はてなキーワード: 古今東西とは
古今東西インターネットファイトの場では、気に食わない相手方をお金をもらって動員されている工作員だとサイキックで感知する人がいます。まぁそれはいいんです。実際にDappiみたいな例もありますし。
10年以上毎日はてブやってて、日中帯含めて1日5件以上飽きずにブコメでレスバ、過去の投稿見るとファミコンやセガサターンがどうとか1980年代のインターネットはどうとか言っているから、優に50歳は超えているっぽい。しかもそんな人が一人二人じゃなくて大勢いる。
いや怖すぎん?「本物」じゃん。人生何がどうなったら何十年も飽きずに男女論にブコメし続ける50代限界男性になるの?まだお金貰って仕事で特定勢力を叩いていますって言ってくれた方がいい。
お前らもそうだよな?実は自民党・立民党・その他全政党・天皇・アメリカ・中国・ロシアすべてを裏から操る✝✝✝闇の秘密結社✝✝✝からお金を貰って敵対勢力を攻撃しているだけだよな?
特にお金とかは貰っていないのに自発的に何十年も飽きずに女叩きブコメし続ける、エヴァのNERVみたいな巨大な秘密組織が暗躍してるとかシラフで信じている50代限界男性なんて実在しないよな???そんな人生哀しすぎるよ
まだ友達から恋人同士に昇格してるかどうか微妙で、キスぐらいはしちゃってるようなときのこと。
彼女含め共通の友人男女5~6人で宅飲みということになって、ちょっと広いマンションに住んでる奴のところに集まってた。で、夜中になって酒とつまみが少なくなって、俺と彼女が二人で買い出しということになった。
最寄りの酒置いてるコンビニまで10分ぐらい。物資を買いこんで店をでたら、ぽつぽつ雨がふってきた。
やべー早く帰ろう! 傘買ってく? いや大丈夫っしょこっちの道通れば早いからとかイチャコラしながら行ったら雨脚はどんどん強くなり、しかも道間違えて迷った。
ちょっとパニックになりながら二人で走って道をさがして右往左往したり、上着脱いで彼女を守ってやったりしてるうちに、互いの肌はどんどん触れ合う。
もうびしょぬれで絶対シャワー借りないと無理みたいな状況なんだけど楽しくて楽しくて、やっと裏道からマンションの近くに出た時には俺の手は彼女の腰を濡れた服越しにがっちり抱えてた。
至近距離で顔を見合わせたときの、雨なのに火照った彼女の笑顔は忘れられない。
そこからは一歩あるくごとに唇が触れて、5歩目ぐらいで歩けないぐらい固く抱き合って、路上で舌を入れ合ってた。
マンションのエントランスに入らず、敷地の角にある茂みに囲われた庭みたいなところに入り、壁にもたれかかった。彼女が体を預けてきた。
3階上には、みんなの集まってる部屋があった。雨はザーザー降っている。お互いキスしながら体をすりつけ、ズボン越しに刺激し合った。
思い切って彼女のズボンのボタンをはずして、ズボンを降ろした。向こうもこっちのベルトを外してきた。
太ももとに雨が直接流れるのがわかる。もう羞恥心より興奮が勝って、お互い片方ずつ靴脱いでズボンとパンツも片方脱いで脚を自由にすると、こっちが壁にもたれて、空気椅子みたいな感じになって、彼女がまたがった。
そのままグリグリと踊るように腰を擦りつけ合い、そのうちちゅるっと先が入った。苦しい態勢を更に何度か変えたら、奥までぐーっと入った。その時の暖かさといったら。
暗がりでお互い腰を擦り付けキスをしながら、一方で妙に冷静に、もっとやりやすい体位を取りたいとか、でも彼女を壁につけたら痛いだろうとか、考えていた。
その時、挿入した自分の先に、固い感触があるのがわかった。えっと思ったけど、奥まで届くというのを始めて実感した。
その後正式に恋人になってから彼女といろいろ探求したが、どうもこの奥の周りを刺激されるとすぐイく、ということだった。
猫背になった彼女の背中がすごく熱を持っていたのを憶えている。ちょっと獣っぽい声が彼女の口から洩れて、思わず手で彼女の口をふさいだ。そして二人で笑った。
それを契機に、また二人で腰を擦り付け合い始めた。こんどは二人で小さく、獣のような声を出し合いながら。
最後がどんな体位だったか覚えていないが、バックにはならなかったと思う。
またがっている彼女から腰を抜いて、射精の最初は彼女のふとももにゼロ距離で、そして残りは芝生に消えていった。
彼女が「芽とか出んかな」と妙に冷静に言って、笑いを堪えたのを憶えてる。
その後はエントランスのインターホンで降られまくって道に迷ったーシャワー貸してーとわちゃわちゃ言い、一緒に入れよとかさんざん茶化されつつ、彼女からシャワー浴びて服を借りた。
マンションに住んでたのは男だが、女のサイズのスウェット上下を完備していた。こいつも色々あるのだろう。
ただ下着までは無いので、いったんノーパンで服着た後俺が風呂場に入ったら、洗面所でドライヤーで強制的に乾かすということになった。
ここでもラブコメじゃんとかさんざん茶化され、部屋ではこういうシチュエーションのありそうな少年少女漫画古今東西みたいな話に発展していったようだが、その前にエロ漫画みたいなことしてるのである。
最後、ドライヤーの音を出したまま彼女が風呂場のドアを少し開け、こっちの体をちらっと観察した後、手ぇ出してと言ったので外に手を伸ばしたら、スウェット越しに股間を触らせた。
もしゃっとした毛の感触。その日はそれが最後で、朝までダラダラ友達として過ごした。
その後、まあ友人にも付き合ってるのは知られ、きっかけはあの雨の日だよね、というのは認識されていったのだが、どこまでやっていたか、正確なところは誰も知らない。
まあヤッたと思ってる奴もいるだろうな。そうだよヤってたんだよ。
古今東西、出世するタイプ (年齢と試験で自動的に役職が上がったり担当課長とか存在する組織、小規模事業者などを除く)
- 心身ともにタフでプレッシャーに強いこと
- 感情の制御能力があること
- 意識の切り替えが早いこと
- プレゼンテーション能力があること
- ボスに気を使って良い気分にさせる気があること
- 公平ではなくあからさまに人によって態度を変えること
- 無責任なこと (ボスを良い気分にできて、仕事しているアピールができていれば、必ずしも数字にコミットする必要性はない)
- 自己中心的で他責であること
組織や自分がしたことの責任を取る人は歴史上生き残ってませんし、時代によっては比喩表現ではなく死刑になっています。
人としては正しいかも知れませんが、出世を目指す、定年まである程度の年収を維持するつもりなら、責任感を持った行動は良い選択ではないです。
というか、「責任感や几帳面さ」は統計的に有意に昇進のマイナスに作用しているそうな
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2010/13/news038_2.html
https://business.nikkei.com/atcl/opinion/15/200475/091500122/?P=4
組織や自分がしたことの責任を取る人は歴史上生き残ってませんし、時代によっては比喩表現ではなく死刑になっています。
人としては正しいかも知れませんが、出世を目指す、定年まである程度の年収を維持するつもりなら、責任感を持った行動は良い選択ではないです。
というか、「責任感や几帳面さ」は統計的に有意に昇進のマイナスに作用しているそうな
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2010/13/news038_2.html
https://business.nikkei.com/atcl/opinion/15/200475/091500122/?P=4
凡庸でも惨めでもカッコ悪くても、自意識と折り合いをつけ人は生きていかなければいけない…
みたいな。
中高生だかの頃、まさに当事者だった時にも読んだけど、当時はあんまりテーマを理解してなかった。
なんか変態的でショッキングな作品くらいに思ってて、そういうのに惹きつけられる年頃だから読んでたって感じ。
まあ青春の当事者は青春について言及する大人を非常にウザく感じるものだし、そういうもんだと思う。
若さを大事にしろよ~と語る大人への死ねカスという思いは今でもよく覚えてる。
何を描いてるかをはっきりと意識したのは20前後になってからだった。
でも10代の頃も、ジュブナイルだの自意識だの定型的なワードに頼らず、肌感覚で描かんとするものに接近してたような気もする。
読んだ後の諦観や爽やかさの入り混じったような感情や、心の中の大事な部分を突っつかれたような感覚はまだギリギリ覚えてる。
この手の作品ってどれもこれも「自意識の殻を破り、凡庸さを受け入れて生きていく」みたいな似たり寄ったりの着地点になってしまってなんかなあって思う。
もちろんその結論が大正義って訳じゃなくて、物語の示す過程がその平凡な結論に納得や実感を持たせる所に意義があるんだけど。
それでもたまには違うゴールがあったっていいじゃんねって思う。
スーパーサクセスストーリーもいいけど、それは思春期の自意識というテーマからちょっとズレる。
普通に、かっこ悪く生きていくなんて嫌だが?自意識と向き合うのを諦めて、生活や凡庸さに屈するのは全くかっこよくないが?
美しく生きられず、美しく死ぬ事もできず、死んでないだけの人間の自己弁護だが?
でもこの鬱屈をぶつける先とかそのための才能とかは特にないから、枯れかけた若さを大切に抱きしめながら美しく死ぬが?
つって首吊るなり飛び降りるなりする話があったっていいと思う。いや探せばあるのかもしれんけど。
そういうキャラクターがいたとして、せいぜい作品の芯になる部分と対比的に置かれるような扱いになってそうな気がする。
ネット小説サイトにそういうの書いたらふつうにんげん達に独りよがりだの厨二病だの拗らせてるだの、ボロクソに言われそう。
まあ実際私も然るべき時期に自意識と向き合い、ある程度の折り合いはつけたんですけど。
ただ、中年の危機どころか23にして「ええんか?」という気持ちが沸々と湧いている。
ニーチェやらハイデガーやらが語るような価値あるサムシングを、たった一度の人生で得ようとしなくてええんか?
今際の際に後悔が過るのは怖くないか?って。
フィクションみたいな出来事でもなければ、自意識は爽やかにハイサヨナラと決別できるものではないっぽい。
押さえつけるために、これでいいんだと思えるような、強い納得という重しが必要になる。
これは邪推だけど、思春期の延長戦やってる人間をやたら嫌う人もまた、胸の奥に未消化なそれを抱えてるんじゃないかなって思う。
何かしらの納得という重しもなく雰囲気でふつうにんげんをやってるからこそ、同族嫌悪的な苛立ちを感じるのかなって。
まあそれはともかく、ふつうに生きるには自意識を抑えるための重しが要る。
例えば結婚するなり家庭を持つなりして他者への愛、他者からの愛というありきたりながら固有の充足を得て、人生の指針とする。
これはジュブナイル作品の主人公の多くが採用していますね。勇気を出して積極的に人と関わればそこに人生のリアリティがありましたと。
あるいは、賃金労働に心をすり減らして抽象的な思考をする余裕などなくなってしまうか。現実にはこれも結構あるのかも。
私は青春作品眺めてニチャニチャするフェーズに愛着を感じてるし、この居心地の良さにもっと浸ってたい。
そういう人らを別にキツいとも思わんけど、ふつうにんげんに擬態する身としてはキツイと言っておかなければならない。
それが社会性ってもんなので。
なんてことをあれこれ考えていた折、『桐島、部活やめるってよ』を観た。
ラストシーン、映画部の底辺オタクな神木隆之介とイケてるグループの東出昌大の会話がとても良かった。
8mmカメラについて触れた東出に、オタク特有の早口で嬉しそうに説明する神木。
カメラを向けてインタビューする東出に「将来はプロですか?」と訊かれ、少し表情を変える神木。
予算も撮影場所もロクにない。8mmカメラで撮るのは手作り感満載の不出来なゾンビ映画。
きっとプロになんてとてもなれない。でも、時々「憧れ」と接近している気持ちになれる。
フィルムは手に入らない、現像は面倒、画は汚い8mmフィルムにも、ビデオにはない味があるはずだと信じながら映画を撮る。
「生きるとは…」とまではっきりはしなくとも漠然とそんな悩みを抱えてた東出は、そのやりとりで涙を浮かべる。
素敵な作品だなと思いました。
言ったら自己満足の趣味な訳だけど、それを心から愛せるのなら人生の芯に成り得るはず。
それは10代の頃の自分が辿り着いた結論と丸っきり同じだった。
思春期の自意識は、自分の内なるものを形にしてみたい気持ちにさせる。
あるいは、なにかくりえーてぃぶな事でチヤホヤされたいという程度のものかもしれない。
でも誰もが才能がある訳じゃない。どこかで折り合いをつけなければ。
だったら自己満足でもいい。心から愛せるものなら、それはきっと確かな納得になるはず。そういう折り合いの付け方もある。
古今東西、陰気ボーイズはそういう結論に辿り着くものなのかもしれない。
でも『桐島~』の神木隆之介と違い私の「好き」は漠然としたもので、自意識を抑える重しとしては軽かったっぽい。
ほどほどにふつうにんげんをやりつつ、奥底では変態でありたいね。クソムシでなく。
まあホントは今でも全然草野マサムネや志村正彦みたいに思春期のイノセンスを卓越した言葉選びで紡ぎたいし、ついでにチヤホヤされてえんだけどなァ~
ロリィタファッション…ではないな。生地がペラペラで1900円かよ、ドンキのコスプレかよって感じ。なんだけど、察するにおじさま達は、ペラペラのコスプレロリしか目にしたことが無いんじゃないだろうか。モノホンのロリィタを間近で見たことがないのではないか。下妻物語も、ロココへの憧れも…抱いたことがなく。もしくは、興味が無いか、もっと粗い解像度でロリータを捉えてるんだろう、と思う。
ローゼンメイデンの服でさえ、ゴスロリじゃないそれはコスプレだと言われてたのに。
でも待って?!まどマギとかさ、魔法少女ものでももう少し生地がふわふわでスカートの膨らみが可愛いじゃん!ロリィタファッションの良さってそこでしょ?※諸説ある
自分が名前をつけるならコスプレ風ピンナップガールとか、アイドルコスチューム風のグラビア写真、だなあ。ビンロウ売りの女の子に似てる。
せっかくテーマは面白そうなのに、よくそのテーマでこんな調理を…!いい牛肉が泣いてますわ…って気持ちになってしまった。炭火で炙れ!茹でるな!マヨかけんな!塩かけろ!
それかロリィタファッションじゃなくてメイド風にしろ!古今東西メイド服は懐が広い。エプロンとカチューシャがあれば概ねメイドを名乗ってもゆるされる!クラシックなメイドじゃないぞ!メイドカフェの方な!メイドさんはエロ方面にも厚い!アダルトな雰囲気を出してもいい!
でもロリィタファッションはエロの対極にいるのよ。不思議の国のアリスもさ…okamaが手掛けた不思議の国のアリスの表紙を見てよ…。
ナボコフのロリータでももうちょいフォトジェニックだよ!!!我が腰の光…我が腰の炎…?舌先がうんたらかんたら、ロ、リー、タ…
いやだめだなあのおっさんは幼い女の子のすらっと伸びた手足に情欲が掻き立てられるとかなんとか描いてたから。
たとえば、AIでロボットを生成して、ガンダム風ですって言われたら怒る人が居るんだろうか。
これは車が好きな子供なら、車の絵を描く時に絶対にミラーを描き忘れないみたいな話だと思うんだよな。
自分も含めてみんな女の子ばかり生成してるけど、戦車とか電車とかモンスターとかみんな生成しないのかね。エロは剣より強し。やっぱり人間を突き動かすのはエロなんだね。
人間の叡智の先がエロ絵生成装置なの、良いの?って思う。ご先祖さんに顔向けできる?え?ご先祖さんも泣いて喜んでる?COMIC快楽天のギャグ漫画か?
同じことを手書きのイラストでやったら、「ロリータ風」でも、そういうコンセプトなのねえ…で終わった気がする。
生成AIは、絵を描くよりもずっと自分の趣味嗜好があらわになるから、自分はそれが怖い。巨乳好きなんだな、太もも好きなんだな、とか。
で、やっぱり使う人間のセンスが大事なんだなと思ったよ。目をみはるようなイラストを生成出来るような人もいれば、パットしないハンコ絵を量産してる人もいる。手書きのイラストもそうだけど…。
あとなんかエロ要らない場面でもエロいのってノイズじゃないか?エロい気分の時はいいよ。でもトゥギャッターのえっちなバナーとか嫌なわけよ。例えば、交通安全のポスターがウッフン水着美女だったら、いやここは未開の地かよ…ってなるわけよ。
すみません、、、、、、また石をひっくり返してワラジムシをいじめてしまいました。
でもいいよ…いい牛肉を茹でこぼしてマヨをかけるそれもまたあなたの人生…表現の自由…これがマイライフ…まだ始めたばかりの新しいニュー・ドーン
Twitterに書こうとしたら字数制限でめちゃくちゃ嘘っぽい文章になったので、こちらにお邪魔することにした(場所を変えたところで書き手は変わらないのだから、まともな文章になるかは微妙だが)。
大阪の街の中にはバスと電車で1時間ちょっとの、中途半端な田舎で生活中。
うつ病発症以来、趣味はほとんど楽しめなくなったが、それまでは生活費以外のお金をほとんど趣味に使ってしまうタイプのオタクだった。
2023年4月13日、大学の同期生(以下A子)からLINEのメッセージが届いた。近々お茶でもどうだという、遊びのお誘いだった。
4年制の私大(女子校)を卒業したのが2014年3月。確か入学時が1学年1学科100名程度だったので、一般的な私大よりは学生数は少なめだったのではないかと思う。
A子は学科こそ同じだったが学籍番号(名前順)が離れていたので、座席や授業グループといった講義での接点は少なめ。ただ、私もA子も生息する沼は違うが推しグッズを持ち歩くタイプのオタクだったので、講義で顔を合わせた時には軽く会話するようになり、校内の食堂で昼休みを一緒に過ごしたこともあったと思う。
その程度の関係性だったので、卒業後は「また会おう」なんて言いながら、一度も連絡を取り合ったことはなかった。
Twitter、Facebook、InstagramといったSNSでは繋がっていなかったので、卒業後の進路や近況は一切知らなかった。LINEだけは交換していたようだが、それまでにメッセージをやり取りした履歴は残っていなかった。昨年末頃に連絡していない人をLINEの友だち一覧や電話帳アプリから削除した際、トーク履歴も削除していたためだ。
幼少期から交友関係は狭めで、誰かと遊びたい時は自分から(かなりの葛藤の後にそれ以上の勇気を持って)誘わなければならなかった。学生時代、誘われるのはプレミアがつくくらい超レアだった。
なので、卒業から時間が経ってるのに私の存在を覚えていてくれたのね、と脳がしあわせを感じていたのである。
冷静に考えればこの時点で9割なにかあると怪しむべきなのだが、私は舞い上がっていた。直近で都合がつく日を伝え、何も疑っていなかった。疑うという感覚すら持っていなかったと思う。
4月14日、私は祖母の付き添いで地元の理容室にいた。店内には壁掛けのテレビが設置されており、昼のワイドショーが流れていた。店主や祖母との会話が途切れた時、ちょうどワイドショーのテーマが変わった。
「○○社(マルチの社名)は明日15日、6ヶ月の行政処分期間が明け、新規会員獲得ができるようになる」といった内容で、言葉巧みな勧誘や押し売りに注意を促す報道だった。
その社名は聞き覚えがあった。
20歳になったばかりの頃だ。幼稚園の時から知っている、最終的には高校の同級生だった子(以下B子)が、誕生日のお祝いをしたいからと大阪のカフェに呼んでくれた。
喜んで行ってみると、サプリメント等の健康食品や化粧品を購入しないかという、勧誘活動だった。
カフェのお手洗いで戻すくらいショックだった。そういう会社があり、会員が多くいるのは、インターネット経由で知っていた。でもそれは外の世界の話で、自分がそういう目に遭うとは考えていなかった。それが幼稚園の時から優しかったB子からなんて、想像もしていなかった。
挨拶もそこそこに飲食代を置いて逃げ帰り、B子と関わった全てのSNSをブロックし、着信もメールも拒否し、疎遠になった。
高校の同窓会を断り続け、グループLINEにも入らないのは、この一件の衝撃が大きすぎたからだ。B子にとって私はカモだったのか、それとも純粋な善意だったのか、今となっては知る由もない。善意だったとして、救いだったのはB子が一人で来てくれたことくらいだ。彼らの常套手段である囲い込みを最初からされていたら、上手く逃げられたかわからない。
※ちなみにこれらを思い出した後、B子がどうなっているのか、怖いもの見たさでSNSを覗いてみた。旦那さんと子供がいる幸せいっぱいな母親像と共に、チャクラを開眼した精神世界の住民になっていたので、そっ閉じした。
しばらく連絡のなかった相手から、突然会いたい等の連絡があった時は、身を守るためにまず疑いましょう。と、特集は締めくくられた。ニュースキャスターは次の話題に移る。
どこかで聞いたような話である。
A子からもらった連絡を読み直した。「久しぶりだね、元気だった?コロナに負けない、健康にいいものがあるの。よかったら近いうちに会えない?」近況語りを省いて要約するとこんな感じだった。もっと早く気付けよ私。でももう会うと言ってしまったしな…、それに万が一A子がシロだったら申し訳ない。と、この期に及んでまだそんな淡い期待を抱いてしまっていた。
だが、少し冷静さを取り戻した私は、保険を用意することにした。探すのに手間取ったが見つけ出し、明日のカバンに忍ばせた。
4月15日。朝から夕方にかけては別件で動いていた。大阪まで往復1000円以上出しているので、用事はなるべく一度に済ませたいのだ。哀ちゃんはあまりに可愛く、ミリオタには組織の懐事情が恐ろしかった。気づいたらパンフレットを購入していた。
そして待ち合わせの時間。
やってきたA子は、仕事帰りだからかパンツスーツだったので、別人のように感じられた。記憶の中の彼女は、当時の大学生が好んでいた「森ガール」の姿だったからだ。
挨拶を軽く交わし、場所を百貨店内の喫茶店に移す。大学時代の、講義で印象に残った話や友人関係なんかを話してくれたが、私の記憶はうつ病を機にぶっ壊れていたので、曖昧な返事しかできなかった。20〜30分ほど話して、A子はお手洗いに立つ。本当にただ会いたがってくれただけだったらしい、なんて油断が生まれかけたが、本題はA子が戻ってからだった。
会話が私の話題になる。自分のことを開示するのは気が引けた。慎重に言葉を選び、私のSNSのフォロワーなら知っている内容を話した。
A子は私の「うつ病」というワードだけを拾い、苦労しているねと言った(そういう話ではなく、周りに支えられていると話していたのだが)。
そして始まる。予習していた通りの、営業トーク。このサプリメントを飲んでいたからコロナに罹らなかった、この化粧品で細胞から健康になった等々「怪しい」が笑顔でパレードしている。時折、私の身に起きた事象を織り交ぜながら、巧みに購買欲を刺激することも忘れずに(この頃私は呆れを通り越して飽きていたので、映画の感想を思い出したりしていた。哀ちゃんは可愛い)。
極めつけはブラウスの袖ボタンを外して見せてくれた、パワーストーンの珠数ブレスレットだ。これを身に付けてから会社での評価は鰻登りで、恋愛も上手くいき結婚秒読みその他諸々。あの日のB子と重なる。同じだった。キラキラした純粋な笑顔は、こんな欲にまみれた営業トークと共に見たいものではないのだ。話が一区切りした時、私はにっこりと微笑みながら、カバンのポケットから「保険」を取り出した。そして「保険」をそっとA子側に差し出す。
「成功してよかったね、本当に嬉しいよ。いかなる時も、神は見ておられます。」
噛まずに言えたことを褒めたいと思った。
保険とは、名刺サイズのカードである。なんとなく捨てづらくてとっておいた、以前某宗教の宣教師さん(という肩書きでいいのだろうか?詳しいことはわからない)からもらった、コンタクトカードという名称のものだ。表面には「人生の疑問の答えは何処にありますか」という問い。裏面にはこの宗教法人のホームページのQRコードと、手書きで宣教師のものと思しき電話番号が書かれている。
A子は私とカードを見比べては、しまったと言わんばかりの顔をしている。掛かった。
「私が現在、病により仕事が思うようにできなくなっているのは、神が試練をお与えになったからです。私には乗り越えられると、神は言っておられるのです。」
「私には幸い、よき隣人がおります。神が与えてくださったよき出会いに感謝し、彼らと共に歩むのです。」
「A子、あなたも私のよき隣人に違いないのです。何故ならばあなたは私が試練に耐えているこの時にやってきて、私の身の上を聞いてくださいました。理解を示し、体に良いものを勧めてくれました。あなたは本当に善人なのです。さあ、共に祈りを捧げましょう。A子と共に安息の地へ行ける日を楽しみにしていますよ。」
大体こんな内容のことを言った。もう少し長かったかもしれない。興が乗り、舌もよく回ったので、思い返せば支離滅裂で古今東西の宗派が入り乱れた最悪な内容だったが、A子は瞬く間に青ざめた。顔色が悪くなるって、彼女のことを言うんだろうなと納得できるくらいに。
ダメ押しで家のポストに入っていた某宗教の勧誘チラシも渡しておいた。勉強会に来ませんか的なやつだ。一刻も早く離れたかったのだろう、A子は自分のお茶代を出すと、明日は用事があるからと言って、逃げるように帰っていった。多分チラシのことを言っていたんだと思う(読んでないから中身は知らなかった)。
まとめ
9年ぶりに連絡を寄越してきた元学友は、やっぱりマルチの勧誘だった。ここまで読んでくださった方は察してくれていると思うが、私は宗教に関して言えば不勉強である。信仰心は全くないことはないけど、私は(だいぶ落ち着いたとはいえ)血の一滴までオタクなので、そんなことに金を使う余裕があったら、推しに貢ぎたいのである。
そんな私の推し(FBIの腕利きスナイパー)も活躍する「名探偵コナン 黒鉄の魚影(サブマリン)」をぜひ劇場で観てください。
私は元学友がマルチかシロか考えなくていい状況でもう一回観たいと思います。
「見ておられます」ってコメントに、自分で発言したのに「怖っ」って口から出ていました。
宗教観に関してですが、付き合いのある親族が多かったため、その分永遠のお別れもありました。その都度(関わったのは全て仏式だったので)読経があり、法話があり、最後のお別れがあり、お棺が閉じられ焼かれ、故人が骨壷に収まり、その先も月命日だなんだと法要がたくさんあり、墓への納骨を終えて、ようやく一区切り、という流れを子供の頃から何度となく見てきました(親戚付き合いの良し悪しの話ではなく、個人として貴重な経験を積ませてもらったと思っています)。この流れを何度か見ていると、幼いながらも生きること死ぬことに対する価値観が形成されてきました。葬儀、祭儀は生きている人のためにあるのだと感じるようになりました。その後、宗教とは生きている人が生きていくために縋ることがあってもよいのだろうと考えていくようになります。法話により心が軽くなった喪主を見てきたからです。救いを求める方向は人それぞれなのだろうと感じました(今問題視されている宗教の事案を軽視しているわけではありません)。
何が言いたいかと申しますと、私は宗教に大して明るくもなければ知識もないのに、神を騙り軽々しく利用した点に関して、時間がたった今猛省しております。ご不快に思われる方も少なくないと思います。真っ向から買わない付き合わないとB子に宣言した際、しばらく執着されていたので、この時はこれしか逃れる方法を思いつけなかったのです。
もし本当に神様がいらっしゃるなら、アホな方法を取ることしかできなかった愚かな人間を笑い飛ばしてくれるような存在であってほしいと願うばかりです。
最後になりましたが、この話はマルチへの賢い対策法ではありません。マルチはすぐそこにいたよ、というだけの話です。賢い対策法は会わない、これに尽きます。誉めてくださったコメント、嬉しかったです。ありがとうございました。映画はスピッツもすごく合ってたので観てください(笑)
これは所謂チャットGPTに頼まれて書いている、といっても過言じゃない。
事の発端は実にシンプルだ。
西暦2049年となった今年ではついに新作AVの発売本数が月に二千を超えた。
大半がインディーズで名もない同人の作品なんだが、まあそれも当然といえば当然だ。
そこからAIの発展、特にクリエイター関連の分野は発展が目覚しく、2025年にはAI作のアニメが話題になったことも記憶に新しいだろう。
そんな折、アニメから実写へと推移していくのは自然の流れで、道理でもあった。
内容はごくシンプルなものだったが、それでも出演する女優は見た目もあれの反応も人間そのもの。
さらにAIが作るっていうんだから絶世の美女でもあって、体型も操作し放題なんだからまさに男の欲望をそのまま再現したようなものだった。
そりゃ売れるわけだ。
そしてだ。当然問題も噴出する。
AIが作った美女の、演技の、表情の、喘ぎのモデルは誰で何かって話だ。
そこで嫌気が差しきったメーカーと、前世紀からギャーギャー騒ぐフェミさんたちの思惑が偶然にも一致した。まさに奇跡的な確率だ。
そこで革命が起こった。悪魔狩り、のようなものともいえるかもしれない。もしくは華氏451。
人間による、新作AVの製作が禁止される時代に陥ったわけだからな。
だが、彼ら…いや、彼女ら(かの団体に配慮して)の勢いは止まらなかった。
次にはこれまでのすべてのAVの存在を無いものにしよう、それで出演した彼女たちの過去の過ちをないものに!!
要は、ネット上からこれまで発売されたでもののデータがどんどんと排除され廃棄され禁止され、所持しているだけでも違法になるとかどんだけだよほんともう!!!
あ…ごほんごほん。すまない、ちょっと取り乱した。でだ。話を戻そう。
そしてネット上からも人間の出演するAVのデータはすべて消えた。形式上、一応は。
けど形式上といっても結構な厳格さはあるもので、実際検索してもAVは出てこない。
すげぇな…と思いつつ、話はこれで終わりじゃない。
そうしてAVに生身の人間が出演することはなくなり、AVはAIによって作られるものがスタンダードに。
AVの中に人間は存在せず、AVというフィクションの中にAIによって作られるAVという、まさにフィクションの中のフィクションとなったわけだ。
何故かって?
そう。そうなんだ。モデルなんて実際、必要じゃない。それが一から作られたものなら、だ。
でもそうじゃなかった。これは作った側も実際、想定外だったらしい。
共通していたんだ。
一部、ほんの一部分、AIが作るAV女優。それらの女優すべてに共通している部分があったんだよ。
調べた結果、わかったことはそれだけだ。
だがAIが作るAVの女のすべてに、何故かレイ・ミカの一部が混入していた。
どうしてなのかは分からない。わからないからこそ、俺はレイ・ミカという存在を追っている。
未だ手がかりは皆無だがそれでも追わなきゃならん。
詳しくはいえないが、このままだとずいぶんと面倒なことになるんでね。
なぜAIはレイ・ミカと呼ばれる女性(?)を参考にしていたのか。
それを探らなければならない。