はてなキーワード: TIKTOKとは
TikTokってスペース入るの?
流行りは変わっても常に何か投稿・交流する場所を開拓していた。
怖いもの知らずな年頃だったってのもあるかもしれない。
今は「発信」という感覚があるのか、
昔はあれもこれも全部投稿していたのに。
気がついたらいま、インターネットのどこにも「自分」の投稿がない。
Twitter、FB、インスタ、Youtube、TikTokなどアカウントは持っていて毎日チェックしている。
でも全てROM専。
でもなんで?叩かれるのが怖いから。
いや、実際叩かれるなんて滅多に無いよ。一般人だし。
でも違うの、叩かれる・炎上の手前にある
「ふ〜ん」「ププッ」「キモ」「ださ」これら感想を抱く人がごくわずかでもいることが想像できてしまって嫌。
この人、アンチスレあるかな?あるとしたら「〇〇」って書かれてるだろうな・・・
だから自分が何かを投稿しようとしても粗探しポイントに目がいってしまって
すごく楽しかった。
今は「いいな」と思うものがあってもハマるまでいけない。
今は何にもハマっていない、という回答じゃ満足してもらえなかった。
これうまく乗り切れる嘘あったら教えて。
「発信」へのハードルが高いよりは低い方がいいって自分でもわかる。
情報を集めるため、趣味仲間と交流するため、ネットをたくさん使った。
だからこそネットで悪口を見つける方法も叩かれる事案もたくさん知ってしまったのかな?
みたいなやつも一例な気がしてきた。
手料理も、結婚式も、飲み会も、空の写真も、いいと思ったコトも、些細なことも。
いま人生初「ストロングゼロ」を飲んでるから、どうか許してください。
同じような気持ちの人、居る?
世の中には「狙ってバズらせることができる」という技能を持っている者たちが居る。
ブログや文筆業を趣味や生業としているのならば喉から手が出るほど欲しい技能だろう。
もしかすると「そんなことは不可能だ」と否定をしてしまう者も居るかもしれない。しかしこの技能は現実的に存在する。
昨今ではこのような技能を持つ者たちの一部はインフルエンサーなどと呼ばれている。もしくはマーケッターとも表現するのかも知れない。
そのような文脈を前提に「自分はその技能を得た」と言っても怒られない程度には狙ってバズらせるようになってきた。
オンラインとの関わりはざっくりと説明するのであれば、小学生のときにニフティサーブ、時代を経ると共に2ちゃんねる、そしてTwitterという典型的なものだが、その中で「どうすると人々は僕の作ったもので馬鹿笑いしてくれるのか、興味津々になってくれるのか」をいつの間にかよく考えるようになっていた。
そしてその考え続けたものは現代で言う「バズらせる」ことへ繋がる。
ただ、やはり人間は簡単に疑心暗鬼になるもので自分自身が本当に狙ってバズらせる技能を得たのか不安になってしまった。
去年の暮れ頃、とあるコミュニティで初めて力試しとして「どれくらいバズらせることが出来るか試す」のようにコミュニティ所属する多数の前で宣言をし、年が変わって元旦に1つの記事をインターネット上へ公開した。
その結果として現在までに5万に迫るアクセスを得た。前提として無名かつ匿名の人物が公開した記事であり、内容としては難解とされがちで読者を選ぶジャンルの記事を事前に宣言して5万に迫るアクセスを狙って記録したのだ。
5万はPVなのかUUなのかシステムの都合上判然としないが、数字だけ見ると別段凄くはない。しかしこれを嘘や炎上を使わずに真面目な記事で狙ってやるのはなかなか難しい。
この結果を得たことにより「狙ってバズらせる」技能を持つ人間の末席に座っても良いのではと思うようになった。
長々と書いてしまったが、おそらくアナタたちが気になるのは長々と語った前段よりも重要なのは「狙ってバズらせるにはどうすると良いのか?」という点だろう。期待通りそれを語ろう。
ただし、何も特別なことはない。基本と呼ばれるものは流石は基本と呼ばれるだけはあり、結局のところは基本を踏襲することへ収束していくからだ。
アナタはどこでバズらせたいのか?を考えなければならない。
TwitterなのかYoutubeなのかInstagramなのかTikTokなのか、それともインターネットへアクセスする全ユーザなのか、年齢層はどの辺りなのか。
それらのユーザ(=読者)がどのようなことを好み、どのような文体(=表現)だと受け入れて貰いやすいか考えなければならない。
結局のところバズらせるには読者の膨大な受け取り方をあらかじめくまなく想定しておく必要があるのだ。
つまり、読者によっては自分自身が想定していない斜め上の発想を持つことがあり、よくわからない理由で「このコンテンツは自分向きではない」としてコンテンツの閲覧をやめてしまうことがある。
それを抑える工夫が必要だ。
Twitterなどではブログ記事の画像がサムネイル化され表示される。
このサムネイルは非常に重要であらゆる読者のアイキャッチとなり得る。
「Youtubeの動画サムネイルは日本的なスタイルがある」と言われるように、読者層へ合わせたスタイルのアイキャッチを作ることによって読者流入を呼び込みやすくなる。
実際はアイキャッチとなるサムネイルも含めてなのだが、読者は筆者が思うよりも非常に早い段階でコンテンツを切る。
アイキャッチはタイトルを読者に読ませるもので、タイトルは冒頭3行を読ませるもので、冒頭3行は記事全体を読ませるために存在すると思ってもらって構わない。
早い話が読者の興味を維持し続け、欲を言えば次々と読者の興味を増幅していく必要があるのだ。
もしアナタの書いた記事のアクセス数(PVやUUなど)自体が全く伸びないとするならばアイキャッチやタイトルの時点で失敗している。
どんなに記事の中身が良くてもクリック(タップ)されなければ意味は無いのだ。
例えばはてなーであるならばはてなブログを使いたくなるだろう。
しかしそれは「はてなブックマークでホットエントリ入りしたい」という目的でない限りは間違っている。
バズらせたい読者層を想定したときに、はてなブログ以上に人気のあるブログサービスがあるならばそちらを使うべきだ。
想定読者層に人気のプラットフォームには想定読者が居るのは当たり前であり、アナタの目的は想定読者層でバズらせることなので、アナタの好みでプラットフォームを選ぶべきでない。バズらせたいのであれば想定読者の好みでプラットフォームを選ぶべき。
YouTubeだろうがInstagramだろうが想定読者が好んでいるのならばそのプラットフォームを使うべきなのだ。
読者層を想定した際に、その想定読者層でよく読まれシェアされている記事の堅さはよくチェックしておかなければならない。
あまりにも堅い記事が続いてシェアされていたり、同じジャンルの記事が続いていたりすると想定読者層はそれに飽きていることが多い。
例えば想定読者層でお堅い政治の記事のシェアが続いているならば、アナタが書いたお堅い政治の、しかも素人が書いた下手な記事を読むわけがない。
お堅い政治の記事のシェアが続いているならば、そこへ食の乏しい2月の今、旬の食べ物やちょっとプレミアムな食事の記事をサムネイルと共に公開してみると良い。間違いなく人気が出るはずだ。
この例で右や左、保守やリベラルや革新の膨大に公開され続ける素人記事の多くが読まれない理由を察すると良い。
逆に柔らかい記事が続いていても読者は飽きるので、そういうものが続いているのであれば知識欲を刺激するような記事を公開すると良い。
扱うなという話ではなく前段に共通する話だが、女性性やLGBTQ+やジェンダーなどのネタでバズを経験するとコレに旨味を覚えて継続してしまうことが多い。結果として読者は飽きる。
そして結果としてやりがちなのがセンセーショナルな言動をしてしまい炎上状態へ陥ってしまうというパターンだ。
何もお堅いネタばかりでなく下世話なネタやエロネタでも全く同じ。それで1つバズると続けてしまいがちだ。
特に女性性によるエロネタは2ちゃんねる成長期から続く「女神」の悪習なので良くない。ニコ動でどれだけ女神の垢BANを見たことか。
女神を批難するようなフェミニズムが居ることは良いことだが、それによってバズを経験し旨味を得て繰り返すとしっぺ返しをくらうのは最早インターネットではありがちな光景だ。
フェミニストやジェンダー論者、LGBTQ+の目的は怒りを拡散することではなくフェミニズムやジェンダー論、LGBTQ+の考え方を広めることだと解釈しているが違うだろうか?
怒りは人間の心理上ネガティブな感情であってネガティブな感情を継続したくないのは人の常だ。
性的被害などを叫ぶのは重要だが、それ以上に大切なのは「誰しもが楽しく面白いフェミニズムやジェンダー論、LGBTQ+」を広めることだと思う。
敢えて言おう、バズらせるのに「怒りのフェミニズムやジェンダー論、LGBTQ+はもう古い」と。
前述した要素を考えて数十回コンテンツを公開するとバズるコンテンツが現れるはずだ(当然ながら見当違いな考えをすると失敗もするが)。
プロではないのでテキトーなことを言うけれど、プロがプロである所以は安定して高いアクセス数(PVやUUなど)を稼ぎ出すからだ。プロはおそらく1発のバズよりも一定期間内の総数の方が重要だ。
今回5万程度の数字を得たが、プロは1回の記事が1000としても、例えば1週2記事の公開した場合は1年約52週=10万4000もの数字を稼ぎ出すはず。
そしてそれが想定読者層へ対して最適なプラットフォームであった場合は1000などという小さな数字であるはずがないので5万などという数字は鼻で笑うようなものだ。
何ならプロはオススメやレコメンドなどによって他の記事の数字すら伸ばすだろう。
今回は事前に宣言するという失敗すると恥ずかしい自身へハードルを設けたが、プロは常にこのハードルを超えているわけで流石としか言いようがない。
しかも当然ながら(真っ当な)プロであるならば嘘や炎上は使わずにそれを行っているのだから感服する。
この記事は今のところのバズらせるコツみたいなものを書いたものなので今後考えが変わるかも知れないが、参考にしていただければ有り難いしツッコミは大歓迎だ。
個人的な予想としてインフルエンサーマーケティングは失速するだろうから、この記事をもってインフルエンサーになろうとするのはやめたほうが良いと強くアドバイスする。では。
昔、勝ち組といえば
皆に尊敬され社内のあの子と結ばれたイケてる会社の先輩、事業で一発あてた中学の同級生。
社長やたまに顔を出す元重役などの取締役。良くて請負元の中小企業の社長ぐらいしか認知できなかった。
上を見上げると、一生で稼ぐような額の金をばらまく前澤社長がいたり、
遠い世界の人のように感じた日本最大の権力を持つ安倍首相もTwitterで政治活動を発信している。
趣味の分野では神と呼ばれるような絵師は八百万の神並みにうじゃうじゃいるし、
天才エンジニア達は年中プログラムを組んでは毎日のようにOSSへプルリクエストを送っている。
本来一生目にすることはなかった、はるか上空にいる同じ時間軸を生きたとは思えない勝ち組たちを目の当たりにし、自尊心がぐずぐずになってしまった。
そこで、表題の通り負け組を観察して自尊心を保つことをすすめる。
上が宇宙のように果てしなく広がるなら、下はマリアナ海溝のように漆黒の闇が沈んでいる。
言わなくてもわかると思うが、負け犬がよく使っているSNSはもちろんTwitterだ。
実名で発信するFBなんかは現実の延長線としか使われていないし、
インスタはグラビアアイドルのエロい写真を見るためのアプリだし、
TikTokはフレッシュな若者がイケイケピュンピュン馬鹿やってて逆にダメージをもらってしまった。今すぐアンストしろ
負け組のアカウントを探すにはキーワードで「うつ病」「社交不安障害」「適応障害」なんかの精神病で検索すれば手っ取り早い。
プロフィールに恥ずかしもなくわざわざ病名を書き込んでるアカウントが見つかればビンゴ。奴らはすぐに自分の未熟な精神を理由に働くことを拒否する。
たいていフォロー数が500も満たないアカウントばかりなので目をつけられてしまう。
人によってはフォローした瞬間にブロックされる。奴らは虐待された犬並みにナーバス。「変な奴ブロックした」とか言ってやがる。変なのはお前だ
非公開リストを作成してそこにアカウントを追加すればフォローしなくても一方的に監視できる負け犬TLの完成だ。
また、奴らは弱者同士で傷をなめあうのが大好きなので相互フォローに同レベルの負が潜んでいる。まとめて追加
あとは会社のトイレや明日の仕事が憂鬱な今日のような夜の日にリストを眺めるだけだ。
みているとわかるが、奴らはとにかく社会のせいにする。
俺らが金が無いのは、自民党のせいだーアベのせいだー経営者による労働搾取のせいだー団塊世代の負の遺産だー
などとずーーーっといってる。もしくは自分病気つらいッスアピールのメンヘラツイートが9割を占めている。
働けバカ。生活保護もらって生き永らえさせてもらってるだけ社会に感謝しろ。弱者にやさしい日本に生まれたことを感謝しろ。
ひどいものだと、親に対して異常なまでの恨みをだれでも見られるパブリックなサイトに長々と書き連ねている。
いくら毒親だったとはいえその言い草はないだろうって思う。本当にひどい
個人的に心くすぐられるのは1万満たない出費をうじうじ呟いているのがたまらない。金がないと心が貧しくなるとはいうがあまりにも滑稽だ。
おそらく半匿名のブクマカには散々いわれるだろうが、人間誰しも優越をつけて自分より下がいる安心感がないと自己を保っていられない。
一部を除きほとんどの人が表立って言わないだけで、人間である以上避けられない本能だと思う。
経営者だって労基法すれすれブラックな手段で金を稼ぐから自分が他の誰よりも悪い人間なんじゃないかと思うあまりに、気まぐれで募金をしたり、ボランティアして他の人よりも善良な人間であろうとするし、
会社では温厚で優秀な技術者だって、入社したばかりの新入社員が藁をも掴む思いでteratailに投稿した拙い質問に、意味が分からないと一蹴し、初歩的な問題だからドキュメント読め、わかるだろ?などと大マウントとってくる。
勝ち組のマウンティングでプライドがずたずだになって自死を決断するぐらいなら一度試すのをすすめる。こいつらよりお前はずっとすごい
ラップ/ヒップホップは2010年代より前から確かに北米で人気はあった。が、それは黒人コミュニティを中心としたもので、現在のような人種間や音楽ジャンルをクロスオーバーしたポップスとしての支持とはやや違っていた。
それを踏まえて、なぜ北米でヒップホップが主流となったのかということを推論すると、結局のところメロディアスなラップスタイル(フロウ)のアーティストが増えて聴きやすいヒップホップの曲が増えたからではないかと思う。
元増田のブコメでは「ラップにはメロディがないから日本人の趣味に合わない」という意見が多くみられたが、黒人以外のアメリカ人もこの起伏のない歌唱をすんなり受け入れられたわけではなく、いくらかのヒット曲がありつつま2000年代まではあくまでヒップホップは黒人向けのジャンルに過ぎなかったと思う。
それを時代を席巻していたラッパー、カニエウエストが2009年に歌メロをオートチューン(ケロケロボイス)で歌い上げた「808s & Heartbreak」を発表し後進に多大な影響をあたえたことや、歌うようなフロウの代表格であり2020年現在にラッパーの中でトップクラスのセールスを稼ぐドレイクの登場によりヒップホップがメロディアスで大衆受けするものに変容していったのだ。(※1)
現に2019年にビルボードのチャートトップに君臨したラップはこんな感じ。
英検三級以上の語学力とDAM精密採点で80点以上を出す歌唱力があれば、2、3回聞いただけでなんとなく口ずさめるようになるのではなかろうか?
しかも従来のヒップホップにはあまり見受けられなかった、オルタナティブロックやAOR、カントリーなど別ジャンルのエッセンスを柔軟に取り入れクロスオーバーさせている。
そしてリリック(歌詞)にギャングスタ調の拝金主義や女性蔑視が見受けられず、かわりに繊細で叙情的な表現や甘ったるい愛の言葉が散見される。
こういった曲をみんなで合唱していたり、若者に混じっておじさんが聞いているさまを想像するのは容易いことだ。今のヒップホップは親しみやすいのだ。
渡辺志保さんの2010年代総括がきれいにまとめられていたので紹介したい。
宇多丸・高橋芳朗・渡辺志保 2010年代のヒップホップを語る
荏開津広×渡辺志保 ラップが席巻した10年代を振り返る - インタビュー : Kompass(コンパス) ミュージックガイドマガジン by Spotify&CINRA
僕が思う、米国でヒップホップが流行っている理由はもう一つあって、それはあまり面白くないが、ヒップホップの曲構造や今のヒップホップカルチャーのあり方がビルボードチャートで好成績になりやすいように特化していっていることが挙げられる。
CDになんてとっくの昔に売れなくなって、米ビルボードの主な集計対象は動画再生回数とダウンロード数やストリーミング再生数である。短く印象的なフレーズ(パンチライン)を反復するヒップホップソングはネットミーム(ネタ)やTikTok等SNSの投稿に流用しやすくそこで再生回数を稼ぐためにチャート上では有利な存在になっている。
日本でも話題になった2018年の「This is America」(チャイルディッシュガンビーノ)とビルボードHot100のNo.1を争ったドレイクの「In My Feelings」は、「In My Feelings」に合わせてインスタやTikTokにダンス動画をアップする#InMyFeelingsChallengeが自然発生的にブームになったことがヒットに貢献したと言われている。
ドレイクのデビューにも深く関わったリルウェインを初め、アウトキャストのアンドレ3000やネリーなど歌うようなフロウで成功したラッパーは90年代以降少なからず存在はしていた。
Drake - In My Feelngs
(未成年のアホな主張だと思って読んで下さい)
※あと筆者はしがないFラン馬鹿ヲタクですのでちょっと言葉が足りなかったりすると思います。ごめんなさい
SNSで、自由に自分の思考や意志を主張できるようになった!わ〜!SNSって便利!誰とでも繋がれてしゅご〜い!!(*>ω<*)
本当にそうなんでしょうか??
皆、昔はこんなに自己顕示欲強かったっけ??…と
I have a boyfriendと密かに…いや高らかに匂わせ、TikTokではSNSに自分の顔を載せています。しかも鍵なしで
前者は微笑ましいし羨ましいけど後者に関して、ババアは心配になります。
SNSのおかげでインフルエンサーが生まれたりとか迷子犬を見つけられたりとか良い側面も沢山あります。
けど、
SNSの台頭によって、皆どんどん自己顕示欲を解放させちゃったなぁ。とも思います。
一番はTwitterです。
仲間内でウケ狙いするために変な事して皆の注目を浴びるようにする自己顕示欲の典型例だと思うんですけど
なんかTwitterってよく、
〇〇な私
自分がヲタクしてる界隈でちょっとした騒動が起きたんですけど、
その時担当になりすましてアンチしてる発言は2〜5くらいの少数のツイートだったんです。(さまざまな垢の質問箱系のサービスに匿名でアンチ的意見を質問した)
けど、それを上回る100(テキトー)が
アンチされてる!〇〇が可哀想!って言いながらそのツイートの写真をつけて拡散していました
それを見た人が、傷ついたりするかもしれないのに。
そのツイートを見た人が更に〇〇に関する事を検索して、また同じようなツイートをすれば堂々巡りになってしまうのに。
本人にそのツイート届いたらどうするんですか?
嫌だ、言い返してやりたい。拡散して皆にもこの酷さをわかって欲しい!
そう思った方もいると思います
けどさーーー、コレ、黙ってスパブロ通報が一番なんですよ、争おうとしたところでアンチと貴方同類だから貴方も拡散した時点でセカンドレイパーなんだよ!
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@bbbbbb
Aなんて整形ブスの癖にwwww
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@cccccc
Aが叩かれてる!酷すぎる。拡散して欲しい
としたとします。
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@dddddd
__________
@eeeeeee
RT信じられない❗️こんなの〇〇が可哀想。〇〇は整形なんかするわけないじゃん。〇〇にはウチらがついてる!!
大勢の善意という名の悪に傷つくんではないでしょうか??よりによって自分のファン達に傷つけられちゃうんです
私は、この「〇〇が可哀想(;o;)許せない(;o;)拡散してやる٩(๑`^´๑)۶」タイプの思考はセカンドレイプだと思います
だってそれ酷いと思ったんでしょ?なんで酷いと思った事を拡散するんですか??
アンチよりも酷いじゃないですか。ソレ。自覚症状あって拡散してるの何なのアホ?
で、しかもこれ、自己顕示欲で〇〇を心配してる自分に陶酔しちゃってると思うんですよ。〇〇!私達は貴方を心配してるんだよ〜!って事じゃないですか。
見つけて欲しいんでしょ?わかって欲しいんでしょ?〇〇に。
嫌な世の中になっちゃいましたねぇ
〇〇〜な自分に酔うのが一番酷いと思います。だってそれ多分、きっとその人はAの心配なんて本当は、心の奥底ではそんなしてないと思うんです。違かったらごめんなさい
なんてアピールする必要があるんですか?〇〇を心配してる、その事実だけで十分貴方は素晴らしいです。
なぜ、わざわざ広めて可哀想!でも私達がついてるから!になっちゃうんですか?
あとそのツイートが、貴方が好きなタレントの仕事を奪ってるかもしれない。って事も頭に入れておいてくださいね!
モンペのやばいヲタクばっか抱えてるなんて印象持たれたら仕事入りにくくなりますよ
(あ、言い忘れましたけど勿論諸悪の根源はアンチツイートですよ)
Twitterが許可なくなんでも拡散できちゃうツールだからこその弊害ですよね。
Twitterが「わ〜!自担今日もお顔が天才!お歌上手!しゅきめろ〜!」とか
「イッヌかわいすぎ」とか「お猫様にゃんにゃんにゃ〜ん」みたいなツイートだけになれば良いのに(無理だしそれじゃツールとしてヒットしない)
ア ン チ は 鍵 付 き 垢 で し ろ
それ以外!!!
ア ン チ に か ま う な
@zzzzzzz
〇〇は整形したところでブスだし需要ないどうせあいつキ〇〇〇だろ。バラ面白くないし
…
アンチに構うなんて小学生の男子のちょっかいに反応しちゃう女子です。
ステイステイ抑えろ同じ穴のむじなになってはいけないのさ…( ˘ω˘ )慎ましく強かに生きようぜ
乱文ですみません。ここまで読んでくださった方、しがない主張にお付き合い下さりありがとうございました。
(今回、叩かれる材料として整形を選んでしまいましたが故意はございません。芸能人はよく整形で叩かれやすいので、例にあげました。皆が見栄えばかりきにするようになったのも、きっとSN(ry
趣旨に同意しつつ、この文章の中で自明とされている主体と客体がこの類の絵で混同されやすい時代性においても言及したいと思う。
絵画を専門的に習ったことがある人なら、あの絵の構図が客体的であるというのはすぐ分かることなのだけれど、見ている人たちにとってはそれは必ずしも自明ではなかったりする。
それは萌え絵に限らず、漫画絵がフォロワーとして(前例の模倣)成立する部分があるからで、それは描いている人が意識的かどうかだけでなく、鑑賞者がそれらを当たり前のことだと分かった上での表現だと言うことだ。
なので、鑑賞者はそれらが元々を遡っていけば、性的記号を女性から抽出したものであるという意識が薄くなりやすいのではないか。
「母」という漢字の成り立ちを知らないまま、「母」という漢字を使用しているようなもので、そこを指摘されても、という当惑も(特に成り立ちから離れてしまった世代にとっては)受けやすかったりもするんじゃないかと。
それと、YoutubeやTiktokのような動画投稿だけでなく、携帯やスマホのように「自撮り」表現になれてしまっている世代(時代)にとって、主体と客体は渾然としている場合が多い。
自分が見せたいものを見せる「主体」と、世間に受ける(バズりやすい)「客体」とが、自分にとってさえ解け合って分かりづらくなっている。
バカッターなどは、そういった中で出現する現象の一つ(全てがそれで説明できるワケではないけど)でもあるだろうと思っている。