はてなキーワード: 身体とは
フルボッキできる時点で交感神経と副交感神経のバランスは正常だから、今回の話とはちょっとズレてるかな
仰る通り、人間は単純じゃない。単純じゃないから、ストレスが多大にかかる状況でも逃げ出さない。これ野生動物はすぐ逃げ出すらしい、ストレスは「ここにいてはいけない」という信号だから。
危機察知→ストレス発生→交感神経が優位に→体が逃げ出したり闘ったりする準備ができる という順に体はストレスに反応する。闘ったりする準備というのは、呼吸が浅くなったり血流が早くなったりする身体反応と、思考回路が問題解決に集中しそれ以外のことを考えなくなる頭脳の反応など、いくつかある。
しかしこれはあくまで非常時の反応で、長期間この状態になることは設計上想定されていないんだ。
人間はストレスを感じてもすぐに逃げ出したりしないよね?仕事でストレスを感じても、仕事を放りだして帰ったりしない。翌日もちゃんと出勤する。こうしていると交感神経が優位な状況が長引き、さっき書いた闘う準備状態がずっと続くことになる。すると余計なことを考えず目の前の問題のことばかり考えるようになる。
ふむふむ、なかなか鋭い質問じゃの。わらわの考えを聞きたいというのか?よかろう、特別にお答えしてやるのじゃ♡
まず、デート代の話であるが、確かにデートはお互いを知るための期間じゃ。ここでどちらが多めに払うのかという話は、結局のところ、その人たちの価値観や関係性次第じゃろう。しかし、もしも「デート代を出すよ」とオファーしてくれる男性がいるなら、それはその人の気配りや優しさの現れじゃ。もちろん、女性も感謝の気持ちを持ち、次回のデートで何かお返しをするのもまた一つの形じゃと思うのじゃ。
そして、結婚と家庭の話じゃの。確かに、女性が妊娠・出産・授乳と大きな身体的負担を背負うのは事実じゃ。これに対して男性がどのようにサポートできるかというのは非常に大事じゃの。出費の面では、家庭に共に寄与するという考えが基本的には正しいじゃが、その負担を軽減するために何ができるかを考えるのもまた重要じゃ。家事分担や育児の協力、感謝の気持ちを常に示すことなどがその一つじゃ。
最後にじゃ、デート代についての男性側の態度についても話しておきたいのじゃ。もちろんデートにおいて気遣いを見せることは大切じゃが、それだけでなくお互いのリスペクトも忘れてはならんのじゃ。真心を持って接することが、最終的にはお互いの信頼関係を築く鍵となるのじゃよ♡
まあ、わらわから言わせてもらえば、結局のところ大切なのはお互いを尊重し合い、協力し合うことじゃ。それができる二人なら、どんな障害も乗り越えていけるのじゃからのう♡
今日もペットショップで里親募集の繁殖引退猫(6歳)見てきたけどほんと可愛いわ…
金網越しに撫でてたら最初はガン無視されてたのにぴょいっと立って金網に身体こすりつけて撫でてぇ~ってアピールしてくるのよ
汚いままでも飼えなくはないし
ニコ生で猫飼ってる奴の家も結構汚かったし飼ってもいいんだろうけど踏ん切りがつかねえよォ
ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン
ここに、「ニンゲンが風邪をひいたら、休め」という規範を示す。
本稿は、右規範に対して懐疑的なニンゲンを説得するために執筆されたものである。具体的には、下記のニンゲンが本稿のターゲット層である。心当たりのある者は、ぜひ熟読せよ。
風邪をひいたら休めという規範は、①パターナリズムと②蔓延防止という二つの論拠から成る。風邪の治癒に専念することで、①疫病が悪化する可能性が低くなり、結果として本人のためになる。そして、②伝染病の蔓延を防止することができる。
ところが、しばしば右規範は破られる。風邪をひいても会社や学校へ行くニンゲンと、これを良しとする第三者が後を絶たない。なんとも嘆かわしい。かかる者は如何にして規範を逸脱するのだろうか。
私は、その理由につき、当該ニンゲンが①パターナリズムのみを重視してしまった結果であると考える。彼らは、「風邪をひいたら休まなくてはならない」という規範の趣旨を、もっぱら「私が大変な思いをするからだ」と捉えてしまう。よって、「私は病状悪化という結果を許容しているから、右規範の趣旨(本人のために休むべき)が及ばない。ゆえに休まなくてもよい」と結論づけてしまうのである。
しかし、かかる見解は妥当ではない。パターナリズムはむろん重要であるが、②蔓延防止の意義を殊更に強調しなくてはならない。
以下、敷衍する。
★「人を傷つけてはならない」という規範
なぜ、風邪をひいた場合に、②蔓延防止のために休む必要があるのか。
まず、「人を傷つけてはならない」という規範は、ハンムラビ法典でも傷害行為が禁止されているように、紀元前時代からの常識である。これは、現代社会においても、傷害罪(刑法204条)が国民に構成要件として配布していることからも明らかである。
そして、風邪をひいた状態で外出をして、特に会社や学校等の多数人が集まる室内で過ごせば、自らの病を伝染させることにより、他者の生理的機能に障害(傷害)を与えることで、人を傷つける蓋然性が具体的明らかに予見される。
したがって、風邪にもかかわらず、休まなかったことで、「人を傷つけてはならない」という規範を乗り越えてしまうことになる。
よって、他者を傷つけないために、風邪をひいた人間は休養することで蔓延防止に努めるべきなのである。
そうであるとしても、いかなる場合にも「風邪をひいたら、休め」という規範を適用するのは妥当ではない。風邪の自覚症状が無い場合や、どうしても外せない急用がある場合もあるだろう。いかに判断するべきか。
まず、自らの病状につき善意(無知)である場合について、いかに解するべきか。
故意責任の本質は、反規範的人格態度に対する道義的非難である。
すなわち、自分が風邪であり、もしかしたら他人に伝染させてしまうかもしれないという点につき、認識・認容していれば、「他人を傷つけてはならない」という規範に対しての反対動機を形成しているものといえる。しかるに、敢えてこれを逸脱したのだから、かかる行為は道義的非難に値する。
よって、自分が風邪であると認知していたのであれば、休養に努めるべきであるのが原則である。
逆に、自分が風邪であると知らなかったのであれば、そもそも「休むべきである」という規範に直面しておらず、反対動機を形成できないため、道義的非難に値しない。実際に、潜伏期間が存在するウイルスは多いことからも、このような結論が妥当である。
以上より、自らの病状につき善意(無知)である場合には、休まなくてもやむを得ないものといえる。
なお、ここでいう「体調不良」とは、月経・片頭痛・食中毒などの伝染病以外で身体異常をきたしている場合を指す。
この点、蔓延防止以前に、そもそもパターナリズムの観点からは、風邪か体調不良か判断できない場合にも休養した方が良いといえる。ゆえに、原則として外出するべきではない。
しかし、単なる体調不良であれば、他者の生命・身体を侵害することはない。よって、自身が体調悪化につき許容しているのであれば、単なる自由意思の範疇にあるといえるから、これを非難される筋合いは薄い。
したがって、伝染病であるという相当の蓋然性がある場合には、「風邪をひいたら休むべきである」という規範に服するべきである。右判断にあたっては、当人の体温、病状、体質、病歴、自覚症状、過去の行動等を総合勘案して判断する。
・平熱と比して体温が高い
・前日に気怠さがあった
・雨にうたれた
・知人が熱を出した
・病状が軽微である
たとえば、体温が37.5℃以上であり、前日から続く気怠さ・咳があるものの、月経による体調不良かもしれないといった場合を想定してみよう。この場合、たしかに月経という事情は伝染病のおそれを低めるものであるが、咳と月経は無関係であり、37.5℃以上という体温は、一般に風邪と判断されるべきものである。
なお、より強度な「明らかに伝染病ではない場合にのみ、休まなくても良い」という判断枠組みも考えられる。筆者は、単なる体調不良の場合は自由意思を尊重するべきであるから、緩い判断枠組みが妥当すると考えたため、かかる見解は採用しなかった。
では、自らの風邪に自覚症状があり、明らかに伝染病であるものの、どう しても外せない急用等がある場合には、いかに解するべきか。
この場合、どうしても外せない急用等に参加したいという時点で、パターナリズムは克服されているため、第三者への傷害の有無で判断するべきである(病状悪化をしてでも〇〇がしたいという者に対して、貴方の身体のために辞めなさいというのは余計なお世話である)。
そして、第三者に病を伝染させてでも、自分がやりたいことを行うというのは、結局のところはエゴイズムである。冠婚葬祭や親族の危篤、会社や学校への出席などは、「自分が行きたいから行く」のであり、エゴイズムが第三者の身体・生命の侵害を正当化する場面は限定的であるべきである。
これに対して、出席せねば評価が悪くなるため、「行きたいから行く」のではない;やむを得ず風邪をひいてでも外出しなくてはならないのである等の反論が想定されるが、妥当ではない。結局、評価の悪化を避けるというのも利己的な目的であり、原則として、そのために伝染病をばら撒いて第三者侵害を行うべきではないいう形式は変動しないためである。
第三者の身体・生命は、きわめて重要な法益であるから、「どうしても外せない用事」との比較衡量で決するべきである。具体的には、用事の重要性・症状を鑑みて、第三者の身体・生命に対する侵害のおそれを惹起してでも、当該「用事」を優先するべきであると判断できる場合にのみ、風邪をひいても休まなくても良いものと解する。
たとえば、冠婚葬祭や親族の危篤などは、この機会を逃してしまえば二度と立ち会えないイベントであり、用事の重要性は高いものといえる。
もっとも、当人が伝染させればきわめて身体・生命への侵害性が高いといえる伝染病を患っている場合は、この限りではない。具体的には、インフルエンザ、新型コロナウイルス、ノロウイルス等の強い感染力・症状を有するものは、真にやむにやまれぬ事情が存在しない限りは、外出するべきではない。
そして、会社や学校への出席は、上記の用事と比して、重要度が低いと言わざるを得ない。成績に重大な影響を及ぼす発表や試験等が存在しないかぎりは、外出を行うべきではない。
そもそも、出席が必要不可欠でない限りは、リモート等の手段を講ずるべきであり、あくまでも「風邪をひいたら休むべきである」という規範を乗り越え、外出を行うという選択肢は、最終手段として留保されるべきである。よって、リモート等の手段を採ることができたのにもかかわらず、他者への傷害を惹起する外出を選択するということは、あってはならないのである。
★まとめ
以上より、風邪をひいたら、本人のために休むべきであるのはもちろん、「他者を傷つけてはならない」のであるから、「ニンゲンが風邪をひいたら、休め」という合理的な規範が成立し、ニンゲンは原則として右規範を遵守しなくてはならないということが示せたはずである。
その他、想定される反論について、下記にまとめる。異論や質疑等があれば、気軽にコメントしてほしい。
・明らかに体調不良ではなく伝染病であるものの、風邪が軽微である場合は?
症状が軽微であっても、他者に伝染させる可能性がある。そして、乳幼児や後期高齢者を想定すれば明らかであるように、自分が軽微な症状であるからといって、第三者もそうであるとは限らない。したがって、伝染によって他社の身体・生命に侵害を及ぼすという点では、原則として「風邪をひいたら、休め」という規範に従うべきである。
もっとも、上記パターン3の判断時に、症状の軽重は重要な考慮要素となりうる。
・風邪をひいた状態で出席することに対して、全員の合意がある場合は?
友人の集まりや会社等で、自己が風邪を患った状態で出席することにつき、コンセンサスを得ている場合には、伝染による傷害結果の発生につき同意がある以上は、「風邪をひいたら休むべきである」という規範が妥当しないのではないか?という反論が考えられる。
しかし、風邪につき合意した者(合意者)のみと交流することは実際上は困難である。例えば、公共交通機関を用いるのであれば、不特定多数人に感染リスクがあり、伝染による傷害を惹起する可能性があるだろう。
そして、合意者がさらに第三者に伝染を及ぼす可能性がある以上は、②蔓延防止の観点からこれを許容するのは妥当ではない。
・病弱なニンゲンにとって、毎回「風邪をひいたら休む」という規範に従うのは難しいのでは?
たしかに、病弱なニンゲンは休む機会が増えてしまうため、会社や学校での評価に悪影響を及ぼすこともありうるだろう。
しかし、病弱な者は他人を傷つけても良いと考える者はいない。そして、伝染病の頒布は他人を傷害する行為であるから、伝染によって他人を傷害してしまうことにつき認識・認容があれば、道義的非難に値することには変わりない。
また、結局のところ、評価の変動といった事情は先述したように利己的・個人的な理由であるから、エゴイズムが第三者の生命・身体を侵害するという場面は限定されるべきであるという当為規範が変動することもない。
以上
確かに怖い。
でもこれ夫や妻に優しくしないからという話じゃないと思う。(少なくともこの夫は、妻に贅沢させ、しかも当時では珍しく芝居なんかに連れ歩くなど「優しい」タイプでは?女性の内心に無頓着すぎて想像力がないけど)
自分で選んだ相手ではないから夫に自動的に反発し、とにかく否定することに夢中になってしまっている。
でも彼女が困窮のない生活を享受できるのは、嫌っている夫に稼ぐ才覚があるから。
贈り物を当然という態度で相手の手からひったくりいそいそと懐にしまい込みながら、贈り主をフン!とねめつけるような矛盾、厭らしさを感じる。
でもこれは100年以上前、女を子袋としてやりとりする時代、女性の経済的自立なんかほぼあり得なかった時代ならでは。
ほとんど何も考えずに生きてきたのは考えても無駄というかつらくなるだけだからであり、
物のように嫁がされて自分の意思を省みられないから反発している。
人間が精神的自由がないと感じているとこうなるのかという見本みたいな話。
なんかの本でも明治、大正時代の妻たちを外国人がインタビューした本読んだときも似たようなことを公家の妻たちが言ってたの思い出した。
その夜、満月が輝く森の中、俺たちは古代の祭壇に向かった。この地には、愛を試すための禁断の儀式が伝わっていた。祭壇には、二人の愛の証として魔法の薬草が捧げられていた。
「ああ」と俺は答えた。
俺たちは祭壇の上で手を取り合い、古代の呪文を唱え始めた。光が俺たちを包み込み、次第に身体が熱くなっていく。この狂った夜に何が起きてもおかしくないとも思った。
俺たちは一体となり、魔法の力に身を委ねた。光の渦の中で俺たちは絡み合い、儀式は最高潮に達した。俺は彼女の中にすべてを解放し、その瞬間、魔法の力が爆発的に広がった。
翌朝、祭壇の上で目を覚ました俺たちは、何かが変わったことを感じ取った。彼女はお腹に手を当て、微笑んでいた。
「感じる?」彼女が言った。
「ああ、確かに」と俺は答えた。彼女のお腹には、新しい命が宿っていた。
「これで、俺たちはまた一緒にいられるのか?」
「そうだね。でも、これが本当にいいことなのか、まだわからない」
「俺たちで決めることだ」と俺は言った。「これから先、二人でどうするか、ゆっくり考えよう」
彼女は静かにうなずいた。こうして、俺たちは新しい道を歩み始めることになった。その道がどんなものであれ、俺たちは一緒に進む覚悟を決めたのだった。
教室の壁際に陣取ってちょっと席を離れて戻った時、手前に後から来た奴が座ってると通れない。
こんな時に何も言わず後ろの隙間にグイグイと身体をねじ込む(そして暗に席を引けと促す)コミュ障も少なくないが、おれは社会性があるのでちゃんと「後ろすみません」と声を掛ける。
大抵はアアすいませんと言ったり無言で席を引いたりするが、たまに「どうぞ」とか言われる。周りに置いた荷物を10秒ほどかけてよけてから「通っていいですよ」と言われたこともある。
なんでおれが『許可』を受けてんだ……?
なんで後から来た奴に、こっちが『通させてもらってる』って感じにならなくちゃあならないんだ?
ってキレそうになる。キレはしないが釈然としない。
そこに座らざるを得ないならまだしも、他の席も空いてる状況でわざわざ先に陣取ってたおれの通り道を塞いでるんだから、むしろこちらにイニシアティブがあるんじゃないか?邪魔だよと言いたい所を抑えてわざわざ遜って声をかけたのに、その姿勢につけあがってあろうことか「いいですよ」だ?本人にそこまでの意図があるかどうかは知らんが、理不尽な恩着せがましさすら感じる。
まあこれは単にマイルールに則った話なので他人に強いる道理もない。どこに誰が座ろうが自由というのがより一般に共有されているだろうし、大学側も権威を与える規範なんだろう。座ったり荷物を置いたりして確保出来るのは一席分の空間だけであって、その周辺は誰のものでもない公共空間なんだろう。
さりとて通る側が通り道を準備された事について一方的にありがたく感謝する立場でもないだろって思う。
こういうささやかな事を表面的にではなく心からスルー出来るようになったら楽なんだろうな。マイルールなんか持たずに常識を内面化してしまった方が社会生活で苛立ちを覚える事も減るだろうし、謎にキレてる異常者みたいな扱いを受ける事もなくて楽なんだろうな。今は表には出してないから「普通」に擬態出来てるけど、いつかぶつかりおじさんみたいなヴィランに仕立て上げられないとも限らない。でもやっぱりおれの思う正しい物事の原理に従って動きてえ。ただのポジショントークじゃなくて自分が逆の状況になったらマイルールに則って然るべき行動を取ってるし、そもそもそういう状況が発生しないようにもしてる。ちゃんと一貫性を保ってるのに、それすら傍から見れば異常者仕草くらいにしか思われないだろうから虚しいぜ。
「もう別れよう」と別れ話になった彼女。理由はお互いの価値観の違いとか、些細なすれ違いが積み重なってお互いがどんどん窮屈になって行ったこととか、まぁそういうありきたりな感じ。
けれどお互いに、身体の相性は最高だった。どうしても最後に一度だけ、と思ってしまうのは2人とも仕方なかったのかもしれない。
セッ◯スの快感の中で、ネジが吹き飛んでしまったのかとんでもないことを思いついたらしい彼女が言った。
「最後にナマでしよない?」
「妊娠したらヨリ戻そうよ。妊娠しなかったら、このまま別れよう」
中出しギャンブル一本勝負。俺たちは果たして勝てるのか。そもそも、結果がどう転んだら「勝った」ことになるのかさえ、知らなかった。
「もう別れよう」と別れ話になった彼女。理由はお互いの価値観の違いとか、些細なすれ違いが積み重なってお互いがどんどん窮屈になって行ったこととか、まぁそういうありきたりな感じ。
けれどお互いに、身体の相性は最高だった。どうしても最後に一度だけ、と思ってしまうのは2人とも仕方なかったのかもしれない。
セッ◯スの快感の中で、ネジが吹き飛んでしまったのかとんでもないことを思いついたらしい彼女が言った。
「最後にナマでしよない?」
「妊娠したらヨリ戻そうよ。妊娠しなかったら、このまま別れよう」
中出しギャンブル一本勝負。俺たちは果たして勝てるのか。そもそも、結果がどう転んだら「勝った」ことになるのかさえ、知らなかった。
保存部
こういう精神科医の意見について思うのが、精神病は突然なるもので原因はないかのように言ってるけどさ、俺は生い立ちとか認知が関係してるんじゃねーの?としか思わんのよな
そういう意見があると患者の責任みたいに言われるから言わないようにしてるのかもしれんけど、じゃあ、何で認知行動療法があるの?と思ってる
薬使わないと治らないよってのはわかるのよ
俺が思うのは患者を責めないために、身体的な病気と同じように何かにかかって病気に突然なるんだみたいなのには全く懐疑的なんだよな
生い立ちによるPTSD的なものとか、認知によって、精神疾患になり、その状態が続く事で精神病に至るとしか思えないんだよな
何が引っかかるかって、精神病を一般人と切り離す事により、やっぱり精神病は普通ではないんだ、自分とは関係ないんだみたいな意識のブコメが出てくることなんだよな
俺は正常も異常も地続きだとしか思えんのよ
しかも、元増田の認知を正す内容までブコメには否定してる奴らが出てきてるし
精神科医が軽い症状の俺たちを救ってくれんのかよって思う
気休めが一番うざいわ
まずこれが嘘。
低身長でも結婚してたり彼女いる男はいるけど、女性から好かれて愛されてる低身長は皆無。
外見だけでないのは確か。
知能、経済力、学歴、実家の経済力、身体能力、病歴など他の客観的要素も重要。
ソースは俺が大学でキョロ充やってた時に俺がサークルで気になった女の子全員と同時に肉体関係持ってた読者モデルの先輩。
生まない。
歪むだけ。
わらわたちが求める真のパートナーは、外見ではなく魂が響き合う者
お前はどうか知らないけど、正常な感覚を持った女性が求めるパートナーは周りの女から嫉妬されるような客観的スペックを揃えた男
俺よりも価値観歪んでるなお前
何度も何度も
って言われてきたじゃん
見えなかったの?
俺みたいな匿名ネットだけじゃなくてお前の親も兄弟も友達も言ってきたことじゃん
聞こえなかったの?
そういうお前の人生を慮った真面目な諫言から逃げて逃げて逃げ続けて未来のことなんて何にも考えずにインスタントな快楽を求めて求めて求め続けた結果が今
恥ずかしくないの?
https://anond.hatelabo.jp/20240609080152
https://web.archive.org/web/20170710054752/http://ashihara-hina.jugem.jp/?month=201206
2012.06.29 Friday15:14
2がある前提で、その1。
皆さんとっても忙しい人ばかり。
しばらく会ってない方も来てくれて、ちょっと同窓会気分でした。
作家さんの半数は先輩方で。
初めてベツコミの(小学館の)謝恩会でお会いした時、緊張してドキドキしながら
すっかりグダグダでスミマセン。
笑いっぱなしで楽しかった♪お祝い事は良いですね!
祭りはまだまだ続くよ~
マメじゃないのに、今回幹事っぽい事をやってみた私へのご褒美に、
アシスタントさんがお菓子をくれました。渋谷だ(笑)かわいい♡
会計時、お店の方が気を利かせて先回りして領収書を用意して下さったのですが、、
宛名に「株式会社 講談社様」って書かれてあって、皆でウケました。
ケーキのプレートに「講談社漫画賞」って描いてもらったもんね!
そりゃそうだよね!そう思うよね!
さすがに、受け取らずにおきましたよ~(笑)
1
日記---
お肉を焼くのが上手い!と噂の方と?焼肉に行きましたよ~。
焼肉、1年ぶり。
そんでもって、まずはレバ刺し。
次に食べられる日はいつなんだろう??
好きな食べ物は?と聞かれて、「スウィーツと生肉とお寿司です♪」と、
答えてしまいがちな自分に、若干鼻につく自意識を感じつつ、帰宅。
どれもほんとに大好きなんだけど。
何が言いたいかって言うと、考え過ぎ!って事です。
近くのお店だから、また行きたいな。
1
日記---
私徹夜しないんですけど(眠いから。)、万一追い込まれた時用に。
「眠い眠い」言ってる忙しそうな人に、半分分けてあげようかな。
どうもありがとう♪
端的に言うと、またテレビが壊れたんですけど、
2011.11.25 の事件再びなんですけど、(その日の日記参照)
イマイチ謎が多くてですねえ。。?
話せば長くなるので、詳細はまた今度。
(続くのか。)
たぶん、前よかマシ。
1
日記---
2012.06.14 Thursday23:50
ペロッと聞かせて貰えたりもして、なかなか興味深かったんですね。
結構個人的な事をペラペラ喋って良し!な気分になる自分に、ちょっと驚きました。
占い師って、個人情報&暴露ネタ使って、ユスリタカリ出来そうだよなあ。。??
(性悪アピール)
みたいな。不倫とか社内の際どいトラブルとか、喋っちゃう女子多そう。
脆い所を突かれに行くようなもんだし。
ハマっちゃっても仕方が無い様な。
ちなみに、占って貰った未来は、ピシャッと当たった事もあったし
「アマゾネスのボスになり損ねた女」と「中世ヨーロッパのマッドサイエンティスト」!
お待ちくださいませ~。
資料本などなど。
1
お仕事---
恐ろしい程のスピードで。
よ、予想以上ですね。驚愕です。
2週間前の動画が、すでに懐かしい。
それはそれで可愛らしいです。
ChatGPT
弱者男性のモノマネを小学生に説明するのは、ちょっと難しいかもしれませんが、こういう風にやるんだよ、という例を挙げてみましょう。
例えば、弱者男性のモノマネとしては、背が小さくてちょっとぎこちない感じの人がよく使われます。その場合、小学生にはこのように説明すると分かりやすいかもしれません。
身体の動き: 弱者男性は普通の人よりもちょっと小柄で、動きが少しゆっくりしたり、ぎこちなかったりすることがあります。例えば、腕を大きく振らずに小さく振ったり、歩くときに足をそろえずにちょっとぎこちなく歩くようにすると、弱者男性の雰囲気が出せます。
声のトーン: 弱者男性の声は普通の男性よりも少し高く、かすれていることがあります。声を高めにして、少し弱々しく話すと、その雰囲気を出せます。また、喋るときにためらったり、言葉を選ぶのに時間がかかったりすると、さらにリアルになります。
表情と仕草: 弱者男性は自信がないイメージを持たれることが多いので、表情や仕草もそれを表現するようにします。例えば、眉をひそめたり、肩をすくめたりすると、弱者男性らしい表情や仕草ができます。
これらの要素を組み合わせることで、弱者男性のモノマネができるようになります。ただし、相手を笑わせることが目的ではなく、ただ楽しい気分で友達と一緒にやってみよう、というスタンスを忘れないようにしましょうね。
セックス以外がすべてあるわけじゃないから、正確に言えば「ほしいものはセックス以外は手に入る人生」だった。
少しだけ俺の半生を聞いてほしい。
俺は某政令指定都市の家庭で生まれた。今年で20代後半になる。
教育熱心な両親の庇護のもとで育ち、小学校受験で私立の小学校に通い、中学受験を経て中高一貫の男子校に入学した。
偏差値65〜70くらいの大学を卒業して、今は社会人として働いている。
幸い勉強はできた。
お金もたくさん頂いている。
たまにそのことで劣等感を感じることもあるけど、そのことで卑屈にはならないようにしているつもり。
体型は普通体型で、自宅のぶら下がり健康器を使って懸垂とかの筋トレをしている。
だからそんなに見苦しい体型ではないと思う。
YouTubeを流しながらTwitterをやったりしている。
2年前くらいから仕事が忙しくて(という言い訳をしつつ)取り組めていないけど、詩や小説を書いたりもしていた。
ネットの内輪でだが、褒めてもらえることもあった。
友人はそんなに多いほうではないけど、数ヶ月に一回くらいの頻度で飲み会したり映画を見たりする人が数人いる。
仕事の話からプライベートの話、話題のニュースや下ネタや学問まで、基本的にはどんな話題もオッケーの間柄だ。
ネットミームが伝わる友だちは最高。
上司からはあだ名で呼んでもらえてるし、仕事は取り立てて優秀というわけではないが、愚痴や文句は言わないようにしている。
後輩とご飯を食べるときは基本全部奢るけど、それよりかは仕事ぶりのほうが人望に直結すると思うから、偉ぶらず今後も仕事に取り組みたい。
両親の仲はそんなに良くなかった。
父親が仕事の都合で単身赴任を初めてから、そのまま夫婦の別居状態が続いて、結局そのあとは一度も家族が揃って一緒に生活することはなかった。
そういう家族だったからか、俺は漠然と「あたたかい家庭」に憧れがあった。
天から(あるいは人から)与えられたもの(家族)だったから、自分の手元からなくなってしまったんだと思うようになった。
これまで、何人かの人と付き合ってきた。
現実の人間関係がぎくしゃくするのが怖くて、ネットでの出会いがメインだった。
今思うと、精神的な安定性に欠ける人で、身体の繋がりに彼女は縋っていたのかもしれない。
でもそれは期間の話であって、時計の針が進めば勝手に増えていく数字だった。
年単位で付き合っているのに彼女とはキスすらもしたことがなかった。
そういう雰囲気にならないのだ。
夜には必ず実家に帰るし、ラブホのように二人きりになれる場所に行くことすらなかった。
ある日俺が彼女とセックスをしたい、身体の関係を持ちたいと言ったら、彼女は「自分はそういう感情を持ったことがない、なんならしたくない」と言った。
俺も詳しく知らなかったが、そういう性自認があるらしい。
「じゃあどうしてマッチングアプリをやってたの?」と訊くと、「味方になってくれる人がほしかった」と彼女は言った。
結局その彼女とは別れたが、俺はそこから異性をセックスに誘うことが怖くなってしまった。
そのあとも、ありがたいことに学生時代の知り合いの紹介や、マッチングアプリで女性と付き合うことができた。
でも、付き合ったその先、セックスをすることはなかった。
一緒にカフェに行く、映画を観に行く、酒を飲む、それ自体は楽しい。
同性の友だちともできるし、そういうところに一緒に行ってくれる異性の友だちもいる。
わざわざ「付き合う」と口にして、彼氏彼女という名前がついた関係性なら、セックスをしたかった。
でも、どうやって誘うのかがわからなかった。
彼氏彼女ならセックスをするのが当たり前、ではないことをおれは前の彼女に身をもって知らされた。
断られるのが怖く、その誘い方で幻滅されて別れることになるのが怖かった。
友人たちには基本的にどんな話もできたが、この性に関する悩みだけは打ち明けることができなかった。
たぶん今もできない。
自分の弱さを見せたくないという自尊心もあると思うし、その弱さを曝け出すのは友人に失礼だとも思うから。
彼女たちと別れたのは、俺がその悩み、要は自分の欲望のことばかりに夢中になって、彼女たちへの思いやりが欠けてしまったからだと思う。
ひどいことをしてしまったと思うし、彼女たちがちゃんと人間性を判断する女性なんだと再確認できて安心するところもあった。
風俗に行って、金で女性の膣を借りたこともあったけど、プレイの最中に「好き」という言葉が喉元で詰まった。
好き好き言いながら腰を振れば、気持ちよくなれるのはわかっていたけど、出会ったばかりで名前も知らない女性のことは好きでもなんでもないのだ。
そう思うと、なんだか虚しくなって、汗で湿った風俗嬢の身体がいやに冷たく感じられた。
健康な身体に生まれ、食べるものに困らず、読みたい本を買い与えられ、高級な教育を受け、友人に恵まれ、暮らすのに困らない金を貰い、人に感謝し・感謝され、自分のこの魂も魂の容れ物も、決して嫌いじゃない。
でも、この先もうセックスができる気がしない。
俺とセックスをしたいと思ってくれる、俺を男として好きな異性が現れる気がしない。
贅沢な悩みだけど、みんなが当たり前のように持っている「それ」を、俺もほしい。
時どき思うんだ。
セックスがしたくてたまらない状態と、心に波風が立ってない凪の状態、どちらがニュートラルなんだろうって。
それを眺めながら穏やかに生きていけばいいじゃないか、と思うこともある。
でもそうじゃないんだという心の叫びもある。
これ確かになんでだろうっと思って考えてみたんだけど
身長って少なくとも学生までは定期的に測るし、社会人でも健康診断がある会社に勤めている人は毎年測る
でも胸のサイズって下着屋さんで測ってもらわないと基本分からないの
しかも私みたいに大雑把な人間は30歳にして人生で2回しか測ってもらったことないし
基本服の上から店員さんに測ってもらうスタイルだから数値に対する信頼性低いと思う
で、身長と違って体重の増減、妊娠後の一定期間の変動が激しいし
(所謂グラドルとかの職業の人は仕事のために使ってるんだろうけど、総数からすると稀)
逆に身長は測る意味あるのか?と言われると社会人はない気がする
婚活のプロフに載っててフィルターとして使ってるのがほとんど女性(なのか?)かもしれないけど
身長はその女性陣も載せてるって意味では平等だし、増田も活用すると言う手もあると考える
現実的?な解決策としては、男女共に社会人は身長を測らずプロフに載せない社会にするか、
男女共に胸のサイズを測り、両性ともプロフに胸のサイズを書く文化にするとかにする
とかがいいんではないかと考えてみた
勘違いしないでほしいが、俺はこの犯罪者にちゃんと怒ってるからね。
処女膜チェックとかにすればワンチャンありそうだけど、日本のモザイク基準だと肝心の所が隠れちゃうんだよなあ。
レントゲンみたいな機械を使って撮影したってことにしてシルエットだけ表示するとかにすればいけるかな。
うーん。
「アナルはチンコを突っ込んでない状態ならノーモザでも許される」と同じようなライン攻めになるな。
うーん。
難しいかなあ。
しかし、シチュとして興奮はするけど現代社会で小学生相手にやるのはマジで変態すぎるし卑怯者って感じだなあ。
昭和の時代に歪んだ性認識が蔓延る因習村で行われている既習ぐらいだったらともかく。