はてなキーワード: 屠殺とは
https://anond.hatelabo.jp/20190604005659
とても分かる。
選択肢を奪うなと言われても選択肢を奪っているのは貴方達なのだ。
飲む打つ買う吸うの昭和のオッサンでも個人居酒屋の常連感とは離れて、同類の空気で一人ゆっくりとばくだん焼きを摘みながら安いビールやチューハイ片手に新聞やらダラダラ、誰にも邪魔されず、自由でなんというか救われて、独りで静かで豊かで・・・そんな感じで過ごしたい日もあるのさ。
そんな店が全部消毒されて無くなっているんだ。
喫煙者に厳しい世の中、パリピやファミリーのリア充の騒がしさから離れられるオッサンの楽園を残しておいてくれませんかねぇ。
ヴィーガンの屠殺デモには反対するはてブ諸賢ならオッサンの自由にも理解してくれるだろう?わざわざオッサンゾーンにきて譲れと言わないでくれよ。
※個人の見解です。善悪を述べていますが、そもそも善人も悪人も人類全てに生きる権利も幸せになる権利も不幸になる権利もあると考えています。ただし俺に被害を与えるものには厳正に対処・抗議します。
# | ラベル | 分かる度(5点満点) | 説明 |
---|---|---|---|
1 | 動物愛護 | 4 | 屠殺が残酷だという理由から動物食を辞める人々。「殺すために育てる」ことに思いがあるのは理解できる。俺はそれでも食いたいから食うが、実際の屠殺場を見たらもしかして思うところがあるかもしれない。 |
2 | 動物愛護(強) | 2 | 屠殺が残酷だという理由から動物食する人を罪人として咎める人々。確かに【屠殺を無くす】のならば人類がせーので肉食を辞める必要がある。しかし生命を食べるのはこの世の定めで、多くの人間の体には動物食が必要であるため、なくすのは自然ではない。「食品ロスの縮退」もしくは「狩猟生活への回帰(ただし非現実的)」を訴えるべきであると考える。 |
3 | 健康理論 | 3 | 動物を食べない方が健康だからと動物食を辞める人々。押し付けないだけいいが、実際には健康を害する人間の方が多い(しかし誘惑と戦うので頑固になり止まらない)。家族友人からすれば当人には健康でいてほしいのでできればやめていただきたいが、人間には個人で死ぬ自由も与えられるべきだと考えるため、難しいところ。 |
4 | 健康理論(強) | 0 | 動物を食べない方が健康だからとインフルエンスし動物食する人を罪人とする人々。ハッキリいって金の亡者。ファッションヴィーガン。最も憎むべき悪。人殺し。 |
# | ラベル | 分かる度(5点満点) | 説明 |
---|---|---|---|
5 | 命の不平等 | 1 | #1,2への反論に「植物は食べてもいいのか」という人々。「牛食と菜食」転じて、例えば「猫を殺すのと花を詰むの」を同等に考えるのはハッキリ言っておかしいと俺は考える。どちらにも本当に同程度悲しみを感じるのであれば、氏の感性には何も言えない。そうでなく反論するための詭弁としているだけなら、ただ人を叩きたいだけの愚か者、議論の邪魔、人類の足を引っ張る者。 |
6 | 嘘やめろ | 5 | #4に対して、人が苦しむ嘘により金を得ようとしている連中に対する言及をする人々。人格攻撃にまで行くのは悪へ足を突っ込むことになるが、問題点のみ毅然と指摘することは必要な活動だと考える。(俺はめんどいからしないけど) |
ヴィーガン側には「動物を苦しめるな」みたいな思いの人もいるんだろうけど、
「お前ら肉食うな」ってやつも少なからずいるんじゃない?(そういうのはエセヴィーガン、ベジタリアンか?)
「動物を苦しめるな」が伝わってないから「肉を食うぞ!」になってるんであって、「肉を食うぞ」の参加者に「屠殺動物はもっと苦しんで死ね!」って思ってる人は一人も居ないと思う。
それはまあ、屠殺場を即刻閉鎖するのは無理だよね。働いてる人もいるし。
(代用肉が安くなれば自然とそうなるという楽観視がないわけではない)
それもある程度同意できる。
人間は野生から始まって、炭水化物に依存した状態など、様々な栄養上の問題を克服してきたし、産業としての食肉文化から脱却することは可能なはずだ。
これは端的に事実だけど、同時にこれを理由として食肉文化に倫理的な利点を見いだすのは、マッチポンプであろうとも思う。
人間は家畜化した動物たちに明確な責任がある。彼らを野生状態に返すべきではないだろう。
一番の問題は、「食べるために殺す」ことよりも、「殺すために産まれさせる」ことだと俺は思ってる。
あと飼ってる猫とか犬に肉をあげないのはやめたほうがいいと思う。
それはそう。ジビエとか狩猟を俺は否定しない。交通事故で死んだシカとか、むしろ食ってやったほうがいいと思う。動物愛護系のヴィーガンには狩猟をやめろっていう人もいるからややこしくなるけど。
あと、野生の大型動物による生態系の破壊は、そもそも人間がその土地のバランスを崩したために起きてる場合が多いはず。
ヴィーガンは人間の幸福を減ずることを推進しようとしている。すなわち、人間の幸福を軽視している。なぜそうなのか? 貴方がたがありのままの人間を愛せないからだと思う。
他の種を搾取することによる一時的な幸福は正しくないし、必ず代わりが見つかると思ってる。
それはわからないし、ありのままの人間でいたいのもわかるが、そうするには人類は進歩しすぎてると思う。
ペット虐待反対運動なら、俺も賛成するよ? フェイクファー推進や象牙禁輸もまあゆるすわ。しかし社会的な肉食の禁止とは!自分と自分以外の他者の人生を嫌悪してないとその発想は出ないんじゃないか。
その間にあるのって「自分に利益があるかどうか」だけじゃない?
他の人のことはわからないけど、俺はハンコ作るために殺されるゾウは減ってほしいし、死ぬために生まれるオスひよことかにも減ってほしいよ。家畜たちにも幸せになってほしいんだよ。
>>無理である。
>努力はすべき。
よろしいでしょう。そこは同意できる。
強いて言えば、可能であるかどうかの線引きはしてくれないと困る。例えば「屠殺場の閉鎖」などという主張はダメだ。今はまだ代用肉の開発までにとどめてくれ。
>>失われるものが大きい。
>それが何かわからない。
まず人類の健康である。大豆とサプリ食ってればタンパク質は足りる、などという主張は「毎日20キロ走れば毎食マクドナルドでも太らない」に近い欺瞞だ。筋肉は健康の資本であり、ヴィーガン食は筋肉を減少する。すなわち健康を害する。
あと文化である。言うまでもなく料理は文化の重要な地位を占める。子牛が使えないフランス料理、寿司が食えない日本料理に何の意味が?また、代用食がそれらを担えるというのは楽観的すぎる。ハンバーグやサラミや溶けたチーズの代用食なら、まあ100年もすればできようが、しかし刺身は無理だ。分子アセンブラが必要なレベルだ。
そして上記二つによって重要なものが毀損される。人類の幸福である。
>>苦痛が消えない。
>そうだが、やる価値がある。
一定の同意が得られたが、ここでも程度問題で認識の違いがあるように思われる。「恐れ」ではなく、殺さないことで明確に新たな苦痛は生まれる。
例えば、蚕という虫は、いまや人間に家畜化された状況でないと生きていけない生物であるとして有名だ。実は多くの家畜というのはその水準に達している。牛、豚、鶏卵らは、野良に放されればたちまち絶滅する。
あと、兎、鹿、猪、熊、象、鯨などの生き物は、むしろヒトが狩らなければ生態系を破壊することがよく知られる。
>違うし
違うともちろん貴方がたがは言うであろう。
これは僕の持論だ。先に述べたように、ヴィーガンは人間の幸福を減ずることを推進しようとしている。すなわち、人間の幸福を軽視している。なぜそうなのか? 貴方がたがありのままの人間を愛せないからだと思う。
特に、今回やようなデモで極端な主張に走る人たちはそうであるはずだ。ペット虐待反対運動なら、俺も賛成するよ? フェイクファー推進や象牙禁輸もまあゆるすわ。しかし社会的な肉食の禁止とは! 自分と自分以外の他者の人生を嫌悪してないとその発想は出ないんじゃないか。
屠殺はかわいそうだと思うし、畜産はコスパ悪いし環境破壊されるし。あとホリエモンみたいな頭の悪い肉食主義者を見てると、ヴィーガンのほうが理性的に思える。
正直言ってヴィーガンになりたいと思っている。
だけどヴィーガンを始めるにあたってモヤモヤする点があるのでなかなか始められない。
わたしが気になる点は以下。
・自分がヴィーガンになってもペットフードのために家畜が殺されると意味がないのではないか。
・人間がペットにヴィーガンフードを強制することはペットの権利を無視した虐待行為になりうるのではないか。
ヴィーガンの人たちは動物好きが多いのでペットを飼っている人がたくさんいると思うけど、ペットの餌についてはどう考えているのだろうか。いまいち議論されてないようだし分からない。
海外ではヴィーガンペットフードがあり、栄養面は問題ないらしい。けどそれってペットの権利はどうなるんだろう。
安心してちょうだい元増田ちゃん。あなたは死ななくていいわ。誤解なのよ。
あなたがどういう道筋でその“正しいヴィーガン”にたどり着いたのかはわからないけれど、私の知る範囲で(倫理的)ヴィーガンの主張のなかにその結論を肯定するものは無いわ。早まらないで。
功利主義に基づく倫理的ヴィーガンの観点から、あなたの誤解についてお答えするわ。
功利主義的には「苦痛の総量を減らす、または苦痛と快楽の収支がプラス(快楽が苦痛を上回る)になる」のが倫理的に良いことなのね。最大多数の最大幸福。
細かく言えば「苦痛と快楽」とは別の指標を用いた功利主義もあるけれど、動物倫理の場合はもっぱらこれ。
したがって、畜産において“飼育、屠殺による動物の苦痛”が、人類の得る利益(快楽または苦痛の低減)を上回る場合、“畜肉を食すべきではない”と判断できるわ。
逆に、動物の苦痛が人類の利益に比して十分に小さい場合、それは倫理的に許容されうるわ。
同上
ただし、たまごや乳製品はそれ自身が苦痛を感じる能力を持たないため、畜肉と比べると倫理的ハードルは低いわ。
例えばジャイナ教は非暴力が重要な教義の一つなので必然的に菜食主義だけれど、苦痛を与えずに絞った乳は飲むわ(ラクト・ベジタリアン)。
同上
衣料品の場合、動物を苦しめずに済む代替品が豊富にあるならば、あえて動物性の衣服を着るのは倫理的に肯定しがたいわね。
医薬品の場合、主に動物実験に関する問題ね。この領域は動物倫理的にかなりホットよ。
功利主義的な動物倫理においては、動物実験は必ずしも否定されないのよね。まあ論者にもよるけど。
動物実験における動物の苦痛と、完成した医薬品による人間の苦痛の低減。これの比較で後者が十分に大きければ正当化され得るってわけ。
もたらされる苦痛や死が“意思に反して”いるかどうかは、功利主義的には必ずしも重要ではないわ。
“意思に反”することで、苦痛がより増えるのであれば考慮に値するといった程度かしら。
例えば、糧を得る唯一の方法が狩猟であり、それをしなければ(人が)死んでしまう場合、狩猟による動物の殺害は倫理的に正当化され得るわ。
植物は(少なくとも痛みが神経系によって発生するという生物学的知見を踏まえれば)苦痛を感じないため、功利主義的には道徳的考慮の対象ではないのよ。
ちなみに、倫理的な考慮の対象となる立場を「道徳的地位(Moral standing)」と言うわ。
「何が道徳的地位を持つのか」というテーマは分野や論者によって異なっているわ。功利主義の場合、「苦痛を感じる能力を持つ」ことが道徳的地位を持つ条件ね。
厳密に言えば動物でも苦痛を感じない、例えば海綿動物(きわめて原始的な動物群。神経を持たない)、も功利主義的には道徳的地位を持たないと言えるのね。
また、道徳的地位は持つ/持たないの2択ではなく、強弱も存在しているわ。功利主義なら苦痛を感じる能力の程度ね。
例えばエビ1匹を殺すより、ヒト1人を殺した方が倫理的に悪いと判断できるわけ。
これは個々の人間にも適用でき、健常な成人を殺すより新生児や重度の知的障碍者を殺す方が倫理的に悪くない(もちろん両方悪いが、比較すればそうなる)。
功利主義者がリベラリスト(の一部)、特に障碍者支援者などから嫌われるのことが多いはこれが理由ね。
同上
命を奪うかどうかにこだわってるようだけれど、功利主義的に重要なのは苦痛よ。死は苦痛の一形態たり得る資格を持つというだけ。
自然破壊につながる水道水やミネラルウォーターを飲むべきではない わかる
んー?ここら辺は倫理的ヴィーガンよりも環境主義的ヴィーガンの主張に似てるかしら。
でも環境主義的ヴィーガンの場合、畜産や養殖(の一部)による環境負荷を語ることが多いから、ヴィーガンの主張としてはあまり見ないわねこれ。
水資源の利用による環境破壊はあるにせよ、この書き方だと曖昧過ぎるのよねえ。元増田ちゃんもうちょっと具体的にお願い。
なお、功利主義的に答えるなら、その営為で発生する苦痛が人間の快楽(または苦痛の低減)を上回らない限りOKってことになるわ。
地球温暖化に寄与している二酸化炭素は化石燃料などの地下資源由来で、地上で吸って吐いてした分はほぼ無関係よ。
陸上の炭素循環は(長期的に見れば)収支が釣り合っていたのだけれど、地下に封印されていた(炭素循環の外側にいた)分の炭素が放出されたことで、プラスに傾いちゃったわけ。
家計で言うなら年収200万円(手取り)で年間支出が200万のご家庭に、月々1万円の副収入が加わって年12万円の余裕ができましたって話よ。呼吸は年収に含まれ、支出は炭素固定(主として光合成による)で、化石燃料が副収入。
ちなみに、畜産による温室効果ガス放出(主としてメタン)への寄与はけっこうな割合(確かCO2換算で全体の約14~18%くらい)。あなたが牛ならゲップをやめるのは倫理的かもしれない。
全部わかる
あら?もしかして徳倫理学の方だった?功利主義は結果主義の一分野なので“気持ち”なんてほとんど関係ないもの。
徳倫理主義は、雑に言うと「動機が善ならば善」というもので、良かれと思ってやれば善であるっていう素朴な倫理なのよね。
最近は見直しが進んでるって話だけど、あまり勉強してないから詳しくないのよ。この分野。
呼吸し、水を飲み、命ある動植物を自然から奪い、貪る者は悪魔だ
みんな死のう
死なない者は悪魔だ
功利主義からはまず導かれない結論なので、やっぱり徳倫理主義なのかしら。
でも、良かれと思って“呼吸し、水を飲み、命ある動植物を自然から奪い、貪る”なら、徳倫理主義的には善なのよね。
ここまでは功利主義の観点から答えてきたけれど、やっぱり本人の倫理的観点も考慮しなきゃ片手落ちよね。
でも困った。元増田ちゃんがどんな倫理的基盤でヴィーガンになったのか、わからないわ。
最初の方の考えは倫理的ヴィーガンに対するよくある誤解またはジャイナ教当たりの非暴力主義とPlant thoを混ぜこぜにした感じ。中盤は環境主義っぽいけど問題視する部分がズレてるし不明瞭、後半はさっきも言ったけど徳倫理学っぽいけどなんか違う。
うーん、ネットからいろんな主張(誤解や曲解を含む)を集めてきてパッチワークした感じなのかしら。
ヴィーガンへのバッシング目的で書かれたなら「藁人形乙」で済むけれど、真剣に悩んでいるなら誠意ある回答が必要よねえ。
けっきょく“正しいヴィーガン”が何なのかはわからなかったけど、変な結論から脱却するための私的おすすめ方法を3つほど挙げてみたわ。
良ければ死ぬ前に試してみてちょうだい。チャオ!
辛いならヴィーガンなんてやめちゃっていいと思うの。割に合わないわ。もし心苦しいなら減肉食主義(Reducetarian)くらいから始めてみたら?
私も環境主義的観点(スパイスとして功利主義も一振り)からSemi-vegetarianやってるけど、あまり縛り無いから楽よ?
ヴィーガンからは偽善だなんだ言われるかもしれないけど、まあいいじゃない。自分が納得すればいいのよ。
(2) 勉強する
ヴィーガンやるなとは言わないけれど、何かしらの倫理的または論理的支柱がないと厳しいと思うの。
元増田ちゃんの考えを見るに、あまり一貫した基盤を持っていなさそうだし、環境問題についても詳しくなさそう。体系立てて学ばないと混乱して変な結論にたどり着いちゃうものよ。
いろんな視点、論者ごとに調べてみて、自分に合う立場のものを探してみるといいわ。まずは模倣からよ。
おすすめはピーター・シンガー。「すごいなあ。ぼくにはとてもできない」ってなるわ。
(3) 食生活的ヴィーガン(Dietary vegan)になっちゃう
食事だけヴィーガン。健康目的が多い。一番気楽なタイプのヴィーガン。動物倫理とかうっちゃってる(またはつまみ食い)。毛皮のコートも着ちゃうかも。時たまニセ科学に両足突っ込んでるから注意。
やめたいときにやめられるし、始めたいときに始められる。亜種として一時的ヴィーガン(Part-time vegan)なんかもあるわ。
「ちょっと一週間くらいヴィーガンになるかー」とかできちゃう。「それヴィーガンなの?」という気持ちに蓋ができるならおすすめ。
なるほどねー。
議論すべき内容か否かは兎も角として論点は整理されてたのでわかった。
とはいえ、ここは増田なので致し方ないとしても、元増田はこの記事で自分のスタンスを明らかにしてないよね。
この記事の書きようからするとヴィーガンではないのではないかと思ったんだけど、勘違いかな。
それは兎も角、まず一つ目の論点の苦痛を感じるかどうかということだけど、本当にそれが論点であるなら、屠殺の手法にフォーカスが向くはずであって、現在の運動の方向とは必ずしも同一ではないよね。
そもそも先進国の屠殺場では屠殺される動物に苦痛を与える屠殺方法は用いることができないことになってる。
大脳を持ち自由神経終末のある脊椎動物に限られるのであれば、大脳が苦痛を知覚しないブロックされた状態であれば、当該動物は苦痛を感じていないと結論することができるわけで、既存の屠殺手法を攻撃することはできない筈だよね。
また、家畜におけるアニマルウェルフェアをどう評価するかについては議論がわかれるところだけど、飼育方法は兎も角として産ませ育てることすら否定するのだろうか。
生老病死の四苦を知る仏教的観念なのだろうかね。そんなわけないだろうけど。
植物がどうのっていうのを「稚拙」と論じるのは勝手だけど、日本的な宗教史観に基づいて考えた場合に、逆に植物が苦痛を感じないのだろうかと考えることは自然なことだとは思うのだが。
振り返って、人は植物・動物問わず、生命を食べずに生きることができない(無機物のみで生存することができない)ことに気付けば、命に対して線引きをすることの愚かさに気付けそうなものだが。
だからこそ、感謝をもって食す、食物を大切にするという風に考えを昇華できないところに思考の限界が見える気がするが、これは宗教的なバックボーンの問題なのかもしれず一概に否定することもできない。
飼育、屠殺は動物を苦しめるから畜肉を食すべきではない わかる
同様の理由で動物を利用する衣料品や医薬品を使用するべきではない わかる
===================================
意思に反して命を奪ってはいけないので狩猟された肉や魚も食すべきではない わからない
ここに一つの壁がある
狩猟された肉や魚を食べないのはその動物が絶滅する恐れがあるからであって、
肉食動物と同じように狩猟して肉を食うことに倫理的な問題はない
狭いところに閉じ込めて移動の自由を与えず、生まれたばかりの親子を引き離し、食べたくもない餌を大量に詰め込まれ、
生殖の自由を謳歌する前に殺されることがシステム化されているからだ
そしてなぜ植物食が許容されるかというと、植物の命を奪うかどうかではなく、
作物を育てて食べることが彼らの苦痛につながらないと判断できるからだ
もちろん植物の主観など分からないが、植物の生態系から論理的に考えればそうなる
例として挙げられている権利は、対象が人間だから認められた。権利を規定している人間社会においては、人間同士は対等だという考えが根底にあるから。他の動物はその範疇ではない。
でも形式的には差別だよね?" その通りだと思うよ。そして、この主張に対して感情的な批判が殺到しているところに差別の根深さがあると思う。
ヴィーガニズムとかいうクソカルト(無能な自分から目をそらすために他人の罪を捏造してくれる教義)に賛同してるの、見事なまでにはてサはてフェミばっかで笑えて来るんだよな。お前のお気持ちは法でもなんでもないぞ
差別であることすら認められない傲慢な差別主義者が「ポリコレ推進側」だってんだからお笑い種だわ。そのノリで全世界自分好みに線引きするつもりか?
「権利運動とは「その社会で認められていない、ある属性のある種の権利を、認めさせるように要求する運動」」これが既に間違い。連中はエタ・ヒニンの差別主義者が名前ロンダリングしただけ。まず歴史を知り恥を知れ
同感。この件の反応を見ると、まだ理論思考が定着しないんだなと思う。誤ったら死ぬ病、なんて揶揄があるけど、普段差別を問題だと考えている層ほど、妙に強弁を重ねていて非常に残念な事になっているのを目にする。
動物が殺されない権利を認めると、肉食動物はその権利を侵害していることになる。するとなぜ人間だけは動物を食べたらダメなんだろということに。飼うのがダメというならハンティングはいいのだろうか?
差別も場合によっては許されるって正気なん?人種とか国籍とかの差別も場合によってはアリなのか?許される差別なんてあっちゃだめだよ。一時的な緊急措置ならありうると思うけど。
ヒンズー教は牛を神聖視して屠殺を禁止している。ムスリムは神聖視してるわけじゃないが豚を食べない。それぞれの主張の権利は認めるが、自分は賛同しないだけ
自定義として「主語を大きくすること」が差別と考えているので、これは差別。これの解決策は「男性専用車両」を作ることであり、女性車両にのせろという主張は女風呂に入らせろと言う主張と同レベル
この人何言ってんの?例えば「レイプする権利を求める運動」をした場合、それに反対する人は「レイプする権利という過去には認められなかった権利取得を妨害してるからダメ」と言うの?反論するにしても的外れでは?
ブコメのイチャモンっぷりがすごい。自分の意見を補強するためには論理もなにも関係ないって姿勢はどうかと思うなあ。おれは増田の主張にわりと賛成。
ほんとこれな。なんで差別ではないと言い張れるんだろう
ミソジニー者の認知の歪みって本当にどうしようもなくだだ漏れになるよね。いやー臭い臭い。君に必要なのは社会ではなくて、宗教の中で閉じて生きることなんじゃないのかなとすら。
---------------------------
おいお前、今微生物踏み殺したぞw
はてなーにとっての多様性とは「自分の好きなものリスト」。認めるとおしゃれだったり知的・寛容に見られるものだけ援護して、おっさん(の性欲)や喫煙者なんかは人格攻撃よ。
ヴィーガニズムとかいうクソカルト(無能な自分から目をそらすために他人の罪を捏造してくれる教義)に賛同してるの、見事なまでにはてサはてフェミばっかで笑えて来るんだよな。お前のお気持ちは法でもなんでもないぞ
はてサは自分の発言がブクマの履歴って形で追えるってことに無自覚すぎるんだよなあ。ポリコレポリコレってカルト宗教みたいに唱えながら自分はバンバン差別発言をブクマとして残してるというね
「今までどおりで本当に良いのか?」と考える時期になってきているけどジャップにはわからないからね。後、産業・商業という「他人の儲け」に自分の人生観や生き方を左右されすぎ。「他人に迷惑かけるな」は呪い
なげーし、上から目線でバーカバーカ言いたいだけ。いいからさっさと紅衛兵にでもなって俺を殺してみろよカス。やりたいのが意識改革じゃなくて意にそぐわない奴の殺戮だってとっくに知ってるぞバーカ。
これね。
本当に毎度毎度アニマルライツやヴィーガンの話題になると同じ稚拙な反論をする人たちが次から次へと湧いてくる。
何度説明してもどこ吹く風で延々と無知の再生産がなされてる状況、いい加減どうにかならんもんかね。
という事で、ブコメにある典型的な無知や勘違いに基づく反論たちをピックアップして解説していきます。
もうさ、これに関してはヴィーガンに関するブコメ・ブログ・Twitter等様々な所で説明されてるので
知らないなら少しは自分で調べろよと。相手の意見を理解してから反論するなんてのは最低限のマナーでしょうよ。
とは言え、せっかくなので説明するとそもそもアニマルライツ運動やヴィーガンは「命を大切にしろ」なんて主張していないです。
大体「命」って何?定義できないでしょう。そんなあやふやな運動や主義ではないんですよ。(仮に一部にそういう人がいたとして決して主流ではない)
じゃあ彼らが主張しているのは何か?それはあらゆる動物における「苦痛の回避」です。
なので、必然的に対象は痛みを感じる動物、基本的には大脳を持ち自由神経終末のある脊椎動物に限られてくる訳です。(対象の範囲についてはいくつか議論あり)
更にこの「苦痛の回避」の元になってるのは、皆さん大好きトロッコ問題でお馴染みの「功利主義」という考え方で
最大多数の最大幸福とは何か?→それは苦痛の最小化ではないか?→苦痛を感じるのは人間だけではないのでは?という発想から。
まあ、この辺については掘り下げると大分話が逸れるので、興味のある人はそれぞれで調べてくみて下さい。
とういうか「植物も~」系の反論する人って実際自分が植物の権利を主張してるわけじゃないよね?
植物に権利があると思うなら「動物も植物も共に食べるな」と主張すればいいだけだし
そんな主張する人がいない以上それは屁理屈以下の空論に過ぎず、その虎を屏風からだしてみろってな話ですよ。
- 本当に何を言ってるかわからない。その守りたいとかいう動物も他の動物しょっちゅうこれよりこれのが美味しいって種を選んで食ってるんですが…。そっちは尊い生命活動…?誰が一体ジャッジできんの…?お前…???
- 草食動物を捕食しているライオンの前で主張してほしいですね。もちろん無防備で。
- 肉食動物が他の動物を殺して食べるのは良いの? 良いならなぜ人間だけだめなの? それとも殺生全てを禁ずるの?それなら地上全ての肉食動物を束縛して代用肉与えるの? 神の代理人を気取るのは傲慢だと思うんだが。
- 人権と人権の衝突に偽装してるけど、これはあくまで人間と動物の権利の衝突。その意味でVeganの人権は侵害されてない。またアニマルライツが認められるなら、別のアニマルからもアニマルライツを守らなくてはならない
- 野生の肉食動物の前で御高説垂れとけ。
これもよくある反論なんだけど、そもそも「どうすべきか」という価値判断ってのは人間の行為への言及でしょ。
野生動物の行為に人間の価値判断を押し付けようったって不可能だよね?言葉が通じないんだから。
「人間がどう行為すべきか」の話だからこそ「人間が動物に回避可能な苦痛を与えるべきではない」と言ってるんですよ。
それに野生動物が捕食するから人間もしていいって理屈なら人間が人間を捕食しても構わない事になるけどそんなはずないよね?
ここまで説明すると次に出てくるのが「動物と植物の間に線引するなんて恣意的だ」という反論。
これも「だからなに」としか返せません。人間が人間社会にある倫理的線引をするならそれはどうやったって恣意的になるでしょ。
あなたは猫を食べますか?野菜とクジラは食べるけど猫は食べないってのは恣意的ですか?
日本には動物愛護法ってのがあり、野菜のように生きたまま茹でたり切り刻むような事を動物にしたら逮捕されるんだけど
それは恣意的だから不当な権利侵害ですか?だったら動物と植物を同等に扱えるよう主張・実践してくださいよ。陰ながら応援しますので。
- 馬鹿だなあ。権利が衝突する以上、片方を優先させる理屈こそが問題なのに、一言も触れていない。そして他人の食欲を邪魔するんだから相当なものが必要。せいぜい、アリを無益に踏まないために引きこもってるべき。
- 他者への畜産物利用禁止強要までいくと、潔癖をこじらせて他人に押し付けようとしているようにしか見えないのだけど。「いつ自明なものでなくなるかわからない」なら、むしろ的外れじゃなく必要な反論だろう。
- 自明ではない新しい権利を獲得しようとする活動はあり得るが「そんな権利になり得ない主張のために自分の権利が侵されるのは認められない」の反対活動も当然許される。的外れとは言えないのでは。
- 権利運動するなって話じゃないし、反デモを起こすのもただの権利運動でしょ。だからどっちが正しいという話じゃない。
する権利とされない権利、侵す権利と守る権利、これらが衝突した時に後者を優先してきたのが我々の文化の進歩だったでしょ?という話。
例えば「Aが他者を侵す権利」があったとして「Bが他者に侵されない権利」があったら「Aが他者を侵す権利」が肯定された所でAはBを侵せないですよね?
で、ここで問題にされてるのは「Bが他者に侵されない権利」についてなので、「Aが他者を侵す権利」は反論にもなってなければトレードオフの関係でもないんです。
ここに関して「B本人がそれを望んだのか?ヴィーガンは第三者じゃないか」という反論があるけど
だったら子供の権利については子供が集まって主張しなければ獲得出来なかったのかと、動物には自主的に主張する術がないからこそ擁護するべきであって
子供の権利獲得を大人が主張したっていいわけですよ。権利は当事者以外が主張できないなんて勘違いは一瞬で更新してください。
あと、「動物はおかずだデモ」に関して言えば、動物の権利を主張してる人たちの前でわざわざ肉を焼いて食べるなんてのは
愛猫家の前でわざわざ「猫を食べる権利を行使」したりヌーハラが苦手な外国人の耳元で蕎麦をすすったりするようなもので
これらは権利の主張ではなく相手に不快感を与える事自体が目的となった加害行為で、ほとんど暴力だよね。
仮に2つの権利がぶつかり合い拮抗したものであったとしても、こんな明確な悪意・嫌がらせが肯定される事はないでしょう。
まあアニマルライツ(動物の権利)とアニマルウェルフェア(動物福祉)、ヴィーガンとベジタリアン、そこには実際様々な主張のレイヤーがありますよ。
なのでそれぞれに反論するには、具体的に相手がどんな主張をしているか文脈含めまず知らなければならないし、それはとても大変なこと。
でも、理解できない以前に知る気もないって言うんなら一丁噛みしてくるのはやめようよと、議論のノイズにしかならないんだから。
「生まれた時からそういう環境だったからそれが正しい」という動物的な気持ちもわからなくはない。
けどせっかく人間なんだから一定の折り合いをつけるために建設的な議論をしたってバチは当たらないでしょう。
それにはまず知ること、知ってるよって方はどうもご苦労さまでした。
押し付けんなって話じゃないの? 知らんけど
権利の衝突ではないという部分読んでいただけましたか?Aの権利自体を直接否定してるなら押し付けだけど、AとB両者の権利を肯定してるだけなので押し付けではないです。
トラバにも書きましたがAの権利はBがいないと成立しないがBの権利はAがいなくても成立する事からAとBは入れ替え可能の概念ではなく
どちらかと言えばAこそが権利侵害的だという話です。自然権など他の生得的な権利もそうだったでしょう。
ちなみにヴィーガンがその主義に基づいた生活をする事と、社会に対しアニマルライツ運動をする事の是非はまったく別なので。
よく分からんけど苦痛が回避されれば屠殺でもオッケーって主張なの? ネットの論争ってなんでもそうだけど人によって「ここが論点」つって挙げてくるものそれぞれ違って反応に困るんだよな
苦痛は屠殺だけに伴うものではないので強制給餌や狭いケージなど飼育環境の改善を社会に求めている場合がほとんどかと。
ネットに限らず例えば「保守主義者」と議論しようとしても個人によって経済・外交・安全保障などイシューごと考えは様々ですよね。
なので○○主義者個人と議論する事は可能ですが○○主義そのものについて論じようとするなら、その主義すべてを網羅する知識が必要なので研究者レベルでないと不可能でしょう。
えっじゃあ苦痛を与えなければ肉食っていいって主張なのって読めるんだけどこれ。ペットや子供への菜食強制問題とかも華麗にスルーしてるね
功利主義で扱う「苦痛」は単純な痛覚だけではなく五感・感情を含めたものです。植物にも感情がある!とか水にも感情がある!系の人はちょっとわかりません。
ペットや子供への栄養ネグレクトについてはヴィーガンだけに存在する問題ではないですよね。
植物に関してはこういうのがあります。>食べられると野菜も痛みを感じる?米国でヴィーガン論争を巻き起こした日本人研究者の大発見
「多くの人に伝えたい。だから論理的には飛躍しているかもしれませんが、「痛い」といったキャッチーな言葉を使って説明しました。」と研究者本人が言ってる通り
ヴィーガンは「人類の営みとしての畜産業や屠殺業が動物や自然に与える悪影響」について考えてるんだから
「普通に歩いてるだけで虫が死んでる」とかあるいは「生きてるだけで微生物が死んでく」とかそういう話はしてないんじゃないの?
日本ベジタリアン協会はヴィーガンを「食用・衣料用・その他の目的のために動物を搾取したり苦しめたりすることを、できる限り止めようとする生き方」と定義してて、平たく言うと「動物利用の廃絶」ということでいいと思うんだけど、文明社会でぬくぬくと暮らしながらそれを掲げるのってちょっと滑稽じゃない?
だって文明社会ってのはあらゆる動植物を人間のために利用して発展してきたわけじゃん。ヴィーガンが口にしてる野菜も森や野を切り開いてつくってるし、それによって元いた動植物が住めなくなってるなんてことザラだよね。そしてヴィーガンの人らが住んでる家も着てる服も活動を行うための道具もあらゆる動植物の権利を収奪した上に成り立ってるわけじゃん。アニマルライツを主張するなら文明社会を捨ててから言わないとただのダブスタじゃない?
あと特に気になるのが医療分野なんだけどさ。新薬研究とかでラットの命が収奪されてるわけじゃん。それも当然、動物の命を搾取してることになるよね? ヴィーガンって病院いかなかったり、開発の過程でラットによる実験を経た薬の使用は拒否するとかやってんの? やってないならアニマルライツがーとか言っちゃダメなんじゃない?
文明社会の所産である「人工物」(ここではツイートするために使うパソコンやスマホなど)を使って「自然でないからやめるべき」といったことを訴えるのはさすがに笑う。
飼育、屠殺は動物を苦しめるから畜肉を食すべきではない わかる
同様の理由で動物を利用する衣料品や医薬品を使用するべきではない わかる
意思に反して命を奪ってはいけないので狩猟された肉や魚も食すべきではない わかる
同様の理由で採集することによって植物の命を奪う野菜も食すべきではない わかる
落ちた果実を採集することによって本来その栄養を得るはずだった生物の命を奪うことになるので食すべきではない わかる
自然破壊につながる水道水やミネラルウォーターを飲むべきではない わかる
地下水の利用は自然破壊につながるので湧き水は飲むべきではない わかる
川の水や雨水を利用するのは生態系に影響を与えるので飲むべきではない わかる
酸素を吸収し二酸化炭素を排出するのは生態系に影響を与えるので呼吸すべきではない わかる
全部わかる
呼吸し、水を飲み、命ある動植物を自然から奪い、貪る者は悪魔だ
みんな死のう
死なない者は悪魔だ
はてなブックマーク - 「動物はおかずだ」デモに関して(1) - 道徳的動物日記
http://b.hatena.ne.jp/entry/davitrice.hatenadiary.jp/entry/2019/05/21/172032
「動物の福祉」と「動物の権利」の区別がつかない人が 人間と動物をちゃんと見分けれるのか問題
nonstandardlife 「肉を食べるな」はハードルが高すぎるけど「家畜の飼育環境を改善しよう(その分のコストは受容する)」というのなら賛同してくれる人はある程度いるんじゃないかと思うので、そういう方向に行ってくれたらなあと思う
AKIMOTO 人間と動物の間に境界線を引けない人間がそんなにいることに恐怖を感じる
h5dhn9k ありゃ?…… 普段のDavitRice氏の主義主張とは真逆じゃない? 何かあったのかな?……
kirifuu アニマルライツは肉を食う権利を奪っていると言えるのではないか。お前それサバンナでも同じ事言えんの?ってこった。
mventura 飼育環境や動物実験のあたりで改善をめざすなら賛成なんだけど。いつも極論どうしで溝が深くなるばかり。
Yagokoro 人間以外の動物の権利を保護したいなら、とっとと自殺すべき。それが論理的帰結。
kenjou 動物の権利を主張するのに、植物の権利はどうして認めないの? っていつも思うんですよね。動物を食べるのはダメで植物はいいっていう話は、まったく筋が通らない。自己欺瞞から目をそらすのをやめてほしい。
kangiren 京都名物雀の姿焼きのお店を襲撃したら、支持してしまうかもしれない自分がいる。
ykhmfst2012 「人間社会は人間の都合で出来ている」この厳然たる事実を見なかったことにし、あまつさえ享受しておきながら動物食だけを否定しても賛同は得られないだろうね。結局の所感情論でしかないし。
magnitude99 お約束通りに、対立する立場に対して相対的な価値観を持たずに一神教的価値観で攻撃し、分煙も許さない、欧米発の基督教的社会運動の副流煙被害集団ヒステリーと全く同じな所が、こうした類の運動体解明のヒント。
kotetsu306 今は人間と動物の間にある線引きを、動物と植物の間に引こうと言うわけね。それとも高等動物と下等動物の間かな、農作物を荒らす害虫はもちろん駆除するもんね
minakoch 馬鹿だなあ。権利が衝突する以上、片方を優先させる理屈こそが問題なのに、一言も触れていない。そして他人の食欲を邪魔するんだから相当なものが必要。せいぜい、アリを無益に踏まないために引きこもってるべき。