はてなキーワード: 天岩戸とは
1世紀、前漢・後漢のあいだの20年ほど、新という国があり、亀貨が使われていた。そのころ淡路島に日本初の鉄器工場ができた。赤色塗料あり、赤眉軍あり、薩摩の隼人は顔を赤塗りしていた。そして2世紀、魏から卑弥呼と呼ばれた天照大神は亀の甲羅で政策を占ったといわれている。
ただそんな原始的な国が諸国に進出するだろうか。そこで推測してみる。
天照大神は、亀貨が戦火焼失に耐えるか試していた。天岩戸に籠ったのは鉱物を探すためだった。魏の帯方郡と赤色塗料(丹)貿易をし、帯方郡が滅びれば百済人や新羅人に鉱山開発をさせた。出雲にも銅や銀があるのを知り、大国主命を送り込んだ。
また、各場所の初日前日に日本相撲協会の幹部、審判委員の親方などを集めて土俵祭が行われる。内容は土俵の真ん中に日本酒、米、塩などを封じ、相撲の三神(タケミカヅチほか二神)と弊束を7体祭り、立行司が祭主で介添えの行司が清祓の祝詞を奏上し、祭主が神事を行い、方屋開口を軍配団扇を手にして言上する。
で、相撲三神というのは天照大神・住吉大神(住吉三神)・戸隠大神(天手力雄命?)。
タケミカヅチどこいった?
http://www.syounosuke.net/gallery/history/iti14.html
そして「この齋庭に、わが相撲の道の守り神と持齋く戸隠の大神、鹿島の大神、野見宿禰の命たちを、招ぎ奉り坐せ奉りてかしこみ申さく、ちはやふる……(あとは同じ)」
ということにした。
戸隠の大神は、天岩戸をあけたというアメノタヂカラオノミコトであり、鹿島の大神は、国ゆずり相撲でタケミナカタノカミに勝ったタケミカヅチノカミであるから、相勝にも大いに関係があり、もし質問をうけてもこれならだいじょうぶである。
タヂカラオ・タケミカヅチ・野見宿禰の三神ということになるな。
タケミカヅチも入っているしこちらのほうが信憑性がありそうだ。
上にあった「弊束を7体」の説明としても、
土俵中央にあらかじめ、七本の幣を安置。七本のうち正面の三本は造化の三神(天御中主神、高御産巣日神、神産巣日神)。東西の二本ずつは四季の神の意。
ということか。
まあ引きこもりを引っ張り出す程のコミュニケーション能力がないといわれれば確かにないよなあ…
どうすれば、はてなの中で知名度を得ることができるのでしょうか。
ブログで面白い記事を書いて、ブクマされまくると良いのでしょうか。
どちらもやってみてはいるのですが、まったくお気に入りやブログ読者に登録してもらえません。
識者の方、よろしくお願い致します。
※追記
みなさん、多くのブコメ、ありがとうございます。
おちんこでたりもしたけれど、私は元気です。
※追記2
ブクマへ返信
houyhnhm
村長というのはどなたなのでしょうか。
pero_pero
papaopao
kiya2015さんみたいな感じですかね?
一時期はてなスターを配りまくることもしたのですが、私の事に興味を示してもらえることはありませんでした。
AfroRay
kaionji
一度書いたのですが、そこまで盛り上がらず
読者数も1人も増えませんでした…
munioka303
ブコメで有名になれるわきゃねーからブログなんだろうけど、そのブログを拡散するにはどーしたらいんだろね。やっぱ実名で特殊性癖モロ出ししたりしなきゃだめかな
※追記3
ホットエントリーするとは思いませんでした…!