はてなキーワード: 科学者とは
AIの描く絵は美しく、独創的だった。
AIに描かせたS氏の絵が特別評価されるようなことも当然なかった。
あくる日。
S氏は友人であり科学者のF氏に呼び出され、自宅へと向かった。
するとF氏はタイムマシンを開発したのだと言う。
試しに10年前へ飛ぶというので、S氏も同行することにした。
S氏はこっそりUSBを所持し、そこにはAIに描かせた絵をたっぷり保存していた。
S氏はF氏の目を盗むと、密かに自分の持ち込んだAIの絵を各賞に応募した。
数々のコンテストで受賞し、知名度も評価も鰻上りとなったところで時間切れ。
未来へと戻ることになり、いっときの栄光の余韻に浸りながらS氏は再びAIに絵を描かせる。
するとS氏はある異変に気がついた。
○ご飯
朝:ハッピーターン。昼:なし。夜:餃子、ビール、肉団子、チャーハン、キムチ。
○調子
直接的な物言い(A=Bとか、前作のCが再登場とか、Dが亡くなるとか)でネタバレは書きませんが、シリーズの概要や「ではなかった」という感想から、じゃあ消去法でこうだよね? と理解できてしまう部分もあると思います。
EVE burst errorから一年後、再び事件に巻き込まれる小次郎とまりなだが、その裏にはあのエルディアの影が見え隠れする、というあらすじ。
めちゃくちゃ面白かった。
前作の魅力だった捜査パートの格好良さはバッチリ引き継がれていた。
情報屋とのやりとり、聞き込み捜査、バーでの意味深な会話、発見した情報から少しづつ事件の外見を導き出していく過程が面白い。
間に挟まるコメディ要素もくどくないのが良きだし、前作の小ネタがたくさん拾われていて探索する楽しさがあった。
所謂「推理」ではなく「捜査」なので、情報を集めるだけなのだけど、少しづつ人と人との関連性が見えてきて、証拠と紐づけられていき、疑うべき人物、信用していい人物がわかっていく過程が面白い。
美ノ神みなと、という行方をくらました先生を探して欲しいと依頼する小次郎ルートのヒロインとなる橘花ちゃん。
前作が「ああ」だったので、依頼人かつ、エール外国人学校の生徒で、科学者の父親を持つとくれば、読者としては疑いの眼差しが第一印象になるのは仕方ない。
仕方ないのだけど、一緒に捜査を始めれば本気で先生を探す姿にほだされ一気に好きになった。
特に寮で一緒にダンスするシーンは東山奈央さんの熱演も合間って、序盤から一気に引き込まれた。
後半、例によって彼女が容疑者として浮上するが、流石にこれはミスリードだと確信を持って読み進めた。
それが同じ(ヒロインが実は犯人だった)展開を二回もしないだろというメタ読みではなく、橘花の先生を思う気持ちを疑うわけねえだろ、というキャラの心情での読みなのは、この作品が前作ありきの続編でありながら、単独の物語としても面白かった証拠だろう。
そして、この作品が単独の美ノ神みなとのことが大好きな橘花を信じきれるまで、橘花のことが大好きになったからこそ、オーラスもオーラス、ラストが輝く。
そのラストでは、前作からの継投キャラの中、唯一未登場だったメインヒロインが満を持して登場し、今作のメインヒロインと交錯する。
音無橘花という今作の魅力があるからこそ、前作も輝く、そんな満願の想いがこもったいいシーンだった。
そんなわけで、今作の魅力が橘花にあることは明白なんだけど、彼女の魅力を占める大部分には美ノ神みなとという存在がある。
エルディアを巡る人間の動きや、今作のSF設定となるDシリーズなどの情報はどんどん集まっていき、メタ読みも含めればあらかた事件の概要を把握できるところまで物語を進めたにも関わらず、
エルディア要するに敵の立場なのか、はたまた小次郎やまりなに友好的な味方の立場なのか、全く関係ない第三者目線なのかすらさっぱりわからない。
ココは、もう完全にやられた!!! と思わず声が出てしまった。
「ということは前作の登場人物」
「死んだとされるアイツが生きてた?」
「はたまた、生きてたあの子がまた姿を変えてた?」
「いやいや、前作では『多重人格』もあったぞ」
だからこそ、完全にやられた。
まさかまさかの正体に驚きつつ、この正体が判明した瞬間「前作と今作の共通点」に気付かされる。
どうして、美ノ神みなとが彼女に優しくしたのかの答えを、前作をプレイしていたら疑う余地なくわかる。
だからこそ、前作のストーリーがまだ終わっていないことを思い出す。
と言っても「現時点では悲しい終わりだけど未来に希望がないではない」という終わり方だった。
その希望をやりきるためのEVE rebirth terrorだった。
上記の美ノ神みなとの正体が明らかになった時点で、タイトルの意味
だから、同じ橘花を助けなきゃいけなかったんだ、橘花も彼女も……
という感じで、ここから先はもうノンストップで読む手が止まらなかった。
偉大な前作を踏まえたファンサービス的な側面。
これも100点。
前作の登場人物が豊富に出てくるし、今作から登場するキャラも多くが前作キャラと関係性を持っているのがすごい。
burst errorのキャラを出してワチャワチャといった浅瀬の楽しみだけでなく、尻切れとんぼだったアレやコレやを明確に終わらせた風呂敷畳みが100点。
そして、rebirth terrorとして、橘花とみなとを巡る独自の物語としても100点。
100点満点で300点付けないと割に合わないぐらい、豪華な詰め合わせだった。
それぞれの要素、キャラを沢山出すファンディスクで一本、burst errorの完結作として一本、rebirth terrorという完全新作として一本、計三本のゲームを同時に遊んだような、とてつもない満足感だった。
そして、これらが単純に足し算になってないのが凄まじい。
さっき300点と書いたけど嘘だな、100の3乗で1000000点だ。
こういうジャンルを好きでいると、たびたび、文章を読むだけのゲームってゲームである意味ある? みたいなことを聞かれることがある。
答えは、ある、だ。
EVE rebirth terrorの最大の見せ場「美ノ神みなとの正体」が明らかになるシーンを遊べば明白だ。
そして、それらの根底をなす文章を自分のペースで読み進められる仕組み。
こんな素晴らしいジャンルは他にないよ。
面白かった。
大学生になったばかりの若者が必ずする行いは「科学とはなにか」とググることだ。そして「反証可能性」「科学的方法」といったWikipediaの項目にたどり着く。もっと深く知りたいと思った人はさらなる文献を調べる。その知識に感化されすぎて、Twitterで非科学的な(と本人が思い込んでいる)言論を見つけるやいなや「お前たちの言っていることはエセ科学だ」と言い始める。
この段階を、科学のレベル1理解と仮に呼ぶしよう。確かに科学について全く興味のない、学んだことすらないというレベル0理解よりは進歩しているかもしれないがまだ「レベル1」である。
レベル2理解とはどういうものになるだろうか。私がそれについて見解を述べる前に「レベル1を超えるためには」という自問をしてみてもいいかもしれない。
私が思うに、レベル2とは「自然法則を発見しようとする態度」だ。どっかの自称サイエンティストは「汎化性能」とか「再現性」とかいうかもしれない。ただ、それらは「自然がどうなっているか」ということとは直接関係しているわけではない。単に、人間の仮説に対して統計というアプローチを採用しているだけだ。
科学に統計ではないアプローチがあるとすると何なのか。そこがレベル2に到達するための関門と自分は思っている。ショーン・キャロル教授は「宇宙とは、ヒルベルト空間におけるベクトルである」という仮説を述べている。それではこの仮説はどこから来たのか。それは、エヴェレット解釈がオッカムの剃刀的に機能し、コペンハーゲン解釈よりも仮定がシンプルであることから来ている。何かを統計的に判断するよりも前の段階で、まだ人間が発見していない自然法則を見つけるためには仮説そのものを見つけるセンスが要るのだ。
そのような仮説の多くは数理理論から来ている。「物理学者は数学と現実を混同している」と揶揄する人もいるが、私が今書いているような自然言語よりも数学のほうが簡単だ。賢いから数学を使うのではなく、我々人間が愚かだから、数学を使わなければまともな仮説が見つからないのだ。
つまりレベル2理解とは、数理モデル化によって、まだ見つかっていない自然法則に関する仮説を見つけることだと私は考える。物理学の数理モデルは機械学習モデルとは少し違う。機械学習モデルの目的は予測だけだが、物理学上の数理モデルは現象を理解することに焦点がある。ひも理論が「我々の宇宙の物理定数の値がなぜこうなっているのかわからないから、あらゆる定数値が可能だと仮定してみよう」といって、10^500ものバリエーションの宇宙が可能であることを数理的に示しているが、このような「理論から演繹的に見つかった仮説」というのは汎化性能のことを目指したのではない。
そういう仮説に対して「反証不可能だからエセ科学だ」と言う人もいるが、なぜ「反証不可能」だとわかったのだろうか。「数理的にこういう仮説が演繹された。将来的にそれが観測されるかもしれない」という想像力さえあれば、彼はレベル1理解を脱出することができただろう。「科学とエセ科学の境界」というものについて科学者ですら認識が異なるというのに、何がエセ科学であるのかについて100%の確信を持っているというのは、ケツの青い証拠である。
しかし悲しきかな、そのようなケツの青い青二才、つまりレベル1理解のほうが圧倒的多数であり、またレベル0理解はその人数を超えている。レベル1理解の者(IQに喩えるなら100の者)から見れば、レベル0とレベル2は両方とも馬鹿に見えるものだから、境目なく「エセ科学」と言って弾圧をし始める。
「その仮説を俺は疑っている」「その仮説は反証された」「その仮説は反証不可能である」「その仮説が反証可能なのかどうなのかはわからない」「その仮説は、特定の仮定から数学的に演繹された」ということを少なくとも区別したほうがよい。間違っても「その仮説はなんとなくエセ科学っぽい胡散臭さを感じるから弾圧しよう」などという非科学的な態度は取らないほうが良いだろう。
未だに、「安倍自身が目立ったヘイトスピーチをしなかった」ことについて整理が出来てないのが居て、いい加減その思考スピードの遅さにイラつく。
いわゆる「独裁者」が自分からメッセージを発するのは、そうすると人がついてくる欧米社会だからで、それと「独裁者」の本当の問題は別物だ。
「独裁者」の本当の問題は、一人で何でも決めることにあるのではない。悪いことをしたい奴に「独裁者」の名前で暴走を許すところにある。わかりやすい例がナチスの科学者だ。科学者のやりたかった人体実験の目的や内容を、ヒトラーが全部理解して支持したなんてことがあるわけがない。ヒトラーに都合が良いよという説得さえすれば他の問題をすべて取っ払って機会主義者が好き勝手に振舞えるのが「独裁」の問題だ。そうでなければ、ナチスのあらゆる政策がヒトラーのアイデアだけで出て来るはずがない。安倍が「独裁者」でないにも関わらずレイシストを惹き付け「独裁政治」と同じ結果を産むというのは、これだけの単純な理屈の結果に過ぎない。
こんなこともわからずに未だに「何でだ」「何でだ」とばかり言ってるから日本の「社会派」はムカつく。
お前ら考えるフリばかりして何も考えてないじゃないか。
実際の科学者が何やってるか知ってる?
自分の就職活動のために書類を大量に作成して、自分の科研費獲得のためにまた書類を大量に作成して、獲得した科研費は面倒な手続きを経てようやく使えるようになんの。
それを「暇がない」って言ってんの。
そうだね!
パトロン捕まえてお金出して貰って貧困生活を送りながら自由な研究をやるべきだよね!
お金を貰うっていうことはそれなりの責任が発生するっていうのが社会のルールなんだけど
余った金でやる分には問題無いし大した給料もいらないなら問題ないと思うよ!
国が育てるべきっていうのはその通りでブルジョアをパトロンにしてたら肥えさせるだけだから
現状の博士の数とか教授の数とか大学の数は今後の日本社会の規模からすると多すぎるから減らすしかないと思うよ!
ガッツリ減らした上で集中投資してそいつらを暇にするってのはいいと思うけど
大した能力も実績も無いくせに自分の好きなことをしたいから、今のアカデミアの状況を分かった上で学術系に残ってるような人達に
どうやって編んでるんだろう。ずっとそう思っていた。
月ノ美兎のトレードマークといえば、長い黒髪に紅白のヘアピン、そしてあの編み込みだろう。両耳のあたりからするすると伸び、後頭部にてリボンで結ばれ、馬の尻尾みたいな毛先がぷらんと垂れ下がっている。なんと面倒くさそうな髪型だろう。あれって家族に結ってもらってんのかな。いやでも普通に手の届く範囲だし、毎朝毎朝少し早起きして自分で結ってんのかな。二次と三次の区別もつかぬ俺は、前々からずっとそう思っていた。
彼女は俺達の前に現れる時、いつもそんな手の込んだ髪型をしていた。ほぼほぼどの衣装であっても、その髪にはあの編み込みがあった。地雷衣装には編み込みはないけど、代わりにぐりゅんぐりゅんにカールされてたし、アーティスト衣装の場合には、近未来的なアイテムが彼女の髪を彩っていた。
そう、彼女は大体どんなときも、あの編み込みを解かなかった。着衣で入浴して小松菜とチョコレートをバリボリ食ったときも、パチンコ配信でぐーすか寝てるときも、決して編み込みを解かなかった。別に何も不思議ではない。単に解いた髪がアプリに実装されていないという、ただそれだけのこと。でも、俺は勝手に、その編み込みに、別のものを読み込んでいた。
月ノ美兎は自分のプライベートを容赦なくコンテンツに組み込んでいる。これは動かし難い事実であろう。配信では自分の実体験をガンガン話していくし、時には生活音を垂れ流して質感で視聴者を虐殺したりした。あくまで主観だが、2018年初頭のV界において、そんな彼女のあり方は一種異様であった。この女には公私の区別がついてないんじゃないか。最初はそう思ったりもした。でも、今は違う印象を抱いている。彼女は明かすべきものとそうでないものを、科学者のように客観的な目で峻別している。そして、題材として選ばれた裏側は、丹念に彫琢され、一個の作品として完成して初めて表になるのだ。でも、俺たちはそうとは気づかず、本来秘されるべき彼女の素顔に触れているような気になってしまう。これこそが彼女の演出手法なのである。画面に映る彼女はいかにも親しみやすく、何も飾っていないように思える。でも、彼女は公に現れる前に、丹念に時間をかけてその長い髪を編み込んでいるのだ。それは彼女にとって一種の戦闘服なのではないか――なんて妄想を、俺はよくしていた。
だからこそ「1000年生きてる」のPVを観た時は鳥肌が立った。映像の中盤、モニターに凭れて座る彼女は、ふと自らの後頭部に手を伸ばし、あのリボンを解いて見せる。俺の記憶が正しければ、2018年1月のデビュー以来、それは初めての事態だった。編み込みを解き、ヘアピンも外して、人の想いの永遠なることを高らかに祈る彼女を観たとき、ふと思ったのだ。「終わってしまう」と。歌ってみた自体には大いに感動したけれども、またあの思いが浮かぶことを恐れ、聴き返すことは出来ないでいた。
件の歌ってみたが発表されてから二三日後、彼女はツイッターにて休止を宣言した。最初は疲れたのかなくらいに思っていたが、事態はもっと深刻だったようだ。断続的に発表される案件等で食いつなぎながら、俺の脳裏には時折、不吉な二文字が浮かんでは消えた。そしてその不安が、あの一瞬の予感を無限に増幅していった。そう、彼女にとってあの編み込みは戦闘服なのだ。配信という、何万という人間の目にさらされる場へと向かうための正装なのだ。時間と労力をかけて自分自身を吟味し、何を表にして何を裏に留めるべきか腑分けするための手術着なのだ。それを放棄したということはつまり、終わりを意味するのではないか。そんなことをふと考えては、打ち消すために「なんでもかんでも戦わせられるあほあほAI見つけた」配信を見返したりしていた。
結局、すべては杞憂、妄想であった。9月20日に彼女はツイッターで復帰する旨を報告した。22日か23日から配信を再開させるらしい。休止も既に三ヶ月強を数え、そろそろ彼女のいない日常に慣れ始めた頃のことだった。まったく現実感のないまま数日間をやり過ごし、そして昨日、彼女の復帰配信を観た。久しぶりに顔を見せた彼女の髪には、あの編み込みも、ヘアピンもなかった。まるで別人のような姿を纏いつつ、彼女はそれまでと同じように、面白おかしい話をしては俺たちを笑わせてくれた。ニタニタと気色悪い笑みを浮かべながら、俺は、この瞬間に自分がとても貴重な経験をしていると実感していた。編み込みを解いた彼女の姿。つい最近まで、終末の予兆のように捉えていたその姿が、今や復活の象徴へと変貌を遂げたのだ。ある対象に抱いている感情が、一瞬にしてこれほど見事に反転した例を俺は知らない。そこで生まれた膨大な感情を持て余した挙げ句、ついには増田にこんな怪文書をしたためる羽目になっている。オタクってのは救い難いねえ。でも俺は、とても救われた心持ちだよ。
具体的に言うとジャンプSQで好評連載中のThisコミュニケーション。
1話試し読み
この漫画面白いなーと思ってたんだけど、ふとTwitterで主人公の名前とか検索すると感想を呟いてる人の女性率がかなり高い。
その事自体は人気のある少年漫画なら珍しくも無いんだろうけど、
所謂洋画とか洋ドラ好きでちょっとフェミニズムとか好きそうな人達の呟きもかなり出てきて、しかもそれがかなり好意的。
サイコパスな軍人主人公が兵器の女の子達とかなり…過激な付き合い方をしてる作品なのに何で…?と思った。
彼女達の感想を見るに、どうも主人公のデルウハ殿が食欲が行動原理だけど性に関する欲求を一切見せないのが良い!みたいな感じなのかなーという結論に至った。
言われて見ると、男性主人公で可愛い女の子に囲まれている話(しかも女の子の方が男性に好意を抱いてる)のにこの漫画は性を意識させる描写が全然無い。
で、今更ながら気になって調べたらこのThisコミュニケーションの作者六内円栄先生は女性だという事が分かった。
大した驚きも無く、ああ…ふーん、そっか…と受け入れられた。滅茶苦茶意外だな、とは思わなかった。
このThisコミュニケーション、お笑い芸人さん達が今好きな漫画を紹介する番組などで名前が挙がるくらいには男性人気も高い、と思う。
それが、作品の感想を調べると女性の物ばかり出てくるのは…女性の方が男性より自分の感想を出力しやすい、という傾向もあると思う。
しかし、男性人気が高い少年漫画の感想を調べるとそこまで極端に感想の性別が偏っている…とは感じなかった。
Thisコミュニケーションは、女性の感想が出てくる割合が偏っているな、と感じた。ジャンプSQ自体女性人気が高い雑誌なのもあるけど。
そこで、気になった。
女性って、男性向け漫画雑誌を読んでもその漫画の作者が男性か女性か何となく作風から分かるのだろうか?
この漫画は前述したとおり、サイコパスな男性軍人が少女とかなり過激な付き合い方をして、時には殺傷に至る事もある過激な内容だ。
大人の男性が子供の女性を殺す、というかなりショッキングな内容は人を選ぶ…というか
はっきり言えば少年漫画を好んで読む女性(フェミニズムを好む人含む)には不愉快なのではないだろうか?と思ったのだけれど、
今の所、この漫画のタイトルや主人公の名前で感想を検索した時、そういう内容を呟いてる女性のアカウントには今の所遭遇しなかった。
むしろ殺人鬼だけど性に関する欲求を一切見せず必要だからやっている・死ぬまで毎日三食食べたいだけなのに…という主人公デルウハ殿に好感を持つ人の方が圧倒的に多かった。
そういう所が不思議だな、と思っていた所にこの漫画の作者が女性という情報が入って思った事がある。
もしかして、「女性が作者の男性向け漫画って女性に好まれる・或いは嫌われない要素が沢山入っているのではないか?」と。
「最近の少年漫画はジェンダー配慮が行き届いていて読みやすい」、という意見もあったけれど
もしかすると自分が感知出来ていないだけで世の女性達に受けている少年漫画・青年漫画にそういう「ジェンダー配慮」という要素がちりばめられていて
その要素が沢山入っている作品は女性から好意的に受け止められてその結果人気がある、という流れが存在するのではないだろうか?
自分は漫画を読んでいて作者の性別を絶対に当てる事の出来るエスパーではないけど、女性は作者の性別を当てる能力に長けているのではないだろうか。
そういう事を思った日記。
そう言えば
改めて数年ぶり?にThisコミュニケーションの第一話を読んで思ったんだけど
という何とも話を作る上で都合の良い改造人間をこの世界の科学者がどうやって作ったのか?
そこら辺の説明や理屈付けが無いあたり科学で生まれた改造人間の筈なのにこの漫画のヒロイン達はオカルトチックな存在だな、と感じる
とはいえICUでも卒業研究は必須単位だったけども。教養学部単科大だけど、卒業年次にはメジャーと研究室を選ぶ必要がある。(しかも卒論は原則英語で書くルール。。)今は違うかな?200x年卒。
大学での学びの集大成として、ヒーヒー言いつつそれなり真面目に卒研やってる学生が多かった印象。科学者コミュニティの仕組み、論文執筆、ピア・レビューの意義について教養科目や2年次必修の英語小論文執筆を通じて学んできている。元増田みたいに軽んじる学生はあまり見なかった。
いうて文系メジャー含めても15%超が国内外の大学院に進学するので(理系だけなら体感7割)(文系でも国際機関志望とかだと修士ないと話にならん)、就職予備校的に例に挙げられると実態と齟齬があるってことで。
他の内容は知らんが科学者の項目に関してはまだまだ格差激しいし優秀な女性を取りきれない損失も大きいと思うぞ。
俺は大学教員で科学者を自称して良いと思ってるけど、今いる女性教員とかはなんだかんだやっぱり男性教員の平均よりはずっとレベルが高いと思う。これは別に男性の頭が悪いとかそういう話ではなくて、女性であればそれなりに優秀な人しかわざわざ業界に残ろうと思わない構造になってるってこと。男なら「俺もギリギリやっていけるかもしれないから業界に残ろうかな…」とか思ってる程度のレベルだと女性は残れない。単純に母数が違いすぎるので無理矢理にでも積極的に増やそうぜっていう姿勢は良いと思ってる。
あとフィールズ賞とかノーベル賞とかみたいに日本全体でさえ過去に十数人しか取れてないような賞を持ちだすのは極端だと思う。性差があると得意領域が若干異なってきそうだから数学とかで男性受賞者が多いみたいなのはありそうに思うし、99.99%くらいの科学者はそこと関係ないのだからその層の男女比率を見ても何もいえないよ。俺の周りでも優秀な女性はたくさんいるし、国際会議に行くとすごく業績上げてるバリバリの海外女性研究者とかがたくさんいる。大学院にいてもやっぱり女性はまだなんとなく博士課程に上がらんよねみたいな空気を感じることがゼロではない。
ちなみに元記事のいきすぎた男女平等はどうなんだ!って憤る気持ちも分かる。最近は大学教員も女性限定公募が増えて俺みたいな若手は応募すらできないことが多い。どうなの?って思う人が採用されてることも結構あるけど、過渡期には仕方のない話だと思って耐えている。昔は女性が同じ気持ちで生きてきたんだろうしね。ただし女性限定公募を出して男女平等をすすめてる気持ちになってる任期なし男性教授陣、テメーらはダメだ!少しは自分達のポストを削って公募を出せよ!男女平等の弊害を若手にばっか押し付けるんじゃねぇ!挙句の果てに俺らに男女平等とか言ってくるな!女性増やして俺が応募すらできない公募出すならお前のポストを寄越せよ!!
俺はない
子供作る気がないから、まず未来に対して感情移入する要素がない
生命そのものが呪いみたいなモンだと思っているので、たとえ地球環境がメチャクチャになって全生物が絶滅しようと、何も惜しいと思わない
むしろ、いいことだと思う
長い間意味もなく生き永らえて、苦しみ続ける vs 短い間苦しんで滅ぶ
こんなもん、Slaughter, Destroy, Genocideだろ
人類が200年後に元気にやってることを想像しても、まったく嬉しい気持ちになんねえもん
他の生物種も同様
実際、アマガエルとかすげえ好きなんだけど、やつらもべつにそんなこだわりがあって生きてるわけじゃねえだろうし、謎の生存本能の被害者みたいなとこあると思うんで、滅んでもOKだと思う
美しい自然がゴミまみれになって生き物が死にまくってもなんとも思わない
どうでもいいんだ心底
生物多様性なんかクソだ
生物がヘンに多様で、冗長性があったせいで、せっかく滅びる機会があったのにしぶとく生き残りやがって、いまの俺の苦しみがあるんだよな
進化なんてすんなって話なんだ
人間がチョー傲慢に好き勝手やりまくって、完全に人間の天下!って感じにして、そのあとなんらかの要因で一発アウトになり綺麗さっぱり滅んだ結果、何も残りませんでした、サラバ生命!ってことになったほうがいいに決まってる
そうなんだよな
俺は、環境なんてどうでもいい、SDGsなんか知ったことかって立場ではないんだ
環境ごとすべての生物が滅んでほしい、SDGsは敵だって立場なんだよ
なぜこういう立場の人間が生まれるか?ってことなんですが、これは資本主義が悪い
俺だって、毎日働かねえでプラプラ遊び回ってられるんだったら生命を呪うことはなかった
むしろ、世界は輝いて見え、あらゆる生命に祝福あれ!と心から思っていたに違いない
でもそうはならなかったんだよ なので滅ぶしかない
俺は力のない雑魚なので、はてな匿名ダイアリーでウンチみたいな文を書き無視されることしかできないが、世界の潮流がどうなっているか?というところに目を向けると、実際、少なくとも人類くらいは滅びかねないような方向性に向かってるような気がしなくもない
いいぞいいぞ!と思うんだ
NASAの科学者が、銀行の前に陣取って、涙ながらに地球環境のヤバさを訴えて、邪魔や!つって捕まったらしいですね
こういうニュース、抗議行動が、なんの意味ももたないでほしいんだよな
と同時に、彼らのもつ危機感が、杞憂なんかではないといいな、と思う
マジで、世の中、ロクなことにならないでくれ
滅んでくれ 全員死んでくれ
全員死んでくれ……
全員死にますように
俺がそんなこと言わなくたってどうせ全員死ぬんだけどな
ホントなんなんだよこれ
生きるのって苦しい割に意味がなさすぎる
せめてどっちかにしてくれ
そんなものはないほうがいいよな
でもデメリットがたくさんあって、化学肥料を使わないから成長が遅い。だから小ぶりになりがち。そして虫がつく。味が濃いから当然だよね。そして野菜の悪い面も出てくる。具体的には、味のバラつきや苦味、渋み、辛味が出やすい。
そういうのをなくそうと科学者が頑張って完成したのが、化学肥料や農薬なんだよ。だからスーパーの野菜は安くて大きくて味のバランスも良くて、本当に日本の農業の進歩には驚かされる。
俺はそうした野菜の存在をリスペクトしつつ、無農薬野菜を栽培して家族で慎ましく楽しんでいる。
そうした様子を知った人の中には「無農薬野菜!欲しい」と言い出す人がいる。我が家で食べきれない分はあげることもあるのだけど、そういう人ほど「虫がついてた!」だの「苦い、辛い」だのと文句を言う。もちろん事前に説明済みだ。
あまりにうるさいものだから、スーパーで買った農薬野菜をあげた。すると「やっぱり無農薬野菜は違う!」「健康に良いから助かる」などと言い出す。そう、無農薬野菜は虫が付き物ということを理解したくないのだ。
本当は無農薬野菜なんてどうでも良くて、自分が何となく気持ちよくなれるものを摂取したいだけなのだ。まぁ、それで喜んでくれるなら自宅の無農薬野菜はこれからも家族と楽しむよ。