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2023-08-26

塾高優勝にみる格差

塾高甲子園で優勝か、おめでとう。近隣に住んでるけどお祝いムードがすごい。

彼ら塾高生徒は、そりゃ頭も良いし髪型も非坊主頭実家もほぼ太いだろう。

頭の良いボンボン甲子園勝利となると、そりゃあスパルタ学業よりも野球、とにかく

甲子園しか頭にない子やその周囲は気分が悪いだろう。負け犬感。

庶民の楽しみ甲子園坊主頭酷暑の中必死に投打する姿に感動を強制される構図。

なんか否定された感じなんだろうね。

からヘラヘラしたとか髪長いとか外見を攻撃するくらいしかできない。だせえ。

2023-08-19

地方に本当に人が住んでるんだと知って衝撃だった話

東京で産まれて、両親も東京まれの家庭で育った。

とはいえ地元はどこかと聞かれるといくつか家があったか微妙だ。

西麻布の家で過ごすことが一番長かったが、三番町清里にも愛着がある。

 

幼稚舎から大学までエスカレーターで進んだ。

同級生は当然全員が東京近郊の居住者だ。

たまに地方豪族の息子みたいなやつがいたが、そいつも結局こちらに家があり、母親なり誰かと東京に住んでいるので、地方人間であるという認識はなかった。

 

経歴を言うと「同級生大金持ちばかりでしょう」と言われるが、普通サラリーマンの息子で車はトヨタです、みたいな連中も大勢いた。

から貧乏人への耐性はついていた。

飛行機ビジネスファーストクラスであり、百貨店は行くものではなく来るものであり(幼稚園までミツコシさんとは家にたまに来るオッサンのことだと思っていた)、車は複数台あって運転手がいる、というのが異常であって、

普通は家は1つだし、中華を食うためだけに上海には行かないし、金を理由にやりたいことや買いたいものを諦めることがある、という”社会常識”はあった。

 

大学生で、初めて地方出身者と友達になるという経験をした。

いままでテレビ雑誌の中でしか知らなかった地方出身者という生き物に出会ったのだ。

当然、塾高時代までにも習い事教師地方出身はいただろうし、旅行にも行っていたか地方人と顔は合わせたりしていた訳だが、彼ら彼女らの地元の話をする訳じゃないし、したとしてもマスメディア情報と大差ない話しかしない。

三英傑を馬鹿にしてマジギレされるのも、どこから見た富士山が一番かという話でケンカになるのも、それが初めてだった。

とはいえそいつらも東京に出てきており東京ナイズされている訳で、そいつらが一人暮らししている家は東京神奈川にあった。

から地方人というよりかは、地方にいたけれど東京のやつという印象のほうが強い。

 

そして、大学卒業して、一般企業就職して近畿とある部署に配属となった。

配属先の人員本社採用は2割程度で、残りは現地採用だ。

そこで初め地方に「住んでいる人」という生き物と本格的に交流するようになった。

歓迎会では新卒は俺しかおらず、関係部署だけ集まってこじんまりと開催された。みな暖かく迎えてくれて優しかった。

だが、会が進むにつれ、話の内容は地元の誰それ(自分たち会社ではなく地元で有名らしいやつ)が捕まっただの、会社を立ち上げただの、

あるいは、東京に住んだことあるけれどやっぱり地元が一番だとか、地元選挙区議員がスゴいやつだ、俺はそいつ当選させただとか...

テレビでは見られなかった地方に住んでる人の生の会話を聞いて、そこで生まれて初めて「あぁ、地方にも本当に人は住んでいるんだ。ファンタジーではないのだ」と実感した。

その衝撃は、幼稚舎のときに遊びに行った友達の100平米のマンションで感じた「狭っ!」というショックよりも大きかった。

2022-10-29

2022年日本シリーズ第6戦展望

しょうがねえなあ。

俺はロッテファンからセリーグは全く見ていないので、オリックスがどうするかだけ書く。

投手陣は村上理想的に抑えることはできているので、塩見とオスナをどうするのか。

走力がある塩見はともかく、オスナは後ろの打者カウント次第では、全打席申告敬遠でもいいんじゃないかな。

満塁の時だけ渋々勝負する感じで。

打線は組み替えた方がいいと思う。

長打複数出ている紅林や、アウトになっても強い打球を打つことはできている太田を下位にするのはもったいないので、どちらかの打順は上げるべき。

宗は逆シリーズ男になりかけているのでベンチスタートにしてもいい。

ただ、その代わりに三塁を守るであろう西野守備力が不安なら外さず9番に下げて、打撃がいい上に打者としての苦手コースが知られていない山崎福也を8番にしてもいいかもしれない。

こんなこと書いたけど、試合キーマンは宗だと思う。

宗が打てればマシな打線になる。

仮にスタメン落ちするなら代わりに出る選手が打てるかどうか。

ヤクルトキーマンも宗(村上宗隆)。

オリックス投手陣が彼の苦手なアウトコース中心の組み立てをして抑えている中、今までの自分スタイルを捨てて対応されたらオリックスは手も足も出なくなるんじゃないかな。

俺は第8戦が見たいので土日は1勝1敗で終わるように、お互い適度に打ったり打たなかったりしてほしいね

第2戦のように引き分けでもいいよ。

ぶっちゃけ今日は日シリよりも高校野球の方が気になる。

秋の関東大会準決勝で、母校が清原次男がいる塾高と対戦するので、大勢マスコミの前で存分に目立ってほしい。

スタンド応援に来るであろう清原クスリとも笑えない試合展開で勝てるといいね

anond:20221028000708

2021-12-20

22時過ぎの道玄坂ダメ人間しかいない

22時過ぎの道玄坂ダメ人間しかいない。ポケットに手を突っ込みハイヒールでズンズンと駅へ向かう私もその一人。あの男。18年ぶりにTinderで再会し、手コキで果てた神奈川大卒の男。美しい思い出を性欲で汚した愚かな男。そして、彼を見下し、利用しようとして報いを受けた慶應卒の愚かな私。

 

私は私の人生がかわいかった。腹を痛めた我が子のように。当然だ。様々な苦しみを食べてこの人生は育ってきたのだから教育ママ日能研のバッグ。中学受験女子校人間関係大学受験。滑り止めの慶應経済就職活動。いろんなものをすり抜けて、私のソコソコ幸せなこの人生があるのだ。

 

中央林間のあたりで生まれて、小学校までは地元公立に行っていた。色んな人がいた。「じゅんやくん」とは母親同士がママさんバレーの友達で、家も近かったからよく遊んでいた。青い屋根瓦の古い平屋。中に入るとワサビみたいな匂いがした。夏も冬も、いつもヨレヨレのタンクトップを着ていた。

 

じゅんやくんはモテた。足が早くて、サッカーもやっていた。土曜日に校庭に遊びに行くと、真っ白いソックスを膝まで上げたじゅんやくんが中盤からいいパスを出していた。かっこいい。顔はよく覚えていない。小学生恋愛なんてそんなもんだ。初めてチョコをあげたのもじゅんやくんだった。

 

女子学院への進学が決まった。じゅんやくんに伝えると、お前のことちょっと好きやったで(笑)と言われた。ちょっとって何だよ、と思いつつも純粋に嬉しかった。それから人生で、ちょっとでもいいから私に好きだよと言ってくれる人は他にいなかったから。その日は二人でマックに行っておしゃべりした。

 

メルアドを交換して多少のやりとりはしたし、全然更新しない彼のアメブロくらいは見ていた気がする。でもお互い新しい環境で新しい友達ができて、思い出話と近況報告以外に特にネタもないし、そして何より、小学生の「好き」なんて、その程度の曖昧ものなのだ大人のそれも似たようなものだけど。

 

JGの新しい友達はみんな「きちんとした子」が多かったし、母もそれを喜んでいた。特にじゅんやくんやそのお母さんの話はしなかった。もしかすると、私の人生自分作品のように思い込む短大卒の教育ママである母にとって、あん公立校の人間関係なんて忌むべきものだと考えていたのかもしれない。

 

そんな背景もあり、私は次第にじゅんやくんのことを忘れ、何事もなく人生は進んでいった。第一志望の東大は落ちたけど、滑り止めの慶應経済に入った。慶應卒の父はそれはそれで喜んでいた。塾高生の目が届かない弱小テニサーでは、志木高生が俺たちこそが内部生と言った顔でオラついてて可笑しかった。

 

サークルゼミの先輩たちに色々手伝ってもらって、リクルートスタッフィング内定を決めた。キャリア内定者の何となく見下してくる感じはムカついたが、腐ってもR。腐っても銀座OL。初めての一人暮らし。限りなく浜松町に近い田町の月10万の1K。まいばすけっと自炊を頑張ってみたがすぐ飽きた。

 

仕事は楽しかったし、なによりRの空気は私に向いていた。JGと慶應経済の面倒なところを煮詰めたら多分Rのそれと同じような味がする。電話をかける。ビルを倒す。派遣された高時給のエンジニアたちがちゃんとやっているかフォローする。いくつか賞ももらった。私の人生は引き続き順調だった。

 

唯一の問題私生活にあった。慶應卒のかわいくない総合職女の子、ほどの恋愛における弱者はいないんじゃないかと思った。ルッキズムには排除され、オレが養ってあげたい派より年収が高い。共働き尊敬し合える関係が、とか言ってるやつも、だいたい前掲のどちらかを心に持っている。行き場がない。

 

入社2年目くらいのときに、三菱商事との合コンがあった。商事の中でも三軍みたいな連中。微妙顔面高慢な態度。「派遣とか竹中平蔵じゃん(笑)」「お前はどうしたいの?っておれに聞いてみてよ(笑)」内心分かりやすハイスペ好きで、今日合コンのためにまつパに行った自分を殺してやりたかった。

 

そんな行き詰まりがずっと頭の中にあった。何となく始めたTinderゴミの山だった。日東駒専大東亜帝国なんて現物と会ったこともない。なんと高卒も!世の中の広さを思い知らされる。この国では生きる世界が何層にも分かれていて、コンビニレジとか、違う世界の人は目の前にいても透明に見える。

 

同じ社会に生きる透明な人たち。彼らが可視化されるのが面白くてTinderにハマった。何を売ってるのか、こんな国語力で本当に売れるのか分からない謎の営業たち。ホテルマンと車のディーラーはやけに多い。恵比寿フレンチで働いてるシェフ何だか好感が持てる。そんな悪趣味Tinderをやっていた。

 

マッチゴミの山を漁っていたら、一人の男が目に止まった。神奈川大学卒。神奈川大学?白楽だか東白楽だかの果てにあるらしい。体育会サッカーをやっていた。今は営業をやっている。また営業。こんな営業会社に来たら嫌だな。Junya。30歳。Junya?彼だ。

 

18年ぶりに幼馴染みと再会した。よりによって、このゴミの山で。身分を超えた恋、と言えば美しいので、そう呼ぶことにした。すぐに彼からメッセージが来た。はじめまして😆✨よろしくお願いします❗冷静になった。●●小のじゅんやくんだよね?すぐに返信が来る。当たりだ。

 

話すことはたくさんある気がするから、私からすぐに飲みに誘った。家も職場横浜のあたりと言うから東横線で出てきやす渋谷にした。店知らんから任せていい?🤣と言われたから任せられた。ラフな感じがいいな、ラフな感じでいいやと思って道玄坂の「どうげん」を予約した。

 

彼が人生の曲がり角になる気がした。ハイスペを追っては追い返され、低スペは追われる前にドアを閉める。私のかわいい人生恋愛ときで躓かないよう、学歴や社名で相手を選んできた。スペック依存しない私の新たな人生幸福が、おそろしく低スペな幼馴染との再会で始まるんじゃないかと期待した。

 

金曜。どうげんに焼肉を食べに行くだけとは思えないほど気合いの入った格好で山手線に乗ってしまった。この日のためにアリエクで買ったスカートは思ったよりピチピチだし安っぽかったが、神奈川大の男にはこれくらいのほうがいいんじゃないかと前向きに履いた。慣れないハイヒールはやっぱり慣れない。

 

20時。彼は少し遅れて来た。黒のカナダグース。ピタピタの白ロンT。膝の破れた明るい色のピタピタデニムナイキスニーカー。顔は、調子悪い日の槇野に馬を足した感じ。真っ黒に焼けていた。TikTok流行っている音楽に詳しそうな雰囲気をしていた。「久しぶり😆✨」発言の末尾に絵文字が見えた。

 

彼は私のアジアン隅田似の顔に少しギョッとしたが、お酒を飲むとどうでもよくなったみたいだ。よく飲む人だった。一息でジョッキを半分くらい飲み干した。杯を乾かすと書いてぇ〜😆顔カンパーイ😆✨よく食べる人だった。りんごを巻いた肩ロースを何枚も吸い込んだ。営業接待で大変なんよ🤣

 

話は割と盛り上がった。中学高校でもサッカーを続け、インターハイにも少しだけ出場したこと。強豪大からは声がかからなくて神奈川大に進学したことプロを目指したがまるでダメで、今は横浜部品会社営業をやっていること。大学時代マネージャーと付き合っていたが、浮気されて別れたこと。

 

1時間も経っていないのに、彼はかなり仕上がっていた。てかスカートめちゃエロくない?😍(笑) 急に空気が変わるのを感じる。性的質問が増える。テーブル席の向こうから、彼の鍛えられた足が妙に触れてくる。ZARAのいつ買ったかも分からない安そうな彼のデニム。昨日きちんとムダ毛を剃った私の脚。

 

私は変に冷めていた。話が合わない。共通話題がないとかじゃなくて、会話の技法とか、語彙の辞書そもそも違うような感覚ロシア語ポーランド語のような関係。分かるが分からない。目に見えない学校から目に見えない会社に入り、目に見えない人たちとテング酒場男梅サワーを飲んできた人。

 

私の期待は外れた。当たり前だ。私たちは同じ国の、目に見えない違う国で育ったのだ。それが交錯するのが首都圏公立小学校であり、そこを出れば二度と交錯することはないし、交錯すべきでもない。美しい思い出は美しいまま、卒業アルバムと同じダンボールに入れて二度と開けなければよかったのだ。

 

迂闊にも、実家ホコリを被っていたそれを開けたのは私自身だ。それも、美しい思い出とその中にいる彼を、私は見下し、見下したそれらが私の人生好転させてくれると期待した。最悪だ。そして最悪な彼は、自分のために着飾ってきたブスに勃起している。彼にはその権利があるような気がした。

 

例によって、このあとホテルに誘われた。お店に入って1時間余り。モクモクとしたどうげんのテーブル席。私の美しい思い出が、トイレから帰ってきたらこっそり近所のラブホ検索していた彼が、ニタニタ勃起しながら最悪の誘いを投げかけてくる。すべてが面倒になり、割り勘をしてホテルに向かった。

 

緊張緩和のためか、途中のコンビニで買ったストゼロを彼はガブガブと飲み、結果勃たなくなった。少し待つと復活したからまずは手でしてあげると、アッアッというピトーに脳をいじられたポックルみたいな声を出してすぐに射精した。そうして二度と勃たなかった。手を洗うときに鏡で見た私の無表情な顔。

 

時計を見るとまだ22時で、なんだか疲れたから私だけすぐ帰ることにした。ライン教えてよ、と言われたけど、ラインやってないので… とそのままドアを閉めた。通りに出るとゴミみたいな人たちがいっぱいいた。何の仕事をしてるのかも知らないが、おそらく一生知ることもない、違う国の人たち。

 

今年で30歳になります。帰りの山手線、窓ガラスに映った自分の顔にギョッとしました。頑張って生きてきたのに、恋愛肯定されることがなく、そのことは私の人間価値のもの否定されたような気分になります。家につきました。男たちの欲求狭間で、私は今夜も真っ白な天井を眺めています

 

実は― きょう彼にああやって求められたのが、一瞬、少しだけ嬉しかったのです。でも、やっぱりダメでした。致命的な知性の欠如。合わない人とは合わないほうがよいのです。それが分かると見下してしまうから。じゅんやくんのお母さんを何となく見下していたのを思い出します。

 

当然の報いです。美しい思い出を利用しようと段ボールガムテープ剥がした私。そんな私の手を汚い欲求で汚した彼。身分を超えた愛?Tinderを開くと彼からメッセージが来ていますが、何も見ずにマッチを解除します。ビールを飲みながら、早慶以上の人にだけいいねを送ります。今年で30歳になります

出典元:麻布競馬場 @63cities https://twitter.com/63cities/status/1472400671387582467

2021-09-21

anond:20210921222129

まともに部活やるような層であれば、ほぼ大学慶應義塾高等学校塾高)と部活交流あるし、遊んでばかりの帰宅部合コンしてるから田舎進学校(実質男女交流なし)と比べたら全然まし。

しかも、慶應の中でも親金持ち率高い。

幼稚舎から上がってくる奴、中高受験で入る奴と、男子以上に偏差値いから、親がしっかりしてるからそれなりのが多いし。

2021-02-12

anond:20210212145802

慶應幼稚舎普通部→塾高経済や法みたいな人は僻みや反発じゃなく本気で「わざわざ難関中学行って、さら受験勉強して東京一工行くとかバカじゃねーの?」思ってる。

2019-03-29

某有名進学校を退学した。

3/31付で高校を退学することになった。こうなったのも全て自分責任ではあるけれども、やはり割り切れない気持ちもある。自戒気持ちの整理を兼ねて駄文を垂れ流してみようと思う。お目汚しで本当に申し訳ないが良ければ読んでいただければ嬉しい。もっと言えばこれを他山の石としてくれたらもっと嬉しい。(そもそもこの年代増田は居ないだろうと思うけれども)

私が在籍していた高校完全中高一貫校卒業生の半分は有名私大に推薦で、残りは東大京大東工大旧帝大医学部に進学していて、東大進学ランキングにも毎年掲載されている。

元々私が中学受験をしたのは一回り年の離れた従兄が中学受験をして進学したのを見てそれに憧れたからだった。そして、一人で読書をする方が友達と外で遊ぶよりも好きだったり、学校ヤンチャな奴らに若干イジメられたりしていて、荒れ気味な地元公立中学に向いていなさそうだったのも理由である

小4の終わりにSAIXに入り塾通いをする中で、私はある文化系部活に憧れた。そしてその部活活動も活発な学校の中で一番偏差値の高い学校第一志望にした。(ちなみに塾内偏差値では大体55~60を上下していた。)

小6の1月。まずは滑り止め2校に難なく合格し、チャレンジ校(親は行かせたかったらしいが自分はそこまで行くつもりは無かった。)の一次に不合格。そして2月1日第一志望を受け、2日にチャレンジ校の二次を受けた後に第一志望の合格がわかり、無事に中学受験は終わった。

受験が無事に終わり、やる気が失せてしまったのだろうか。その後、学校から新年度の教材や課題が送られてくるが適当に処理してしまい、入学。憧れていた部活にも入り順風満帆に事も進むかと思っていたが、最初中間試験で大爆死してしまう。この時にしっかり勉強してれば良かったのに大して何かをするわけでもなく、学校では授業に出席するものの寝てばかり、家でもアニメと当時流行っていたお船ゲームにハマって平気で徹夜をし、小言を言われれば暴れるといったような荒んだ生活を送り、唯一まともにしていたのが部活だった。当然勉強もろくにせずに中学生活が終わった。

高校に進み進級の判定がされることで一応勉強せざるを得なくなり、一応頑張るようにはなった。しかし2学期に部活で仲良くしていた先輩達が部活から引退自分達が部の運営をしなければならなくなったことで一時的に病んでしまう。結局なんとか持ち直してギリギリで進級する。

しかし春頃から後輩との事や部の運営の事、人間関係などで悩み始め段々とマトモな思考が出来なくなっていた。(と今思い返すとそうだったんだろうと思う。)

一学期には授業にも出席出来なくて保健室にいた事も多く、学業には全く対応出来ずに酷い成績を叩き出してしまう。二学期の途中、部活引退するまではそれを引きずってしまい、その時点ではとても進級できない成績だった。

その後状態も快方に向かい勉強に専念出来るようになったことで、今までの酷い成績を挽回するべく頑張るようにすることを担任先生と話し合った。しか二学期末の試験の結果は芳しくなく、三学期には奮闘しようとはしたものの結局は上手くいかずに英語数学物理を落として原級となり、高校を退学することとなった。

今の私の経歴は高校中退、つまり中卒無職だ。在学当時から大学は目指していたので今年1年間で高卒認定を取り、大学受験を目指す。高卒認定学力なんやかんやであるようなので1年間、1年早い浪人生として⚪合塾高受験科で浪人生活を送る予定だ。なんとか頑張って中高の友人、恩師に胸を張って報告できるようになりたいと思う。

長文を書くのは久しぶりでgdgdになってしまった。本当に申し訳ない。

2013-08-16

東京生まれ東京育ちだが、東京ってひとくくりにするな。

〜 http://janesuisjapanese.blogspot.jp/2013/08/vol14.html を読んで感じたこと。

父方は曾祖父の代から、母方は祖父の代から東京に住んでる。

父は木挽町で生まれ泰明小学校銀座中、塾高から慶應大学に行った。

いまでは父方の祖父母は広尾引っ越ししまっている。

だが、父は木挽町が好きなようで本籍はいまでも木挽町だし、僕も生まれた時から初詣家族揃って鉄砲洲に行っている。

また、父と仲の良い小学校同級生はいまでも銀座で店を構えてる連中が多く、父は今でもスーツ銀座同級生に仕立ててもらっているようだし散髪も同じくである

一方、母は下落合で、小学校から大学まで白百合だ。

目白駅から祖父の家まで行く目白通りは、いまでも好きな道の1つである

から地元での話はあまり聞いたことがなく、言うのは学校の近所の話だったり、就職してから出来た友人の話の方がよく聞く。

僕はと言えば生まれたのは小石川で、その後、馬喰町恵比寿一番町南青山東麻布と都内を転々としている。

転々としているのは父の気まぐれだと思う。同じ町に住んだのは一番長くて7年程度だった。

それにずっと集合住宅だったから、地元という感覚の町が無い。

また小学校から大学まで私立なので同級生も皆、住んでいる所がバラバラだった。

家が近所の奴もいたが、多くは電車で数十分で、遠い奴は葉山とか佐倉三島などもいた。

勿論、三島の奴は新幹線通学だ。

から、”地元の友人”というものもない。

住んでる所が一緒、ではなく学校習い事、塾が一緒という点でのつながりしかない。

しかに、今でも出身校の近くを通る時、弁当屋の親父は元気かなとか、

授業抜け出して行った定食屋はどうなったとか考えるし、

最近外苑前表参道の駅が奇麗になったなあとか、

南青山みゆき通り外国のブティッグが増えたなあと、変化したことに感慨があるし、

軍艦パジャマは相変わらず下品だなと、逆に変わっていないことに安心感みたいなものはある。

でも、それぞれに取り立てて愛着がある訳でもなく、それに昔から転々としていたから、

つの間にかよく通っていた店や建物が、久々に行ったら無くなっているというのも当たり前のことだ。

また、ある種の観光地の近くに住んでたこともあり、田舎者に囲まれて育ったこともあり田舎者に対して特段の思いも無い。

そもそも田舎者とは要は東京者に対するヨソ者という感覚だけれど、僕には地元が無いのだから田舎者という概念を持ち得ない。

東京は本当に巨大で、とてつもないマチの集合体だと思う。

よく地方の人が「マチに遊びに行く」という意味での「マチ」が東京には無数にある。

それに「マチ」によって空気全然違う。

白金台の裏の方のお屋敷ばかりのあの空気後楽園の雑多な仲にも昭和的なにおいがある空気一番町空気がキリっとしているし、麻布は昔からの重みを感じる。

マチの空気はそうそう変わらない。(表参道同潤会を壊したのは駄目だと思うが)

東京とひとくくりにするから、毒を浴びるんだと思う。地方出身者にレイプされた気になるんだ。

もっと自分の住んでる町を愛して下さい。せっかく地元があるんだから

地方出身者がトウキョウをスクラップ&ビルドしたとしても、あなた地元の友人関係までは壊せないでしょ。

2010-04-23

http://anond.hatelabo.jp/20100423123749

慶應女子の人は基本的に塾高をバカにしてるから塾高生と合コンしたいなんて発想出てこないと思うし

全員慶應に進学できるので女子大に行くという選択肢は無いと思うのだが

というわけでこの元増田慶應女子じゃないな

http://anond.hatelabo.jp/20100423103016

イケてるってずいぶん昔に流行ったけど、女子高生(もう大学生のようだけど)も使っているのか。塾高って言い方をするのは慶応女子かな。慶応の子は概ねモテる気がする。[頭がいい&女]は希少だからな。

四年ぶりに男子と話した!

女子高に進学してから、完全に男子のいない生活をしていました。

他の子(イケてるグループの子)は他校の男子塾高の奴らとかさ~!)と合コンしてたみたいだけど、

イケてないグループに属していた私は、そういう話は一切ありませんでした。

でも、女子しかいない世界は心地よくて、男子の目を気にしなくていいので、

伸び伸びと自分を出せるし、個性的でも誰もイジメないし、学校に行くのが楽しかったです。

大学女子大にしようかな~って思っていたけど、親に止められて共学にしました。

そして、四月……。友達ができるかな~って心配だったけど、無事に似たようなイケてない感じの子と仲良くなれました。

男子の方は、明るいグループの子は染髪してたりピアスつけてたり、不良な感じで怖いです……(大学デビューもいるかもしれませんが)。

まだ大丈夫そうな地味めな子は、地味男子同士で固まってて、女子を避けてる風な感じです。

ちょっとだけ彼氏とか欲しいなと思ってた私は、このまま四年間男子と会話なしなんじゃ……と思いましたが、話せました。

講義の終わりに先生に質問してたら、他の人がみんな教室を出ていっちゃって、

同じように質問で残っていた男子と、エレベーターで二人っきりになっちゃいました!

その人は地味めな感じだけど、髪がさらさらだし、頭良さ気なルックスで、好印象でした。

そしたら「次、何の講義とってる?」って聞かれたんです!

「××です」って答えたら、「一緒だ。教室どこだっけ?」って聞かれて、一緒に行くことになりました!

さすがに教室に入ったらその人は知り合いを見つけて席は別々でしたが……。

男子に感じていた壁が壊れた気がしました。次に会ったときは自分から話しかけよう!!

2009-06-23

http://anond.hatelabo.jp/20090623002705

扱い変わるからねえ。

男でも塾高慶應と公立高校慶應だと全然違うよね。

2009-06-22

http://anond.hatelabo.jp/20090622134944

ちわーっす、高校まで関東の南端の公立、大学から慶應っす。

ほかの方もトラバで書いていらっしゃるけど、慶應幼稚舎は頭のいい子が行くところではありません。

あれは金を巻き上げるための施設です。

中学から慶応普通部→塾高法学部SFC大学院)に行った知人がいますが、

知人いわく「普通部の時点から、幼稚舎上がりのやつと中学受験組とは溝がある」。

保護者も、幼稚舎ではなく普通部でも縛りのきつい「保護者の会」があってしんどそうです。

セレブ(笑)主婦派閥作っててお母様もとても大変。

本当にお子様が大事なら幼稚舎から入れるのはやめた方がいいです。

大学での学生自体、付属上がりは「本当によくできる子」と「バカ」二極化してますし。

あ、あと、中・高はあんま学校の治安もよくありません。

ニューヨーク高は大麻窃盗にいろいろあったらしいですし、

湘南藤沢キャンパス付属中高では2年に1回の割合で、自殺に追い込まれるほどの酷いいじめがあるようです。

私の同期にSFC付属でのいじめサバイバーニューヨーク窃盗にあった子がいるのでこれは確か。

つまり、あんまりいい学校じゃないよ。

2008-09-12

http://anond.hatelabo.jp/20080912104304

塾高からの内部推薦じゃなくて、

公立高校から推薦で法学部いった子の話

わりい、勘違いしてた。

本人たちは大学慶応デビューした人に対して上から目線だし

この点は否めないかもしれないが、

先に「デビュー」したほうが立場的には上と考えてもおかしくない。

芸能人だって年齢よりも芸暦の長さで立場が決まることがあるだろ。

まぁ別に俺は外部より内部のほうが偉いとかすごいとかはあまり考えないが。

かといって幼稚舎からいる人たちの輪にも入れないしで

これはよくわからん。

俺が塾高じゃないからかもしれないけど、

塾高に比べて内部進学で高校に入った人が少なかった)

幼稚舎から来ている人も中学からの人も高校入試で入った人も、

みんな仲良くまざってワイワイしてた。

少なくともうちの高校では「幼稚舎から」と「高校から」の間に壁はなかった。

高校日能研リュック(Nってはいってるやつ)を背負ってきている人がいたのはウケタ。

http://anond.hatelabo.jp/20080912094757

慶応は嫌なタイプが多い印象

決まって慶応の子がいう台詞「東大を蹴った」

その言葉聞くたびに、高校の推薦で慶応法学部行った子の顔が浮かぶ

内部の推薦は楽とか思ってるかもしれないけど、実際は外部からのほうが簡単だと思うよ。

少なくとも俺の経験から言えば。少なくとも慶應の内部については。

慶應高校なんて高校受験では最難関の部類でしょ。

女子高なんてたぶん、今のところ全国の女子校で一番入りづらいんじゃないの?

早稲田高校が共学化してどんどん偏差値があがってるけど、いまだ志木高が早慶高校偏差値トップだし

塾高もそれなりに難しい SFCとかNY学院とかは知らんけど。

校風が独特だから、開成を蹴ったり筑駒を蹴ったりして入ってくる人もいるし

15年間アメリカにいましたーみたいな帰国子女普通にいるのよ。

加えて幼稚舎や中等部普通部からあがってくる変人変態もたくさんいる。

んでもって教員はさらに変態だ。

大学受験を気にせずに、教員それぞれの専門のことを高校生の範囲なんてこだわらずにとことん教える。

こういう高校生として最上位の実力をもった人たちのなかで上位の0.5割りくらいに入らなきゃ

法学部医学薬学部の推薦はもらえない

大学受験なんて受験に必要な科目をとことん鍛え上げればいいだけだけど

内部で推薦を得るためには実技教科も含む10教科以上すべてをがんばらなきゃいけない

15年間米国にいた帰国子女よりも英語の成績を上げなければ

スポーツ推薦で入った運動馬鹿よりも体育の成績を上げなければ

理工学部希望している人よりも物理の成績を上げなければ

慶應高校法学部の推薦をもらうことはできない

受験は得意教科だけ勉強して、あとはセンター試験レベルの問題を解ければいいんだから

外部から受験するほうがよっぽど楽だと、 俺は思う。

俺は大学受験を経験していないが、高校受験高校生活の経験から考えて、普通進学校大学受験をしたほうがよかったと思っている。

 
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