http://b.hatena.ne.jp/entry/www3.nhk.or.jp/news/html/20161104/k10010756371000.html
ブコメの反応が思った以上に否定的で驚いたんだけど、よく考えたら、なんの前知識もなければ私も文句つけてたと思う。
記事の中に
「ほかの学校で応用する場合、当事者本人の意向を丁寧に確認して対応していく必要がある」
私は愛媛に住んでいて、丹原東中の挑戦を割と近いところから見ている。
2014年度、文科省人権教育研究指定校となった丹原東中は、当時の校長の発案で「性的マイノリティ」を題材に取り上げた。
独自に資料、書籍を集めたほか、愛媛のLGBT当事者団体と連絡をとり、教材作りから全面的な協力を受けている。
当事者団体の代表は、最初に「生徒さんの中にもいると思われますが、当事者探しをするようなことにだけはならないように」とお願いした。
中学生の中には「マイノリティ」の意味もわからない段階の子もいる。繊細な問題を、焦らず段階を追って教えることに、先生方は大変な努力をして取り組んだ。
私は、LGBT当事者サイドからその取り組みを追っていた。正直最初は不安だったが、日を追うごとに生徒の様子が変化するさまを見ると、素晴らしい経過をたどっていることがわかった。
それは実際の生徒の言葉からも感じられると思う。段階を踏んで、このように変化した。
「最初は、どうせ『道徳の時間』を作るための授業だろうと軽く考えていた」
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「世の中にはそういう人もいるんだ」
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「社会に偏見があるとわかって、家族や友人に、言えなくて苦しんでいる人がいるかもしれないと思った」
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「今はまだわからないだけで、自分が『性的マイノリティ』の可能性もある」
周囲の人を思いやる段階さえ過ぎて、自分のこととして捉える感性が育っているのだ。
丹原東中の性的マイノリティ学習は、「性的マイノリティの知識を身につけ差別をなくしていく」という趣旨で始まったが、学校側や関わったLGBT団体の期待した以上の良い変化を生徒にもたらした。
精神的に安定し、穏やかになった。
セクシャリティに限らず、相手が何か問題を抱えている可能性に配慮し、また、自分の抱えている問題を相手が暴くことはない、という信頼関係が生まれ育っている。
こういった学校であるから、まだ教育を受けておらず差別的な言動をしてしまう新入生がいても、徐々に人権感覚を身につけていく。
3年にわたる連続した学習があって「思いやりトイレを使ってもいじめられることなどにはならない」と、確信を得て今回に至ったのだ。
また、元記事中で使われている「LGBT」という用語は、レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー(トランスセクシュアル)の頭文字からきた言葉ではあるが、そのほかにも様々にある性的マイノリティの総称だ。「トランスジェンダーの方に配慮」といった時にこぼれ落ちてしまう性的マイノリティを含むという考えでこの言葉を使っているのだと思うので、LGBには関係ないなんて責め方しないでやってください。
見たけど思ったより好意的な内容だった 叩くというより批判みたいな感じ まぁ前提として取り組み自体を否定してるのはそんなにいないんだよね