はてなキーワード: スペシャリストとは
赤ずきんちゃんは、金髪の美少女でした。「将来、プロムに誘うならあの子だよな」村のにきび面の男の子たちはそう話し合ったものです。
やがて、平和な村に不穏な噂が流れてきました。なんと、狼団のテロリストが村に潜伏している可能性があるというのです。「愛国者法に基づいて山狩りをしよう」村長がそう呼びかけると、村人たちは松明と銃を手にテロリストを探し回りました。実のところ愛国者法は延長期限切れになって2015年の6月に失効していたのですが、そもそも愛国者法がどんな法律か知らなかった村人にはそんなの関係ありませんでした。
やがて、テロリストが潜んでいそうな場所が見つかりました。赤ずきんちゃんのおばあさんの家です。やはり愛国者法に基づいて仕掛けられていた盗聴器から、「モスクがどうたら」という会話が聞こえてきたのです。もしかしたら「モスクワ」と言ったのかもしれませんが、警察署長は自信たっぷりに「証拠は揃った、揃いすぎるほどな!」と断言しました。村人たちの中には「盗聴でわかったのなら山狩りは必要なかったじゃん」と思った人もいましたが空気を読んで文句を言わないことにしました。
警察署長が「さる筋から派遣されたスペシャリストだ」と勿体ぶって村人に紹介したのはほっそりとした少女でした。目深にかぶった白いフードからは見事なプラチナブロンド。そのあいだからは氷のように美しく澄んだ青い瞳が覗いていました。「彼女、すげーイカすな。なんのスペシャリストなんだろうな」村のにきび面の男の子はポルノめいた妄想で股間を膨らませながらそう話し合いました。
村の外れにある深い森、その奥へ奥へと白い少女が歩いていきます。やがて廃屋のならぶ集落が見えてきました。ここは開拓時代に栄えていた宿場町だったのですが鉄道が普及するとともに廃れ、ずいぶん昔から廃墟になっています。そんな廃墟の一角に赤ずきんちゃんのおばあさんは一人で住んでいたのです。こんなところにも老人問題の深刻さが見え隠れします。
白い少女は、おばあさんの家の前に立ち止まりました。ドアは半開きになっており、その前には広口のビンが転がっていました。つまり、ajar(半開き)と a jar(広口のビン)の掛詞になってるわけです。そんなダジャレどうでもいいので少女は「おばあちゃん、入るわよ」と言いながらドアをぐいっと開きました。ドアを開ける際にも油断なく左右を伺い、ドアの下部や上部のトラップワイヤーの有無を瞬時に判断するあたり、さすがスペシャリストって感じです。
ドアを開けるとむせ返るような血の匂いがしました。「おばあちゃん、すごい臭いね。まるで家のなかで人間の解体をしたみたいだわ」そう言いながら白い少女は寝室へ向かいます。寝室に入ると、人型ロボットがうずくまっていました。ロボットは「ぼく、いいロボットだよ」と言って高く手を上げて降伏の意思表示をしました。「いずれにせよあんたは赤ずきんの婆さんじゃあねえな。まあ死ねや」そう言うと少女は懐から取り出したソードオフ・ショットガンで至近距離射撃します。BLAM! BLAM! BLAM!
このソードオフ・ショットガンは、その名前の通り(sawed offは、のこぎりで切り落とす事)、普通のショットガンの銃身を切り詰めたもので、発射直後に散弾の拡散が始まるため、通常のショットガンと比べると有効射程は短いものの、至近距離の殺傷力や有効性はむしろ増大しており、更に全体の長さが短くなった事で、屋内などの狭所で扱い易いため、特殊部隊などが屋内に突入する際、出合い頭の戦闘が(敵と鉢合わせする事)多いポイントマンがエントリー・ショットガンとして用いる事もあるのです(Wikipediaより)。
ロボットはしゅうしゅうと煙を上げながら倒れ伏しました。少女は「しくじったな」とつぶやきました。おばあさんの家はいつのまにか一ダースほどの戦闘員に包囲されていたのです。
轟音とともに正面扉が吹き飛びます。おもわずそちらに包囲網の注意が逸れた隙に少女が裏口から飛び出します。銃弾が飛び交うなかをかいくぐり、戦闘員の背後にまわってショットガンを発射します。細身の体に似合わない怪力を発し、崩れ落ちる戦闘員の襟元を掴みあげるとそれを肉の盾としながら敵陣に突っ込みます。わずか50秒で瞬く間に敵を殲滅した彼女の白いフードは、今や血でベッタリと染まっていました。その美貌と戦闘力から彼女は「血染めの氷壁」と厨二っぽい二つ名で呼ばれていました。「白いフードが血で赤くそまるまで戦闘を止めない」アグレッシブな戦闘スタイルから、彼女を「赤ずきん」と呼ぶものもいました。(←これ、書いてて恥ずかしい)
血と肉片で汚れた銃身をフードで拭うと、その銃身に刻まれた文字がくっきりと読み取れました:
In Gun we trust
森から血染めの少女が帰ると、村ではお祭りの準備がされていました。今日はイースターのお祭りなのです。血染めの少女をみると、村人たちは「Meerica! Meerica!」と叫びました。突然音楽がかかり、村人たちはミュージカルめいて整然と踊り出します。バックコーラスは白い衣を着た聖歌隊です。聖歌隊には有色人種は一人もいません。スポットライトがあたる村の広場の中心に血染めの少女が歩み寄ると、先ほどの戦闘で見せた獰猛さを微塵も感じさせない清らかな声で、「アメージング・グレイス」を歌いました。
一部の、草彅や長瀬みたいな役者向きのジャニならドラマ出ても問題ないが、
亀梨や嵐の面々、山下みたいに演技が一向に成長しないオラオラ系のジャニタレは
本当に不快以外の何物でもない。
何が酷いって棒読みだし、身振り手振りが大雑把な上に何を伝えたいのか伝わってこない。
スペシャリストの草彅、フラジャイルの長瀬は如何にもこういうキャラなんだというのが伝わって来るけど
またか、と見切る。
ジャニタレに合わせたかのような場当たり的な設定や世界観はどうしても不快感が募ってしまう。
ビューティフルライフの時など女優の演技力のおかげで影に隠れてたけど
それとも演技指導をしようものなら、ウチの商品に何するのよって
メリーみたいなカスが出しゃばって彼らの演技やる機会を奪ってるのかもしれない。
あれでよく視聴率が維持できるなと思う事がある。
そのせいで最近のジャニタレが出てない良質のドラマが軒並み低視聴率なんだろう。
なるほど、ドラマの質が低下してると見られるのはジャニタレとそれを支える信者のせいだ。
ドラマを食い物にしないで頂きたい。
25人に1人の年収1000万以上の皆さんが日本の所得税の半分を負担しているって知ってます?
http://blogos.com/article/162698/
色々とデータを並べているが、読み解いて反論している人はほぼ居ない。大半の人がひっかかったのは次の部分だろう。
これ、自分で稼げている人間は全く同意なのだが、稼げない人には煽りになるよね。
なので、俺が年収1000万になる為のちょっとした話をしよう。
なり方は主に3つ
1 専門スキルを身につける。
例えば弁護士資格を取ったとしよう。それだけではイソ弁で終わる。
しかし、ここで下町ロケットで恵俊彰がやってた様な論文を読める特許関連の弁護士になれれば話は大きく変わる。
世の中の弁護士の9割以上は文系、そんな中で理系の知識が有るというのは大きなアドバンテージだ。年収1000万どころか億も余裕で狙える。
又は2国間の法律に詳しくても良い。日本の弁護士資格持ちで、中国やアメリカの特許や会社法をマスターしていれば生涯高収入が約束される。
上の例は少し極端だから、もう少しイージーな話をしよう。
例えば日本語、英語、中国語、ロシア語の内3つをマスターすれば、それだけで一生1000万を取り続ける事は可能だ。
やる事は星の数ほど有り、勤め人でも自営業でも生涯仕事に困らない。
スペシャリストになれる人間は、こんな記事読まなくても勝手に稼いでいる。
これを読んでいる平凡なパンピーは、ゼネラリストやマルチスキルを目指せ。1つで100点取るのではなく、関連分野で2~3個70点を取れ。
努力次第で「誰でも出来る」
2 自営業をやる
自営業で地味に稼ぐ。そして税金を出来るだけ払わない方法を取る。
農業でもいい。補助金をどうやって引っ張るかに詳しくなれば、コンサルの仕事は山ほどある。
いずれにせよ、税コストを最小にして手元に残る金と生活ベースで年収1000万クラスを目指せ。
出来ないと思うか?これも「努力次第で誰でも出来る」
まずは月に1万自力で稼げ。御用聞きでも便利屋でもゴミ拾いでも良い。誰でも出来る簡単な話だ。
3 アングラ
ちょっと前に流行った脱法ハーブ。アレで億稼いだヤツは多数居る。マヌケは捕まったが。
今も色々有るな。何とは言わんが。
どこでカネが動いているのか、法律の穴は何なのか、その辺りを10年も考え続ければ小遣いには困らなくなる。
仕事しながら考えとけ。体が動かなくなった時に役に立つ。
身柄を賭ける事になるが、中卒のヤクザや半グレでもやれるのだから、高校出ている賢い一般人なら「誰でも出来る」
ちなみに、誰でも出来ると書いてはいるが、あくまでミクロの話だ。
例えば俺の目の前に来た一人を年収1000万にするのはそう難しくは無い。やる気持って10年頑張れば誰でもなれる。
ちょっと聡ければ3年で十分だな。
しかしマクロでは年収1000万を超える人は1割居ない。そのあたり、勘違いして一生懸命グラフ出して反論しているバカが居るな。
基本的に世の中は信じられないほどのバカと真面目なバカが大半だからね。ここ読んでるヤツもどっちかだろ?
年収1000万は正しい努力を続ければ誰でもなれる。ただし、1億人全員が正しい努力をする事は無い。
まずはどっぷり浸かった常識を疑え。
ワナビー:何かになりたがっている人。ジャンルによりけりだけれども、インターネット、コンピュータ、プログラミング界隈ではハッカーやクラッカーになりたがっている人。
アタクシ、一応コードを書いて飯食ってる人
クソリプ、教えて君、来るもの拒まずのスタンスでブログやツイッターやっていました。
ワタクシにワナビー君が色々教えて欲しいとやって来ました。
ワナビー君は、友人や本人のブログでは大言壮語な表現と左官職人かと思われるほどキレイに塗りたくった経歴で施されていましたが、
読む人が読めばワナビーってのが分かる内容。
スルースキルもないから全方位からくる批判コメントで論破しようと大奮戦。
でもワナビー君、本当にワナビーでどの言語でもfor以上のことができなかった。
ワナビーってのは、憧れは強くても正しい情報を得られないだけで燻っていて迷走しているだけだとワタクシは思った。
ググって○○言語入門とかいうページ読んでも、14歳からできる○○とか読んでも、今まで触れていなかった概念を独学で習得するのは困難だ。
多くの疑問が湧いてくるだろうが、それを適切に体系だてて答えてくれるような人がいなければ遅かれ早かれ挫折してしまう。
ワナビー君は、本当にプログラミングができるようになりたいと言ってきた。
だから、教えてあげた。
関数のこと、メソッドのこと、オブジェクト指向のこと、丁寧に例題を作って、
そしてすっげーかっこいいゲームを作るとかOS作るとかの目標はとりあえず長期目標として胸に秘めて、短期目標として自身の生活を便利にする物を作ったほうが良いというアドバイスもした。
関数が(関数だよ!!)出てきたあったりでなんだかもうモチベーションを失い、
セキュリティのことに関して聞いてきた。
なるほど、聞いてみるとホワイトハッカー(アタクシこの言葉きらいなのよね)みたいなものにも憧れていると。
ネットワークのこととかOSのこととか、ワナビー君が疑問に思っていることを答えて上げたの。
でも、だめだったわ。
ニコ動やツイッターで一廉の人になれるような即効性のあるものがお好みだったみたい。
でも、アタクシも一廉の人じゃないし…
なりたいって気持ちだけで、それ自体特に好きなわけじゃないって
それに憧れも目立ちたいとかそういうことだけだって…
ワナビー君元気かしら…
任天堂の岩田聡氏が亡くなったことを聞き、とある男性のことを思い出した。
初めて出会ったのは、とある武道のクラブで小学校低学年の頃だ。
明るく朗らかで、でも平凡な子供だった気がする。
顔を合わせるのは週に一度だけ。
私は、そのクラブをやめたり、もう一度再開したりを繰り返し、彼もまたそんな感じで、終わったらササッと帰っていたので、それほど多くの言葉は交わしてなかったと思う。
同じ中学になって知ったことだけど、彼は学校の勉強が出来るほうだった。
小学校が別であったため、小学校当時の彼の学校での様子はわからないけれど、親経由でオール5をとったという話は聞いたことがある。
私もまた、そういう小学生によくいる、プチ秀才だったので、ふーんという感想しかなかった。
中学での彼も、明るく裏表のなく、私は彼をとても好いていた。
成績は当初、私のほうがよかった。
月並みのように思えた。
普段も、すこし昔の出来事を綺麗さっぱり忘れるし、文系科目は苦手で、記憶力がいいとはとても思えなかった。
でも、時々、ものすごく難しい数学の問題(私にはそう思えた)を解いたりして、普通とは違うかのように思える一面はあった。
学年が進んでも、彼は明るく裏表のないナイスガイだった。
でも、私だけは彼の異常性を感じていた。
人間関係における策略性のなさというべき、人に自分をよく見せようとか、他人を嫉妬するとか、そういう感情の欠如のような感じ。
決して冷たい人間ではない。
むしろ、手品とか、芸のような、みんなを笑わせようという行動はよくしていたけれど、本当にみんなを楽しませようとしか考えてない感じがあった。
クラス会などで、話し合っても答えが出そうもないような時はフラリと帰ってしまう、そういうところがあった。
ある日の授業、どういうわけか、自習になり、コンピュータ室でワープロソフトをいじらされた。
内容は覚えていない。流行ってる歌の歌詞を入力しなさいと言われてたと思う。
当時ベーマガ愛読していた私は退屈していて、その当時覚えたてのアルゴリズムを自分なりに改造して、真っ黒い画面に英単語や記号を並べていた。
幾何学模様が順に描かれていき、消えていく、そんな単純なもの。
その時となりの席だった彼に、なにをしてるのかと聞かれて、ほとんどそのまま答えた。
「ここが変数の宣言で~」「ここからここまでを何回もループさせて~」
映像として動かしたわけではなくて、当時の中学生からみたら、英語のような文字の羅列があるだけに思う、真っ黒な画面で、私はそんな解説をした。
「へー、イコールの記号は数学で使うイコール(右と左が同じ)と意味が違うんだねぇ。」
というようなことを彼が言っていたのを憶えてる。
今でも私だけが知ってる彼の秘密。彼自身も忘れてる彼の秘密だ。
同じ高校に進学して、数学や物理のテストで、彼の才は目立つようになった。
平均点30点代の試験で、1人だけ90点をとってしまったことが彼の名を校内に知らしめた。
でも、私がみる限り、彼は数学にも物理にも興味はなかったようにみえた。
彼の回答は、数学的ではないところがあった。
前提の元に解かれていて、その解が一般解である確認や他に解が存在しないかの確認がされてなかったりする。
目の前の問題を解決することに、答えに辿りくことに興味があるだけで、普遍法則には興味がないのだと思う。
そのことに気がついた時、彼の人の良さの答えがわかった。
目の前の障害をクリアすることにしか興味が無いから、他人を蹴落とそうとか、他人に嫉妬するという感情がないのだ。
問題を解決するためのアイディアを提案しあう話し合いでは強くても、参加者が気持よく賛成できる落とし所を考えるような話し合いでは帰ってしまうのだ。
彼が私に、彼の彼女に「「わかっちゃいるけどやめられない」と言われ、「それわかってないんじゃん」と笑ったら、怒られた」
と愚痴をこぼしたことがある。
私は彼のことが大好きだけど、私が女だったら絶対にこの男とゲットしたいと思うけど、世の中の女の受けは最悪だろうな、と思った。
彼が結婚披露宴に呼ばれたとき、思わず私は彼の結婚相手の女性に
「彼の良さがわかる女性がいて、本当に嬉しい。」
後に彼に、「嫁が私にかけられた言葉をとても喜んでいた」と教えてくれた。
彼自身は、その言葉がなぜ彼女を感動させたかわからず不思議そうに報告してくれた。
私の友人の話はここまで。
リーダーシップとはなんなのかを考える。
リーダーがバラバラの方向を向いた各メンバーの進行方向を、みんなの意思を、前に向ける仕事であるならば、私の大好きな彼は絶対に向かないと思う。
各セクションのメンツや気持ちを考慮して、気持よく「イエス」といえるような空気作り、そんなことは彼に出来ない。
もう中年に足を踏み入れつつある今でも、そんなことが世の中で行われていることすら気付いてない。
みんなの気持ちを調整して、みんなが気持よくイエスといえるような会議の進行は、会社の運営は出来ない。
理詰めで、冷徹に人を切るようなこともしない。
問題の本質を見抜き、凡人が、「これしかない、これが最良」と思える答えのその向こうにある、本当の答えに最速でたどり着く。
各セクションの内情など、わからなくても仕事を割り振りできる。
インプットに対するアウトプットさえわかっていれば、自分が知らない分野のスペシャリストだろうと、外部の組織だろうと、使いこなすことができたのだと思う。
なんら日本経済の成長に寄与しない社会貢献度の低い人間だよね。
起業などの挑戦者のある程度の母体数がなければ、知恵がたまらないし、起業の支援側もすることができない。
失敗者を攻められないよね。
それに元増田は成功した時には激しく嫉妬する日本人が意味不明と言ってるのに、嫉妬って決めつけんな、はないでしょう。
もう認めましょうよ。嫉妬してるって認めると楽だよ。
あとついでに、自分は臆病で小さい人間ということも認めましょうよ。認めると賢くなれるよ。
また本気で挑戦した人間は、失敗したとしてもそれなりに知恵がたまっているし人間磨かれている。そこらのバイトからでもやりはじめられるし、本気でやってたら何かのご縁があって、とある会社に落ち着くよ。
挑戦するものは、安定人間から見ると理解できないかもしれないけど、なんだかんだ言って道が付くんですよ。
そういう嗅覚も働くし、道のない道に、道をつけるスペシャリストなんですよ。
挑戦してる人でも何でもないよ。逃げてる人だよ。
あと、安定志向なのに名誉欲がある(嫉妬する)って言うのが意味不明で、
逆に、大志を抱く人間の方が名誉なんてご遠慮します、っていうのもまた滑稽だよね…
「お前は名誉が欲しいんだろ」と言われるけど、
それは、あんたでしょう、と。
名誉欲なんて、挑戦する道のりの初期の段階で捨てないと、
かならず躓くからね。
ノンフィクション作家の安田峰俊氏が、ツイッターでこう仰っています。
月サンは困ってます 第4話 http://yuekoma.blog.jp/archives/24859440.html … 毎回のブコメが個人的にはすごく不快。計算は5点だけど他に120点の能力持ってるスペシャリストを、全能力35点のコモディティ化した人たちが無能者呼ばわりして集団で殴る構図。
https://twitter.com/YSD0118/status/577631743739457537
要するに「何の能力もない貧弱一般人どもがクリエイター様を批判してんじゃねえよ」ってことで、反論したいけどうまく言葉にできないから批判した人を『全能力35点のコモディティ化した人』と悪口を言うしかないのでしょうね。
井上氏は安田氏の著作「境界の民」や「和僑」についてツイートし、「和僑」では宣伝イラストまで描いています。同じ角川系で本を出している身、今回の安田氏の擁護に「大人の事情」を勘ぐりたくなりますが、事情にせよ本気にせよもうちょっと具体的にした方がよろしいのではと思います。
はてブのコメントには事実誤認や誤読も多いです(私もやられたことがあります)。でも批判的な意見を言う人を「全能力35点のコモディティ化した人」と否定するのはいかがなものでしょうか。
……だいたいこんな内容のことをツイートしたところ、安田峰俊氏にブロックされてしまいました。
リプライを飛ばした訳でもないのにわざわざエゴサーチしてブロックするなんて、案外デリケートのお方なのかもしれませんね。
ブロックされなければ二度と話題にすることも無かったのですが、全能力3点の私ごときに反応して下さったのでせっかくだからツイートと日記にまとめてみました。
ともあれ、全能力95点のブランド化したノンフィクション作家、安田峰俊氏の今後のご活躍を期待したいと思います。
第1話
http://b.hatena.ne.jp/entry/yuekoma.blog.jp/archives/21927636.html
第2話
http://b.hatena.ne.jp/entry/yuekoma.blog.jp/archives/22232353.html
第3話
http://b.hatena.ne.jp/entry/yuekoma.blog.jp/archives/23632037.html
第4話
http://b.hatena.ne.jp/entry/yuekoma.blog.jp/archives/24859440.html
第5話
http://b.hatena.ne.jp/entry/yuekoma.blog.jp/archives/25251335.html
※追記
なんでも道徳が科目として扱われ、成績として評価されるようになるらしい。
TBSニュース23「変わりゆく日本」というコーナーで、試験的に行われた道徳授業の様子が放映された。
以下のシチュエーションについて生徒たちの意見を募り、先生と議論する。
「図工の時間。男の子が、となりの女の子に「赤い絵の具を忘れたから貸して」と言っている」
「女の子は(貸してって頼まれるの、今日で3回目だ……)と思っている」
「あなたが女の子の立場なら絵の具を貸しますか、貸しませんか」
むしろ相手のことを思いやることができるか、より多面的な見方ができるかどうかで判断する。
たとえば「もう2回も貸しているのに、今回貸したらきっと次も忘れちゃう。それはあなたのためにならないから、貸さない」というのは、相手のことを考えているので三段階評価のAが与えられる。
これを見て私は「何かちがうな」と感じた。
まず「あなたのためにならないから」というのは(もちろん回答例にすぎないのだが)、どうにも押し付けがましい。まるでおかんの言い草ではないか。友達どうしでそんな断り方、どんな年代でも普通はしない。
また、絵の具はもちろん一人一人の所有物なのだから、気分任せで「3回目だからもうイヤ」と断って、何が悪いのだろう。これでC評価じゃ、世の中のたいていの大人は道徳的に落第ってことになる。
この違和感の正体をつかむために思考実験を試みた。「もしも私に娘がいたとして、高校生になったとき、どんな対応ができるようになってもらいたいか?」
これをゼロベースで、すなわち「道徳」からは一旦切り離して、考えてみる。正直に。
1.ひと呼吸置く
とにもかくにも、何でもOKする人間にはなってほしくない。頼まれれば、人はついイエスと言いたくなる。でも衝動に流されてほしくはない。なぜなら(もう三回目なのに)という気持ちがたしかにあることを無視してほしくはないからだ。この気持ちは本音として是非とも伝える必要がある。そのためには「いいよ」と簡単に言ってしまわないこと。
2.相手の話を聴く
こちらとしては(3回目なのに)という気持ちを伝えてほしいのだが、その下準備として、相手の話を聴く必要がある。理由は、対話の技術として、としか言いようがない。「言いたいことがあるときは、まず聴く。そのほうがうまく行くことが多い」ということは多くの人が経験的に知っていることだと思います。
ただしこのとき、「貸して」と言われて「どうして?」と答えてほしくはない。なぜなら「どうして貸さなきゃならないの?」という文は反語として解釈されかねない。つまり「貸す理由なんてないでしょう」という意味に。私としては娘に男の子との対話をうながしてもらいたい。「どうして?」という言い方だと、むしろ対話を拒絶するニュアンスに近づいてしまう。
だから、やはり対話の技術として、相手の言うことをオウム返しにするのがいい。この場合、「貸して」に対して「忘れちゃったの?」と言っておくのがスマートだと思う。こうすれば、発言自体に新しい意味はないけれど、「私はこの件についてあなたと対話する準備ができていますよ」という態度を伝えることができる。
それにもしかすると、こちらが想像していなかった理由が潜んでいるのかもしれない。たとえば「きのう買いに行ったんだけど文房具屋が臨時休業だった」とか。聞かないことには、そういう事情も分からない。
3.自分の気持ちを伝える
「忘れちゃったの?」に対して「いやー買おうと思ってたんだけどさ」とか返事があったとしよう。
この二言三言を挟むだけで「えー、もう三回目でしょ」と言いやすくなる。「三回目だから貸したくないよ」とずばり言い切らないまでも、その気持ちは伝えられる。
4.成り行きに任せる
相手の話をうながし、自分の主張を伝えたなら、貸すか貸さないかはそれこそどっちでもいい。気分任せで構わない。まぁこの場合、頼まれれば貸してあげていいと思う。たかが絵の具なんだから。
「いやー悪い。頼むよ。次は絶対用意するから」「しようがないなあ。今回だけだよ」みたいな会話は自然だと思う。お互いに不満も残らない。
以上の手続きは、私にもし娘がいたらこうできるようになってもらいたいし、また私自身がかくありたいと望む姿でもある。
なぜ高校生の娘を想定したかというと、私は教員のみなさんのようなスペシャリストではないからだ。一介の素人にすぎない。だから小学生が何を考えているのか、小学生に何ができるのか分からない。でも高校生なら想像しやすい。
そこで次にこう考えてみよう。「ひと呼吸置く」「相手の話を聴く」「自分の気持ちを伝える」「成り行きに任せる」この四段階のすべてを小学生に教えるのは難しい。ならば、最低でもどれができれば、道徳の入り口として満足できるだろうか?
まず「ひと呼吸置く」のは小学生には難しいと思う。衝動的な反応を自制するのは、ある程度大きくなってからでないとできない。
「相手の話を聴く」。これはぜひできるようになってほしい。「誰かに何かを頼まれたら、『○○して欲しいの?』といちど聞き返してごらん」と一般化して教えるのは難しくない。
「自分の気持ちを伝える」「成り行きに任せる」はできてもできなくてもいい。前提条件として「相手の話を聴く」のが先だ。
というわけで「あなたが女の子の立場だったら絵の具を貸しますか、貸しませんか」というディスカッションテーマに対する私の回答は次のようになる。
「『絵の具を貸してほしいの?』と聞き返して、反応を待つ」
さて、この回答。みなさんはどう思うだろうか。教員はどう評価するか? 「自分勝手ではないけど、消極的すぎるな」という判断でB評価。こんなところか。
あるいは「貸すか貸さないかで尋ねてるんだから、どっちかで答えろや」と杓子定規に考える人もいるかもしれない。(道徳の授業なのに……)
また、みなさんはこう思われるかもしれない。「いまお前が並べたのは《コミュニケーション術》ではないか。議題に挙がっているのは《道徳》である。問題がすり替わっている」と。
たしかにそうだ。しかし果たして本当に道徳を教えることができるのか。どうだろう。大きすぎて扱いかねる論題だ。それに対して、コミュニケーション術なら教えることができる。少なくとも《技術》として。
思いやりは理屈で教えられるようなものではないと思う。相手がどう考えるか、自分ならどう感じるか、想像したり体験したりするなかで学ぶものじゃないか。対話をうながす姿勢をまず技術として身につけることは、その経験を豊かにする入り口となる。
だから私は、もし自分の娘が私と同じ回答をしたら、A評価を与えてあげたい。なぜなら、このようなオープンな姿勢こそ、思いやりを本当の意味で育むための第一歩であると考えるから。
仮に《道徳科目を考えるシンポジウム》みたいな場があったとして、もしもくじ引きで一般人代表として選ばれたなら、私はこう意見を申し上げる。
「先生方は道徳という言葉に引きずられて、やや教条主義的になってしまっているのではないでしょうか。つまり『道徳とはかくあるべきものだ』という定義から始めようとしておられる。だけどそのことが不自然な会話・違和感のある評価基準に結びついているように見えます」
「道徳を直接に教えるのではなく、間口を広くとって考えてみてはどうでしょう。『いま道徳を実らせなくてもいい。将来の芽を植えられればよい』といったように。そうすれば自然な対話・評価可能な《技術》に焦点を当てられまず。一例として、私が述べたような会話モデルが考えられます」
小松 美羽(こまつ みわ、1984年(昭和59年)11月29日)は、日本の版画家。アーティストとして風土に所属している。
長野県埴科郡坂城町出身。2004年(平成16年)に女子美術大学短期大学部を卒業した。
2009年(平成21年)に「美しすぎる銅版画家」としてメディアに取り上げられて注目を集めた。
小松美羽オフィシャルブログ「千年先のMIWACODE」Powered by Ameba
http://ameblo.jp/komakoma-blog/
画歴
●日本版画協会入選(東京都美術館) ●女子美優秀作品賞2度受賞(ガレリアニケ・大学校内) ●大学版画展(町田市立国際版画美術館) ●ROSES展(スパイラルガーデン) ●銅夢展(すどう美術館) ●絵と花のコラボ展覧会(神戸異人館・ライン館) ●阿久悠トリビュートアルバム「Bad Friends」(ポニーキャニオン)ジャケットと挿絵を担当 ●流通専門誌 「 Value creator 」表紙を担当(年間) ●阿久悠トリビュートアルバム「歌鬼3」ジャケット・挿絵担当 ●TSUTAYAオリジナル絵本・絵担当 ●ギャラリータグボート(絵画・版画取り扱)
週刊プレイボーイ 掲載12月15日 週刊SPA! インタビュー掲載
12月15日 CS275池袋ウェストフードパーク「MEGA美の泉」OA(26:30~)
12月16日 阿久悠氏トリビュートアルバム「Bad Friends」発売
12月16日 夕刊フジ 阿久悠氏トリビュートアルバム「Bad Friends」発売紹介記事掲載(小松がジャケットと挿絵を担当)
12月16日 CS275池袋ウェストフードパーク「MEGA美の泉」OA(18:30~)
3月29日 日本テレビ「DON!」美人スペシャリスト特集コーナーにてVTR&生出演
4月22日 au携帯ニュース情報サイト「ニュースEX」にて「美しすぎる文科系女子」特集に登場(1週間連続)
4月24日 J-WAVE「kiss and hug」内「WHAT'S YOUR JOB?」コーナーにてゲスト出演
5月30日 スポニチアネックスにて阿久悠トリビュート「歌鬼3」紹介記事掲載
7月14日 阿久悠トリビュート「歌鬼3」発売 ジャケット・挿絵担当
7月 女子美術大学オープンキャンパス・卒業生紹介タペストリー
8月 ソニー・エリクソンau公式サイト インタビュー記事掲載
9月6日 読売テレビ ズームインSUPER(関西ローカル部分)出演
9月14日 日本テレビ「oha4!NEWS LIVE」仕事人名鑑プロファイルコーナー出演
12月18日~26日 TOKYO CHARACTERS COLLECTION 2010 バイナルメーションbyディズニーストア ミッキー作品展示(青山スパイラルガーデン)