はてなキーワード: 甲斐とは
フェミニズムは女性を解放したが、その副次的な作用として、男性をも男社会の抑圧から解放したのである。
以前の男社会であれば、男が社会的強者として女を守ることが当たり前の価値観であり、それに見合った権益が存在した。
男には納税や兵役の義務があり、女以上に責任が覆いかぶさっていたのだ。しかし、それにもかかわらず男は文句は言わなかった。
何故ならそれに見合うだけの男だけの特権が存在していたからだ。
その特権とは、自分以上の容姿の美しさを持つ女を選ぶ権利があり、社会からブスそのものを排除する仕組みになっていたのだ。
知らなかった知見がたくさん手に入り、増田を書いた甲斐がありました。
あと、「個人的にイラッと来る文体だし」と言われて悲しいので追記分については文体も変えます。
・手間をかけない
・金もかけない
・味は気にしない
・米
まとめて炊いて冷凍する。
・パスタ
電子レンジでゆでる奴があれば手軽。
おかずをどうするか問題。
(1/10 追記)パスタと一緒に野菜を茹でれば良いとの知見が。
・うどん
・パン
安く手に入れる手段を知らない。
・もやし
安い。年中手に入る。下準備が要らない。炒めてもゆでても良い。栄養価も悪くない。すごい。
(1/10 追記)しかし足が早い。栄養も言うほどないらしい。
・たまねぎ
まぁまぁ安い。だいたい年中手に入る。炒めてもゆでてもよい。
・ピーマン、なす
値段の変動がすごい。安ければかさましに使う。高ければ写メしてTwitterで嘆く。
栄養価が高いらしい。あまり使わないが、ビタミン足りてない気がするときとかにおまじないで買う。
皮をむくのがだるいうえ、火が通りにくいのであまり使わない。ジャガイモ無くてもカレー美味いよ。
(1/10 追記)じゃがいももにんじんも洗えば皮をむかなくてもOKらしい(ただしじゃがいもの芽は取る)。
僕の良く行くスーパーにこれらがあまり売っていない、という理由で書かなかったのだけれど、オススメの声あり。
・鶏肉
・豚肉
・ミンチ
たまに鶏肉並みに安いときがあるので、そういうときにハンバーグをつくる。
ハンバーグにはパン粉を多めに入れたり豆腐を入れたりする。いまだにナツメグとはなにかわからない。
・半額刺身
・サンマ
頭落として内臓とって洗い、キッチンペーパーで水気を切って塩焼きとか。
魚焼きグリルが無ければフライパンでも焼ける(フライパンのサイズにあわせて切って焼く)
盲点だった。この辺は日持ちもするし、とりあえず常備しといても良さそう。
・たまご
安い。いつでも手に入る。なんにでも使える。なんか栄養もあるらしい。もやしに次ぐ神。
でも1日1個までらしい。ちょっと割高でも6個入りを買おう。
(1/10 追記)1日1個は古い情報で、最近はもっと食べても大丈夫らしい。今回もっとも指摘が多かった箇所。
・納豆
たんぱく質。安い。豆だし体にもいいだろたぶん。
・とうふ
たんぱく質。かさましに使う。たまごと一緒にごはんにかけて醤油たらしてかき混ぜて食べるとおいしいけど、人前ではできない。
たんぱく質。うどんとか鍋とかにとりあえず入れるという使い方ができて便利。
カロリーが少ないらしいのでかさ増しに良いかなという気がするんだけど、僕は微妙に持て余すんだよね。
朝ごはんにたまに食べてる。「自炊」というカテゴリ的にどうかと思って省いたけど、そこそこ安価で楽で栄養もあっていいよね。
これも安いのでよく買って食べてる。くだものだと、みかんとりんごも安いときには食べるよ。
・炒める
フライパンにサラダ油を引き、火の通りにくいものから先に入れる。
やむをえずにんじんを使うときとかは、炒める前にレンチンするのが良い。
とりあえず鶏肉と玉ねぎときのこ入れて、ある程度火が通ったらもやしとか入れたら良いのではないか。
たぶん、「焦がす」「肉に火が通っていなくておなかを壊す」以外の失敗ルートはない。
味付けは「醤油とみりんをちょっとずつかける」、「麺つゆをかける」、「味ぽんをかける」、「ケチャップをかける」など。
(1/10 追記)「塩コショウ」「味覇」「味噌」「焼肉のタレ」などなど。
・煮る
鍋はふたがあるならふたをする。アクはとらなくても死なない。
失敗ルート思い浮かばないが、吹きこぼすのは気を付けた方が良い。
味付けはだいたい炒めるときと同じ。ケチャップはやめた方が良いかも。
このあたりは仕方ないので買う。
・タッパー
たくさん買って、まとめ買いした食材を1食分ずつに小分けして冷蔵・冷凍すると、まな板包丁を使う回数が減って良い。
僕は土曜に食材をまとめ買いして切り分け、平日はそれらを炒めるか煮るかして食べることが多い。
・ラップ
タッパーとだいたい同じ。さらにラップをしいておくことで皿洗いの手間を省くという技があるらしいが、
そもそも鍋やフライパンでそのまま食べるので使う機会はあまりない。
便利らしい。いや、便利なのはわかっているのだが、キッチンに置く場所がなくて。。。
1週間分とか。
・気合で全部処理する。
皮をむいて一口大に切るなど、火を通す前に必要な作業はすべてやってしまう。
あとはタッパーがなんとかしてくれる。肉は小分けにしてから冷凍しないと解凍時にこまる。
・小分けにした食材を気分で食べる。
煮てもよし。炒めてもよし。野菜だけならレンチンしてマヨネーズで食ってもよい。
・洗いものはがんばる。
ぶっちゃけいちばん面倒くさいが、回避する方法が思いつかない。
食後にやるのはだるいので、僕は翌日の食事を作る前にやってる。
飯を作る→食べる→シンクに水をためて洗い物を放置→(翌日)→食材を解凍しつつ皿洗い→飯を作る→食べる→
衛生的にどうか。あと虫とかわく恐れがある。おすすめはしない。
僕の場合、週にばんごはん6~7食で2,000円くらい(季節によって多少ばらつく)。
これは同感。
男側の身に立ってみればわかる。
女たちが依然として男社会の価値観に染まったまま変わらないのであれば、そんな女達に経済力や権力を移行したいと思うだろうか。
これと
女性の社会進出の施策が思うように進まないのも、未だに男性に経済力が求められ続けている問題が解決されていない事も大きいのではないか。
これ、どうなんだろうか、いやさ、20代女性で社会進出しているというか働いてる人は男女関係なく優秀なように見えるし、助かってるんだが、
でも、問題はそういった「社会進出してる女性」じゃなくて「社会進出してない女性の意識」かな、とも。なんかこう結婚したら積極的に、もう仕事やめたいとか転職してゆるい仕事に移動する人もいて、どういうもんだろうか、と。ごめん答えとか反論とかはないんだけど、なんかもう男性がやれることって残ってるのかなー、と。
「結婚は顔と金の交換である」という格言がある。男には一家の大黒柱となるだけの経済力や甲斐性が求められる代わりに、女には容姿や若さが求められるということだ。
男の経済力と女の容姿、この二つが釣り合う夫婦は長続きすると言われている。
そして、男が女に容姿や若さを求め、美人な女が賞賛され、ブスな女は人間扱いされないことは、フェミニストたちによって散々批判されてきた。
しかし、以前として男だけに経済力や甲斐性が求められている事だけは全く批判されていない。
女性の社会進出の施策が思うように進まないのも、未だに男性に経済力が求められ続けている問題が解決されていない事も大きいのではないか。
男側の身に立ってみればわかる。
女たちが依然として男社会の価値観に染まったまま変わらないのであれば、そんな女達に経済力や権力を移行したいと思うだろうか。
>田中→番組内の「笑ってはいけない」というルールに反したから
番組の内容をきちんと視聴して。ケツバットはそのルール通りだけど、タイキックについては田中や浜田たちも同じように理不尽な理由から。
>そもそも不倫したゲス側が蹴られずに女性側のみが蹴られるのは自称反性差別論者にとってはOKなんですかね?
不倫問題について、世論が男側に寛大な目で見ることができるのは、それなりに正当な理由があるよ。男社会では、男に経済力や甲斐性などが求められる。男には女以上の責任が覆いかぶさっている男社会なのだから、男が女よりも優遇されるのは当たり前の話。これは不倫に限らず、あらゆる問題に対して。それが嫌だというのなら、女が男以上に経済力や甲斐性を身につけるしかないよね。戦争になったら、女が男を守るために戦って死んでこい。
>不倫という個人間で解決すべきことを番組や大衆が制裁を加えて笑う見世物的構造になってるのはOKなんですかね?
いや、不倫は裁判の離婚調停において、離婚が許されるべき正当な理由と見なされるよ。私たち国民の税金が投入されている裁判所も取り扱う事案なのに、個人間で解決すべきことだなんて理屈が通用するかな? 社会問題の提起の概念を一体何だと思っているんだ。
よくある質問だ
年上年下からこの質問をするのは少々露骨になるからか、主に同年齢の女からこの質問をされる
おそらく、この質問だけである程度男のパーソナリティや付き合った時の振る舞い、彼女に何を求めているかなんかが推して知れるからだろう(男の俺からしてもそう思う)
例えばあくまでもステレオタイプだが、年上好きはなよなよでリードしてくれなくて情けなくて大人しくて甘えてくる
対象的に年下好きは男らしくてリードしてくれてオラオラ系で頼り甲斐がある甘えさせてくれる
何より女はマザコンを死ぬほど嫌う傾向があるため、この質問で男にマザコンの兆候があるか否かを探ろうとしている(と思われる)
俺はシングルマザー家庭に育ち、立派な年上好きに育った
お母さんにデレデレというわけではないがよく二人で食事をしたりするため、世のマザコン嫌悪症の女性方からしたら即刻マザコンの烙印を押す対象になってしまうだろう
しかし嘘をついたところで俺の好きな女が年上なことに変わりはないのだから臆せずに正直に言うことにしている
「俺は年上かな〜」
ちげえよ
俺は1個2個上の「先輩」が好きなのであって
年下が好きですって言ったら普通に1個2個下を想像するじゃないか
年下が好きと表明したところで小学生大好きロリコン人間と見なされるわけではないのに
なんで年上好きだけこんな仕打ちに会わなくてはならないのか
おそらく女性の皆さんは「年下好き」の回答を求めていて、「年上好き」を恋愛対象から除外するためにこの質問をしてるのだろう
29歳まで10年付き合った人がいた。
最後の4年は、相手が激務過ぎてEDになってセックスレスだった。
何も言い出せなかった。
毎日横で寝るだけで、「おっぱい触る?」と言わない限り胸も触られなかった。キスもしなかった。
相手もEDな時点でそうなんだろうけど、私だって少しずつ自尊心を削られた。
これだけ付き合ったんだから、他に好きな人がいたって熱病みたいなものだし
本当は、その人とうまくやれるならそうしたかった。
私のためにプライドを少しだけ脇に置いて、
すぐには難しいけど病院に行くよ、って自分から言ってほしかった。
でも言ってくれなかった。
忙しいからしょうがないと思ってほしい、というようなことを言われた。
寂しいと思った。
それで、別れて、その足で好きな人に会いに行った。
そしたら振られた。
手を繋いだし、頭を撫でられたし、よく二人でごはん食べてたのに振られた。
理由は分からないけど、特定の誰かと濃い付き合いをするのが怖い人だったんじゃないかと今は思う。
本当に好きで一人で盛り上がってしまっていたので
ダメージが大変大きかった。
深夜に目が覚めると、涙が出てきた。
でも、ここでモタモタしてたら年齢的に危険と思って
友達に紹介したりしてもらったり、合コン行ったりマッチングアプリ使ったりして色々がんばった。
そのうち楽しいと思えない自分を責めるようになって、精神的によくないなと思って
そういう場に行くのをやめた。
ジタバタするのをやめれば、逆にいい縁があるのではという期待もあった。
でも、もう選んだり選ばれたりで嫌な思いしたくないし、
次に誰かに関係を持つことを拒否されたら死ぬんじゃないかって本気で思うから
なんかもう、どこにも行きたくない。
お見合いパーティーもpairsも使いたくない。
毎日死ぬほど寂しくて、本当にこれからどう生きて行けばいいんだろうな…って毎日思ってる。
20代で、誰ともうまく行かなかった人が
30代で誰かとうまく行くことなんてあるのかなって
周りがちゃんと彼氏がいたり結婚したりしてるのを見ると、自分の不甲斐なさに落ち込む。
走ったり、写経(書道好きなので、瞑想としていいかなって)やったりしても
文章にしたら何か見つかるかな、と思って書いた。
守り人の三作目の「夢の守り人」を思い出した。
貧しい農村生まれで一回り以上年上の男と結婚させられる事となり、今後は働きながら子供産んで育てて貧しいまま死ぬのであろうと言う人生に絶望した少女カヤと、
かつてカヤと同じような人生を歩んで絶望し、そこから逃げて呪術師としての遣り甲斐のある人生を得る代わりに
その代償として普通の人間としての人生は失った若きトロガイと、
トロガイと同じように「普通の人の人生」から外れた人生を歩んでいる(但しトロガイと違って自分でそれを望んだ訳ではない)主人公バルサと、
そんな庶民たちと比べたら王妃として(客観的には)遥かに恵まれた人生を歩んでいる筈だが、子供に依存していて
という、子供を産んだ女と、産まなかった女と、産んだけど子が死んだ女の人生の対比が印象的な話だったな。
都合よく「子供を産むのが一番の幸せ」とも、「子供を産まないで自由に生きるのが幸せ」とも結論付けず、
どちらも幸せもあるが辛い事もある(と言うか概ね辛い事の方が多い)、と言うリアリティある描き方で、
児童書としては救いがなさ過ぎるんじゃないかとも思うけど、小学生のうちから女子が読んでおくべき話だよなーとも思う。
下調べもかなりしただけあって、お店の対応も女の子の対応も良かった。
女の子は顔はなかなかベテランさんな感じだったがそもそも自分もさして若くないし同年代くらいが好きだし、胸は大きく肉付きはむっちりとはいえお腹が2段になってるわけでもなく、話もそれなりに盛り上がったし普通に楽しかったし良い経験になった。
ただフィニッシュは出来なかった。
彼女いない歴もそろそろ15年目を迎え、ずっと右手が恋人(時々左手に浮気)なので自分でやり過ぎて…というのは多分ある。
あとはもちろん初めてそういう所に行っているわけなので緊張もあったと思う。
でも一番ネックになったのは、心が通ってない感じがした事だった。
いや、そんなもん初対面の男女だし、心が通わないのが当たり前なんだが、お仕事としての物理的な刺激作業をいくらしてもらってもなんだかあまり気持ち良く感じられなくて。
それなりに高いお金払って行ってるのに、お店の女の子に気を遣ってしまって自分が本当にやりたい事やして欲しいことも言えず、なすがままで(向こうからすればこっちが何も言わないんだから当然そうなるわな)ああしよっか、こうしよっかと言われては言いなりになってる内に時間が過ぎてしまった。
あとは目がほとんど合わなかったのが何かな…こっちがシャイそうでわざとそうしてくれた可能性もあるけど。
そんでも一応自分のターンが巡ってきて、自分が上になってるときに首筋にキスしようと思ったんだけどバッと避けられてしまい、ああそういうのは嫌なのか〜…とか思いながら鎖骨や肩の辺りを舐めてその場を取り繕ったんだけど、そしたら何か急に元気がなくなってしまって、その後「口と手でもいい?」と聞かれた時も、実は自分は昔からパートナーに口や手でしてもらってフィニッシュした事がほとんどないんだけど、自分のも元気ないし入れっぱなしというわけにもいかないのかな…と思って了承してしまったんだが、まあ不完全燃焼ではあった。
途中、女の子の髪を撫でさせてもらったんだけど、そうしてる時が一番高まった感じあったなぁ。
やっぱりなんかイチャイチャ恋人プレイみたいなのを望んで行って、かなりお仕事感の強いプロ対応されたのがニーズとマッチしなかったって所なのかな〜。
服着ながらなんだかしょんぼりしてちゃいかんなあと思ってなるべく笑顔を作っていたんだけど、「そーんなしょぼくれた顔しないで〜」と言われたので多分何も隠せていなかった。
ただ、別にフィニッシュ出来なかった事がショックだったわけでなく、そんな場ですら相手に気を遣いすぎて肝心なこと(今回の場合したいこと・されたいこと)をちゃんと伝えられない自分に落ち込んだんだよね。
まあ肝心なことが自己主張できないのは一朝一夕には直らないとして、やっぱり俺としてはただ身体だけ繋がってもしょうがなくて、心の繋がりみたいな物を欲してるんだなという結論に至ったので、それがわかっただけでも収穫かなとは思う。
童貞問題の本質はやはりこれしかない。いまだに男に対して、男らしさが求められていること。
だから私は常々言っているのだけれど、世の中の男達は男らしさを思い切って捨ててみればいいのだ。
男女平等を目指す社会が始まって70年が経過しているのに、現在も男らしさの価値観は消えていない。
女性を抑圧する考え方と、男性に過度の責任が負わされる考え方は、車輪の両輪のような関係だからだ。
恋愛や結婚において、男は女をリードしなければならない。結婚指輪を贈るのも男から女に対して。
告白やプロポーズも男から女にすることが求められる。逆に女から男にアプローチすることは、はしたないとみなされる。
もっと言えば、男には女以上の経済力や甲斐性が求められる。これが男性差別だと批判される社会にならないと、男女平等は不可能だ。
「女らしく」「女のくせに」と言う言葉がセクハラになるように、男に男らしさを求めること自体もセクハラになるのだ。
2007年の男女雇用機会均等法改正において、女性から男性に対するセクハラも禁止されている。
童貞いじりしている奴らは、価値観が10年は遅れていると批判されても文句は言えない。
はあちゅうの童貞いじり問題が意外と深刻だった理由もここにある。
はあちゅうの経歴を調べてみたが、慶応大学卒業後に電通に就職している。そして今はオピニオンリーダーの一人として活躍しているらしい。
そもそも男女平等の社会を目指す最前線の一人としてあるべきはあちゅうが、男社会の価値観に染まって童貞いじりをしていた。
これは思った以上に深刻ではないだろうか。
本題に戻ろう。
「なぜ男が女をリードしなければならないのか。なぜ男が女を養わなければいけないのか。」
聡明でかわいらしい、素敵な彼女だった。
酔狂にも俺というオッサンを選ぶくらい、独特の価値観を持つ女性だった。
おまけに脳内存在ではなく、実在しているときた。二次元相手にすら恋愛という感情を覚えることができないままぶくぶくと肥ったオッサンには過ぎた幸福であった。
三十路半ばに降って湧いたように訪れた初恋は一年と少しで消えていった。
仲違いではないし、ケンカをしようといっていたけれど、それも楽しみにしていたけれど、結局できないまま終わっていった。
わかっていたことだが、未来よりも過去が強く、彼女は聡明でやさしく、俺は弱かった。
「いつか、彼女が俺に愛想を尽かすだろう」と、非モテのオタクらしくビクビクした卑怯で惰弱な予防線をはりめぐらせ、それでも卑屈にならぬようにつとめて一年を過ごした。
それは思い返しても幸福で濃密な一年で、一人で過ごしたこの一年はただネトゲとソシャゲの数値を漫然と増やすのと同じ時間であることがにわかには信じられないほどであった。
我々は遠距離であったから、一年の間にともに過ごしたのは実質3週間かそこらといったところではなかろうか。
俺は身に余る幸福を、軽々に疑うことなく、その一瞬をひとつづつ大切に味わい、決して忘れないようにしようと思ったのだ。いつか失われるものだと予感していたから。
別れを告げられる前の、楽しそうだった最後のデートで時折見せた憂いの表情で確信にかわった。
もちろん決裂を回避すべく、さまざまな方策が取られた。しかし、竹ヤリで飛行機は落ちない。俺にできることはこの先のお互いの平穏を用意することしかなかった。
万全の心の準備があった。
傷付かずにいられると思った。
やせ我慢などではなく、こんな甲斐性も主体性もない男に生まれてきたことを感謝させてくれてありがとうな。なんて思っていた。
愛想をつかされたわけではない、しかし、どうしても避けられぬ別れを。一緒になるには俺が俺であること自体が障壁になる理由を、来るべき三行半をLINEでしぼりだすように送られたとき。
ここからの余生が決定された。
このハッピーにもほどがある一年を思い返し、少しずつキャラメルをなめるように溶かしながら生きていくのだ。
それはそれで悪くないと、口を半開きにして漫然と生きてきた自分には身に余る幸福なのだと本気で思った。
恋をしたことがないオッサンは、恋に免疫はなかった。ぶっちゃけ甘く見ていた、ひどくナメていた。今自分にとりついている無情感、寂寥感、つかれ、首の凝り、残尿感、就寝後喉から込み上げてくる胃液で灼ける喉、そういったものは一時的な症状で、一年もたたないうちに治るのだと。
そうしたら、突然推しが自分ちの台所で白米を炊き始めたのを目撃した女子のごとき切ない声をあげてうずくまるようなこともなくなるだろうと軽く考えていた。
これは失われゆくときに効果を発揮し、一生をかけて宿主を食らう猛毒の類であることに。オッサンはようやく最近気づかされてしまった。
余生のはじまりであったこの一年は短いが、人生を支配するには十分な期間だった。
一年には四季があった、ふたりでいろんな話をしながら、様々なところにでかけた。おそらく、ほかのつがいたちがそうするように。我々もさんざんそうした。行こうと約束したきりの場所が、いくつもあった。
ひょんなところで、どうしても、少しのきっかけで思い出してしまう。
つきあっている間から、ちょっとした瞬間にこねくりまわしていた甘い思い出たちが、刃を剥いてオッサンのやわらけえ心をズッタズタに切り裂いていくのだ。
お揃いで買ったボールペンを筆箱から取り出したとき。町中でてんぷらそばの香りが漂ってきたとき。美しい紅葉を見たとき。バスの中が閑散としていたとき。Twitterにネタ画像を貼ろうとしてカメラロールをたぐったとき。カップル用の写真置き場として導入したアプリに「もう別れた」と告げることもできないままだったから「つきあって2年目ですおめでとう」という通知が臆面もなく画面に現れたとき。テレビにサメがでてきたとき。花火の音を聞いたとき。モネの絵を見たとき。映像の世紀のテーマソングが流れたとき。海。いきつけの居酒屋。空が透き通るように青かったとき。ふたりで行こうと話していたその場所への旅行記。机の引き出し。
容赦なくそれらにまつわる我々のイベント一枚絵がフラッシュバックしていく。
思い出がたのしかったほどに、もはやそれらが二度と訪れないことを突きつけていく。無能で怠惰だった自分を上っ面だけなじって、甘い記憶の反芻にくたびれる。
そして文字通りくたびれたオッサンは何度目か忘れた記憶の反芻の果てに、ふと気づいてしまう。
たった一年だ。
たった一年でも、強い記憶でも、そのすべてをわすれないように目に、鼻に、耳に、手がかりをのこして脳の一番とりだしやすい引き出しにこうしてしまいこんだつもりでも。
どうしたって、あせていくのだ。あせていく割に、思い出したときのダメージは軽くなりはしない。ただうすくらがりの割合が増していき重くなっていく。
なんて意味のない自問をして、やめて、また自問して、夜が明ける。
どうすればこの変質を止めることができるのか。
高校生のうちになやんで置くべき事をいまさらやりはじめているから、だれもその無意味な思索を止められない。
俺の印象に沿って変質した思い出を、きっと刻み込んだ瞬間から変質しつづけているその代替品を、いつまで、いつまで舐め続けることができるのか。俺が改竄したのは、いったいどの部分か。彼女の行動か、表情か、懊悩か、それらを突きつけられまいと先手をとって口先で蓋をしていった愚かで卑しい自分の行動か。
傷つけるかもと言おうとして言えなかったうわっつらの言葉か。
いや、それに妥協する自分を、自己愛を自覚していますみたいなメタい達観視点で、別の自分を用意したあげくのいぎたないマウントをキメる惰弱な自分への嫌悪感だ。
こんなものが、二度とこない、見ることのできない美しい追憶の邪魔をする。
しかしこんなものがなければ俺はきっと、こんなこともわかりはしなかった。
冒頭で「フラれたときに、余生を決定した」と言った。
20代のはじめに自分というハードウェアの脆弱性に愕然とした自分は、ここより余生という看板を高々とかがげ、レールにトロッコを設置してゆっくりと坂を下りはじめた。山にぶつかるまでが人生だと割り切ってみると、けっこう空は綺麗だったし、白米は噛むと甘かった。
思い出じゃなくて、君と君と一緒にいる自分自身を。
なんて、ありあわせの後悔を口に出せば、どうしたって、安っぽくなる。
感謝の言葉を書き連ねたいが、それここでやるにはあまりにも浅ましすぎる。
誰の目にもつかず埋もれるか、「貴様の贅沢な懊悩など見る価値ないわ」と吐き捨てるように扱われたいだけなのに。
そうでもされないとやっぱりやってられないくらいにただひたすらに、いまだに、恋しさだけが、こびりついていく。
こんな寒い日に、さびれた地方都市のビジネスホテルで、小さなシュトーレンを分けて食べた。
みんな! 現実には存在しないキモオッサンの気持ちになって書いたキモポエムをここまでよんでくれてありがとうな! 愛してるぜ!
田舎から某帝大に合格し、東京に出て4年。一旦は東京の会社で勤めていた。
遊ぶところには事欠かなかったし、東京は何事も最先端だったので楽しい部分もあった。
このまま東京に住み続けるのかな、と思っていた俺が田舎に帰った理由は笑ってくれてもいいが、家の犬だった。
大学に行くまで毎日散歩していて一緒に寝ていた俺の愛犬が、年を取り、もうよぼよぼになってあまり長くないと親から電話があったのだ。
次の休みで飛行機に飛び乗り帰ってくると、足がおぼつかない老犬がよろよろと迎えに出てきた。
けなげにしっぽをぱたぱたと振っていた。
母親が、いつもはずっと寝てるのに、迎えに出てくるなんて、と驚いていた。
人はバカだと言ったよ。年老いた両親のためならともかく、飼っていた犬のために会社を辞めるのか、と。
そうだね、自分でもそう思う。でも、このまま東京で働いて、何年か後に「死んだよ」と聞かされたら絶対に後悔すると思ったのだ。
後ろ足が立たない犬のために自作で車椅子を作り、一緒に毎日散歩した。大好きだった海にもよく連れて行った。俺の勉強で得た知識なんて、老いる犬には、何の役にも立たなかった。
寝るときも側にいた。
何度も夜泣きで起こされて、その度に犬を抱えて、外を歩いた。自分でも、どうしてこんなにかいがいしく世話をするのだろうと思った。
理由はと言われると、やっぱりかわいかったから。大好きだったから。としか言えない。
その後、一年間ぼーっとしていた。本当にぼーっとしていた。引きこもって、ひたすらゲームをしていた。
朝昼晩の食事はなぜか家族の分も作っていた。料理は好きだった。
介護含め、トータル三年、ニートを実家で続けた。親は何も言わなかった。
愛犬が死んで一年して、仕事を探した。中小企業に雇ってもらえた。
なんでこんな学歴の人間がうちを受けたの、どうせすぐに辞めるんでしょ?なんて言われた。会社に同じ帝大卒の人がいて、気があった。
彼も同じように言われているらしい。二人で「給料よりも、大切な物があるんだよな」と話した。
今の会社は給料はそこそこだが、残業もないし、社内が殺伐としていない。東京にいるときより幸せになっていると思う。欲しいのは給料ではなくて、心の安定だった。
犬のことがなければ、今の状態はなかったのだから不思議な物だ。
数年前のクリスマスイブ、ケーキに一口も口をつけることもなく、亡骸を抱えて家族で泣いていた。あれから、イブは俺たち家族には命日だ。
「今の俺の幸せは、おまえのおかげかなあ」と言いながら、今年も骨壺と一緒に酒を飲んでいる。
>イキイキママだのなんだの育児負担が母親に集中してる日本で親権だけ父親も平等にしろとかよく言えるな
それは女が男に自分以上の経済力や甲斐性を求めているからだろう。自分以上の経済力を男に求める以上は、女が育児や家事を男以上に負担するのは当然の話だ。フルタイム総合職で働くことのできない、男を専業主夫として養えないカス女がでかいツラをするな寄生虫。
>母子家庭が貧困に陥りやすいのは出産で嫁さんが減給か失業の負担をおい、父親の大半が離婚したら子供が貧困になっても構わないと月数万も払わず無視するからだぞ
>子持ち父親は職場の迷惑と言われるくらい育児参加してから言えや
その前に、男が女に自分以上の経済力や甲斐性を求めることができる社会になる方が先だよ。仕事の出来ない女の人格が否定されるくらいの価値観の社会になってからの話だね。