はてなキーワード: 竹刀とは
テレビの特集や経験者の伝聞や自身の経験に照らし合わせると、スポーツとか警察・消防・軍隊とかの訓練では、「指導は真剣勝負」と言って憚らない教官が散見されるようだ。
これは要するに「俺はお前らに全力でスキルを叩きこむから、お前らも全力で来い」ということらしい。
そして練習生が「全力で立ち向かっている」と見なされるには、常に気合が篭っている返事・挨拶、同じ事を何度も訊かないとか基本的な事柄から色々あるけど、結局のところ教える側が「全力で叩きこみに来る」以上、指導の言葉は基本厳しいので、その言葉を燃料にして奮起するような性格の人間じゃないと続かないんだと思う。
どれくらいきつい言葉が飛んでくるかって「何やってんだ」「何遍同じ練習に付き合わせるんだ」「違うだろ何聞いてたんだ」「やる気ないなら今すぐ帰れ」とか割と当たり前、まさしく絵に描いたような鬼教官というか(オプションで竹刀片手だったりすることも)。
こういうのを気にしない人は全然気にしないだろうし、少なくともそれでめげる人はお呼びじゃないのだろう。
逆に奮起して喰い付いてくる人は「やる気があって大変よろしい」「根性ある」「将来が楽しみ」というお墨付きを頂けると。
それでいままで上手く回ってきている以上、文句はつけにくいのだが、ある分野の指導がこういうノリ一辺倒とか、本当にそれでいいのだろうか。
昔からおっぱいが大きかった。体重の減増で多少変わるけど大体G65~F70くらい。別に自慢したいわけではない。
よく人から「肩凝るでしょ」と言われてきたけど、肩こりってのがどんなものなのかわからなかった。
ずっと私の体にくっついてるんだし、肩こりしてても慣れて気づかないのかも……。と楽観してた。
だけど最近、とっても肩が痛い。夜寝て朝起きると、肩が疲れている。背中のほうから肩の前面までひきっつてるかんじ。
理由を考えてみると、そういえば最近運動しなくなった。中学から大学卒業までずっと剣道をしていて毎日竹刀を振り回していた。肩にももっと筋肉がむきむきしてた。その腕の上下運動をここ一年まったくしていない。
肩こりは血流如何だと聞いたことがあるけど、ここまで露骨に表れるとは。
あともうひとつの理由として考えられるのは、おっぱいが垂れはじめているかもということ。下に引っ張られるから、肩が疲れてるんじゃなかろうか。
まだ23なんだけど、18のころに比べたら「ぷりん」ではなく「たゆん」になってきた気がする。昔の写真があるわけではないので、その差は定かじゃない。
いまはアンダーバストのところに指を当てると、下乳がそっと当たるかどうかという微妙な感じ。まだ垂れてはいないけど、すごくこわい。それなら体系がきれいなうちに、好きな人と結ばれたい。
住んでいたのは、かなり田舎だ。夜は真っ暗になる。
外の明かりは、防犯のために、誰かが来るとわかっているとき以外は消す。
目印になってしまう。建物の多い都会とは逆だ。
ある夜、ひとりで留守番をしていた。家族はみんなでかけていた。
居間で本を読んでいた。
10時を少しまわったぐらい。電話が鳴って、すぐ切れた。
直後に裏口のドアが、どんどん、と叩かれた。
10時で夜中もないものだが、「こんな夜中に?」と思い、放っておくかどうか少し考えた。
以前、「昆布を買え」だったかなんだったか、小学生低学年ぐらいの子供が戸口に立っていたことがあった。
大人が一緒だったらしく、県道から家までの暗い小道に、隠れるようにして様子をうかがっているようだった。
家からのうすぼんやりしたあかりの中に、みじろぎする人影が見えた。
それ以上のことはなかったし、どう説明したらいいのかわからないが、変な気分になった。ちょっと頭に来たかもしれない。
そのときは、私の母親も一緒だった。
母は、昆布をいくらか買い、「どうにもならないのよ」というように肩をすくめた。それ以上話題になることはなかった。
自分でもどうしてそうしたのかわからないが、私はチェーンをかけたままドアを細めに開けた。
誰も居なかった。闇夜というのに、人影が見えた気がした。
ドアを閉めた途端、また電話が鳴った。
ワンコールの半分ぐらいで、切れた。
今から30年近く前のことである。
携帯電話など見たことが無い。
一キロぐらい離れたところには、確か公衆電話があったはずーー。
直後にドアが、また叩かれた。遠慮がちなものではなく、確信しているような、どんどん、という叩き方。
頭にきた。
近くにあった、弟の竹刀を取りドアを全開にして外に飛び出した。
誰もいなかった。
自分のことを馬鹿みたいだと思いながら、一応、家のぐるりを見回ってから戻った。
あとで考えたら、「なんだか変だったかも(あぶなかったかも?)」と怖くなった。
思い出して、母にこのことを話したことがある。変な顔をして黙って聞いていた。
あんまり怖い話ではなくて申し訳ない。
http://anond.hatelabo.jp/20091208173738
いや、びっくりした。今、まさに、この内容の書き込みをしようと思って増田に来たところ。
『そのとき』のことを思い出すと、相手殺したくなるので。(殺してやりたいっ)と頭に血が上るたびに、心臓がバクバクいって不整脈を起こして、ものすごく気持ち悪くなる。竹刀で壁を叩き叩き叩き叩き叩き、それでも気がおさまらず泣きわめく。
なんで、私の酷いことをした人間によって、自分の健康や人間関係や心の平安を乱されなくてはならないのか、どうしたら、この気持ちを捨てられるのか。増田で訊いてみようと思ってたところだ。
カウンセラーに行ってみたこともあるんだけど「相手にも事情があることを察してあげて」なんて火に油を注ぐようなこと言われたもんで、もう行ってない。犯罪をしなくてはならないほど、生きていくのがつらいのなら殺してあげたらいいんじゃないかなーとさらに気持ちがエスカレートしてきちゃって。
「なぜ」の問の答え、私は聞いた。「幸せそうでうらやましかった」んだそうだよ。「めちゃくちゃにしてやりたかったんだ」ってさ。じゃあ、私がめちゃくちゃにしてやってもいいよなあ? 先に手出したのはあっちだもんなーとさらに気持ちがエスカレートしてきちゃった。
どうやって、この殺意を消せばいいんだろ。相手が生きてる限り、ずっと(殺してやりたい)と思い続けるような気がするんだけど。
いや、やらないけどね。私は法の内側の安全なところにいたいからさ。もちろん、ずっと安全じゃないってことは知ってる。でも法の外側に行ってしまったら、24時間365日一生、安全とはおさらばだから。
何を言いたいのかわからなくなった。元増田のおかげで、うまく吐き出せたよありがとう。こんな答えしか書けなくてごめん。
http://anond.hatelabo.jp/20081122005902
体罰を受けて自分の為になったか?という質問に私が答えるなら「どちらでもない」と答えることになるでしょう。
私(21男)の小学校の6年間、色々な先生が居ました。その中に体罰と思えるような事をした先生が2人居ました。
1年生時の担任の先生と6年生時の担任の先生。仮に前者をA先生、後者をB先生としておきます。
1年生の時、私は小学校に入学したという喜びで浮かれていて授業中も静かにせず、挙句は隣の子にちょっかいをかける始末。
今考えると我ながら何をしていたんだろうと思います。
その時の担任のA先生(50-60代の女性)はそんな私を手に余らせたのか、始めに私を隣の席から離して壁際にしました。
しばらくすると、A先生から入っても良いという声がかかり、中に入ることが許され何が悪かったのかを説明して、この後ちゃんと聞いていられるように注意しました。
夏休みの宿題をやってこなかった私に手を上げることもありましたが、期日を設定しそれまでにやってこいと言われました。
6年生になって今までと同じように過ごして居たのですが、当時の担任のB先生(40代男性。恰幅がよい)にはたびたび(というか頻繁に)叱られました。
1週間に一度以上は叱られていたように感じます。
宿題を忘れて、授業に少し遅れて、給食を食べきれずに、掃除を真面目にやらずに、授業中に勝手に発言したり……
思い出せばきりがないですが、大体私に原因があります。(中にはとばっちりや私に原因のないものもありますが)
その中で特に覚えている2つ。
ひとつは、当時放送委員会に所属していた私が給食時の放送で、放送が聞こえたり聞こえなかったりした時にB先生が「放送室に行ってきて、聞こえないと言って来い」と言い、給食の途中だった私に放送室(教室は3F、放送室は1Fの奥)まで行かせました。
給食の途中ですし、その日の放送当番はあまり会いたくない相手だったので気乗りせずに階段を下りていきました。
階段を下りていく途中、放送がちゃんと聞こえるようになったので「これはしめた!」と思い、教室に戻って給食を再び食べ始めました。
そしたら、また放送が聞こえなくなったのです。その時にB先生は「おい増田(仮名・私)。ちゃんと放送室で聞こえないって言ってきたのか!?」と私に問いました。
私も私でバカ正直なので「すみません。途中で聞こえてきたのでもう良いかと思いました。」と答えたのだが。
(B先生は児童に敬語を強要してた。タメ口で話すと「先生は君の友達じゃない」と言ってた。まあ、この頃から敬語を話せるようになれば後々役に立つので、その点に関しては私は賛同する。)
何が気に触らなかったのか、私を自分の元まで呼びつけ怒鳴りつけました。更には私の首根を掴み若干私が浮くぐらい持ち上げて怒鳴りつけました。
元々恰幅の良いB先生がそんな事をしたら小学生は萎縮してしまいます。
叱られている間に給食の時間は終わり、放送も中途半端な状態のまま終了しました。
給食の時間の後の掃除の時間が始まり、やっと解放され周りが掃除をしている中、後ろに下げられた机で給食を食べることを許可されました。
確かに私が言われたことを実行しなかったことも悪いのですが、何故そこまでの仕打ちを受けなければならないのか不服でした。
もうひとつは、夏休みの宿題を忘れた時。2週間ばかり出さずに私を含む数名だけが宿題をやっていない状況でした。
その時、忘れた者に対しB先生は各人を自分の元に呼び「この宿題はいつ出す?」とそれぞれの宿題の提出可能時期を聞いていました。
私に対しても聞いてきたのですが、私はその時に全然(夏休みの友以外の)宿題に手をつけておらず一切宿題提出時期のめどが立っていない状況でしたので、
バカ正直にほとんど全ての宿題に対して「いつ出せるかわかりません」と答えました。
すると、その返答にキれたのかB先生は私の首根を掴み、教室から連れ出して階上にある音楽室まで引き摺りました。
その上、音楽室にある個人用のオルガン机に私を押し付け、上から首根を押さえ、その状態で叱りつけました。(私は ┐←このような状態で仰向け状態でした。)
その状態でB先生は「いつ出すんだ!?」と問い続け、私は泣きながら謝っていましたが、やっぱり私はバカ正直なのでいつ出せるかわからずに「わかりません」を繰り返していました。
その状態が5分くらい続いたでしょうか?B先生は私の返答に痺れを切らし、体勢を変え、今度は私を壁に押し付けました。
音楽室の壁は音響のためか/\/\←このような山状になっておりその谷間に私を押し付けました。勢いが強く、私は咳き込むほどでした。
やはりその時もB先生の恰幅のよさのためか大変怖かったと記憶しています。
そして、またB先生の「いつだす!?」の質問です。もうバカの一つ覚えかの如く同じ質問しかしません。
また、私もバカなので「わかりません」の回答しか出来ません。
最終的にB先生は「○日までにやって来い!いいな!」と言い、職員室へ戻って行きました。
当時、どっちかって言うといじめられていた方なのであまり他のクラスメイトは心配してこなかったのですが、この時ばかりは、教員の親を持つ友達から「教育委員会に言った方がいいんじゃない?」と言われました。
と、2人の先生のエピソードを書きましたが、
今思い返せば、A先生の時の体罰は役に立ったし、A先生に感謝したいくらいです。(ベテランの方なので慣れていたんだと思う)
逆に、B先生は当時も時間のたった今でさえ忌々しく思い、今でも恨んでいます。
A先生の場合、叱った後に何故それがいけないのか、どうしたら良いのかを私に諭してくれました。
が、B先生の場合は叱るといっても同じ言葉の繰り返しが多く、だからどうすればよいという事を私に言わず、「だからお前は」的な言葉が多かったです。
なので無意味に時間のみが経っていく様に感じました。(子どものような叱り方)
この2人の先生を見ていて、一概に体罰が役に立たないと言えないのでは?と思います。
叱るのが上手い先生、下手な先生多種多様なので体罰がいけないとは答えられません。
B先生の場合、私がいけないと思う点も有りますが、相手は小学生なのですからそのあたりも「大人」としてその児童に合った叱り方をすべきだと思います。
他にも小学校6年間で良い先生、嫌な先生は居ましたが、体罰を振るうことはありませんでした。(うちの親曰く通知表に書いた内容が「言葉の暴力」だという40代女性の先生は居ましたが。)
今思えばいじめを含み、よく不登校にならなかったものだと自分でも思います。メンタルが弱い子なら多分不登校になっていたことでしょう。
多分、祖母から戦前の教育を聞いていたから「それよりはマシだ」と思っていたからだと思います。(常に竹刀を持ち歩き、常に眉間にしわを寄せて、少しでも悪いところがあったら竹刀で叩くというもの)
長々と失礼しましたが、世の中色々な先生が居てその先生のスタンスも多種多様で何事もひとくくりには出来ないものだと思います。