はてなキーワード: 再現とは
前回:PS5を買ってからプレイしたオープンワールドゲームの評価
序盤で脱落した。
パルクールを売りにしたゾンビゲー。しかしゲームをする以前の問題で、小一時間のプレイで激しく3D酔いする。
一人称視点で動きがもっさりしていて画面がよく揺れる、というあたりが要因なのだろうが、とてもプレイしていられない。
人為的に3D酔いを誘発するために開発されたゲームだと言われたら信じる。
ただ序盤の時点で「酔いを我慢してでも続きをやりたい」とは思えなかったのも事実である。
序盤で脱落した。
GTAは「オープンワールド」という形式を普及させた偉大なゲームシリーズだが、やはり現在では時代遅れになっている部分が多くある。
たとえば敵の拠点に潜入するクエストがあるとしたら、潜入ルートは決まっているし、途中で敵に見つかるのも決まっている。
見つかったあとの逃げ道も決まっていて、途中の壁を乗り越えて逃走したりはできないようになっている。
GTAにおけるオープンワールドとは「ミニゲームをプレイする順番を選択できる」というだけにすぎない。
序盤で脱落した。
GTAフォロワーである「セインツロウ」シリーズのリブート作品。問題点もGTAと同じ。
中盤で止まっている。
起伏に富んだフィールド。自由な移動。かわいらしい野生のポケモンたち。
新しいポケモンを求めて寄り道してしまうような探索の楽しさがある。
理想的にはポケモンの生態シムみたいなところまでやってほしいわけだが。
あとエリア間の移動を禁止するために高い山で区切ったりするのは論外。
作り手の都合だけでオープンワールドの自由度を破壊する最悪のやり方だ。
どこが優れているというわけではないが、オープンワールドに求める必要最低限を確保している。
広大な街を飛び回って頭上からマフィアたちを急襲。敵を倒したらさっと飛び上がって次の現場へ。
こういうのでいいんだよ、こういうので。
ただメインクエストで「ステージ」のなかに入ると一気に作りがリニアになるのは難点。
せっかく操作キャラが4人いるのに同時に出撃できないというのも残念だった。
あくまで「最低限」であってリッチなオープンワールド体験ができるわけではない。
オープンワールドはゲーム内に昼夜があってもだらだらとプレイしがちなところがあるので、
「準備の昼パート」と「実戦の夜パート」を分けてサイクルを設けたのは効果的だったと思う。FF15を思い出した。
超大作というわけではないが、限られたリソースをやりくりして上手く作ったという感じ。
スパイダーマンのように高速で飛び回るようなことはできないが、
高低差のあるビル街を活かしたゲームプレイが楽しめるようになっている。
オープンワールドは負荷対策やコスト削減のために「人がいない世界」を舞台にしがちなのだが(撲滅すべき悪習だ)、
そこでコミカルな「幽霊」を出したり、口の悪い「相棒」を用意したりと、賑やかになるよう工夫しているのも良い。
FF15のスタッフが製作したアクション寄りのファンタジーRPG。
売りである「魔法パルクール」という移動システムは本当に素晴らしい。それを活かした戦闘も非常に楽しかった。
また、こちらの作品でも口の悪い「相棒」が効果的に機能していた(まあFF15の複数人パーティのほうが楽しかったが…)。
基礎はよくできているのだから、あとはその上に優れたシナリオを構築するだけだ…と思ったら、
それ以外ではひたすら従来のゲーム作りを踏襲している感じなのが残念だった。
まずメインシナリオは極めて単線的である。ボスを倒す順番すら決まっている。
そして、そのボスを倒すごとに強制的に状況が悪化するので、物語を進めていくモチベーションがひたすら下がっていくのである。
そんなところまでFF15を踏襲しなくていいんだよ。もっと他の美点を踏襲しろ。
フィールド上に本当に人がいないので魅力的なサブクエストが存在せず、シナリオが横に広がっていかない。
入手できるアイテムが汎用の強化アイテムばかりなのもフィールド探索のつまらなさに拍車をかけている。
ハクスラ的な装備のランダム生成とオープンワールドとの相性の良さを再確認した。
あとエリアを高い山で区切るのやめろって言っただろ。
いや、無限に文句が出てくるんだが、それは悪いところが明確だからで、それさえ直せば傑作になるとわかっているからだ。
FF15とForspokenは、どちらも魅力的な長所と致命的な短所とが明確な「傑作になりそこねた作品」だった。
次回作こそは…次回作こそは真の傑作を…国産のオープンワールドゲームを…頼んだぞ…。
同時期に発売されたことで何かと比較されたForspokenと比べるとアドベンチャー寄りのつくりである。
とにかくアートワークが素晴らしい。ファンが想像するホグワーツをそのまま再現したかのようだ。
だが…この作品は「ホグワーツでの学校生活」を再現してはいない。
「ホグワーツを再現したテーマパークでひたすらミニゲームをさせられる」と表現するのが正しいだろう。
「広大なフィールドで自由に行動する」オープンワールドと、「限定された空間で正解パターンをなぞる」ミニゲームの相性は悪い。
フィールドをミニゲームで埋めるよりも、もっとシナリオにコストをかけるべきだった。
98SE, XP, 7, 10と使ってきたけど、98の時はそれはそれは暴走したり固まったりしたものだった。
それがXP, 7ではメモリーが足りなくなって重くなることはあれど、固まったりブルースクリーンを見ることはほとんどなくなった。
のだが、10に移行してから98ほどではないにせよ頻繁に固まったり、ブルースクリーンを見るようになった。
前のPCは10に移行後すぐに天寿を全うしてしまったので、10を本格的に使い始めたのは新PCに移行してからである。
新PCはZen系のCPU(APU?)を積んだDellのノートだ。
なので、この不安定さがMicrosoftのせいなのかAMDのせいなのかDellのせいなのか判然としない。
そんな中、なんと再現率100%でブルースクリーンを発生させる手順を発見してしまった。
とあるソフトを二重起動すると確実にブルースクリーンが拝める。
「システムの変更を許可しますか?」とUACのプロンプトが出るようなソフトではない、
単なるユーザ権限で実行したソフトがOSごと落とせるってヤバくない?
本来は小さい穴が胴の部分と袖の部分の接合部分に細かくついててそこを紐でつないでいる。
ちなみにひもは左右各1本でかがり縫いみたいな感じで通して最後蝶結びにしてた。
ただ、大神伝に出てくるくらいガバって空いてるのは完全にフィクションだと思う。
せっかくのいい主張なので「ヲタ」「バカ」「言い訳」などの、特に理由のない罵声や断定をやめて、なぜそれがバカなのか、なぜそれが単なる言い訳なのかを理論展開すればいいのになと思った。
個人的には、近いのが「近所で評判のラーメン屋のラーメンを食いまくり、"味を盗んで"インスタントラーメンを売り出す」みたいなシチュエーションだと思っている。
学習は言い訳か?機械に分析させるのは違法か?どちらも否である。そんな法律はないからだ。
でも「○○屋の味を再現したラーメン」と言うのはよろしくない。他人の商標を勝手に使うのは違法だ。
同様に「声優の○○の声と演技を再現した」と言って出してくるのは絶対にご法度だ。もちろん公式や本人がタイアップした時に名前を出すのは問題ない。
だから人の技術を真似て商売するものを非難したいのか、人の看板を使って商売したいのかを分けて考える必要がある。後者は無条件に死んでいい。
次に誰にどんなダメージが行くか考えよう。
ひとつは声優本人。本人の声と演技が安価で使えるのだから本人には大ダメージである。
ふたつめは後進。プロの価値が安価で手に入るならばその道を志す後進は減るし、引いてはその分野そのものが衰退する。
話をずらす。
嘘か本当かは知らないが、かつてトーキーフィルムといって映像に声や音楽までついた作品が普及すると活動弁士たちは廃業に迫られたらしい。
活動弁士とは無声映像の横でアテレコしたり状況説明をする仕事だ。
「あんな魂のこもっていないもので満足する愚か者たち」が多いので、魂のこもった活動弁士たちは追いやられたのだ。
1932年、活動弁士たちはトーキー映画に対して反対運動を起こしたが無声映画に声で迫力を付与するという仕事や文化は映像に声や音を乗せるという技術の前に衰退した。
声優の話に戻す。
数ヵ月前まで真似できなかった特殊技術が特殊技術でなくなり、本人と後進の道を閉ざそうとしている。
「個人的に応援したい人、文化」への贔屓目や応援したい気持ちはわかる。
しかしこれはどこまでいっても「技術が進んで特殊技術が特殊技術でなくなった」という、これまでもよくあったし、今後もよくある話のひとつだ。
人が怠惰な幸福を追求するかぎり、ラッダイト運動は絶対に失敗に終わる。
自分が何を守りたいのか、それを明確にすれば取る行動は変わるだろう。
例えば勝手に学習されるのが嫌ならば著作権や特許の制定に乗り出すべきだし、声優個人の生活を守りたいなら応援基金でも立ち上げるべきだ。
新しい時代が来るのが嫌というならば今の作品をもう一度見直せばいい、見てない作品だけ見たとしてもすでに一生をかけても費やせないほどの映像コンテンツが存在しているのだから。
俺はそれでも俳優業ってなくならないと思うんだよな。
そんな時期でも、例えばタイからはスタント一切使用しない「マッハ!!!!」が出てきて大ヒットしたり、
インドネシアからは「ザ・レイド」がやっぱりめちゃくちゃアナログなアクションが評価されてヒットしたり。
肉弾アクション俳優大集合の泥臭いアクション映画のエクスペンダブズシリーズもヒットした。
別に映像技術が発達した今なら当ててるように見せる。危険なように見せる。
ことだって可能だと思うんだけど、でも実際に”やってる”ことにやっぱ価値があると思うんだよな。
過去の膨大なデータを学習するって前提からなんで再現できるのがごくごく一部の大御所声優だけだと思うのかがわからん。
一部大御所はずっと一線を張ってるから誰もが新鮮な声優を求めているわけじゃない、永久に新しいデータを学習して無限のバリエーションを獲得し続けないといけないわけではないという話をしたいだけ。もし、一部の大御所を名前付きで出しちゃったから思考が狭まったって言うんなら俺の例示が不適切だったかもな。だったらすまん。
完璧に盗めるんだとしたら、過去に存在した全声優の再現ができてもおかしくないわけでしょ。
だったら起用する側としても見てる側としても声優が原因で”飽きる”ことなんてないでしょ。
別トラバで「全部のアニメが田中真弓になったら」みたいなアホなこと言ってる奴もいたけどさ。
声優になりたくて憧れて作品を見てたような層が離れていくっていう意見は面白いと思うし、
応援してる側も「新人をゼロから推していく」部分にエンタメ性を感じてるであろうことも理解できる。
でもそれは「過去の学習データを学習し終わったら今後は素人声優の演技を学習するしかないから能力が下がっていく」という元々のお題とは別に関係ない話だよね。
「クスクス」は主に複数の女性による嘲笑を描く際に使われる漫画的表現です。
次に嘲笑対象の行為について適度に声を潜めて笑ってもらいます。
大事なのは対象に届けるための笑いではなく仲間内で同調するための笑いだと意識することです。
このようにすれば「クスクス」という音が聞こえるはずです。
続き
地図見たら驚くと思うけど長崎市ってめちゃくちゃ先っちょにある
遠い
長崎県内には佐世保があったり、雲仙があったり壱岐があったり、五島があったり、色々あるんだけど、とりあえず長崎市
同系統の街
そして規模は西に行くほど小さくなる
シーボルトの記念館があったり、出島の跡地があったり、グラバー園があったり、幕末明治の、異人さんとの貿易の空気を色濃く残している
出島はかつては出島だったけど、今は埋め立てられてて、街中の一角に旧出島だったエリアがある
そういう狭い隙間を路面電車が通っていくのも趣深い
中華街もあるが小さい
あれはちゃんぽんを食べるところ
あれだけ貝ぶち込めばそりゃあうまいよなって味
あれは絶対に食べて
そしてキリシタンの街
嫌でも命について触れなきゃいけない街だ
あと、中華系なのかオランダ系なのか、他ではあまりみないお菓子がある
よりより、マファール、これはめちゃくちゃ硬いかりんとうみたいなやつ、硬くてうまい
最高、美しい街
スゴイいいこと思い付いたんだけど
ゲーム内巨大スクリーンに広告流したら収益上げられるんじゃね?
あそこに普通に自社ソフトのセールやってます!って広告とか出したら見てくれるんじゃない?
スプラトゥーン3のロビーのスクリーンに福井県!蟹美味しいよ!って観光キャンペーンの広告出てたら多分惹かれると思う!(ちょっと面白いけど)海産物とのマッチングは良い意味でエグいのでは?と思う。
まあスプラトゥーンに限らず
巨大ビジョンに広告動画などインポートできるようにしてやったら話題にもなるんじゃない?
レースゲームとか背景に看板とかあってもそれは雰囲気壊さないから
ゲーム内の巨大スクリーンを模したところにテクスチャーみたいな画像を貼ってるんじゃなくて
見るか見ないかは別として
せーむの世界観もあるかも知れないけど、
リアルに実世界のものが広告流れていてももっとリアル感がますこともあるだろうし。
これどこもやってなくて画期的すぎるくね?
これはPSVR2が悪いわけではなくて、FANZAのVRコンテンツの画質が悪いのが主要因
ちなみにQuest 2だと画質の悪さが目立つよりも先に色調の悪さに目が行く
FANZAだと1つだけ8Kコンテンツが公開されているけれどQuest 2は色調悪くて全然だめ
iPhoneとかで400ppiぐらい、PSVR2が800ppiだけど、4Kテレビを見ているぐらいを再現するには2000ppi以上が必要だったはず
そうなると5インチレベルだと10Kぐらい必要でデバイスとしては大丈夫でもコンテンツが死ぬ
背景分離させたり圧縮方式変えたりGPUアップスケーリング使ったり、何かしら工夫が必要と思う
デバイスはQuest3が1500ppiぐらいになるそう
Appleは3000ppiを目指してるとか
そこまで行けば画質の悪さが目立つことは無いだろう
PSVR2は色調は完璧で、そのせいで画質の悪さが目立ってるようにも思う
あと、PSVR2はゲームとして動き回ることが求められることが多くて
AVコンテンツは3Dで360度視点の動画を見ているだけなので覗き込んだり横顔を見たりってのが出来ない
この辺はQuest2でも一緒だけど、PSVR2だからなんとなく覗き込みたくなっちゃうんだよね
その辺でガッカリ感があったりする
結局、iPhoneを使ったハコスコがバランス的には一番良いと思う
投資金額としては安いし(数千円でいいのがある)色調・画質も問題ない
2月26日に羽生結弦くんが東京ドームで1日限りの単独アイスショーを行った。
チケットは満席ソールドアウトでライビュも実施され、ディズニー+で配信もされるというので、一体どういうショーを行うのか、演出面などに興味があったので頼まれてもないのにわざわざ課金・加入して見てみた。こういった試みは日本のフィギュア界では初の試みではと思ったので。
約2時間半過ぎのショー。
途中に約40分間の製氷。その間、配信では羽生くんのインタビューが流れていた。
こわかった。ただただ不気味に感じたアイスショーだった。
初っ端から美空ひばりかな?と見紛うような不死鳥のフェニックス演出。
ショーの3分の1は彼の独白によるポエム、ポエム、ポエムのラリー。
内容を理解しようとするんだけど……いや彼、結局はふわっふわな事しか喋ってなくない?
要約すると「俺は偉業を成し遂げてきた」「ずっと自分自身の力で乗り越えてきた」「でも、ずっとずっと孤独だったんだぜ」「こんなオレを応援してきてくれたファンの皆さん、ありがとう」「今たった一人で孤独に苛まれているアナタにも、どうか心安げる瞬間がありますように」こんな感じ。
演技と演技のつなぎでずっと羽生くん本人の映像や彼のアニメーションが流れるんだよ。その印象がとにかく、すんごいナルシストな感じで…。いやいや………どんだけ自分大好きやねん???
あんだけ「自分」に酔えるのも突き抜けた才能だなぁ、とまじで感心した。(嫌味です)
あれ、ファンじゃない人間から見たら笑いどころだったんだけど。「羽生くん……どんだけ負けず嫌いなんだ………!!!」って。それをファンが固唾を飲んで見守ってるんだよ。「頑張れー!」って感じの手拍子か何かまで起こって。
ソチ・平昌で二冠獲ってても、彼にとってホントにホントに相当悔いが残って悔しかった出来事なんだろうなぁ、と。彼にとってあのショー演出でそれが少しでも浄化成仏できてたならイイんだけど。
羽生結弦のスケート演技はやっぱ改めて見ると見惚れちゃうくらい美しいなと思ったよ。
でも、それを崇拝して一挙手一投足に熱狂して祭り上げて持ち上げる界隈のファンの熱気がやっぱ異常だし気持ち悪いと感じたよ。
もうその様がKポアイドルかロックスターのドームツアーに熱狂する人達と大差ないんだよ。
そしてそれを彼自身も「よし」としてる。それにうっとりしてる。
知ってるよ、どこまでもオンリーワンでナンバーワンでいたい超々超絶負けず嫌いボーイだもんな。
インタビューではついに「俺はいいけど、ヤザワはどうかな?」みたいなこと言い出してるし。
その生き方って、別にいいんだけど、でも「降りられなく」なると結構辛いと思う。
彼まだ28才だけど、余計なお世話だけど、30代、40代、50代…ってなった時に、果たしてどんな生き方を選んでいくんだろうなぁ、って思った。勝手に心配になった。
彼の本質はあの伝説ニースのロミジュリ演技からちっとも変わってないんだなぁ……って。
前人未到なこと、様々な新しい試みと挑戦を行ってるのは解ってるしそのこと自体は本当に素晴らしいと思う。CLAMPへの絵本オファーとか。
でもやっぱそれを錦の御旗みたいにして「ほら!やっぱゆづは尊いのよ!!!」ってホルホルしてる一部の熱狂的なファンや中国ファンの皆さんの雰囲気は苦手だし「これがこういう理由で変だなって思いました」って言えない空気は異常だし、なんでこんな匿名はてなで書いてるかっつったら羽生ファンの凸がこわいからなんだよ。「王様は裸です」って言えない空気を醸成してるファンがやっぱこわいんだ。
そしてご本尊はそういうの見てどう思うんだろう。そういうの平気なのかな。むしろ喜ぶのかな。
以上、羽生結弦の単独アイスショー公演「GIFT」を見た、ただのいちド庶民パンピーの感想でした。
お目汚し失礼しました。
ガチャや育成リソースへの課金があるソシャゲや、プレイスキルでほぼ全てが決まるFPS等のオンライン対戦と比べて、ポケモンのオンライン対戦ってバランスがおかしくなってると思う。
育成難易度が中途半端で、時間をかけさえすれば誰でも理想個体を作れるのが良くない。そうなったらランクマ環境が理想個体前提になるに決まってるよね。
“時間をかけさえすれば”という状況は本当に良くない。ソシャゲのように課金や運で開く格差や、FPSのように実力がものを言う格差には諦めが付く。それに対して、プレイ時間での格差は皆が無理してでも埋めようとするし、環境は当然それ基準になる。
そんな環境が形成されてたら育成は完全に無駄な作業でしかないのに、その作業がクソ面倒だったらそりゃ不満出るよねって。ウマ娘みたいな育成環境だったらもうちょっと違ったんじゃないだろうか。
子供の頃に狭い繋がりだけでポケモンをやってた時は、友達が色違いや隠れ特性のポケモンを持ってただけで「すげえ!!!」ってなってたと思う。それらをゲットするのは子供にとってめちゃくちゃ難しいことだったから。
子供にとっては「時間」や「情報」が足りないことが皆に共通してたから、捕獲及び育成をするにも「運」や「実力」が大きく関わってきた。理想個体なんてものはいなくて、自由な環境が形成されていた。
本来想定されてる遊び方はそんな子供みたいな楽しみ方なんだろうなぁと思う。でも今更そんな環境を再現することは出来ないし、中途半端に育成を楽にする処置も取られてるから運営が何をしたいのかよく分からない。もう育成は愛着とかオシャボとかのこだわりがある人向けのものにして、それとは別に全ポケモンをステータス自由にいじってレンタル出来るシステムとか実装したほうがいいんじゃないかな。
○ご飯
○調子
爆発事故に巻き込まれ生死の境を彷徨う主人公は最先端の医療VR機材で五感を再現された仮想空間で意識だけの存在になり、同様に死に近づいている9人の見ず知らずの人たちと共に、手術の順番待ちの優先度を競う人狼ゲームをモチーフにしたインフェクテッド・ゲームで戦うことになる。
入り口のデスゲーム味は、いかにもだが、かなり真面目に人狼ゲームを題材にしたADVとしてまとまった良作だった。
明らかに無茶な入り口だが、その違和感にも(あるあるではあるが)ちゃんとアンサーが用意されている。
プレイ時間は1時間と少し程度と短編のようなボリュームだが、要所を抑えた良い意味でシンプルにまとまっている良作だった。
人狼ゲームを題材にしたフィクション最大のモヤッとポイントである、本当に生死がかかった人狼ゲームをやると「自身の生き残り価値はなく、陣営の勝ちを目指すもの」な人狼の目的がブレて面白くない、ということを重々理解しており、その辺のルール整備がしっかりしているのがまず好き。
本当に人狼ゲームのリプレイを読んでいるような内容で、人狼を知っていなくても用語の解説から丁寧にしてくれ、ローラー、ライン、トラップなどの戦略についても実践されるのが楽しい。
3回戦行われるが、それぞれで役職の違いはもちろん、役職の種類にも増減があるため、飽きることなく楽しめた、どころかもっとボリュームが欲しかったまである。
1回戦では敵陣営だったが、2回戦では頼れる味方、のような展開はボードゲームならではの展開で、安易にデスゲームにしなかったことにより、フェアプレイ精神がきちんとしていて面白かった。
人狼ゲームを行いながら見ず知らずのキャラたちのことを知っていくストーリーだが、このキャラたちが短編一本で終わってしまうのは非常に惜しく感じる良い子が多かった。
見た目は清楚なお嬢様だが根がアイドルオタクで時々その気質が滲み出てしまう白雪サツキ。
糸目で職業不明で鋭い意見と冷徹な態度で敵も味方も作りまくってそうな間宮キイチ。
この二人は出番の多さもあってとても魅力的だった。
特に間宮キイチは、ゲーム上で度々主人公と濃厚な関係になることや、ゲーム外の縦筋の部分でもすごく重要な立ち位置であることから、実質メーンヒロインのようなキャラだ、中年男性だけど。
他にも、ホスト特有のコミュニケーション能力の高さで場を支配していく木瀬タクヤ、ゲームへの理解度が低く度々置いてきぼりになっちゃう古賀イサオ、真面目で消防士やってる好青年だがゲームは苦手な須藤マサヨシなど、女性キャラより男性キャラの方がキャラ立ちしており文量も多く感じた。
逆に不思議ちゃんな天然キャラ星野ココア、プログラマ以外の情報がない才川エリナ、脳筋キャラが古賀と被ってるせいでそういう役目すらない橘ヒジリ、メインヒロインっぽい見た目とファーストインプレッションだけで只々出番がめちゃくちゃ少ない井ノ本チセの四人は、かなり影が薄かった。
短編なので出番に偏りがあるのは悪いことじゃないが、最終的な結論のためにも、もう少し女性キャラの方にも出番をあげて欲しかった。
また、ゲームを通じて彼らと交流を深めつつ、事件の真相に迫っていくのだけど、流石にこのゲーム外、縦筋の部分は強引で文量不足を感じはした。
現状認識として
「画風再現・キャラクター再現LoRAは一定以上(例:RTX3060以上)のスペックの個人のパソコンで作成が可能」
という事実を知っていればコントロールが困難であることは自明だと思うんだけど
それらを違法化したとしてどうやって取り締まるの?アルコールよりも簡単に生成流通が可能なものなのに…
商業利用を違法化するのならまだかろうじて可能かもしれないけど個人の利用のコントロールは事実上不可能でしょ。
つまり今行われている個人による学習ファイルの配布やAIを悪用する個人を取り締まることはできない。
それらを使って商売をする奴は抑止できるけど、今までの議論を見ているとそれでは全然満足しなさそうじゃん。
AI規制派の人の話を見ているとあらゆる状況で学習するかどうかをコントロールしたいという意見ばかりが出てくる。
学習を阻害する技術も発表されてるけどこの手の技術がいたちごっこであることはCCCDの件で痛いほど理解していると思うんだが…