はてなキーワード: トロンとは
の続き。
てなわけでー。テーマ性とか物語性とか、そういういつも以上に堅い話はノルマクリアしたので、こっからは書きたいこと書きますよー。
ぶっちゃけて言えば、前述した脚本とかね、監督は脚本家に丸投げしてたんじゃねーかと思います。正直言って観客である自分はある種のアリバイ作りを感じました。「批評家に突っ込まれるような部分はちゃんと作っておきましたよ、これで文句ないでしょ」みたいな。
自分も前編で喪失と回復とか継承とかそれっぽい感想書いたんでノルマクリアー。そういう意味で共感しますよっと。
じゃあだとして、この作品監督は何をしたかったのよ? なにがドライブエンジンなのよ? といえば、それは変態(フェチ)っすわ。
本年いろんな映画がありました。素晴らしい傑作映画、佳作映画、名作、快作、問題作。そしてうんこ漏らすほどの駄作。でも年末になってこれほど「やばい」映画が来るとは思わなかった。
薄々そういう部分あるかな? と思っていったわけですが、度肝抜かれますよまじで。そういう趣味のない人には全く刺さらないと思うけど。興味ある人にとっては、鼻血ブーです。
そもそも舞台背景(現実世界側)はヴィクトリア朝のロンドンなわけです。おそらく爵位持ちのストームボール家がタウンハウスでのクリスマスの飾り付け準備ーからのー、名付け親ドロッセルマイヤー(眼帯をした黒人のイケメンすぎるおじさま)邸宅に移動。
バラ色からブルーグレイに沈みゆくちょっと煙っぽいロンドンの夕暮れを移動する馬車。街を行き交うあらゆる階層の人々!
ドロッセルマイヤー家では係累おおよそ数百人を招いたクリスマスの催しが今まさに開かれようとしています。ヴィクトリア朝の舞踏会です!
スターウォーズのクローン兵を見てがっかりした人いませんか? 自分はがっかりしました。そりゃね、数万人が現れての合戦シーンは迫力あるって言われればそうかもしれないですけれど、でもCGでそれやるって、コピペじゃないですか。ウルトロンのときもそうですけれど、大軍勢、大群衆は3Dモデル使い回して同じ姿の軍勢がうわーって押し寄せるわけでしょ。すごいけど、要するにそれってのっぺりした画面でもある。
でもこの舞踏会はコピペがないんですよ。全員色とりどりの、贅を凝らしたドレスやらタキシードやらなわけです。どんだけスタイリスト動員して、服飾に予算投入してんだよ、鼻血出すぞこら。
主人公クララがね、おしゃれが苦手だっていうこの娘が、おねいちゃん(素が出てきた)に髪の毛とかしてもらって、すみれ色のオーガンジーのドレスで現れるわけですよ。オーガンジー。髪飾りは多分朱子織り。
分かる人には「オーガンジーの透け感のあるシュークリーム袖」という説明だけで、その可憐さが伝わることでしょう。
クリスマスパーティーのプレゼント交換会で館の奥深くに迷い込んでいくクララがたどるその通路、ろうそくのキャンドルでゆらゆらと照らされる邸宅の暗がりの美しさ、赤い壁紙には黒いフクロウのテキスタイルがやがて黒いネズミのそれに変わっていく。
現実世界の物語案内人であるフクロウ(ドロッセルマイヤーおじさまのペット)から、幻想世界の物語案内人であるネズミ(ねずみ王マウスリンクス)へと引き継がれていくその暗示を、美術レベルでやってのけるその凄まじさ。
暗い木の洞を抜けて館の暗がりから抜け出たその先は、幻想世界の「クリスマスの森」。雪で白くデコレートされた、しかし緑が目に染みる清冽な森のなかを、泥棒ネズミを追いかけるクララのすみれ色のドレス。ネズミがダイブしてぱっと舞い散るザラメのような雪の結晶の幻想的な美しさ。
めっちゃイケメンの黒人青年。赤い軍服に金のモール飾り。腰にはサーベルで騎兵兜。すべてが完全にフェティッシュ。完敗。映画鑑賞中の感情をあえて言語化すると「ぎょぇわぁ!?」って感じです。
この映画の服飾はジェニー・ビーバンっていうおばちゃんがやってるのだけど、明らかに変態。っていうかおばちゃん『マッドマックス 怒りのデス・ロード』でモヒカン衣装を量産してたじゃん? そんな二面性を持っていたのか。流石に度肝を抜かれたわ。おばちゃん最高や。
もしくは美術ガイ・ヘンドリックス・ディアスが犯人なのか? 『アレクサンドリア』もかなりキてたもんな。
幻想世界にいっちゃってからは、その病的な美術追求がとどまるところをしらない。捻くれて枯れ果てた真っ暗な「遊びの国」の森には、鮮血のように赤い毒キノコが咲き乱れているとか、廃墟化した遊園地の回転木馬、グランギニョール、道化のハーレクインの禍々しい美しさ。
巨大な城! 瀑布に差し出される水車と歯車! 真鍮の道管の迷路と地下通路に、濡れてベッタリとした湿気。輝かしい水晶天井に照らされる螺旋階段。
回想シーンで母に慰められる少女クララが着ている生成りのエプロンドレスの白い生地には、藍色のスズランの刺繍が散らされていて、これってもう完全にカネコイサオが『ワンダフルワールド』で夢見た世界なわけですよ。っていうか、全体的にカネコイサオでしょ。
10年代も最後半にはいっていまさらそんな角度から奇襲受けるとは思わないじゃないですか? いくらヴィクトリア朝だとはいって、『ワンダフルワールド』のフェチズムが立ち現れるとは、キン肉マンフェニックスのあふれる知性でも予測出来ないわけですよ。
色彩設計がほんとうにほんとうに美しい。ローズガーデンのヴァイオレットベースに茶色のラインとか、オリーブグリーンに熟れたオレンジの差し色とか。ため息が出るとかじゃなくて、鼻血が出るタイプの美しさ。
少女趣味がオーバードーズでフェチになってしまった病的な完全主義の美術背景の惑乱。
もうね、福井晴敏に宇宙世紀が殺されるとか言ってる場合じゃないです。ディズニーにカネコイサオが殺される。なお、もらい弾で少女革命・幾原邦彦も死ぬ。
なぜなら遊びの国へ金の鍵を取り戻すため軍を率いて旅立つ王女クララがまとうのは、黒の軍服(金モール)に赤のロングスカートだから。このロングスカート、品が悪くなりそうなところなのに布の質感と裾の縫い取り刺繍だけで男装めいた凛々しさをだしてるのだ。やばい。やばみ。
そのロングスカートから革のブーツでキックするクララ(なお、このキックが主兵装)。
この映画、興行的には失敗だと本国では判断されているのですが、当たり前ですよ。だって制作費100億超えですもん。『ボヘミアン・ラプソディ』の二倍以上でしょう。見た感じ、そのほとんどを美術と背景に突っ込んでいるようにみえる。出演者の演技も悪くないけれど、目立った名前はキーラ・ナイトレイくらいで他はあまり大きなギャラは発生していないのじゃないかな。
(このキーラ・ナイトレイ演じるシュガープラム(金平糖の精)は、かなり演技が良かった。ちょっと頭の弱いアーパーでふわふわした妖精キャラをキーラ・ナイトレイがやっているのだけど、キーラ・ナイトレイだと気づかなかったですよ。この味は往年に美人だった頃のシンディ・ローパーが醸し出していたあれじゃなかろうか?)
とにかく、画面のどこを見ても、美術的な意味で隙がない。コピペで穴を埋めておけとか、それっぽい小道具をおいてごまかしておけとか、撮影時に陰影をつかってしょぼいのを隠せとか、そういう気配がひとつもない。
監督もしくは美術の美意識が、一部の隙もなく、「この世界観でこのカメラアングルで、この角度を撮ったときには、ここにはこれがないとだめでしょうお前らなんでそれわからねえの!?」と言わんばかりの画面が、延々と、延々と続く。
それはたとえばパーティーシーンでテーブルの上のグラスがこちらのゴブレットは真鍮に銀メッキだけど、あちらのゴブレットは磨いた銅に幻獣の鋳造とか、そういうレベルで気合が入ってるにも関わらずそのゴブレットは2つ合わせても画面の面積の1%以下で5秒も写ってないとか、病気としか言いようがない。
変態が怖い意味でやばい映画なのだった。冒頭に言った+50点はまさにこの変態性に対する評価なのです。もうちょっと金が出したいのもこの部分であり、実を言えばこの鼻血は、パンフを購入してもDVDを購入しても払拭できる気がしません(画面小さくなると美術の細部がわかりづらくなるので)。究極的にはエルミタージュ美術館にでもいかないと、この興奮(というか発作)は解消されないとおもいます。
そんなあたりが『くるみ割り人形と秘密の王国』の感想でした。この映画感想後編がわかった方には強烈におすすめです。それ以外の人にはそこそこ映画だったと思います。
この映画のもうひとつの特徴である「量産化ピエール瀧軍団vsドルイド文明の巨大人形兵器」という側面には触れませんでした。この部分に対する評価は他の方に譲ります。
https://anond.hatelabo.jp/20180625184652
この延長上にあるお話
本来子供向けだったアニメが長い年月を経てオタク向けに変容してしまったものを、
さらにもう一度子供向けにシフトしていくっていうトレンドが今後の主流になっていくのかもしれない。
ベイマックスは天下のディズニーが送り出したおかげでその日本的オタクテイストと大衆向けアニメ映画の健康的テイストが程よくミックスされて大ヒットしたのは記憶に新しい。
そこからもう一歩オタク寄りの立ち位置でライバルであるドリームワークスがヴォルトロンなんていうものを送り出した。
よくtogetter辺りでは日本と海外アニメの表現に関して「完璧だが不自由な健全主義」vs「自由だが混乱を生むエログロ主義」みたいな文脈で勝手に対立煽りのネタにされちゃったりするわけですが、
そんなアフィの下らない思惑なんか簡単に消し飛ばしちゃうのがヴォルトロンの凄さだ。歴代日本産アニメの総復習みたいなことをやり遂げちゃってるのだ。戦闘シーンはSWやスタトレというより
大艦隊の真っただ中に飛び込んで姫を助け出せ!ワープで逃げても追ってくる敵を危険な星域に入ってやり過ごせ!スペースランナウェイ!なイデオンやヤマトだったり、
敵艦に潜入しての等身大での戦いは群がるロボット兵をキック!アタック!電光パンチ!ビーム剣で大切断!と血湧き肉躍るアクション満載!そしてわざとらしい露出やピッチリスーツは無いのに何故かエロい!
主人公サイドだとシロとキース、この二人がホンマにエロい!ふとした瞬間に魅せる表情がハートに直撃する。ノンケの男アニオタも堕ちる。実際堕ちた。
現地の子供向けレーティング基準は完全に満たしてて、ここまでオタッキーに攻めたことが出来るのかって驚愕したよ。
そして公式も自分達の作品が子供だけでなくオタクに観られていることを意識して、主役五人の設定上の誕生日には必ず特集と声優さんのコメント動画をハッシュタグ付きでtwitterにアップしたり、
スタッフやプロデューサーのインタビュー記事を定期的にオタク向けニュースサイトで組んだりと、広報関係も万全の体制で挑んでいる。
こういう流れ見ていると、二次創作があーだとか手下の民度がどーので荒れてる場合じゃねーぞ日本のディズニー!って叫びたくなるわ。
ヴォルトロンもその手のゴタゴタは日常茶飯事ではあるけれど、こっちは英語圏全般を巻き込みますからね。地球丸ごと超決戦ですよ、ハイ。
それでもその手のアピールをドリームワークスが続けているのは、オタク文化と大衆文化の更なる融合、垣根そのものを無くして新次元の表現を産み出せる環境作りを目指しているのかもしれない。
今までもこれからもオタクはオタクであり続けるし、世の中に揉め事は尽きない。でもせめてアニメを見ている時間だけは仲良くしようぜ?
ここ数日増田に趣味の一環としての翻訳の話を書いているうちに、いいニュースが飛び込んできた。
昨年現地で公開され、昨年の現地映画売上No.1になった「ฉลาดเกมส์โกง」こと「Bad Genius」が「バッド・ジーニアス 危険な天才たち」という邦題で9月から映画館公開されることが発表されたのだ。しかも日本語版を作っているのがDVD販売に実績のあるマクザムなので、おそらくDVD販売もされるだろう。それなりに話題になる割にはさっぱり日本語版DVDが発売されないこの国の日本語版映画ラインナップへの小さな積み重ねだ。
もちろん現地DVDは公開の半年後くらいに発売されたので自分も発売とほぼ同時に早速海外通販で個人輸入し、2ヶ月ほどかけて翻訳した。そのときの留意点を元に、9月に公開される映画の字幕チェックポイントを挙げておこうと思う。なお、以下の内容に予告編の内容を超える致命的なネタバレはいれていないつもりだ。
日本だと6・3・3制と言われて中等教育は中学と高校の2つに別れているのだけれど、向こうの中等教育は6年制だ。中高一貫教育をやっている学校も多く1年生から6年生までが同じ学び舎にいることもしばしばある。もちろん進学率が上がったとは言え義務教育は中学3年までなのは日本と一緒なので全てが中高一貫教育校ばかりではないけれど、高校の学年が中学からの通しで数えられるのは同じだ。「バッド・ジーニアス」は高校3年間(+入学時の中学3年のエピソードが少し)の話なので、場面紹介字幕には「4年生」「5年生」等出るし本人自身がそう話す場面もある。それを日本語でどう表現するかはとても興味深い。
主人公は高1に進級する際に転入試験を受ける。成績的には合格なのだが本人が入学を渋るという不思議なシーンが登場する。入学を渋るのは決して裕福ではない家庭の事情を心配してのことなのだが、ここに通学手段と昼食内容の見積もりが登場する。映画館で読みきれない内容なのでこれはぜひDVDを入手してゆっくり眺めてもいいシーンだが字幕でフォローするか迷うセリフとして「バイクタクシー」と「カレーがけご飯2色がけ」が出る。どちらも主人公の几帳面さというか細かさを表現するセリフで、前者は最寄り駅から自宅まで歩いて通うことはないという現地事情も含まれているし、後者は現地で屋台メシを食べたことがあるならピンとくる定番メニューでもある。おそらく商業字幕ではどちらも簡略化もしくは省略されると思う。
日本だと大体のところは5段階評価だろうか。最高が5、最低が1。評定平均はこれを平均する。向こうでは5段階かどうかはわからないが最高点は4だ。だから評定平均4.0は日本語で言うところのオール5にあたる。学校の成績が主な話題になる映画のため評定平均の話は頻発する。自分の野良字幕では4.0(最高得点)とカッコ書きしたが、商業字幕ではおそらくオール5、のような表現になるのではと思う。そこで気になるのは最高点ではなく中途半端な生徒の中途半端な点数だ。1点下駄を履かせて表現するのか、そのままの点数にするのか。ここは個人的に注目したい。
サスペンス色あふれるサウンドトラックの中に1曲、フォークギターで伴奏されたナツメロっぽい曲が流れる。特に字幕でも歌詞を紹介されなかったしここの歌詞まで字幕化はされないのだろうけど、本家映画制作会社が歌詞を全てTweetしているのを読んだら、架空の学校校歌だったらしい。個人的に訳してみたい。
http://twitter.com/gdh559/status/865161419796299776
ครู(クルー)は「先生」、พี่(ピー)はこの間も書いたが「先輩」、ลิน(リン)は主人公の名だ。後置修飾なので直訳すれば「リン先輩先生」となるのだが字面で見てもバランスが悪い。自分の字幕では「リン大先生」と訳したが、もっといい意訳があるような気がする。この言葉、主人公が連呼されて気分がよくなる言葉なのだ。男性だったら「リン老師」とでもするんだけど女子高校生に老師は似合わなそうだし。
日本の試験の選択肢がア、イ、ウ、エになるように、向こうの国のマークシートはก ข ค งが使われる。予告編を見ればわかるが、この部分はしれっとA B C Dに読み替えられているし、自分もここはそうしたのだけれど、これカタカナ書きすると、コー、コー、コー、ンゴーなのだ。現地のアルファベット最初から4つ分とはいえ、これを採用した当時の教育関係者の勇気に感動した。ちなみに他の映画でもよく試験のシーンは出てくるのだけど、学校の普通の定期試験でもマークシートは当たり前らしい。だからカンニングしやすいとも言えるのだろうけど。
緊張で昼食のラーメンを吐いてしまった男の子が「サーモン食べ放題に行こうか」と誘われて「僕は外食は嫌いだ」と返すシーンがある。カップラーメンでもなければラーメンは外食のような気がするが、もしかしたら家の近所で食べるものに関しては外食に分類されないのかもしれない。自分の誤訳の可能性も含めてここは自分でも見てどう訳するのか興味がある。
金持ちの息子パットが誘った「家」は、PATTON HOTEL。貧乏な優等生バンクが帰宅したのは「น้องแบงค์(ノーン・バンク)ランドリー」ノーンは「後輩」を意味する敬称だというのは以前書いたとおり。もちろんこれは舞台となった国の貧富の差を如実に現したシーンなのだけど、特に前者が「息子の名前をつけた」ということを字幕で示せるかどうか。示さなくても話の筋は通るし、アルファベットで書かれているから無視してもいいんだけど。
映画の中ではほとんどชื่อเล่น(チューレン)で会話がなされる。チューレンとはニックネームのことで、今回の場合主人公の本名はリンラダー、チューレンはリン、と名前の一部を使ったチューレンなので訳してもそれほど違和感はないのだが、劇中で1人チョイ役なのに名前が2通り出てくる人が出てくる。違っていても話の筋はわかるからと言っているとおりに訳すのか、話がわかりやすいよう同じ訳語に統一するのか、興味深い。
途中でうさぎのコニーのスタンプが露出することからも分かる通り、オンラインコミュニケーションの手段はLINEである。集団不正を募るのに既存のLINEグループに話を持ちかけるのだが、こういう場面で「LINE」という言葉が出てくるのかどうか非常に興味深い。もともとのセリフでもLINEとは言っていないので無理にLINEと言う必要はないのだ。そのまま「受験友達は30人いるよ」で問題ないしね。ただ、LINEはLINEでもおま国動画アプリ「LINE TV」はスポンサードか何かでスタッフロールに出現する。通信手段がLINEなのはそのせいかもしれない。
日本で言うセンター試験。アルファベットだからと言って、これをそのままGAT/PATと書かれてもほとんどの人はわからない。何か別の言葉に意訳する必要があるのだけど、そのまま「センター試験」になるだろうか、「大学入試共通テスト」のような一般的な名称になるだろうか。
別に字幕とは関係ないのだけれど、4902778999042というJANコード(いわゆるバーコード)が出てくるシーンがある。この番号を調べると上記の鉛筆がヒットする。直前にペプシコーラの缶がプロダクトプレイスメントされているのだけど、たぶん三菱鉛筆はプロダクトプレイスメントではないと思う。ついでに言うとペプシは撤退したのでペプシコーラもプロダクトプレイスメントではない可能性が高い。
โรงพิมพ์(ローンピム、印刷所)ซื่อตรง(スートロン、正直)พานิช(パーニット、人名)。つまり「パーニットの正直印刷所」という施設が出てくる。何に使われる施設かと言うと、カンニングアイテムの印刷に使われる施設なのだ。あまりの皮肉にTwitterでも少し話題になった。โรงพิมพ์ซื่อตรงพานิชで検索してみるとそれがわかるかもしれない。別にその皮肉がわからなくてもストーリー把握に問題はないため字幕では無視されるかもしれない。
謎の電話番号(0840126470)から電話がかかってくるのだが、この電話番号が誰の電話番号であるかは事前に写り込んでいるシーンがある。そこに電話番号を書いている理由を訳さないと、携帯電話番号の形式も違うわけで何の数字だかわからないのだけど、そこまで訳すだろうか。それとも前後のシーンから誰が電話しているかはわかるだろうと訳さないだろうか。
携帯電話の電波の規格。日本ではLTE(4G)の前は3G、その前はPDCとかcdmaOneとかだった。彼の国ではEDGEだった。そんなに日本で有名な話ではないので、トラブルで3G電波が入らなくなるシーンをそのまま「エッジ」と訳しても伝わらないだろう。ここはどう訳すだろうか。
主人公がシドニーから帰ってきた空港はLCC専用空港だったりする。劇中で航空機が出てくるシーンはないのだが、なぜか自分の頭にはエアアジアが思い浮かんだ。調べてみると当該の空港からシドニーに行くにはエアアジアが一番安いらしい。とは言え直行便はエアアジアを含めて1つもない。別にどうでもいいのだが細かいところが気になってしまうのは良くない性格だ。勘弁していただきたい。
文章を書くときの一人称は迷う。特にこの文章では迷う。一番間違いがないのはやっぱり「私」だろうと思う。その「私」が厄介だ。
前置きは早々に、とにかく本題に入りたい。あるゲームの話をしよう。「バンドやろうぜ!」というソーシャルゲームがある。今確かに。そしてこれからも。
バンドやろうぜ! (以下バンやろ)は配信開始して一年以上たつ。ピカピカの2年生だ。ここではゲーム自体知っている人向けにこういう人間が存在しているということを伝えたいのでゲームの詳細は割愛する。私とバンやろの出会いは去年のお正月で、ふとテレビを見てると流れてきたバンやろのCMから興味を持ち、黒沢ともよと梅原裕一郎の2人を見つけてアイドルマスターと言いながらダウンロードした。元々いたジャンルが百合だったこともあり、最初に選んだバンドはキュアキュアトロンだった。なんで百合で選んだのかの理由は単純で、普通に純女のバンドだと思ってたから。女と男が仲良くバンドかー女性向けは懐深いなあと思ってたら全員男だと知って驚いた。と同時に深く惚れ込んだ。男の娘が大好きだったから。それからバンドやろうぜをやり続けて、幾万の金を恒常SRにし、とても楽しい時間を過ごした。ソーシャルゲームとして満点の娯楽を提供してくれたと思う。しかし、バンやろが私の人生にもたらしたのはそれだけではなかった。
ここでクイズです。筆者の性別は何でしょう。ジェンダー論的な論議は置いておいて、男か女かという2択で答えると私の性別は男だ。文脈からもわかると思う。何でそんなこと言ってるんだと思われるかもしれない。こんなに回りくどく言うのには訳があって、それがつまりこの文章で言いたいことなので読み進めてもらいたい。もう更新終了のお知らせでかなりの衝撃を受けているのでまとまりのある文章書けるわけないしさっさと本題に入ろう。
バンやろを初めてバンやろ繋がりのツイッターフォロワーも何人ができた。その中でとても運命的な出会いをした人がいた。
その人は女性だ。もう本当に紛れもなく女の人で、きれいで、そして生物学的に男だった。キュアキュアトロンのように。不思議な雰囲気の人だというのが第一印象だったと思う。相手がこちらに興味を持ってくれて、交流するようになった。
誰でも今の姿で生まれてくるわけがない。いわんや男の娘や。数え切れないほどの変化を経験してきたのだ。色々な話を聞くにつれ、私の中にひとつの欲望が芽生えた。
「人はこんなにも変われるんだ。フィクションじゃなくても。自分もこう変われたら」
キュアキュアトロンのように変われるのかもしれない。変わりたいという気持ちがだんだんと大きくなった。
んで、ここで私はこんなに変わりましたーみたいな素敵なサクセスストーリーでオチがついたら最高だったんだけれどね。うん、まあ。せいぜいが多少肌質が良くなったり服の趣味が変わりつつあるくらいですよね。なんと間が悪い。
まあ今はこんなしょうもない感じなんですが。ソーシャルゲームが確かに一人の人間の人格に影響を与えたし人生に寄り添い続けるし、そういうやばいコンテンツが確かに存在しているという事実をただ言いたかったのですよ。今はこれが精一杯。(まあもう少し色々整理してちゃんとした文章にしてバンやろ布教の一助になればとも思うので加筆修正してちゃんと公開したい)。
PS:最近ログインできてないし2部終わってから一気見するかーとか舐めた態度とって本当にすみませんでした。指詰めます。
私は20代、男。
くも膜下出血だ。
病後、例に漏れず私達の家庭も「高次脳機能障害」と付き合っていくことになった。
あれからもう5年以上も経過して、父は依然として
約束(決められた時間と場所にいく等)を覚えていられなかったり、
親から罵詈雑言を浴びたり、記憶の抜け落ちにより息子だと認知されなくなったりするのは、悪意がないとしても(無いからこそ余計につらいのだが)相当、精神的に堪えるものである。
今回、KEIKO氏の高次脳機能障害が世の中のトピックにあがったこのタイミングで、タイムリーなことに私の父にも進展があった。
決してハッピーなものではないため、増田にて書かせてもらう。長文雑文になるが、どうか一読いただければ嬉しい。
当時、いわゆる夢追い人だった私は、残された家族のため(高齢の祖母、まだまだ10代半ばの弟)
父に代わって、なんて格好のいいものではなく、なし崩しなのかなんと言うか、泣く泣く人生の軌道修正をすることにした。
肝心な父の状態は相当ひどいらしく、生きるか死ぬかの瀬戸際だった。
「生きても半身不随になるかも」
そう医者にいわれた。
わかっちゃいるが、お医者さんもすごい慣れた喋りクチだ。そのせいか、えらく事務的に聞こえる。
自分のこと、家族のこと、父のこと。私が死ぬわけでもないのに走馬灯のように色んなことが、しかも最悪の形で頭で展開されていき、
それと同時に、ただでさえパニックになっている頭の中を、物凄い情報量が通過していく。
まともに読みもしていない手術に関する合意書等、沢山の書類にサインをしていく。こんどはこちらが事務的にこなす番だった。
ふと気がつけば、手術がはじまっていた。
その時になってはじめて、あんなにキライだった父のことなのに、思いきり泣いた。
手術は成功だった。
術前に医者から聞いていたとおり、父は高次脳機能障害とよばれるものを抱えながら生きていくことになった。
パッと見、ちょっと痩せて目がトロンとしているくらいなのに、障害者だと思うのは不思議な感覚がしたが、それも始めだけだった。
開口一番、「おまえ、誰や?」。
ああ、父の病気はまだ続いているんだと悟った。
発症から数ヶ月ぶりにコミュニケーションがとれたこともあり、必死に状況を説明してみた。
うんうんと理解したような素振りをみせたと思いきや、「なんで俺はこうなってるんだ?全部のお前のせいだ!」と怒号を飛ばされる。
悪意がない、あたまが混乱しているだけだ。と周りには慰められたが、当時まだ二十歳そこそこで、ここまで自分なりに夢や時間やと犠牲にしてきたのに、あんまりだと思った。
この段階でまた泣いた。
聞こえはいいが、後に詰まっている患者を入れるため、心太式に入れ替わることが制度で決められているだけだ。
怒号はなくなったが、兄弟の人数を間違えたり、架空の人物を作り上げたりする父をみて、私は「これで大丈夫なのか?」と医者に問うたところ、
「これ以上の治療はできないからリハビリして現状維持するしかない」と返ってきた。
絶望だった。
もう私は一生、この現状に縛り付けられるのか?こんなあっけなく、自分のコントールできないところで審判がくだされるのか?何度も自分に問いかけた。
その後しばらくして、父はなんとか勤めていた会社に復帰するまで持ち直した。奇跡的だった。
父は、昔みたいにバリバリ仕事はできなかったが、会社が事情を汲んで軽作業の仕事を与えてくれた。
もうそれだけでも充分だった。やっと終われる。そう思った。
それから5年経ち、個人的にも家族的にもバタバタした時期がすぎて、なんとか人生プランを立て直す段階まできた。
そのタイミングで、また事がおこる。
つい先日、僕の電話宛に、父がいる会社の社長さんから電話があった。
嫌な予感がした。どうやら5年前の絶望は杞憂ではなかったらしい。
聞くと、実は1年前から仕事中だけ様子がおかしい。症状が酷くなっている。と言われた。
正直にいうと、「またか。」と思った。
世間は、血のつながりだとか、産んで育ててくれた恩人だとか押し付けがましいことを勝手にいいやがるが、クソ食らえである。
ソーシャルワーカーに紹介してもらった施設は、結局のところただの相談窓口で、抜本的な解決につながらない。ガス抜きにもならない。温度間がちがう。
いまの会社では働けないのに、障害者手帳をもらうには程度が低いので認定できないと言われる。
基本的に周囲からは「健常者」としてみられるのだが、自分のケツをふけなくなったくせにワガママだし、仕事もできない。
あんなに強かった父が、若い子から「ジャマだジジイ」だなんて蔑まされてるだなんて、聞きたくなかった。
泣いてたらしいし。もうつらいです。
■追記
深夜にどうしようもない心持ちになり、完璧に勢い任せな投稿だったのにも関わらず、反響があって驚いている。
コメントをみると、私みたいな物でも誰かの役に立てそうな気がしたので、返事を書いてみる。
本当にお疲れ様ですとしか言えないな。あなたの感じる細かい行政上の矛盾が少しづつでも解消することを祈っているよ。
私も二人、子供がいるんですが子供に迷惑かけたくないな、と強く思う。健康大事だな。。。君も(抜けないかもしれませんが)手を抜く事に躊躇しないで欲しいです。
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父は元々仕事人間でプライドが高い人だったので、いまの状況が本当にもどかしいです。
一身上のことですが、祖母と父は養子縁組だったので血が繋がっていません。
本文では割愛しましたが、実は父には血縁関係の無い姉がいて、軽度のダウン症を患っています。
そんな家庭でも、父は恩を感じているようで、私に常々と「家のことは俺が全て最後まで面倒みるから、お前は心配するな。」なんて言っていました。
なんとも救えない。皮肉な状況です。
お互い、ご飯と睡眠は大切にしたいですね。
嫌いをキライって書くやつ嫌いだわ。 苦しめ。
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不快にさせて申し訳ない。だけど、少しでも読んでくれて嬉しいです。
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いまのところ死ぬ気はないです。
件のおかげで、「嫌われる勇気」は読まずとも身についたのでラッキーだったかもしれません。笑
自分が関わらないことで「見捨てた」と思いながら自分だけの人生を歩むのと、
積極的に関わって「自分の人生を生きられなかった」と思う人生を歩むの、
どちらの人生が良いのかとときどき考えるが、私はまだ答えが出せないままズルズルきている。
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当時は経済的にもすごく不安定でしたので、よく「自分が死ぬくらいなら、全員見捨ててでも生きる。」と思って日々を過ごしていました。
いまでもそれは変わっていませんが、自分のできる範囲でなにか手伝おうというスタンスでやろうと模索しています。
しかし、何か在ればや私のところに連絡がきてしまうのかもですが。
障害者手帳すら出ない程度なら、後見人でもないと思うけど、本人ではなく家族に退職勧奨なんてするかなあ。
もし本当なら、退職勧奨は受け入れず、解雇通告された場合には会社に対し解雇通知書もしくは退職理由証明書の発行を依頼して。
障害者枠の仕事では自立できないって言うけど、障害者枠の仕事で子育てもして自立してる人もいるので、「障害者枠の仕事」と一括りにしないでほしい。
会社で勤務中だけ様子がおかしくて、主治医も増田も悪化が把握できないなら、会社から具体的な症状を聞き取りして主治医へ伝えることで障害者手帳を取得できる可能性はある。
大変だった時期もあるだろうけど、現在は障害者手帳が出ない程度だし、具体的にどんな介護をしてるか書いてないし。
行政支援が受けられないなら、距離を置くか、イライラ溜め込まないよう増田自身のメンタルケアを優先してみては。
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なるほど、そもそも後見人の概念を知らなかったので勉強します。
様子については、基本ちょっと抜けているのですが、仕事や非日常のイベントなど緊張する場面になると急に症状が酷くなるみたいでした。
タイトルについては、私自身も介護問題なのか労働問題なのかは上手く切り分けられていないのですが、小室さんの件もあり介護先行で書きました。
「障害者枠の仕事」も含め、相談員の言うことを鵜呑みにして思考停止している部分もあるかもです。
色々とご指摘、ありがとうございます。
買うべきではありません。短期で利益を回収する投機にはまだチャンスがあるかもしれませんが、資産が二倍三倍になったり億の収入を得るのはもはや難しいでしょう。投機はまっとうな投資にとっては毒です。あなたは仮想コインを買うべきではありません。
取引と購入の違いがよくわかっていないならまだ買うべきではありません。また調べようとも思っていなら、買うべきではありません
通常投資は余剰金でやりましょうとすすめられます。全生活費を突っ込むつもりでしたか? あなたは仮想通貨を買うべきではありません。
十万くらいならなくなってもいいというつもりで買うつもりでしたか? 確かに上手く行けば二倍か三倍くらいにはなるのが今の仮想通貨の世界です。ただし暴騰した通貨は暴騰したスピードの二倍から十倍、もしくはそれ以上のスピードで暴落します。十万円が五万円や一万円になったときに悔しいとか損をしたと思ったりしませんか? 数円~数十円の価格変動に一喜一憂しない自信がありますか? 二倍か三倍になるのを見越して「なくなってもいい」と言っていませんか? もしどうしても仮想通貨を買いたいなら、投資してもいいと思った金額の十分の一程度から始めたほうがよいと思います。
ビットコインは変えないけどイーサリウムなら、リップルなら、トロンなら、リスクなら…と思っていますか? それらの仮想通貨の違いが何かわかっていますか? そして通貨を発行するコミュニティの理念に共感しますか? ホワイトペーパーはよみましたか?プロジェクトが後悔しているWebページを読みましたか? どうしてその通貨を買うのか、今値段が上がっているから以外の理由を人に説明できますか? できないなら買うべきではありません。
理解できないならまだ買うべきではありません。
コーディングができる必要は必ずしもないと思いますが、翻訳や宣伝、ものによってはリソースの提供などでコミュニティに貢献することが可能です。やってもいいと思いますか? できないけれども、コミュニティからの配当を期待して長期保有を考えていますか? それとも単に通貨の価値が十倍になるのを待っているだけですか? もちろん投資である以上、利益を期待するのは当然です。ですが投資なら投資先のことはちゃんと調べますよね。ただ待っているだけで仮想通貨やトークンの価値が挙がっていくことはありません。そのコミュニティが健全で、ユーザが増え、規模が大きくなって初めて価値が高くなります。あなたはそれに貢献できますか?もしくはちゃんとしたコミュニティであるかどうかの見極めができますか?
VCから資金を調達してどうにかIPOするか大企業に身売りをするしかなかった、そしてそれがものすごく大変だったスタートアップや、マネタイズが難しかったせいで停止してしまうOSSを救うかもしれないという意味で仮想通貨市場、特にICOの興隆は非常に期待が持てます。しかしだからといってどんなコミュニティにも平等にチャンスがやってくるわけではありません。いままでVCや投資家がやっていたことを、一般庶民の私達がやるというのが仮想通貨への投資です。あなたはそれができますか? できないなら買うべきではありません。
当方19歳。これは1ヶ月前の話。バイト先で知り合ったそこそこ可愛い18歳の女の子と何故かうまく行き、付き合うことになった。
AVで見た感じのことを見様見真似でしたところ、ぎこちないながらも感じてくれてる様子で妙な自信が湧いた。
さて、そろそろ挿入か……と息子を見たところ、なぜだか70%ぐらいの硬さだった。
俺は焦った。早く立たせなくちゃ……と彼女を愛撫しながらこっそり俺の息子をシコシコした。
それでも立たなかった。立たなかったのだ。焦りだけが積もった。
そうだ、舐めてもらおう!
彼女はジュボジュボとしてくれた。
そうは思ったがなんとか85%ぐらいの勃起率にはなった。
さて、挿入しようともたもたコンドームをつけ……挿れるっ!
……あれ?
え、えええ!?勃起率が急降下!?80…75…70…60…45%……!!!
これを2回繰り返した。ホテルのコンドームは2個しかなかったのでこれで断念することになった。
彼女はこう呟いた。
「こんな人初めて……」
その後一緒にお風呂に入ってテレビを見ていちゃいちゃしたあと(お互いいつもよりぎこちない)ホテルを出て帰路についた。
トラウマ級だったが1ヶ月経ったことでなんとかここにかける程度には落ち着いた。
彼女はすごい気を使ってくれて、いつでも構わないから……と言ってくれた。
しかしながらそれからも彼女とそういう行為をしたいと思うし、興奮するにもかからず俺の息子は立たなかった。
これを4度繰り返した。
その内、彼女はそういった類のことを避けるようになった。
男として情けない……。一人でするときはちゃんと立つっていうのに……。
病院行ったほうがいいだろうか……。本気で悩んでる。