2013-01-25

家庭科のウエダ先生から体罰を受けた話

 小学校高学年の時の話。さかのぼる事20年前の話です。

 ウエダは仮名ではなく本名ですが、もし現役家庭科教師のウエダ先生という方がこの記事をご覧になっていたら、あなたの事ではありませんので安心してください。

 ここに登場するウエダ先生はとっくに定年退職されているはずです。

 高学年になると、担任先生から受ける基本科目のほかに「家庭科先生から受ける家庭科の授業があった。

 座学授業のほかに調理実習や手縫いの裁縫実習、ミシン操作して作品を完成させるまでの実習が行われる。

 あるミシン操作の実習でエプロンを作る授業があったのだが、私は数種類の色柄から選べる内、白っぽい色のエプロンを作るキットを選んだ。

 他の女子も選ぶ、無難でそこそこかわいいデザインだった。

 白っぽい生地にはこの白いミシン糸を使います、という指導のとおり白い糸をミシンに装着した。

 ボビンミシン糸を巻き取る操作、上糸と下糸の設置、針の設置、針穴に糸を通す操作、上糸も下糸も強さは“3”に…すべて教科書通り且つ家庭科のウエダ先生指導どおりに行なった。

 針のついている機械操作する授業なので、慎重に慎重を期したつもりだった。

 が、いざ縫い始めるとの上を糸が何針も通らないうちにミシン糸が千切れる。

 高速で稼動するミシン上下運動の数だけミシン糸が千切れる音がし、あわててペダルから足を離しても、ボビンには既に細切れになった糸がぐちゃぐちゃにからまっていた。

 時間をかけてボビンから糸を取り除きながら、もしかして糸の強さの設定を間違えたのかな…ペダルを強く踏みすぎたのかな…と自分のした事を振り返った。

 再度、気を取り直してボビンに糸を巻き取り……また同じエラーが起きた。

 糸がちぎれ絡まる→取り除く→再度挑戦…そんなことを何度も続けて、2時間の授業中に私の作品は30cm程度しか縫い進まなかった。

 翌週の家庭科の授業に、「もしかしたら私がたまたま選んだ糸がすごく古かったのかもしれない」そう思って、同じ色の別の糸を取ったが結果は同じ。

 更に翌週の授業に際しては、「もしかしたら私がいつも選ぶミシンは特別調子が悪いのかもしれない」そう思って、使うミシンを変えた。結果は同じ。

 ちなみに私が前週まで使っていたミシンを今週選んだ子は、順調に作業を進めていた。

 一方、クラスの中でもとくに優秀な生徒は既に作品が完成間近だった。

 自分大事操作手順を何かひとつ、すっかり忘れているのかも知れないと思い、教科書マニュアルを何度も読み返した。

 でも、「見落とし」が見つけられない。

 途方にくれた私は、困窮した現状を伝えて解決方法を教わるために糸が絡まりついたボビンと作業の進んでいない自分の作品をウエダ先生のところへ持っていった。

 「先生、あの、これ」私は現物を見せながら説明しようと思い、話かけながらボビン差し出した。

 ウエダ先生は私が具体的な説明を開始する前にボビンを手に取り絡まりついた糸をつまんだり引っ張ったりした。

 私は「何度やっても糸が切れて絡まってしまます」と言った。

 ウエダ先生は私への返事はせずに数秒間、絡まった糸を解こうとしていたが簡単には取れないと判断したのか顔を上げ、次に私の顔を平手で打った。

 家庭科室が一瞬静かになったが、生徒達は見なかったことにしたのかまた雑談交じりに自分の作業に戻っていった。

 ウエダ先生は糸でモジャモジャのボビンを預かり、先生の机に戻っていた。

 私は惨めで恥ずかしく、まさに泣きたい、泣こうと思えば泣ける心持ちであったがそれはできなかった。

 私は当時、クラスいじめにあっていたためだ。

 自分いじめている生徒の前で先生に叩かれたということは、今以降彼らが私をいじめ正当性先生が与えたようなものだと思った。

 その上、無様な泣き姿を見せれば燃料を投下したも同然ではないか。それだけは避けないと。

 話が少し逸れたが、私はミシン操作の何がいけなかったのか、どうすれば上手くいくのかについて教育を受けることは出来なかった。

 作品完成までの残りの作業は、家に持って帰って行なった。翌週が作品の提出日なので、未完成の作品を持って帰るのは私だけではなった。

 おかげで家に作りかけのエプロンを持ち帰ることについてはあまり惨めな気持ちを味わうことなく済んだ。

 家に持って帰った作品は、およそ3時間で完成し私は黙って翌週作品を提出したが、その際にもそれ以降もウエダ先生からミシン操作に関する助言も説教も無かった。

 私が受けた体罰は、たったの平手一発。巷で横行している体罰と比べると、まったく甘い。

 体罰といえば、竹刀木刀や握りこぶしで何度も殴られること、というイメージがあったので当時の私にはそれが体罰だという認識は無かった。私が受けたのはミシン操作をしくじり先生に糸を解くという手間を与えたことに対する只の「罰」であって「体罰」とは呼べないと。

 しかし今こうして詳細に増田に書ける位覚えている。あの時の恐怖や、惨めで恥ずかしい気持ちや、それらがこみ上げるのを耐えるために歯を食いしばったことは覚えている。20年前の平手一発が、私の内に刷り込んだ恐怖・惨めさ・恥ずかしさ。今回の報道を見ていてようやくわかった。あれは体罰だったんだ。

 そして、あの体罰には教育としての価値はまったく無かった。教育としての価値があったなら、私はなぜミシンの糸があのとき絡まったのかを今説明できるようになっているはずだから

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