はてなキーワード: 戦闘力とは
twitter+Instagram+Facebookのフォロー数を足した数を戦闘力とする(2018年1月時点の数字)
―(スーパーサイヤ人の2倍)―
―(フリーザフルパワー1億2000万)―
https://lab.syncer.jp/Document/Twitter/Follower/
http://www.talentfb.com/follower/12/
今更スポットを浴びた90年台の名作も、
気取った文学作品も、
元がどんなジャンルであろうと関係なく同じ土俵に立ち、売上という戦闘力で互いを殴り合い、クールごとに覇権が決まる。
『無料で大勢に配信して、何人がお金を払う価値があると判断したか、何人が面白いと判断したか』
どこぞの出版社内のお偉いさんのさじ加減で決まる出来レースな賞レースなんかよりもずっと公平で平等な尺度だ。
ダサイクルという少数のサブカル気取りの内輪の中だけででんでん評価されてるだけの作品は容赦なく打ちのめされるし、
逆に無名でもオリジナルでも『本当に良い』作品は正当に評価される。
たまに『アニメはアレだけど原作は名作で~』なんて言い訳がましくアニメスタッフに責任転嫁してくる輩を見るが、アニメが駄作の作品は大抵原作もプロットのレベルで突っ込みどころ満載なことが大半だ。
特に最近は90年台などと違い良くも悪くも無難な完成度は担保されている。
『飛び抜けた作画崩壊』や『アニオリによる作品崩壊』なんてのはほとんど絶滅したと言っても過言じゃない。
・処女感あふれる年食った人が「早稲田です」って言ったら「やっぱりね!」って全力の納得をする時以外
早稲田の事なんて考えない
・年食った処女の人って、男に相手にされないのを基本として生きているから
「あのレベルより2次元のほうが良いね」とか言って普通の男を好きにならないのだけど
逆にスーパーいい男が優しくしてくれると「神降臨」っつてコロッと好きになっちゃって
・年食った処女についてのツイートばっかりしていますが、悪気はなくて、年食った処女の人って一生思春期って感じがするから好きです。
・本人が堂々と公言している年食った処女、ヤリマンをコミュニケーションネタとしていじることや
私ははあちゅうじゃないです
年食った処女をいとおしく思う一人の男です
今度自著を出します
現在の群馬県と長野県の県境、地図も当てにならないような山中にひときわ目立つ石碑が無造作に転がっているのを知る者はあまりいない。石碑には「強力零」とだけ力強く彫られている。
群馬大学の研究チーム9名が1999年に調査したところによると、その力強さは同年代に彫られた石碑の文字に比べて約9%増しであることが判明した。これが何を意味するのか、当時の知見では解明されることはなかった。
零戦を強力に改良した航空機の開発が推し進められていたことは周知の事実だろう。その名称はもちろん「強力零」であり、従来型よりも戦闘力を9%向上させる設計となっていた。アメリカ側も当然にその事実を握っていた。英語での呼称は、言うまでもないだろう。
「そういえば」と強力零作戦に配属されたばかりの青年が言った。「じいちゃんが言ってましたよ」
「何?」と上官。
「その昔、祭りでは酒が振る舞われていたって」
「酒くらい飲むだろ」
「いやいや、その酒ってのが特別な代物で、強烈な多幸感をもたらすんだそうです。それがあったからこそ、暮らしに活力がみなぎって、明日から頑張るかって気になるとか。先祖代々伝わる話ですよ。もはや伝説ですよね」
人類の歴史は密造酒との戦いであるとも言えるだろう。無法者が蔵を構えたのは監視の行き届かない山奥であった。違法であるからこそ享楽は9%増しになる。当時、日本で最も人気のあった密造酒はアルコール度数99%の「強力零」。ここから認知バイアスによって陶酔が9%増しになるということは、アルコール度数108%。ハレの日には「強力零」が大量に振る舞われ、人々は「酒が飲めないなんて人生の9%を損している」とその幸福に酔いしれた。
999年、その酒蔵は忽然と姿を消した――。
未来と過去を行き来するストロングゼロの正体とは。その陰謀に巻き込まれた九条強と山鳥・アッパラッパー・幸子。生存確率は9%。果たして彼らは999人の政府関係者と9999人のギャングから本物のストロングゼロを取り戻し、ハレの日にアッパラッパーすることができるのか。
●孫悟空 合体しても勝てないビルスも青ざめたスーパーサイヤ人ブルー界王拳20倍より強い身勝手の極みががあるため勝てない
○孫悟飯 ようやく老界王神の潜在能力解放後に戻れた程度なら勝てる
●ビルス 勝てない
●ウイス 勝てない
●ヒット 勝てない
●ゴクウブラック スーパーサイヤ人ブルーより強いロゼになられると勝てない
○未来ザマス 不死身は厄介だが本人の戦闘力はパワーアップした未来トランクスと互角程度なので負けない
●合体ザマス 勝てない
●人造人間17号 原作終了後も鍛えていたらしくスーパーサイヤ人ブルーと対等に戦っていた
●トッポ 勝てない
●ジレン 勝てない
●?ケフラ ベースはスーパーサイヤ人2程度のポタラ合体戦士だがスーパーサイヤ人ブルー界王拳にダメージを与えられためベジットを越えていると思われる
女なんだけど、性行為をしてみたいと思う男性は、一目みただけでぐっとくるのがわかる。
性格とかスペックとかどうでもよくて、姿かたちを見た瞬間0.01秒で、
判定が出る。というか、枕をともにしたいフォルダに分類される。
それ以外は「人間」フォルダに全部入る。ちなみに私の判断基準はやせてる一重男子、インドア系。
心の中でお気に入りとしているだけ。
彼氏は私のことが好きだったようだし、
関係も良いとおもっていたんだろうけれど。
これ、友人の関係性のほうがいいのでは?
とずっともやもやしていた。
楽しそうに笑っている彼氏を見ては、
この人は何が面白いんだろうと
ものすごく冷めた目で見ていた。
相当な近所であることが発覚したので、
宅のみを申し込んだ。
話はトントンと進み
相手の家に行くことになった。
完全な部屋着で相手の家に行った。
ゆるゆると宅のみをしていたが、
気恥ずかしいのを紛らわせるためにどんどん飲んでは、
大げさに頭を揺り動かしてアルコールが脳に浸透するように
一生懸命だった。
お互い相当によってきたことろで、
寝転がってはいちゃいちゃしていたら、
計画を完遂できた。
心でガッツポーズ。
それ以降はそういう間柄となり、
私が別の飲み会で酔って
そういう気分になったときは
性行為をして寝る。
文句なしの枕友だちで、
私はそのような存在を確保しているだけで
戦闘力が上がった気になっては
心の中でにやにやしている。
参加作品の中ではかなり異質な超人。大自然の中で育った野生児。母を探すため一番占を目指す少女。
助走なしのジャンプで地面から屋根に移動できる、地面に残った微かな臭いを嗅ぎ分ける嗅覚、小動物から熊まで懐かれる(会話は不可能)、神様を見る力がある。
昇格試験では「くろう」というスタンド占いを使えるようになった。悪霊を撃退できる、土壁程度なら破壊できる、遠く離れた出口の場所を瞬時に見つけそこまでの道のりと罠まで言い当てる事が可能。ただし自由に呼び出すことは出来ない。
弱点はハサミとカニと野生児ゆえに知識も常識もない所。迷路町に来るまで下着の存在も知らなかった。痴女。
学園生活部の戦闘担当。元運動部所属、彼ら相手に戦えるシャベル所有時の戦闘力を評価。彼ら相手とはいえ殺しを経験をしているのも強い。
原作では治療後にウェスカー化しており身体能力がさらに向上している。(ボウガンの矢をシャベルで弾く、バールで殴られても平気、静かにしていれば彼らに気づかれない)
迷路町警ら隊十番地隊長。占いは出来ないが治安維持に関わっている以上そこそこ強いと思われる。ただし破廉恥に弱い。
趣味がサバゲー。射撃訓練場の回ではエアガンとはいえ的に全弾命中させている。知的、健康的な大人というだけで十分なアドバンテージになる。
準戦闘員。くるみちゃんには劣るが運動神経が良く博学。学園生活部合流前は単独でモールに居たことから彼らの対処にも自信がある。
運動が得意。体育のテニスでは男子にも負けない腕前。テニスコートから竹林までボールをノーバンで飛ばせる
メイン4人の先生で五番占。主人公たちは十番。昇格試験を見るに運動はだめっぽい。
狐狗狸占いが可能。一度、狐狗狸占いに失敗して狐に憑りつかれた経験から、修行により狐を硬貨ではなく自分自身に降ろせるようになった。昇格試験では憑依合体で鍵を探していた。
人形占いが可能。人形のマツコさんと会話(?)出来る。マツコさんは降りてくる扉を支えられるほどパワーがある(北斗の拳のライガフウガのイメージ)。祝詞が上手く「天使の歌声」と称されるほど。これを聞いた人は癒されて場合によっては眠ることもある。昇格試験ではこれでニナ先生に勝っていた。
直感的な閃きに優れる、彼らとの戦闘経験が一応ある。めぐねぇ憑依状態時は彼女から助言を得られ、覚醒後は精神的に成長
幼児体型で体格的にはかなり不利。ただしるんに近づく男子に金属バットを躊躇なく振れる異常性を評価。ユー子への腹パン(アニメでは乳アッパー)、佐藤先生への躊躇のなさなど凶暴な一面を持つ。
頭が悪く持久力はあるが運動も得意ではない。しかし「かくれんぼの際に気配を完全に消せる」という特殊能力を持ちアニメでは分身の術を披露していた(陽子のイメージでだが)。鬼畜こけし。
頭は良いが想定外の事態に弱い。メンタルの弱さ、運動能力の低さも考慮してこの位置に。ただしるーちゃんが絡むと……。
ここから下は個人による体格、運動能力、知能の差が多少ある程度で五十歩百歩。
最弱候補はとにかくヤバイとしか言えないるん(Aチャンネル)、同じくやべー奴なねねっち(NEW GAME!)、年齢に対して体格が貧弱すぎるアリス(きんいろモザイク)、運動音痴で足が遅すぎる涼風青葉(NEW GAME!)辺りか
たとえば、ヴァイスシュヴァルツのラブライブ勢とか、
あるいはコラボ企画(アルテイルの初音ミクコラボやら、ゼクスの日本一コラボやら)、
TCGとは違うが、パズドラのコラボイベントなんかでもこういう問題は発生する。
それらのカードゲームには、純粋に武力・魔力を持った生粋の戦闘キャラが跋扈しているにもかかわらず、
アイドル活動をしてるような普通の女子高生がそいつらと渡り合えてしまう。
一方では、学園都市最強の「“超能力者”一方通行」がパワー7000であったり、伝説の魔法少女である「“エース・オブ・エース”なのは」がパワー8000であったりするのに比べると明らかに強い。
もちろん、カードゲームとして成り立っていないかというとそんなことはない。
パワーが違っても、コストやトリガー、効果、ほかのカードとの兼ね合いなどで単純に上位下位の関係にならないようになっている。
だが、パワーはパワーだ。
歌で戦うの?マクロスみたいに?
元がオリジナルのキャラを使ったカードゲームであって、企画で他作品とコラボするような時はさらに大問題になる。
ヴァイスシュヴァルツでは、あるいは「パワーとは、力ではないのだ」と言い張ることもできるかもしれないが、
たとえばゼクスなんかでは、パワーとは戦闘力のことである、としっかり定義済みである。
ソースは見つからないが、武装した人間のパワーはおよそ1000相当である、という基準値もあったと記憶している。
さて、この世界にコラボ企画で放り込まれた「流行り神」の主人公「風海警部補」のパワーは、2500である。
拳銃と警棒くらいしか装備していない一介の警官が、武装した人間の2.5倍のパワーを持っている。
さらに言うと、「真 流行り神」の主人公「北條紗希」は、パワー6500。
拳銃すら持っていない一介の女子高生が、武装した人間の6.5倍・・・。
別に、こういうコラボをすること自体は良いことだと思うし、非戦闘民を戦闘民より強くするな、と言いたいわけじゃない。
けど、パワーの上では劣るけど効果で圧倒するとか、やりようは幾らでもあるんじゃないかな。
歌を歌うキャラなら、味方のパワーを上げるとかライフ回復とかだったらすごいそれっぽいじゃん。
そもそも版権作品を使っておいて、そのキャラに全く関連のない効果とか与えられるのがすごく嫌。
これは戦闘民でも同じことで、一方通行なら攻撃の反射とか効果で再現してほしいし、なのはなら戦えば戦うほどスターライトブレイカーの威力が上がるのを再現してほしい。
そういう所こだわらないんなら、版権キャラじゃなくて良くない?テキストそのままで、名前とイラストだけ別のキャラに変えても通用するようなカードは作らないでほしい。
作画が完璧で、非常に可愛かった。ズラ丸最高。また、作画について言えば、全体的に幼くなってた印象で、例えば果南とか最初もっとキツかった感じがしたけど、目元とか丸くなって可愛らしさがアップしたと思う。
シナリオが粗い。1期最終回から1年間という期間は短かったため、手始めのシナリオは急ごしらえになってしまったのだとしたら、これはマネジメントの責任だが、1期最終回の評判の悪さを知っててなおこれだとしたら絶望的。
ネットのまとめサイトではまた廃校ネタ持ち出すの、といった感想があったが全くその通りで、一つのアニメの第1話の展開としてあまりにも盛り上がりに欠けるのではないか。そして、輝きたい!とか超抽象的なワードの連呼、これはaqoursのテーマになってるのかもしれないけど、どこらへんを指して、または具体的に何をすることが輝く、ということなのか観ていて分からない。だから全体的にふわっとした印象になる。μ'sなら廃校阻止、次にラブライブ制覇という明確な目標があったけど、aqoursの目標ってなによっていうのが分からない。これからどういう流れで話が広がっていくのか掴めない、だから観ていて不安になる。キャッチーな楽曲を出すでもなく、新たな展開を見せるだけでもなく、1話からこれか〜って感じがしたのは私だけではないんじゃないか。
aqoursのいいところは都会と地方の比較という点において、地方の緩やかで落ち着いた雰囲気であると思う。μ'sもお嬢様学校という特殊な環境ではあるが、秋葉とか都会の真ん中にあるので多少雑然とした感じがあるし、中央ゆえ、A-RISEとかライバル校に常に脅かされているような描写から緊張感も多少あった。
沼津は田舎でありかつ景観もいい、ライバルも今のところ2人組の戦闘力が高いのか低いのかよくわからないユニット位しか意識しないから(忘れているだけかもしれないが)、安定的な環境の中、学園の廃校とか問題はあるけど、こまけぇこたぁいいんだよ的な感じで、キャラクターの成長を安心して見ていられる。それはそれで萌えキャラアニメ(死語?)としては良いことだと思う。もはやズラ丸が可愛いアニメとして見続けるだろう。
先程触れた緊張感だが、μ'sとの違いについては、アニメ化されるまでの期間も考えておきたい。つまり、私はこのあたり不勉強だけど、アプリ先行で、アニメ化するまで色々な試行錯誤があったとのことで、PVとか見ているとアニメとは明らかにキャラクターとか世界観の設定が違っていたり、3Dモデルのカクカク具合が見ていて不安になる辺りなど、アニメから入った組としては、まだ未完成である印象が強い。アニメでも最初の頃は3Dモデルはもうちょっとなんとかならないか、と思ったことは少なくはない。
何が言いたいかというと、μ'sには、廃校阻止という明確なミッションがあり、かつ中央にあるがゆえの競争的環境にあり、更にコンテンツ的にも発展途中であった、キャラクターのアイデンティティー含め不安定な要素があったため、常に緊張感を見るものに与えた。そして、3年生の卒業というテーマは、ラブライブの総括的な位置づけにもなったため、アニメ以前のPVとかの歴史をある程度知っている人間にとっては、それなりのカタルシスだったのではないだろうか。
そして、aqoursにはそれがない。環境の緊張感もなければ歴史もなく、単なる二番煎じ。非常に不利だし、ズラ丸が可愛そうである。
この二番煎じという点は、想像するに、μ'sの成功体験を前提とした企画段階において、保守的な意見が勝ったのではないか。そうでなければこんなシナリオは書きようがない。
これはもしかしたら海外展開の観点から、そうせざるを得なかったのかもしれない、知らんけど。
もしμ'sと差別化しよう、という観点があったとすれば、例えば町おこし、とか、もしくはラブライブ出場ではなくもっとヒューマンドラマ的な展開に焦点を当てるとか、こういったテーマは過去にやってるだろうから、なんかのドラマをパクるとかやりようがあるだろう。その場合楽曲もμ'sより少なくなるかもしれないが、明らかにμ'sより楽曲の質が変わっているので、それはそれでありなのでは無いだろうか。とにかく下手したら劣化μ’sの烙印を押されかねないこの展開をなんとかして避けてほしいのである。まあ言ってももう遅いだろうけど。
楽曲について触れたのでそれについても言わせていただくと、今回をきっかけに、改めて昔のPVやら曲やらを見た次第である。すると明らかにμ'sとaqoursの曲の質が違う。まあこんなことは私のようなニワカ者ではなく、ファンの方々で話し尽くされているだろうから細かくは語らないけれども、一言で言うとパンチが足りない。
これはμ'sの初期設定が割と普通の高校生っぽい感じで描かれており、青春というテーマを直接的に感じさせるためかもしれない。つまり、言い表すのが難しいけれど、青春といった普遍的かつ情緒的なテーマで訴えかけてくるため、私は女子高生ではないけれど、ちょっと感情移入するのだ。古今東西やられてきたこのテーマだが、短い青春、一瞬で過ぎてしまう今を精一杯楽しみたいという、切なさである。そこでキャラクター性がそこまで確立していないPV、そして畑亜貴のキャッチーな曲は、感情にバッチリ訴えかけてくるのだ。
一方aqoursについては、まあアニメが始まるまでの期間はあるにしても、μ'sの前提知識がある状態で見ており、展開が読める。そして、まあ正直に言うと曲もちょっとトーンダウンしている。恋アクとかはμ'sに負けず劣らずだと思うけど…
だから、印象がμ'sに比べてどうしても薄くなってしまう。非常に不利だし、ズラ丸が可愛そうである。
述べたことは、そんなこと続編であれば普遍的に言えることと、と言われるだろう。aqoursが劣化μ'sとしての誹りを免れないだろうと諦めてはいる。
それでも頑張って欲しいのはひとえにズラ丸が可愛いからである。ズラ丸だけではない、ダイヤ、ルビィ、果南など、お嫁さんにしたいキャラは実はμ'sよりaquasのが多い。地方という部分も好きだ。だから、いいかげんμ's、μ's言うのはやめて、aquasらしい活躍をしてほしいのです。μ'sのプロットを改悪して乗り切ることはしないでほしいのです。
告ハラという単語が少しバズったように、唐突な愛の告白は戦略的に見て不利である。
自身に好意を持たない異性を落とせるぐらいに戦闘力が高いなら話は別だが、一般男性にとっては絶望的な戦いと言えるだろう。
よって男女の仲というものは、恋愛関係となる前から、食事やデートを重ね、最終的に交際へと至るのが常道である。
仲睦まじいカップルでも、腹の探り合いをしながら食事やデートといった面接を潜り抜け、勝利を確信した状態で告白に至ったのである。
さて、では非モテはどうして生じるのか。
中高生は、基本的に同じ授業を受け、テレビやゲームといった文化を共有しており、お互いの顔も名前も性格すらもよく知っている。
告白に至るまでのステップをクリアした者が一同に会している空間である。
また、恋愛関係になった後に出来る事も限られているし、結婚までは考えていないので気軽に彼氏彼女の関係になれるのである。
この恋愛観のまま魑魅魍魎の跋扈する恋愛市場に参戦したらどうなるか。
話が続かない、距離感が掴めなくて突飛な行動に出るといった、非モテの典型的な行動へと繋がるのである。
以上、自己紹介でした。
社会の最下層に自動的に名づけられるもの、という定義は、少し乱暴な気がする。
昨日、キモ金おっさんを自称する増田がいたが、まったくキモく感じなかった。
キモ要素を除けば比較的シンプルな経済的弱者問題になり、罵りコミュニティであるはてな界隈ですら罵り合い要素などが減少するはずで、
例えば、キモくて金のないオバハンとはむしろ共闘関係が結べておかしくないのだが、キモ金おっさんは「いざとなればウレるくせに」と牙をむく。
エマ・ワトソン的なものへの憎悪の仕方も「お前はキモ金おっさんを選ばないくせに」というセクハラ混じりの悪態になる。
この辺が、「キモ」の発生源でありやっかいさがある。性的な社会階層というか。
社会的階層の最下層であると定義するには、キモくて金のないおっさんの3要素の意味を改めて考えてみる必要があると思う。
おっさん=可塑度・取り返しのつかない度
と、上記のようにに素因数分解し、其々の戦闘力を合計15点(各点5点ずつ。高いほど残念)と設定、
合計10点程度のおっさんAとおっさんBを、仮に勝手に作ってみる。これは架空のおっさんである。
このおっさんAとおっさんのBについて、それぞれ勝手に想像してみる。仮定の架空のおっさんなので許して。
すると、Aのおっさんのほうが深い問題を持っていそうな感じがしないだろうか。
金の無さが最下層でもキモさがマシであると、やっかいさが無さそうだし可塑性が高そうに見えたりしないだろうか。
本増田は、「キモ」が、キモ金おっさん問題の要諦なのではという仮説を立てた。
個人的には、コミュニケーション不全力、それから弱者男性と自己定義する割には過剰なプライドの存在が「キモ」の源泉じゃないかと思っている。
放っておいてくれというスタンスのおっさんは「キモ金おっさん」じゃなくて、「金ないおっさん」なので、ジャンルが違う(シンプルな経済弱者)としてもいいぐらいなのかもしれない。
ちなみに、本増田は、断言はしないが、容姿については「キモくて金ないおっさん問題」のあまり多くを占めていないのではと考えている。
見た目に難があっても性格が魅力的とかそれなりに稼いでるなどのプラス要素によって平穏な家庭を持ってる人は少なくないし、
自称キモ金おっさんたちの意見を読んでいると、おそらく彼らが手に入れたいだろう「旧来的なごく普通の家族」において
夫・父がイケメン、というのは、彼ら自身にとっては必要条件ではないと考えているのではと思ったので。
女性サイドがイケメン要素を求めてくるから悪いんだ!という怒り方をしている意見があるのが、逆説的だが証左になるのではと思う。
自らイケメンでありたいというよりも、市場の要請で仕方なくイケメンを頂点としたヒエラルキーの最下層に閉じ込められたと考えている一群がありそうなので。
したがって、容姿については、キモ・金・おっさんのどれかの改善でカバー可能な従属的要素だと考えている。
もちろん十分条件しては欠かせないのだろうが、それが「キモくて金ないおっさん」状態を解消・軽減するための必要条件ではないというか。