はてなキーワード: 甲斐とは
おう。
友人に一人、これまであまり色々な経験をしてこなかったのか、何を食っても喜ぶし、どこに行っても楽しめるやつがいて、やっぱりこっちも企画し甲斐がある。
中には評価が厳しい人を喜ばせるのがいいという人もいるだろうが、俺はそういう相手はあまり好きではない。俺は。(主語が小さい)
父から、浮気相手へ送るはずだったと見られる誤爆メールが私宛に届いた。
文面には「会ってくれるの?」とあるから、出会い系とかそんな感じだろうか。
母は家庭のために朝から夜まで働いている。その母が仕事で家を空けている日に会うという算段をつけていた。
父は優しく、家族のために甲斐甲斐しく働いている。料理や家事も率先して行う人だ。女性関係で家庭内が揉めたことは、私の知る限りでは今までなかった。
子供達は皆社会人になった。父と母とは週末仲良く温泉などに行っていると聞いていた。ただ母は普段からドライな人で、表面的には父のことを大切にしている様には見えない。
メールを見て、ショックな気持ちと、父も男だったんだなという気持ちと半々な所だ。
いや、やっぱりショックだな。
◼︎追記
「ごめん、さっきのメールは間違いだ」と父から連絡が来た。仲間内の飲み会の企画について、週末知人と会って話し合う予定だったとのこと。
全く信じていないけど、追求はしないでおこうと思う。
これまでただひたすらに真面目に働いて家族のためにお金も時間も差し出す人生を送ってきた父を、責める気になれない自分がいる。
格好良くは無いけど、娘の自分から見てうちの父は本当に理想の父親なんだ。今回のことで父が「自分は嘘が下手なんだ」と自覚して、自重してくれると信じたい。
今度そういう機会があったら、こう言えばいいよ。
男は女よりも経済力や甲斐性を求められる。男の立場が圧倒的に強い社会であったならそれも認められるが、今は通用しないのではないか。
恋愛や結婚でも男が女をリードすることが求められる。男だって女から告白やプロポーズをされたい。そのような男の不満が増えているから、恋愛したくない男が増えているのではないか。
男が女に対して自分以上の経済力や甲斐性を求める考え方が気に食わないからと言って、動物や昆虫の話を持ち出すのは感心しないね。
あなたが女性の社会進出を考え直すべきだと主張したところで、もう遅いよ。
世の中は、既に女性に経済力や権力が集まる流れになってしまっている。
2020年までに女性指導者(管理職)を30%にするという政府目標があるけど、あの目標が決まった時点で後戻りはできないんだよ。
私も元増田の「女性の結婚はそれだけでおめでたいものだ。」という一文を読んで「ん?」と思ったからね。
しかし最近の若者らしいとでも言おうか、結婚した4人のうち誰ひとりとして結婚式を挙げることはなく、パートナーを改めて紹介するような席もなかった。
ただ一言「結婚しました」と言ってくるだけのものもいれば、中には本人からの報告もなく労務管理の手続き上で知ったものさえいた。
全員が20代なのだが、今の世の中とはそういうものなのだろうか。
最初に結婚をした女性社員は、一応あらたまった挨拶をくれた。ワインが趣味だというので、お返しの要らない5千円程度のワインをお祝いにプレゼントした。
次に結婚した男性社員は結婚の報告はあったものの、式などを行うかどうかさえ有耶無耶のまま、相手を紹介されず今日に至っている。
その次に結婚した男性社員は、先に書いたとおり労務管理の手続きで入籍したことを知った。その後も何度も顔を合わせているが、こちらから「結婚したんだって?おめでとう」というまで報告の素振りすらみせなかった。
最後に結婚した男性社員は、仕事の報告のついでに「あ、そういえば結婚しました。」とだけ言って去っていった。それ以上の情報は持ち合わせていない。
ご覧の通り、状況だけで話をすれば女性社員にだけお祝いを渡して、男性社員には”まだ”お祝いをわたしていない。
それである時、結婚した社員同士が話をしていたとき、わたしからお祝いをもらったもらってないの話になったそうだ。
そんな中、女性社員だけもらったということになったので、その理由がわからず気持ちが悪いということになったそうだ。
理由は単純だ。
女性の結婚はそれだけでおめでたいものだ。だから無条件でお祝いを贈った。嫁いでいくものへの餞別のようなものだ。
男には甲斐性というものが必要だ。結婚をするのならば、つまりそれだけのものを背負って仕事に取り組む覚悟をしたということにほかならない。
ならば妻を紹介するのは男の責任だろう。
式を挙げろということではなく、何か小さな食事会でも開くか、何かの社内レクリエーションに少し参加させるとかそんな程度でいい。
とにかく、この女性と家族を築き上げるのだという覚悟を皆の前で一度は示すべきだろう。
その上ではじめて周囲から結婚が祝福され、お祝いというものが手渡されるべきだ。
犬や猫じゃあるまいし、書面の上で入籍しました程度の報告でどうして祝えるというのだろうか。
何度か「紹介をするような席は設けないのかい?」程度には促してみたが特に反応があったわけでもなかった。
かといって別に強制をするつもりはない。それならばお祝いを渡す理由がないというだけのことだ。
普段は普通にコミュニケーションも取れているし、別に何を押し付けることもないのでおかしな嫌われ方をしているわけではない。
その部分をゲスに勘ぐって済ませて欲しい話ではない。
別に彼らもお祝いが欲しいとかそういうことではないらしいのだが、かと言ってそれだけのことでよく人をそこまでコケにできたものだ。
これからの世の中に対する変化を否定するつもりはないし、むしろ柔軟に受け入れたからこそ式を強制するでもなく、恩着せがましくお祝いを押し付けたわけでもない。
もし今後、女性が男性を養う立場になるような結婚が当たり前になるなら、同様に女性側が働く側に紹介すべきと考えるだけのことだ。
これでわたしが間違っている理由があるなら挙げてみろといいたいだけのことである。
男が男として生きることから社会的に離脱した物語なんて山ほどあると思うけどね。
はぐれ雲とかに出てくる、甲斐性がないけど自由に生きるスタイルの男モデルみたいなの。
孤独のグルメのゴローちゃんだって、仕事に生きているという意味ではマッチョイズムの中にあるけど、生き方のスタイルはどちらかというと社会的に逸脱した組に入ると思う。
要するに、社会的に求められる「男」像って「強くたくましく、リーダーとして弱みを見せずに頑張る。そして戦って勝つ」みたいなものだから、それを逸脱して何の肩書も持たずに身一つでフラフラ生きるということが既に男が男として生きる苦悩から開放される一つのアンサーになってたわけでしょう。
じゃ、女はどうかというと社会的に「男(社会)に迎合しなさい。弱い存在になりなさい」というプレッシャーを強く感じるもので、それはどんなに社会的地位が高くなってもつきまとう。
日本のメディアでは政府要職に就くようなトップの女性にすら家庭的であることを求めるし、格闘技やスポーツでトップになるような女性アスリートにも恋する乙女な一面を持たせたがる。
そういう、本来の強く生きたい自分、自立して自由に生きたい自分に対して「弱くあれ、やさしくあれ、しとやかであれ」とその延長になる「男に従順であれ」という、自分の力だけではどうしようもない圧力が苦悩として描かれるんだと思う。
というと「今時の女は十分男より強い」とか「そんなこと世間は求めていない」とかいう反論があるかもしれないけど、それは十分に社会的圧力に歯向かう力と自信がある人だけの論理。
あの漫画で出てくるような自己肯定感が低い女性は、なんとか社会に受け入れられるために卑屈な態度でいなくてはいけないという劣等感の中にいて、そしてその社会的に求められる女性像を演じてさえいればなんとなく受け入れてもらえるという気色の悪い空気感が多くの女性の心をつかんだんだと思うよ。
やり方は簡単だよ。男は自分から恋愛や結婚を全て放棄してしまえばいいのだ。男から女に告白もプロポーズも一切しない、経済力も身につけない。
そうなれば、世の中に未婚の男女が大量に出現する(今現在の社会に、この兆候が表れている状態)
結婚して子供が欲しい女は、自ら経済力を身につけて、自分から男にアプローチせざるを得なくなる。
そもそも、男が女から経済力や甲斐性を求められること自体がおかしかったのだ。
女自身が一家の大黒柱になって、家族を養わなければならない社会になれば、男が男であることの苦悩は文字通り消滅するのではないか。
世の中全体をパッと見た感じでは、まだ男社会の仕組みが続いているから、女に経済力が求められる社会だと言われてもピンと来ないかもしれないけど、私たち一人一人は、何となくこれからの社会はそんな感じの社会になりそうだなと薄々気が付いているのではないか。そのことを分かっている人は、その未来を見越して時代を先取りした生き方を既にしている。あなたの性別が男だったら、自分が将来一家の大黒柱になるという選択肢は捨てて、家事や育児を担当する生き方をしようと決断するだろう。女だったら、総合職や専門職の仕事に就いていて、将来は自分が一家の大黒柱になるのだという覚悟を決めているだろう。
その根拠は、やはり男社会が崩壊していることだ。「男社会は崩壊なんてしていない」と言う反論が来るかもしれないが、そもそも女性の社会進出の施策を始めた段階で、男社会は崩壊する運命が確定したのだ。男社会の仕組みについて、一度整理してみる。本来の状態では、男と女の両者は対等な関係のはずである。なのに、現実社会では経済力や権力、社会を背負う責任のほぼすべてが男側に集中している。ということは、社会全体で片方の性である男達に下駄を履かせ、その特権を男達に与えることによって、男社会の仕組みが成立しているのだ。逆に言えば、その下駄と、男社会の特権を男達から取り上げれば、男社会の仕組みは簡単の崩壊する。そして、女性の社会進出運動は、まさに男達の下駄と特権を取り上げる運動に他ならない。ちなみに、男社会における「下駄」とは、労働市場の全てを男で独占していたり、その影響として女は家事や育児の世界で生きていくしかないことや、世の中でも発言力が男の方が女よりも影響力が大きいことなどである。
男社会の特権があったからこそ、男が女(社会的弱者)を守る、結婚や恋愛で男が主導権を取ると言った責任を負っていたのだ。その責任を放棄させた原因は、間違いなくフェミニストを始めとする女側にある。であるならば、男社会が崩壊した後の社会では、女が経済力や権力を身につけるのが当然ではないだろうか。