はてなキーワード: 自虐ネタとは
スーパーが早く閉まっちゃうから、職場の近くのスーパーで買い物してから電車に乗ることが増えた。
多分5歳くらい下の後輩くんがたまたまレジで一緒になったので、何買うのーとカゴを覗いたら、ごぼうと人参のカット野菜、袋入りの大根サラダ、サバの切り身に豆腐。
へー、料理するんだ、と言ったら恥ずかしそうに包丁使うのうまくないんで、焼いたり炒めたりとかするだけなんけど、と。
いやいや偉いよ、私なんか酒のつまみにでん六の豆と朝食用の菓子パンと謎ブランドの安いコーラよ、と自虐ネタで笑いを取りに行ったものの、ふと独身アラサー女でこれは終わってないかと突然焦りが湧いてくる。
後輩くんも察したのか、今度俺が作ってあげましょうか、とか言い出す始末で、じゃあコロナが収まったら頼もうかな、と取り繕って改札で別れた。
ABCクッキングスタジオもコロナが収まったら再開しよう。
失敗談を投稿することに特化したサイトを一ヶ月前くらいにつくった。
ログイン・会員登録なしで、一行から匿名で誰でも投稿できるサイト。
ネットを通じて色々な成功体験や成功している人を見ることができるが、成功談や成功している人を見ると、人は嫉妬したり、叩いてやろうというマイナスな気持ちが湧いてくることがある。
逆に自虐ネタや失敗の話って笑わせたり、同情心が生まれたりして、他人との心理的距離を縮めることがあり、プラスな効果が働くことが多いと思う。その失敗の告白がもたらす空気をネット上で再現したかった。
非の打ちどころがない優秀な人が抜けていたりすると、親近感を持つことがあるだろう?そのように弱点を晒されると、対人距離が縮まるという心理的効果が人にはあるらしい。
また、失敗は成功の素、という言葉があるように成功と失敗は表裏一体で、多くの成功の影にはたくさんの失敗がある。多くの人が失敗談を投稿することで、それを見た人が何かの参考になるような集合知のような側面も持たせようと考えている。
サイト利用の敷居を下げるために、上述したようにログイン・会員登録なしで一行から誰でも投稿できて、後は投稿された失敗談のソート・検索機能があるくらいで、単純な機能しかつけていない。
また、悪口等がもたらすマイナスな空気をサイトに作らないように失敗談に対するコメント機能は設けていない。
そのかわり、3種類のいいね!ボタンを押すことで投稿に反応できるようになっている。
「ドンマイ!」「笑った」「ためになった」の3つだ。3種類ともポジティブな意思表示の反応にした。
構想時には「ざまぁw」ボタンをつけようかとも考えていたが、マイナスな意思表示はこのサイトの趣旨に反するのでやめた。代わりに、失敗談ではない投稿に対しての通報機能をつけておいた。
本人が自虐して言うのも、ファンがいじるのも、巨乳だなんだと意味不明な嘘を言うのも、正直見たくない。
ピンキーちゃんといえば、みたいなミームが出来てるのがそもそも無理。
大体こんなに可愛くて面白くて努力しているハイスペ美少女有名Vtuberでも、胸が小さいという一点だけで「平田」というあだ名をつけられて永遠にいじられるの、軽く絶望感がある。
ただそれだけ。
こっから先はただのプロレスを理解できないマジレス野郎の愚痴言い訳お気持ち文章だから読まなくてもいいです。
バーチャルの世界では誰もが「なりたい自分」になれるのが最も基本的なことだと思う。
リアル世界のさまざまなしがらみに囚われず、自分の思い描く限りの、なりたい、好きな外見になれるのがバーチャルの基本的にして最大の魅力だ。
私は数百人近いVtuberを見てきて、たくさんの推しがいるが、最初はのじゃおじさんやもちひよこちゃん、おめシスといった自分で自分のキャラクターデザインやモデル制作をして活動しているVtuberから入ったので尚更この思考が強くある。
他の人にキャラデザやモデリング等を依頼する場合でも、人格を持ったVtuberを生み出すからには、所謂"魂"や周りのスタッフとしっかり打ち合わせをしてほしいしその上で、「なりたいキャラクター像」を作り上げていくのが、Vtuberの基本的な造形方法だと思う。
マジレス乙なのは百も承知だが、見た目に不満があるなら直してもらえ、としか思わない。
だって外見の変更が(比較的)簡単なのがバーチャルの良さではないか?と思ってしまう。
ピンキーちゃんはあの輝夜月ちゃんと同じママ(キャラクターデザイン担当)であり、そのキャラクターデザインはとても洗練されてお洒落で可愛い、超絶な美少女だ。3DのVtuberであり、モデリングも綺麗で動いても破綻が少なく、トラッキング技術もかなり高いものだ。所属事務所などは公表してないが、Vの世界の中でも(キャラデザ、モデリング、トラッキング等を含む広義な意味での、総合コンテンツとしてのVtuberにおける)見た目の良さはトップクラスだと思う。
中身もだいぶ可愛い。というか面白い。明るくポップな外見に反してアイドルオタクの陰キャで引きこもりなギャップも可愛いし、好きなことには一直線で時折暴走したり、空回ってしまいがちな人見知りだったり、でも面白いことに対するひたむきさがあったり。その姿勢はまさしくエンターテイナーだと思う。歌、歌えるの!?と本人もいっておきながら、歌、うまい。オリジナル曲もめちゃくちゃノリが良くて耳に残る、キャッチーでポップでお洒落な曲で、MVも楽しくて本当に魅力的だと思うので一見の価値ありである。
ここまで可愛いし魅力的な子が、何故「胸が小さい」ことだけをこんなにいじられるのか?
現実と違って変更が容易な「バーチャルの外見」を、しかも「女性の胸」という今時リアルで言ったら一発でセクハラになるアウトなことをだ。Vの世界はちょっとでも性的ならすぐセンシティブだセンシティブだ言うくせに、「平田」ということを誰も何も気にしていない。
いやそもそも初投稿動画で自分で言い出したのもかなり悪手だったと思う。
ママに、記念すべき初動画で言ってしまうの、ちょっとびっくりしてしまった。
再三言うが、希望があるなら最初に言って、打ち合わせするべきであると思う。
あれで、本人が言ってるんだからいじっていいことなんだろう、とファンは思ったのだろう。
輝夜月ちゃんとのコラボや、Mika Pikazo先生のイラストなどでも、まず胸の大きさを言われる。
他のVtuberでも胸が小さい子はもちろんたくさんいるし、気にするムーブや少し自虐する子も中にはいる。しかしそれを自虐することをメインコンテンツにしているVはほぼいない。(と思う)
それは多少なり、冒頭に書いた「なりたい自分」「なりたい外見」として、自分の見た目を愛しながら活動しているからだと思う。
ピンキーちゃんが自分の見た目を愛していないとは言っていない、むしろとても愛していると思う。
だから彼女やファンたちが言っていることは冗談だとわかっているし、所謂高度な「プロレス」なのだとは理解しているが、単純に面白くないのだ。(私にとって)
プロレスなら、見た目ではなくもっと別のことをネタにしてほしい。
だって今から変えたければ、ママに言って変更してもらったり、技術スタッフにポリゴン盛ってもらえばいいだけの話だ。
それを、キャラクターの売りにしたり自分は巨乳だとか事実は異なる意味不明なボケをしたり、ただのごっこ遊びにしか思えない。
ファンも、本人が自分で言うからネタにしている節があるが、正直サムい。他のこと言えばいいのにとしか思わない。
空気の読めないオタクついでにさらにいうが、女性の胸の大きさなんて、今時気にする人はいるのだろうか。
しかもこれは敢えて言うが「二次元の女性キャラクター」の胸なんて、余計に、ただの「設定」であり変更が可能なことである。
もちろん巨乳がいいとか貧乳はステータスだとか様々な好みがあると思うが、結局はただの外見であり、数値に過ぎない。
もちろん見た目から好きになることはあるが、逆に好きになった子が貧乳だったから好きじゃなくなった、とかはよっぽどでないとない。はず。
女性の胸の大きさなんて結局ただの他人の好みであり、大きければ良いものでもない。モデルさんなんかは胸が小さくてスレンダーな方が良いとされているだろうし、大きいと肩が凝るからとか男が見てくるから嫌とかいう人も多いだろう。これをただの自慢だと考える人はかなり視野が狭いと思う。
男性に置き換えるのは難しいが、例えばよく言われるのは身長の高い低いとか頭髪の濃い薄い、性器の大きさなどだろうか。
所詮みんな世間のルッキズムに価値観を毒されているに過ぎない。
そんな他人の身体のコンプレックスを、例え愛情からくるいじりでも、からかったりするの、どうなんですか。
もちろん見た目がいいことに越したことはないが、だからといって多少それを満たしていなくても、何の問題もない。
バーチャルの世界でこんなことを言うのめちゃくちゃ滑稽だが、それならば「平田」ネタがどれだけ滑稽かもわかってくれ。
その人の人間性には何の関係もないし、外見のそういったことで人をあれこれ言ったりするのはダメなことだと、それこそ我らオタクたちが一番わかっているのではないのか。
今ではもう現実で他の女性の胸について言えば即セクハラになるし、人の見た目をアレコレ言わない、という社会全体の考え方の変化は、見た目で悩む人を女性に限らず昔よりもずっと生きやすくしてきたと思う。
そんな一昔前の古臭い考え方を、何故今更掘り返すような真似をするのか、しかも外見の変更が容易なバーチャルの世界で、と思ってしまう。
キャラクターエディットができるゲームで、頭がスキンヘッドのキャラを作って「フサフサだろ!」とか言ってるのと変わらない。全く意味不明だし、面白くない。本人たちは内輪のごっこ遊びで冗談で面白いのかもしれないが、現実でハゲていたり好きでスキンヘッドをしている人たちに対してどういう感情があるのか不思議に思ってしまう。
まあ、それを面白いと思う人を否定するつもりはないが、それならもっと突き抜けて、人外とかでやってほしい。
胸の大きさなんて、身長の高い低い、眼鏡をかけてるかかけてないか、そういうこととなにも変わらない。
ただのその人の個性に過ぎない。
作られた「キャラクター」であるVtuberなら、尚更である。
(ちなみに私は女性の胸は大きさより柔らかさと感度だと思っているし、好きになった女性がタイプだ。)
ピンキーちゃんの面白さ、可愛さ、魅力は「平田」なんてあだ名で収めてしまうのはもったいない。
1周年を迎え、オリジナル曲も出し、リアルイベントにも出演し、努力し続けている彼女自身を、私は応援したい。
最近は胸ネタが少なくなってきてるのでちょっと嬉しいが、私は彼女のTwitterのプロフィールを見るたびこのマジレスを思ってしまうのできっと当分はこのままだと思う。
あなたは十分魅力的だから、自虐ネタなんてもうしなくていいよ。
(推しを自分好みに操作しようとする厄介オタクにはなるつもりはないし、こういう考え方を他のファンに強制するつもりもないです。ファンの間で問題提起するつもりもない、ただの独り言で愚痴です。)(オリジナル曲配信おめでとうございます。買いました)(コールできないオタクでごめん)
ゲーム日記、お嬢鯖、めぐみん、パンティー。はてラボだからなんとなく嫌な予感はしたけど、見ながら眠たくなってきた。
何なんだろこのわざと狙って古くした感じ。パンティーの柄といいおっさん風のノリといい。
えっと、はてラボってはてなでも王道目指してるとか馬鹿なこと言ってないよね?
サービス終了しないだけでもマシな方なのか・・
というかスターレンダとか比較的面白いシステムが眠ってるはてなスターを放置して増田とはてブに力を入れる意味がわからない。
xevraを自虐ネタに牽引したのはまあ間違ってないと思うけど。
「はてなハイクはよかった」
「フォトライフってなんだっけ」
などと言っているのを目の当たりにしてうんこ漏らした。特に前者はひどい。西暦何年だと思ってんだ。
あのおっさんたちからすると、多分はてなブログあたりは互助会だけのブログなんだろうか。
人力検索はてなが論争の俎上にも登らず、ひたすら知恵袋やOKWAVEの話題に明け暮れていたことを考えると、クソ雑魚ナメクジなんだろう。
そういや、すいすいすいようびも増田だったね。やっぱすいすいすいようびは増田最後の良心じゃないかと思う。
元増田の内容をほぼ把握してないけど正直どうでもいい。
よりも、それを受けて他の未婚の女性声優をいじる風潮が嫌いだ。
「早く結婚しろ」「危機感を持て」なんてリプライを本人に投げるノリが本当に寒い。
声優自身も自虐ネタとして消化しないで欲しいと思う。男性女性問わず。
そういうノリが嫌いなのは私自身が結婚する気がないのに職場で未婚キャラとしていじられているのを思い出してしまうからというのもデカイけど。
結婚しない理由はいろいろあるだろう。公にできない理由があるかもしれないし(私はこれ)、単に報告していないだけかもしれない。
いや、そもそも結婚報告する必要があるともそれほど思えないんだけど。
それを言っているファンの何割が未婚で、そのうち結婚しなきゃって本気で焦ってる人ってどれくらい居るんだろう?
でも本人が受け入れているならそれを止めろというのもまたエゴなんだろうな~~~
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191225/k10012228051000.html
の記事において
「いい加減「罰金を払ってでも雇いたくない存在」ってのを認めたほうがいい」
grdgs
osudakeknowledge
id:sakuya_little 周囲が反応に困るので、自虐ネタは止めた方が良いですよ。2019/12/26
雇用に加え合理的配慮も今は法的義務(手帳の有無さえ問わない)。法律は整備されてるけど社会がまだ変わってない。あと障害者の定義も広がったのでsakuya_littleみたいな異常者も実は自覚のない障害者だった例が多い2019/12/26
wrss
id:sakuya_little 「罰金を払ってでも雇いたくない存在」←雇いたくなるまで罰金の額を増やせば解決だね2019/12/26
akikonianakikonian
sakura_little って根っからの差別主義者なんだな。自分だけはこの先何事も起こらず差別される側にまわることはないと思っているのだろう。2019/12/26
なるほど、彼らからすれば私は「クズで異常者で障害者で差別主義者」だそうだ、ちなみに私が日本を出ていくのなら彼はいくら金を出してくれるのかちょっと聞いてみたい。
一人だけ「(私)みたいな異常者は障害者だった例が多い」と言ってしまい、勢い余って石を投げられる側に回りそうな人がいるのもポイントが高い。
何なら「私を障害者と呼ぶなら、貴社で障害者として雇用してくれないか。その寛容なお心で」と言ってやれば、私のような捻くれた人間が混ざっていても雇用しなければならない方の気持ちも分かってもらえるだろうか。
さて、私は「雇用義務のある企業の半数が規定の雇用率に達しておらず、3割の企業が1人も雇用していない」という事実について述べているのだが、ここまで反対意見が多いならもしかすると私の意見が間違っているのかもしれない。
私の意見を否定するなら「5万社もの企業は、本当は罰金を支払うくらいなら障害者を雇いたいと思っている」ケースを考えてみる。
確かにその可能性は無くもない、全社に行き渡るほど障害者がいないかもしれない。
そこで内閣府の「平成30年版 障害白書」を見てみると身体障害者436万人、精神障害者392万4千人、知的障害者108万2千人。
勿論全てが労働者にはなりえないだろうが、どうも足りてるように見えるぞ。
平成28年度のハローワークにおける障害者の職業紹介状況を見てみると、新規求職者191853人に対して就職率は48.6%だそうだ。
こちらも余っているように見えるな。
更には資料では「重度身体障害者又は重度知的障害者については、その1人の雇用をもって、2人の身体障害者又は知的障害者を雇用しているものとしてカウントされる。」とされているので、実際の雇用人数はもっと少ない。
そうすると企業は「本当は雇えるのに、雇いたくないので、罰金を支払う方を選んでいる」と考えて良いのではないか?
つまり障害者というのは「罰金を払ってでも雇いたくない存在」とされているのではないか?
それを指摘すると何故罵倒されるのだろうか、文句はそのように扱っている各企業に言ってほしいものだ。
他のコメントに「合理的配慮をすれば働ける」というものがチラホラあったが、人よりコストをかけてようやく人並みになる程度の人材を歓迎するのは中々難しいだろう。
「私、ダイエットしてメイクすればそこそこ可愛いからジム代とコスメ代出して」って女の子と付き合える人はどれだけいるというのか。
そもそも本心から企業が障害者を雇用したいのなら、罰金など設けずとも自ずから雇用するので、こういう法律があること自体「そうしなければ雇わないだろう」という現実を反映しているのだ。
お笑いというのが人の失敗や苦境、容姿の差異についてそれを有益と認める方向の価値観ではないということを話題として伝播させる様式であることが多いのが問題
問題性としてはその方向性が多いため育成されるものがおおよそそういった表現方法しか知らない状態のまま収益活動に活用されること
収益活動に利用されて問題なのは、主たる目的の収益があがらなくなるということ
もとより他人の失敗を笑うと言うのは価値観を付与した情報の作成方法としてある
笑い話というのは伝聞を伝聞から作成するにあたって要所を個人が抑えやすく再編するにあたって再現性が低くとも主体が残されやすい
文脈と結果をセットにしているためでそのどちらかだけ再現しても笑いにはならない
オチを解説しなくてはならない状況になった時その笑い話は笑うという行動起因を欠いていることにならないためお笑いという形式に固めた情報伝達を行動によって得られる快感で伝播させやすくする
情報伝達媒体として人間関係を築くというのは相対的な人間の成り立ちという根本であるため伝達することやされることは栄養を摂取するに近い快楽を得られる
これを他人の苦しみや災難を笑うことで伝播するという形は発生事象を広め多角的に回避策を考察するためにまず拡散をするということにある
喫緊に解決が必要な状況や関係性でないため遅延して伝聞を拡散するという状況において笑うという感情を利用する
これがお笑いも役立つ教訓になりえ、さすがといわれる落語や関心される漫談になりえる
この伝達を目的とした情報の形成とその受動について作用する「笑い」のみ笑うことのみについてを目的とすると
これは差別的に特に特徴のない事象や小さな差異を大規模的に解決の方法を公募する形で伝達させることですら内容に含む場合がでてくる
差別や侮蔑というのは極小単位での差異を価値観にしたもので規模を広げれば希釈ができる
大阪ナオミが自宅に漂白剤をもっていないわけがない またなくとも自宅に洗剤があるのはとくに特異なことではないしなかったとしても解決方法を要する問題ではない
しかし文脈においてと分節単体においてその指摘する内容は「大阪ナオミに漂白剤を浴びせる」ということ目的としてる
これは笑えるわけがない 面白い要素がない いじめのドラマで中学生がこんなシーンを演じる台本があったとしても笑えるシーンにはならない
もちろんそういった行為が発現するという可能性がゼロではないためその情報を好んだり伝播単位にすることを行う人間も少数は存在するしそれをなくしては防護対策はできない
その特殊な思考の偏りについて発言するのは趣旨にそれるため面白くないという意見が情報を接種した人間すべてではないということに留めるが
「日焼けしすぎやろ」「外で運動しすぎやからな」「服の汚れとか汗がきになるやろ」「漂白剤がいるな」程度には範囲で希釈すれば漂白剤発言は問題にならかったかもしれない
そこまで観測対象を広げるとなにが異常でなにが問題点でそれを解決する知恵をかりたい 知恵が必要な問題点を見抜く視点をもっている有能さ として笑いを起動できるか
となるとその視野と思考の範囲では材料に対して「自分たちが会話をしている流れだけで楽しいこと」であることに気づかず自分たちが笑えた事実のみを基盤に
これは元増田が見た通り「出来るお笑い」を作れるコンビだったかもしれない その才能はあったかもしれない
しかし組み上げる方法や手段を持っていなかったりかのコンビが取得できるところにそういう伝播の情報形成における基礎的な情報がなかったのではないか
師事することやその見解について最低限ここに書いた事を受け継いだ人間に触れることで取るべき手段と選択すべき素材とをもっとよい結果につなげられたかもしれない
これは才能があるとするとその個性や特徴における評価について低いものではないとすると おかれている環境があまりに程度の低いものではないか
他にも連続して発生している「お笑い芸人」の不適切な発言問題をみると彼らを育成する土壌というのが根本的に肥料が少なすぎで粗悪な環境ではないのだろうか
またそのような環境を経てもテレビに出さえすれば収入を平均より大きくもらえるのではないかという自己の社会適応性と可能性を天秤にかけた結果
「お笑い芸人」を選ぶという好機を目指した選択について「人を笑わせる」がどういった引き金を用いてその才能だと思っていたのか研鑽したり
訓練する機会が急激に減っているのではないだろうか
自分が馬鹿なことをして笑いものになることで笑いを取ることができ、笑ってもらうのが好きなのでお笑い芸人になるというのであれば
解決すべき問題というのは自分自身で自分自身を社会的に抹殺してもらったり迫害してもらうために自分で情報を発信しているということなる
自虐ネタということでそれを作り上げる人間もいるわけでそれらを素人がいくつか見るだけでもお笑いとはどこで笑うべきかなにを笑うべきではないのかを充分に知りえるはずで
ネタを考えているときにコンビ二人がその常識から逸脱してしまったことに気が付けない知識の少なさ経験の少なさ
価値観の平均を知ることができなかった社会適合性とやはり経験 これを管理する側としては業界は解消すべき直近の問題ではないだろうか
このまま複数件同様の問題が続くようであれば これはもう芸人の個別問題ではないむしろお笑い芸人は笑われて捨てられる被害者なのではないかと考える
現在問題を機に排斥されたお笑い芸人たちがそれらに気づき反省し再度かえってくることがあれば充分にお笑いをたのしめるのではないだろうか
平均より少ないのは確かだ それこそ女の露出を求めるならそこら中にある裸エプロン以下みたいなソシャゲを勧める
こいつがメギドにあえて女の露出を求めるのは何でなのか最後まで分からなくて残念だった
これ以上女の露出増やすとなるとこのソシャゲの場合比例して男がブーメランかフンドシしか着られなくなるんだが
そうなった時は自分もさすがに止めざるをえない そもそも最初から求めてない
同性愛の部分はもろホモフォビア文脈で格調下がりまくって落胆した もう少し頑張れよ
多様性って「表現の自由」みたいに何をどう侮辱しても使える魔法の言葉だと勘違いしてないか?
衣装はそれいったら髪型もアウトだからな タイトルもロゴも絵柄も古いダサいってむしろファンの共通認識だから身内自虐ネタと同じであいつら喜ぶぞ
要は当人にとってコンプレックスになってたり、無駄に追い打ちかけて笑ってるやつ。
当たり前のように存在してて、今も多少トーンは抑え気味だったりTPOをわきまえる風潮出てきたけど存在してる。
あれって、結局、優位に立つ、下には下が居るというのを共有するって感じで自尊心保つのとか、ストレス発散するのに最適なツールで笑いと繋がったのが最悪だったと思ってる。
他人に向けるか自分に向けるかで自虐ネタも似たようなジャンルだと思う。
小学校時代過ごした街は、元々畑だったのが駅が出来て、先祖代々住んでる土地持ちと、公営の団地の家族と、結構高いマンションやら畑つぶして立てた分譲住宅に移り住んできた家族とでごちゃ混ぜになってた。
当然のようにいじめもあったし、いじめとは違って、無視したりいじめ続けたりするほどではないけど、最底辺の友達としていじられたおしてるキャラも居た。
ヤンキーの元みたいな暴力的な奴もいたし、20人の男子が、上位集団(ポジティブでハイスペックなやつか明るい暴力的なやつ)、中位集団(人付き合いの上手いお坊ちゃまやスペックそこそこの中流家庭の子)、下位集団(それ以外の中でも友達付き合いが可能なレベルの人間、顔が不細工だったり、頭悪かったり、家が貧乏だったり、運動できなかったり色々問題は抱えてる)、ほとんど誰とも絡まないやつ数人、いじめられっこ、みたいに分かれてた。
上位中位はそれなりに仲良く、中位と下位も時には一緒に遊んだりするんだが、上位と下位となると明らかに接し方が変わってくる、お前らよりも上だってのを隠すつもりもない。
もちろん中位は下位をある程度は見下してるんだけど、まだ距離が近い分上位に対する時ほど卑屈にならずに済む。そう、小生は下位グループに属していた。
下位グループは今でいう陰キャっぽいやつらが、でも俺たちそれなりに楽しんでるんだぜって仲間内だけで支え合ってるツイッター民みたいなもんだから、そんで関西人だったから自然と、面白さが評価基準になっていく。下位の中でも上位をキープするために、上位や中位とうまく付き合うために。その他諸々の理由で。
そんときに、もっとも容易に笑いっぽいなにかを得られるのは、いじり、不謹慎ネタだった。不謹慎に関しては中学ぐらいから流行りだしたか。
さて、そもそもはいじりや不謹慎のお手本としてテレビでそういうお笑いをやってるのが悪く、どんどん排除されてってるが、じゃあその穴は誰が埋めてくれるんだろう。
今の小学生もお笑い好きだったりコロコロ読んだりはしてるだろうけど、小学生にとってオリジナルネタを開発するのはハードルが高い。
テレビのモノマネになってしまう。いじりや不謹慎の便利なところは学校の先生モノマネと一緒で、洗練されたフォーマットを身内で置き換えることでさも自分が作り出したネタとして披露できるところにある。
当時はそういう目の付け所、いじり要素を発見したり(モノマネでいう先生の口癖とか特徴的な動きとかか)、新たに街で発見したおかしなおじさん、地元にはまだまだ沢山出没しているが、そういう明らかに地域の大人たちからもはみ出している存在にあだ名をつけたりする能力を磨き合っていた。
いじりもはじめは容姿や能力から親の仕事とか家のにおいとか、まあ陰湿だし、なにも褒められたことではないのだけれども、新たな要素を発見しては飽きるまでいじるという行為。
完全無欠によろしくないことなんだけれど、そういった行為を通して、空気を読んだり、人との距離を測ったりという経験値も明らかに積まれてただろう。
そして、ネタが受け入れられたことや他者より優位に立ってるという思い込みを通じて、精神的な平穏を保っていられた。
勉強も運動もできず、家が裕福でなく、ルックスにも恵まれていない、でもクラスの一員としてはみ出さずに居場所を作るにはそういう能力が必須だった。
そしてそういう子供が成長した今、場末の飲み屋ではいまだにいじって笑いを取るおっさん、不謹慎ネタをぶっこむおっさんが多数生息している。
もちろん、社会に出て、限度をわきまえたり、相手を選んだり、笑いに変える(付き合いでのお愛想も含め)能力は多少成長している。
が、そもそもオリジナリティなど皆無で、他人のフォーマットをアレンジする以上の能力がないので、それ以外のネタとしてはせいぜい漫画のセリフを引用ぐらいしか引き出しは増えていない。
現時点でのおっさんは、それ以外の武器を持ち合わせていないのだ。
そして、それ以外のコミュニケーションで己の居場所を作ることができなくなっているのだ。
なんとか己の自尊心を見たそうと軽はずみな発言などしようものならマウンティングおじさんと呼ばれてしまう。
そして人をいじることしかできないおっさんや、不謹慎なネタを平気で口にするおっさんは若者から煙たがられるようになってしまった。
狭い範囲の観測で恐縮だが、50代以上は過度ないじり世代、それ以下は不謹慎ネタの比率が高いと思う。
年配にいじりが多いのは、年上なのをいいことに十数年、あるいはそれ以上の期間、いじりネタ一本で生きてきてしまった上の弊害でもあろう。
そして、今の40代はひょっとすると年下が増えて、いじりのダークサイドに堕ちてしまうのかもしれない。
あと30代は自虐が多い。
20代は引用ネタが多いような気がするし、そこそこ自虐も使う。もちろんそういう傾向が見えることもあるってだけで、きっぱり割り切れるものでもない。
とにかく、40代の小生からしても50代のいじりは見てて辛いものがあるし、なんなら年下から我々も同じように思われているのだろう。
時代が変わってしまったんだから、新しい能力を手に入れて適応すべきだが、今更困難だ。
それでも、いじりと不謹慎は排除すべきだとも思う。人を貶めることで結局自分に跳ね返ってくるからとか綺麗ごとを言いたいわけではない。
単に、それが時代に合わなくなり、取り残されたおっさんが集う呑み屋以外に居場所がなくなってしまうからだ。
もちろんこのまま同様の人種だけが集まってなれ合って終わりを迎えることも簡単だ。
そうやって自虐ネタで煽るのやめなよ…。(´;ω;`)