地球を回る軌道にも人を送ってはいなかった。それから8年後、人類は月に降り立った。
想像を刺激されたのだろう、その年に福島県の小学生が書いた「うちゅう人とお話を」という詩がある。〈わたしは まほうじてんを開いて/うちゅうのことばで 話しかける/「ガガガ ルル ルル ララララ ピル」っていうと/「ルルル ダダダ テテラ テテラ」てしゃべるかな〉(児童詩誌『青い窓』から)
子どもの感性には詩人も脱帽だろう。この詩もオバマ大統領に献上したくなる。宇宙人と話すための「まほうじてん」を探し出して、そっと添えながら。
「フテンマ キチ イセツアン デス」っていうと/「ワカッタ ソノアン デ イキマショウ」てしゃべるかな
ゲームに能動的に身を投じてから楽しくなったなぁ。
例えば、今楽しいのは「稼ぐ」こと。
これはもう、本質的に超楽しい。基本年棒制の仕事に就いてるので、ヤベー今年で契約切られたくねーノルマノルマアガガガ、ってのを繰り返していくうちに預金通帳に溜まっていくカネを見るとニヤニヤしてしまう。同時に、この制度の下でしか稼げないのはムカつくので、縦横に人脈を伸ばしながら新しく喰らいつける稼ぎ口を探したり、自己能力を高めたりする。
あと、恋愛ゲームも楽しい。終電前のあの20分の戦いは何度やっても楽しい。
馬鹿馬鹿しい、というのは百も承知の上で女を口説く楽しさ。しかも、ベタに定型的なやりかたでやるのが楽しい。
この楽しさは「釣り」に似てる。勝ったり負けたりが楽しい。浮きが沈んで取り込むまでの一連の流れが楽しい。
人生を楽しむコツは、課された物を上手いことゲームだと思って能動的に身を投じることにあるんじゃないかと思う。
何事も頭から突っ込んでドップリ漬かれば楽しい。結果を追ううちに過程が面白くなってくるし、一度過程が面白くなればその面白さは相当長い間続く。そういう意味で、やっぱ自分からゲームに参加してくのがいいんじゃないかな。それがどんなゲームであっても。