LGBTやら文化の盗用やら弱者男性やら昔なら「うるせえ黙っとけ」で済んでた話しがやたらクローズアップされる昨今。
昔はさ、一言でいえば世界中が「強者たれ」で統一されていてその価値観が良くも悪くも人類を進歩させてきた。
その価値観を背景にしたときにマイノリティはマイノリティになる相応の理由あったわけ。
しかし今は誰もが「弱者に権利を」と言い、マジョリティもそれを受け入れる流れにある。
今や弱者って最強の盾で矛になってて、なんだったら日々最新の弱者ムーブをみんなが探してる。
でもさ、呼吸するだけで微生物を殺すように、誰もが何かをしたら絶対に誰かを傷つけてて日々弱者は発生してる。
傷つけられた誰かの声が大きくてみんながそれを受け入れてたら人類は進歩できなくなるじゃん。
もしかしたらこの流れって人間を観察してる高次の存在が「SNSを与えたらこの共同体がどうなっていくか、ちょっと実験しようぜ」って始めたんじゃない?
言うほどみんなが弱者であろうとしているか? ということに大きな勘違いを感じるな。 レスバはレスバ、現実は現実なんで、SNSじゃなくてちゃんと街を歩いている人のことを考えて...
社会のルールは少数のエリートと少数のマイノリティが作り、多数派はただでそれに従うだけ。
逆だけどな。 日本は多数派の望んだ政治をちゃんとやってるよ。 ただしそれは票の上での多数派だし、多数派とは老人のことであるわけなんだけども。