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2020-03-15

フェミニズム界隈を巡る反論

 日本フェミニズムが抱えている問題複数あって、煎じ詰めれば「思想善悪如何はともかく、その行動が全く効果的ではない」という一事に尽きる。

 女性地位向上。大いに結構。その、地位向上のためにある種攻撃的な手段を用いること、これまた結構

 しかし、攻撃的な手段を用いている割には、その効果殆ど出ていないことに問題があるのである

 むしろ結果的にそのような手段が、フェミニズムに対する周囲から評価を下げてさえいるのが問題なのだ


 古来より女性男性による抑圧を受けてきた。この事実を頭から否定することはできない。

 例えば、近代イギリス小説家サマセット・モームは、作品『月と六ペンス』の中でこう書いている。「女性自分を殴る男性を好んでいる。むしろ自分を殴ることのできない男性のことを見下しているのだ」と。

 このような記述は、文脈的に言えば主人公チャールズストリックランドタヒチを訪れた際に語られているものである。ここからは、モームがどのような立場女性一般化しようとしていたのかが読み取られ得る。

 また、自然主義人間本質を虚飾なく描くことを目的とした主義思想作家大家である近代フランスエミール・ゾラが書いた『居酒屋』では、登場人物の男らが、まるで息をするように女性達を殴りつける描写が、散りばめられている。貧民層の現実標榜した彼の作品においてもまた、女性に対する暴力が大いにクローズアップされている。


 このように、国の内外を問わず女性に対する男性から暴力というもの散見される。流石に、このような状況は現代において相対的改善されているものの、未だどこかしらに不満を残す女性がいることに不思議はない。その女性らが、自らの権利を向上するための運動を行ったとして、何の不思議があろうかとも思う。


 問題は、それらの行動が評価を得にくいこと、あるいは、フェミニズム評価を落としていることである。それらの行動の多くが、効果がないどころか逆効果であるという点である

 具体的に、何故そのような問題が発生しているのか?

 以下に論点を纏めていく。


1:フェミニズム議論ソフィスティケートされすぎており、一般女性男性認識に馴染まない


 古代ギリシャ劇作家アリストファネスは、自身の著した喜劇『女の平和』にて、女性らのセックスストライキを描き出している。


 女性達が、「そんなに戦争が好きなら、私達を抱かなくとも大丈夫なんだね?」

 と、戦争反対のため断固セックス拒否する痛快さ。このような鮮やかさは、現代人にさえ快い衝撃をもたらすものである

 女性の最大の魅力は何か? それは性である、とアリストファネスは言う。

 このような言説は当時のギリシャ男性においてのみならず、近代フェミニストらにも見られる。

 女性が短いスカートを履くこと、自身の魅力を以て大いに社会地位を占めること――その権利回復せねばならないということ。それを目的として、20世紀フェミニストらが声を張り上げていたことは言うに及ぶまい。

 その運動社会において大きく効果を上げた。

 イランのごとき保守的国家においては、女性が人前に出る際には目元を除き身体ベールで覆う必要がある。そのような規則女性利益担保しているのか、損なっているのか、議論の難しい点には違いないが、現代においてはそのような保守的傾向の多くが拒否されている。女性らは、身体ベールで覆うことを一般的によしとしない。

 女性が獲得した権利はそこに見られる。つまり、性の発露である

 性はそれまで女性自由にはならなかった。構造主義先駆者とされるレヴィ・ストロースは、「女性男性らの所有物であり、婚姻という形で交換が行われた」という意味の主張を行っている。彼に対する当時のフェミニストらの批判推して知るべしだが、女性婚姻父権立場にある人間によって執り行われることは多く存在していた。そういう意味で、女性にとって婚姻も性も自由とは言い難かった時代存在していたのである

 自身の性を管理行使する権利が、婚姻不自由によって制限されていた時代があったことは、間違いない。この文脈に沿って言うならば、間違いなく女性権利現代において拡張されたのである

 ここまではフェミニズムにおいて一般的な議論範疇である

 とは言え、問題はこの延長線上にある。


 女性自身身体的魅力を大いに利用すること、それはアリストファネス喜劇に見られるように、女性自由を支えている。そこには、フェミニズムと密接に関係する女性権利の実現が確認できる。

 しかし、昨今、この身体的な魅力を大いに活用することは、「性的搾取」に繋がることが指摘されている。


1-2:性の解放性的搾取

 相対的な性の解放が、性的搾取に繋がること、これは表裏一体の問題と言える。


 当然、女性社会進出をする上で、女性自身の性を政治手段として用いることには、危うさが秘められている。

 そのような危うさをして、現代フェミニストらは「性的搾取」の大号令を行う。

 アイドル、性産業広告業芸術

 これらの分野における女性露出性的搾取危険を秘めている、と現代フェミニストらは声を揃える。そこには危険があり、権力の影がある、と。

 ここにおいて、深刻な二律背反が生じているのは明らかである

 女性スキームとして用いる性が、危機的な結果に繋がっている。ここでどうするべきなのか?

 残念ながら、この問題に明快な結論は出ていない。


 政治家の大多数が男性であるこの社会において、支配者と被支配者の対照は、男性女性という対照を想起させる。

 男性狡猾である――多くの女性の思う以上に――男性狡猾である男性暴力行使することができる。端的に言って、男性の筋力は女性に勝り、悪しき意志が備わりさえすれば、女性尊厳根本からなうことを可能とする。恐らく、文明以前の原始時代においては、男性はこれらの暴力を非常に効果的に用いてきた。そこには、ある種暴力弁証法とも呼ぶべき歴史があった。例えば、あるコミュニティコミュニティが衝突する――。一方が敗北すれば、その敗者側のコミュニティに属していた女性は、勝者側に所有されることとなる。多くの場合、そこにおいて女性尊厳考慮されることはない。

 昆虫動物らに見られる、コミュニティコミュニティの争いや、イスラム国による女学校の襲撃を思い出して頂ければ、上記の言説の正しさは容易に担保されると思う。

 男性狡猾であり、暴力性を有史以来、あるいは以前において大いに活用してきた。

 勿論、現代においても男性による暴力が根絶されたわけではない――とはいえ、その状況は改善されている。暴力には法が対応する。無論、適切な対応が成されない場合存在するが、少なくとも有史以前に比べれば状況は好転している。

 その進歩の影には、恐らく全ての心ある女性と心ある男性の尽力があったことだろう(思うに、倫理を生み出すのは常に狂気じみた努力である)。

 人類は持てる限りの理性を用い、公私において倫理を整備してきた。

 我々は持てる限りの能力を用いてきた。そこに、女性の尽力が関わっているのは間違いあるまい。

 女性はその能力を大いに用いてきた。


 さて、端的に言って、性的魅力は女性能力である

 それは、女性が何かを望む際に、その実現を助ける能力になり得る。例えば、意中の人と結ばれる際にその能力は大いに役立つ。

 性的魅力は疑いなく女性能力である女性自身尊厳担保し、増進させるために、その能力は用いられ得る。


 しかし、その能力女性自身らの尊厳の為に活かすことと――それと、男性(や女性)によって、その能力が利用されること――とは二律背反となっている。

 近代において、女性の魅力や能力が、適切に用いられることをフェミニストは願ってきた。しかし、ここに来てその努力は一つの壁にぶち当たることとなる。

 例えば、大きな胸を強調したポスター女性の魅力が強調されてはいるが、不適切方法で強調されているのではないか――そういう議論が起っている。

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である、と人は言う。

 この命題は決して間違っていない。「女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である」。決して、この命題は間違っていない。

 とは言え、ここが言わばロドスである


1-3:ソフィスティケートされ過ぎた議論

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取となり得る。


 勿論それはそうだ。とは言え、そこには議論錯綜するポイントがある。

 まず第一に言えるのは、女性の魅力の発露=性的搾取といった、シンプルかつ誤謬を招く等式が発生し得ることだ。

 女性が何らかの能力を――この場合には性的魅力を――社会において発揮すること。その能力を発揮することにおいて、何らかの報酬を得ようとすること。それ自体は悪ではない。

 自分能力への対価として報酬を貰うことは、多くの場合善悪とは関係ない行為である

 例えば、女性の高く伸びやかな声、時に力強い声。歌手はそれを披露する。

 例えば、ダンサーは時に挑発的に、曲線的なライン身体を躍らせる。挑発的に、攻撃的に。

 絵画において、裸婦は笑う。裸婦は草原に寝そべり、微笑んでいる。

 これらは全て、(努力などによって獲得された)肉体的魅力を発揮する行為に他ならない。当然のことながら、これらの行為をして悪であると断ずることはできない筈だ。とは言え、それらの魅力や能力の発揮が、「搾取」に繋がると人は言うのである。つまり、その行為は翻って女性地位を貶め、最終的には女性全体に対する不利益を導くものだ、と叫ぶのである


 例えば、女性歌手楽曲を作り、歌う。彼女は、男性への恋心を叫ぶ歌謡曲を作り、歌う。その曲を批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。

「媚び」はこの場合、不自然女性立場貶める行為であり、最終的な女性不利益を招く行為を指している。端的に、それは搾取対象であると、誰かが指摘する。

 例えば、写真家女性写真を撮る。彼女は、頬杖を付きながら、気だるげに微笑む。その写真批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。

 その「誰か」は、最終的に女性不利益を招くと指摘する。

 例えば、

 例えば、例えば、例えば――


 女性が魅力を発露すること、それが搾取対象になり得るということ――それは必ずしも同じではない。しかし、そこには矛盾がある。女性尊厳担保し、増進するために、魅力が用いられること。そのような魅力が搾取対象とされてしまうこと。

 女性能力を発揮すれば、それは女性全体の利益を貶め得ると誰かが叫ぶ。

 能力を発揮すれば、誰かがそれを利用し搾取すると、その誰かは叫ぶ。最終的には、女性全体の立場は貶められ不利益帰着すると、その誰かは指摘する。

 これが、フェミニズムソフィスティケートされた結果なのである。それは、端的に矛盾である

 カメラに向かって微笑みかける誰かの存在を、「性的搾取であるとし、それがゆくゆくは女性全体の利益を損なうと指摘する――。

 このような言説には致命的な混乱が含まれていると言って差し支えないだろう。近代フェミニズムによって獲得された、女性自身能力や魅力を自身権限によって行使する自由は、ここにおいて壁にぶち当たっている。


 能力を発揮することは搾取に繋がる。能力を発揮してはいけない。

 このような論理は、一般的な男女を納得させるに足る論理であろうか?

 勿論それは不可能であるフェミニズム矛盾にぶち当たっている。

 そして、その矛盾を解消し得る論理が未だに発見されていない現在――少なくとも、フェミニズム論理一般的な男女を――あるいは当事者であるフェミニスト自身らさえ――説得できる状況にない現在思想としてのフェミニズムは大きな困難に直面していると言わざるを得ない。


2:結論

 結局、フェミニズムが直面している矛盾を、フェミニスト自身らが解決できていない状況において、その混乱を抑えられていないのが現状と言えよう。

 その混乱のさなかでは、到底周囲の人々を納得させ得る行動など、示せるわけがないのである

 昨今のフェミニズム運動空虚さ、反感のみを招く徒労さはそこに根を置いている。これまでに獲得してきたものと、これから獲得しようとするものとの間に生じる矛盾――その矛盾解決することなくして、現代フェミニズムは正しい舵取りを行うことなどできない。

 結論としては以上となる。

anond:20200315042532

女はみんなが好きなものが好きで、その場でヒエラルキーの高い奴に集中して群がる習性がある

そういう現実がある以上、意中の人だけにピンポイントで好かれるということはまずあり得ないんだわな

2020-02-17

ラブコメは最も執念があった人に勝ってほしい

お話の中ぐらい公正世界を求めたいです。

恋愛における公正とは、執念の順に望みのものをゲットするということです。


恋愛とはつまりは執念、執着です。

みっともない、正しくないものです。

たとえば「相手幸せであれば自分のものにならなくてもいい」というのは

よりステージの高い心であって恋愛ではありません。


相手幸せは願うとしても

それは当然自分と一緒での幸せでなければならない。

断じて他の人間に渡したりはしない。

ライバルを押しのけてもいじましいアピールをしても相手を手に入れたい。


そういう欲望エゴ、みっともなさ、

仏教三毒人間根本的無明である貪欲

それが恋愛です。


具体的に何が言いたいのかといえば

『5等分の花嫁』のあの勝者は私には面白くないということです。


の子は確かに立派です。

道徳的です。

姉妹のうちで最も心が清いと言ってよいでしょう。


けれども恋愛は心の清い人が勝つべものではありません。

長い期間片思いというなの執着を燃やし続けたり、

普段なら絶対やらないような行動に出たり、

好きな相手や親しい人に必死でみっともない姿を見られたり、

そういう恥さらしな人こそが勝つべきなんです。


からニセコイも当然小野寺さんが勝つべきでした。

長年片想いしながら意中の人を観察し続け、

機会を掴んでは本人なりに必死になって距離を縮め、

ようやく手にした快適な友人関係を失う覚悟告白する、

こういう欲望と恐怖と勇気を見せてくれた人に勝ってほしいでしょう?

そういう人を差し置いて、後から来て物語終盤で恋愛感情自覚した人に余裕綽々でホイホイッともっていってほしくないんです。


5等分で言ったら、

最初敵愾心むき出しで暴言を吐きまくってたのに

途中から好きとか言い出して、誰が見ても突っ込みたくなる恥さら状態

自分でもディスアドバンテージ自覚しながらそれでもがんばるという人とか、

姉妹の中でお姉ちゃんとして常に自分を抑えて大人の振る舞いをしていたのに

ちょこちょことせこい贈り物作戦好感度稼ごうとして反応に一喜一憂していたり

途中からぶっ壊れて妹達に変装して情勢操作をもくろむという大反則に打って出る人とか、

そういう人の方ががぜん応援したくなるんですよ。


あの勝者の子は何ですか。

見苦しい手や汚い手を一度も打たなかった。

誰に対しても恥ずかしくない振る舞いしかしなかった。

ライバル姉妹を出し抜いてでもアピールするような心がなかった。

モラルを捨てて汚い人間になって恥をかくことをしなかった。

こんな子に勝たせちゃダメでしょ。



男の方も不見識です。

ただただ一番自分のことを支えてくれた、害を及ぼさずに利益を与えてくれた女を選ぶんです。

なんてつまらない男でしょう!



追記

ストーカーヤンデレ、腹黒属性のあるキャラが必ず勝っていつも正ヒロインになってしまうってのはちょっと多様性がないと思わんかね

あーもー長々例示つきで書いたのにこういう全然わかってないレスが来るとがっかりちゃう

小野寺さんはストーカーヤンデレや腹黒だった?

長女と次女だって別にサイコ的な人物じゃないでしょ?


ヤンデレとかストーカーとかそんなもんなんにも面白くないんだよ

それらはそういうジャンルキャラ造形として最初から設計されて宣言されて受容されるっていう退屈なお遊びだよね


ちゃんとまともな社会的人物として生きてきた、普段そんなことしない人として立てられたキャラが、

そこを踏み越えて汚いことや恥ずかしいことをしちゃう、そういう総体がいいんだよっていってるでしょ


というかねえ、ヤンデレだのストーカーだの腹黒だの、人の人格をそういう極端な類型説明してしまうような創作あんまり程度高くないと思います

そんなんばっかり読んでるからもう少し解像度の目の細かい話してる人間に向かって「つまりヤンデレやな?」みたいな粗雑なまとめでかえしちゃうんですよ

あなたの脳が粗雑な創作によって型にはめられているってことなんですよそういうのは、もっと危機感持った方がいい


まり増田姉弟子派だな!

モチロンソウヨ

イカちゃんも期待してたんだけどまさに粗雑なヤンデレキャラという第一印象のままフェードアウトしてしまってもう影すらない

ジョバーと化して小学生大天使にすら負けるし、女子最高の才能とはなんだったのか・・・

anond:20200216204655


kuzudokuzu 残念ながら増田の言い分自体が「俺には執念がある!だから俺の執念を通せ!!」なので、それに気づかない人ぐらいしか「よしやってやろう!」と話に乗ることはない。

2020/02/18

誰が「俺の執念」とか、私個人の話やリアルの話をしてるんですか。

「よしやってやろう!」というのも何をやってやるのかわからないし。

上の雑な人と違って何言ってるのか全く分からない。

大丈夫なのかこの人。


追記

お話の中ぐらい公正世界を求めたい」はフィクションに対する愚弄であるフィクション現実的であってもなくても理想的であってもなくてもよいのだ。皆、好きに作るべきだし、私も好きに読むし、君も好きに読め。

2020/02/18 リンク Add Star

こんなの勿論私の趣味・私のお気持ち表明であってこれが世間ルールになるべきとは思いません

ただ自分趣味をこうやって整理して熱弁したらみんなもその趣味をどう思うかとか自分趣味はこれであるとか言ってくれるでしょう



自分を信じて『夢』を追い続けていれば、夢はいつか必ず叶う!」って言ってた人が負けるのは許せない派?

これは確かに断りを書き忘れた私の落ち度です

学園ラブコメで言ったらライバルいじめ対象にして蹴落とすとかそこまで行ったら肯定しません。

私が挙げたキャラもみんなそこまではいってない。

また、ジュビロそもそも恋愛を描いたのではなく「執着が人を不幸にする」という世の真理の方を描いたと思います

一時期萌えおじさんになって恋愛を描いてましたが(蛇足と言われてるけどあの村の3姉妹とか好き)、

「行き過ぎた執着で自分も周りも不幸にした悪のおっさん」を描くことのほうがずっと多いです。

ニセコイで一番執念あったのマリーな気もするが

設定的にはその通りなんですが

ぶっちゃけ作者から「この子の目はありません」という目配せのような扱いのギャグさがあったのと

マリーを例にすると特定キャラへの思い入れで言ってると思われそうなので

千棘と最後まで競る形だった小野寺さんを挙げました。


追記3

まぁ押しが強いキャラって、当て馬というか、主人公ガンガンアプローチすることで正ヒロインがやきもち焼いたり、気付いていなかった恋心に気付かせる役割ばっかりなので、まず勝てないってのは哀しくはあるな…。

その問題は原因が3つあると思っていて

1.積極性が強い=「遊び人」「フシダラ」という古来の非難や敵視の目線

2.創作において古来から固まったパターンを疑わない踏襲主義

3.押しの強さの中で粗密やドラマを作るという複雑なことに挑戦出来なかった技術不足

ですが、

どれも現代では解決されてると思います

そういう意味では2が本当の敵かなと。


ごめんなさい、truetearsとschooldaysがまじったタワゴトを書いてました。

どっちもしってて全然違うのになんだこれ怖い。


その論で行くと、マリーさんは千葉県に嫁ぐことになるな

あの漫画の中で最も執着と献身性、純白の狂気を見せてくれたのは千葉県さんだからね、しかたないね


恋愛は執念ではないわ。見た目等の自分の売りのステータスを伸ばし相手好感度を上がる選択を選ぶのが大前提!突き進むだけの猪では現実でもバウムクーヘン確定よ。/変態仮面は清楚では無い二号ヒロイン選んだな。

恋愛ゲーのあのシステムも一面の正しさを含むかも知れないけど、それ以上にあのはっきりしたステータス主義の結果として「そうか、中スペの自分恋愛は無理なんだな」と考えて身を引く奥手男性結構生み出したのではないかと思っています

ステータスを伸ばしてからどうこうっていうのがそのまま役に立つの恋愛というよりむしろ婚活のような気がしますがボリューム世代で未婚が増加した後の日本ではもう手遅れなかんじ


伝説藤崎詩織さんのあの振る舞い(デフォステータスでは一緒にいるのが恥ずかしいといって偶然出くわして一緒に下校することすら拒む、ステータスが上がると寄って来るし高ステータス時にデートに誘わず放置してるとキレる、これで問題のある高慢ヒロインではなくメインヒロインという設定)を作った人

恋愛工学創始者並みに恋愛シニカル嫌悪ながら見てたのではと思う


お前の攻撃には執念が足りんぞ

あの概念凄く好きです

昔の少年漫画で敵が言ってくることとして相当凄いですよね

お前の攻撃には欲望が足りん、執念が足りん、そういうアドバイスが出てくる世界

その後の無想転生は我執を捨てた境地ですが


伊藤伸平先生「素敵なラブリー・ボーイ」はいいぞ。電子書籍版は驚くほど画質が悪くて驚くけど。どういうデータなんだよ

読んでみます

伊藤伸平は『はるかリフレイン』がすき。

夕焼けでぱっと終わるラストシーンがね。


自分の考えが支持されないのはどう考えてもお前らがおかしい」というお気持ち表明。春だなあ。

いやそういう話じゃないって言ってるでしょう。

あなたがそんな読解力のないコメントをするのは意外だし残念です。

書き換える前のコメントの方が良かったな。


完全にストーカー理論やんけ、怖いわ。むしろ恋愛がもたらす煩悩的な執着をしないほうを人は選ぶよね、というメッセージとして作品が成り立ってるのに。自分だって執着するだけの相手選ばないだろ…知らんけど

なんかやたらストーカーストーカー言う人達がいるんですが、

この人達は「ノーマル恋愛」を清いものだとかいかぶっていると思います


増田ToLoveるについての見解を聞いてみたい

ちゃんと読んでないからアレなんですが、あれは恋愛漫画じゃないと思います

確か宇宙人の妹がハーレム志向提唱しだしていたとおもいます

一種の優しい世界としての勝ち負けなしのハーレムで終わればいいんじゃないですか。

そういう風に終わったのかは知らんけど。


五等分の花嫁は読んでないけど、「ただただ一番自分のことを支えてくれた、害を及ぼさずに利益を与えてくれた女」って主人公に一番尽くしてるってことじゃないの?公正さを求めるなら、むしろ選ばれて当然なのでは。

「私の考える」「恋愛における公正」がなんなのかは文頭で説明しましたよね?

あなたが言ってるのはあの子が一番性格が清くて善だということです。

それは私も同意しています

あなたも私の話をよく読んでください。


増田根本的に勘違いしている。これは読者層で違うんだよ。少年漫画なら、控えめな優しい女が勝つ。少女マンガなら、努力する気丈な女が勝つ。例。「恋はつづくよ どこまでも」 / 男の願望と女の願望は違う。

そうでもないです。

少女漫画でも気丈に努力してアピールしてきたハイスペ美人が振られて途中まで「あいつのことなんてどうも思ってないし」とかとぼけたこと言ってた主人公が勝ったりします。同じくそばでジッと主人公を狙ってた男もよく振られます

ヒロイン失格」はどうや?イケメンの幼馴染という特別地位に甘んじて舐めプしてた主人公ノーマークの地味喪女BSSされたショックをバネに物凄い顔芸を繰り出しながらイケメンに縋り付くパワー系ラブコメ

あれの作者は主人公イケメン偏差値低そうな人間ばっかり自覚的に描くのがすごいですね

このみ確立してて作家性だと思う

アマゾンレビュー主人公が卑しすぎるとか最終巻表紙の笑顔マジキチすぎるとか怒ってる声多いけどわたしは楽しみました

ただし逆転で捨てられた地味子がベタメンヘラビッチになるのだけはいらなかったと思うけど

主人公イケメンのやったことがそれぐらい人を傷つけることだと作者は自覚し認めてるんですよね

同作者の次の漫画がまた主人公友達イケメンの先輩(たしか留年)も全員偏差値低そうな感じで笑いました

うどんちゃん世界を楽しくポジティブに生きてる感じ


追記4

気持ち分かるけど空灰で野球で落ち込んでる男にウザく絡みまくった幼なじみが振られる話好きなんだ

あれはフィクションでやたら予定調和的に上手く行く「あえてきついことを言って奮起を促す」コミュニケーションが実際は上手くいかんやろみたいな試みですよね。

ただあの子最初はそんなことしようと思ってなかったけど全然取り付く島がなくてああなったんだし怪我のことも知らされてなかったしあの場のコミュニケーションを間違えたというより最初から上手く行く選択肢が出てなかった感じ。

そしてあの球児のほうは何の誠実さもなく甘やかしてくれるだけの青田買い打算女に励まされて復活するのですが、次の試合ぐらいでメタくそに打たれて敗退することが別の話で示唆されています


スネイプ先生最後に勝つハリーポッター的な?もうお母さん死んでるけど。

スネイプ先生はしょせん最初から最後まで死者を追い続けてるので自分は何も報われずに死すところまでが美しいんですが、

ハリー女生徒だったりスネイプ先生女性だったりしたら一点してキワキワの危険人物になった可能性ありますよね。

そのケースの生の匂いと厄みが増大したスネイプ先生も見てみたかったです。


ラブコメではないが、ハイキューの田中と潔子なんかは増田にとって理想のゴールインだろうなあ

あそこはあんまりそういう目で見てなかったので「え!?」ってなりましたよね。

潔子先輩が大好きなんですが、それゆえに後日談でもあの中の誰かとくっついたりしないだろうなと思ってたら

え、田中? 一途に頑張れば普通に手が届く存在だったんだ???

みたいなちょっとリアル不思議気持ちを味合わせてくれたのでそっちの意味であのオチはとてもよかったです。

振り返ってみるとちょっとしたハーレムもの主人公みたいな田中

2020-02-11

フェミニズム界隈を巡っての反論

 日本フェミニズムが抱えている問題複数あって、煎じ詰めれば「思想善悪如何はともかく、その行動が全く効果的ではない」という一事に尽きる。

 女性地位向上。大いに結構。その、地位向上のためにある種攻撃的な手段を用いること、これまた結構

 しかし、攻撃的な手段を用いている割には、その効果殆ど出ていないことに問題があるのである

 むしろ結果的にそのような手段が、フェミニズムに対する周囲から評価を下げてさえいるのが問題なのだ


 古来より女性男性による抑圧を受けてきた。この事実を頭から否定することはできない。

 例えば、近代イギリス小説家サマセット・モームは、作品『月と六ペンス』の中でこう書いている。「女性自分を殴る男性を好んでいる。むしろ自分を殴ることのできない男性のことを見下しているのだ」と。

 このような記述は、文脈的に言えば主人公チャールズストリックランドタヒチを訪れた際に語られているものである。ここからは、モームがどのような立場女性一般化しようとしていたのかが読み取られ得る。

 また、自然主義人間本質を虚飾なく描くことを目的とした主義思想作家大家である近代フランスエミール・ゾラが書いた『居酒屋』では、登場人物の男らが、まるで息をするように女性達を殴りつける描写が、散りばめられている。貧民層の現実標榜した彼の作品においてもまた、女性に対する暴力が大いにクローズアップされている。


 このように、国の内外を問わず女性に対する男性から暴力というもの散見される。流石に、このような状況は現代において相対的改善されているものの、未だどこかしらに不満を残す女性がいることに不思議はない。その女性らが、自らの権利を向上するための運動を行ったとして、何の不思議があろうかとも思う。


 問題は、それらの行動が評価を得にくいこと、あるいは、フェミニズム評価を落としていることである。それらの行動の多くが、効果がないどころか逆効果であるという点である

 具体的に、何故そのような問題が発生しているのか?

 以下に論点を纏めていく。


1:フェミニズム議論ソフィスティケートされすぎており、一般女性男性認識に馴染まない


 古代ギリシャ劇作家アリストファネスは、自身の著した喜劇『女の平和』にて、女性らのセックスストライキを描き出している。


 女性達が、「そんなに戦争が好きなら、私達を抱かなくとも大丈夫なんだね?」

 と、戦争反対のため断固セックス拒否する痛快さ。このような鮮やかさは、現代人にさえ快い衝撃をもたらすものである

 女性の最大の魅力は何か? それは性である、とアリストファネスは言う。

 このような言説は当時のギリシャ男性においてのみならず、近代フェミニストらにも見られる。

 女性が短いスカートを履くこと、自身の魅力を以て大いに社会地位を占めること――その権利回復せねばならないということ。それを目的として、20世紀フェミニストらが声を張り上げていたことは言うに及ぶまい。

 その運動社会において大きく効果を上げた。

 イランのごとき保守的国家においては、女性が人前に出る際には目元を除き身体ベールで覆う必要がある。そのような規則女性利益担保しているのか、損なっているのか、議論の難しい点には違いないが、現代においてはそのような保守的傾向の多くが拒否されている。女性らは、身体ベールで覆うことを一般的によしとしない。

 女性が獲得した権利はそこに見られる。つまり、性の発露である

 性はそれまで女性自由にはならなかった。構造主義先駆者とされるレヴィ・ストロースは、「女性男性らの所有物であり、婚姻という形で交換が行われた」という意味の主張を行っている。彼に対する当時のフェミニストらの批判推して知るべしだが、女性婚姻父権立場にある人間によって執り行われることは多く存在していた。そういう意味で、女性にとって婚姻も性も自由とは言い難かった時代存在していたのである

 自身の性を管理行使する権利が、婚姻不自由によって制限されていた時代があったことは、間違いない。この文脈に沿って言うならば、間違いなく女性権利現代において拡張されたのである

 ここまではフェミニズムにおいて一般的な議論範疇である

 とは言え、問題はこの延長線上にある。


 女性自身身体的魅力を大いに利用すること、それはアリストファネス喜劇に見られるように、女性自由を支えている。そこには、フェミニズムと密接に関係する女性権利の実現が確認できる。

 しかし、昨今、この身体的な魅力を大いに活用することは、「性的搾取」に繋がることが指摘されている。


1-2:性の解放性的搾取

 相対的な性の解放が、性的搾取に繋がること、これは表裏一体の問題と言える。


 当然、女性社会進出をする上で、女性自身の性を政治手段として用いることには、危うさが秘められている。

 そのような危うさをして、現代フェミニストらは「性的搾取」の大号令を行う。

 アイドル、性産業広告業芸術

 これらの分野における女性露出性的搾取危険を秘めている、と現代フェミニストらは声を揃える。そこには危険があり、権力の影がある、と。

 ここにおいて、深刻な二律背反が生じているのは明らかである

 女性スキームとして用いる性が、危機的な結果に繋がっている。ここでどうするべきなのか?

 残念ながら、この問題に明快な結論は出ていない。


 政治家の大多数が男性であるこの社会において、支配者と被支配者の対照は、男性女性という対照を想起させる。

 男性狡猾である――多くの女性の思う以上に――男性狡猾である男性暴力行使することができる。端的に言って、男性の筋力は女性に勝り、悪しき意志が備わりさえすれば、女性尊厳根本からなうことを可能とする。恐らく、文明以前の原始時代においては、男性はこれらの暴力を非常に効果的に用いてきた。そこには、ある種暴力弁証法とも呼ぶべき歴史があった。例えば、あるコミュニティコミュニティが衝突する――。一方が敗北すれば、その敗者側のコミュニティに属していた女性は、勝者側に所有されることとなる。多くの場合、そこにおいて女性尊厳考慮されることはない。

 昆虫動物らに見られる、コミュニティコミュニティの争いや、イスラム国による女学校の襲撃を思い出して頂ければ、上記の言説の正しさは容易に担保されると思う。

 男性狡猾であり、暴力性を有史以来、あるいは以前において大いに活用してきた。

 勿論、現代においても男性による暴力が根絶されたわけではない――とはいえ、その状況は改善されている。暴力には法が対応する。無論、適切な対応が成されない場合存在するが、少なくとも有史以前に比べれば状況は好転している。

 その進歩の影には、恐らく全ての心ある女性と心ある男性の尽力があったことだろう(思うに、倫理を生み出すのは常に狂気じみた努力である)。

 人類は持てる限りの理性を用い、公私において倫理を整備してきた。

 我々は持てる限りの能力を用いてきた。そこに、女性の尽力が関わっているのは間違いあるまい。

 女性はその能力を大いに用いてきた。


 さて、端的に言って、性的魅力は女性能力である

 それは、女性が何かを望む際に、その実現を助ける能力になり得る。例えば、意中の人と結ばれる際にその能力は大いに役立つ。

 性的魅力は疑いなく女性能力である女性自身尊厳担保し、増進させるために、その能力は用いられ得る。


 しかし、その能力女性自身らの尊厳の為に活かすことと――それと、男性(や女性)によって、その能力が利用されること――とは二律背反となっている。

 近代において、女性の魅力や能力が、適切に用いられることをフェミニストは願ってきた。しかし、ここに来てその努力は一つの壁にぶち当たることとなる。

 例えば、大きな胸を強調したポスター女性の魅力が強調されてはいるが、不適切方法で強調されているのではないか――そういう議論が起っている。

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である、と人は言う。

 この命題は決して間違っていない。「女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である」。決して、この命題は間違っていない。

 とは言え、ここが言わばロドスである


1-3:ソフィスティケートされ過ぎた議論

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取となり得る。


 勿論それはそうだ。とは言え、そこには議論錯綜するポイントがある。

 まず第一に言えるのは、女性の魅力の発露=性的搾取といった、シンプルかつ誤謬を招く等式が発生し得ることだ。

 女性が何らかの能力を――この場合には性的魅力を――社会において発揮すること。その能力を発揮することにおいて、何らかの報酬を得ようとすること。それ自体は悪ではない。

 自分能力への対価として報酬を貰うことは、多くの場合善悪とは関係ない行為である

 例えば、女性の高く伸びやかな声、時に力強い声。歌手はそれを披露する。

 例えば、ダンサーは時に挑発的に、曲線的なライン身体を躍らせる。挑発的に、攻撃的に。

 絵画において、裸婦は笑う。裸婦は草原に寝そべり、微笑んでいる。

 これらは全て、(努力などによって獲得された)肉体的魅力を発揮する行為に他ならない。当然のことながら、これらの行為をして悪であると断ずることはできない筈だ。とは言え、それらの魅力や能力の発揮が、「搾取」に繋がると人は言うのである。つまり、その行為は翻って女性地位を貶め、最終的には女性全体に対する不利益を導くものだ、と叫ぶのである


 例えば、女性歌手楽曲を作り、歌う。彼女は、男性への恋心を叫ぶ歌謡曲を作り、歌う。その曲を批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。

「媚び」はこの場合、不自然女性立場貶める行為であり、最終的な女性不利益を招く行為を指している。端的に、それは搾取対象であると、誰かが指摘する。

 例えば、写真家女性写真を撮る。彼女は、頬杖を付きながら、気だるげに微笑む。その写真批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。

 その「誰か」は、最終的に女性不利益を招くと指摘する。

 例えば、

 例えば、例えば、例えば――


 女性が魅力を発露すること、それが搾取対象になり得るということ――それは必ずしも同じではない。しかし、そこには矛盾がある。女性尊厳担保し、増進するために、魅力が用いられること。そのような魅力が搾取対象とされてしまうこと。

 女性能力を発揮すれば、それは女性全体の利益を貶め得ると誰かが叫ぶ。

 能力を発揮すれば、誰かがそれを利用し搾取すると、その誰かは叫ぶ。最終的には、女性全体の立場は貶められ不利益帰着すると、その誰かは指摘する。

 これが、フェミニズムソフィスティケートされた結果なのである。それは、端的に矛盾である

 カメラに向かって微笑みかける誰かの存在を、「性的搾取であるとし、それがゆくゆくは女性全体の利益を損なうと指摘する――。

 このような言説には致命的な混乱が含まれていると言って差し支えないだろう。近代フェミニズムによって獲得された、女性自身能力や魅力を自身権限によって行使する自由は、ここにおいて壁にぶち当たっている。


 能力を発揮することは搾取に繋がる。能力を発揮してはいけない。

 このような論理は、一般的な男女を納得させるに足る論理であろうか?

 勿論それは不可能であるフェミニズム矛盾にぶち当たっている。

 そして、その矛盾を解消し得る論理が未だに発見されていない現在――少なくとも、フェミニズム論理一般的な男女を――あるいは当事者であるフェミニスト自身らさえ――説得できる状況にない現在思想としてのフェミニズムは大きな困難に直面していると言わざるを得ない。


2:結論

 結局、フェミニズムが直面している矛盾を、フェミニスト自身らが解決できていない状況において、その混乱を抑えられていないのが現状と言えよう。

 その混乱のさなかでは、到底周囲の人々を納得させ得る行動など、示せるわけがないのである

 昨今のフェミニズム運動空虚さ、反感のみを招く徒労さはそこに根を置いている。これまでに獲得してきたものと、これから獲得しようとするものとの間に生じる矛盾――その矛盾解決することなくして、現代フェミニズムは正しい舵取りを行うことなどできない。

 結論としては以上となる。

2020-02-10

フェミニズム界隈を巡っての反論

 日本フェミニズムが抱えている問題複数あって、煎じ詰めれば「思想善悪如何はともかく、その行動が全く効果的ではない」という一事に尽きる。

 女性地位向上。大いに結構。その、地位向上のためにある種攻撃的な手段を用いること、これまた結構

 しかし、攻撃的な手段を用いている割には、その効果殆ど出ていないことに問題があるのである

 むしろ結果的にそのような手段が、フェミニズムに対する周囲から評価を下げてさえいるのが問題なのだ


 古来より女性男性による抑圧を受けてきた。この事実を頭から否定することはできない。

 例えば、近代イギリス小説家サマセット・モームは、作品『月と六ペンス』の中でこう書いている。「女性自分を殴る男性を好んでいる。むしろ自分を殴ることのできない男性のことを見下しているのだ」と。

 このような記述は、文脈的に言えば主人公チャールズストリックランドタヒチを訪れた際に語られているものである。ここからは、モームがどのような立場女性一般化しようとしていたのかが読み取られ得る。

 また、自然主義人間本質を虚飾なく描くことを目的とした主義思想作家大家である近代フランスエミール・ゾラが書いた『居酒屋』では、登場人物の男らが、まるで息をするように女性達を殴りつける描写が、散りばめられている。貧民層の現実標榜した彼の作品においてもまた、女性に対する暴力が大いにクローズアップされている。


 このように、国の内外を問わず女性に対する男性から暴力というもの散見される。流石に、このような状況は現代において相対的改善されているものの、未だどこかしらに不満を残す女性がいることに不思議はない。その女性らが、自らの権利を向上するための運動を行ったとして、何の不思議があろうかとも思う。


 問題は、それらの行動が評価を得にくいこと、あるいは、フェミニズム評価を落としていることである。それらの行動の多くが、効果がないどころか逆効果であるという点である

 具体的に、何故そのような問題が発生しているのか?

 以下に論点を纏めていく。


1:フェミニズム議論ソフィスティケートされすぎており、一般女性男性認識に馴染まない


 古代ギリシャ劇作家アリストファネスは、自身の著した喜劇『女の平和』にて、女性らのセックスストライキを描き出している。


 女性達が、「そんなに戦争が好きなら、私達を抱かなくとも大丈夫なんだね?」

 と、戦争反対のため断固セックス拒否する痛快さ。このような鮮やかさは、現代人にさえ快い衝撃をもたらすものである

 女性の最大の魅力は何か? それは性である、とアリストファネスは言う。

 このような言説は当時のギリシャ男性においてのみならず、近代フェミニストらにも見られる。

 女性が短いスカートを履くこと、自身の魅力を以て大いに社会地位を占めること――その権利回復せねばならないということ。それを目的として、20世紀フェミニストらが声を張り上げていたことは言うに及ぶまい。

 その運動社会において大きく効果を上げた。

 イランのごとき保守的国家においては、女性が人前に出る際には目元を除き身体ベールで覆う必要がある。そのような規則女性利益担保しているのか、損なっているのか、議論の難しい点には違いないが、現代においてはそのような保守的傾向の多くが拒否されている。女性らは、身体ベールで覆うことを一般的によしとしない。

 女性が獲得した権利はそこに見られる。つまり、性の発露である

 性はそれまで女性自由にはならなかった。構造主義先駆者とされるレヴィ・ストロースは、「女性男性らの所有物であり、婚姻という形で交換が行われた」という意味の主張を行っている。彼に対する当時のフェミニストらの批判推して知るべしだが、女性婚姻父権立場にある人間によって執り行われることは多く存在していた。そういう意味で、女性にとって婚姻も性も自由とは言い難かった時代存在していたのである

 自身の性を管理行使する権利が、婚姻不自由によって制限されていた時代があったことは、間違いない。この文脈に沿って言うならば、間違いなく女性権利現代において拡張されたのである

 ここまではフェミニズムにおいて一般的な議論範疇である

 とは言え、問題はこの延長線上にある。


 女性自身身体的魅力を大いに利用すること、それはアリストファネス喜劇に見られるように、女性自由を支えている。そこには、フェミニズムと密接に関係する女性権利の実現が確認できる。

 しかし、昨今、この身体的な魅力を大いに活用することは、「性的搾取」に繋がることが指摘されている。


1-2:性の解放性的搾取

 相対的な性の解放が、性的搾取に繋がること、これは表裏一体の問題と言える。


 当然、女性社会進出をする上で、女性自身の性を政治手段として用いることには、危うさが秘められている。

 そのような危うさをして、現代フェミニストらは「性的搾取」の大号令を行う。

 アイドル、性産業広告業芸術

 これらの分野における女性露出性的搾取危険を秘めている、と現代フェミニストらは声を揃える。そこには危険があり、権力の影がある、と。

 ここにおいて、深刻な二律背反が生じているのは明らかである

 女性スキームとして用いる性が、危機的な結果に繋がっている。ここでどうするべきなのか?

 残念ながら、この問題に明快な結論は出ていない。


 政治家の大多数が男性であるこの社会において、支配者と被支配者の対照は、男性女性という対照類推させる。

 男性狡猾である――多くの女性の思う以上に――男性狡猾である男性暴力行使することができる。端的に言って、男性の筋力は女性に勝り、悪しき意志が備わりさえすれば、女性尊厳根本からなうことを可能とする。恐らく、文明以前の原始時代においては、男性はこれらの暴力を非常に効果的に用いてきた。そこには、ある種暴力弁証法とも呼ぶべき歴史があった。例えば、あるコミュニティコミュニティが衝突する――。一方が敗北すれば、その敗者側のコミュニティに属していた女性は、勝者側に所有されることとなる。多くの場合、そこにおいて女性尊厳考慮されることはない。

 昆虫動物らに見られる、コミュニティコミュニティの争いや、イスラム国による女学校の襲撃を思い出して頂ければ、上記の言説の正しさは容易に担保されると思う。

 男性狡猾であり、暴力性を有史以来、あるいは以前において大いに活用してきた。

 勿論、現代においても男性による暴力が根絶されたわけではない――とはいえ、その状況は改善されている。暴力には法が対応する。無論、適切な対応が成されない場合存在するが、少なくとも有史以前に比べれば状況は好転している。

 その進歩の影には、恐らく全ての心ある女性と心ある男性の尽力があったことだろう(思うに、倫理を生み出すのは常に狂気じみた努力である)。

 人類は持てる限りの理性を用い、公私において倫理を整備してきた。

 我々は持てる限りの能力を用いてきた。そこに、女性の尽力が関わっているのは間違いあるまい。

 女性はその能力を大いに用いてきた。


 さて、端的に言って、性的魅力は女性能力である

 それは、女性が何かを望む際に、その実現を助ける能力になり得る。例えば、意中の人と結ばれる際にその能力は大いに役立つ。

 性的魅力は疑いなく女性能力である女性自身尊厳担保し、増進させるために、その能力は用いられ得る。


 しかし、その能力女性自身らの尊厳の為に活かすことと――それと、男性(や女性)によって、その能力が利用されること――とは二律背反となっている。

 近代において、女性の魅力や能力が、適切に用いられることをフェミニストは願ってきた。しかし、ここに来てその努力は一つの壁にぶち当たることとなる。

 例えば、大きな胸を強調したポスター女性の魅力が強調されてはいるが、不適切方法で強調されているのではないか――そういう議論が起っている。

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である、と人は言う。

 この命題は決して間違っていない。「女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である」。決して、この命題は間違っていない。

 とは言え、ここが言わばロドスである


1-3:ソフィスティケートされ過ぎた議論

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取となり得る。


 勿論それはそうだ。とは言え、そこには議論錯綜するポイントがある。

 まず第一に言えるのは、女性の魅力の発露=性的搾取といった、シンプルかつ誤謬を招く等式が発生し得ることだ。

 女性が何らかの能力を――この場合には性的魅力を――社会において発揮すること。その能力を発揮することにおいて、何らかの報酬を得ようとすること。それ自体は悪ではない。

 自分能力への対価として報酬を貰うことは、多くの場合善悪とは関係ない行為である

 例えば、女性の高く伸びやかな声、時に力強い声。歌手はそれを披露する。

 例えば、ダンサーは時に挑発的に、曲線的なライン身体を躍らせる。挑発的に、攻撃的に。

 絵画において、裸婦は笑う。裸婦は草原に寝そべり、微笑んでいる。

 これらは全て、(努力などによって獲得された)肉体的魅力を発揮する行為に他ならない。とは言え、それらの魅力や能力の発揮が、「搾取」に繋がると人は言うのである。つまり、その行為は翻って女性地位を貶め、最終的には女性全体に対する不利益を導くものだ、と叫ぶのである


 例えば、女性歌手楽曲を作り、歌う。彼女は、男性への恋心を叫ぶ歌謡曲を作り、歌う。その曲を批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。

「媚び」はこの場合、不自然女性立場貶める行為であり、最終的な女性不利益を招く行為を指している。端的に、それは搾取対象であると、誰かが指摘する。

 例えば、写真家女性写真を撮る。彼女は、頬杖を付きながら、気だるげに微笑む。その写真批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。その「誰か」は、最終的に女性不利益を招くと指摘する。

 例えば、

 例えば、例えば、例えば――


 女性が魅力を発露すること、それが搾取対象になり得るということ――それは必ずしも同じではない。しかし、そこには矛盾がある。女性尊厳担保し、増進するために、魅力が用いられること。そのような魅力が搾取対象とされてしまうこと――。

 女性能力を発揮すれば、それは女性全体の利益を貶め得ると誰かが叫ぶ。

 能力を発揮すれば、誰かがそれを利用し搾取すると、その誰かは叫ぶ。最終的には、女性全体の立場は貶められ不利益帰着すると、その誰かは指摘する。

 これが、フェミニズムソフィスティケートされた結果なのである。それは、端的に矛盾である

 カメラに向かって微笑みかける誰かの存在を、「性的搾取であるとし、それがゆくゆくは女性全体の利益を損なうと指摘する――。

 このような言説には致命的な混乱が含まれていると言って差し支えないだろう。近代フェミニズムによって獲得された、女性自身能力や魅力を自身権限によって行使する自由は、ここにおいて壁にぶち当たっている。


 能力を発揮することは搾取に繋がる。能力を発揮してはいけない。

 このような論理は、一般的な男女を納得させるに足る論理であろうか?

 勿論それは不可能であるフェミニズム矛盾にぶち当たっている。

 そして、その矛盾を解消し得る論理が未だに発見されていない現在――少なくとも、フェミニズム論理一般的な男女を――あるいは当事者であるフェミニスト自身らさえ――説得できる状況にない現在思想としてのフェミニズムは大きな困難に直面していると言わざるを得ない。


2:結論

 結局、フェミニズムが直面している矛盾を、フェミニスト自身らが解決できていない状況において、その混乱を抑えられていないのが現状と言えよう。

 その混乱のさなかでは、到底周囲の人々を納得させ得る行動など、示せるわけがないのである

 昨今のフェミニズム運動空虚さ、反感のみを招く徒労さはそこに根を置いている。これまでに獲得してきたものと、これから獲得しようとするものとの間に生じる矛盾――その矛盾解決することなくして、現代フェミニズムは正しい舵取りを行うことなどできない。結論としては以上となる。

2019-12-13

anond:20191212135134

女性間ではパートナー意中の人が他の女性の元へ行ったとき「取られた」という表現しないのか、ってなるとまあそんなことないよね多分。

いや、パートナーならともかく付き合ってもいない男が他の女と付き合ったのを「取られた」と表現する女普通はいないと思うし

いたらストーカー認定だと思う。

それが男の間だと普通感覚になってるのがおかしい。

女の「負の性欲」の概念聞いてしっくり来たことがある

彼氏居る女が付き合いもしないのに、彼氏が居るのを表に出さずに男と遊びに行き

男がちょっと好意を見せると離れていく行為

女は意中の人自分に振り向かないと格下の男を振って自尊心を維持しようとするらしいが、

あれのソフトバージョンだと思う。

彼氏が居ると男が自分求愛したり、振ったりする機会が減り自尊心が消えていくので

彼氏と付き合いつつも、格下の男と付き合ってそこから去り、彼氏自分価値再確認すると

2019-11-30

失敗を恐れていては何もできない?

失敗を恐れることとなにか行動することは対立する概念じゃなく失敗を恐れながら何かをするというのは

車の運転であれ意中の人口説くことであれ日常的に行われていることなのになぜこんな言葉名言みたいに扱われているのか謎だ。

2019-05-08

anond:20190508023001

こういう中で個性を出して女性陣を出し抜いて意中の人と二人きりの世界を作れる子がモテるんだもんな。

ここで「出し抜く」っていうトゲトゲした言葉を使う意味がわからない。

元増田が他の女の油断につけこんだり、相手をだましたりしてモテたように見えてるのか…

https://anond.hatelabo.jp/20190507121709

私の経験上愛想がなくてコミュ障でも社交的な人と結婚した増田さんは間違いなく美人。ブスで愛想なかったり気が使えなかったらそもそも土俵に上がれないから…

そういう取っつきにくいけど美人増田さんを落としたっていう手腕を友達に自慢したかったんでしょ。写真だけで十分なんだけどね。さらに人見知りな嫁が頑張って俺の友達と仲良くしてる姿を見たかったけど見れなかったか逆ギレしちゃった感じかな。

コミュ障からさないし手伝わないのかもしれないけど、ブスのひねくれ目線だと"私にはブスかおばさんが話題振って当然だしもちろん手伝いなんかしない"って見下してる風に感じちゃうんだなあこれが。

つーかそういう感じ悪い美人って今までいっぱいいて嫌な思いしてきたから重ねちゃったわ。ごめんな。

私は人見知りのブスだけど、職場花見とかまぐれで付き合った人の関係とかでそういう場たくさん経験して愛想のいいブスにはなれたと思う

もし本当に変わりたくて、今後もそういう場に行かなきゃいけないなら、私がつけたスキルを少しでも参考にしてくれ。

-----

1.

女性陣の中で一番力がありそうな(明らかに仕切ってたり、仕切ってる男性の嫁)人に"わたしこういう場初めて緊張してるんですけど…◯◯さんが話しやすくて…"と話しかける。手が空いたらその人に何したらいいか聞く。いやらしくない程度に褒める。

2.

率先して片付けたり準備したりする(下手でも不器用でも要領悪くても全然OK一生懸命やるのがよい)(むしろ不器用を装って一生懸命やってれば話さなくていいので楽)

3.

子供がいたら全力で遊ぶ(時間が潰れるのでおすすめ)

4.

子供がいない場合は、自分関係ない話でも女性陣の輪の中に居てうなづきマシーンと化する

(ここでつまんないからと女性陣に見切りをつけて、男性陣の中に行ったり旦那にピッタリくっついてるとめちゃくちゃ女性陣に嫌われるので注意)(女性陣に嫌われるといくら男性陣のなかで好感度が高くてもグループには溶け込めないので注意)

5.

女性陣の旦那さん(または彼氏)について褒める

6.

帰り際、1のボス旦那奥さんがいて助かりましたとお礼を言う(必要以上に媚びた感じでは言わない)(伝聞の承認は面と向かってされるより何倍も嬉しいものです)

7.

旦那に凄くいい人と友達だね、わたし人見知りだけど今日は楽しかったな〜不思議〜と言う

-----

職場とか親戚とかでもふつうに使えるテクなのでおためしあれ。身もふたもないこと言うけど多分モテとは真逆の行動をすればグループに馴染めるよ。こういう中で個性を出して女性陣を出し抜いて意中の人と二人きりの世界を作れる子がモテるんだもんな。はーあ(独身です)

2019-04-23

anond:20190423004817

wuzuki 残念だったね。こうして男友達トラブルになるほうが怖いから、ナンパ避けに意中の人以外を誘おうとは思わないな。都合よく利用したくないし。/ 口説いても脈なさそうなら、相手から誘われても断るのが正解かな。

そういう必要あるなら「あんたのことをそういう風にはおもってないけどナンパ避けに一緒に来てくれ」って言うたらええんちゃう

元増田のケースはそこを曖昧にしたまま利用してて、(元増田からどっかいくの誘われてもいかんぐらいには元増田に興味も友情もない)それは男女というより人間としてあかんやん

なんでこの件で女やフェミさんが元増田女友達を庇うのかわからん

いやこのwuzukiさんにはなんももんくないけどね

2019-02-17

脈ナシの関係を脈アリに変えるにはどうすればいいのだろう?

拙者、恋愛経験無し侍。

拙者、告白されしことそれなりにあれど、全く以て彼彼女等の心情分からず終いに候。然しながら件の人に出会い世界観ガラリと変わり申し候。今迄見てきた世界灰色であったのかと疑うくらいにはマジで変わり申し候。故に意中の人アプローチかけまくりに候。結果、LINEをゲットしに候。やったぜ。

それからと言うもの、拙者、想い人とLINEトークを重ねしに候。その期間、実に1年程。その日々はそれはもう幸福幸福で身悶えするものではあるものの、一つ心に引っかかることあり。それが本題であるのだが、拙者の想い人、こちらに興味はある気配あれど、所謂そういう関係としては見ていないばかりか、そういう関係にならぬように線引きすらしている様子。拙者、マジでショックなり。そう言えば、前々から、かようなエントリーあり。

告白したらふられたので「その女の子のことを想って過去に作った短歌から選び抜かれた158首」を紙に印刷して本人に渡したら1首ずつ感想をくれた話 - 鯖寿司が食べたい

http://con2469.hatenablog.com/entry/2019/01/30/000454

これを見て、拙者、この男子に強いシンパシー感じ申し候。お前は俺か。拙者の好いている人の受け答え、態度、眼差し、全てがこれにそっくりに候。

要は脈ナシに候。それは拙者が1番よく分かっているに候。拙者と話している時の想い人、目がめっちゃ据わっているに候。でも想い人、優しくて、拙者の話に笑ってくれる。その顔を見ると諦めきれぬ。

そこで、ブクマカの諸兄に、是非ともアドバイス賜りたく申し候。脈ナシを脈アリに変えるにはどうすればいいのか。拙者の一生の願いに候。

2018-12-14

anond:20181214201605

あなたそいつにとって意中の人なんじゃないのかな?

健康心配してくれてるんだよ。

赤の他人がしてきたら、まったくの迷惑行為だけど

人を好きになっても無駄なんじゃないか

笑顔でかわされたり、無視されたり、それとなく避けられたり

自分存在価値がないのはよーくわかった

もつまらないし、仕事もできないから一緒にいるメリットないもんな

容姿平凡なやつは、なにかメリットないと女の子相手されないんだな

おもしろいじられキャラになって、女の子と楽しくお話たかったが、どうやらぼくはそういう枠でもないらしい

これは学生時代からずっとそうだ、非イケメン女の子と楽しく話してるやつはどうやってるんだろう

今思うと、優しさで相手をしてくれた元カノ結婚したし、いま意中の人は、そもそもまり相手にしてくれないし

このままじわじわと30になって、社会的に浮いた存在が確定するんだろうな

良いときは続かない、みんな何をそんなに楽しそうに生きているのか

僕の何が悪いのかわからないし、わかっても改善できそうにない

若い時に、もっと楽しい思い出がほしかった

スカスカの味気ない青春教室の隅、そこに寄ってきて僕と話してくれたあの子は、もう他の人のもの

あの時どうすればよかったか今でもわからないけど、あの子は悪くない

こういうグジグジうじうじがダメなんだろう、無感情で過ごしたい

さあ、週末、独り身の部屋で500ml缶がすべてを洗い流してくれるだろうか

2018-12-12

anond:20181122184048

久しぶりー。寒いね冬だ。

パフェよかったね。俺も感化されて抹茶パフェ食べたわ。

次のお約束も取り付けたようでなによりです。

意中の人自分のことをちょっと冷たいって言ってたんだけど、冷たい人ってどんな人だろう。

冷たいとは違うかもだけど、優しい人と他人に興味ない人は似てるって話を最近見たけど、そんなような感覚かなーって思った。大人になるってそういう要素もあるなーとか、自分を守るためにそうするもあるかもなーと思った。

波風立てたくないから黙って耐えてるっていうのは自分大事にしてないんだね。

これもちょっと違うかもだけど、自分我慢すればいい、耐えればいい、という解決方法は選ぶのは簡単なので独り身のときはそれでどうにかなっちゃうんだけど、パートナー家族ができて自分範囲大事な人が含まれるようになるとその人たちにも我慢を強いることになってしまうので、自分はなんかそれは選びたくなくて、少しずつ他の方法もできるようにしといたほうがいいだろうなーとか思う。

エウレカ観なおす。

2018-10-20

anond:20181019220853

難しいのはわかる。そんなに麗しいなら、その子と付き合えることを第一に最善をつくしたらよいのでは?と思うけど、今いまアプローチしてても手応えがないなら自分を磨きつつ、時間的接触を増やしてそれを相手にとっての安心感とか心地よさにつなげるのだよ。いま彼女にとって彼氏なり別の意中の人がいたとして、それがダメになったタイミングで一番近くにいてホッとする相手になっていればチャンスはあるだろう。いま彼女彼氏なり別の意中の人がいたとして、今増田感情リブンでアタックしてもフラれるだけだろう。

本当に彼女をモノにしたいなら、どっちの戦略を取るのか、俺には自明に見えるのだけど違う?目的をハッキリ決めよう。オナニー失恋がしたいだけなの?違うんだろ?

2018-10-09

anond:20181009120944

萌えとは何か

http://blog.c71.jp/?p=3089


最悪だな

自分観測した、おそらく統合失調ADHDなどの精神疾患が原因と思われるオタク奇行批判

ドルオタコントなんかもそうだけど、表層を背景考えずに叩いていいなら、いろんな差別肯定されちゃうんだぜ

吐き気を催す邪悪

キズナアイ批判する人々に対して「じゃあ、胸の大きい、ノースリーブ女性は、性的ダメなのか。フェミニストおかしい」という人もいました。

なので、今回は、ノースリーブを題材にして、書いていきます

ノースリーブが必ず規制しなくてはならないという意味ではないので、そこはご了承ください。

というと、「フェミニストキズナアイノースリーブエロいと言っている。だからフェミニスト女性差別をしている」、と主張する人もいそうですよね。

でも、フェミニストの多くは、「キズナアイは、女性差別的な構造を強化する、抑圧する」という文脈批判しているはずです。

何言ってるかわかんない。

ノースリーブは良いの?悪いの?

締めがこれ

これ本質的には「フェミオタクちんこに鍵かけようとしてる」という恐怖(半分誤解含む)に対する防衛機制だよね。射精権を巡る戦い。

それ、あなた感想偏見ですよね。


偏見の垂れ流しで良いならさ、これはあれだろ

いつものやつだよ

女性がその主体性ノースリーブ着るのはOK

仮に目的が狙った意中の人を落とすためのものでもOK

そう、女性主体性があればね

でもでも、それ以外の男が性的に見るとかNGに決まってる

お前のために着てないことわかるだろ常識的に考えて

当然、女の子を描いてノースリーブ着せるとか性的搾取NG

だって男性性的まなざしがあるもの

描いたのが女性だとしてもね

男性は、女性性的アピールを敏感に感じとって対応しなくちゃダメだよ

でもそれを女性に喋らせるなんて最悪

もちろん、同意言葉なんて口にしないけれど、紳士なら空気読むのなんか簡単でしょ

時には襲うように上手くリードしてね

だけど、女性同意を示さないのは強姦から

同意を迫るのもセクハラから



ってやつだろ

2018-07-21

anond:20180721222118

いや、同じやつをいつまでもいかけ続けるって意味じゃなく、ダメだったら次に切り替えて追えって意味よ。

一度逃げられてるなら、意中の人を狙い続けるのはおすすめしない。

anond:20180721213115

そう考えれば追う・追われるは考えずに意中の人を狙い続けられるのかな。

2018-05-27

発達障害だけど、普通に恋愛したい

話し手能力が過度に求められる→欧米

聴き手の能力が過度に求められる→日本

最近聞いて、発達障害ADD)の私は壊滅的に日本不適合であると思う日々

意中の人が出来ても、大抵はそういう日本人らしい性格なわけで、往々にしてニュアンスで話された時に対応出来ず、興味の強弱も激しいので徐々に会話が成立しなくなり、相手の顔色が段々と曇っていく

せめて自分笑顔を保とうと思ってもその顔色の変化にショックを受けて強張ってしま

話すことが決まってる自己紹介までは上手く行くんだよ、むしろ人に感心されるくらい出だしは良いんだ...

から余計に期待してしま

自分なんかでも普通に生きられるんじゃないかって淡い期待を抱いてしま

20代前半までは付き合うまでも行ったけど後半からはもうダメ

30になってもこの調子なので流石にもうちょっとアレ

薬はコンサータ18ミリ飲んでる

仕事大分マシになったけど、雑談

量増やしても多分変わらん

日中エネルギー使い果たして部屋帰っても何も手につかず家事もおろそかになり悪循環

とにかく人に迷惑かけたくないし人を楽しませたい、普通範囲でそうしたいだけなんだ

もうダメなのかな...どうすればいいんだ...

2018-04-26

anond:20180426105332

えっ普通におじさんに好かれるってことは「恥」でしょ…。

意中の人以外から好かれたら、男の人は「いい思い出」になりがちだけど女の人は「キモイ思い出」にしかならんよ。

本能的に「襲われる危険がぬぐいされない」だもの

2018-01-02

anond:20180102034119

そうなんですか。人の心を読めるは私の父に対してですからあなたの心は読めないです。

わりといい線まで察することが出来ますが、あなたは予想をはるかに超えているので。

意中の人がいないなら、将来の誰かのために練習たかったんですか。趣味が悪いです。

私も人間なので、耐えられないこともありまして。

2017-08-08

女子高生くらいの集団の会話

体育会系っぽい子がもう一人の大人しそうな子に「本気で好きなら押し倒す!唇奪う!そこまで行けば男は絶対抵抗しないから!」と檄を飛ばしてて、大人しい子が段々と感化されていって、「うん…うん、分かった、頑張る!」と言って先に帰っていったんだけど、その後の女子高生達の会話で大人しい子の意中の人が七歳年上の実の兄とかいう衝撃の事実が発覚して、ちょっと世の中一体どうなってるんだと頭がクラクラしながら帰宅

2017-07-29

女友だちと実質お別れした

もやもやしているから、文字にして整理しよう。

出会ったのはもう7年前か。転職先で知り合い、同い年ということもあって仲良くなった。

最初会社内での付き合いだったが、プライベートでも会うようになった。

映画、展示会、買い物、散歩食事、ありきたりだけど、普通からこそ楽しかった。

それでも俺たちは、男女の関係になることはなかった。

お互い転職して職場別になり、30歳を超えたあたりから、2人で会うことに疑問を持つようになった。

他に意中の人はいなかったし、彼女といると楽しいのだが、恋人としては見れなかった。

しか彼女好意を抱いてくれていたらしい。

応えられない旨を伝えてからは、連絡も会う頻度も減った。


それでも月1程度で食事したり展示会に行ったりしていた。

お互い最近婚活をしている旨も報告しあって、暗黙の了解として改めて友だち関係になれたと思った。

こんな感じで、これからも付き合いが続けばいいな、と。

しかし、付き合いはさらに減っていった。

毎週のように来ていた遊びの誘いや、日々のLINEメッセージがなくなったのは、

彼女恋人ができたためか、こちらの婚活を気遣っているのか、恋人になれない男と2人で会うつもりはないということなのか。

いろいろ思うと、自分からは誘いづらくなった。

俺は彼女と都合よく付き合っていただけなのかも知れない。

恋人になるつもりはないのに2人で会ったりしてその気にさせて、彼女気持ちには応えないなんて。

でも、俺たちは最初から友だち関係で留まることはできなかったのかな。

1か0、恋人になるか否か、どちらかの道しかなかったのかな。

同性だったらいつまでも友だちでいられて、

お互い恋人ができても、時々2人で会って食事したり映画みたり、LINEで下らないやりとりを続けられたのかな。

「男女の間に友情は成立するか」なんて議論尽くされた命題自分に降りかかるなんて、思ってなかった。

時々、本当に時々でいい。また一緒に遊んでほしい。友だちとして。

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