はてなキーワード: 竹刀とは
最近よく昔は良かったと見かけるので、良くなかったことを、ざっと30年位前の幼少時代を思い出してみた。
【小中学校】
・イジメが絶えず、ターゲットをバイキン扱い、バリアー等の遊びが通常に行われていた。
・イジメられていた人は、どこにも発信できずに耐えるしかなかった。
・プリントは、わら半紙が一般的で、原稿は鉛筆で執筆していた。
・戦争、原爆のビデオを何度も観せらて、酷さだけを押し付けられた。
・運動会や合唱コンクールの練習が1ヶ月以上前から毎日行われた。
・学校のアンケートで、クラス名簿リストが配布され、好きな子、嫌いな子を5段階評価していた。
・緊急連絡網で次の人(家庭)に(固定)電話するのに超緊張した。
・茶髪のヤンキーやカツアゲ、盗みなどが盛んだった。弱小な子は商店街を一人で出歩くと危険だった。
・タバコを吸う、シンナーの吸引等がわりと普通に行われていた。
・そして、全校集会で全員が体育館に呼び出され、連帯責任として説教を受けた。
・全校集会が長時間化するため、体の弱い人が貧血で何人も倒れた。
・運動会では、騎馬戦、棒倒し、組み体操等を先生に言われた通りにこなし、何の疑問も持たなかった。
・部活では先生からの体罰が疑問すら思わず、普通に行われていた。
・テレビ、新聞から流れる情報が全てであり、疑問にすら思わなかった。
・音楽はレコード、カセットテーブ。録音時間は実時間かかり、針飛びで失敗もよくあった。
・パソコン通信をやってる人は、オタクの度を超え、変人扱いだった。
・連絡手段が黒電話しかないため、約束の時間、待ち合わせ場所にいないと、お店の固定電話を借りた。
・会社内、電車内喫煙可能、タバコのポイ捨て路上駐車等が行われ、マナーは悪かった。
http://anond.hatelabo.jp/20151213203240
ただ権利闘争のように既存の権益者とそうでない者が権利のとりあいをするという利益VSの利益というときには、両方で尖った主張ができる人がいないと結局話が平行線になって終わりになることが多い。
これは分かる。でも、それは立場が対等な時だよね。フェミニズムは運動の成果として、内閣府男女共同参画局といった行政機構を手に入れている。
行政という観点では『ある特定の団体の利益を最大化する』って危険だよね?
誤解を招く言い方かもしれないが、暴力ではなく話し合いで解決をするのなら最初からあっちの利益もこっちの利益もと全部に公平になるような意見を全員が持っていてはいけないと思う。
このクズが。結果的に女性の利益の方が、女性の幸福の方が優先される社会ができあがりますよね。
これ書いた者だけど、どうも話を(意図的に?)取り違えて解釈している人が多いようなので一応追記。
私は「フェミは女性の権利主張をするための存在である」と言いたいだけで、「男の権利なんていらねーだろ」と言っているわけではない。
例えば
といったことをフェミ的意見の反論にするのは間違っているということを言いたいだけ。
おそらくヒステリックにオトコガーオトコガーという人ばかりが目立つのでフェミ=頭のおかしい感情論しか言わない人という先入観があって、それが“フェミニスト=男を守らない女=クズ”という図式ができて変な男VS女みたいな構図を作っているんだろうとは思う。
話を最初に戻すと、女性の権利について声高に主張をするところまでがフェミニストとしての仕事であって、そこで仮に同じフィールドで損をしている男性がいたときにそこまで守ってもらえると思うのは甘ったれもいいとこということ。
男性でも差別をされていると感じるのであれば、それをフェミニストの主張のせいにするのではなくきちんと闘うべき相手を見つけてそこに保護を依頼するべき。
「バックラッシュ」の話はなるほどと思う。
ただ権利闘争のように既存の権益者とそうでない者が権利のとりあいをするという利益VSの利益というときには、両方で尖った主張ができる人がいないと結局話が平行線になって終わりになることが多い。
誤解を招く言い方かもしれないが、暴力ではなく話し合いで解決をするのなら最初からあっちの利益もこっちの利益もと全部に公平になるような意見を全員が持っていてはいけないと思う。
顔踏んだんだよな?目に入っていたら、失明する可能性もあった。首の骨が折れてたら死んでいる可能性もあった。
医者じゃないから分からないが、頭踏んで死ぬ可能性はあるよな?剣道の竹刀で頭なぐったら、死んだこともあるんだし。
何がいいたいかと言うと、足を踏んだのではなく、顔頭を踏んだのだから、踏まれた選手は選手生命もしくは命そのものを失う可能性があったのに、
たった四試合(しかもカップ戦含む)の停止なんかで済むのはおかしくない?
ワールドカップのネイマールの怪我があと数センチでもズレていたら、脊髄にいっていたら、死んでいた可能性があったあの事件。あれも納得いかないけど。
スタジアムの外じゃ、傷害事件として逮捕されるようなものを軽く考え過ぎじゃない?ちょっと理解できないんだけど。
仮に脳や目や首に何かあればその人の今後の生活に支障きたすんだぞ。
競技のルール内での仕方ない事件でもなく、故意による殺人未遂事件のようなもので、なぜこんなことになっているのか理解できません。
Jリーグ追放するだとか、当該選手が出場する国際試合で当たる場合はFIFAにボイコットすべきでしょ。
選手生命に響く?やられたほうは生命活動に響いた可能性があるっての。ふざけんな。
四試合だの四ヶ月だのの期間とか、審判にぶつかるより軽い処罰とか、どうでもいいんだ。
Arduino とは、ごくごくかいつまんで言うと、小型で、プログラミングが簡単にできる制御チップのことだ。
パソコンとUSBで接続することができる。無線にも対応していて、iPhoneとやりとりすることができる。そのとき電源には2本くらいの乾電池が必要。いろんなセンサーや出力をつないで、機能を拡張できる。
さて、これを使って何ができるか。
いろいろ考えてみたんだけど、制作する時間もないし、ていうか面倒くさいし(本音)、しかし、腐らせておくのはもったいない気がするので、この場を借りてアイデアを公開します。
アイデアはパブリックドメインとします。誰か、腕を持った職人さま。俺の代わりに実現してくれると嬉しい。
洗濯機の操作パネルにダミープラグのように取り付いて、人間の代わりに操作を行う。
以下の条件が満たされたとき、ジェルボールを投入し、洗濯を開始する。
・朝7時だ ・洗濯物が入っている
ハムスターがその日食べた「ひまわりの種」の総量に応じて、回し車に負荷をかける。回転数の低下があった場合、ハムスターがやる気をなくしつつあると判定する。そのときは負荷を下げて、”俺は今、風になっている!感” を演出する。
多人数 v.s. 多人数 の対戦を実現する。
剣士はいつもどおり防具を身につけ、竹刀を持つ。ただし、篭手・胴・面には衝撃センサーを貼り付ける。センサーはArduinoモジュールにつながっていて、iPhoneと無線で接続されている。打たれた剣士はiPhoneからイヤフォンを通して、”一本!” のメッセージを受け取る。
東西に分かれた剣士たちは、合図とともに一斉に互いに斬りかかる。”斬られた”剣士は背を向けて退場する。最後の一人になるまで戦う。
カメラがリアルタイムでダーツ版の様子を監視して、矢がどこに刺さったかを判定する。
ゲームの進行状況が計算され、状況に応じて、動的にプロジェクタによってダーツ盤に絵が映される。
例えば、次々に浮かんでくる風船の絵とか。二人のプレイヤーは大小様々なバルーンを狙って得点を競う。バルーンは赤と緑に分かれていて、相手の色の方に当ててしまうと、相手に点が入る。小さい風船のほうが当てた時に得られる点は大きい。大きい風船のほうが上昇速度がはやい。的を外すと、相手の色のバルーンの量が多くなる。
動く的を狙う経験は、多くのダーツプレイヤーにとって新鮮だと思う。
心臓が脈打つのを振動センサーがキャッチして、その強さを、ネットを通して遠く離れたバイブの動きに反映する。
TENGA を揺すると、振動をセンサーがキャッチして、その強さを、ネットを通して遠く離れたバイブの動きに反映する。
(なお、この製品をリリースした後、あなたはただちに、ユーザーから機能要求を受け取るだろう。「ピストンのデータを保存できるようにして欲しい」。あなたはこれを、鉄の意志を持って無視しなければならない。人類滅亡を企むのはTENGA社だけで十分である)
性的興奮の大きさは、心拍数をスペクトル解析することで得られるらしい。よくわからない。ローションを付けて乳首に固定された刺激装置のモーターを、心拍を測るセンサーと計算によって得られた性的興奮の値に応じて制御する。性的興奮が高まったと判定された時、逆に刺激を弱める。
iPhone からアプリを通して要求があった時、現在の冷蔵庫の写真を送る。
めざましのアラームに反応して、寝室の雨戸とカーテンを開ける。
以上。細かく検討していないので、そもそも実現不能とかあるかもしれない。指摘してください。
みんなも何かアイデアが思い浮かんだら、コメントするとよかばってん。
はてな にはぶっ飛び越えてクールな技術者がたくさんいるので、きっと実現してくれるでしょう。
(法的に有効かわからないけど、トラバ・ブクマコメントで頂いたアイデアはこの記事と同じくパブリックドメインとします―― と宣言します)
柔道の危険性はデータを持って示されているが、武道は柔道を含んだままいまだ必修として続いている。
たとえ必修でなくても部活動としての柔道は変わることなく続いていくだろう。
しかし、柔道と言うのはデータを示されるまでもなく、それどころか部活動としてやるものとしても危険すぎる競技である。
主にそれは、近代までに日本で発展した人を打ち倒すための技術を競技化したものを指し、剣道を筆頭に、柔道、空手道、弓道、居合道、合気道、相撲道などを含む。
武道は、特に二つのカテゴリーに別れ、一つは演舞を持って競い合うもの、相手を敵とせずに的もしくは協力者を持って自分の技術を示し合う競技である。これには弓道や居合道、剣道や柔道の型などが含まれる。
もう一つは実際に敵を相手とし技を仕掛ける格闘技に類する競技である。剣道、柔道、空手、相撲などが含まれる。
前者の安全性は比較的高いものである。当然武器の目指す先が人ではない、もしくは打ち倒す目的ではないため、人を打ち倒すための技術を用いても危険性は低い。
一方で後者の危険性は高い。人を打ち倒す技術を人を打ち倒すために使うため、当然のことである。
後者の中で、柔道と相撲は主要武道の中でも特に危険な競技である。
その理由は、この二つの競技にはプロテクターが存在していない、ということに尽きる。
剣道であれば、慣れ親しんだ防具が思い浮かぶことだろう。
空手は、生徒であれば直接殴りあうフルコンタクト式ならプロテクターは必須であるし、寸止めであってもプロテクターをつけるのが普通だ。
武道でなくとも同じ格闘技のアマチュアボクシングは、ヘッドギアと大きなグローブの義務がある。
一方で、柔道と相撲にはプロテクターと呼べるものは存在しない。申し訳程度、柔道にはたたみがあるだけである。
しかし、中学高校で一般的な、スプリングの入っていない、床に敷いた畳と言うものは当然硬く、危険性が大きい。
締め技関節技等の制限が行われたとはいえ、戦前から一切変わらない安全基準で行われるスポーツと言って良い。
敵の攻撃から体を守るのは基本的に自らの習得した防御技術だけと言う競技だ。
ところが、その柔道、相撲の部活で競い合うのは、お互いに未熟な児童生徒学生たちである。
運動で体が熱くなり、試合や乱捕りで敵対すれば興奮し、普段よりも無茶な状態で無茶な技をかけることが多くなる。
プロテクターが存在しない柔道や相撲は、失敗した時に守ってくれるものは何一つなく、その時点で怪我が確定するといって良い。
柔道は投げ技で、相手の体を畳みにたたきつける打撃を行い、関節技で骨を痛め、締め技で意識を奪う競技。
相撲は張り手で叩き、投げ技で土にたたきつけ、押し出して土俵から落とす競技。
体験的な話で不正確だが、中学高校の柔道の試合では、1つの大会で必ず1人以上のけが人を目撃する。
大相撲で怪我をしていない力士だけでとった場所が近年存在しただろうか。
考慮すべき安全と言うものが、武道の伝統という言葉で覆い隠されている。
剣道は竹刀を作り、防具を作った。空手はプロテクターを取り入れた。柔道は本来着ていた防具を脱ぎ捨てて、身を危険に晒した。相撲は裸である。
当然プロやオリンピックといったレベルのものを変えるべきではないかもしれない。
しかし、そのアマチュアもしくは学校レベルの段階において有効に使えるプロテクターを考案すべきだ。
そこそこ賢い人だし、数学的思考法とか科学的思考法の重要さはわかってると思うんだよな
もちろんそれが必要ないとは思ってないとおもうし
かといってちきりんの言ってることはよくわからないんだけどな…
まあでも学生時代に数学理科の偏差値70超えてるような、比較的科学的・数学的思考と相性のいいやつでも
ちきりんがあげてたような日常の問題に応用できないやつが意外といるのは事実だよな。
んで、そういう問題を解決出来ないと、苦労の多い人生を送る可能性は高い。これもわかる。
ただそれって学校教育でどうにか出来る問題なのかは……わからない。
なんだろうなあ、数学や理科を教えるって、やっぱり複雑な認知を必要とするから、そればっかりになっちゃうことあるよな
とにかく剣を研ぐ方法をおしえることに集中しちゃって実戦の経験がないから、名匠の剣をもってても5歳の少年の竹刀に負けちゃうみたいな。
そういうのあるよな。そして社会は、実戦で強いやつが生き残る。そういうのどうしたらいいんだろうな……
体罰が認められるということは、教師や監督は業務として体罰を行うということである。業務として行うのであるから、効率が追求される。素手で殴るのは効率的でないから、竹刀などの道具を使う。全員を殴るのは効率が悪いから、見せしめにひとりだけ殴る。業務として行っていることであるから、暴力を振るったことを反省したり謝罪したりする必要性は認めない。ただし、問題になれば業務として謝罪行動をする。
学生・選手の側でも、体罰がシステムであることが分かっているから、体罰逃れをシステム化する。まず、逃げ出すのがベストであるが、システムとしての体罰は逃亡を許さない。体罰がシステムとして成立するためには逃亡を許さないなんらかの仕組みが組み込まれている必要がある。逃亡はできない、しかし、体罰が効率化のために見せしめ重視になっているなら、自分が見せしめの対象にならないようにすればいい。代わりの人間をつくればいいわけだ。これはシステム的な防御なので、そういう行動をしたからといって反省したり謝罪したりする必要はない。だたし、そのことが体罰を招くような事態になった場合には、土下座でもなんでもして体罰を軽減しようとする。
しつけとして体罰が必要であるから、こういう時には叩かなければならないというしつけ方の教育を受けた親が行う体罰は、上の例と同じようにシステム的な体罰である。この場合も、子を叩いたからと言って反省する必要はない。こうしたら叩くと決めていて、そうしたから叩いたのであって、同じ状況になれば何度もでも叩く。
親は職業ではないので、プロフェッショナルな親であることは要求されない。子供のしつけに暴力は使わないと決心していても、言葉が及ばずに子供が言うことを聞かない。だんだん怒鳴り声になって、それでも言うことを聞かないとつい手が出てしまうことがあるかも知れない。なんといっても親はプロではないので間違いがある。最善のことが最初からできるとは限らない。こういう時は、親は反省して心から謝ることができる。自分を殴った親が泣き出してしまったら、それは子供にとっては単に殴られるよりもショックなことである。親は、次の時は手を出さずにしつけを守らせようと考えて行動する。
親でも教師でも自己防衛は必要である。自分と家族や近所の人、教師の場合は他の生徒などを守る必要がある。つまり子供や生徒が暴力を振るっていて、それによって害を受ける場合に対抗手段を取ることがある。この場合は、同じ状況が起これば同じように行動するはずだ。予防出来なかったかという点について反省はするだろうが、その場の対応については反省しないであろう。
ウエダは仮名ではなく本名ですが、もし現役家庭科教師のウエダ先生という方がこの記事をご覧になっていたら、あなたの事ではありませんので安心してください。
ここに登場するウエダ先生はとっくに定年退職されているはずです。
高学年になると、担任の先生から受ける基本科目のほかに「家庭科の先生」から受ける家庭科の授業があった。
座学授業のほかに調理実習や手縫いの裁縫実習、ミシンを操作して作品を完成させるまでの実習が行われる。
あるミシン操作の実習でエプロンを作る授業があったのだが、私は数種類の色柄から選べる内、白っぽい色のエプロンを作るキットを選んだ。
白っぽい生地にはこの白いミシン糸を使います、という指導のとおり白い糸をミシンに装着した。
ボビンにミシン糸を巻き取る操作、上糸と下糸の設置、針の設置、針穴に糸を通す操作、上糸も下糸も強さは“3”に…すべて教科書通り且つ家庭科のウエダ先生の指導どおりに行なった。
針のついている機械を操作する授業なので、慎重に慎重を期したつもりだった。
が、いざ縫い始めるとの上を糸が何針も通らないうちにミシン糸が千切れる。
高速で稼動するミシンの上下運動の数だけミシン糸が千切れる音がし、あわててペダルから足を離しても、ボビンには既に細切れになった糸がぐちゃぐちゃにからまっていた。
時間をかけてボビンから糸を取り除きながら、もしかして糸の強さの設定を間違えたのかな…ペダルを強く踏みすぎたのかな…と自分のした事を振り返った。
再度、気を取り直してボビンに糸を巻き取り……また同じエラーが起きた。
糸がちぎれ絡まる→取り除く→再度挑戦…そんなことを何度も続けて、2時間の授業中に私の作品は30cm程度しか縫い進まなかった。
翌週の家庭科の授業に、「もしかしたら私がたまたま選んだ糸がすごく古かったのかもしれない」そう思って、同じ色の別の糸を取ったが結果は同じ。
更に翌週の授業に際しては、「もしかしたら私がいつも選ぶミシンは特別調子が悪いのかもしれない」そう思って、使うミシンを変えた。結果は同じ。
ちなみに私が前週まで使っていたミシンを今週選んだ子は、順調に作業を進めていた。
一方、クラスの中でもとくに優秀な生徒は既に作品が完成間近だった。
自分が大事な操作手順を何かひとつ、すっかり忘れているのかも知れないと思い、教科書やマニュアルを何度も読み返した。
でも、「見落とし」が見つけられない。
途方にくれた私は、困窮した現状を伝えて解決方法を教わるために糸が絡まりついたボビンと作業の進んでいない自分の作品をウエダ先生のところへ持っていった。
「先生、あの、これ」私は現物を見せながら説明しようと思い、話かけながらボビンを差し出した。
ウエダ先生は私が具体的な説明を開始する前にボビンを手に取り絡まりついた糸をつまんだり引っ張ったりした。
ウエダ先生は私への返事はせずに数秒間、絡まった糸を解こうとしていたが簡単には取れないと判断したのか顔を上げ、次に私の顔を平手で打った。
家庭科室が一瞬静かになったが、生徒達は見なかったことにしたのかまた雑談交じりに自分の作業に戻っていった。
ウエダ先生は糸でモジャモジャのボビンを預かり、先生の机に戻っていた。
私は惨めで恥ずかしく、まさに泣きたい、泣こうと思えば泣ける心持ちであったがそれはできなかった。
自分をいじめている生徒の前で先生に叩かれたということは、今以降彼らが私をいじめる正当性を先生が与えたようなものだと思った。
その上、無様な泣き姿を見せれば燃料を投下したも同然ではないか。それだけは避けないと。
話が少し逸れたが、私はミシンの操作の何がいけなかったのか、どうすれば上手くいくのかについて教育を受けることは出来なかった。
作品完成までの残りの作業は、家に持って帰って行なった。翌週が作品の提出日なので、未完成の作品を持って帰るのは私だけではなった。
おかげで家に作りかけのエプロンを持ち帰ることについてはあまり惨めな気持ちを味わうことなく済んだ。
家に持って帰った作品は、およそ3時間で完成し私は黙って翌週作品を提出したが、その際にもそれ以降もウエダ先生からミシンの操作に関する助言も説教も無かった。
私が受けた体罰は、たったの平手一発。巷で横行している体罰と比べると、まったく甘い。
体罰といえば、竹刀や木刀や握りこぶしで何度も殴られること、というイメージがあったので当時の私にはそれが体罰だという認識は無かった。私が受けたのはミシンの操作をしくじり先生に糸を解くという手間を与えたことに対する只の「罰」であって「体罰」とは呼べないと。
しかし今こうして詳細に増田に書ける位覚えている。あの時の恐怖や、惨めで恥ずかしい気持ちや、それらがこみ上げるのを耐えるために歯を食いしばったことは覚えている。20年前の平手一発が、私の内に刷り込んだ恐怖・惨めさ・恥ずかしさ。今回の報道を見ていてようやくわかった。あれは体罰だったんだ。
そして、あの体罰には教育としての価値はまったく無かった。教育としての価値があったなら、私はなぜミシンの糸があのとき絡まったのかを今説明できるようになっているはずだから。
徐々に問題が整理されて、一面的でない見方も増えてきている。
でも、増えて行くに従って違和感を覚える。
http://d.hatena.ne.jp/showgotch/20130122/1358872297
興味のないことを「知らんがな」と言い、理由を「3つでしかない」と限定する。
(勿論この記事を否定したいからじゃない。前段を書いてある分、誠実だ。)
全てが理由になり得るし、最も支配的な理由が、最も効果的な対策に繋がるとは限らない。
体罰とは何なのか、分類によって見ていきたい。
まず、体罰は許されるのか、だ。
効果があるかは議論の余地があり、根絶は出来ない無いが、対策は打てるだろう。
順に見ていこう。
昭和23年、法務庁(現在の法務省)は「児童懲戒権の限界について」として以下の定義を出している。
一 学校教育法第一一条にいう「体罰」とは、懲戒の内容が身体的性質のものである場合を意味する。すなわち
(1) 身体に対する侵害を内容とする懲戒-なぐる・けるの類-がこれに該当することはいうまでもないが、さらに
(2) 被罰者に肉体的苦痛を与えるような懲戒もまたこれに該当する。たとえば端坐・直立等、特定の姿勢を長時間にわたつて保持させるというような懲戒は体罰の一種と解せられなければならない。
懲戒とは職務上の懲罰なので、例えば退学や訓告(所謂お説教)、謹慎(居残りの自習など)などは懲戒処分とされうる。(※1前述の通牒には、遅刻した生徒に対して「廊下に立ってろ!」と授業を受けさせないことは、懲戒ではなく許されない等、かなり具体的な質疑形式で書いてある。(2)に関して、機械的に判定できないとするなど、現実的でもある)
これには、議論の余地がある。
文部科学省の「問題行動を起こす児童生徒に対する指導について(通知)」の別紙に、
「児童生徒に対する有形力(目に見える物理的な力)の行使により行われた懲戒は、その一切が体罰として許されないというものではなく」とあり、裁判例を引いている。
つまり、一度出された定義であっても、状況(荒れた状況下での、腕力による鎮圧など)によって解釈が変わりうる。
学校教育法第十一条に、「懲戒は良いが体罰はダメ」と書いてある。
罰則はないが、法律である。法治国家では、法を守るのは社会の前提になる。
しかしこれは、「なぜダメなのか」「どうして体罰が許されないのか」には触れていない。
これは、「特に注意しておかないと、蔓延するから」という過去の経緯を踏まえてのものだろう。
学校教育法では、1〜7条が学校を定義し、8〜10条で校長と教師を定義する。
その次が11条の体罰の禁止だ。(その次に、12条の健康診断となる)
「公務員等が情報収集等のために身体的、精神的な重い苦痛を故意に与える行為」を禁止している。
これも特に禁止している例だろう。
通常これらは、刑法208条の暴行罪、刑法204条の傷害罪でカバーされうるからだ。
これに、刑法第222条脅迫罪を加えれば、体罰の禁止も拷問の禁止も敢えて謳わなくても良い。
「次の試合で勝たなければ、お前を竹刀で殴る」と言えば脅迫罪で、
負けたので殴った場合、怪我をしなければ暴行罪で、結果怪我すれば傷害罪だ。(※2「法令による行為または正当業務行為」は、「違法性阻却事由(法律違反ではないとみなされる)」となるので、それを封じていると見ることも出来る)
だから、日本が法治国家であるとするなら、学校教育法の言う「体罰」は特に禁止されているし、犯罪でもある。
これには議論の余地がない。
体罰が効果的なのかどうかは、探した限りでは決定的なものはなかった。
家庭での躾の一環としての体罰は、効果的(収入、学歴、犯罪歴)であるという報告もあれば、逆の報告もある。
大いに議論の余地があるだろう。
(一番誤解を招きそうな項目であるためここに書いておくが、議論の余地がある事と、現実の功罪は別である。また、効果が大きいと言って許されるとは限らない。本質的な議論だからと言って対策に繋がるとは限らないし、表層的であっても結果的に問題が解決することもありうる。)
これは、(定義を変更しないのであれば)根絶できないだろう。
これは、種痘によって自然界の天然痘ウイルスが感染をほぼ確実に防げたからだ。(※3もちろんWHOの多大な努力の結果である)
暴行も傷害も未だ根絶する手段すら見つかっていない。
ただし、程度問題ではある為、議論の余地はある。
例えば傷害事件は平成12年に急増したが、平成15年を境に低下を続けている。
把握し、対策を打ち、低下させる手段は議論できる。
ただし、低下はしても無くならないという前提を置いての議論になるだろう。
これを、傷害、暴行、体罰、懲戒に分類して考えることが出来る。
個人的には、体罰と傷害だと考えているが、議論の余地はあるだろう。(※4ここでは、懲戒として暴力をふるうことを体罰と呼んでいる。体罰は当然暴行若しくは傷害である。「体罰」の定義が厳密ではないため、体罰ではない単なる懲戒若しくは「有形力(目に見える物理的な力)の行使により行われた懲戒」を、体罰と呼んでいる事がある。)
ただし、この論点が問題になるのは、「体罰は許される/体罰はやむをえない(法に不備がある)」という前提を置いたときか、実際に刑法・民法で裁判になったときぐらいであろう。
一般論ともなり得るが、具体的に大阪市立桜宮高校の場合としてみていこう。
亡くなった生徒や入学希望者に責任は無く、顧問には責任がある。
教職員や在校生、卒業生の責任は、その度合いには議論の余地があるだろう。
こうすれば良かった、こうしていれば自殺しなくても済んだ等の話は、あくまでも対処の話であって、責任論にはならない。
これには議論の余地がない。
その指導法が効果的であった、効率的であったという話は、効果の話であって、責任論にはならない。
これには議論の余地がない。
彼らは(別の生徒に対して直接の体罰を行っていない限り)直接的な責任は無いだろう。
その為、議論の余地があるだろう。
例えば「実際の体罰の現場を目撃した」「体罰をしていると聞いていた」「体罰があると、(直接は知らずとも)告発を受けていた」など、状況によって責任の度合いが異なるだろう。
これには職務上の責務(校長など)、教育者としての責務(体育科の教員、普通科の教員など)、社会人としての責務(職員など)と、それぞれにおいて違う。
個人的には、体罰について知っていたであろう体育科の教員と、生徒の傷を見たとは限らない養護教諭とでは、責任が異なると思う。
ただし、少なくともバスケットボール部の生徒は、他人が体罰を受けているのを目撃している。
その為、議論の余地があるだろう。
個人的には、成人でありかつ教育者である教員の責任とは異なり、例え知っていたとしても生徒に責任は無いと思う。
通報すべき、相談すべき等の話は、善意の行為であって、義務では無いと思う。
また、保護者はより間接的な関わりになるため、その影響力と責任は、限定的だと思う。
さらに、「体罰は効果的だった」「顧問は善意から行っていた」などの言説は、その発言に対する責任は生じたとしても、体罰などを受けた結果、その様に教育された被害者ではないかと思う。
(ただし、責任がないから一切の制限が加えられるべきではない、という事ではない)
彼らは、当然、責任は無いだろう。
これには議論の余地がない。
個人的には、体罰が発覚した後に入学を望んだとしても、体罰を受けて良いと言うことにはならないと思う。
(例えば、メジャーリーガーになるべく渡米した人が銃による犯罪に巻き込まれたとして、アメリカの銃犯罪の多さをもって、彼が愚かだとは言えないだろう)
長くなってしまった為、別日に改めたい。
例えば、学校教育法の第四条は、「市町村の設置する高等学校」の「学校の設置廃止」は、「都道府県の教育委員会」が行うものとされている。
そして、同法第十三条には、「法令の規定に故意に違反したとき」には、「それぞれ同項各号に定める者は、当該学校の閉鎖を命ずることができる。」とある。
体罰を故意に行った今回のケースは、大阪府教育委員会が学校の閉鎖を命ずることもできる。
責任がなければ制限を受けるべきではないのか、責任が無くても制限を受けることがありうるのか、
対策の結果、制限が起こることが許容されうるのか、現状に影響を与えない制限を行うべきなのか、
懲罰的な対策なのか、状況を変えるために行った結果懲罰に見えるのか、
いろいろな論点があり得るだろう。
体罰とは何かに関しては、その定義から責任まで整理できたと思う。
特別な場合を除いて、ソースに対してのリンクは敢えて張らなかった。それぞれが調べて欲しい。
どう報道されているか、誰が何を考えているかの切っ掛けにして欲しい。
例えば冒頭に引いたブログポストは、体罰に関しては踏み込まず、この事件が起こる構造について論じているのが判るだろう。
生徒が逃げられないのは、体育科の部活動の他に選択肢がないからであり、教職員が体罰に走るのは失う報酬が少なく、また体罰を報酬とするからであり、また効果的な対策がほとんど無いからである。これは、言ってみれば体罰を積極的に行おうとする教職員が部活動の顧問になる制度設計になっているという指摘でもある。
先の例でも判るとおり、体罰の対策を議論する場合には、体罰がなぜ生じているのかを整理する必要があるし、対策が結果的に罰に見える(例えば、バスケットボール部の顧問が懲戒解雇になった場合、バスケットボール部の現役部員は指導の機会を奪われる。彼らは被害者であるにもかかわらず、さらに罰を与えられている、という言い方も可能である)場合には、功罪を論じる必要がある。
このまとめでは論点整理にしか役に立たず、対策を論じるには不十分である点は、申し訳ないと思っている。
「なぜ今、議論しなければならないか」への返答として、大津市教育委員会のWebサイトを提示して、結びとしたい。
http://www.city.otsu.shiga.jp/www/genre/0000000000000/1000000000625/index.html
はてサフェミが男の萌と女の萌は違うと言っていた
何事と思ったが、どういう事かと思えば何のことはない
632 風と木の名無しさん [sage] 2012/09/02(日) 19:54:49.56 ID:ke18RVYC0 Be:
加速 どんな竹刀を喉に受けたのかな~って思いつつみてたw
633 風と木の名無しさん [sage] 2012/09/02(日) 20:15:40.01 ID:CxL9nETh0 Be:
加速
どう考えても硬くて太い肉刀を喉奥に受けてますね
681 風と木の名無しさん [sage] 2012/09/10(月) 23:09:27.62 ID:B8vh22R80 Be:
竿
がむしゃらに攻める少年を余裕で流す
大人受けの姿が見えた気がする
682 風と木の名無しさん [sage] 2012/09/11(火) 20:49:45.68 ID:0QOAlHXs0 Be:
竿
690 風と木の名無しさん [sage] 2012/09/15(土) 02:00:49.60 ID:9RCszx/+0 Be:
加速世界
だが、現実は違う
男がしているのと同じように女もある男キャラがエロいと言っている人がいた
余裕なところが好きと言っている女もいた
俺の目からは男の萌も女の萌も大差ないように思える
違うと主張するならだれかわかりやすく解説してくれ
隣の801ちゃんでは現実の腐女子を模したキャラクターが登場し、男性たちは性的視線を向け、萌えの対象にした
これに対しある腐女子は非難の声を上げた
http://d.hatena.ne.jp/koisuru_otouto/20080909/1220910964
2chでこういう発言があった
632 風と木の名無しさん [sage] 2012/09/02(日) 19:54:49.56 ID:ke18RVYC0 Be:
加速 どんな竹刀を喉に受けたのかな~って思いつつみてたw
633 風と木の名無しさん [sage] 2012/09/02(日) 20:15:40.01 ID:CxL9nETh0 Be:
加速
どう考えても硬くて太い肉刀を喉奥に受けてますね
681 風と木の名無しさん [sage] 2012/09/10(月) 23:09:27.62 ID:B8vh22R80 Be:
竿
がむしゃらに攻める少年を余裕で流す
大人受けの姿が見えた気がする
682 風と木の名無しさん [sage] 2012/09/11(火) 20:49:45.68 ID:0QOAlHXs0 Be:
竿
690 風と木の名無しさん [sage] 2012/09/15(土) 02:00:49.60 ID:9RCszx/+0 Be:
加速世界
件の記事を書いた人がこれと同じようなことをやっているとは限らない
だが、件の人は腐女子だ
程度の差こそあれ、男性キャラに対し萌えを連発し、生ものと呼ばれるものに萌えている可能性は高い
はっきり、言おう
件の人がやっていることは男と何ら変わりない
埼玉県川越市で1月、当時、同市立中学2年の男子生徒(15)が、同級生の少年3人から暴行を受けて意識不明の重体となった事件があり、生徒が入学当初から3人らからいじめを受けていたことが12日、わかった。
学校は、生徒と少年らとの間で度々、トラブルがあったことを把握していたが、常習的ないじめとは認識していなかったという。生徒の意識は今も回復していない。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120913-00000227-yom-soci
上の記事、不良が気に食わない生徒を殴ってた行為がいじめ認定されたという話。
人殴って弱いやつからカツアゲして更に人を殴るローテーションが不良の日常。
昔だったら竹刀持った怖い生活指導教師が不良どもを体当たり指導という面目でぶん殴ってたもんだが。
今はそこまでしようとする教師もいないしできないから普通に警察の少年課が補導すればよろし。
ちょっと殴られただけでも全治一週間のけがくらいの診断書はもらえるし。
腐女子の萌は男の萌とは違うと言っている人がいた
だが、これはどう見ても性質が悪すぎる
632 風と木の名無しさん [sage] 2012/09/02(日) 19:54:49.56 ID:ke18RVYC0 Be:
加速 どんな竹刀を喉に受けたのかな~って思いつつみてたw
633 風と木の名無しさん [sage] 2012/09/02(日) 20:15:40.01 ID:CxL9nETh0 Be:
加速
どう考えても硬くて太い肉刀を喉奥に受けてますね
現実社会で女がレイプされている様子を想像してニマニマするのはしてはならないことだ
だが、腐女子達は現実でやっていることと同じことを被害者であるタクに対している
だが、腐女子の中にはタクの人格を無視し、ニマニマと笑っている
人格を無視する奴らが嫌いだと言っていた腐女子と件の腐女子が同じとは限らない
だが、もし、表でそういう主張をし、裏でアニメキャラの人格を無視するようなことをしていたとしたら…
とんだ眉唾物だ