はてなキーワード: 耳コピとは
ピアノは弾ける・楽譜は読めるけど、耳コピできない・やったことない・やってみたい・できるようになりたい、と思ってる人のために簡単な手ほどきを書く!
有名な米津玄師「Lemon」のコード譜(伴奏するのに最低限必要な情報だけのメモ)を、ボクと一緒に作ってみよう!
https://www.youtube.com/watch?v=SX_ViT4Ra7k
「♪ゆめな~」
この時最初に注目すべきなのは、「一番低い音」。左手が弾いているかなり低い「ソ#」の音だ。
このソ#が聴き取れたらコードは半分わかったようなものだ。一番低い音はたいていの場合、コードのルートだからだ(もちろん例外はある)。
ルートとは、その和音のスタート地点のことだ。根音(こんおん)とも言う。どの和音にもスタート地点があり、この「根」に枝葉が生えて多彩な和音になる。
コードの名前は必ずこのルート音を最初に書き、その後ろにバリエーションを書くことになっている。「根っこ+枝葉」だ。
たとえばCm7(シーマイナーセブン)だったら、Cがルートで、mと7がバリエーションだ。
つまり、レモンの一番最初のコードは、ルートはわかったけどバリエーションが不明なので、とりあえず「G#ナントカ」である。
さっそく俺たちのコード譜に鉛筆を走らせる情報が出てきたぜ? 早いだろう?
(ちなみにこのルートの音、低音で鳴っていると和音が安定するという特性を持っている。だから一番最初に低音を聴くわけよ。)
今のところ判明しているのはまだルート単音だけなので、次に枝葉を生やして和音にしていこう。
まず確実なのは、「5度」だ。完全5度という言葉を知っている人もいるかもしれない。
ドから始まるドレミファソラシドの音階で5番め、スタート地点から距離にして半音7個分上の音だ。ド+ソ、レ+ラ、ミ+シ(いずれもナチュラル)などが5度の和音だ。
大半のコードはこの5度の音を含んでいて、枝葉というよりはもはや「幹」に近い存在なので、ルートがわかれば5度も半自動的に決まる。
今われわれが注目しているG#ナントカの場合、ルートのソ#に対して5度の音はレ#だ。
ためしに、「♪ゆめな~」に合わせて、左手で低めのソ#を弾きながら、右手では鍵盤真ん中あたりのソ#とレ#の和音を弾いてみよう(ソ#とレ#どっちが上でも構わない)。
違和感はないけど、物足りなさを感じたかもしれない。ルートと5度だけじゃ何かが足りないのだ。
ルートと5度は半ば自動的にわかった。これにもうひとつ「3度」の音が加わると、三和音(またの名をトライアド)というコードの基本形が完成する。
さあここからがコード探しの入り口だ。なぜなら、3度はそれほど自動的には決まらないからだ。原音と楽器の音を比べながらの判断が必要になる。耳コピらしくなってきたぞ。
3度にはふたつある。長3度(ちょうさんど)と短3度(たんさんど)だ。
長3度はルートから距離にして半音4つ上、短3度はルートから距離にして半音3つ上を言う。
たとえば、ドから見ると、ナチュラルのミが長3度、ミ♭が短3度。
たとえば、ラから見ると、ナチュラルのドが短3度、ド#が長3度。
長3度を含んでいれば、そのコードは「メジャー」だ。ド+ミ+ソの和音ならCがルートのCメジャー。ただし、いちいちメジャーとは言わず「C」とだけ書く。明るい響きの和音だ。
短3度を含んでいれば、そのコードは「マイナー」で、ド+ミ♭+ソの和音なら「Cm」と書き、シーマイナーと読む。暗く哀しい響きの和音だ。
このように、生えてきた枝葉がコードの性格を決定していく。枝葉や前後関係に工夫をすると、メジャーほど明るい笑顔ではなくほほえみのようなコードとか、物悲しさの中に芯の強さを秘めたようなコードを作り出すことができる。
さて、では、今注目しているレモンの最初の「G#ナントカ」はメジャーなのかマイナーなのか?
曲に合わせてG#(メジャー)の和音、もしくはG#mの和音のどちらかを弾いてみればいい。しっくり来たほうが正解だ。
さっきのように左手で低い方のソ#を弾きながら、右手は真ん中へんで和音を弾く。
G#(メジャー)はソ#+ド+レ#。
G#mはソ#+シ+レ#。
「♪ゆめな~」
どっちがしっくり来た?
G#(メジャー)は「気持ち悪い!」っていう感じで、G#mのほうは「正解!」っていう感じだったでしょ?
つまり、米津玄師レモンの最初のコードは「G#m」で決まりだ。
このように、弾きながら「ドンピシャで合ってる!」とか「合ってる感じはするけど物足りない」とか「気持ち悪い」といった印象を聴き取ってコードを特定していくのが耳コピという営みだ。
さて次回は、トライアドの続きをやりつつ、3音じゃ表現できない和音も説明しながら、レモンのAメロくらいまで耳コピを進めていくぞ。
なんか呪術なんとかのKing GNUとかいうストールマン先生と関係あるんだかないんだか、
うっせぇわも聴いてみた
速攻で停止押してしまう
結局、いつも聴いてるような曲が安心できた
とりあえずメタリカ聴いて、
CDでも買っておきたいぐらい
やり残したことって何だろう
なんか最近はC++書くのもつらいし、GoとかRustとか手を出しても中途半端になってる
というか、やればできることも、やったらやったで虚しさが残る
チュートリアルやって、慣れるためにちょっとなんか作ってみたりしても、
急に虚しさが襲ってきて、
とか思ってしまうけど、
それ以外の選択肢があったようにも思えないし、
病気と老化で身体はボロボロの上に、コロナだったからだろうか、
メタルは心を潤してくれる
そう感じないか?
碇シンジ君
私は発達障害を持つ40代なのだが、この歳にもなって常識的に知っているべきことを知らなさすぎて
周囲とのギャップをたびたび感じている。
学校での成績は良かったので、学校で教えてくれるようなことは知っているのだが
それ以外の日常の中で学んでいくことをとにかく知らない。
以下、私がどんなことを知らないのか、知識を持たないのかを列挙してみる。
好きな芸能人は誰?とか聞かれても、ほとんど誰も知らないので答えに窮してしまう。
テレビを通じて知るような芸能人や俳優、スポーツ選手なんかはトータルで10人ぐらいしか知らないと思う。
ビートたけしぐらいは辛うじて分かるが、それ以下の知名度の人はまったく分からないという有様。
政治家は総理経験者と住んでる地域の候補者ぐらいは分かる。YoutuberだのVtuberだのはもう異世界。
基本的に人のことに興味がないので、どこかで見かけても右から左に抜けて記憶に残っていないと思う。
人の名前が分からないというのは身の回りの人間にも適用される。
学生の頃はずっと同じクラスだったのに最後まで名前を覚えなかった人がいた。
今の職場でも、仕事で直接関わっている人の名前はさすがに覚えているが
直接関わっていなければ同じ部署であっても名前が分からない人が多い。
親戚関係も同じで、幼い頃から家族ぐるみで付き合いがあったにも関わらず
名前を覚えていない人が多く、そもそも親戚に誰がいるのかロクに把握していない。
とにかく人の名前を覚えるのは非常に苦手だ。軽い相貌失認もあるので顔が分からないことも多い。
これまでの人生の中では、この人誰だっけと思いつつも話を合わせるスキルを磨いてなんとか凌いできた。
それ以外の作品はどれだけ有名でもほとんどまったく分からない。
鬼滅の刃やエヴァ、ドラクエ、スタジオジブリクラスでも分からない。
「趣味はなんですか?」「漫画とかは少し読みますね」「鬼滅の刃って面白いですよね」「(鬼滅の刃は知らない…)」
みたいなことになる。
興味の範囲がすごく限定的で、世間の流行にはまったく無頓着なので
趣味が同じ人であっても話しが合わない。
そのくせごく一部の作品については20年来のファンでwikiの編集者をやるほど詳しかったりする。
もうまったく分からない。
世間の流行の音楽というものは幼少期から現在に至るまでまったく分からない。
そもそも音楽が流れていると音楽に集中力を持っていかれてしまうので、何かしながら音楽を聴くのが苦手だ。
音楽が流れていると脳内で耳コピやコード進行の分析を始めてしまって、他の作業がそっちのけになってしまう。
なので音楽自体は得意なのに音楽を聴くのは苦手という変な状況にある。
流行の音楽は好みが合わなかったり若い人向けの音楽に付いていけなかったりというのもあるが、
そもそも聴くこと自体が苦手で、昔から流行の音楽にはまったく付いていけなかった。
流行に左右されないクラシックピアノとかなら、音楽を聴くことだけに集中できる環境なら心地よく聴ける。
カローラとかなんとかとか言われても、それがどこのメーカーなのか、高いのか安いのか、どういう層が乗るのか、どんな形なのか、いつの時代なのかとかまったく分からない。
車の不要な都内に住んでいるせいもあるが。ちなみにペーパードライバーだ。
実家は地方で車社会の中にあるので、この辺の問題は実家に帰った時に強く感じる。
たまに車種の名前で会話されても、それって車なの?と思ってしまう。
最近強く感じるのはこれだ。
20代で結婚して、30代で子供を持ってマンションを買って、みたいな常識的なプランをほとんど知らずに生きてきた。
結婚や子供に関しては、どうせ発達障害を持つ自分にまともな結婚はできないし、結婚したいとも思わないのだが
老後に向けた資産形成という点では将来的なリスクが大きい生き方をしていると最近になって分かってきた。
興味の範囲が限定的で興味のあること以外には無頓着な生き方をしていると、こういう問題も出てくるのだ。
流行の音楽なんて分からなくてもいいが、こればかりは老後にホームレス化するという生存問題に直接つながってくる。
メタルとかのディストーション音だったらフルピッキングしないで誤魔化したりできるけど、
いわゆるハンマリング・オン、プリング・オフで弾いたりするわけだけど、
メタルでも尋常でないフルピッキングとか、自分には無理なんだよなぁ
まあ、アコギのシャッフル・ストロークと同じで、とにかく機械的にやる、というのがキモだと思うんだけど
意識しない、考えないところまで昇華するのがキモだと思うのだけど
左手は考えるとしても、右手はまったく考えないで空振らない躓かないようにする
楽器のこういうところは完全に体育会系というか鍛錬の賜物だよね
なんか時間が空いてたり気分転換したくなったら、なんとなくギターを持って、
耳コピとか速弾き練習してたら夕方も暮れていたみたいなことがときどきあるんだけど、
なんとなく練習する、頭にフレーズが浮かんだり思い出したとき、
すぐにそれってどうやって弾けばいいのかな?みたいに思って、
フランクというか、気張らないというか、
なんとなく腕立て10回やってみるか、やってみたけど何か違うな、こうかな、こうかな、
みたいにやって回数増やしてるうちに、
なんかできないと思ってたことがいつの間にかできるようになってる気がするんだけど、
バカでも繰り返して、なんとか原曲に近付きたいとか、想い続けてるからなんだろうけど
練習の30%も実力が出なくなってしまうの、未だに治らないしなんとかしたい…
そうなると緻密な楽曲を弾こうと思うよりも、まずはペンタトニックとかで、
音数も少なく、シンプルにいい感じにブルースっぽいフレーズを弾くとか、
技巧的でないけどカッコいいみたいなのを目指す方が先なのかなぁ、とも思う今日この頃
下手の横好きで、もう何年もピアノを独学で弾いている。
たまに好きな曲を耳コピで弾いて、そこそこ弾けるようになったころにちゃんとした楽譜を見てみると、実に調子っぱずれな耳コピをしていたことを突き付けられる。
そして外していた音は「ド#」とすべき音を「ド」で弾いていたり、「ソ♭」を「ファ」にしていたりと、決まって半音上げ下げの部分。正しい音を知るまでは違和感にすら気づけず、知った後には違和感しかない。
思えば、器用な生き方はできていない。正しいと思って発言したこと、正しいと思ってとった行動はいつもいつも絶妙に的を得ておらず、その事実に気づくこともできず、すべてが終わった後になってやっと「あ、自分ズレてたんだ」と思い返すことばかり。まるで話にならないわけではなく、ほんの少しのズレた言動。もう半分を上手に補正できていれば、大方のことはうまくいっていただろう。
今日もピアノを弾いた。きっといくつかの音は、調子を外しているんだろう。私の知らないピアノの上手い人は、その音を外すことなくきれいに弾いている。どれだけやろうとも、私はピアノが上手い人にはなれない。
自分は今でいう陰キャだったので、歌詞は覚えてるけど、子供の頃は夕方におニャン子なんて観てなかったんだよなあ
だから、田代まさしとか片岡鶴太郎の全盛期を自分はあんまり観てないから、YouTubeで懐かしの映像みたいなのがあっても記憶にない
おニャン子みたいなのは小中でも陽キャやヤンキーの嗜好品だったし、
アニメとかSF小説好きは宮崎事件に便乗した宅八郎とマスコミの偏向報道に扇動された陽キャに後ろからいきなり蹴られたりとか、
ど田舎だったこともあって、そういう差別が普通に存在したよなあ
今は三鷹殺傷事件犯人のトーマスとか、パチンカスとか、ヤンキーの方がアニメ好きなぐらいで、時代は理不尽に変わるものだよなあ
(逆に自分の方がゲームとかアニメとかに興味を失ってる。開発とか作り手側の話には興味あるけど
だから、おニャン子は当然、チェッカーズみたいなのも陽キャ側の嗜好品で、比較的最近まで見るのも聴くのも嫌だったのだけど、
そういう幼少期もあったので、個人的に日本の楽曲が嫌いというか偏見があったのだけど、
自己満足で他人が知らない曲を弾いて周囲を白けさせるぐらいなら、
不愉快だけど他人が喜ぶ楽曲を弾いた方がウケるというか、仮に自分が下手でも逆にある程度許される安心感があるというか、
庵野さんも言ってたような気がするけど、自分が面白いことをやると売れない、だからやらないです、だったか、
自分が嫌いな曲は耳コピできない、演奏できない、自分が嫌いなものを理解しようとしない、というのもどうかと思ったので、
チェッカーズとか奥田民生とか、ヒットした曲は好き嫌い関係なく耳コピしようとするようになったんだけど、
そうやってるうちにヒットの法則みたいものも見えてくるわけで、
逆にどれだけ他人に日和らない曲を作るかの参考にもなるわけで、
ジュリアに傷心だったかな、耳コピすると作曲者の意図を感じることがあって、なんか色々面白かった気がするし、
ベタなE、Em、それに7thが入るとどうなるか、みたいなのは個々人の感覚で馴染んでもらうしかない
ちょっと間抜けな演奏がしたいと思ってE7を選ぶ、という演奏はない気がするんだけど
まあ、自分は正規の教育受けてないのでなんとも言い難いんだけど、違和感が…
そもそもダイアトニックコードがあって、いわゆる3コードがあって、
3コードと代理コードちょっとあれば、簡単なフォークソングとか弾けるよね、と
長渕剛だったか、C、F、G、Amさえあれば作曲できることが分かったのがスタートラインだったと言ってたし
そこにノンダイアトニックコードが加わって、そこで7thも登場してくるし、
それから、C7、F7、G7みたいなブルース、ロックンロールみたいなのも瞬間的なメジャーとマイナーの転調というか、
メジャーとマイナーのスケールをフラフラ行ったり来たりする浮遊感がブルースらしさというか、
あと、7thコードからディミニッシュコードを見つけてみると、それがブルースとかの合間でいい感じに響く
"Welcome to the Jungle"にも含まれてるけど、そういうのをコードから発見したり
あと、Eメジャーは明るくて、Emは暗いとか悲しいとか、一般論としてはそうなんだけど、
それがコード進行の中で必ずそうかと言うとそんなことはなくて、
Eメジャーが寧ろ暗さを醸し出したり、Emが爽やかに感じられることだって有り得ると思うんだよなあ
まあ、音楽理論はゴチャゴチャ理屈とか文章読むより、弾いた後に納得するのが普通だから、とにかく弾けとしか言えないんだよね
よく偉そうに音楽理論を学びたいなら楽典を読めみたいなアドバイスする人がいるけど、
そういう本を選択した方がいい
やたらに難しい本をアドバイスする人は自分よりレベルが上か、もしくはハッタリの可能性さえあるから(プログラミングも同じで
あと、音楽理論の本だけ読んで理解するものではなくて、寧ろ楽譜をコピーしたり耳コピして、
音が聴き取れなかったら今はGoogleしてみると、できる人やプロの作曲家がブログで解説していたりもするから、
そういう総合的なものを活用して、とにかく弾いて理解するのが音楽理論であって、
今思い出したんだけど、大学時代に理系の大学なのに座学オンリーの音楽理論の授業あったわ
ずっと寝てたわ…
たったの32年で、やりたい事やり尽くせちゃったの!?
羨ましい!!!
30代後半の既婚女だけど、いまだに、自分の手でやりたい事沢山ありすぎて、子供とか全く考えられない。
(旦那にも伝えて、了承済み)
子供の頃から、手芸や工作に創作活動等々、自分の手で何かを作ることがとっても大好きだった。
お店に並んでる商品って、どうやって作ってるのか、想像できない物も多いじゃん?
その製法を解き明かして、自分の手で再現することがたまらなく好きだった。
この間、学生以来、久々にハンダゴテを握った。キーボードを造った。ふたを開けてみればシンプルな仕組みで、とっても面白かった。
キットを使っての自作だったけれど、ゆくゆくは自分でキー配置のデザインからファームまでやってみたい。
でも、時間が無くて断念している。
ファームと言えば、もちろん、プログラミングは15歳くらいからずっと趣味でやっている。実益もあるが。
プログラミングはヤバい。沼だ。年々新しい言語や技術や理論が出てくる。
どれもこれも楽しそうで、追いかけていくだけで無限に時間が溶けていく。
最近は、他にもやりたい事が沢山ありすぎて、追いかける技術を絞るようになってしまった。
本当は機械学習とかも触ってみたいけれど、今の所、使用用途が無いので触れずにいる。
最近、10年以上やってなかった手芸をやり始めた。刺繍、編み物、ビーズクラフト。何もかもが面白い。
レザークラフトも気になっていて、道具だけは揃えたんだけど、時間が無くてやれずにいる。
陶芸も気になっている。かごも編んでみたいと思っている。ミシンだって欲しい。
が、何もかも時間が無くて後回しだ。
創作活動も、学生時代から、もうずっと長くやってるけど、まだ飽きが来ない。
絵や小説といった、二次創作で流行してる分野だけじゃなくて、音楽の耳コピやアレンジも楽しい。
まだ独学だけど、ゆくゆくは人に習ったりとかもしてみたい。しかし、習う時間が捻出できずにいる。
昔からずっと、園芸や畑もやってみたいと思っているが、これも時間泥棒過ぎて、全然着手出来てない。
かろうじて、いくつかの鉢植えを育てているくらいだ。
それくらい、やってみたい事がありすぎて、人生100年弱なんかじゃ、とてもじゃないけど足りなくて困っている。
30過ぎてやることが無くなった、子供でも作っておけばよかった、なんて言える人が羨ましい。
この分だと、人間の寿命が10倍になって、出産適齢期が20歳~300歳くらいにならないと、子供を産もうという気にはなれないと思う。
地域柄もあるが、僕が小学生の頃ピアノを習っている男子はクラスに1人いるかいないかくらいだった。当時「男のくせにピアノかよ」「ピアノとかお坊ちゃんかよ」みたいな、今風にいうと”ハラスメント”を受けていた記憶がある。
だがピアノという楽器を取り巻く世の中は大きく変わってきた。状況を整理したくなったので書き留める。
中高の頃バンド活動に興味を持った時にはじめに手に取った楽器はギターだった。僕は小さい頃からピアノをやっていたが、バンドで鍵盤を弾くという選択肢は頭に浮かばなかった。バンドといえばボーカル・ギター・ベース・ドラムという編成が主流だと思っていたからだ。当時の僕の周りではバンドでやる曲といえばアジカン、バンプ、エルレなどが主流だったし、もっと前から人気があったミスチルやラルクなんかもキーボードは正規メンバーにはいない。
しかし数年後にはバンドにキーボードがいるのが当たり前という感覚になっていた。東京事変などのバンドやボカロ曲、アニソンを演奏する人が増えて、大学のサークルではキーボーディストが引っ張りだこになっていた。「けいおん!」の影響もあるのかもしれない。さらにゲス極、セカオワ、ヒゲダンなどピアノが目立つバンドは増えていった。
YouTubeやニコニコ動画でピアノを弾いている人は10数年前からいたが、そういう動画を見るのはネットに入り浸った一部のオタクという感じだった。だがここ数年で状況は大きく変わってきている。
スマホを全世代のほとんどの人が持つことにより、ネット動画を見るのは一部のオタクの趣味ではなくなった。YouTubeで音楽を聴くのはどの世代でも当たり前のこととなっている。そして、今までテレビだけ見ていたような人たちでも自然に楽しめるような「顔出しアングル」、「観客の反応」、「解説テロップ」、「ドッキリ」等の要素を持つストリートピアノ動画が2019年に流行った。
2020年には外出自粛の影響もあり、それまでコンサートをメインでやっていた演奏家もYouTubeチャンネルを持つことが当たり前になった。メジャーアーティストも「無観客ライブ」を行うことが増えて、ネット配信を見ることがどんどん一般的になってきている。
僕が小さい頃ピアノは教育ママが女の子に習わせるお稽古で、ピアノコンサートは一部の金持ちが見る高尚なもので、流行りの音楽に含まれるピアノは縁の下の力持ちポジションだった。ピアノを弾くといえばほとんどクラシックかジャズの二択しかなかったように思う。
それが今や、ピアノを弾きたがる男の子も(実感としては)増え、アニソンやポップスのピアノを弾くYouTuberを一般大衆が聴き、バンドのMVでは派手にピアノを弾くカットが流れる世の中になっている。クラシックでもジャズでもないポピュラー音楽を耳コピしてアレンジしながら弾く人も増え、彼らは発表会やコンサートという閉じた空間ではなく誰でも気軽にアクセスできるYouTubeやストリートピアノで、プロとアマチュアやジャンルという垣根もなく演奏を楽しんでいる。
質の低い演奏が蔓延しているとか、正統派のプロよりYouTuberが持て囃されるのはどうなのかとかネガティブな考え方もあるけど、個人的にはピアノをより多くの人が多様な形で楽しめるようになっていくのは嬉しい。
僕の狭い視野で感じたことなので「昔からサザンとかX JAPANとかいたじゃん」等の反論もあるかもしれないが、なんとなく思っていたことを整理できてスッキリした。今後はどうなっていくのだろうか。ピアノ演奏者にとっては、披露する機会も多いがライバルも多いという状況になっていきそう。
一人カラオケが好きで万人受けしなさそうな曲をある程度綺麗に歌えるようになるまで練習する…ということをもう10年以上続けている。
このフレーズはどういう風な発声で歌おうか?とか、ブレスの位置がどうだとか、ファルセットの部分もうちょっと息がもれる感じにしたほうがいいんじゃないか?とかそんなことばかり考えている。
おかげさまで3オクターブ半の声域とそれなりに豊かな声量、自由自在なビブラートにヘッドボイス、ファルセット、チェスト、ウィスパーなんでもござれな状態になったが、
くそぼっち陰キャのくせに変に歌唱がこなれていることが却って悪目立ちするので宴会場のような場所で歌うことがより一層嫌になってしまった。
それでもやっぱりうまく歌えたときの達成感を誰かと共有したいと思ったり、他者からの客観的な反応を聞いてみたいと思うこともある。
いや一人でずっと過ごしてきてだんだんと閉塞感を抱くようになっていて、それを打破する手立てとして外に向けて何かしたいのかもしれない。
ということでカラオケで歌っている様子をYouTubeにアップロードしようとしたが、Contents IDで弾かれ一般閲覧不可になってしまった。
そりゃそうだろと思われるかもしれないが、これは僕にとって予想外だった。
YouTubeは弾き語り等のカバー動画であれば難なく公開される可能性が高い。YouTubeとJASRACは包括契約を結んでいるため、YouTubeで公開する範疇ならば好きに楽曲の二次利用ができるのだ。
バズが楽曲のヒットに起因しがちな現代では、本家の音源をそのままアップロードするといった著作隣接権に接触する事例であっても、広告収入を著作権所有者に与える措置で動画の公開が容認されるケースも多い。
カラオケを撮って出ししたようなラフな動画は散見されるので、どうにかそのような形でContents IDもスルーできるのではと期待していた。しかしアーティストのコピーであるカラオケ音源とそれに付随する映像を、さらに流用してネットに公開するという事例は権利関係が複雑すぎるらしい。調べるとDAMやJOY SOUNDはこういった動画を見つけ次第YouTubeに削除申請を出しているようだ。
実のところ僕の動画で通告があったContents IDはカラオケ映像に使われていたアニメ本編の映像でDAMは関係ないのだが、それをDAM内の別の映像に差し替えてなんとか公開できたとしてもいずれ削除されてもおかしくない。
なら楽器を演奏するなりインストを用意するなりしてDAWでミックスすればいいじゃないかという話になるのだろうが、いわゆる歌い手として扱われてしまうのは不本意なのだ。
僕は友達に聞かせる延長の様な感覚で自分と似たようなヒトカラ好きに気楽に聞いてもらいたい。ネットでちょっと有名なアイドル的な何かを目指しているわけではない。
ギターは弾けるし耳コピや作曲もちょびちょびやってはいるので、いっそ弾き語りや編曲を考えてオリジナルトラックを作ろうかとも思うがそれだと純粋にカバーになってしまう。
どこの馬の骨ともわからない限界YouTuberが歌手気取りでオーディエンスより一段高いところから聞かせるという風を吹かすのは見ていてまったく面白くない。
そういうのは藤井風みたいな奴じゃないと成り立たないのだ。
素人の歌唱動画なんて片意地貼ってないゆるーいカラオケの様子だからこそ醸し出されるかくし芸的な様相があって辛うじて視聴に耐えるのだ。
同じ歌の上手い素人でも、文化祭の記録映像と路上ミュージシャンの野次馬撮影とテレビのカラオケ大会なら印象はまるで違う。お膳立てされていればいるほど人は斜に構えてみてしまう。
僕がやっていることなんてキーの高いアニソンに挑戦してみるとかそんなことなので、わざわざそこに勝負をかけたいだなんてガチな気持ちはさらさらない。
ただそこそこ上手く歌えてそれが嬉しくてその気持ちを誰かと共有できたらいいなと思っているだけ。
うだうだしてしまっているが、歌唱動画をアップロードしようと思い至ったきっかけである星野ディスコを参考にして
インスト音源に自分のボーカルを重ねるスタイルでとりあえずやってみようと思う。画像はなんかチワワとか可愛いフリー素材に歌詞のっけとけばいいだろもう。
アップにハノン前半をゆっくりさらって、初見でツェルニー30番の1番だけ。
全然弾けなくて草
練習曲1曲分くらいは初見でまともになると思った僕がばかでした。
マスターできないのがわかったので、キッチリゆっくり練習して休憩。
そのあとは好き放題にテキトーに弾く。
ナウシカの王蟲との交流、ラピュタの空から降って来た少女のコード進行を耳コピして五線譜ノートにメモ。
ラピュタOPは後半のサビに来るところがシータの飛行石光るところにマッチしてついつい感情の塊になる。いいよね…。
休憩してから昔はそれなりに弾けたチックコリアのスペインを弾く。
全然弾けなくなってて草
それでも弾くのは楽しい。
何も弾けなくなってて絶望。
あー指いたい。
は? 小指痛すぎでは?????