はてなキーワード: 運動とは
これからの時代で「反AI」なんてのは正にラッダイド運動と同じで、技術に理解なく粗野な行動に出た人たち、みたいなレッテルを貼られてしまう。
それよりも産業革命時に見られた、アーツ・アンド・クラフツ運動のように、生成AIを使っては作り出せないものの価値に目を向けた活動をするのが文化的ではないか。
ここ最近SNSや友人で俗にいう「眠剤」「抗うつ剤」を使用する人が本当に増えてる
朝からルネスタ飲んだり、だるいからとデパスや、サイレース、嫌なことがあったら飲むというスタンスが増えてきた
辛さは人にとってそれぞれだから辛いだろうし飲むなやめるな立ち上がれとかは全く思わない。
私もメンクリには昔お世話になった身なのでどんな人でも抗うつ剤や眠剤を飲むことは悪いとは思わないけど、
ここ数年見ていてあの薬たちの効果と副作用を理解した上で責任を持って飲んでる人が少ないと思う。まるで合法なだけで違法薬物とおんなじ扱いみたい。
いかんせん約十年ぐらい前に眠剤ラリラリだった経験がある私からしたらの価値観なので見方を変えれば「古い人間乙、昔と今じゃ医学が違う」と言ったらおしまいではあるけど。。
だから昔は鬱や病んでる人に寄り添うような考え方をしていたのだけれど、「うつだ、辛い、動けない」とか言ってる人が深夜までゴロゴロして酒を飲んでsnsをやり眠剤を飲んで酒を飲んで切れ目で「鬱だから」と病んでる様を見ると心からイラつく時がある
でもそれってsnsでしか本人をみてないだけなんだと思う、、、でも
「自分は躁鬱」とかを言っているのは大変だなと思うけど、
そういう人たちが必要以上にODをしたり酒と飲んだり健忘しているのを危ないと思ってない人たちを見ていると「本当に治す気あるのかな?そういう病気なのかな?」と思ってしまう
そうして、周りのリア友やTwitterのフォロワーたちが飲んでいく中、信用している友人もメンタルを仕事でやられて飲み始めていた
だけどその子だけはしっかりしていて「ずっと飲むわけにはいかないから」と最初から「一時的な助け舟」として使っていてすごく安心した気持ちになった
・飲んだあとは携帯を一切いじらない、
・寝る直前に飲む
の三つなんだけど、これって「当たり前」だと思うしそれらができない人たちorやらない人が多いから抗うつ剤の乱用が目につく
本当に本当に体に悪いし頭おかしくなっちゃうのにそれに気づかないで飲んでる人たちが多い
他の人なんか「ヤブ医者に欲しいって言ったらいくらでも貰えるw」とか言ってる人もいる。本当に危険
だけど「危険」って思う言葉にも目を向けないあの人たち。ずっと飲んでる。
眠剤や抗うつ剤を飲んでいた期間の自分の頭がおかしくなってたと思っているのは私だけかもしれないけど、当時は「少しでも」ネガティブに感じたら頓服に頼ってた。
世の中、あまりにも下手に飲んでる人が多すぎる
鬱になって薬をもらっても、ちゃんと飲んで、近い将来に「飲まない」ように夜に寝て朝起きて朝ご飯しっかり食べるのを意識した方がいいのに
いやいやいやいやいや
「夜寝た?」と聞くと「寝れなくて。。。深夜」と言われる
じゃあその前日は???となる
やらなきゃいけないことをあと回しにしてやりたいことだけやってる、そうなるのは鬱のせいかもしれない、でもその鬱を加速させてる原因を考えてほしい
ないとやっていけないという段階まできたらもう戻れないということをもっと理解してほしい
薬や酒やタバコばっかり摂取してそれで「鬱が治る、マシになる」って言ってる人たちが本当にイライラする
鬱を治すのには
本人の努力と周りの助けが必要になるはわかってるけど、その努力を怠ってるようにしか思えないことが多い
なんでそこまで自分に甘くなれるのか、なんでそこまで病気が進行しているのか、何も考えないで考えたら病むからと「薬」を飲んで別のことを考える
そのずっと「考え続けること」が大事なのではないのか
思考が止まっているのであれば「薬を飲む」という思考にも至らないと考えているが、、
なんで鬱でなんも出ないのに「薬」だけは飲めるんだよ
薬飲んで「切れた後のこと」を考えてほしい
最近、我が老境において、喜びの種となりつつあるのは、ビックバンセオリーを眺めることでござる。
インテリ気取りのオタクの愚痴っぽい振る舞いが、滑稽さを誘い出し、わが老眼に微笑みをもたらす次第である。
シェルドンなる輩は、ひも理論の奥深さに耽溺し、しかもデニスキムの出現以来、中東問題解決と称して、何やら意味不明な提案を披露し、微妙に差別的な言葉も交えておる。
年を重ねても理解に苦しむ世の謎は尽きることなく、これが老いというものかと、我が老いびれた心に感じ入りたり。
さて、余は昔より数学の魅力に惹かれ続けてまいりました。
あまりにも純粋な数学よりも、応用数学の方が余には心地よいものでござる。
したがって、利潤を最大化させんが為に必要な推薦システムの機巧に興味を抱く次第でござる。
ユーザー、プロバイダー、システムの三者関係を形式化し、マルチステークホルダー問題として考察すれば、トレードオフの難しさが浮かび上がってくる。
システムの運用を最適化すればするほど、マッチングの機会均等性が損なわれるという難しい事態が生じる次第でござる。
この機会均等の欠如が引き起こす長期的な悪影響として、プロバイダーの離脱が挙げられる。
しかしながら、絶妙な場合では単価競争が巧みに行われ、我が利益も増進するであろう。
サービスの価値が低ければ低いほど、プロバイダー離脱の危機が高まる。
なぜなら、サービスそのものが他社と競争しており、「そんなに高いなら他のところへ行きます」との言葉が飛び交うのでござる。
故に、効用だけでなく、公平性も見逃すべからざる重要な要素となる次第でござる。
話は変わり、老齢においても脳の活性化を促す趣味を模索しておる次第でござる。
何よりも自分が楽しむことが第一であるが、たとえばチェスとヨガを比較し、どちらがボケを防ぐに効果的かを考察せざるを得まい。
多くのエビデンスが示す通り、運動は脳の活性化に寄与するものである。
まあ、美しいお尻を手に入れることを目指してみるのも悪くはないかもしれぬな。
道が凍結していた危ないったらなんの!
屋外のバケツには表面に氷が張っているのよね。
そこでスケートできんじゃね?ってぐらいまではいかないものの、
でもこれ道も凍ってるから、
本当に通常の道なのか凍結した道なのか見た目では判断できないぐらいな道端で
私危うく転びそうになったわ!
さすがに運動靴とかそう言うのには履き替えたけれど、
でも身体って自然とバランスを崩さないように無意識に作動するもので、
私が一瞬でも道でじゅりん!って滑りそうになった昨日書いたばかりのことを、
体勢が崩れるかと思いきや、
とっさに脚を倒れない方向に踏ん張るじゃない。
あれって誰が考えてとっさに判断してこのぐらいの脚の踏み込み方でいいんじゃね?って考えてるの?
無意識よ!
不思議だわー
その制御系。
全て寒いのがいけないのよ。
転んだら怪我したら痛いじゃない!って思いながら啜る月見そばって美味しいわよね温かくて!
満月にちょうど月見蕎麦を食べるってなんかスピリチュアルな感じがするけど、
だいたいは蕎麦って2種類あるじゃない。
駅そばのここは夏場は温玉に変わるけど、
冬は生玉子。
レジェンドの女ピン芸人の研ナオコさんがいうギャグで「生玉子!」って絶叫するネタの元ネタが分からないまま日々暮らして過ごしているようなもので、
崩しちゃうとお汁の温度が下がっちゃってせっかくの熱々の月見そばがその月見そばたる所以の温度をキープできなくなって温くなっちゃうのよね。
でも私蕎麦と玉子を絡めて食べる蕎麦カルボナーラと心で呼ばず今初めて言ってみたけど、
その食べ方だと温いのか玉子のとろっとした美味しい感じとでどちらを楽しむのか
迷うところよね。
こないだなんか余りに寒くって玉子の存在を忘れている頃に食べ終わってしまって、
夏目漱石さんが満月の夜に訳した本でアイラブユーってある一節のように、
ちょうどまだ生玉子の芯は冷たいままゴクンと最後飲み干したの。
そのぐらい昨日は満月!
全力でオオカミ男の女版でうぉー!って月見そばの生玉子を見て発狂しそうなほど身体の芯まで寒くって
寒さのあまり本当にウォー!って叫んじゃうけど。
わ、忘れていた山脈のことをうたいつつ私は温かい月見そばを平らげてしまってからまた心の冷たい生玉子を一気に飲み干してしまう山脈に向かってヤッホー!って叫んだのよ。
それこそオオカミ男のノリよ!
オオカミ男が満月じゃ無いときでもオオカミ男のパワーを発揮するときに
スーパーマンが電話ボックスで駆け込んで変身して助けに行くシーンのあれのオオカミ男版で
目の前のピンチに遭遇したら、
近所の近くのお蕎麦屋さんに駆け込んで月見そばを食べようとして変身して助けに行く設定のオオカミ男って全力で少年よね!
間違って全部食べちゃった回は笑っちゃったけど。
まだ変身していないって言うのに!
でも彼のピンチに遭遇しても慌てずに月見そばを食べて落ち着かせて最後の生玉子を変身してからゴクンと飲み込んで手の甲で口を拭いそろそろ行くか!って格好でピンチを解決するの!
だって悠長に月見そばなんて食べているうちは本当のピンチなのかピンチじゃないのかよく分からないわよね。
でも彼の中の美学があって
真のピンチの時は月見そばの満月に見立てた生玉子を見て変身したより、
リアル満月でそれを見て変身した方がフルパワー出せちゃったりとか!
的にやられそうになって月見そばの生玉子見て変身して助けに行ったのに力が及ばなくて、
真のパワーを発揮するオオカミ男になってピンチを毎回解決して今売っていう定番のフォーマットにすれば、
毎回満月にってならないとその真価は発揮できないわよね。
でも月見そばの満月に見立てた生玉子とリアルの満月のとで2段階で変身して強くなってピンチを解決するってカッコよくない?素敵だわ!
それぐらい私の心の中のヒーローよね。
そう思うわ。
うふふ。
タマゴとチキンが挟まってボリュームのあるミーにピッタリのボリューミーな感じがちょうどいいわ!
食べ応え充分よ!
たぶん。
こっちも絶好超よ!
温かく飲める朝のホッツでご機嫌さんよ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
資格勉強を代わりにやってくれる優しくてエッチなお姉さんがずっとそばにいてほしい
飲まず食わず不眠で生きていられて風邪をひかない、でもぼくが風邪で弱りきったお姉さんがみたいなってお願いしたらいいよって言って風邪をひいてくれる
運動能力はあらゆる種目で世界記録を樹立できるほど突出しているけど基本的にぼくの身の回りの世話をするために生まれた人だからそういう記録にはまるで興味がない、でもぼくが運動音痴でドジっ子なお姉さんがみたいなってお願いしたらいいよって言ってお盆をひっくり返すようなドジっ子になってくれる
お姉さんの笑顔をみたらすべての肉体疲労・倦怠感・ストレス・不安・心的外傷が吹っ飛んだように治癒する、でもぼくが女王様みたいな鋭い眼光でキッと睨みつけてぼくの心を震え上がらせてくれるお姉さんがみたいなってお願いしたらいいよって言って捕食者のような鋭い目つきでぼくを委縮させてくれる
そんなエッチなお姉さんがある日ぼくの家を来訪してぼくの制止を振り切ってムリヤリ家に居ついてほしい
本当にしんどい
・動いてない時に脈が爆上げになる(スマートウォッチ曰く軽い運動をしたくらい)
・やること終わってないから布団で寝ちゃダメだと思って毎日床で寝てる
・顔が腫れたり痒くなったりする(酷すぎて皮膚科に行ったら疲労かな?と言われた)
・常に焦っている
・自分の管理不足で学校に行く時間が狂ってイライラして物を投げた後動けなくなる(結局行かない)
・常に息苦しい
・死ねば楽になる思考(自殺企図の経験あり、今は用意する気力もない)
・手が震える時がある
・外で座り込みたくなる
・ふとした拍子に涙が出る
・物忘れが多くなった
・人と会いたくなくなった
・自分の顔が醜すぎて化粧の時に泣く
・気持ち悪くなる
・睡眠は取れるけどいつ寝ていつ起きてるか覚えてない
・ずっと気分が落ち込んだまま
ここまで書いたけど正直自分が弱くて甘えてるせいだと思う、もっと頑張りたいのに頑張れなくて怠けている自分が情けない
今電車だけど泣きそう どうしたらいいんだろ
ラッダイト運動が失敗した世界では人はどのように暮らしているのだろうかと考えることがある。
資本主義の暴走を止めたと称賛されるが、もしあのときラッダイト運動が失敗していれば人類はさらなる繁栄を手にしていたのではないかと思う。
もちろん、非人間的な労働による生産性の向上は労働者(=消費者)の消耗とセットなので結果的に経済は委縮する、
あるいは資本家の増長で富が偏在し国民の経済格差によって社会が不安定になりどのみち経済は破綻する、という理屈は分かる。
でも逆にうまいことバランスが取れれば、生産技術の開発が政府にコントロールされない世界の方がよりダイナミックに社会が進歩すると思うんだよな。
わざわざ社会をそんなディストピアにするほど人類は間抜けじゃないと言われるかもしれないけど。
例えば、歴史上、優生思想を害のある思想だと思っていた人が居たけど、そういう人たちの考えが主流になるまで蔓延した世界だったら、
今みたいに国によって遺伝的に優れた人間だけしか子孫を残せないよう管理された社会だって非現実的なディストピアと呼ばれるんじゃないか?
地上でエレベーターが静止している場合、エレベーターが存在する地表(に固定した座標)と、エレベーターに固定した座標は、理論的には全く同じ加速度でこの宇宙内を運動しているはずですよね。
ここやな
でもその差は無視していいよねという話
非慣性系の座標系同士が慣性系に対してそれぞれ同じ加速度を持っている場合は、一方の慣性系の運動方程式を立てるときに他方の慣性系の加速度は項として現れないと考えて合っていますか?
エレベーター内の物体の動きというようなものをを考えるとき、地表面を慣性系と考えていいのは、遠心力やコリオリ力が小さいから「無視できる」というふうに聞きました。
でもこれって「無視できる」んじゃなくて「無視するまでもなく存在しない」と表現するのが妥当な気がしたんです。
地球は自転も公転もするのでその地表面は非慣性系であるのと同時に、エレベーターや電車の中での動きみたいな地上で行われる日常的な物体に対する物理的考察は、基本的に地表面を基準として行われていると思います。
地上でエレベーターが静止している場合、エレベーターが存在する地表(に固定した座標)と、エレベーターに固定した座標は、理論的には全く同じ加速度でこの宇宙内を運動しているはずですよね。
そしてエレベーターが上昇すると、エレベーターに固定した座標の加速度には、地表と同じ加速度に上昇運動分がプラスされているだけという形になると思います。
このとき、エレベーターの中の物体に対して運動方程式を立てるとき、慣性力として現れるのは、「無視できる」からとかじゃなくて、理論的に物体の質量にエレベーターの上昇運動分の加速度のみをかけたものになると考えて合っているでしょうか?
参考書で慣性力を考えるとき最初は(慣性系から見た物体の位置ベクトル)=(慣性系に対する非慣性系の原点の位置ベクトル)+(非慣性系からみた物体の位置ベクトル)という式を立てて、これを二階微分して出る加速度の関係式を運動方程式に代入するというやり方でした。
ようは、慣性力は、二つの座標系の関係性のなかで論じられているのだと思います。
そうするとこれが、地表と地表に対して動く物体内の物体という、非慣性系が二つ出てくる場合には、非慣性系の座標系同士の関係性のなかで同じように論じられる。そして上記のやり方だと、慣性系そのものの位置ベクトルないし速度加速度を考えなかったのと同じように、一方の慣性系の加速度、地表を基準とするなら地表の加速度は考える必要なく、運動方程式にも地表の加速度に由来する慣性力は現れようがないのかなと直観的に思いました。
ただ、慣性系一つに、非慣性系二つという三つの座標系を仮定して式を導くというのが、自分の計算力不足で煩雑になりすぎてお手上げだったので、本当にそうなるのか自力では導けませんでした。
実際はどうなのか回答していただけるとありがたいです。
でもそもそも慣性系っってどこにあるんですかね??太陽系も銀河系に対して公転してるらしいし、銀河系も公転してて、というか時空間自体静止せず膨張してるというのであれば慣性系ってそもそも存在するの?ってなるんですけど。
方言禁止が話題になって増田もぜんぜん歴史のこと知らなかったんだけどさ、一瞥して企画の意図はわかった、というか、正解かわからないけど増田の脳内の経験においてそういうことだろうってイメージはわいたよね。
いわゆる英語/カタカナ禁止ゲームみたいなやつの一種だなこれ。って。逆ルー語っつーのかな。
そういう普段の出力に一回変換をかませて言いよどんだりウッカリ変換できなかったりを笑う、人間性を笑うというと言葉が悪いけど、人間ならではの労働の苦しみと創造性を楽しむ笑い。
増田は関西人だけど関西弁禁止で話してっていわれても不快感はないしぼろぼろ失敗して笑われて自分でも笑うだろうなって思う。
だからなんだ、こんなもんに沖縄だけ特別視すんなよとか(他地方版では好評らしいし?)、実際今を生きる沖縄人の若者がこの企画の文脈を独自に読み取ってどれだけ憤るかってのはすごーく疑問に思ったりする。
まあこんな雑な感想はどうでもいいんだが。
それでまあこういう企画ってやっぱ面白いよねって。何が面白いってさっきも書いたけどユニークな表現もあるけどメインはやっぱり人の焦りとか苦悩とか失敗な部分なわけじゃないですか。それを起こすってのは一言で言って「脳に負荷をかける」。
じゃあほかにどんな脳に負荷かけての回答を楽しむ方法があるのかなーって気になるのよね。
第一は今回問題になった方言やルー語といった変換系。変換対象を見つける能力と適切に変換する能力が必要で、脳に全文検索を強いるから難しいと思う。
次はー、時間制限?王道の王道だよね。タイムリミットギリギリでの焦りから珍回答を連発する姿が滑稽で面白い。タイムショック(古すぎだ)とかネプリーグとか。
ネプリーグのタイムボンバーは時間制限もだけど、チーム戦で後半になるほど有効回答が減っていくという使えるものが減っていく点もちょっとだけ似たような構図になるのかな?幽遊白書の使える言葉が減っていくゲームとかもこれで考えて喋らないといけない。
脳を働かせないとでいうと酸欠系はあるだろうか?激しい運動を伴うやつ。フレンドパーク(これも通じないだろうな)のルームランナーで走りながら答えるやつって走る人と答える人別々だったっけ?忘れたけど走りながら答えるなら大変だよね。ほかに具体例は思いつかないけど若手芸人が早いもの勝ちのビーチフラッグみたいに回答権を競うやつはありそう。はあはあ言いながら瞬発力で答えるのは大変で笑いになるはず。
もっとシンプルに「脳を働かせない」なら簡単だ。飲酒。これに勝るものなし。芸能人はぁ、あんまりしなかったりする?ドッキリ・隠し撮り系とか?あまり見ないからわからないけど、テレビで飲酒した素人との会話が笑いになってるといえば月曜から夜更かしだろうか。かなりメイン企画になってたと思う。ネットではもう「飲酒実況」とか古くからの笑えるコンテンツだね。
あー酸欠系に似た感じだと欲求・疲労系みたいなものもありそう。たとえばまたネットで言うと「耐久配信」みたいな長時間やったり眠らなかったり。これは増田は見たこと無いんだけど。後半は面白いのだろうか?テレビだと帰れま10?食欲を満たす方向と長時間拘束の疲労がウケてたのだろうか。ガキつかの24時間の寝る前や終了前はかなりぐだぐだになるよね。いや書いてて思うけど喋りは面白くないなこれ。疲労系は単純に出てくる量も質も悪くなってその状態を左団扇で見て楽しむもうちょっとハイコンテクストな笑いだわ。
こんなもんかな?増田、あまりバラエティは見るほうじゃないから思ったほどでなかったわ。あとはー…危険球でいうと、どんな話題でも「与党がー」みたいにこじつけてくる人は脳死で書いてる~みたいに言われてこれも「脳が働いてない笑い」になるのだろうか?おおあぶないあぶない。
TSや男女入れ代わりは女性文化を模倣しきれない男性を楽しむコンテンツ?スカートで股開いたり?いやーやりすぎると無能・低能力を嗤うに繋がりそうでダメだね。あくまで一時的にってのが大事だと思う。
ワイは妻より12歳も年上の50代。妻に「先に死ぬな!」と常に言われてる。
死なないようにせんといかんが、フルリモートの運動嫌いですっかり小学生以来のデブになっている(『20世紀少年』のデブ双子を思い出してくれ。あんな感じに痩せてあんな感じに戻った)。
なんとしても死なんように頑張るよ。
山上が死刑になると日本の反権力運動が萎縮するし、イスラム国のトップが死刑にならないと反欧米・反キリストの勢いが増して最終的に原油流通体制に影響を与えて日本の生活にも支障が出る。
適当に実施しやすいものから書いてみた。全部やってもダメなときはだめだし、どれが効果あるかはわからん
一応この数年はやるべきことがあるけど起きれない状態までは落ちてない
【睡眠】
みんないうと思うが、結局睡眠が大事。最低6時間(体質にもよる)、ノンレムというか質の高いのをどれだけ稼げるか
あと二度寝というかうとうとで納得感というかよく寝れた感を得られるか
ポケスリやってみたけど合わんかったし他アプリでも分析してない
で、睡眠のために、何ができるかというと他要素とめちゃくちゃ絡んでくる
お薬(デパスからデエビゴかなんかに変えた。合う合わんの個人差激しい)、栄養、運動、温度体温、ストレス対策、日光? それぞれ後述
炭酸系のに5~10分。寒いときや緊張取れないときは朝晩でも朝昼晩でも
ぬるめ。高血圧なので短めにしてるがそこ大丈夫ならもっと長くてよいはず
温かい羽毛布団と毛布と敷き毛布
家でも分厚い靴下履く
手先足先をできるだけ冷やさない
サプリは色々試したが、結局ツムラの12、柴胡加竜骨牡蛎湯(サイコカリュウコツボレイトウ)を可能な限り朝晩飲んでる。
青魚と野菜、特に根菜キノコ類。鍋か具沢山味噌汁で過剰摂取気味に。
適度に豚肉も食い、たまにジャンキーなものも食い、夜食で酒飲みながら塩っ辛いものを食べる。
血圧(心不全)と肝臓への負荷は下げれてないがストレス溜めるよりはましだとある程度の割り切り。
【運動】
ちょうど長めの犬の散歩でほぼほぼ埋まる(梅雨の時期はこれが不安定になるからしんどい)
犬が居るとモチベが最大化するが、居なくても徒歩圏内であるいは電車一本なり自転車どっかに止めてなりで、楽しく歩けるコースを作るとよい
辛いときは少し離れた病院帰りや買い物帰りに数駅歩いて帰ったり、ハイキングコースみたいなところで1時間以上
質の良い睡眠と食欲の安定につながるはず
強い運動は気休めにバランスボール乗ったり、腕立て正常位とかでやってる振りしてるだけ
【日光】
朝起きてすぐ15分浴びろとか無理なので、とりあえず散歩。
春~秋はあえて肌を出して浴びたりしてる
シミは増える
【ストレス】
なんでも自責にしがちなので、まず責任から徹底的に逃げる。ちょっと他責にするよう心掛ける。
一週間のうち予定は複数件入れない。
貯金、株系、外貨系、不動産系、金など、資産を分割してある程度何があっても耐えられるようにしておく。
(いざとなったら、1か月なり半年なり好き勝手やって人生閉じようぐらいの割り切り覚悟)
【娯楽」】
趣味は多彩に。元気な時にできる趣味、ちょっと元気ないとき用、ほんとに寝込む寸前用と段階を把握し、無理そうなら切り替える。
幸い自分は幼少の頃より、布団の中で妄想を繰り広げるという最後の砦があった。それすら出来なくなったのは50年ほど生きてきて2~3回ぐらい。
よく言われる、能動的な趣味、受動的な趣味、それぞれの中でのバランス。
能動は難しいが、クラフト系とかでもよい。散歩など運動系があればめっちゃいい。
受動は自分は、アニメ、小説、漫画、ゲームでぐるぐるしてる。動画系視聴が苦手寄りなので、漫画読めなくなったらもう妄想
季節の変わり目、冬、梅雨、盆と正月、バレンタイン、新年度、誕生日、クリスマス等で体調崩し年がら年中ギリギリになってる人ですが、
そんな感じでなんとか
裏として、裸で抱きあう、腰を振るというのがどうやらあるっぽい
身心の不調、と感じるだろうが、それは精神ではなく身体の問題なので、要は体力を回復し蓄えねばならない。
体力を回復するために、飯食って寝て出来れば健康になる範囲の運動をするのだが、それするために動く一歩目は確かに大変だよな。
なので回復してない体力で出来ることをやる。
一歩が辛いので、半歩ずつ進もう。10キロ走るのつらかったら、2キロを5回走るっしょ。
一気にベッドから立ち上がって着替え始めるのは辛い。ならとりあえず布団だけとってみるとか? あるいは体を起こして座った姿勢で壁によかって待機するとか? ブラインドあけて窓の外の太陽光だけ浴びとくとか?
増田のやつらとかブルーワーカー真っ先にバカにしそうだけど、正直身体的には理にかなってるのよなあ。毎日身体動かして運動する必要無いし、早寝早起きで健全な生活出来る。
デンマークといえば、みんな大好き「(植民地とかではない)メインの領土が大陸にあるのに首都が島にある」2か国のうちの1つだけど(もう1つは赤道ギニア)、確かに「現在の」地図を見れば、首都コペンハーゲンはずいぶんと端っこにあるように見える。だが、コペンハーゲンはもともと国土の中心にあった。現在のスウェーデン南部スコーネ地方はもともとデンマーク領だったが、17世紀に戦争でスウェーデンに奪われたのだ。つまりコペンハーゲンは、ユラン半島とスカンジナビア半島南端部というメインの2つの領土をつなぐ、ちょうど真ん中の位置にあったことになる。仮に東北地方がソ連に奪われていたら、東京はずいぶん国土の端っこにあるように見えるのではないだろうか。
言うまでもないだろう。仮に将来南北統一が実現したら、ソウルは統一コリアのど真ん中に位置することになる。
これも言うまでもない。独立当時のアメリカは東部の13州しかなかった。13州のうちの北部と南部のあいだの妥協案として南部に新しい首都が作られたが、地図を見ると、まあ、「真ん中よりちょっと南」の立地と評価できるのではなかろうか。
ソフィアはずいぶんと国土の西側に偏っているが、本来はそこが国土の中心になるはずだった。20世紀の初頭、オスマン帝国領バルカンに残されたマケドニア地方を周辺の3カ国が虎視眈々と狙っていた。セルビア語とブルガリア語の中間のような言葉を話すその地の住民を、セルビアはセルビア人と呼び、ブルガリアはブルガリア人と見做し、ギリシャはスラブ化したギリシャ人の裔であると主張した。二度のバルカン戦争を経て、その地方は主にセルビアとギリシャの間で分割される(このオスマン領マケドニアのうち、セルビア領になった部分が現在の北マケドニア共和国)。……そう、ブルガリアはマケドニアという果実を得られなかったのだ。仮に幻の「大ブルガリア」が実現していれば、ソフィアは「大ブルガリア」の中心部に位置することになっていただろう。
オーストラリアはもともと1つの国だったわけではなく、オーストラリア大陸に作られたいくつもの植民地が寄り集まって独立した国だ。独立するときに二大都市のシドニーとメルボルンのどっちを首都にするかでモメたので、その2都市の間に新しい首都を建設することにした。つまり、国土の中心ではないが、二大都市の中間に首都があるということだ。まあ、オーストラリアの文字通りの中心、人住めなさそうだもんね……
交通に便利なパナマ地峡に街(パナマシティ)が作られる→交通に便利すぎて街のそばに運河が作られる→アメ公が大西洋と太平洋をつなぐ運河の支配権を欲しがる→運河地帯の住民による独立運動を煽ってコロンビアから独立させる、という経緯で作られたのがパナマ共和国。つまり首都のまわりが国土になるように切り取られた国なので、国土の真ん中に首都があるのは当たり前なのだ。
ブラチスラバは国土の端っこにあり、立地的にはほぼウィーンである。スロバキアというのは、元々「ハンガリー王国北部でスラブ系言語を話す人たちが集住しているところ」に過ぎず、伝統的な行政区画を持っていなかった(これは「オーストリア側でスラブ語話者がいっぱい住んでるところ」に過ぎなかったスロベニアと同じ。この2つの国名が似ているのは偶然ではなく、両方とも「クロアチア」みたいに伝統的な地域名を持っていなかったので、それぞれが「スラブ人の土地」と名乗った結果なのだ)。それが第一次世界大戦のドサマギでハンガリーから分離したわけだが、当然「どっからどこまでがスロバキアか」という合意があるわけではなかったので、チェコスロバキアとハンガリーによる実力での分捕り合戦になった。その中で、「大都市(当社比)だし交通の要衝だから、スラブ人率は低いけど占領しとこうぜ!」となって占領されたのがポジョニ、のちのブラチスラバである。ブラチスラバはあまりに「国際色」が強すぎたので(20世紀初頭の時点で人口の4割がドイツ語話者、4割がハンガリー語話者)、国土の中心にあってスロバキア民族運動の拠点でもあったマルティンにスロバキアの首都を遷そうぜ! という議論が戦間期に行われたのだけれど、結局ブラチスラバが首都として維持された(ところで日本語版ウィキペディア、マルティンの記事名が「マルチン」になってるな。確かにスロバキア語ではtiと綴ると「チ」と読むけど、Martinみたいな外来語の場合は「ティ」の音が維持されるんだよ!)。
島国といっても、メインの島が1つなのか、複数なのかでだいぶ違ってくる。というのは、小さな島がたくさんある国だと、まずもって「国土の中心かどうか」というよりも「島のデカさ」で首都が決まることがありえるからだ。そりゃ、真ん中にある小島よりも、端っこにある大きな島に首都置きたいよね……典型的にはトンガとかがそうで、南端にあるトンガタプ島のヌクアロファに首都が置かれている。あるいは、「大きな島+小さな島」の組み合わせでできている国は、たいてい大きな島の方に首都がある。バレッタ(マルタ)とか、バセテール(セントクリストファー・ネイビス)とか、セントジョンズ(アンティグア・バーブーダ)とか、ポートオブスペイン(トリニダード・トバゴ)とか……(元増田が挙げてるニュージーランドは例外)
では、メインの島が1つしかない国はどうだろう? これなら「国土の中心」も定義しやすい……あれ、意外と首都の位置偏ってんな。元増田が挙げてるアンタナナリブ(マダガスカル。ちなみにマダガスカル語ではoと綴ってuと読むので「アンタナナリボ」は間違い)は確かに真ん中ら辺にあるし、ダブリン(アイルランド)やダグラス(マン島)やディリ(東ティモール)やアロフィ(ニウエ)やポートルイス(モーリシャス)やスリジャヤワルダナプラコッテ(スリランカ)もギリギリ真ん中辺りと言えるかもしれないけど、台北(台湾)もハバナ(キューバ)もキングストン(ジャマイカ)もレイキャビーク(アイスランド)もマナーマ(バーレーン)もヌーク(グリーンランド)もヤレン(ナウル)も島の端っこの方にあるな……首里、沖縄本島の中心都市として見ると南すぎるけど、奄美~先島までの琉球王国の首都として考えると割と中心に近くて草。
首都の立地はよくよく考えますよね。ここは盆地で長らく中央集権国家だったから真ん中に首都があるやろとか、端っこの部族が全土を統一したから首都は端っこにあるんだよとか、東部は原生林が多いから人口の多い都市は西部に偏ってるんだよとか、港町を中心に発展したんだよとか、そういうことを地図描きながら妄想するだけですごい楽しい……だから元の「首都が国土の中央部にないのはおかしい」っていうツッコミは全然理解できないっていうか、変な形の国作って変な場所に首都置くのが楽しいんやんけ、となってしまうよね……