はてなキーワード: 日能研とは
私が小学生時代を過ごした土地は、所謂ニュータウン。街がつくられる時にそのまま居着いたブルーカラーの家と、ベッドタウンとしていついたホワイトカラーの家が、住んでいる地域でわかるような土地柄だった。
とてもではないが治安がいいとは言えない街。小学生が放火をし、中学生が喫煙し、高校生がバイクで走り抜ける街だ。某児童売春斡旋組織事件発覚の発端となった小学生もうちの地元出身だった。
私の家は紛うことなきホワイトカラー一家だ。元ボンボン・サラリーマンの父と江戸っ子の母の間で、歳をとってから出来た一人娘として、それなりに大切に育てられた。世帯収入は高くも低くもなく、他に兄弟姉妹がいれば私立に行くのは許されなかっただろうレベルだ。しかし女子校に入れたいという父親たっての希望で、私の中学受験は私が園児の時に既に決められていたことだった。
そうは言っても、その受験計画は実にのんびりしたものだった。目的はあくまで「公立中学校に行かないこと」。小学校一年生から塾に行くような子もいる中で、私の中学受験は小学校四年生から始まった。それもSAPIXや日能研といった進学塾ではなく、まったりとした中堅の塾。10人に満たない同級生たちと、地元の中堅私立を目指す予定だった。
しかし、それでも学校の教員からの敵意からは逃れられなかった。
彼らは常にブルーカラーの子供たちの味方だった。ブルーカラーの子供たちはまさにギャングエイジといった風体で、私の学年は4年生になる頃にはすっかり学級崩壊に陥っていた。
そんな状況の中で、私のような「恵まれた家庭」の子供は、彼らを「根性論で更生させる」ための必要悪にするのに適していた。ホロコーストと一緒。共通の敵をつくることで、教員たちは彼らと連携をとろうとしていた。
まずは保護者会で、担任の教師が「私は中学受験と塾が嫌いです」と言い放つところからスタート。この言葉はあっという間に子供たちにも伝わった。小学生にとって、それがどんな不良小学生だったとしても、「先生の言葉は絶対」だ。「先生が悪いと言った」子は、いじめたっていいのだ。
休み時間に円周率の計算暗記表を見ていたら、担任にそれを取り上げられ、クラスメイトの前で激昂された。帰りの会で黒板の前に立たされ、「私は学校で塾の勉強をしました。本当にごめんなさい」と謝らせられた。それを皮切りに、ブルーカラーの子供たちからのいじめが始まった。
帰り道で待ち伏せされる。容姿についての罵倒や、時には両親への悪口もあった。ある時はマフラーで首を絞めあげられた。子供の力なので大事には至らなかったが、笑い声のなか、酸欠で頭がぼうっとしてきたことは覚えている。
「先生の言うことは絶対」。これは私にも有効だった。だから私は、自分は悪い小学生なのだと思い込んだ。
おうちが貧乏で、ちょっと不良みたいで、勉強は嫌いで、でも、中休みになったら一番最初に校庭に出てドッジボールを始める。そんな生徒が、「良い小学生」なのだ。クラスメイトたちが音楽室に立てこもって授業をボイコットしていた時、私は大人しく教室で待っていた。でも先生が好きなのは「仲間意識の強い」彼らなのだ。
悪い小学生なのだから、虐められて当然なのだ。そう思った私は、繰り返されるいじめを誰にも相談出来なかった。
また、これは本当は幸運と言えるのだが、殊にこの場合にのみ不運と言える、両親の誤算があった。私の成績だ。
私はどうやら「出来る子」に分類される子供だったらしい。入った中堅塾ではあっという間にトップに立ち、テストも満点以外とれなくなった。ここまで来ると両親にも欲が出てきたようで、私はバスで通える範囲に出来たS某超進学塾に通うようになった。そこでも女子ではトップの成績で、あれよあれよという間に御三家を目指すことになっていた。小学生にとっての成功体験は、その子の人格形成において重要だ。私は勉強するのが楽しかった。そもそも運動は嫌いで、中休みも図書館にいるような子供だった。かけっこしか見てくれない小学校の教員たちとは違って、塾の先生は私の「勉強の」成績を褒めてくれた。後は好循環だ。持って生まれたメンタルの弱さで、模試の前に嘔吐するようなこともあったが、私の中学受験は大方順調だった。
一方小学校生活は、ぼろぼろのメタメタだった。私の通塾先が変わったことがどこからか漏れ出て、「エリート意識を持った嫌な奴」の烙印を押された。低学年までは仲良くしていた子達も、私のことを大腸菌呼ばわりするようになった。
担任が、わかりやすく私に嫌がらせをするようになったせいだった。授業中に指されて答えても、「どうせ塾でやったんでしょうね」。覚えもないいじめ事件の首謀者にも仕立て上げられた。
だんだんと体調にも影響が出るようになっていた。学校に行く前に必ず吐いた。食道は焼けただれ、小学校5年生の冬には胃薬が手放せない体になっていた。
真面目な気質のせいで、私はそれでも学校に行くのをやめられなかった。親も流石に勘付き、担任に嘆願書を出した。しかしそれも虚しく、担任は私にその嘆願書を叩きつけ、「どうしてあたしがいじめなんて言われなきゃいけないんだよ!!」と私を怒鳴りつけた。
別の小学校に越境入学しようと思ったこともあった。別の中学受験をする同級生が、そそくさと学校を変えてしまったからだ。実際両親はその準備もしていた。しかし、自分の学校に問題があることが外部に晒されることを恐れてか、校長はそれに難色を示し、「○○ちゃんだって仲良しと離れたくないでしょ」と、結局その小学校から離れることは叶わなかった。
私の小学校時代は闇だ。小学生5年生の学芸会の劇で、悪役の親分のオーディションに受かったら、自分の母親と隣のクラスの教員が寝ていると噂されたこともある。最高学年になる頃には、私は両親と塾の教師以外の大人を信じられなくなっていた。
話は飛んで、中学受験の結果から言うと、私は第一志望には落ち、第二志望の女子校に通うことになった。そこは天国だった。私が休み時間に勉強していても、誰も怒らないし、誰も馬鹿にしなかった。正直それだけで救われたし、良き友人にも多く恵まれた。そして高校生活を経て、今私は東京大学に通っている。
もし父親に先見の明がなかったか、私が過度のストレスで受験全滅していたことを考えると、今でも寒気がする。
数年前の東大の入学式の祝辞は、ノブレス・オブリージュについての話だった。私も上野先生の意見に大方は同意する。しかし私は、もし「恵まれた人間」として支えなければいけないのが「あいつら」なのだとしたら、それは吐き気を催す話だと思う。
エリートが冷たいなんていうのは嘘だ。いや、もしかしたら真実な場合もあるかもしれない。でも、そんな言説よりずっと、「学のない連中は残酷で野卑だ」という言説が本当だと言うことを、私は知っている。
https://anond.hatelabo.jp/20190328015628
この人が本物かどうかと聞かれたら、私は多分本物だろうと答える。多少フェイクは入れてるだろうけど。
なぜなら、少し似ているからだ。私と。
まあうちは普通のサラリーマン家庭なので、ブランドの話はよく分からないし、小学校は公立だし、大学は家から通える国立にしたけれど。でも、同じように御三家と呼ばれる女子校を出たものとして、その屈折した感情はある程度自分のものとして理解できる。彼女と同じ学校かは分からないが、多少の校風の違いはあろうとも御三家か、同偏差値帯の私立中の生徒の傾向は大まかに同じと言って良いと思う。彼彼女らを私立中に出荷するための生産拠点は等しくSAPIX、日能研等の大手中学受験塾だからだ。大手中学受験塾は大体3年間で2,300万円かかる。それぐらいの学費を払え、かつ子供の学習をサポート出来る家庭というのはおおよそ似通ったものになるのは想像に難くない。と、いうか大体似ていた。レアケースがあることも否定はしないけど。
私は医学部志望では無かったのでその辺の事情には明るくないが、医学部を目指す子はやはり親が医者のケースが圧倒的に多かったように思う。そして、医者になるという目的があるからか、中学の頃から鉄やSEGに通って着実に受験に備えていた子が多かった。これは素直に尊敬してた。まあそれと同時に、塾で医系数学とかの授業を取ったりする過程で、この人の周りが更に私立中高一貫医学部志望医者家庭へと純化されていってたんじゃないかなとは思う。
それはさておき、単純に私が少し似ているなと思った部分についてつらつら書きたい。
まずバイトについて。この部分でひょっとしたら他校かなとも思った。周りにバイトをする高校生は誰も居なかったのは同じだが、そもそも高校生がバイトをするという概念が現実感を伴っていなかったので、バイト禁止だったかどうかも分からない。禁止じゃ無かったとしても多分そんなに歓迎されなかっただろう。親も親でバイトするぐらいなら塾に行ってくれた方がいいと考えている人の方が多いのは確実だ。
次に、暗黙のルールについて。確かに、即物的なというか、実際の生活に関わる色々な数字は、同じ学校の生徒であるという点で=にされて不可視化されていたと思う。でも認知されていなかった訳でもなくて、ベールに覆われたように大まかには認識していたが、敢えて可視化しようとしなかっただけだろう。これは学校の態度の影響もあるかもしれない。私の知る限りでは、御三家には一斉に模試を受けて学校が偏差値を管理したり、成績を壁に貼りだしたりして、生徒同士の差を意識させる学校は無かった筈。加えて、これはこれで問題だと思うが、うちの学校では少なくない教師が受験だとか偏差値だとかをまるでハリポタの「ヴォルデモート卿」と同じような、ゾッとする単語として捉えていた。
最後に自己認識と世間一般との差について。これは同じような環境で成長した人達と接していると、気付かないし、別に気付かなくても生きていける。でも、自分と違った環境で育った他者と接する時に切実な問題として浮かび上がってくる。私も、世間ではエリートコースと呼ばれるだろう経歴にはなったが、別に自分のことは頭が良いとは思ってない。小学校の頃も塾では一番上のクラスの下の方で、中高では結局真ん中より上の成績を取れなかった。ずっと自分より上を見上げるばかりだった。
だから、大学で地方出身の「まっすぐ」育って来たんだろうなぁと感じられる子の万能感には相容れないものを感じる。万能感は自分の人生で真っ先に失われたものの1つだからかな。
あと、自己認識がどうであれ周りからは期待されちゃったりするからそのギャップが正直キツいというのはあるんじゃない。
まあ長文並び立てたけど単純にそれなと思っただけ。最初は共感した所だけ書いて去ろうと思ったけど思うところがあり過ぎて長くなってしまった。多分元記事の人はちゃんとガス抜きできる人だからしっかりとした医者になれると思うよ。
あーそーゆーこと
やべえ人が絡んできてるのかと思った
俺は日能研しか行ってなかったから比較はできないけどそんな見当はずれじゃなかったと思うよ
まー単教科で日能研全国1位取った俺がトップ中のトップかというとそうでもなかったけどそれは日能研のせいというより俺のせいかと
夏休みに最終の追い込みをかけている。
この夏が勝負だ。
大学受験並みのスケジュールで朝食後からプリント、体操、制作、過去問題等と親子で向き合っている。
あと1か月の辛抱だ。
■ドラマ■
「名前をなくした女神たち」http://www.fujitv.co.jp/b_hp/megami/
「マザーゲーム」http://www.tbs.co.jp/mothergame/
「スウィート・ホーム」http://www.tbs.co.jp/tbs-ch/item/d0410/
ドラマより壮絶かもしれない。
長文になるが、地獄の内容を箇条書きにしておく。
・幼稚園内すべて監視カメラがあり死角なしで常に職員が園内を監視している
・毎月一週間₍5日間₎の連続参観日がある
参加しているか毎回確認されており、行っていないと電話で叱れる
朝の9時から夜の19時半までみっちり缶詰で幼児教育について語られ洗脳される
参加しないとボロクソにdisられる
ご親切なことに親の分の昼食まで用意しロックオン
酷い月は3日連続で開催される
その場で立たされ、お宅のお子さんが可哀想だ等と叱られる
・小学校受験をしないなら、退園勧奨を促される
我が子は体が小さいから肉体労働は向かないから脳みそに金をかけろと言われる
・夫婦の職業、学歴。乗っている車。戸建てかタワマンかアパートかのマウンティングが当たり前。
年少で隣の席のママの最初の言葉が「ご主人はどちらの会社にお勤め?どちらの大学出身ですの?うちは京大ですの。」
運動会では乗っている車のチェック大会、ご主人のルックス品評会
小学校受験に失敗し、公立に通うことになったら幼稚園併設の幼児教室に通い続けろ
・毎月の教育費が16万 幼稚園と併設する幼児教育教室を含めた代金
金使え。日能研は糞。うちに金使え。
中途半端にやるならやめちまえ。
公立で野生児に育てろ。
・幼稚園、併設の幼児教室以外にお受験専門の教室に土日行かないといけない
担任から会うたびに受験専門のお教室決まりましたか?と聞かれる。
・県内、都内の有名小学校パンフレットがコンプリートセットで渡される。
毎年食育勉強会があり、自宅でも国産無添加指定の砂糖、塩、醤油などを使うよう指導される。
・育児の手抜きの重さを一生背負って生きろ!とかの格言プリントが定期的に届く。
白眼ンゴ
色々ありすぎて書ききれない…
近隣の公立で自殺者が出たニュースを見たのと、義母の勧めもあり2歳からA園へ入園させた。
A幼稚園は関東にある英才教育に特化した幼稚園で、幼稚園に入るのも受験がある。
外車に乗っているため駐車場の場所が優先的という謎のルールもある。
幼稚園に入園するには1~2歳に併設しているA園に入園していなければ入園は出来ない。
幼児教室に通って、就職活動並みの願書を親が書きテストを受ける。
一般で幼稚園から入園希望するなら、願書を受け取るには夜中の3時から並ばなければいけない。
3年間さぼりながらも続けてきた。
名指しで叱られて言い返したこともあった。
ママ友は一人もいない。
孤独だ。
子供は洗脳されているためチックなどは出ていないし楽しんで取り組んでいる。
夫は上の子はこの幼稚園でもう続けるが、下の子は現在通っている保育園にしようと言っている。
頼む!受かってくれ…
小学生のときに、勉強はとてもできるけど運動はできないとっても秀才タイプの柴ちゃんという子がいた。
途中で引っ越して転校してしまうのだけど、その当時の小さな小学校のクラスで
秀でていて、ああ頭がいいって素晴らしいな。と思わせる人だった。
気になって調べてみたら、きちんと東大でて国家1種にうかってそのあとコンサル経て独立してた。
小学校で彼以外に秀才ルートに乗った奴なんていない(70人前後の学年。知らないだけかもだが)から、
ああ、彼が転校したのは、もしかしたら引っ越しだけが原因じゃないかもななんて思った。
そう思うと、自分の子供を通わせる学校って、選ばないといけないなって思い出した。
うちの場合は、秀才ではなく、はみ出るタイプの子でも受け入れてくれる学校って意味だけど。
東大進学者数ランキング、この25年で、一気に『中高一貫私学』のプレゼンスが大きくなっている。
『中高一貫私学の受験指導スキルの向上に、公立高校がついていけなくなってるから』
の解説。
今では『桜蔭⇒東大』、或は『渋谷学園幕張⇒東大』『豊島岡⇒東大』という選択肢程度しか限られてしまっている
※所謂女子御三家の中でも、『雙葉』とか『女子学院』の東大進学者数って、実は大したことない。
そして、女子の私立一貫校は、渋谷幕張を除けば、全て東京都心に立地が集中しすぎている。
なので、多摩とか神奈川とか埼玉の『できる女子』は、1時間以上の通学で、桜蔭等に行くしかないのだが、
『ワンランクは落ちるが、通学時間が短くて安心できる女子私学』に通わせるケースも多い。
また、関西地区・名古屋地区には、『そもそも、レベルの高い女子私学自体が、存在していない』
この結果、『通学圏に、レベルの高い私立女子があるエリアに居住している女子』は、
これが男子だと、桜蔭・豊島岡レベルの男子私立は、都心以外の神奈川・埼玉・千葉・愛知・京都・奈良・兵庫・福岡・鹿児島と存在していて、
東大に代表されるような難関校進学に対する、男女の『性差』というのは、実はこの『中高一貫校の偏在』に起因する部分も、大きいのではないか?
日本の政界とか、官界とか経済界とか、医学界とか法曹界とか、で、
という目標を達成するには、
http://anond.hatelabo.jp/20150404214436
の元増田だが、
『経済的理由で、地方の優秀層は、東大(というより東京)の行きたがらない』
とか
だから
『地方の優秀層が、東大より地元医学部を選んでいる』のでは?との反論を多数いただいた。
そういう側面『も』あることは否定しないが、そういう理由よりも
『首都圏中高一貫校の受験対策のスマート度が、地方トップ公立高校の受験対策を、はるかに凌駕している』
という要因『の方が』結構大きいと思う。
自分が東大に入った28年前と比較して、首都圏の中高一貫校の『充実度』は、相当加速していると感じる。
以前なんか聞いたことなかったような『渋谷学園幕張』とか『豊島岡』とか、東大常連校に仲間入りしている。
一方で、自分らの頃は、結構『熊本高校』とか『札幌北高校』とか、地方の名門公立から東大理1に来ていた人と
友人になってたりしていたが、最近はこれらの高校の東大進学数も、相当減った、と聞いている。
『東大に「行かない」のか?「行けない」のか?』と水掛論を戦わすよりは、
『この30年間の、首都圏中高一貫校と、地方トップ校の、駿台模試の偏差値推移』という客観データで検証した方がいいのでは?と思う。
あと、
『理1理2より、国立大の医学部の方が高偏差値でしょ?』な意見もあるが、
そして、『首都圏の中高一貫校から、地方の医学部へ行く人も結構多い』ということも言っておく
『日能研』が、
『過去30年間を比較すると、確実に首都圏中高一貫校のレベルが上がり、地方のトップ公立のレベルが下がってます』
『難関校への対策スキルが、首都圏中高一貫校はどんどん進化しているのに対し、地方トップ公立校では変化してません』
『その結果、東大ランキングはこの30年で様変わりしました。今や東大へは、首都圏中高一貫でないと、事実上入れません』
という調子で、保護者説明会で散々『中高一貫の躍進をアピール』していたりする。
100%日能研の主張が正しいとも思えないが、ある程度は当たっていると思われる。
6日には朝型に戻らなきゃいけない
極論19日までに治ればいいんだけど、一応大学生っていう身分を全うするためには今すぐに治す必要がある
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いっそ1日徹夜するかって考えて今に至る
でもってお腹すいたんだけど、今腹を満たしたらすぐに寝られる自信がある
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今月19日は資格試験らしい
半年前に今回の一つ格下の試験を受けたら勉強時間40時間程度で受かったので今回もまあどうにかなる、わけないか
今の今までテキストに手付けてなかったけどそろそろやるか、って思ってるところ
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そうそう
半年前の格下の試験、余裕で受かった~~~wwwwってやってたら、知り合いで本当になんかタコみたいな人間が一つ上の試験に合格してたらしくて微妙な気持ちになった
そこでやる気出して今の今まで勉強してれば今更焦ることもないんだけどね。やってたことは大学のつまらん勉強とネトゲ
わからん、そこで脇道にそれないからこそ知り合い一号くんは受かったのかもしれない。タコって言ってごめんよ知り合い一号くん。
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ネトゲさ、存在を頭の片隅にでも置いておくと本当にやらなきゃって使命感に駆られる
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最近(数少ない)大学の知り合い二号が数検2級の問題に夢中らしい
そのうちの1つがこれ
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【問題】
1番からn番までの電球n個と、それぞれの電球の番号に対応するon/offのスイッチがn個ある。
スイッチは最初すべてoffになっており、電球も消灯している。スイッチがonになると電球が点灯する。逆も然り。
このスイッチに、
1.1の倍数のスイッチを操作する(すべてのスイッチがonになる)
2.2の倍数のスイッチを操作する(偶数番目のスイッチがoffになる)
………
n.nの倍数のスイッチを操作する(最後のスイッチのみ操作する)
という操作を順番に行う
このとき、n=100であれば、最後の操作を終えた時点で点灯している電球の数はいくつか
(文章は自前なので適当、オリジナルはもうちょっとちゃんとしてるかも)
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日能研で解いた算数の問題ってこういうのばっかりだった気がする
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文章読んでれば答えがあるような問題でも文章をちゃんと読めないっていうか
彼女(She)の2つの資格試験、そして今後のことを思うと大きな壁になると思う
なんか対処法あれば彼女の将来のために教えてね。あ、できれば彼女(She)の機嫌を損ねない方法で。
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腹減った。牛丼食いに行こ
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うちから一番近いのすき家なんだよね。別に牛丼に味を求めてない人間としてはショックでござる。
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【問題の答え】
n個の電球のうち、onになっている電球の数は√n(小数点第一位切り捨て)個。
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前提として、100個電球があったら100回操作を行うわけで、そのときスイッチの番号の約数は全部洗い出される。
そのとき、数字aの約数の数が奇数になる条件ってのは√aが自然数のとき。
その出現回数は、√nが1,2,3,4...って感じで1ずつ増えていくわけだから、√n個でそのまま解答できる。
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これ面白くてさ
たとえば36の約数は1,2,3,4,6,9,12,18,36
約数の前から、後ろから1つずつ取って掛けあわせると元の数字になる
1*36 2*18 3*12 4*9 ぜんぶ=36
僕みたいだね。彼が存在するから、36の約数の数は奇数になる。
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72の約数は1,2,3,4,6,8,9,12,18,24,36,72
1*72 2*36 3*24 4*18 6*12 8*9 ぜんぶ=72
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みたいなくだらないことを考えるのが好きでね
【算数】あなたは解ける?小4の問題が難し過ぎると話題に! - Togetterまとめ
これが余裕で解けた方は(ブコメを見る限り結構いるようなので)こっちを解いてみてほしい。
2015年3月掲載 星野学園中学校【算数】 | シカクいアタマをマルくする。 | 中学受験-小学生のための中学受験塾。日能研
まあこれ電車内の広告で既に見たことある人いるかもしれないけど。
最初の問題と、幾何の問題である点、「数学の道具を使えば解けるけど算数だとどうやるんだろう?」ってなりやすい点が共通しているけれど、最初の問題より大分難しい。まあ中学入試の問題(つまり小6が解く)だからというのもあるけど。
小6の娘から「お母さん、仕事辞めて」 働く母親のジレンマ〈AERA〉
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20121112-00000006-sasahi-soci
これに対しid:kobeni_08がブクマ。
そもそも「成績で決まる塾の席順」がかなりカルチャーショックなんですけど… あと、受験勉強って母親が監修できるもんなのか?そんなことできる人のリソースが、もんすごい勢いで一家庭に投下されてるってのも…
いわゆるNバッグを背負っていた小学生として思うところがあるのでキーボードを打ち込むことにする。
毎週土曜日にカリキュラムテストという出題範囲の決まったテストが実施され、
総合得点の上位20人と算数、国語、理科、社会の各科目は上位5人はその結果が廊下に掲示される。
で、算数の授業では算数の、国語の授業では国語の成績に応じて、席順が教室の前のドアの横に貼り出される。
自分の教室では2人用の机が3列あり、黒板に一番近い真ん中の机の左から1位から順番に座る。
つまり黒板に近い生徒は成績がよく、教室の後ろにいる生徒は成績が悪いことが一目でわかるわけだ。
個人の成績表と全国ランキングもテストのたびに配られ、競争心を煽るあらゆる手段が取られていたと思う。
ただ自分たちはあんまりこの席順には執着していなかった。むしろ何ヶ月かに一度実施される公開模試、
この公開模試の結果によって席順ではなくクラス替えが行われるのだ。
自分の教室では成績がいい順に栄冠組、3組、2組、1組の四クラスあって、栄冠組とそれ以外では授業時間、内容と宿題がかなり違う。
親としては同じ学費を払っているのだからよりよい授業を受けさせたいから気合が入る、
自分としてはクラスが変わると友人や好きだった子と一緒にいられなくなるから気合が入っていたと記憶している。
学校での人間関係や親との関係が決して順調ではなかった自分にとって、塾でできた友人たちと休み時間や行き帰りに一緒にいられないのは想像するだけで恐ろしかった。
2,3週間くらい前からカリキュラムテストの勉強と同時進行で過去の公開模試や問題集をひたすら解いていた。
そのおかげもあってか自分は小学4年の時から小学6年を通じて栄冠から落ちることはなかった。
そういえば今でも好きだった子は年に一度くらいは夢に出る。
まあ初恋だったんだろう。元気にしているだろうか。
山のような宿題が課されるんです。ほんとに山のような。
中学受験が終わった時に今まで解いた問題集とプリントを縦に並べたら当時の自分の身長ぐらいあった。こんな量を小学生に管理させるのは無理。
そうなると母親が監督になるしかない。母親が監督になるしかないのだが、母親が中学受験の経験がないと、上位校にいくのは厳しいのではないか。
実際母親の”受験ママ友”の学歴とその子供の受験結果を思い出すと相関はあると感じる。
ノウハウの蓄積の差や、子供に指導するときの説得力の差は大きい。
母親が今までの人生でやったことがないことををやれ、というよりも自分もできたことだからお前もやれ、という方がまだ納得しやすい。
それとママ友は共働きより専業主婦の人が多かったはずだ。共働きだと遊びたい盛りの小学生を週4、一回3時間近くの塾通いをさせ、宿題とプリントを管理し、
最も集中して勉強する金、土、日につきっきりで教えるのは難しい。この上家事もやるわけで…
この娘はそんなに勉強して将来どうするの。
↓
↓
収入と家庭の安定はそれなりに相関する
↓
家庭の安定は家庭の幸福にそれなりに相関する
と自身は思っている。
中学受験はあくまで通過点だと言うことはわかっている。上の相関だって絶対ではない。ただ何もしないよりかはマシではあると思う。
2月1日まであと3ヶ月を切っている。がんばれ受験生。
異性を顔で選ぶのって実は合理的じゃね?
同じことを考えていたことあります。
そして、これは同じ問題なのか全然違うのかわからないけど、進学塾が合格者数を宣伝しているのが小学生時代不合理に思えてなりませんでした。特に通っていた日能研は大手だったから、そりゃ合格者数は大いに決まってる。合格率で比べなくちゃ教育内容の良さはわからないでしょ、と。
算数のタカノ先生は「人数が多くたって、1000人の馬鹿は10人の秀才に合格者数で勝てないだろ。だからいいんだよ」と言っていて、もちろん納得できなかったんだけど反論はしませんでした。多くの場合、「500人の秀才・馬鹿・凡人と2000人の秀才・馬鹿・凡人の戦い」とかになるはずから、タカノ先生の例えは極端すぎて意味がないんだけど。
ただ、その異性を顔で選ぶ例に近い考え方でのちのち納得がいったんだけど、合格者数は、上げようと思えばいくらでもフェアじゃない戦略ができてしまうのです。合格してくれなさそうな生徒は最初から入塾させない、入塾させても絶対に安全な学校以外にチャレンジはさせない。
そんな教育的でないアンフェアな勝負になる合格者数を競うぐらいなら、塾も生徒も全力でがんばるしかない合格者数を競うのは悪いことではないと言えるわけです。
この例、異性の顔の話と同じなのかな、違うのかな。
自分がいい加減な人間だということを認識したのは、高校生の最初の定期試験だった。
いや、正確に言うと、そのときに認識したわけではなく、大学受験に失敗して自分の人生について(たった18年だが)反省をしていたときに、高校生の最初の定期試験に対して「ああ、良い具体例だな」と思ったわけ。
単純に考えれば、進学時によくある洗礼なんだよ。
進研ゼミのDMの漫画にあるような、「高校生の勉強は中学生とは違う!」という脅しのような、でも、実際の話。
それまで、つまり、中学までは、自分は勉強らしい勉強はしていなかった。あくまで、「勉強らしい」という部分が大事で、まったく勉強していなかったわけじゃない。教科書は配られた日にはあらかた読んでしまっていたし、暇なときも読んでいた。親は漫画やらゲームやらを買ってくれる人ではなかったから、それしかなかった。
そんなわけだから、授業のノートも適当にしかつけていなくても、試験期間前に努力せずとも、基本的に成績は超絶優秀だった。当たり前だろう、四六時中、それこそ暗記するまで教科書を読んでいるような人間だったんだから。
これについては、余談だが、言いたいことがある。
「子供のときは努力で差がつく。大人になったら努力では差がつかない。才能で差がつく。そして努力しない奴はひたすら落ちていく。」
一般化するつもりはないけど、ま、そんな気がする。
で、話を戻そう。想像するまでもなく自分は相当尊大な自意識を持って高校に入学した。もちろんトップクラスの進学校だ。
最初の定期テストまで、本当に中学校の延長で「勉強」していた。試験前も最初から試験を切っている奴や試験から逃げているような奴と一緒に部活に精を出していた。
いや、結果をみてビビったよ。人生で90点以下の試験なんて、小学校の時に無理やり受けさせられた日能研の全国実力試験の時以来だったから。無理やりというか、母がママ友から「一緒に受けよう」といわれて断りきれなくて、そのとばっちりを受けたのだけど。しかも、あのときは、何十人か一緒に受けた同級生たちの間で唯一全国ランキングに名前が載ったし、教科書にない問題は基本的には解けなくて当たり前と当時は思っていたわけだから自尊心に傷は付かなかった。
また、脱線した。要するに、高校の最初の定期試験の点数をみてビビった話だ。平均点以下だった。自分では正解を書いているつもりが、結構間違っていた。しかも平均点以下。おいこいつら、みんな俺より頭がいいのかと思ったら、冷や汗の出る思いがしたが、あとで、話を聞いて驚いた。過去問があったらしい。
さすがに将来シケプリを作成するような連中は違うなと今なら思うけど、まあ、最初は酷く彼らを嫌悪した。
それでも、90点以下の点数を取ったという事実に変わりはなく、そのことが自尊心を大きく傷つけた。それでも「教科書はトモダチ、恐くない」な自分からすれば、試験前の期間に試験対策をすれば、また再び成績優秀者に戻れたんだけど。とにかく、定期試験なんてそんなものだ。自分のターニングポイントは其処だったのだけど、まあ、当時は気が付かないよな。とにかく、いい加減な人間だ。<先頭集団にいられれば、それでいい>と思っているのだから。何か、野望とか目標とか夢とか、そういった焦がれるものがなかった。ただ、「下は嫌だな」と漠然とした感覚だけがあった。だから、ダメになってから気が付く。それは、攻めて行って失敗した<ダメ>じゃなくて、<なんか、これじゃダメ>の<ダメ>だ。
部活仲間に「お前みたいに『何でも常識の範囲だろ?』って顔をしている奴はいつか痛い目に合う」といわれたことがある。多分、本人も親や先輩や、塾の先生かしらないが、言われたことがあるのだろう。
一浪して、必死こいて勉強して、東大に入ったが、そこで再びビビッたのは、どんだけ努力しても勝てねぇっていう連中に何人も出会ったこと。何を血迷ったが、自分はそこで降りてしまった。競争することから。意識して努力することから。もとから、そういったものからは半分足を踏み外している状態だったから簡単だった。あとは、もう、流れるようなものだ。「下でもいいか」と。
といわれたときに耳が痛かった。
<先頭集団にいられれば、それでいい>といういい加減なモティベーションは、先頭集団に入れないとなったときに、いとも簡単に外される梯子だ。高校の部活仲間に言われたように、僕は痛い目に合った。僕のいい加減さが招いた結果だ。
http://anond.hatelabo.jp/20081221200806
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51155897.html
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ここら辺の勉強が出来ると頭が良いの関連について
まず第1に当たり前の話だけど、これがポジショントークになる事を断っておく。
凄く単純化して考えた時、学歴が高くてそれをアイデンティティに持ってる人はどれだけ自分の身を削って客観的になっても「勉強が出来る=頭が良いと言う」方向に議論を進めたくなってしまうし、自分の利益を最大限にする方向としては間違ってない。逆もまたしかり。
そもそも、勉強が出来るor出来ないと頭が良いor良くないと言う2つの事象が相関するのか逆相関するのかと言う議論は2×2のスクェアを作り、一つ一つのスクェアについて自らの主観を徹底的に削って考えないととも思う訳で。勉強が出来るけど頭が悪い人をいかにこき下ろしてもそれは4分の1以下の議論しか満たしていない。
まぁ、そんなメタっぽい「オレってちょっと頭良いでしょう?」的なのは明日読み直して恥ずかしくて悶々としてしまうから読み飛ばしてください。
後、勉強が出来るとか頭が良いとかコミュ力とかそこら辺きちんと定義してないので何が言いたいか意味が分からないと思います。要は流れに乗じて自分語りをしたかっただけ、そんな風に思ってください。
こっから自分語りです。
自分はまぁ小学校の頃はちょっといる勉強の出来る子だった。年齢は30弱位なんだが、自分らの小学校の頃は受験塾として四谷大塚と日能研が勢力2分していて、後は模試として四谷大塚を使い、普段は自前のテキストで教えるみたいな準拠塾と言われる予備校が多かった。で、中堅所の四谷大塚準拠塾みたいなのに行ってたのだけど、まぁまぁ出来た。勉強は全くしなかったけど、何故か算数は出来たし家ではほとんど勉強しなかったし、算数以外の授業の時はずっとドラクエ3のパーティーをどんな風に転職させて最強の編成を作るかをずっと考えてた覚えしかない。
で、幸か不幸か一応、都内で偏差値的にはトップクラスの中学に進学。東大進学率が5割以上とか言う嫌味な所だ。
中にいる人は変な人ばっかだった。もちろん自分の様に勉強が好きでも無いけど、何か良くわかんない受験的な方向性みたいのにたまたまマッチして受かっちゃったみたいな人もいた。ましてやコミュ力については自分も含め最底辺クラスの人は多かったけど、「全くのバカ」って言うのは1人も出会わなかった、自分がバカ過ぎたのかもしれなかったけど。
中学入って、親が自分の子供がそんなトップクラスの進学校に行った事に舞い上がったのと、親自身が受験の事を何も分かっていなかったので鉄緑会と言う、これもまた御三家とか新御三家とかそんな風に言われる進学校の生徒達が東大理科3類とか文化1類とかの学生に授業を受けると言う何とも悪趣味な塾に通わされた。自分は中学1年から週2回通ってた。科目が増えるにつれ、最終的には週4回くらいかな?になってたと思う。
自分はそんなところに通わされてどうだったかと言うと、やはり授業中は当時はまっていた三国史でだれを離間の計で引き抜くかとか、ぷよぷよの連鎖をいかに効率良く組むかとかそんな事をずっと授業中考えていたし、アソコに毛が生えてからは、自分の学校にはいない女性とに対してずっと卑猥な妄想をしているだけだった。
そもそも鉄緑会と言う所が、「みんな東大行く雰囲気」と「殺人的なまでの宿題量」を売りにしている所で、自分は全く宿題と言うものをこの方やったこと無い(これは高校3年までそうだった)ので、もう高校1年くらいの時は200人くらいいる同級生の塾生の内、下から一桁みたいな学力まで落ち込んだ。
親は子供への干渉の仕方が分からない感じだったから、理系だったら資格があると安心だから医学部に行って欲しいみたいな事言ってたけど、親自身も受験勉強の経験が無いし、塾には行けと言うけど悪い成績が帰ってきてもそれで叱咤したりするでも無いし、正直困ったし心配だけど、どうしてあげれば分からないしなーと言う感じの放任だったのでは無いかと思う。
当時の自分はと言うと酷い非コミュだったのと自分との趣味を分け合う人がいなくて、自分が読み終わったナポレオン文庫やエロ漫画を出席番号近い人に売ったり、録音したオールナイトニッポンを倍速で聞きながら、「自分はゆずがデビューする半年前からラジオで彼らの事を知ってた」とか「ブギーポップは1巻からジャケ買いしたね」とか心の中で思いながら、それを吐露する人もいなくて、ただただ毎日が辛い中、渋谷のゲーセンで格ゲーをやりながら暇を潰していた。
もちろん等しく決断の時と言うのはやってくる訳で、同級生の東大合格率が50%と言っても、自分が2回に1回東大に受かる訳もない。それに、自分の将来なんて全く考えたことも無かったから何となく医学部志望って事にして1浪はしたもののそこで心を入れ替えた訳でも無しに何となくまぁまぁな医学部に進学した。
その時点で19か。大学1年の時に自分の中高時代を振り返って、何にも思い出せなかったのを覚えている。要はそれだけ日々は塾からの逃避とゲームと性欲だけだったし、友達もいなかたし、嫌々塾に行きながら宿題を全くやってこなくて怒られるのをヘラヘラ笑って過ごし、対戦ゲームでちょっとした虚栄心を満たし、それでもゲームが決してそこまで上手いわけでは無い、ほんとつまらない人生だったのだと思う。そして、「このつまらなかった人生があったから今の自分がある」なんてメタな視点を持てる事も無い位、本当に無駄な時を過ごしただけだったのだと思う。
大学入って、非コミュであるにも関わらず「環境が変われば、自分に対して反転している社会も少しは自分の方向を向いてくれるんじゃないか」なんて思って色々イタイ事をしては撃沈の繰り返しだったが、何か具体的なエピソードがあった訳も無いけどコミュ力が向上した。おそらくはバイトとか、部活とか「あるテーマがあるコミュニティでの会話」については受験的な分析力を発揮してればまぁまぁ会話が進むため、ある程度そこでコミュ力が付いたのだろうと何となくは思う。後はバイトの接客が強制的に強コミュの鎧を演じる必要がある感じだったし、先輩にコミュ勝者が多かったのでそれを真似したりした。おそらく20の時はアスペであった自分も今いる職場で同僚や、上司、部下に対して評判が良いし、可愛い彼女も出来た事もあるし、ある程度コミュ強者な気がする(これを客観的に表現出来ないのが申し訳無い)
何というか、失われた青春時代を思い出しては主観的に凄く落ち込むし不幸だなーって思う事があるけど、今の自分は給与的にも地位的にも対人的にも客観的には凄く恵まれている。救いの無いバカだったしアスペだったけど、勉強を惰性でやっていたからある程度は幸せな所に落としどころを持ったんじゃないかなんてのも思う。少なくとも19で社会に出たらヤバい事になっていたのは確信を持って言える。
勉強を惰性でやっていたからある程度は幸せな所に落としどころを持てた、大事な事だから2度書いたけど、そういう人、hatena村の外には凄く多いんじゃないか。そんな事を思い、書き始めたら何か脱線してしまいました、すいません。
後、完全に蛇足だけど僕ら学術的な分野で言えばコミュ力があるだけの人がちょっとしたpaperをまとめると本当に勉強が出来ないんだなって言うのを感じる瞬間があります。そういう人は幾ら口が達者で一般事務的な事が出来ても自分の中では全く尊敬出来ないんです。
たとえて言うなら凄く物腰柔らかで、他の病院への紹介とか診断書作成とかを面倒臭がらずにやってくれる良い先生、サービスが凄くお上手な先生、そういう人達が医学的には凄くレベルの低い事しか考えられてない学術的にはダメダメ、そんな場面に良く出会うのです。