はてなキーワード: 80年代とは
この2つのバンド、アイドルバンドかと思いきや、ライブパフォーマンスも凄い巧い、人気があるの納得!と、僕やりナイトに行って感じた。
普段聞かないタイプの音楽にも関わらず実際めっちゃ楽しかった。
ただ、このドラマに本当に合ってるのか、というと、?んー?って思う。
受注者側(バンド)としてはコンセプト通りにバッチリ作ってるんだろう。
メインターゲット層は高校生ではなくもっと上の層が正解だったんじゃないのか。
「やらかし真っ最中」または「これからやらかす」層ではなく人を傷つけて自分も苦しんだ経験をした人たち…、30代以降の大人をターゲットにするべきだったんじゃないのかなと。簡単に言うと、カルテットを見ていた層で良かったんじゃないのかなと。
あとこのヤンキー校の感じ、今もあるの?
荒れたヤンキー校設定の漫画はおそらく80年代ごろに発生して色んな作品が作られて、90年代以降も松本大洋「青い春」、ドラマにもなった「ごくせん」とかあったけども、今、ヤンキーの存在ってリアルな存在なんだろうか、教えて高校生。
まぁ、今30代〜50代は自分の周りにリアルにヤンキーがいたはず(地域性もあると思うけど)なので、やはりターゲティングを大人にするべきだったんじゃないかと(しつこい)。
まぁ、走り出した後のプロモーションを見て勝手にやんややんや言うのってダサいしほんとに勝手なんだけど。
ドラマOP曲ED曲は、じゃあ何が正解だったのか私なりに考えてみた。
30〜50代がぐっときて、もっと苦悩を感じる音楽。泥臭くて汗臭くて、なんなら血の匂いもするような音楽。
OP曲をINU「メシ喰うな」(俺の存在を頭から否定してくれ♪)、ED曲をザ・スターリン「メシ喰わせろ」(俺の存在を頭から輝かさせてくれ♪)か「ロマンチスト」(何でも良いのさ壊してしまえばお前はいつでもアナーキスト壊れていくのはテメエばかり♪)なんてどうだろう。
年齢層少し下げて、大森靖子の「私は悪くない」(私は絶対悪くない生きていて本当にごめんなさい♪)、アーバンギャルド「ノンフィクションソング」(生きろこれは命令形だ死ぬなこれは命令形だ消せないノンフィクション♪)なんてのも良いのではとひとしきり妄想…してみたけど、
うん、違うね。
違うわ。
違うよねー!
9時台のドラマですもんね。
ED曲はドラマをそのまま歌詞にしたど直球、曲調もヒリヒリしていて心地いい。キャストとのコラボMVも緊張感のある仕上がりでやたらかっこいい。窪田正孝の歌の巧さ、今野浩喜の声の良さにもグッときた。
疾走感ある爽やかなOP曲も、人の心の黒い部分に触れるドラマゆえに、逆に視聴者の気持ちを軽くする役割を担ってくれているように思う。
9時というメリットとデメリットの中でいろいろ葛藤した結果の最適解。
シナリオ、エロや暴力の表現、キャストの演技も9時というメリットとデメリットの中でめちゃくちゃ闘っていると思う。
窪田正孝の映画、東京喰種見てきた。この映画も主人公が自分の背負った罪に苦しむという共通点があるんだけど、(僕やり単体で見ると分からなかったが)明らかに演技の「トーン」を変えてる。狙って変えている印象で、狙って変える事ができる窪田の実力ハンパないっすね。
川栄とのエロシーンも制約があっただろうに、窪田と川栄の表現力で相当エロかった。男性の言う着衣の方が寧ろエロいというのが良く分かった。
各所ですでに言われているがキャスティングが良い。
特に、メインキャスト4人が完璧だと思う。暴力とか人の狡さとか胸糞な内容をこの4人が苦い薬の糖衣のように「魅せる」ものにしてくれている。個体でいうと、マルがダントツ。どクズ胸糞キャラなのに葉山の可愛らしさが「憎みきれないろくでなし」と視聴者に思わせて、感情移入すらすることも。川栄もバッチリハマってる。そして、パイセン。ドラマ全体を糖衣で包む。これは今野にしか演じられない、というか今野ありきでこのドラマが立案されたんじゃないのかと思うレベル。
視聴率はイマイチのようだが、単純に「親と見れねー!」「子供と見れねー!」って人が多いのだと思う。録画視聴率は高いのでは。
もうすでに折り返し地点だが、今シーズンのドラマの中で、抜群に面白いし深い。
前に新聞が子のつく名前などがネットでしわしわネームと呼ばれていると報道して話題になった。
ネットで言われていたしわしわネームは貞子や信代茂三など我々の祖父母世代の話だったので、具体的な名前が出せないからって子のつく名前全般で言うのは乱暴だと思っていた。
http://www.meijiyasuda.co.jp/enjoy/ranking/year_men/girl.html
でも歴代の名前の流行を調べてみたらなるほどしわしわかもしれん…と思った。
元々は皇室の名前を一般人にもつけてもいいと言う事になり一般人もつけはじめ、当時は身分もわきまえず皇室の姫様の名前を自分の子供につけるなんてと眉をひそめる人も居たらしいが大流行をした。
1921年から1956年までトップ10を独占するほどの女=〇子状態。
80年代で人気が落ちて、1986年には完全にトップ10から姿を消す。
30歳の人にとって古い名前を赤ちゃんにつけるのは確かにおばあちゃん世代のイメージかもしれん。
私が生まれる30年前の流行りの悦子とか節子とか和子とかめっちゃおばあちゃん臭く感じるし、それより古い名前といったら凄く古いかもしれん。
正直漫画アニメラノベとかあまり読まないのでかなりなんとなくなイメージだが、もしもっと詳しい論考あるわ!と言うなら教えて欲しいくらい。
ラッキースケベという概念と対になるものとして、男性キャラが積極的に性的な関心から女性へスケベをする類型があげられる。これをセクハラスケベと定義する。
次になんらかの偶然により当事者の意思によらずスケベな状況になるのをラッキースケベと定義する。
さらに気づいたのが、そのどちらにもあてはまらない、男性キャラに性的意図がない、あるいはあってもなんらかの正当性があるものをイノセントスケベと定義する。
刑法にたとえれば、構成要件に該当し違法有責なのがセクハラスケベ、構成要件に該当するが違法性が阻却もしくは責任が否定されるのがイノセントスケベ、そもそも構成要件に該当しないのがラッキースケベとなる。
なおラッキースケベの初出はガンダムSEED DESTINY 01.PHASE0-1 の13分前後のシン・アスカがステラのオッパイを意図せず触ったさいに「このラッキースケベ」と言われるのが初出らしいが、類型としてはドラえもんのいわゆる「のび太さんのエッチー」などそれ以前から見られる。
以下それについて分析する。なお、これは作品毎の傾向であるが、これらの三種は同一作品内に男性キャラの属性として複数みられることもある。
まいっちんぐマチコ先生や、まじかる☆タルるートくんあたりなど。90年代に下火になってきた。この背景には80年代後半より「セクハラ」という概念が一般化し、セクハラスケベは悪いことだという共通理解ができ、それを主人公やそれが類する人間が平然と行うことに読者が抵抗感を覚えてきたのではないか?と推察できる。
実際ネットでも環境型は意見が分かれても直接的な「セクハラ」には否定的な意見が大勢を占める。
これはラッキスケベとセクハラスケベを考察していて気づいた類型。性的意図がないものとしてはドラゴンボール初期の孫悟空やBASTARD!! -暗黒の破壊神-のルーシェ。正当性があるものとしては聖痕のクエイサーのサーシャ、健全ロボダイミダラーの真玉橋孝一などで、これらは特殊な能力を発揮したりロボットを動かす際にスケベな行為が必要となる。
ラッキースケベと比較し、あまり多用されないのはキャラクターや設定的に理由を付けないといけないのが、色々難しいためか?
キャラクター自身はスケベを意図していないので、読者から悪いやつ扱いされない。さらにハーレムモノでも、主人公側からの恋愛感情がなくても可能と設定的に使いやすいので多用されたのか?
ただ、このラッキースケベは偶然であるが、作者が書くのは当然意図的であり、「故意」をメタレベルで消化し、ある意味作者と読者の共犯関係とも言える。
確かにある意味キャラクターの故意の部分を除けば女性キャラクターの多くが羞恥するという点ではセクハラスケベと共通している部分もある。
twitterの方でこういうツィートがあった
美味しんぼの頃はバブル期まっただなかで、「フランス料理食べすぎて飽きたわー」「キャビアもフォアグラも大して美味くねーな」と贅沢ばかり言ってるのに、今の料理漫画はやっすい駄菓子や宅配ピザを、うまいうまいと喜んで食べるのが主流で、日本の生活水準下がってるのダイレクトに感じられてつらい
いやバブルのころも中身すっかすかでな、例えばキャビアなんて高級品から質の悪い輸入品までいろいろあったわけだが、ひねた匂いのする大して美味しくないキャビアをキャビアだからとありがたくいただいてるとかそんな味覚バカがまだごろごろいたんだよ。なのでそこらへんぶっちゃける連中は「キャビアもフォアグラも大してうまくねーな」なんて話になるわけよ。
80年代ってのは日本の食品事情がかなり酷かった最後のあたりかな?
昔は今と違って温度と湿度を管理した流通なんてものがマジなかったので野菜もすぐ質が悪くなってまずくなるし、肉もまだ残飯食わせてたようなブタとか残ってた時代だからかなり臭みが残ってたりした。今の豚肉食ってるやつは「豚肉の臭み」とか言われてもあまりわからんだろう。
美味しんぼでも牛乳が苦手な子、人参が苦手な子が出てくるエピソードがあるが昔は水で薄めすぎた牛乳が平然と出回っていた。転校して前の学校の牛乳の薄さを知ったときにはサギだと思ったもんだ。今は薄めたりすると牛乳名乗れないからな。
人参は、今では子供の好きな野菜上位に平然と来るからなhttp://news.mynavi.jp/news/2017/05/03/047/嫌いな野菜でも下位。今の人参しか知らない人は昔の人参が甘くないというかエグいだけで大して味がしなかったりするようなのが平然と流通してたのが想像できないだろう。品種改良バンザイ
美味しんぼで取り上げられて今でも残ってる昔のまずいものっていうと味の薄い豆腐ぐらいか。これはある意味デフレが温存してしまったブツだな。豆腐も上の方は製造技術があがっておいしくなって、かつ長持ちする豆腐ってのが出てきたりしてるんだが(今は美味い豆腐に旅をさせても大丈夫)
オチはない
たぶん胸糞悪くなる人が大半だと思うので、エログロ小説や性犯罪記事を読む心持で読んで欲しい
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まあ平たく言えばロ〇コン向けの本なんだけど
80年代に発行されただけあって、今手に入る二次元漫画雑誌なんか目じゃないぐらい倫理観ガバガバ
実在する学校名を堂々と載せて、校門前でスナップしたと思わしき素人女子中学生てんこもり(さすがに目線は入ってる)
どうすれば小さな女の子とお近づきになれるのか?親にばれずに一緒に遊ぶには?細かいところまでレクチャーします特集
極めつけは、上記の方法で数々の少女を襲ってきたと思われる人物が、実際に目をつけた女の子に公園で声をかけて、家に連れ込んで…以下略
上記の過程を全て撮影し、その写真と少女を抱く自分に酔ったポエミーちっくな手記まで付随していた
印象的だったのは、これらの記事の節々でコメントしている筆者ら(こういった方面での愛好家達)が、「今まで〇〇人ハントした」といった様に、少女に対し乱暴した人数をまるでコレクションか何かのように自慢げに語ったり
まるで無機物の人形を見るかのような上から目線で、道行く少女らを眺め、観察し、批評する
彼らが心から生と性を楽しんでいる様が、数十年だった今でも文章からにじみ出ていた事だ
悍ましいとか、気持ち悪いとか、憤りを覚えるとか、女の子が可哀想だとか
当たり前に出てくる感情はもちろんあったが
一方で、この本から流れてくる異常且つ意味不明ななパワーに圧倒された…
今ではとっくの昔に規制された幼い少女に対する性愛を、ここまであからさまに語り合う人々や場があったのか、与えられていたのかという驚きが強かった
余談だが、こういった類の本を閲覧する際は別室と呼ばれる小部屋へ案内され、その部屋以外への持ち込みは一切不可だ
関連記事で読んだ性教育に力入れてた時期(80年代後半から10年ほど)に当てはまる世代だけど、それでも「授業でやった」を大印籠にできるほどではないと思う。
ましてそれ以前の秘匿&遅れに遅れてた性教育の世代で、女兄妹、PCネット環境・スキルなしで、かつ所謂キモくて金のないおっさんなら?
知らない方が普通と言われてもそう不思議ではない条件が揃っていると思うけど。
そしてその世代はネットの外にはそんなに遠くない距離にいると思う。
授業・教科書で~と言っている人らは、授業・教科書をきっかけに興味・探究心を持ってその後調べたりしたから定着したんだと思う。
それこそ性教育に力入れるようになってから?は、他では絶対に禁忌とされていたおっぱいと性器が無修正で堂々と載ってた訳だし。
授業はさわりだけ過ぎて現実世界の事象とは中々リンクしないと思う。
自身も最初授業でやっても、実物なし・内蔵断面図程度では理解が足りず、その後エロコンテンツなどで触れるまでは挿入場所は女性の前の穴(尿道)だと思っていたし、子供もそこを通って出てくるものだと思っていた。(男女で凹凸対になっているという考え方)
さらに中学生くらいになると定かではないが、ゴムの付け方と意味は男女ともにニヤニヤしながらも受けた記憶があるが、同じような流れで女子の生理用品の話はなかったと思う。
性教育に力を入れていると言われてる世代でもこんなものだし、その頃も「生理」が説明なしの印籠になっていて、男子としてはよくわからないけど、「生理だから全て何もかも仕方ない」以上の知識を得られる事は自身で調べるなり、聞き調査しなければ辿りつけない。
ではナプキン・タンポンの知識はどこでかというと、触りをエロコンテンツで見聞きして「はて?それはなんだろう?エロイ事かな!?」と知的探究心で調べてからかと思う。
前述のように恵まれていれば女兄弟かパートナーから知るのかもしれないが。
そういった意味ではフェミが喚くポルノコンテンツも、悪しきモザイク文化もまわりまわって興味・知的探究心を掻き立てるという意味で、少しはプラスの意味でも性教育に繋がっているのではと思うけどどうかね。
これをより締め上げて禁忌にして、また性教育後退して(お上はそれを望んでいる風にみえる)なんてなったら、最近の若い世代はPCなし、スマホのみで能動的な調べ物も中々しない、しにくい環境らしいから、より生理などに無知になる。
最悪、裏に潜ったエロコンテンツから得た知識でより間違った知識でガチガチになった世代ができるかもね。
そして更にこの世代が所謂キモくて金のないおっさんルートに乗ったら…?
そうでなくても未婚率・パートナーは面倒くさいからと交際相手のいない率も上がってるらしいし、割りと杞憂ではない未来だと思うな。
知ってて当然・授業で習った。はネットの外に出て全世代男性でみたら案外少数派なのでは…?は言い過ぎかも知れないがそれくらいの気持ちで居た方が良いと思う。
余談だけど男はその辺見栄も張るから、知ってる!といいつつも全然知識不足とかありそうだ。
そもそもどこまで知っていれば必要十分なのかもわからないし指針もない。
女性らが言う「知ってて当然」は、どこを何まで?
これを男側で応えられる人となると更に減ると思うけど。
(エロコンテンツや自学習で知識は得られても、人自身に寄り添った情報はオープンな家族やパートナーがいないと得られないため)
勿論逆側で、男の生理について必要十分な知識を持っている女性も多いとは思わない。
が、そこで男側は知ってて当然!とはなってない点を見て欲しい。
まずは現実を正しく理解して、生理関連も男子の勃起話をニヤニヤして話すのと同様くらいの空気にしないと、社会や世間単位で知識が広まることはない。
そうなると、普段の生活ではパートナーや家族が理解してくれるから~と問題がなくても、非常時などの時によく話にあがってる(デマかどうかは別として)生理用品突き返しなどの受難があるのではと思う。
どう逆立ちしても性教育が遅れていて、世間としては恥ずかしい物秘匿すべき物という認識の方が多数なのだから、知っていて当然ではなく、知らなくても仕方ない、知らなくて普通くらいの認識の方が当たり前に思える空気にしていかないと長期的にみると大変な事になると思うよ。
http://www.meti.go.jp/committee/summary/eic0009/pdf/020_02_00.pdf
各論点はバズワード満載で耳触りが良いので、TLでは、概ね「今の論点がまとまっている!」や「日本ヤバい!」、「熱い!」みたいに、資料に肯定的な論調が目立つ。しかし、違和感を持つ人も少なくない。違和感の正体はなんなのか。
まず、経済産業省の資料として、一番不安を煽るのは、経済成長について正面から議論していない点。1人あたりの実質GDP成長の効用が逓減したとしても、デフレ環境下での生活満足度が信用できるのか、幸福度が指標としてワークするのか非常に疑問。ましてや経産省が経済成長から逃げてどうする。今では有名な話だが、人口減の先進国も普通に経済成長しており、日本だけが馬鹿真面目にデフレを継続させていて、立ちすくんでいた。
また、経済成長なしでの、資源の再分配は必ず社会的分断に繋がる。この資料では、1.若者への再配分が上手くいってない、2.女性への再配分が上手くいってない、3.高齢者へのパターナリズム的福祉抑制で予算捻出だと思うが、パレート最適はありえない。人口動態から、激しい政治的対立が予想される。高齢者にも現役世代の「産めよ殖やせよ」を忖度させるとする。それを全体主義と言う。
2.国家観の古さ
今更、「誰もが不安を不満を抱えている」(そうじゃないのは、不安や不満を表現できない共産圏くらいでは?)、「人生には目指すべきモデルがあった」(良い大学を出て、官僚になるとか?あと、共産圏)、「人類がこれまで経験したことのない変化に直面」(ここ100年くらいでも、明治20年代の日清戦争前、昭和20年代の敗戦期の方が大きくないか?)など、いろいろ古い。これでは、数十年前からバズワード(今だとAIやIoT、VR)だけ変えて立ち上がる、情報社会論やポストモダン社会学である。
行政が生活をどう定義しようが、定義した頃には既に生活が変わってしまっている。市井の生活はそもそもダイナミックなのに、今更エリートがそれを「発見」する。80年代、主にアメリカが考えていた、日本の高度経済成長が通産省によるものという神話に取り憑かれてるのではないか(79年ヴォーゲル、82年ジョンソン)。経産省がライフスタイルや個人の幸福に口出しは余計なお世話で、そんな不透明な指標で制度設計されてはたまらない。時代遅れの国家観、国民観は語らず、経済問題に特化すべき。「子不語怪力乱神」というわけだ。
3.具体的な政策
「バズったから議論の土台を作った」とか考えてたら最悪で、単に大衆がバズワードを使ってポジショントークしてるだけ。要は単なるポピュリズムで、当の女性やマイノリティは困惑している。何故ならば、「弱者」として「発見」されて、マウンティングに利用されている気分だから。では、何をすべきか。
そもそも、民主的なプロセスや市場の原理で実行されないことを目指すべき。官僚はそもそも民主的なプロセスで選出されていない。専門的な課題を解決するなは、必ずしも民主的なプロセスは向かないから(e.g.BrexitやTrump)。レポートで指摘するような、世代間の再分配は、確かに国家的な課題なので、1.経済成長を進め、2.馬鹿馬鹿しいポストモダンを捨てて、3.真面目に取り組むべき。
2017年現在、完全雇用を実現しているリフレ政策は、たまたま安倍晋三が、第一次安倍内閣後にマクロ経済を勉強したから実行された政策。全く民主的なプロセスとは関係ない(その継続は高い支持率に支えられて民主的)。短期的には、資産を持つ高齢者に課税して、若者含む雇用を生み出す政策(フィリップス曲線)だか、もちろん、消えてなくなるのも偶然。日本でもマクロンのような、見た目の良い構造改革派によって、民主的なプロセスに則り、消え去る可能性大。
また、日本やドイツのようなメインバンク制の強い国では、ゾンビような大企業でも存続し、新興企業に資金が還流しない。欧米に比べて資金供給が少ないのではなく、中韓などのアジア諸国と比べても後塵を拝しているのは国辱と言ってもいいだろう。もちろん、民主的なプロセスでは、既存の大企業が力を持ちがちだし、新興企業はそもそも争点にならない。これが原因で、生産性の低い、古風な企業に人材が滞留する。自然とto doではなくto beで働くようになり、モチベーションが落ちるわ、自殺するまで会社を辞められない。
シリコンバレーの金融環境も一朝一夕でできたものではなく、徐々に成功企業によるMAが増えて拡大したもの(9割以上はMAによるexit)。中国もBaidu,Alibaba,Tencentの活動に寄るところが大きい。日本でも企業の内部留保もデフレ環境下で拡大したので、資金がないわけではない。MAを行いやすくする環境を、政策により整備すべきである。これにより、流動的なキャリア形成(液状化した笑)の受け皿が整備される。若者や女性と雇用の問題も本質はここ。
2017年の完全失業率は2.8%で、ほぼ完全雇用状態にある。しかし、これはよく言われるが、労働市場が流動的な国では、自然失業率高く出る。国ごとの単純比較で失業の質は分からない。上記の流動的なキャリア形成を実現した場合、当然転職が増えることになるので、失業率は上がる。政治的な争点としては、もちろん批判の対象になるだろうが、雇用の質を改善するには必要な政策。また、現在のハローワークは若干懲罰的で、失業期間を支えるセーフティネット整備も合わせて必要だろう。
ただ、政治的な配慮の上、論点を探られたくなくて、わざと混乱した資料を公開したのであれば相当の策士だと思う笑
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納得。しかもこの手の邦画を馬鹿にするネット住人は自分の好きなものには甘い。
1点目の安直なコンセプトの量産なんてオタクが大好きな特撮ヒーローものとか最たるものなのにオタク視聴者は今日のエピソードは良かった、面白かったと作品の個性や違いを強弁する。なのに邦画の違いは見分けられないメクラ。
2点目の原作モノの有り無しの話なんて例えば80年代の名作映画と呼ばれてるものだって原作モノ多いけど、それらを絶賛してる映画オタクがどれだけ原作を読んでるのかと。実写邦画じゃないけど俺なんてドラえもんのアニメ映画に子供の頃から「つまらないなぁ」とがっかりしてたからね。原作漫画のほうが面白すぎたから(ドラえもん映画はアニメと原作漫画の同時並行制作だけど)。今の原作モノ批判の連中は「大勢の人がクソだといってるから俺もマウントとってボコボコにしたい」という快感にはまってるだけだよな。