はてなキーワード: 性的マイノリティとは
NL=
ノンケラブです
男女(なんにょ)ラブ
女男(にょなん)ラブです
上記を総称してエヌエルです.
そもそも「原作通りのカップリングが好き=ノーマル」と言う意味で利用している人もいます。
NLと言う単語を見てノーマルラブと意識的に読んでいるのはあなたではないでしょうか。
ノーマルラブ呼びを理由としてあげることで差別用語としていますが
そもそもNLやノーマルラブが「異性愛をノーマル」・「同性愛をアブノーマル」と使っているという前提が
同性愛やその他のジャンルを差別する意図で使っている人がいるならその人本人に直接言って下さい。
ノマカプ・ノーマルラブに疑問があるのならカタカナ表記を主張して下さい。
ピクシブ辞典のNLの記事に意図的にノーマルラブは差別用語であると書き込み、他の読み方の意味や男女CP好き差別の経緯を意図的に消している
百合好きと腐趣味の書き込みは見ていられませんでした。百合好きの人や腐趣味の人全てがこういう人だとは思いませんが、
他のジャンルに噛みつくように口出しすること自体がモラルもマナーもないように思えます。
これらはHLBG推奨派に多い行動かつNLアンチが推奨している単語なので男女CP好きとしては普通に使いたいと思えません。
決めつけで他者を差別していませんか。自分が嫌いだからと言葉狩りを行っていませんか。
他者に自分の考えを押しつけていませんか。都合のいいように利用していませんか。
嫌悪感をもって他の単語を利用しろと独善的にポリティカルコネクトを押しつけてくる人はただの悪意よる言葉狩りです。
そもそも「ノーマルラブ」は男女CPを普通すぎすぎて二次創作でやるとかありえないし必要ないと馬鹿にした側が利用し始めたこともあるので
ノーマルラブ呼びは男女CP好きとしても使いたくありませんし、その呼び方で使ってません。
また、あなたの社会活動やジェンダー論・フェミニズムに巻き込むためにNLを悪用しないでください。アフィブロガーと同じで信用できません。
NLが好きでないならほっておいてください。嫌いなものに粘着しててもあなたにとって損ですよ。
NLは普通に男女CPを愛でる人が繋がるためのジャンル用単語・タグです。
それ以上も以下もありません。
文脈やNL利用者がどんな使い方をしているのかを一切無視して単語のみに罪を着せている人の言いなりにならないでほしい。
少なくとも私はNLをノーラブ呼びしていない人が一人はいるということ、ただのタグの意味でしか利用していないことちゃんと知っておいてください。
そしてできれば男女CP好きかつ、異性愛好き差別的な活動をしている人に疑問がある人はNL使って下さい。
決めつけで差別者扱いされてイライラすることも多いと思いますが、その時間を作品やNLを愛でることに使ってほしいです。
参考資料。
https://togetter.com/li/1003018
id=guchihaki&tid=688&PHPSESSID=tcl6tmn8abujaf8i82urbnlkf3
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10127774025
腐女子嫌いな性的マイノリティによる腐女子愚痴AND考察ブログ
http://antisexual.blog.fc2.com/blog-entry-99.html
http://nanos.jp/nchangen/page/1/
9月14日ナカイの窓 ヲタクダンサー217「BL好き、NL(ニュートラルラブ)は安い恋愛、時代遅れ」発言で炎上 「うざい、きもい」
https://twitter.com/ore_nico/status/816672105475416066
「LGBTに差別意識はないけど、男からするとレズは本当にもったいない。あとホモは、おれだけは襲わないでくれ。出川が昔電波少年でホモに襲われるのを見て、マジで恐いと思った」
“けど”という言葉を使うということは、その後ろに差別的な内容がくることをどこかでちゃんとわかっているのだろう
「男からすると」
本人の別ツイートによると、「相手が男にも興味あれば自分にもチャンスがあるかもしれない」という気持ちから出た“もったいない”らしい
人のセクシャリティの変容を願う話、他者のアイデンティティにも関わるデリケートな話題である可能性が高いので、安易にLGBTという言葉と同じツイートで用いるべきではない
これまで性的マイノリティの多くが「もったいない」と言われることに対してどう感じてきたか、想像することは難しいのだろうか
「あとホモは、おれだけは襲わないでくれ」
本人の別ツイートによると、「この“ホモ”の中には“レイプ犯の”という意味が内包されている」らしい
“襲ってくる”人であれば“レイプ犯”であるが、“襲う”という言葉と何ら関係ない“ホモ”に“レイプ犯の”という意味をつけようとしている
「出川が昔電波少年でホモに襲われるのを見て、マジで恐いと思った」
この番組を見たことはないが、人に恐怖心を与える番組や企画が今はなくなっていて良かったと思う
“曲解”や“勝手に付け加えられた”という発言が多いが、自分の発言がどう読まれるのか想像ができていない
ただのツイートならまだしも、人様のツイートを引用RTまでして発言するならそれくらいの想像力をもって、最初から誤解のない発言をするよう気をつけるべき
そして、“レズ”や“ホモ”へ擁護のリプやRT言及があるのを見るに、やはりまだ性的少数者への認識は“弱者”なんだと改めて感じた
最近は丁寧に性的少数者を扱ったコンテンツが増え、アライとして寄り添おうとする人も増えたと感じていたが、もちろん様々な人がいてすべての人々が分かり合えるわけではない
しかし、今は過渡期
いつかこういったツイート程度では燃えないほど、性的少数者が“弱者”ではなくなる日が来ることを願う
https://twitter.com/ore_nico/status/817068958691905536
https://twitter.com/ore_nico/status/817069654103375872
せっかくなので誤解が少なくなるよう書き換えてみる(引用RTでなく、RT後の言及でもないことが望ましい)
今まではノーマルだと思っていたけど、どうしても異性の好みについて同性と話が合わないことに悩んでいた。
ところが昨日のクリスマスパーティーでのこと。
たまた席が隣になったビアンの人と妙に話が盛り上がって、話し込んでいるうちに妙に納得できる言葉を言われた。
異性に媚びるような姿をみるとそれだけで腹立たしかったし、むしろ憎らしくも思っていた。
それに対して、今までお付き合いした女性は大体年上であるし、憧れてきた人は全て自分を引っ張ってくれるような人だった。
周囲からは化粧っ気がないなんて言われることが多いような女性ばかりで、実際に化粧の濃い女性よりもすっぴんに近い女性ばかりに憧れていた。
セックスの最中は義務のように責める言葉を口にしてはいたが、本当は相手から優しい言葉をかけてもらいたいといつも思っていた。
腕枕するよりも、背中から抱きしめられることのほうが何倍も嬉しいのだが、それも口に出来ずに悩んでいた。
今まではそれをマザコンが原因だと思っていた。なのに、母親に抱きしめてもらいたいとも思わないし自分でも矛盾しているとは思っていた。
思い当たるフシがないわけではない。
思春期の頃、同性からも異性からも性的暴力を振るわれたことがあった。詳細を書くことは憚られるがいわゆる痴漢行為だ。
それも一度ではなく、内容も電車内での軽いものもあれば、見知らぬ相手に逃げ場のない場所で触られたり触ることを強要されたこともあった。
同性からも異性からも、見知らぬ相手から性的なアピールを受けることは恐怖でしかなかった。
いわゆる一般的なイケメンとは程遠い風貌であるし、何かにずば抜けた才能を持ち合わせているわけでもないのだが、何となくふとした仕草や言葉の一つ一つにトキメキのようなものを感じてしまったのだ。
それはまだ思春期を迎える前で、なんとなくそのことがおかしいことだとは思っていたが、その相手に会うことが楽しみで仕方なかった。
ただ、そんな気持ちも性的暴力に遭ってからと言うもの、芽生えると同時に嫌悪感で黙殺されるようになってしまった。
女性とはじめておつきあいしたのは二十歳を過ぎてからで、はじめはお付き合いをするつもりもなかったのだけど相手の一方的な押しに負けてしまった。
セックスに好奇心があったことは否定しないが、相手に気を使わせまいと教科書通りの言葉を並べてみながらも、終わってみても自慰行為との違いがよくわからなかった。
それからもセックスの楽しさがわからないまま数人の女性とおつきあいをしたが、凛とした姿に憧れて付き合い始めた女性が、ベッドで猫のように唸る姿を見るたびに幻滅を繰り返した。
でも、昨日の夜は違った。
話の流れからお互いの好奇心が一致したことで、ビアンの女性とセックスすることになったのだ。
その人はいわゆるタチで、こちらの気持ちが高まるのを待ってくれているかのようにやさしく、それでいて頼もしくリードを続けてくれた。
挿入を嫌がるわけでもなく、最後はこちらが果てるのに合わせるように絶頂を迎えていた。
事後のケアも男性の仕事だと思いこんでいたのに、その女性はそんなわたしの行動を制止すると急にわたしのことを優しく抱え込んできたのだ。
今までは性欲を処理するための義務的な行為だっと思い込んでいたセックスが、これほどまでに愛情を交わし合う事のできる崇高な儀式であるということに気付いたのだ。
「わたしもいい経験ができたよ」と、その女性は去っていってしまった。
もともとが同性愛者なのだから、わたしの一方的な想いだけで拘束してしまうのは悪いような気もした。
だけど、今までずっとずっと心につかえてきたわだかまりは、すっかりと溶けて消えていってしまったように思えた。
もう色々なことで重く辛く悩む必要がなくなったのだ。
今まで付き合ってくれた女性には申し訳ないと思う気持ちで一杯だが、きっとわかってくれるだろう。
自分がマイノリティであることを受け入れることは恐怖かも知れないが、自分を騙して生き続けることの苦しさに比べればきっと小さなことに違いない。
本当のわたしを好んでくれる人は男性と女性のわたしのどちらを気に入ってくれるのだろうか。
フェミニンな格好に興味がなかったわけではないが、それによって男性から性的な視線を送られることを考えると恐怖が勝ってしまっていた。
これからの格好はそんなことをもう少し悩んでから決めたいと思う。むしろ相手に合わせて変えられる自由があると考えると、わくわくした気持ちでいっぱいになった。
トラウマがもとで性的マイノリティのコミュニティを嫌悪するように避けていた自分にとって、本当の自分を発見することはとても困難なことでした。
だからもし同じような状況で悩み苦しむ人がいるのなら、ヒントになってくれれば何よりと思って文字にしてみました。
自分を見つけられずに悩んでいる人にとって、素敵なクリスマスプレゼントになりますように。
成宮氏の引退理由として一番に本人が挙げたものは確かに本人の言う通りで、自分の意志とは関係なく明らかにするものではないと思うんだけど(それがマイノリティであるかどうかに関わらず)、
コカイン自体をもしもやっていたとしたら、それはそれでダメなことだと思うわけです。
そもそも外野がとやかく言うことでもないんだけど(それを言うと芸能ニュースのほとんどが消える)、セクシャリティとコカインのことは別にして考えなくてはいけないのでは?っていう。
もしも、週刊誌の言うように明らかな録音があったとして、結果的に今回は尿検査はシロだったって話だから一緒にしてもいいのかもしれないけど「成宮君はこんな性的マイノリティに不寛容な日本じゃなくて海外で活躍したらいい」みたいなのもちょっと違うんじゃない?みたいな。なんかズレてない?
これ、アマゾンがLO及びLOコミックス、あとムーグコミックスとか、ようするに「ロリ系」のエロマンガを扱わなくなったのを受けての延長上の話だよね。
なんだか悩ましい話で、俺はロリエロマンガ大好きだからネガティブ反応なんだけど、法的規制されてるわけじゃないのに販売業者が自主規制的に(多分ユーザからの指摘で)扱いをやめるのって結構つらい話な気がする。
ロリ系を買うのなんて当然ロリコンなわけであって、だからロリ系成人コンテンツに常々ついてまわる話で「なんの為に存在してるの?」「こういうのがあるから(潜在的ロリコンが喚起されて)ロリ系犯罪が起きるんじゃないの?」ってテーゼがあって。
これは本当に、否定しがたい話なんだよね。
「犯罪しない系ロリコン」の人にしてみれば、「俺は絶対実在ロリに手ぇ出したりしないから、せめて二次元で欲望を満たさせてくれよ、ロリエロマンガとかでオナニーさせてくれよ」って話なんだけど、「ロリエロマンガを読んだことによって『なるほど実在ロリをハイエースとかして犯せばいいんだ』って思う層」というのが存在するのかも知れない、というのは否定しがたい、不在を実証出来ない話なんだよ。
これ言うと他のセクマイの人に物凄い拒否反応されるんだけど、ロリコンってやっぱり「性的マイノリティ」なんだよね。
「いわゆる『セクマイ』」とは別物なんだけど、「性的嗜好という面において『少数者(マイノリティ)』である」というのは事実なんだよ。
性嗜好として、多数者ではないし、一般に認められがたい嗜好なのであるよ。
大多数の「ロリコン」は、「本当の正直な本音」として「チャンスさえあったら少女・幼女とセックスしたい」と思ってる。思ってるんだけど、「拉致・誘拐・略取して、強姦(自主的同意なく、事実上無理矢理セックス)」とかは避けたくて、無理矢理(少女・幼女を悲しませる、痛い思いをさせる、辛い思いをさせる、及び自分が犯罪者になる、ということを)するくらいならオナニーで我慢する、と思ってる。
世紀末荒野ならまだしも、現代社会で、先のことを考えずに「幼女・少女とセックスしたい・する!」と思うロリコンはごくごく少数だ、と思う。
こちら19歳ゲイ、ノンケとして生活してるが思うことをつらつら書いてみる。
・ゲイについての考え
これは捉え方次第だと思うけど、自分の場合はマイノリティーであることをむしろラッキーだと思うことにしてる。
世間でいわゆる”普通”とされること、例えば結婚、子育てなんかは難しいし、挙げた2つは人生の中での一大イベントでもあるから、確かにそれを考えると辛いことかもしれない。まあでも、ゲイであることは変わらないから仕方ないよねって思ってあっさり割り切ってる。
今はネットでゲイフレンドなんてたくさん探せるし、ゲイっていう共通点があるだけで普通なら絶対会わないような人に会えることなんかは割と得な点なのかなあと思ってる。
・仕草がでる
ゲイっていっても色々カテゴライズされてる(多分)わけだが、自分の場合は”男として生きたい”タイプ。でも、いわゆるオネエっぽい仕草が出てるらしいんだよね。実際、自分は男っぽく振舞ってるつもりで自覚症状は無いんだけど他人からよく言われる。
自分みたいなタイプは実際多いらしいけど、本当にこればかりはなかなか直すことは難しい。意識してるものじゃないからね。思うに、日本の場合、ゲイ=オカマっていうイメージというか意識を根底に持ってるから自分もそうなってしまったのかな?って思ってる。
ゲイへの認識を広めたいだとか、理解を深めたいとかいう人は別だけど普通の人は別に必要ないんじゃないかなと個人的には思ってる。正直リスクが高いのが問題。どんなに仲のいい友達、親だとしても”ゲイ”に対してどういう思いを持っているか、はたまた身近にいることを知ったらどういう反応をするかなんて予測することが難しいし。多分大概は受け入れてくれると思うんだけど、自分の場合は逆にカミングアウトした後にその人が実際心の中でどう思ってるのかをずっと想像してしまうと思うんだよね。
あとは、ちょっと相手の態度が冷たかったりなんかしたときは、自分がゲイだからかなあなんて全部に”ゲイだから”っていう理由付けをしてしまって結局カミングアウトしたことを後悔なんてことになるんじゃないかなあと思う。
カミングアウトの必要性について語ったけど、自分もリスクが”全く”ないなら絶対にするだろうね。少しでもリスクがあるならしないけどね。
まあだからこそ、自分が性的マイノリティーだってことを堂々と公表してる人は本当に尊敬してるし、身近にそういう人がいるんなら前述したことを少し思い出してもらえたらと思う。
・ノンケへの期待
大体ノンケからするとゲイは脅威というか襲われるみたいな意見が多いと思う。自分の場合、ゲイの友達が多いわけではないので一概に言うことはできないが、少なくとも自分の場合、100%無理だと分かってるから手を出すことなんて絶対にあり得ない。
実際小学生、中学生くらいのときは「こいつ…、もしかして俺のこと…!?」なんて絵空事を考えていた事があったことは否定しない。大抵そういう幻想が打ち砕かれるのは、そいつがあの女優は可愛いだの、クラスのあの子が可愛いだの女の話をしてきたときだったのは割と覚えてる。
アニメや漫画なんかでは「お前も男が好きだったのか…!!」なんて話はあるけど、所詮は非現実のこと。10人に1人はゲイとは言われているものの、実際に身近にゲイなんて滅多に滅多に滅多にいない。そういうわけで、期待は全くしてないし手も絶対に出さないね。
ゲイ同士が出会うことは実際簡単でアプリを利用して出会う場合が多い。
ただそのアプリが悩みの種なんだが、顔又はプロフィールでその人を全て判断するしかないからコンタクトを取ることがなかなか難しい。
大体顔が良くなきゃチャットすらもしてもらえないからね。ゲイを隠してる自分にとっては例えゲイしか使わないアプリだとしても顔を晒すのなんてリスクの塊すぎてハードル高いんだよね。でも載せなきゃ出会いはほとんど無いわけだし…難しいわ。
あと、大体出会う=ヤるみたいな感じになってるところも悩みどころ。というか実際プロフィールにも「ヤリ目です」って堂々と書いてる人も多いんだけどね。自分は”恋愛”を楽しみたいと思う派だから、その点に関してはノーマルだったらなあと思うところではある。もちろん普通に恋愛してる人もいる。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www3.nhk.or.jp/news/html/20161104/k10010756371000.html
ブコメの反応が思った以上に否定的で驚いたんだけど、よく考えたら、なんの前知識もなければ私も文句つけてたと思う。
記事の中に
「ほかの学校で応用する場合、当事者本人の意向を丁寧に確認して対応していく必要がある」
私は愛媛に住んでいて、丹原東中の挑戦を割と近いところから見ている。
2014年度、文科省人権教育研究指定校となった丹原東中は、当時の校長の発案で「性的マイノリティ」を題材に取り上げた。
独自に資料、書籍を集めたほか、愛媛のLGBT当事者団体と連絡をとり、教材作りから全面的な協力を受けている。
当事者団体の代表は、最初に「生徒さんの中にもいると思われますが、当事者探しをするようなことにだけはならないように」とお願いした。
中学生の中には「マイノリティ」の意味もわからない段階の子もいる。繊細な問題を、焦らず段階を追って教えることに、先生方は大変な努力をして取り組んだ。
私は、LGBT当事者サイドからその取り組みを追っていた。正直最初は不安だったが、日を追うごとに生徒の様子が変化するさまを見ると、素晴らしい経過をたどっていることがわかった。
それは実際の生徒の言葉からも感じられると思う。段階を踏んで、このように変化した。
「最初は、どうせ『道徳の時間』を作るための授業だろうと軽く考えていた」
↓
「世の中にはそういう人もいるんだ」
↓
「社会に偏見があるとわかって、家族や友人に、言えなくて苦しんでいる人がいるかもしれないと思った」
↓
「今はまだわからないだけで、自分が『性的マイノリティ』の可能性もある」
周囲の人を思いやる段階さえ過ぎて、自分のこととして捉える感性が育っているのだ。
丹原東中の性的マイノリティ学習は、「性的マイノリティの知識を身につけ差別をなくしていく」という趣旨で始まったが、学校側や関わったLGBT団体の期待した以上の良い変化を生徒にもたらした。
精神的に安定し、穏やかになった。
セクシャリティに限らず、相手が何か問題を抱えている可能性に配慮し、また、自分の抱えている問題を相手が暴くことはない、という信頼関係が生まれ育っている。
こういった学校であるから、まだ教育を受けておらず差別的な言動をしてしまう新入生がいても、徐々に人権感覚を身につけていく。
3年にわたる連続した学習があって「思いやりトイレを使ってもいじめられることなどにはならない」と、確信を得て今回に至ったのだ。
また、元記事中で使われている「LGBT」という用語は、レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー(トランスセクシュアル)の頭文字からきた言葉ではあるが、そのほかにも様々にある性的マイノリティの総称だ。「トランスジェンダーの方に配慮」といった時にこぼれ落ちてしまう性的マイノリティを含むという考えでこの言葉を使っているのだと思うので、LGBには関係ないなんて責め方しないでやってください。
ごめんなさい,タイトルは半分釣りです.増田に投下して忌憚のない意見を頂きたい.
最近こう,考えたんですけど,性的マイノリティな人々と付き合っていくために,その嗜好を受け入れたり,理解したり必要なんて無いと思うんですよ.
例えばの話なんですけど,私はね,行儀悪いんですけど,40円ぐらいで売ってるポテトスナック有るじゃないですか.
ポテチよりも大きい,味濃いあれですよ.表になんかわけわかんないキャラクターがいるあれ.あれとご飯食べるのが好きなんですよ.
でもまぁ,理解なんてされるわけ無いでしょう.そらそうだよ,だって,普通の人そんなことしないもん.大体ドン引きされるので人にも話しません.
でもさ,これと同性愛って何が違うんだろうなぁとも思うわけですよ.
もちろん,行政上の手続きとか,そういう制度や決まり関連でつらい部分は死ぬほど有ると思うので,その点では同じとは絶対にいえないと思うし,
多分生理的な欲求が根本的に異なっているという意味では,私がその苦しい部分を理解できることは一生ないと思うんです.
ただ,少なくともこの,他人に理解されない嗜好を持っているという部分では別に大きく違う気もしなくて.
別にさ,そんなもん理解しなくたって,人付き合いはできるじゃない.そんなもんなんじゃないですか.
ごめんなさいね,書いててこう,いろいろ破綻している気がしてきたんですけど,理想的にはこれぐらい軽く見れる社会が一番良いのではないかと思うんです.
え,なに?お前同性好きなの?いや,それはないわwwwwという文言を,それこそ,目玉焼きにソースかけるのを否定するぐらい,
それぐらい適当で,なんならどうでもいい話ぐらいに,軽い気持ちで言えるようになるのが良いもんなんじゃないでしょうか?
でもこれもマズいのかなぁ.そもそもこういうネタで普段から言い合っているのが楽しいと思うのが私だけかもしれないので,
その点でもずれているかもしれないけど.
結局,どうなるのが最も理想的なんでしょう.
私はタイトルの通り,そんなものを受け入れて,理解して,なんてプロセスを経て人付き合いをする必要なんて無いと思います.
もうちょっとこう,差別感を持っている人を,うまいこと何とか出来ないもんなんでしょうかね.
なんとかする必要がないというのが,私が言っていることのすべてのような気もするのですが.
なんとなく放送大学を見てたらlgbtのなんたらいう番組をやってた。男から女になった人と女から男になった人と司会の人で、まぁ内容としてはゴリゴリ勉強するというよりも鼎談みたいな感じのことをしてて。そこらへんはよかったんですけど。
出演者の女性(元男性)が、派手な和装のクラブママみたいな感じの人で新宿2丁目で働いてるらしいんですけど、番組の最後で歌謡曲を歌いだしたんですよ。いきなり。なんか「その演出いる?」と思って。なんか、いる? それいる? ってなって。
番組の目的はよく知らないんだけども、「男らしさ」とか「女らしさ」とかいう固定観念がlgbtの人たちの足を引っ張る枷になってる部分もあると思うんですけど、「ゲイっぽさ」みたいのも固定観念じゃん。なんでそこをわざわざ強調する(ように見えることをする)のかなと思って。
死ぬほど当たり前のことを書くけど「男」の中にも色々いるわけじゃん。男がみんな車とロボットとスポーツが好きな訳じゃないじゃん。ゲイの人にも色々いるわけじゃん。mtfの人も「派手な衣装でメイク盛り盛りで人前で唄ったりするのが好きな人」ばっかじゃないじゃん。絶対に。
少数派、性的マイノリティのそういう生き方(ex.新宿2丁目のゲイバーで働くmtf)があると知らしめる。それがひいては偏見をなくす道である。わかる。わかるが「マイノリティの中のマイノリティ」の生き方ばかりが取りざたされて、やたら目立ってしまうのは、「マイノリティの中のマジョリティ」にとって不本意なことではなかろうか。
直近の例では、とある裁判官の人が半裸の写真をネットに云々ていう、それは全然よくて。ああこの人はそういう人なのねって感じなんですけど。なんかそれをまた別の検事だかの人が支援とかいってパンイチの写真アップとかしてて。それは余計じゃねぇの。普通に「支援」を表明するだけじゃダメだったのって。
そういうの見てると「ゲイのおじさんて脱ぎたがりなの?」みたいなイメージになっちゃうような気がして。マイノリティの中のサイレントマジョリティではないが、ゲイのおじさんでも「自分の裸をネットにあげたくない人」の方が多いと思うんだけど(裏は取ってない)、そういう人の声ってわざわざ出てこないじゃん。ネットで裸を見せたがる人もいれば「好きな人の前じゃないと脱げない」ていう人も恐らくいるわけじゃん。
でも脱ぎたがりな人たちのそういうのばっかが見えてくる感じだと、ふっつーの、なんかもう着飾って人前で唄ったり、裸の写真をアップしたりしない、もう極めてありふれたふっつーの暮らしがしたいと思ってる人たちからすれば「自分は違うんだけど」みたいな、どうにもモヤモヤするというか、釈然としない気持ちになってんじゃないのかな、と思ったり。
果たしてゲイらしさ(とはなんだ、という話もあるが)をあえて強調することは、当人たちにとってなんか意味のあることなんだろうか。単にアイデンティティの発露(そういうクイアな部分が当人たちの精神的支柱になっているからもはや否定できないとか)なのかもしれないが。ゲイパレードの映像に出てくるドラァグの人たちとかを見るたびになんとなく思う。あるいはそういう「おもしろいところ」から大衆に受け入れてもらおうという気持ちなのかもしれないが。それは諸刃の剣であるよな、という気もして。
念のため書いておくけどドラァグとか裸体をアップする人とかに「そういうのやめろ」と言いたいのではない。あの人たちは、それぞれそういう人ってだけのことであって好きにやったらよいと思うし。気になるのはそれを個人の特性と捉えず「mtfは全部ああいう感じの人なんだー」みたく十把一絡げに考えてしまう人が多いのではないか? さらにそういった「らしい」部分を無意識に強調してしまうことが当事者の中でも少なくないのではないか? という点。
「そういう人もいるけど、そうでない人もたくさんいる」ていう意識が一般的である状態に持っていかないといけないのでは? それにはふっつーの暮らしをしてるlgbtの人たちがたくさんいるってことをちゃんと伝えるべきなのでは、と思う。ところで放送大学の番組に出ていたftmの人は、そこらへんにいそうな感じ(失礼)の兄ちゃんだった。「男から女になる」ことの難しさも一つの要因なんだろうな。
余談ではあるが以前からlgbtに対する風当たりの強さを理不尽に感じることが多くて、放送大学のやつがきっかけでなんとなく書いてみたんだけど、しかしこのエントリもまた自分自身の「差別意識」を赤裸々にするんだろうな。それを指摘されたい、という気持ちもまたあるので、ぜひ気付かせてほしい。
大学は文学部だった。女子のうちのオタク・サブカルっぽい連中の一定数が、とってつけたように社会学的なものに目覚めてファッションのようにそれを用いていたのが、とにかく違和感があった。はっきり言うと嫌いだった。
女子のある層が中高生の時に椎名林檎的なものに目覚めるのと同じ様に、なぜか社会学に目覚めた。性的マイノリティの話題やジェンダーの話。
これらは大切な要素なんだが、ファッションでやっていた。血肉としてやっていなかった。だって卒業~就職ころまでにはそんな話誰もしなくなってエントリーシートや面接や内定者交流会の話。就職してからは会社やカフェやビジネス本の話。
当たり前といえば当たり前なんだが、誰ももう社会学を顧みなくなってしまった。大二病?
私はこの態度が個人的に違和感があって大学院にまで行ってしまった。今は学校で地歴公民の先生をしている。
学問をファッションにすることは、学問的態度からはもっとも遠い。
その漫画のことは知らないけど、漫画家が無知であると同時に、編集の意識も低いからそれが当事者にとってどう映るかまでは考えていないってのはよくあることだね
漫画「にがくてあまい」が映画になるみたいで、街中でポスター見て、読んだことをとても後悔したことを思い出してしまった。
うろ覚えで書くから不正確かもしんないけど、どうしてもどこかに吐き出しときたくて増田を利用させてもらうことにした。
(ちょっと不快感を抑えてでも読み返すかと思ったけど、どうやら電子書籍の購入記録すら消してたようで。)
主人公の女性と、同居人(というか家主)のイケメンなゲイの人が出てくるんだけど、その描写が性的マイノリティーの葛藤とか周囲との軋轢とか完全に無視しててさ。
しまいにはゲイの人が主人公に惚れそうな描写が出てくるんだよね。
なにそれ。
これってゲイというかLGBT全体への差別を助長する表現だよね?
そういう感受性も想像力もないからさ、登場人物の心の動きもわけわかんないんだろうな。
ついでに言うと、いろんな人が頑張って活動してきて、少しづつ差別なくそうとしてきて、今があるわけでしょ?
今の状況が完璧だとは思わないけどさ、そういう活動への敬意もないよね。作者には。
自分がそうでもないし、友人にもいないし。
そういう苦しみを持ってる人がいるのは知ってるけど、直接悩みを聞いたことがあるわけでもない。
何でこんなにムカついて、怒ってんのか、自分でもうまくまとめられた気がしない。
それでも何か言わずにいられなかったので、ここに残させてもらいます。
追記
http://anond.hatelabo.jp/20160424153651
いじめっ子がいじめられっ子に対して、お前はパンダだから、笹食えないのは病気だって言ってたとする。
最終的に笹食えるようになってよかったね。おめでとう。って言ってる。
増田はゲイで過去にもいくつか(セクシャルマイノリティサークルの現実とか腐女子のみなさんへの2つの提案とか)書いてきたのだけど、今日は分断統治されそうになったというお話をします。そう、あのイギリスがやったアレ。今回イギリスポジションに誰がいるかというと馳浩文部科学大臣を擁する現内閣です。
馳浩文部科学大臣記者会見録(平成28年1月29日):文部科学省
大臣会見なのだが、めちゃくちゃまともなことを言ってて、あれ自民党なのこのひと??ってレベルでびっくりして評価している事例です。実際、「性同一性障害や同性愛などの性的マイノリティー(LGBT)に関する超党派の議員連盟」(LGBT巡る超党派議連、立法検討チーム設置 :日本経済新聞より)の会長をやっている。
谷合氏は、教育現場における自殺対策の現状を確認。その上で、自殺のハイリスク者とされる性的少数者(LGBT)の児童への差別解消や理解促進に取り組むべきと求めた。
大臣会見ではとりあえず議論を進めようなのだが、公明党の議員による質問をまとめた記事を見ると、若年のLGBTが自殺ハイリスク層であるという最もLGBTの問題としてクリティカルなところを、的確に問題として捉え、しっかり具体的な対策をしようとしているのが分かる。超まとも。これは余談だけど渋谷区のアレを中心としたLGBTブームはここを解決しようとする意思が見えないからなんか嫌だなって思ってる。特に渋谷区のやつは婚姻届よりも費用かかってて謎い。
馳浩文部科学大臣記者会見録(平成28年3月29日):文部科学省
さて、そんなわけで、自民党もまともになってきたかな、自民党はともかく馳浩はまともなのかなと思ったら、これである。文科省から各自治体に対して朝鮮学校の高等部に対する補助を、北朝鮮の仕業を踏まえて考えろ、実質やめろって言ってる通知が出たのだが、記者会見でのこの歯切れの悪さ。言質取られたら負けって分かってて察せよというメッセージを組み込んだ、完全に自分が悪いことをしているとわかってる悪人の仕事である。シンプルに在日差別である。これに関しては、朝日の社説がよくまとまっていた。
http://www.asahi.com/articles/DA3S12268692.html
さて、このニュース、最初に聞いた時は完全にスルーしていた。自分は在日でも北朝鮮人でも韓国人でもないからだ。この言い回しをして気づいた。これってまさに"彼らが最初共産主義者を攻撃したとき"(彼らが最初共産主義者を攻撃したとき - Wikipedia)ってやつじゃんって。本当にびっくりした。まさにいま自分がその状況に置かれようとしているとはって。
日本が最後に戦争に負けて70年。全体主義がこういう形で復活してきたんだなって感慨深い。感慨深めてちゃ日本人としてダメなので、どうにかして朝鮮学校に関して支援できないかって思ってるのだけど、具体的にはどうしたらいいものかが分からない。方策を知っている方は教えてほしい。日本でまた全体主義が復活するのはかんべんなのだ。
増田はゲイで過去にもいくつか(セクシャルマイノリティサークルの現実とか腐女子のみなさんへの2つの提案とか)書いてきたのだけど、今日は分断統治されそうになったというお話をします。そう、あのイギリスがやったアレ。今回イギリスポジションに誰がいるかというと馳浩文部科学大臣を擁する現内閣です。
馳浩文部科学大臣記者会見録(平成28年1月29日):文部科学省
大臣会見なのだが、めちゃくちゃまともなことを言ってて、あれ自民党なのこのひと??ってレベルでびっくりして評価している事例です。実際、「性同一性障害や同性愛などの性的マイノリティー(LGBT)に関する超党派の議員連盟」(LGBT巡る超党派議連、立法検討チーム設置 :日本経済新聞より)の会長をやっている。
谷合氏は、教育現場における自殺対策の現状を確認。その上で、自殺のハイリスク者とされる性的少数者(LGBT)の児童への差別解消や理解促進に取り組むべきと求めた。
大臣会見ではとりあえず議論を進めようなのだが、公明党の議員による質問をまとめた記事を見ると、若年のLGBTが自殺ハイリスク層であるという最もLGBTの問題としてクリティカルなところを、的確に問題として捉え、しっかり具体的な対策をしようとしているのが分かる。超まとも。これは余談だけど渋谷区のアレを中心としたLGBTブームはここを解決しようとする意思が見えないからなんか嫌だなって思ってる。特に渋谷区のやつは婚姻届よりも費用かかってて謎い。
馳浩文部科学大臣記者会見録(平成28年3月29日):文部科学省
さて、そんなわけで、自民党もまともになってきたかな、自民党はともかく馳浩はまともなのかなと思ったら、これである。文科省から各自治体に対して朝鮮学校の高等部に対する補助を、北朝鮮の仕業を踏まえて考えろ、実質やめろって言ってる通知が出たのだが、記者会見でのこの歯切れの悪さ。言質取られたら負けって分かってて察せよというメッセージを組み込んだ、完全に自分が悪いことをしているとわかってる悪人の仕事である。シンプルに在日差別である。これに関しては、朝日の社説がよくまとまっていた。
http://www.asahi.com/articles/DA3S12268692.html
さて、このニュース、最初に聞いた時は完全にスルーしていた。自分は在日でも北朝鮮人でも韓国人でもないからだ。この言い回しをして気づいた。これってまさに"彼らが最初共産主義者を攻撃したとき"(彼らが最初共産主義者を攻撃したとき - Wikipedia)ってやつじゃんって。本当にびっくりした。まさにいま自分がその状況に置かれようとしているとはって。
日本が最後に戦争に負けて70年。全体主義がこういう形で復活してきたんだなって感慨深い。感慨深めてちゃ日本人としてダメなので、どうにかして朝鮮学校に関して支援できないかって思ってるのだけど、具体的にはどうしたらいいものかが分からない。方策を知っている方は教えてほしい。日本でまた全体主義が復活するのはかんべんなのだ。