はてなキーワード: レイプとは
2014年「鹿児島ゴルフ指導者準強姦事件」という事件があった
ゴルフ指導者が、中学から指導していた教え子の女子高生を、ゴルフ指導を口実にラブホに連れ込んでレイプした事件
行為に及ぶ前に30分説教をし、『お前には度胸がない。だから、こういうところに来たんだ』『社会勉強や』などと言って自分とセックスするように説得した。
信頼していた指導者に突然迫られ、精神的混乱に陥って体が固まってしまったという。年齢や師弟関係からも、抵抗が困難だったと
被害者の従順な性格を利用し、行為を受け入れざるを得ない状況に追い込んだとしてゴルフ指導者の男は準強姦罪で起訴された
実は最初、鹿児島地検は「被害者が同意していないのは明らかだが、心理的に抵抗できない状態だったとまでは言えない」として不起訴にしていたのだ
だが、鹿児島検察審査会は「女性は信頼しきっていた男性から急に乱暴されてパニックになり、体が固まって逃走や抵抗ができなかった」「犯行は計画的で準強姦に相当する」として起訴議決をした
結局、一審、二審ともに無罪
「女子高生が抵抗できない状態だったなんて知らなかったかもしれない」
というわけだそうだ
不同意性交等罪ならば、「恐怖・驚愕(きょうがく)」「地位利用」に当てはまって裁けただろう。
(続き)
https://anond.hatelabo.jp/20230421224752
https://enpedia.rxy.jp/wiki/鹿児島ゴルフ指導者準強姦事件
一旦不起訴になって、検察審査会に不服を申し出て起訴できて、それなのに無罪になった
「女子高生が抵抗できない状態だったなんて知らなかったかもしれない」
という理由で。
つまり「私がノーでもあなたがイエスなら性暴力ではない」とされたのだ
不同意性交等罪ならば、「恐怖・驚愕(きょうがく)」「地位利用」に当てはまって裁けたのに。
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20230328/2000072245.html
それどころか、マッサージ店で客の胸を触るわいせつ行為を行っても「被告が合意だと勘違いしてたから不起訴」に一旦なったのだ!(検察審査会で覆されて無事裁かれたが)
不法侵入して強姦しても合意だと思い込む性犯罪者の認知の歪みと併せて考えると、一層恐ろしい
<女性に力を>13歳娘へ性暴力、父は野放し 暴行・脅迫なければ罪に問えず
https://www.tokyo-np.co.jp/article/17591
このケースだと、別居してる実の娘に手を出しても、「養育費払ってないから『監護者わいせつ罪』にはならないし、娘は13歳で性交同意年齢に達してるし、暴行や脅迫がないから」と無罪なのだ。
>襲われた時、長女は「パパ、ちゃんと話をしようよ」と必死に止めようとした。それを「同意の言葉だと思った」と元夫は警察に釈明したという
>長女は今も心療内科でカウンセリングを受けている。突然、家の中で泣きわめいて暴れることもある。「娘は一生深い傷を引きずる。でも、元夫は刑罰を受けなかったので、自分が悪いと自覚していない
https://www.asahi.com/sp/articles/ASM4D6J6DM4DUTIL051.html
実の娘をレイプしても、「服従・盲従せざるを得ないような強い支配従属関係にあったとは認められない」「抵抗が著しく困難とまでは言えない」とされた無罪判決は有名だ。
長年、実の父親に暴力を受け犯されてきたのに、「弟と協力して回避できた時もあったんでしょ。抵抗できないわけじゃないじゃん。無罪!」とされたのだ。
(後に覆されたが)
この父親も例によって、合意だと主張し、逆転有罪後控訴している
https://bunshun.jp/articles/-/35655?page=1
テキーラを大量に飲まされ酩酊させられた状態で姦淫された準強姦事件も、一審で無罪だった。
被告人が「女性が抗拒不能であったことの認識がなく、性交について承諾ありと誤信した」だという。
これも、「アルコールまたは薬物を摂取させること」が要件に加えられている不同意性交等罪ならば、無罪はありえなかった。
警察官たち5人が女性を監禁して集団強姦し、「抵抗が弱まったので同意だと思った」とのたまい不起訴も、
13歳の少女を27歳男がレイプして、抵抗がなかったから無罪もあった。
こういったケースが見えてない呑気な人達が、「彼女と合意でイチャイチャした後本当は嫌だったと言われて有罪になるぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!」と騒いでるのだ
「後で本当は嫌だったと言われて有罪になるぅぅぅぅぅぅぅぅ怖いよぉぉぉぉぉぉぉ!!」
と騒がれまくってる
被害妄想にも程がある
これまでがおかしかったんだよ
これまでどれほど、理不尽な無罪判決や不起訴、野放しにされる加害者と苦しむ被害者がいたことか
多分彼らは知らない
満員電車復活したので、痴漢の集うスレッドを見てわかったことをまとめる
https://anond.hatelabo.jp/20210408230226
元受刑者は、刑務所で知り合った性犯罪者達についてこう語っている
https://nikkan-spa.jp/1835108/amp
>柔道の某金メダリストみたいな感じでしょうか。レイプだと思っていないんですよ。『いいじゃん、いいじゃん』と言ってなし崩しにやれば許されると勘違いしている輩がいる。元暴走族にもこのタイプが多くて、しかも彼らは押しに弱い女性を見極める精度がものすごく高いんですよ。
>そして、私が接した性犯罪者のほとんどは、事後に同意があったと勘違いしていました。女性側がそれ以上の加害を恐れておとなしくしているのを、合意されているものと思って犯行に及ぶんです。前出のAは、忍び込んでレイプした後に被害者とベッドでイチャイチャしたので同意があったと思ったとか
不法侵入で強姦されるも合意だと主張され、警察にも「事件にならないかも」と言われたが、無事に起訴され、実刑懲役3年になった https://togetter.com/li/1709193
下の階にタオル落として届けられてお礼したら「アピール」だと思い込んで不法侵入のち強姦、「またしたくなったら呼んでね」と言い残し、警察でも合意を主張。そして警察にも「事件にならないかも」と言われる。
そう。不法侵入されて襲われても、相手が合意だと思っていれば事件にならない可能性があるのだ。
他にも、娘に性暴力を振るう父親達は「娘から誘ってきた」と主張するらしい。
父から娘への性暴力「向こうが誘ってきた」悪びれない父親たちの言い分
https://www.bengo4.com/c_1009/n_13449/
「妻の連れ子の15歳の娘と合意でセックスしていたのに、妊娠中絶をきっかけに発覚して強姦として訴えられている!冤罪だ助けて!」って相談に「15歳の少女は生活を握っている義父の求めに逆らえない。強姦です」って答えていたサイトもある。
監護者性交等罪ができる前は、どれだけ闇に葬られていただろう。
きっと娘に手を出そうと電車で痴漢をしようと不法侵入してレイプしようと、彼らにとっては内閣府の例のポスターの上半分のように見えている
上半分の彼女は頬を染めている。
だが、これは男視点にすぎないのだ。
「性暴力に見えない」という意見があった。当然だ。男視点を描いてるのだから
上記のようなケースが多いから、このポスターも生まれ、悪質な加害者を裁くために不同意性交等罪として要件が色々変わったのに、
「彼女と合意でイチャイチャした後本当は嫌だったと言われて有罪になるぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!」って騒いでる奴らが本当…
ちなみに、性犯罪者未満でも、ノートのコピーを取ってあげたりレストランで相手の分のおしぼりや水を取ってくるくらいで「俺のことが好きなんだ」と勘違いする男は多いらしい
【態】勘助ホイホイだった友人
http://kansuke.doorblog.jp/archives/54484551.html
(続く)
【注意喚起】
現在 Web3 をテーマに本を出版したり講演会を行う人物がいます。その人物は、特許やら社長であることを出汁に近づいてきて「ラインに入ってね!」と言っては、男はたこつぼ部屋に(若い)女はレイプ、金持ちには脅しで出資させ、権力者にはペコペコしてきてツーショット写真を撮らせて、後日イベントで「わたくしはこんなに素晴らしいのです」などとフザケたことを言ってきます。マジで注意してください。政治家や大学教授が顧問ですが、それは昔の話です。
正直、こういった文章を書くのは批判の的であり、読んで不快になるであろう人間が大多数だということを分かった上で、書きたいから書く。
最初にしっかりと明言しておくが、言い訳したいわけではなく、僕は僕がした罪、行いを許してもらおうとは微塵も思っていない。一生をかけて償わなければならず、一生忘れずに背負い続ける。そうして当然である。
被害者に刺されて死ぬのであれば、当たり前だ。そう覚悟して今生きている。それを分かった上で、吐かせて欲しい。
当方、現在アラサー。祖母が住んでいた家に恋人と二人で暮らしている。僕はフリーターであり、恋人は製菓業界で働いている。養われていると言っても過言ではない。
在り来りと言えば在り来りなカップルなんだろうが、自分には在り来りという言葉では片付けられない過去がある。
そもそも、母親は子育てに向いていなかったらしく、兄には過度の期待を寄せストレスで精神破壊し、僕には殴る蹴るの暴行で罵声を浴びせかけた。らしい。
「らしい」というのは、僕自身は殴られた記憶がない。よく聞く解離とかではなく、シンプルに思い出せないし、そんな思い出が無い。虐待自体の記憶はある。
大人になってから母に聞いたところ、「私は色んな虐待をしていた。だから貴方が人を傷つけてしまったのだと思っている。」と自白している。本当っぽいし、嘘をついてる風でもない。なので事実としてここに書く。
思い出せるものといえば、小学3年生まで床やパンツに放尿し糞をする僕を、家から締め出し、「自分で食ってみろ」とスプーンを渡され、自らの糞を食わされそうになったこと。
家からそう遠くない河川敷に車で連れて行かれ、「もう捨ててやるよ」と置いていかれそうになり、それを兄が泣きながら止めてくれたこと。
母からの虐待の記憶は、これくらいであり、僕自身は、「まぁ時々いるヒステリックな親だよな」くらいにしか思っていない。僕がおかしいのだろうかとも思うが、大して気にしていない。
勘違いしないで欲しいが、これが世の常識みたいに思ってるわけではなく、許されざることであり、もし友人がこんな親になろうものならぶん殴り通報する。僕が僕に大して、どうでも良い記憶として処理してるだけである。
小学3年生までと書いたが、小学3年生になり、僕がトイレで大便小便ができるようになった時、母からの虐待が止まった。
どこが契機だったか定かではないが、確実に母の心へ衝撃を与え、虐待を止めたのであろう出来事がある。僕の作文だ。
道徳の授業だったか忘れたが、「お母さんへの気持ちを書いてみましょう」みたいな授業だった気がする。
僕は虐待されていたにも関わらず、母親のことが大好きだった。ほぼ依存だった。たった一人の親だった。そんな僕が書く作文には、「おかあさん、ぼくのことを、うんでくれて、ありがとう」と書いていた。
心の底から思って書いたわけじゃないことは覚えいている。なんて書いていいのかわからず、「とりあえずみんなに見られて構わないことを書こう」みたいなことを考えて書いたことで、褒められたかったんだと思う。
先生がそれを、家で母に読んで聞かせてこいと言うので、読んで聞かせた。直後、母から抱擁された。
とても、とても力強く抱きしめられたことを覚えてる。苦しかったし、意味がわからなかった。ただ、抱きしめられて嬉しい気持ちはあった。大人になってからあの時のことを聞くと、「自分がどれだけ酷いことをしたのか、心の底から申し訳なく思った。」と言っていた。母自身も、子供とどう接していいか分からなかったが故の虐待だったのだろうか。
それ以降、母は虐待することなく、むしろ僕のことを甘やかし、欲しいものは全て買い、やりたいことを全てやらせてくれた。
結果、どんな子供が出来上がるか。
自己中コミュ障チー牛オタクの誕生である。物心つく前からの虐待により、僕には人との話し方がわからなかった。人の気持ちも理解できなかった。
そうなると人間、居場所や仲間を求めるもので、僕はMMOとネット掲示板に傾倒した。その末のチー牛である。
中学生時代は黒歴史そのもので、学校ではオタク友達とボカロと歌い手について語り、やれ鏡音リンレンが可愛いだの、やれこの歌い手が今アツいだの、自分達だけの世界を堪能し、家に帰れば仮想世界に入り浸り、非現実的な刺激を求めた。
この先の話に大事なことなので書くが、僕の性癖はこの第二次性徴で歪みに歪みまくった。ロリとレイプ物の動画や同人誌にのめり込んだのだ。
後に精神科に罹り、勉強する中で知ったが、幼少から虐待された人間は、自分より弱い立場、弱い存在に大して加虐的になる傾向にあるらしい。性のエネルギーが向くのも想像に容易い。
そんな歪んだ僕は、ネカマと公言している当時高校生の男の子と、マビノギで結婚するくらいには頭がおかしくなっていた。「男でも可愛いじゃん」と。今でもその性癖が残っているというのが、思春期時代での振る舞いの大切さがよく分かる。
あまり詳しく書くと、コミュニティガイドラインに抵触する恐れがある上、人によってはフラッシュバックを誘発する可能性があるので、抽象的に留めるが、僕は性犯罪をした。
時期は中学2年生のとき。13歳だった。相手は当時8歳。更に高校生の時、17歳だった。相手は18歳。どちらも性犯罪。
1度目は13歳ということで犯罪として扱われず、施設に入り、2度目は正式(?)に逮捕され、留置場に入り、少年院に送致された。
結果的に今、再犯せず社会生活をしているわけだが、自分が幸せにした人の数より、不幸にした人の数のほうが圧倒的に上だ。
何故、性犯罪を犯す人は再犯率が高いのか。そもそも何を考えているのか、加害当事者として、考えてることを書こうと思う。不快にする内容であるのは百も承知している。けど、耐えられなくなってしまった。申し訳なく思う。
僕は虐待されていたからか、因果関係は定かではないが、人との関わり方、感情の読み取りが苦手だった。先生が怒っている顔をしていても怒ってるのかわからなかったし、悲しそうな人を見ても何とも思わなかった。
自分の感情を抑える術も知らず、何時しか、自己正当化するようになっていた。
相手はこれこれこうだから、こう言われても仕方なく、自分は正しい。そういう思考が常になり、自分以外が間違えていて、自分が最も正しいと勘違いしていた。
ここまでは、割とある話だと思う。小学生中学生は皆、自分のことを正しいと思っているだろうし、大人でさえ自分が正しいと疑わない人がいる。
だが、性犯罪者、もっと広く言えば、依存症者。これらは「認知の歪み」が生じている。一先ず性犯罪が「依存症」なのかという話だが、以前関東にある、性依存症専門の精神科に通った時の先生の話では、依存症であるらしかった。
もちろん、依存的でない性犯罪もあるとは思う。僕は知らないが。
「依存症」という病気と「ただの依存」の違いは何かという話では、「依存症は代替が効かない」、「ただの依存は代替が効く」という違いだと言う。人は電車やバスに依存しているが、最悪それが無くとも徒歩や自転車で通学や通勤することができる。
依存症患者は、そうやって代替することができず、依存している対象「のみ」に執着する。故に治し方を知らなければ治せないとのこと。
僕はこの話を聞いて、「あぁそういうことなのか」と納得した。
話を戻す。依存症における「認知の歪み」とは、考えれば当然であることなのに、あたかも当然でないように考え、自分を矯正してしまっていることである。間違った捉え方、考え方とも言える。
道行く美女或いはタイプな女の子に対して、「触りたいな」と思う心を「社会的にダメだろ」と抑制することができることが正しい認知であるが、「認知の歪み」があると、これが変わってくる。
「触りたいな」と思う反面、「ダメだろ」と思うのだが、「でも触りたいし」「でも今触らないと勿体ない」「周りに人いないし叫ばれなければ大丈夫」と、自己正当化する思考が頭の中を占拠する。「自分は間違えてない」と、強烈な自己暗示をしてしまうのである。僕も例外ではなかった。
自分より弱い存在を見つけ、虐げ、凌辱する術を探した。何が何でも自分が正しいと思い込んだ。
よく「何いってんだコイツ」という供述をする犯罪者がニュースになる。「目を合わせてくれたから好きなのかと思った」「露出の多い服を着てるから触って欲しいのかと思った」、こういった供述や発言は、認知が歪んでいないと出てこない。
こういった歪みを正し、矯正することができれば、所謂更生することができる。
僕の通った精神科では、専門の性依存症カリキュラムがあり、ほぼ毎日15時頃から18時頃まで講義のようなものに出席し、運動をし、帰宅するというスケジュールだった。
認知の歪みを直すというのは、簡単なようで難しく、性に関することのみならず、日常生活における思考すらも省みて、全ての視点から自分を見ることを要求される。更に先生や周りの同じ講義を受けてる人間からの第三者視点を交えて、初めて矯正できる。
1人で悩み、1人で解決しようとしても、見ている視点は自分からのみで、そもそも何が歪んで何が間違ってるのかわからないので修正しようがなく、人の力を借りられなかった性犯罪者は、ほぼ必ず再犯すると言っても良い。
ストレスが関係していて、ストレス解消すれば治ると思っている人もいるが、間違いでなくとも正しくはない。例えば性犯罪を犯すことでストレスを発散、より細かく言えばドーパミンを分泌し多幸感を感じているとして、別の方法で同じことをしようとしても、
性犯罪を犯したことのある人間にとって、性犯罪を犯すこと以上にドーパミンを分泌するものが無いのである。ご飯を食べることや寝ること、セックスすることでドーパミンが分泌されるが、比にならないのだ。
だが、禁煙禁酒断薬と同じく、認知の歪みを治し、断てば断つほど欲求は減り、自制心で抑えることが出来るようになる。「認知の歪み」が治せていることが前提である。考え方が変わってなければ結局再発する。
話が逸れたが、結果的に僕は比較的良い方向へ持ち直す事が出来、現在は性犯罪への欲求はほぼ無く、趣味や恋人とのコミュニケーションでストレスを上手く解消している。
ストレスが溜まっていたとしても、溜まっていることを自覚し、自分の感情や欲求に振り回されることは無くなった。
しかし、結局は性犯罪者であり、生きている価値があるかと言われれば、多分ない。
事実、不幸にした人の数を数えれば、両の手じゃ足りない。
ある日、通っていた精神科の先生に、この悩みを打ち明けたら、衝撃的なことを言われた。
「傷つけた被害者のことや、被害者の家族のことを考える必要は無いよ。関係ないから。」
僕は全くそうは思えなかった。僕は加害者であり、加害者は一生を持って償い、幸せに生きることは許されないと。
けど、冷静に、理屈で考えてみれば、確かにそうだとも言える。関係ない。
僕がどれだけ反省してもどれだけお金で償おうと、どれだけ謝罪しようと、被害者が幸せになるか。ならない。 何なら僕の顔、声、文字すら認知したくないだろう。
なら僕が死ねばいいか。死んだら被害者は幸せになるか。ならない。 一時は恨みを晴らした気分になり、今後同じような被害者が増えないことを喜ぶだろう。けど幸せに成るかと言われれば、僕が死ぬことのみで成るとは思えない。
そして、何よりも、過去は変えられない。やらなければ良いに越したことはないが、やってしまったものは、どうしようもないのであり、既に過去であり、「今」この瞬間には存在していない。
理屈で考えれば考えるほど、「過去」というのは学びとしての価値はあれど、「今」の自分の持ちうるリソースを割いてまで悩む価値は無いと思えてくる。
性犯罪加害者が、そう考えていいのか? 多分社会は許さないだろう。罪を犯したら、犯した者は同等の傷を負わなければならない。でなければ、傷つけ得な世界になる。
少なくとも僕は、先生のような割り切ったというか、吹っ切れた考え方はできない。やはり僕は犯罪者であり、人を傷つけた者であり、背負い続け苦しみ続けなければならないと思う。
ただ、僕にも曲がりなりにも過保護なバカ親が居て、何故だか出会ってしまった恋人がいて、こんな僕でも見捨てないでいてくれた友人が居る。この人たちは、幸せにしなくてはならないのではないか。
いつ何時でも「今の僕を被害者が見たら」と思う。きっと殺されるだろう。でも、これもまた、起こってもない未来、「今」存在していないものに対する気持ちであって、「今」この瞬間に横にいる恋人には関係ないのである。
だから、最近は人を幸せにすることが、せめてもの責務なのではないかと考えている。フリーターだが、時々ちょっとだけ贅沢できるくらいの生活で、恋人も僕も満足していて、誕生日にはサプライズでケーキを買う。
これで良いのか。これで良いのだろうか。
色々考えるが、やはり「今」は「今」。忘れてはならないが、背負いすぎて不幸にする人を増やす方が、よっぽど社会に迷惑極まりない。
二度と再犯せず、二度と同じ過ちを繰り返さず、二度と母親にあんな顔をさせない。それだけが、僕の最低限守るべきもので、あとはただの我儘だよなと思う。
拙い文章だが、ここまで読んでくれた方が居たならば、ありがとう。非難轟々でも構わない、ただ、耐えられなくなってしまって、思うがまま書いた。人に見られる前提で書いているのが気持ち悪いが。
ちなみに、恋人や友人は僕のしたこと全てを知っている。包み隠さず全て話した。
恋人に関しては、「今の〇〇さんと関係ないし興味ない」と一蹴された。いいのかそれで?いいならいいんだろうけど。
被害者に関しては、捕まった後に賠償金や謝罪文を申し出ても、軒並み断られている。
総じて考えていることは、「二度と私の人生に登場しないでください」ということだと思っている。本当に、申し訳なく思う。
韓国ドラマ以下Kドラは、もうそうだと思わせるくらい女の性欲をぶっ刺しにきている。
全部ではないが、こんな話は多い。
昔の韓流メロドラマと違うのは、恋愛要素に加えて、女性の社会的に自立したいという欲求も叶えるという点にある。
これがポルノだと言うのは、ドラマの前提となる設定が余りにも女性側に都合良くできているからである。主人公の女性は男社会でやっていけるくらいの能力を持ちながら、オンナを使えるくらいには美人設定で、言うなれば才色兼備。
また、オンナの使い方も枕営業といった下品なことはしない。あくまで女を盾にして、男なら殴られるから言えないようなことを平気な顔で言い放ったり、好意を向けてくる男をうまく利用したり、といった狡猾な使い方である。
一方、彼女の相手をするイケメンの類は男児のような幼い顔で、大人しく、ツルツルした女性のような顔立ちである。男の暴力性は無害化され、男のわがままは男児の駄々こねに見えるくらい可愛く描写される。
少年漫画や王道アニメでは、仲間のために強くなれる男をヒロインが好きになるという共同体の構造が必ずある。しかし、Kドラは、この共同体の概念を希薄させ、私とあなたの物語の周縁程度にとどめる。そして、最終的には私が気持ち良くなるようにあなたとその周りを改変させていく。この過度な私中心のストーリー展開はポルノ的と指摘せざるを得ない。
しかし、Kドラは女性をエンパワーメントしているとフェミニスト界隈ではむしろ称賛されている。能力を活かして仕事をバリバリこなす筋書きなら理解できる。しかし、オンナを逆手にとって、都合よく愚かに設定した男性社会をのし上がり、一番魅力的な男を自分だけのものにする過程を描くことはエンパワーメントではなく、単なるエンターテイメントである。
同時に、過度に弱体化した男性相手に性的な優位性を取って支配下に置くことはもはやレイプ演出と呼べるのではないだろうか。
しかし、ポルノをポルノだと見抜けないまま大人になると痛い目に遭うのだ。充分に成熟しないとポルノを閲覧してはいけないのはそのためである。これは今まで男の専売特許だと言われてきたが、女にも言える時代が来たのだと思う。女性用風俗が産業になる時代なのだ。
Kドラに感化されるのはいいものの、現実はそこまで都合良くできていない。実際、美人や能力者ではない女性は取り残されるという、ドラマ設定の裏の脅迫に対して多くの弱者女性たちは無力だ。だからこそ彼女たちは美容整形に走ったり、摂食障害になってしまったり、姫扱いしてくれるホストクラブにハマってしまったり、ODに依存したりといった逃避・自傷行為に出るようになったのではないか。
また、現実にはドラマほど愚かな男性は中々おらず、ドラマで見るような鉄槌を下す機会などほとんどない。煮え切らない思いをぶつけるために、一部フェミニストが敵の定義を不必要に押し広げた結果、フェミニズム運動は女性にすら支持されないくらい過激化してしまった。
韓国の異常すぎる整形文化、”韓国フェミニズム”と呼ばれるに至った特殊なフェミニズム、憎悪としか形容できない激烈な男女間対立と、極度に低下した出生率は、Kドラをはじめとする女性用ポルノの悪影響と言えるのではないか。もちろん、依然として残り続ける儒教社会の悪習や、周辺国相手に全く役に立たない弱腰軍隊(や徴兵制)及び政治家への辟易など、男性を糾弾する土壌が先にあって、その欲求に応えるようにKドラが発展し、その価値観を強化して捻じ曲げたとの見方もできる。
日本でも、トー横キッズ、歌舞伎町界隈、港区女子、過激なフェミニズムといった女性が登場する世相の乱れが目立ってきたのは、女性用ポルノの無制限の蔓延をその要因の一つに挙げても良いのではないだろうか。
ポルノは社会の風紀を乱す。だからこそ男性向けポルノは文化的に暗がりに追いやられ、法的にも規制されており、表立って語られるときは冗談や嘲笑の対象にすることで現実との距離感を保っている。
それなのに、Kドラに見られるような女性用ポルノは忌避されるどころか、政治的妥当で、多様性準拠で、年齢制限も緩くて良いものとみなされている。今もなお、エンタメ界のど真ん中を、スポットライトを浴びながら威風堂々と闊歩しているのだ。
ポルノを嗜む主体性を女性が得たことは歓迎するべきことである。しかし、主体性に伴う責任と枷のようなものが、男性側には文化・慣習の中で課せられている一方で、女性はそのような社会的装置を壊すことが近代であったがために、際限のない自由に放たれてしまったことは問題視したい。
自由を阻むものは自分だけである。だから自由は弱き者にとっては呪いでしかない。フェミニズムは弱者女性を救うことができないまま、自由だが不安定な空虚だけを残したのだ。
そんな空虚を埋めるために、男性向けポルノのような規制を受けない女性向けポルノが広まるのは当たり前のことだった。その女性向けポルノが、Kドラこと最近の韓国ドラマなのである。
何年も前の話なんだが、処女を売った。簡単に言うとAVに出た。出たのは1本だけで、今は普通に会社員として暮らしている。レーベルとか相手の男優とか監督とかは全部書かないしギャラも書かない。
珍しくは無い、とは流石に言わないが、居なくは無いだろう、たぶん。セックスが好きなわけでは無い、むしろ嫌いだ。男性は怖かった。何をかんがえるのかわからないし、小中と散々いじられて過ごしたので危害を加えてくる生き物として認識してしまっていた。正直今もそんなに好きじゃないが、信頼できる人間はみつけられたので、全てが怖い人ではないんだなと思えるようにはなった。
話を戻して、出ようと思ったきっかけは、たぶん自己肯定感の低さからだったと思う。平均身長・体重で顔も普通と言われるが彼氏ができなかったことにものすごく焦っていた。この歳で処女って恥ずかしいことだという認識があった。呪いみたいに頭に張り付いて離れなくて、けれど周りの人間には相談ができない。友達のの性事情を聞かされる(いわゆる女子会。彼氏とのエッチがさ〜wみたいなノリのやつ)と、どんな顔をしていいのかわからなくなった。
みんなできていることなのに私にはその機会がこない、やばい。人としてやばいのかも。誰もが当たり前のようにできることなのに私はそれができてない。という焦りでちょっと頭がおかしくなったんだと思う。
「どうしたら彼氏ができるか」よりも「どうしたら処女を捨てられるか」が目的になった。そうなった私の行動は早かった。
当時に思考回路としては
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ばかか。ばかだった。
行動力のあるばかってどうしようもないな。やばい事務所にあたったらもっとやばいことだって起きたかもしれないのに、映像作品を世に出してんだからそれなりに安全なはずだ!となぜか信頼してしまっていた。
思考がバグっていたのですぐにネットで探して応募をして、細かくは覚えていないが書類選考が通って説明を受けに行き、処女を捨てたいと話して面接が通った。
ほどなくしてマネージャーが付き、話が進むのが早い業界なんだなぁとぼんやりと思った。
そこからいろんな事務所に連れて行かれ、面接を繰り返す。面接では「服を脱いでみて」と言われることが多く、何も考えず上裸になっていた。何か聞かれたらすらすらと喋れて自分じゃ無いみたいだった。
どれくらい繰り返したのか覚えていないが、なんとか企画だか事務所だかが決まって撮影日とギャラを聞かされた。こんなふうに決まるんだな、早く終わって欲しい、楽になりたい。恐怖感や危機感みたいなものは全く感じていなかった。そこらへんのヤリチンに捕まるよりよっぽど丁寧に扱ってもらえるだろうし、無理なことはやらされないだろうし、プロが相手なんだから良い思いもできるんじゃないだろうか。そんなお気楽思考で撮影に挑んだ。
結果、もう二度とやりたくねえ。
痛い、苦しい、辛い。尊厳を踏みにじられている気がする。はあはあ言ってる男がのしかかってくるのキツい。入ってくる情報全部が無理だった。プロ相手でこんなにしんどいなら素人の男性となんてもっと無理だ。セックスなんかもう一生しなくていい、こんなしんどいこと強要するやつは全員滅んで欲しいと思った。
プロのお店で童貞捨てて素人とはしたことない人を素人童貞というのなら、私は素人処女のままでいい。変な言葉だな、素人処女。
あと、自分の穴がすごく狭いのを知った。とにかく痛い。ここから子供産むって正気?絶対死ぬじゃん。女を妊娠させようとしてくる男って何?悪魔?って思った。(本当に狭くてタンポン入れる時さえ引き攣れるような痛みがある。どうにもならん)
映像にどんなふうに映ったのかは怖くて確認なんかできなかった。きっと酷い仕上がりだったと思う。きっと出演作は売れないだろうから身バレもしないだろうし、今後またAVに出ることもないなと思って帰った。翌月くらいにギャラはちゃんと振り込まれていた。
その後、事務所から何度か連絡が来ていたが全て無視をして、ようするに飛んだ。
10数年経って、特に何もなく暮らせているのでこの先も何もないはず。たぶん。
処女を捨てるという目的を達成し、変な呪いが解けて気が楽になったのは事実だ。何もあんな方法とることは無かったな、と思い返して反省はするが、あの頃の私にはそれしかできなかった。若くてアホな私は必死だった。何か起きたら責任は歳食った私が取るしかない。
身バレしたくないのに誰かに聞いて欲しくて書いてしまった。こういうばかもいるんだな、ふーん。くらいで流し読みしてくれ……。
飲み会で知り合った女に誘われて飲みに行ったんだが、酔わされてホテル連れ込まれて寝てただけなのに
所謂、美人局にあったのだが、そもそも酔っ払って眠くなって寝ただけで何もしてない
そこまで酩酊してた訳じゃなく
疲れてたのもあって眠くなってただけだ
本当に何もしてないのに、認めたら開放されるけど争うなら何年もかかるし仕事にも影響あると言われ
だから、ただ寝てただけなのに罪を認めて前科が付き犯罪者になった
こんなん許されるのかよ
けど、身柄を拘束され続けたら仕事も辞めなきゃいけなくなるし、どう考えても自分にはデメリットが大き過ぎた
俺のことを嵌めたやつらを本当半殺しにしたい
世の中に正義なんて本当ないわ
日本中の障碍者に取材して回って捏造感動レイプやるよりジャニーズの性被害者に取材した方が金集まるよな
昔のコンサートの映像出して「この時ジュニアとしてバックダンサーで出てましたが「選ばれたかったらジャニーさんに何されても我慢しろ」って先輩に言われててその通りにしました」とかコメントしたら視聴率爆上がりよ
15歳まで →レイプ扱い
16、17歳 →えんこー、いんこー
18歳 →合法
死語になりそうだね
てかそうか
15歳確定アウトなら創作界隈でも変わりそうだね
何年後に定着するのか知らんけど
レイプ未遂じゃん。ソイツは警察に言って逮捕されても文句は言えないでしょ。ぜんぜん気をやまなくて良いと思うよ。むしろ、告白してありがとうレベルじゃん。増田は悪くない。
追記見たうえでなお、「好みじゃないものを見たぐらいで」の一言だわな。
世界から自分の嫌なものを全て排除したい、悪しき女性生の発露だ。
お前はBLだけじゃなくて、キモオタ、ふつうのオッサン、黒人や障害者を、どんどん視界から排除したくなるだろう。
でも、男性がレイプもののAVに興奮するのと同じぐらい恥ずかしいことだという認識は持て。
正義面の発信をすんな。
25歳の男なんだけど、3年前に出張先のホテルで同性の先輩にベッドに押し倒されたことが未だにトラウマ。
やけにボディタッチが多くてなんか同性愛者っぽいな~とは思ってたけど100%の確信がなかったし、先輩の誘いだったこともあって出張先での「部屋来てよ」に行ってしまった。
そしたら20~30分くらい話したあと急にベッドに押し倒されて、体を密着された。
なんでいきなりされたのか分かんない・やっぱり同性愛者だったのか・このままレイプされるかも…とか色々な考えが頭の中を駆け巡ってたけど、なんとか逃げようとしても自分より体の大きい男に押し倒されたせいかいくらもがいてもビクともしなかった。
10分くらい経ったくらいで力が弱まってきたのでなんとか逃げて、自分の部屋に戻ってその日はちょっとしか寝れなかった。
次の日も出張先でその人と仕事をしなければならない訳で、他の同僚とかお客さんには昨晩何があったか悟られないように1日頑張った。
今思えば全部話して逃げちゃってもよかったとも思うけど、当時はなんとか頑張らなくちゃという気持ちでいっぱいだった。
帰りの新幹線はどうしても一人になりたくて、ちょっと嘘をついて会社の人とは違う時間に乗った。
どっと力が抜けて、家に着くまでずっと泣いてしまった。怖かったのをずっと我慢してた。
結局後日、その人に同性愛者であることを正式にカミングアウトされ、押し倒したことを謝られたけど、許せる気にはなれなかった。
詳細を話すと長くなっちゃうけどその後は彼がストーカーっぽくなってしまって、1日中電話がかかってきたりもしたので着信拒否したら1人で勝手に病んで会社にも来なくなってそのまま退職した。
まあ、誰が見ても嫌な経験だったとは思うんだけど、3年経った今でもほぼ毎日のようにあの押し倒されたことが脳裏によぎって嫌な気持ちになるんだ。性器をどうこうされてはないし罪状がつくならせいぜい傷害罪あたりとは思うんだけど、こんなことで3年もトラウマになっている自分が情けない。強姦された訳でもないし。
今は価値観の過渡期だから、トランス女性が言ったもん勝ちになってんのはまずくない?
本当のトランスジェンダーなら仕方ないし理解もできる部分もあろうけど、自称トランスですと言われて無邪気に信じて警戒すんなってのは無理があるでしょう
昔っからオネエ装ってレイプする人とか、友人同士だし男女意識するほうがおかしいとか怒り出して部屋入ろうとする人とかいるじゃん