はてなキーワード: 町おこしとは
私は刀剣乱舞というゲームを通して刀が好きになった。美術館博物館に足繁く通い、刀を見ていた。
その名を五月雨郷という。
五月雨郷、あるいは五月雨江とされる刀はさまざまな家を渡り歩き最終的に尾張徳川家、徳川美術館所蔵となった刀である。郷義弘が作刀、江派の打刀だ。
チラ見せの段階で江だと分かり、雫型の耳飾りだとかで五月雨江では?と囁かれるのに推しの実装が怖くて怖くてずっと拒否していた。推しが来るなんて耐えられない、と。
でも実装されたら、すていじあくとに加えてもらって、何を愛するんだろう。晴れを切望なんてちょっとありきたりだろうか?村雲江とペア枠になるとか?回想で後藤くんとか亀甲とかの会話があるだろうか?何が来るんだろう!本当に楽しみだった。ただただ怖くて、ただただ楽しみだった。
『越中国の刀工、郷義弘作の打刀。景色を名に宿した名刀は華々しき来歴を辿るが、その言葉には同じ時代を生き、名を詠んでくれた俳人への思いが表れる。
行雲や犬のかけ尿(ばり)村時雨』
https://twitter.com/tkrb_ht/status/1333334963043790850?s=21
北へ向かったこともない。初めて見初められたのは福岡である。黒田長政が購入し、徳川将軍家に献上したところから彼の歴史は花開く。一番北は加賀か江戸かである。
私は俳句に明るくない。必死に松尾芭蕉を調べた。もしかしたら尾張徳川家とただならぬ仲があったのかもしれない。調べて分かったのは「五月雨」と詠んだ句が結構あることくらいであった。
中学国語程度の知識しかない人間でも知っている「五月雨や集めてはやし最上川」に始まり、10以上残しているらしい。私が適当に地元の図書館で借りてきた句集にはそれくらい載っていた。
忍どっから出てきた?
犬耳なんだ?
『行雲や犬のかけ尿(ばり)村時雨』
五月雨を使った句は素人が適当に図書館行くだけで10以上見つけられる。
集めて早しがダメなのは艦これにいるからまあわかるとして、何でいくらでもあった中で五月雨も関係なく、ぱっと意味の分からない犬のおしっこなの?
※この俳句の意味は犬がおしっこしていくみたいな速さで雲が流れては戻ってきてという天気の移ろいを歌った少し面白い歌らしい。(http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/haikusyu/sigre0.htm)
ゲームをしていない人、入手できなかった人、何よりやっていても第一印象が犬のおしっこである。
この場合の村時雨は降ったり止んだりの雨なので五月雨と意味はほぼ同じとはいえるが何で犬のおしっこなの?汚いでしょ。
そして顕現セリフもまたひどい。
『郷義弘が作刀、名物、五月雨江。え? これですか。これは前の主に対しての義理のようなもの。
それよりは、同じ時代に生きたあの方への思いの方が強いのです。そう、私の名前を詠んでくれた、あの方への……』
これが指すものがはっきりとしないが、他のセリフと合わせるに多分犬関係の部分である。
犬といえば生類憐みの令。犬を大切にした彼への義理である、と。
だが悲しいかな、ネット上では「犬公方」が元だという考えが散見される。はっきり言いたい。
義理というか直接的にdisってる。生類憐みの令が元だと言ってくれ審神者。全然義理とか思ってない、前の主を嘲笑うクズ男士になってしまうから。
また、刀帳説明において『五月雨江です。五月雨の季節に打たれたことからこの名がついたとも言われております。』と発言しているが、現在この記述が確認できるものはない。由来は
・五月雨の頃の極められた
・五月雨のように美しい刃文
創作というか嘘をつくな。
もう一つ言いたいが忍どっから来た。松尾芭蕉からならひどいトンチキ説を採用したな……と呆れるし、柳生新陰流とするなら遠過ぎてびっくりするぞ。というか五月雨郷が尾張徳川家にやってきた段階では柳生家はもう剣術の指南を中心にしてて忍者だった頃じゃないぞ。あと忍者だった頃っていう概念で行くなら奈良と伊賀の間辺りなので本当に五月雨郷関係ないぞ。
さて、ここまで前置きというか許せない部分の羅列である。
松尾芭蕉の刀だと思うだろうか?元の主に忍がいると思うだろうか?俳句に関係する何かがあると思うだろうか?
刀剣乱舞のログイン画面には「この作品は創作であり、史実等とは異なる場合がございます」とある。
だから史実と異なるキャラだとて仕方がない、それでも史実を叫ぶ人間は史実厨と呼ばれ嫌われる。
史実と異なる創作(本来は死んでいる人間を生かしている、史実では否定されている戦況などを使用するなど)を批判する人間に対する蔑称である。
行き過ぎた史実に対する想いは時に創作の幅を狭めるだろう。どんなに史実を愛しても司馬○太郎がある限り史実のみの創作なぞあり得ない気がするけれど。
閑話休題。
五月雨郷とキャラクターの五月雨江とではあまりに史実からかけ離れている。
その上史実を語る場=回想が一個もない。江なのにすていじあくとさえない。
もっと苦しいのがその直後に実装された真田の二振りにも監査官さんにも大量の回想があることだ。というか回想なし実装は2018年末の袮々切丸以来である。二年ぶりの回想なし男士だ。
何故犬で忍者で松尾芭蕉ファンで元の主の話をしてくれないのか一切分からない。何も語ってくれない。
五月雨郷という刀は犬のおしっこも関係なけりゃ元の主を犬公方とバカにもしない。
男士としての彼は何も言ってないとわかっていても審神者特有の深読みで変な謗りを受けるのは刀剣男士の五月雨江で、刀剣の五月雨郷だ。
全部が全部、今までかの刀が作り上げてきた全てをぶち壊して新しいものを勝手に創作する割に名前だけは堂々と名乗るのだから質が悪い。
いっそ関係のない刀だと明言しろ。徳川美術館にある五月雨郷と一切の関係がないと言ってくれ。そしたら私は自分の推しが汚いものとして凌辱されたと泣かずに済む。
私は刀剣乱舞が好きだった。だから六年もずっと私の本丸を稼働していたし、金だって大量とは言えないけど課金したしグッズ買ったし推しを愛したしリアイベ行ったしてんごだってデビューしたし円盤だって買ったし私なりに推してきた。
人生で初めて同人誌も出すほど好きだったしいつか来る五月雨江という刀剣男士を待ち望んでいた。
私が求めているのは、五月雨郷という実在の刀剣の名前を騙って創作という免罪符を振りかざすな。それだけである。
何度も言われた。刀剣乱舞は創作なんだから。刀剣乱舞は史実とは違うから。私自身も何度も何度も創作だから仕方ない、創作と史実は違うのだからと必死に自分に言い聞かせた。
でも、やっぱり、許せないのだ。
刀剣乱舞は、国と共同で日本博に出るなどここ最近は文化の担い手として伝統を伝える試みを多くしている。それを行うところが五月雨郷という一振りの刀を適当なキャラメイクでキワモノ実装した。創作という免罪符を元にして。
今この世にある刀に汚いもの、元の主の蔑称を体現するものとして認識させるのどうかと思う。
創作であるという免罪符を、文化の守り手を自称する企業が振りかざさないでくれ。
私のことを史実厨だと謗ってくれていい。それで五月雨郷という本当に美しい刀が不当に扱われないのであれば何度だって声をあげる。五月雨郷という刀は本当に美しい。私が愛した刀は、何物にも変えられないくらい美しい。私が一番好きで、何度でも見ていたい刀である。
キワモノだからと、犬耳だからと、どんな刀か知られずに松尾芭蕉のことしか語らない刀であると認識しないでほしい。犬も基本関係ないし、歴史がないわけでもない。
五月雨郷が歩んできた歴史全てを蔑ろにして松尾芭蕉という誰もが知っている要素を組み込んで出来上がったキャラクターは可愛いか?
信長も秀吉も家康も持っていない、有名な武将の手に渡っていないそんな刀の創作は、誰も知らないから好きにしていいのか?
もう一度言う。
五月雨郷の美しさを知ってくれ。
五月雨郷は本当に美しい。
でも、間違った意識というのはあまりにも容易く色々なものを壊すこともある。創作は免罪符ではない。
Twitterを見た。
様々な意見が噴出している。私が見た範囲が全てとは思わないがいくつか言うべきかなと思って追記だけつける。
1.他の刀剣もだろ。
A.私の推しじゃないので史実確認できるほど詳しくないです。各々当該刀剣が推しの人が叫べばいいと思うのに五月雨郷だけ叫ぶなっておかしくない?
生類憐みの令が元だって審神者全員が言ってくれたらそれは構わないよ。犬公方っていう言葉と五月雨江をつなげるツイートをいくつか見たからこその意見だよ。
3.犬の尿は汚くない
汚いよ。俳句としては汚くない意味でも、今の時代にそれを検索なりなんなりして意味を調べる人間がどれだけいる?
第一印象で俳句の意味など全て知らずに犬の尿だけを覚える人間って多分思ってるよりずっと多い。だから嫌だと言ったし、俳句自体が汚いとは言ってない。
知ってるよ。でも今出した意見は松尾芭蕉=忍者説と柳生新陰流における忍者の話だけだよ。
柳生家と関係があるのは尾張徳川家にいたときだけで、五月雨郷が尾張徳川家にいた時点で柳生家は剣術指南の家だったという話。なお柳生家が忍者じゃない云々に関しての議論は別なのと尾張といえば忍者は伊賀の町おこし壊すからやめてくれ。
五月雨郷を実際に見に行って松尾芭蕉は?ってなるより悪い印象って何?キャラが好きになった人が五月雨郷を見にくることをやめろとは一切思わないけど自分が見に行ったときに松尾芭蕉の話を五月雨郷の前でしている人がいたらげんなりはすると思う。
私は最初から史実厨と言われていいから元となるものを貶してまで創作をするなと言ってるのであって、史実厨という言葉をいい意味で使ったことないよ。創作を認めるなって言っているのに近いと思う。
6.とうらぶやめろ
やめるよ。今回の監査官さんが原因で余計病んで五月雨郷をこうしたのに創作で出来上がった自分を考える監査官さんがいることが嫌になったからこれを書いたんだから。
何度もふるさと納税をしてるけど報告書が届いたのは初めてだったので興味深く読んだ。
ちなみにふるさと納税はショッピング感覚でやってるのでこの市に縁はなく
そもそも何が届いたのかも覚えてないし地名の漢字が読めないし市の名前しか書いてないので
どこの都道府県かもわからずこの日記を書くためにググって知りました。
市の規模は人口10万人程度で東京都だと稲城市ぐらいの規模らしい。
納税件数は1.8万件で総額は約3.5億円。ひとり2万円ぐらいを納税してる計算になる。
主な使途としては子育て支援に1.3億、地域づくりに7.5千万、観光対策に7千万、雇用対策に6千万、その他という感じだった。
自分は中小企業の代表をしているので使途の「地域づくり」「観光対策」「商工会議所」についてはなんとなく想像ができる。
建前としては市の地域活性だが実体は利権団体を通じたお金のばらまきに近いんじゃないかなと思う。
これが悪いことなのか、良いことなのか、もしくはそのどちらでもなくただの無駄金なのかはわからない。
とりあえず内訳としては以上だった。
今、知り合いのつてでテレビ局の制作下請け業務のADやらないかって話があってそれを引き受けるかどうか迷ってる。
大学在学時に精神病んだり多重債務が膨らんだことで卒業してすぐ実家に戻って2年くらいニートしてた。
ニートって言ってもぼちぼち家業の手伝いして、とりあえず利息をなんとかするために日雇い派遣に行って、
グループセラピーに顔出したり、町おこしやってる地元NPOでボランティアしたりなんやかんやしてたけどどこにも属してなかったからニートはニートだ。
同じ面子と毎日顔を合わせていると不安でたまらなくなるから月に二日が限界だった派遣も、2年経つごろには週4~5で3つぐらいの現場をローテーションできるくらいには回復した。
そのころになってようやくとりあえずどこでもいいから腰を据えようと考えられるようになって週3のコンビニバイトと週2のホテル清掃を掛け持ちを始めた。
1年前にコンビニの時給が上がってからは週4にシフトを増やしてもらってそっち一本に専念して今もやってる。もうかれこれ4年になる。
当時はやっていたテキストサイトなりに影響を受けてhtmlを自分で書いてみたのが最初で、
それからお遊びで自分のサイトをCSSで装飾をしたりCGIプログラムを書いてみたりしてた。それも高校生になるころにはやらなくなったけど。
それでもずっとWeb周りの情報は集めていて、はてなも情報収集のためにブックマークを使い始めたのがきっかけだった。
2年のニート期間中に、ようやく落ち着いて勉強をできるようになったので、
ドットインストールでJavascript、PHP、Python、Rubyの基本的な書き方をさらったのち、ちょくちょく自主制作をやるようになった。
いってもPHPとPythonはWordPressとC4DのXpressoくらいでしか使ってない。Rubyは一回TwitterBOTとミニゲーム作ったあとなんか好きになれなくて弄らなくなった。
でももともとWebに憧れがあったからかサイト制作でJavascriptを使うということは結構長く続けられた。
通ってた大学はメディア関係の学部でイラレフォトショもそれなりに使ってたからそんなつまずくこともなく、ちまちまポートフォリオに制作したサイト溜めてた。
あと関係ないけど図書館でJavaの参考書借りてきて写経したり、XCodeでSwiftに挑戦したりしたけどアプリにあんま興味なくていつの間にかやらなくなった。
それもサーバー代が払えなくなったりHDDがおしゃかになって全部なくなったんだけどね。ここ最近はPCも持ってなかったし。
なんとか最近になって惨めな田舎生活から飛び出すだけのお金が貯まって、定職につくことまでようやく考えられるようになって
「ちょっと遅くなったけどだめもとでまた一から頑張ろう、まずはポートフォリオまとめていこう」と思ってた矢先にコロナショックで世の中おかしくなりだした。
自分も不安でたまらなくて、コンビニバイトをしていることから小売業の求人に応募しつつ、Web制作や、大学時代の経験から映像制作の募集に片っ端から応募した。
ADの誘いを受けたのはこの流れで、受けた企業の採用担当でない社員の方から別の企業を紹介されてそういう話になった。
履歴書も見たしもう一度会ったらもう内定を出すと言われている。
あからさまに怪しいと自分も思う。放送業界のハードさは周知の通りである。しかし自分にはトラウマがある。
大学卒業直後に第二新卒での就職を目指して3か月だけ就活をしていた時期がある。
そのときに「テレビの制作やってる部署に中途採用してあげるから一か月後に荷物まとめて東京に出てきて」と言われ結局自分はそれを蹴った。
当時はほぼ無収入なのに借金の返済に月6万かける生活で不安が大きかったのと、
クライアントや代理店から依頼された案件で企画から制作までじっくり取り組んでいきたかったので放送業界はやや不本意だったからである。
でも今になればあのとき飛び込んでいれば違った未来があっただろうと後悔する気持ちがある。
少なくとも今のようにぼんくらとして馬鹿にされ近所から白眼視されながら惨めに孤独に片田舎で生活するようなことはなかったのではないだろうか。
今の自分は映画「悪人」の妻夫木の役どころや「レズ風俗」の永田カビみたいなもんである。
今現在はその企業以外に2社映像制作会社(放送関係ではない)の面接選考が進んでいてそれも自分を迷わせる原因だったりする。
最近のはてブの話題からいろいろ考えてしまうんだけど、現実逃避するように誰に見せるわけでもないポートフォリオサイトを休日に作り続けてる。
それを友人たちに報告するときに自然と口をついて出たのがこの言葉だ。
改めて考えてみても、この一言に尽きるな。
しかしこの博物館では「信夫」の読み方がググらないと分からない。
市内で一番詳しくなきゃいけないはずの学芸員でさえ。
それで何の支障もなく誰も疑問に思わないのがこのムラなのだ。
「折口信夫を知らない学芸員」は、小さくみればその職員の力不足と無関心ゆえ。
だが大きく見れば、それが問題視されない、職員にそれを理解するだけの余裕をもたせない、或いは理解してる者をそのポストに就けない行政の構造的欠陥でもある。
(初めから学芸員として採用するのでなく、一般採用の職員を間に合わせで回すからこういうことが起こる)
ここではムラの偉い老人の顔色をうかがうことが最優先事項となっていて、彼らの気まぐれに多くの職員が振り回される現状では「歴史」もまた顔色の延長にある。
専門家であるはずの学芸員にもさして専門的な知識・能力は求められていない。
それよりも根回しや忖度の技術の方がはるかに重要とされる。(尤も、だからこそ学芸員の肩書をつけていられる人もいるだろうが…)
そういう所に自分みたいなのがポンと放り込まれても、そりゃどう使いこなしていいのか分からないよね。
こいつは学芸員の部下のいち嘱託にすぎないくせに、学芸員より学歴が高く歴史の知識もある。
おまけに偉いとか老人とかに関わりなく全然顔色を読む気がなく、カギカッコ抜きの歴史にしか興味がないんだから。
これまでは郷土史家の本を引用して市の公式見解とすればそれでよかったのに、こいつはなまじ原史料(くずし字)が読めるものだから、その郷土史家が何の史料を根拠としていてどこを読み誤ってるかまで気がついてしまう。
業務命令を与えてもないのに勝手に色々と調べて余計な口をはさんでくる。
おまけに市の公式の歴史認識に異を唱えようとする、使えないうえに集団の輪を乱す問題職員。
都会から来たよそ者の若僧よりも地元で長年教員を勤めた〇〇先生の方が偉いに決まってるのに!!!・・・てな調子だ。
「言質を取られないように語尾を変えろ」や「私(上司)はそう思わないから研究結果を変えろ」あたりにはじまって、
「郷土史家の先生に喧嘩を売るつもりか」や「下手したら市長の首が飛ぶぞ」が脅し文句(より穏当に言うなら、行動を制限する説得材料)として投げつけられるあたりに、自分と周囲との認識のズレの大きさがよく表れている。
例えば何か研究論文を書く場合、「先行研究批判」という研究の世界ではごく当たり前の用語でさえ、ここでは"検閲"にひっかかる。
「研究における「批判」に、人格攻撃や非難というニュアンスはありません」
と口をすっぱくして説明しても、「私はそう思わない」の一点張りで却下されてしまう。
結局、そういう言葉狩りを受けてできあがる文章なんてのは、誰からも因縁つけられる余地がない代わりに、誰に向けて何を言ってるのかよく分からない玉虫色のお役所作文になりさがってしまう。
なるほど、彼らが求めていたのはこれだったのか。
たぶん彼らは「歴史の専門家」を、先祖自慢お国自慢にお墨付きを与えてくれる装置、町おこしや観光のネタ製造機くらいにしか考えていないのだろう。
自分たちの信ずる(しかし根拠はない)歴史認識をもっともらしい言葉で修飾してくれるロボット、それのみを求めているのだ。
ところがそのロボットが主体的な意思をもち、自分たちと異なる歴史認識を提唱するなど、許しがたい「反逆」としか彼らの目には映らないのだろう。
専門家が組織の一員として働くことと権力のロボットに徹することは、似ているようで全然違うと思うのだが、それはこのムラでは理解されなかった。
そりゃ自分にも落ち度はある。いち職員として使えない点は多々ある。
(未だに「社会人」の概念が理解できないので「社会人なら言われなくても分かるだろ」と言われても分からない)
とにかく解雇した側にも言い分はあるだろう。結果から見て自分がこの職場に適応できなかったことは明らか。
だがそれでも言わせてもらえば、
どうしても適応しなければならないのだろうか?
「その人は家よりも大きく見えました」
『戦争は女の顔をしていない』を読んだ時、この言葉が胸に深く沁みこんだ。それに倣うなら、
と言いたい。
仕事だからしゃあなしで歴史に関わってます、本当は全く興味ありません、ムラに波風立てないことが一番です……。そういう生き方は自分にはできない。
仕事を通じて自己実現ができればそれは素晴らしいことだが、それ以前に適応したいと思える、適応する価値のある場所を見つけることが重要だ。
この檻を出ても、より大きな檻の中であることは変わらない。
現在某アニメと町おこしキャンペーンが大炎上している、らしい。
らしいとつけたのは私がこの騒動にあまり集中していたくないからだ。
ここ数年でアニメ(もしくはいわゆる“萌え”キャラ)とのコラボキャンペーンで公共の広告としてはあまりにも性的ではないか、という議論が頻発している。
最初は賛否両論喧々諤々といった議論はいつの間にか過激さを増し、現在は両陣営とも相手の過激な発言を嘲笑っては罵倒する、地獄の蓋が開いたような様相を見せている。
私自身はというと、最初のあたりはこういった議論をとおして或る程度ガイドラインの設定なんかが進んだらええなぁとか能天気なことを思っていた。
そんなことをいうと「やっぱり規制派閥かこの女!」とお怒りの方もいらっしゃると思うが、ぶっちゃけ私はいくつかの場合(例えば実際に今生きている人の誹謗中傷や被害者がいるかたちでの児童ポルノとか)を除いて自由の表現のは守られるべきだと思っている。
じゃあなんでガイドラインとか言い出すんだこの女と思わるかもしないが、そりゃ表現規制派の言う「悪影響」を否定できないからだ。
例えば、私は小学生のとき「なあおまえ、まん毛生えてるの?」と男子にニヤニヤされながら聞かれたことがあった。
例えば、私は中学生のとき隠語を女子に聞こえるようにわめきたてて、嫌がる姿をうれしそうに観測されたことがあった。
例えば、私は高校生のとき露出狂につけまわされ、家の前まで着けられたにも関わらず「後の報復が怖いから」と親の一存で被害届をださなかったことがあった。
例えば、私はその直後、事情を話していた男友達に「やっぱり女ってレイプされたい欲望とかあんの?」と嬉しそうに聞かれた(マジ切れした)。
すべて「比較的治安のいい」地区で育った「地味な女オタク」の身に起こった内容だ。
これら全ては教師や保護者のいない環境下で行われ、被害者たちが訴えたとしても「男子の悪ふざけで女子が怒った」「法的には軽犯罪だし」「犬にかまれたようだと思って」……
しかしながら私は一生彼らのニタニタ顔を忘れることはできない。誓ってもいい。
それは、自身を取り巻く世界には、他者を自分の欲望を満たすだけの存在と考え、行動する存在がおり、しかも社会はそんな存在を優遇していることを思い知らされたからだ。
かくしてろくなケアもされずに社会に放り出された存在である私は、どうしてこんな理不尽が起こってしまうのか、傷跡が炎症を起こすように過敏になっていった。
ある人はメディアが悪影響を与えるのだといい、ある人は社会構造的な宿痾だという。またある人はそれを依存症と考え、治療すべきだという。
そのどれもがおそらく正しく、かといって現実の被害者を救う答えとはなりえない。
ならば、どうすれば私のような経験にあう人を減らせるのか。私たちは社会にどうアプローチし、耳目を集め、社会問題だと認知させ対策をとるべきなのか。
あなたたちを駆り立てたのはなんだったのか。
どうか思い出したら教えてほしい。
私たちの、そしてあなたたちのこどもたちが被害にあわないために。
私たちができることはなんだ?
>「女性の体は、目で見て楽しむためのものである」というメッセージが含まれてしまう。
わかるよ古典的な強いフェミニズム論だもの。どっかで勉強したんだろう
しかし、こういった負のメッセージを一切排さねばならないという話が最終的にどうなったかまで勉強しなかったのか。
80年代のフェミニストたちは、この理屈を「ブラジャーは抑圧」というスローガンとともに用いた。
ブラジャーをして胸のかたちをよくするのは男ためだと思われたからね。
セクシーさが市場で売れることは女が男を歓ばせるのはいいことだというメッセージだったからね。
胸が開いた服の女性やミニスカートの女性もやり玉にあがり、フェミニズム的じゃない女性、名誉男性扱いされた。
そうしてフェミニズムは、むしろ女性をこそ攻撃することになり、衰退したんだ。
今、お前も同じ轍を踏もうとしている。
悪いメッセージを読み取り得るものを全て排するなら、どんなものだって排することができるし、してしまう。
お前がオタだっていうなら、何か好きなコンテンツを上げてみろよ。俺はそれについて、これこれこういう悪いメッセージが含まれるから公共の場に出るべきではない、と述べることができる。そうだな? ヒプマイとかか? なんでホストに貢ぐこと推奨しているの? それらは決して表にでるべきではないのか? 町おこしのためのコスプレはどうだ? エロい服もけっこうあるぞ? 煽情的な上に公共がやってるのでは?
“ガルパンおじさん”として「もういい加減にしろ!」「政争の具に大洗とガルパンを持ち込むな!」という声を上げたい。
少し前に話題の「ガルパン町おこしイベントと共産党の抗議」が再度議論に
https://togetter.com/li/1374182
戦車が来なくなった大洗 共産党が「ガルパン」名指しで戦車展示の中止を要請していた
https://news.biglobe.ne.jp/entertainment/1224/blnews_151224_5208955672.htm
「日程が合わないから来ていないだけ」『ガルパン』イベントに戦車が来なくなった大洗町 町役場は“共産党の抗議説”を全面否定
https://otapol.com/2015/12/post-5105.html
また「オレ的ゲーム速報@刃」「はちま起稿」といった悪質まとめサイトに踊らされ続けてると言っても過言ではありません。
【デマ】共産党が抗議したのが理由でガルパンのイベントに戦車が来なかった件は「まとめサイト」のデマ【はちま・俺的JIN】
https://togetter.com/li/916711
https://ibarakinews.jp/news/newsdetail.php?f_jun=15624167763139
茨城地方協力本部大洗「海の月間」イベント 艦艇公開 in 大洗2019
https://rikuzi-chousadan.com/2014karenda/2019info/msdf2019070607ibarakipcokantei.html
>さらに、13年以降に共産党から『ガルパン』に対しての要望も一切ないという。
>同じく電話で取材に応じた菊池町議は、筆者がネットでの状況を説明したところ、とても驚いた様子。そして「私が質問したからどうかは、わからないです。今年も装備の展示はありましたし」と言い、次のように話す。