はてなキーワード: 自虐ネタとは
横山了一嫌いなのはわかる。なんか、テンションが鬱陶しいんだよな…
Twitterでエッセイ漫画書いてるやつだと、ウサギのみみちゃんとか、ゲイのもちぎも苦手。
ウサギのはまずビジュアルが気持ち悪い。あえて自画像を他のキャラより気持ち悪く書いてるのが歪な自意識がにじみ出ていて怖い。そのクリーチャーが正論?みたいなので世の中ぶった切るみたいなのも、自分カッコいい感が出ていてゾッとする。
ゲイのもちぎは軽い自虐ネタのときは面白かった。けれど、マイノリティでも偏見の目に負けずに生きてます、からかってくるやつを正論でぶった切りました、ってのはちょっと見ていて、素敵な自分を創作してシコってるオナニーっぽいなって思ってしまった。あと、毒親から虐待受けてたって漫画は読んでいてダメージ受けたから、もう読めない。しんどすぎる
ナイキのCMにいいね、と言っただけでナイキはウイグル人差別に加担しているダブスタと言われた。
そのことは知らなかったし、それはそれとして切り離してCMの外国人差別は宜しくないではどうも済まされないようだ。
そうかと思えば、ろくでなし子が子どもは在日だなんて知らないよね、という呟きに対して反差別が知らないことと無かったとは違うと嗜めると知らないことまで責めるのは違うと言われた。
もちろん同じ人は言われたわけではないがダブスタとはいったい…
一度反差別の態度を取ると一貫して一切の矛盾も許されないようだ。
個人的にはメッセ黒田の貧困ネタみたいなものかと思うので思い出し話にポリコレ持ち込まんでもと思うが、公立中全体と捉える主語デカ案件も相まって反差別のダブスタが批判されている。
反差別的コメントをしているidをいくつか遡って見てみたが基本的な立ち位置は変わらないが、やはり人間は感情があるので何かしらの事情があるかは分からないが差別的発言が目に付くことがあった。ダブスタは受け入れるべき批判だろう。
対して反差別的コメントを批判するidは差別に対してコメントはほとんどしないので差別にどう思っているのかは分からなかった。
ただ一貫して反差別の偽善的態度を批判しており、その態度の軽さ、発言の矛盾を指摘している。
中には黒人に親を殺されても黒人差別を批判する気概が無ければ反差別を気取ってはいけないと申すものもいる。そら字面ではそうだけど…。反差別主義者に親でも殺されたのかと思うほどの厳しさだ。
例えば10ある差別のうち5,6個には明確に反差別を謳い、残りは消極的ではあかんのだろうか?
動物園にしても、そう表現はしても公立中やその公立中で動物のように振る舞う人をそのままにしておこうという人はいなくて改善の必要は皆一致してるんだよ。ただ個人的な恨みがあるからそう積極的にはなれんのだろう。そこはそういう過去のない人が関わればいい。差別を温存若しくは差別に加担は論外だけど。
グラデーションある反差別の人に対して全て塗りつぶせと批判しても何もならんやん。それどころか反差別的行動への足かせにしかならない。正義面が気に食わないというただのヤンキー的思考だったらしゃーないからごめん。あれでしょ?道端で転んだお婆ちゃん助けたら良い子ぶってんじゃねーよ、ってやつ。
一貫して矛盾しないなんてめちゃくちゃ難しいんだから、各々思うとこで反差別したらいいやない。それはそれで優しい気持ちの現れだしね。
ここは蛇足。
あとはてなーの地が出た、これだからはてなーは、というコメントしている人ははてなという場を使ってコメントしている自分もはてなーなんだから、あれは自虐ネタということでいいんか?
memorystock 「ちゃんと考え始めたらすごく難しくなったんだけど!」言われてもな。一歩目踏み出せてよかったですね。その先が無理ならその人らは当該問題扱う能力がなかったということ。無駄に気付けてよかったですね。
augsUK 海の向こうの話題(BLM)にも敏感で許容ゼロの人が、最も身近な自分の差別行為は差別じゃないと言い張ってる構図の醜悪さの理解がそんなに難しいの?今頃差別問題の難しさに気づいたとか勘弁してね。
お二方のコメント見てきたけど、明確な反差別的なコメントはせずに、反差別批判ばかりしてる…
少なくとも差別に反対している姿勢を見せてるはずなのに、「バカに分かるまい」で切り捨てられちゃいました。
これで反差別が分断煽ってるとか、差別している自分に気付けとか、ホント何がしたいんだろう?
warwarwar おっ。指摘したい点はいくつかあるが、厳しさを自覚できたならようやく人並みの高校生くらいの認識にはなれたな。これからも自省していこうな。多分明日には忘れてるだろうけど。
指摘したいと言いながらせず、人並みの高校生と言い放ち(学歴差別かな?)、自省を促すその姿勢。絶対2ちゃんねらーだったろ。
warwarwar 見識を示せと言うなら示すけど俺はただの現状肯定派だよ。この前の草津の件で、背景も見ずに属性だけで吹き上がってたバカ。あの手の輩が世の中を良くした例をついぞ知らないただの現状肯定派。是非違いを見せてくれ
いやいや、その上から目線のコメントをだす前に自らが「人並みの高校生」(動物園は差別という人が使う言葉かな?)以上の見識を示してもらわないとマウンティングでしかないでしょ?ってことなので、別に今さらあなたの見識は要らないです(笑)
勝負はしてやらないけど俺はお前より強い、って最高にカッコよかったですよ。2ちゃんねるでよく見ました。虚勢ってやつだよね。
という言説を見たけど、ものすごく癖の強い歌い方ってだけで下手だと思った事はなかった。
私は多分世代では無いけど親がCDを持っていたし、小さい頃は輪舞曲やまちぶせが好きでカラオケでいっぱい歌ったし、魔女の宅急便の歌も学校で歌わされた卒業写真も繰り返したくさん聞いた。
正直「ひっでえ歌声だな。誰だよ歌ってるの」っていう第一印象。
私だってそんな耳の良い方でも歌の上手い方でもないけど。それがユーミンだったのが本当にただただ悲しくなってしまった。
彼女だったと知ってから曲を聞き返したら確かに歌い方に面影を感じたのが余計に辛かった。
ファンでは無かったからもうずうっと彼女の新しい歌を聞いていなかったけど、この感じはいつからなんだろう。
あの外国の楽器ような柔らかくて凛とした可愛らしい歌声はなくなってしまっていた。
声帯は筋肉だから、人生を重ねていけばいつかは衰えてしまうのは仕方ない。
仕方はないけれど悲しいものは悲しい。
「深夜アニメやラノベなどに対するイメージの変遷」(https://hikari-skrkw.hatenablog.com/entry/2020/08/04/001004) というブログエントリを見つけた。
面白い考察だとは思ったが、自分の意見とは違う点があったため、ちょっと書いてみたい。
これはあくまで個人の意見であり、周囲の環境や価値観によって全く異なった意見を抱くものだと思う。
「深夜アニメやラノベに対して、不健全・不道徳・いかがわしいといったイメージを持っていた」という点は私も全く同様である。そして、大学も卒業した今となっては深夜アニメやラノベを楽しむことに何の後ろめたさを感じない。
ただ、『「当時の自分がそういうイメージをもっちゃっててもまあおかしくはないかな」とは思えない』という点については、私は異なる意見を持った。
小中学生の頃には深夜アニメやラノベに対して不健全・不道徳・いかがわしいといったイメージを持つのは当然だと思う。
夜ふかしはいけないと言われ、夜に出歩くと補導だとしつけられている小中学生にとって、深夜という時間帯はそれ自体が不健全で不道徳でいかがわしいものだ。
深夜に放送されているコンテンツに対してそれ自体不健全というイメージを抱くのも当然だ。
さらに、実際、深夜に放送されている番組の中にはいかがわしいものもあるという事実がそのイメージに拍車をかける。
一方で、大学生にもなると飲み会で終電になることもザラにある。深夜 = 不健全というイメージは無くなり、深夜は日常の一部となる。
ブログエントリにもあったが、小中学生の頃は周りにはあまり深夜アニメやラノベが好きな人はいないということだった。また、周囲の大人にもそれらが好き(であると知っている)人はまずいない。
一方で、小中学生の頃というのは、とりわけ同調圧力が強く、とにかく「変なことをしてはいけない」という強力な無言の圧力がかかるように思う。
そのような状況下で「変な」趣味である深夜アニメやラノベのことを話すのはまずいと考えるのは当然だろう。
深夜アニメやラノベのお約束には、ハーレム、サービスシーン、ラブコメなどがある。
頻度は少ないとはいえ、多かれ少なかれ性的な成分が含まれるそれらの描写が半ば無意識的に不健全というイメージを醸成している点もあると思う。
例えば、直接的にテレビで芸能人がラノベをバカにしているなどしてなくても、深夜アニメやラノベ自体に、オタクは変わっている、変態だという印象を植え付ける描写はある。
(ブログに出ていた「NHKにようこそ!」なんかはまさにそうな気がする。小学生が読むものなのか...)
それらの描写は成人になってしまえばただの自虐ネタであったり、あるあるネタであったりするが、まだアイデンティティが固まっていない小中学生であれば、「深夜アニメやラノベにハマるのは変人で変態」というイメージを植え付けることになりうる。
自虐ネタ、ネガティブネタが非常に豊富な、とにかく恥の多い人生を送ってきた。たぶん哀れんでほしかったんだろうし、その哀れみからくる慈悲か注目か、そのへんのなにかを欲しがったんだろう。
最近やっとわかった。哀れみは麻薬だ。それを受けたらちょっとだけ「私は哀れまれるだけの不幸を浴びてきたんだ」と、自分の不遇が肯定された気分になれる。それで更に、より情緒的で、不幸なエピソードを話すモチベーションが生まれる。どんどん不幸になる。どんどん不幸にハマっていく。アイデンティティが不幸に侵されていく。口から出た先が全て不幸になっていく。
これは駄目だ。麻薬だ。依存症だ。不幸が、依存が、自らの心身を侵食していく。より不幸を、より不遇を求めてしまう。これは駄目だ。私を哀れまないでくれ、私を哀れむな、自虐ネタは、ただ笑い飛ばすだけで終わらせてくれ。笑い飛ばすだけなら、より面白可笑しくの方向に行くだろう、哀れみは、哀れみだけは、飲まれてしまう。これはマズい。良くない。駄目だ。哀れむのはやめてくれ。怖い。