はてなキーワード: 棒倒しとは
他人に共感して自己を曲げてしまう人、結構いるけど結局自分もその一部だったんだと思う。
左腕、治療して元気になってたあの人が羨ましくてかっこよくて、自分もああならなきゃな早くしなきゃという気持ちが募ってた。
一人で全部耐えて、耐えたら友人と明るく笑って海へドライブして棒倒しして、好きとか言うより単純に憧れてた。
時折ネガティブな言葉を吐いてもそれすらもかっこよかった。私は同じにはなれないのかな。同じになりたいと思った先に何があるのかな。
相談できる人はいる。ただ、その人が自分と同じ状況だとは限らない。私よりずっと軽傷でその上でアドバイスされたのだとしたら私は幻滅してしまう。どれ程差し迫った不安を抱えているかは私にしか分からない。この後どうなるかなんて医師にすら、分からない。
○朝食:なし
○昼食:ぶたのごはん
○夕食:豆腐、しめじ、手羽先、白菜を煮たもの(手羽先って世界一旨い食べ物説あるな)
○調子
はややー。
お仕事はいろいろあったけど、結果としては楽な方向にうまく倒すことができた。
ここ最近こういう「棒倒しの棒が倒れはするものの、互いが納得する位置に倒す」みたいな仕事が多いのだけど、苦手だわ。
OK1.グラブル:島H、マグナ、討滅戦のマニアック、共闘デイリーをやる
ブローディアHLをMVP確定流ししたりしてた、もうちょい構成を練ればソロ討伐もできるかも? とりあえずディスペルが必要そう。
ティアマトのプロマイドが三つも落ちてくれたので、エターナルラブの四凸のエレメントが集まった。
天司のアニマが足りないので、自発素材をちゃんと周回するか…… 天司の人たちのマルチめっちゃ難しいから苦手だ……
本当に少しだけだけど、グラードンのダンジョンを半分まで進めた。
最近よく昔は良かったと見かけるので、良くなかったことを、ざっと30年位前の幼少時代を思い出してみた。
【小中学校】
・イジメが絶えず、ターゲットをバイキン扱い、バリアー等の遊びが通常に行われていた。
・イジメられていた人は、どこにも発信できずに耐えるしかなかった。
・プリントは、わら半紙が一般的で、原稿は鉛筆で執筆していた。
・戦争、原爆のビデオを何度も観せらて、酷さだけを押し付けられた。
・運動会や合唱コンクールの練習が1ヶ月以上前から毎日行われた。
・学校のアンケートで、クラス名簿リストが配布され、好きな子、嫌いな子を5段階評価していた。
・緊急連絡網で次の人(家庭)に(固定)電話するのに超緊張した。
・茶髪のヤンキーやカツアゲ、盗みなどが盛んだった。弱小な子は商店街を一人で出歩くと危険だった。
・タバコを吸う、シンナーの吸引等がわりと普通に行われていた。
・そして、全校集会で全員が体育館に呼び出され、連帯責任として説教を受けた。
・全校集会が長時間化するため、体の弱い人が貧血で何人も倒れた。
・運動会では、騎馬戦、棒倒し、組み体操等を先生に言われた通りにこなし、何の疑問も持たなかった。
・部活では先生からの体罰が疑問すら思わず、普通に行われていた。
・テレビ、新聞から流れる情報が全てであり、疑問にすら思わなかった。
・音楽はレコード、カセットテーブ。録音時間は実時間かかり、針飛びで失敗もよくあった。
・パソコン通信をやってる人は、オタクの度を超え、変人扱いだった。
・連絡手段が黒電話しかないため、約束の時間、待ち合わせ場所にいないと、お店の固定電話を借りた。
・会社内、電車内喫煙可能、タバコのポイ捨て路上駐車等が行われ、マナーは悪かった。
飼育小屋で、うさぎにえさをあげようと適当な草を選び始めた、あまり良いのが無い。
戻ってみると、子供が棒切れで、うさぎをつついてるのをみつけて思わず怒った。
「だめだよ!」ビクッとして、しょんぼりとする。
棒倒しをはじめる。両手いっぱい掬うので何度も何度も倒す。そのたびに砂を集める。
やっと、自分の番になったので、ギリギリをかすめ取って気付く、次はこの子の順番だった。
ごめんね。と、もう一回自分で掬って倒した。
追いかけっこをした。大汗をかいていたので、どうにかしたかった。
タオルが欲しかったが無いので、しかたなく、パタパタと手であおいだ。
自販機の前、小銭入れを忘れたことに気が付き、通り過ぎた。
疲れてそうなので手をつないで歩いた。
空いた手の方へ体重をかけられてしまうので、引きずるようになってしまった。
帰り道、ゲームセンターによる。
いつもだったら怒られるのだが、床に放り投げておいても、何も言われることはない。
【小6「組体操やめたい」 学校の対応は・・・? - Togetterまとめ】
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・組体操やめろ派の主たる主張は「ケガをするリスクが大きい」こと。
・他の競技、騎馬戦・棒倒し等はどうなの?組体操が格段にリスクが高いのだろうか。
・リスクが高いことを、そのリスクの判断ができない児童に強要してはいけない。
・それでもやりたいなら(やらせたいなら)中学で体操部に入ればいい。
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・もし自己満足なら、こんなくだらないことはない。即刻やめるべきだ。
・それとも「体幹を養う練習」「他者を助ける練習」の一つの形、成果物なのだろうか。
・そうならば、しっかり練習をする意義はあるのではなかろうか。
・(例えが悪いが、運動会は、日頃の成果を披露する軍事演習みたいなものか)
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・いや、体育の本来的な目的って、そういうことじゃないか?体を育てる。
・個々人が、自身の成長ペースに合わせて、健康な身体をつくること、身体の動かし方を覚えること。
・高いタワー作らせたり、炎天下で野球やらせたり、グラウンド100周させたり、それって本来の目的じゃないよね?
・一体感とか達成感とか根性とかは、副産物だ。そのものを体育の目的にしてはいけない。
・「体を育てる」から逸脱する規模の組体操には反対が起こるのだ。
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・「理解できないリスク」「将来不要であるリスク」を主張するのだろうか。
・マルクスを学ぶことは左翼主義に傾倒する、とか言い出すのだろうか(ものの例えだ)。
・勉強したい人だけ机上授業に参加すればいい、ウチの子は他人と比べて頭が悪いから勉強させるのは可哀想、とか言うのだろうか。
・傷を負うリスクがあるのが身体か、思考回路か、という違いはある。が、後の人生に影響をおよぼすのはどちらも同じ。
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けっきょくモヤモヤしたままだ。
結論:
①「身体を作る」という目的が遂行できれば、組体操でなくてもよい。
②ただし、なにかしらの成果を示す場は必要。
③親や教師は、子供が(相対的に)逞しく育つことに価値を見るべきで、成果物の派手さやハードルの高さそのものに目を奪われてはいけない。
④参加したい人だけ参加すればいい、というのは少し違うんでないかな。
おもしろかったんだがなぁ。
中止の理由の主なとしては、
上が高視聴率に調子のって頼って管理できないほど手を広げた結果、
バカッターがうpって炎上して、親会社の株までが下がるみたいなもんか。
そもそもなんでバラエティって、年中ずっと放送し続けるのが当たり前になってるんだ?
適度に入れ替えれば当たり外れはあれ年間通してできるだろうけど、
年間定期的+改変期特番で維持し続けようとした結果、
ライン数ばっか増えて管理が甘くなるのなんて目に見えてるだろうに。
夏の冒険王とかで客入れて、
持ち時間制の五回勝負で、倒せばもちろん終了。
政治番組や芸能番組、ドラマ、バラエティー等、実在する人が人をおかしくする・影響させる事は多々見られるが
非実在人間が実在人間をおかしくするのであれば、実在人間は非実在人間によって動かされているという有り得ない事が成立してしまうのではないか?
例えば、棒倒しを行うには、実在する人が棒を動かさなければ棒は倒れない。
非実在人間はその棒に触れる事ができないだけでなく、音や絵を通しても棒に何ら影響を与えることが出来ないからだ。
つまり、ドラえもんやサザエさんといった非実在人間は人を動かす事ができない。
非実在人間が人を動かすには非実在人間を動かす実在人間の存在が必要になってくる。
それが煽情家というものだ。
彼らはアニメという媒体を通して人に何らかのシンパシーを訴えかける。
これはアニメを媒体とした実在人間から実在人間への政治的運動のそれだからだ。
アニメに思想や思惑を吹き込む実在人間の存在が、結果として人を動かしているのに過ぎない。
すなわち、アニメは人をおかしくするというのは前提条件として“人が動かしている状態”でなければならない。
人が動かすアニメは政治的や宗教的な思想・思惑によって人を何らかの影響下に動かす事が可能だ。
しかし、棒倒しのようにアニメ単体では何の力も効力も持たない。
宗教依存とか政治依存とかネット依存とかセックス依存とかといった依存症の類は間違いなく実在する人を通して発症する。
感染病だって、人から人に、あるいは動物から人にしか感染しない。
アニメという非実在人間から政治的シンパシーを感じ取る事が出来るのは、そのアニメに吹き込む実在人間が問題であり、
アニメ単体にその力がないことは、前述の例を見ても明らかだ。