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はてなキーワード: 逆シャアとは

2018-04-10

anond:20180410140005

安室は何年も前からいて出番もけっこうあったけどその頃は見向きもされてなかった、赤井も同じく

まーたガノタの作者がはしゃいでるよこれ作者が楽しいだけだろって感じ

しかし2年前の逆シャアパロみたいな映画で急に人気出た

まり逆シャアが実は腐向けってことだな

富野ホモがどうとか言ってたし

全部あの禿が悪い

2017-09-11

増田逆シャアのクェスハサウェイいらん」富野もっと恋愛やりたい

「分かりにくい話で申し訳ありませんでした」

逆襲のシャア制作に当たっては「ロボット戦闘ものにしない」ことを念頭に置いたという

映画というのは、男女の関係を描く低俗ものであるべき。だからメインキャラ恋愛を描こうとしたが、今見返すと、もっと色っぽく作れたはず」

「もし新作を作るなら、もっと恋愛をしっかり描きたいし、後進にも恋愛を描いたロボット映画を作って欲しい」

http://buzzap.jp/news/20170908-tomino-cca/

https://anond.hatelabo.jp/20170817201201

この増田が見たかったロボットプロレスとしてのガンダムと、富野監督がやりたかったロボット恋愛映画という主張が真逆だった。

ガンダムUCビルドファイターズが売れてるのを見ると受けるのはロボットプロレスなんだろうが。

恋愛を描いたロボットアニメっつーとマクロスシリーズエウレカセブンみたいなのか?

2017-09-07

じゃあ何のモビルスーツならいいんだよ

ガンダム(笑)

ガンキャノンカイ・シデンに憧れてるの?

ガンタンクネタに走りすぎ

Gファイター→ガキっぽい

コア・ファイター、コア・ブースター劇場版しか見てないにわか臭い戦闘機あんなに強いならモビルスーツいらないだろ

ジム→量産機になるな(笑)ジェガンも好きそう

ボールネタに走りすぎ

シャアザクにわか臭い

ザク→まだにわか臭い

グフ武人気取り

ドムデブ

ゴッグ→ゴックかゴッグかゴップか紛らわしい

ズゴックマニア気取り

シャアズゴックジム戦車ファンファンしか倒してないけどいいの?

アッガイかわいいアピールキモい。何がベアッガイだよ

ギャン→壺臭い

ゲルググエース気取りが鼻につく豚鼻野郎

シャアゲルググ連ジでは強かったね(笑)

ジオング障害アピール。俺は未完成アピール

その他モビルアーマー艦艇戦車戦闘機モビルスーツっていってるだろ

初代以外→ガンダムが許されるのは逆シャアまでだよねー(笑)

https://anond.hatelabo.jp/20170906004304

2017-02-23

アーマードコアみたいな戦闘シーンのあるロボットアニメってある?

ちょっとよくわからないと思うんだけど

ガンダムとかでさえ戦闘シーンってビームちゅどーんバーン!で終わりじゃない?

 

そうじゃなくてミサイル撃って弾幕はってライフル撃って建物を壁にしながらオーバーブーストで近づいて

レーザーブレードで斬りぬけしながら反転して慣性を利用しながら地面をスライドしながらキャノン砲を構えてビル背中をぶつけた瞬間

肩のレールキャノンから放たれた弾が敵ACのKARASAWAを持つ腕関節部を破壊、お返しとばかりに敵ACからミサイル全弾の返礼が返ってくるのを見たら

再びオーバーブーストミサイルの雨をすり抜けて近づこうとするけど反転したミサイルに追い付かれそうになり

チャフ代わりに全ての武装を解除してぶつけたと思ったら唯一残っていたレーザーブレードで袈裟切りにして敵AC撃破

残心感傷も浸る暇もなく敵増援の知らせを聞きいてそのまま戦線を後にしながら報酬オペレータ確認する主人公

その空の下では先ほど撃破されたACに回収班が群がってコクピットをこじ開けようとしている

 

こんな感じにガチガチロボット同士のバトルシーン書いてるのってある?

金属同士で火薬のぶつけ合い、鉛玉の応酬、殴り合い

できれば特殊能力プラスされたのは嬉しくないコードギアスとかヴヴヴみたいなの

これどっちもいい線いってたんだけどやっぱり特殊能力あった方が話作りやすいもんね

いやAC特殊能力っぽいのは出てくるけど主人公基本的に強すぎること以外は変な能力持ってないからね

この際ロボットものでなくても構わないけど機械ならいいよ

ああ、でもガンダムでも逆シャアサザビーνガンダムはとてもいい

あいうのを見たかったけどああいうのの発展は結局ないということはあれの良さを分からない人の方が多いと言う事か

うん、まあ、ないだろうね

2017-01-02

俺「∀ガンダムみよう」

劇場版みる→総集編と気づく

テレビ版見始める→他のガンダムを見てないとラストの感動が半減すると気づく

ファーストガンダムみる→めちゃくちゃ面白かったのでせめて逆シャアまでみることを決意する

Zガンダムを見始める

∀ガンダムをみたいだけなのに道のりが長すぎる…

2016-09-20

君の名は」を富野御大が悔しがるが

隕石割れて欠片が降ってくる、ってつまりそれはアクシズで、核爆発でブレーキを掛けられた隕石の後ろ側が地球の引力に飲まれてるんだよね。

きっと宇宙ではブライトさんが「俺達はシャアの手伝いをしてしまったというのか…!!」って世界が繰り広げられてるよ。

瀧くんはニュータイプサイコフィールドで三葉を救った。

裏設定は逆シャアじゃないか。すべてのアニメ映画逆シャアオマージュを避けて通れない。

2016-08-15

ジブリとかアニメ業界人間関係を知ってしまうと涙がとまらない

俺がそういう関係にあこがれてるからかもしれない。


宮崎駿高畑にどれだけ執着しているのか。

宮崎駿庵野師弟のような友情のような奇妙な関係

鈴木敏夫宮崎高畑を如何に見出したのかという話

押井守宮崎駿いるからああいうわけのわからん映画を作ったという発言

ウェールズ旅行の話をする押井鈴木敏夫

冨野商業主義作家性との葛藤

冨野安彦良和に対する評価

風立ちぬを見て泣いた冨野

作品性を見るとなんだか遠いようでいて皆(宮崎押井冨野庵野も安彦もみんなみんな)実は微妙に互いに気にし合ってそうな関係


これだけじゃなくて他にもいっぱいある。

面白いのがいろんなところでチラッと庵野が出てくることだ。


板野一郎の下で基礎を学んだ庵野

宮崎駿に親近感を覚える庵野

冨野との対談で逆シャア賞賛する庵野(そこでチラッと出てくる押井さんの名前


夢と狂気の王国」で庵野の初対面の印象を「宇宙人が来たかと思った」とうれしそうに話す宮崎駿

庵野の隣で模型を手で動かしてインメンマルターンを再現する宮崎駿

俺はオタクじゃない→BOOOOOOOOM!!!!(※飛行機ごっこをする宮崎駿)というシーンに俺はなぜか泣いた。

なんてチャーミングなんだ。

風立ちぬラストシーンが「来て」から「生きて」に変わった事を受け止めようとする庵野

そして「ジブリはもう終わり」と言った駿が終盤で楽しそうに宮崎鈴木高畑で話しているのを見て最早俺の顔はグジャグジャだ。


なぜこんなにもあの人達関係性は俺の心を打つのだろうか。

俺はやつらのインタビューを見るたびに涙が止まらんのだ。

それは俺にはないものからかもしれないなと思うのだった。

2016-08-03

シンゴジラナディア最近見たんだが、ほかのおすすめ教えてくれ

庵野のというより、日本アニメやら特撮エポックメイキング的なものを知りたい。


ガンダムも、ヤマトも、999も、初代ゴジラも、ガメラも、見てないのよ。AKIRAとかも。


ここ八年くらいでオタクになったから、ガンダムレコンキスタと鉄血しか見てないし、ゴジラメカゴジラやらモスラとかくらい?見た記憶があるだけで、内容覚えてないけど。

エヴァは見た。カリオストロとかジブリは見てる。今監督のは全部見てる。トップも。パト劇場2も見た。ウテナやらナデシコは影響を与えられた作品かな?どっちも凄かった。

一応アニメ見た数は200超えてたんだけど、そういうエポック的なの見てないんだよね。


今年ニコニコの一挙放送コナン(未来少年)とナディアを見たんだけど、ナディアってすごいコナンっぽいよね。で、最後らへんがすごいヤマトっぽいらしいね戦艦でてるからか?エヴァの原型っぽいのも出てるのはわかる。だから、影響を与えたものを見たくなった。


これ凄い面白いから見ろ!!ってものじゃなくて、これ凄い他のものに影響をあたえたから見ろ!!ってものね。スピルバーグカリオストロのカーシーンを歴代トップだ!って絶賛してるみたいに、あの凄い監督に影響を与えている作品とかね。


ガンダム初代、逆シャアヤマト、初代ゴジラガメラ123、とか?パトレイバーもか?

ウルトラマンおすすめとか、特撮の凄いのも知りたい。ああ、ウルトラマンとか仮面ライダーは何のシリーズ特にどの回がおすすめか知りたい。全部見る気力はない。アニメなら全部見れるんだが、、慣れてないのよ。


それではお願いします。

2015-11-28

シャアガルマと、ジョン・レノン

逆シャアでの、アムロに対するシャアの絡み方とかみてると、しみじみ、「シャアさびしかったんだろうな…」と感じる。

さびしかったっていうのは、友達がいない、みたいな意味


ジョン・レノンオノ・ヨーコ出会ったとき「俺より頭のおかしな奴がいる!」と喜んだ、という話がある。(うつくしい伝説かもしれないけど。)

ジョンも、きっとずっとさびしかったんだろうな…と、なんとなく思う。


ビートルズのジョン曲に「Strawberry Fields Forever」というのがあって、こういう歌詞がある。

No one I think is in my tree, I mean it must be high or low.

孤独の木。呼応するセピア色の強烈な原風景


これは、孤独を「数えられる」人には、わからない感覚かもしれない。「あなたは、どんなとき孤独を感じますか?」という質問意味がわかる人。白地に黒の水玉。

これがもし黒地に白の水玉なら、「黒」は数えようがない。「あなたは、どんなとき孤独でないと感じますか?」なら、わかる。


友達っていうのは、対等な関係のことだよね?

まり、(少なくとも一面で)対等でなければ友達にはなれない。

(少なくとも一面で)その人と対等であれる人がいなければ、その人と友達になれる人はいない。どれだけ友達になってくれようとしても。どれだけ共に時間を過ごしたとしても。


シャアには、”友”であるガルマが”坊や”にみえしまう。

実際、ガルマは坊やなんかじゃないんだけどね。シャアとは指向性が違うだけで。

ガル自身シャアに対して「家族のない君にはわからない」的なことをいってる。


ガルマの木に、シャアはいない。シャアの木に、ガルはいない。


どちらが高くてどちらが低い、とかい問題ではなく。高いか、あるいは、低いか。両者じゃ指向性が違う。



No one(I think)is in my tree孤独とは、そういうものではないだろうか。



同じベクトルで同じように背負うものがあったからこそ、ガルマとイセリナにはわかりあうものがあったのだろう。

同じベクトルで同じように抱えているものがあったからこそ、シャアララァにはわかりあうものがあったのだろう。


アムロが実際シャア友達になってくれるか、そしてシャア自身がそれを望んでいたかは別として、アムロシャア友達に「なれる」人だった。たぶん。


逆シャアのNew技術リークみたいなことも、そう考えるとものすごく腑に落ちる。対等でありたい。つまり、「友達になりたい」。


いや……「アムロにいてほしい。自分孤独の木のなかに」。ただ、それだけだといったほうが適切かもしれない。


もちろん、一面では説明のつかない複雑な感情があったとは思う。ララァがらみの部分とか。

でも、アムロと戦っているときシャアは少なくとも「孤独」ではなかったんだろうな……と、ぼんやり思う。




私にガンダムを教えてくれた人が、私がガンダムにまんまとハマったのをみて、さりげなくバガボンドを紹介してくれた。

泣いた。

2014-09-12

隠れヲタ、閑居ス

幼少期に見ていたアニメ聖闘士星矢とか北斗の拳とかそういう世代だ。まだアニメがどうとか考えもしない年頃だからそんな程度で次に行こう。

子供向けアニメ小学生

普通アニメ、すなわちドラゴンボールなどは幼い頃から見ていた。僕はやはりベジータが好きだった。ドラゴンクエストアベル伝説とかも好きだった。デイジーが好きだった。当時はまだ隠れヲタではなかったが、恐竜惑星などは好きだったし、ワタルとかキャッツアイとかうる星やつらからんまとかも見ていた。

AKIRA小学生の頃に見た。Vガンダム、G、Wあたりも飛び飛びでは見ていた。Vガンダムに関してはマヘリアさんが好きだった。

主にZガンダム中学生

中学の頃、僕は自分専用のテレビビデオデッキを買ってから、本格的にガンダムにハマった。ガンダムファースト、Z、ZZ逆シャアぐらいを見た。このガンダム見方ぐらいからはもうヲタ見方だった。レンタルビデオ店で1話漏らさず見ていたのだ。僕はフォウ・ムラサメが好きだった。あの精神不安定さにハマった。

中学の段階では、僕はまったくヲタとは言えない。ただのガンダム好きなやつだ。高校ヲタ友達出会い、全く変わってしまった。

アニメの影響でヲタへ(高校生

高校時代、僕は服装にも無頓着無印とか着ていた(私服高校だった)。校内では本当にオタクだと思われていたらしく「アニメイトとか行ってる」と笑われていたが僕は一度としてアニメイトには行ったことなかった(いまだにない、そもそも行っても何も買う金がなかった)。

本格的にヲタになりだすのは、エヴァンゲリオンに始まり綾波レイ妄想を繰り返す頃からだ。2ndRingというアヤナミストが書いた二次創作小説を読んだりもしていた。綾波レイ以降の無機質系はいまだに心が揺さぶられる。

高校ではヲタ友達に影響されヲタ向けのアニメを見るようになる。てなもんやボイジャーズ、アキハバラ電脳組機動戦艦ナデシコカウボーイビバップブギーポップは笑わないなどをレンタルした。カウボーイビバップ好きな人は多かった。ナデシコも有名だったから、友人の一人は思兼をデスクトップ壁紙にしていた。

逮捕しちゃうぞ無限のリヴァイアスマイアミガンズスクライドなどは深夜アニメで見た。リヴァイアスはあの暗さと人間関係の生々しさが本当に好きだった。スクライドチャンピオンマンガも話題になっていた。そう、当時はメイド流行っていて、まほろまてぃっく鋼鉄天使くるみ花右京メイド隊なども見た。ただこのあたりは全話見ていない。ガンダム08小隊とかも全部は見ていない。何故かパトレイバーマクロスは全く見ていない。

ヲタの友人はカードキャプターさくらを「キャプくら」などと呼んでハマっていたが僕は見ていない。ただこの当時ネットでも「さくらタンハァハァ」とかが流行って、ネットというか2chですね、ハイデ・ジ・キャラット流行っていたが見ていない。

当時パソコンインターネットを始めた影響もあって、To-HeartKanonなどのアニメも見た。この辺りになってくると完全にヲタだ。堀江由衣が好きでCDも買った。アークザラッドアニメも見た。

隠れヲタとして生きる(大学生

高校卒業してからというものヲタ友達がいなくなった。僕の通っていた大学バカ大学だったからチャラいのばかりで、ヲタバレしようものなら生きていけなかった。仲良くなった人がたまたま普通の人だったから、ヲタ友達とつるむという事もなかった。大学1年生の頃に初めて彼女ができ、その前後から僕は隠れヲタになっていた。ただ隠れているだけなので、いくつかアニメも見ていた。

攻殻機動隊スタンドアロンコンプレックスは本当に面白かった。2ndギグよりも笑い男事件社会性を帯びていて良かった。フルメタル・パニック藍より青しなども見た。プラネテスマンガ編でも触れたが、アニメのほうが先だった。NHKかどこかでやっていた。音楽も良かった。舞HiMEみたいなヲタアニメも引き続き見ていた。この頃は既に深夜アニメがかなりたくさんあり、僕はその内の一部しか見ていなかった。

アクエリオンなんかは当時流行っていたけれど僕は見ていない。エウレカセブンはその不人気にも関わらず全部見ていた。最終話の一つ前のアネモネが良かった。舞乙も見た。舞乙に関してはネットラジオも聞いていた。この時の小清水亜美が好きだった。全盛時だと思う。

涼宮ハルヒの憂鬱で僕が長門萌えをしないわけがない。かなり後だが消失映画も見た。消失に関しては既にラノベが出ていたから、映像化されるのを待てずに読んでしまった。僕の初ラノベ消失だった。その後コードギアスグレンラガンらき☆すた鉄腕バーディー恋姫†無双あたりは見ていた。グレンラガン最終話の一つ前が感動だった。鉄腕バーディーアニメから入ってマンガも読んだ。ガンダムしろAKIRAしろ攻殻しろプラネテスもそうだが、この手の近未来SF物が僕は本当に好きだ。

引き続き隠れヲタ社会人

大学卒業してからはさすがに忙しくなり、アニメを見る頻度は減っている。

サムライチャンプルー放送当時見ていなかったが後から見た。ある意味カウボーイビバップに似ていたと思う。ラストエグザイルも後から見た。タチアナ・ヴィスラにハマった。

けいおんも後からだった。ネット2ch)の書き込みにある「あずにゃんペロペロ」は「えるたそ~」並に意味からなかった。僕はムギが好きだった。学園祭の回で曲が終わったのにムギ伴奏を続けてアンコールみたいな形になるシーンとか好きだった。けいおんについてはマンガの続きがあるから再度アニメ化してほしい。

東のエデンノブレス携帯には憧れた。iPhoneジュイスの声を使っている動画があった。

化物語は初期が好きだった。最近までやっていたのも見ているが、僕は忍野がいた化物語が好きだ。ここからはかなり最近作品になる。とある魔術の禁書目録学園黙示録俺妹イヴの時間氷菓織田信奈の野望有頂天家族攻殻機動隊ライズも見ている。当然ながら新劇エヴァも見ている。しかしなぜか、まどか☆マギカは見ていない。

実質的に僕は高校時代ヲタ全盛時だった。この頃は隠れてもいなかった。ネットの影響と深夜アニメが充実してきたことが大きかった。僕の場合ヲタか否かを分けるのはこのアニメの項目にある。映画マンガに関しては普通のばかりだが、アニメに関しては一般人の目も当てられないような萌えアニメも見ている。もう一つ挙げるとすればインターネットだ。

2014-06-10

ガンダムUC最終話の劇場における卓袱台返しについて。

ガンダムUC」の最終話ついてちょっと書きたい(ネタバレあり)。

最初立場を明らかにしておくと、増田は、典型的富野信者であって、ガンダムプロレスにはあんまり興味がもてない人間だ。バイアラン・カスタムとかシュツルム・ガルスのトコとか、こんな意味ねーシーン全部削って、会話に尺まわせよと怒っていた。そーいう面倒くさいやつが書いたもんだという前提で読んで欲しい。それと後半は電波富野信者なので。

で、この「ガンダムUC」、MSチャンバラについては絶賛されているが、ストーリーの方は賛否両論がある。だが私は批判することに意味があるのかと当惑している。こーいうのは、主張者が主張した内容をマジに信じている、という前提がなければ、なりたたない。私は、そこが信じられないのだ。


UC」最終話を劇場で見て愕然とした。「送り手はこの物語メッセージをまるっきり信じていないのではないか」と衝撃を受けた。この作品に対して、茶番だの陳腐だの説得力がないだのただの二次創作だなどと言うのはいいが、それを一番、自覚しているのは送り手自身なのではないか、という疑念をぬぐえずに今に至っている。

どういうことか。

ガンダムUC」というのは「ラプラスの箱」という秘密を廻る物語だ。

これはほとんどマクガフィンに近く、中身は実はどうでもいい。とにかくこいつが連邦の中枢により隠蔽されたことで、宇宙世紀歴史(とニュータイプ思想)は歪み、1stガンダムから逆襲のシャア」まで続く戦乱の歴史が巻き起こることとなった。しかし歪んでいようが何であろうが、百年続けば、それは秩序の一部となってしまっている。

最終7話では、主人公少年少女の選択が示される。

既存の秩序の維持するため、「箱」を隠蔽するか? 混乱を呼ぶとしても、「箱」を公開するか?

少年たちは後者を選ぶ。たとえ波乱の未来を到来させるとしても、「不正義による秩序」より、勇気を持って「正義による未来」を選ぶ。物語が描くべき正しい選択、正しい若者のあり方だと思う。

かくして宇宙世紀は箱の呪縛から解放される。人の革新ニュータイプ思想のもと連邦ジオンの戦いが形を変えて繰り返される不毛連鎖から解き放たれる。これはもちろん、終わることを許されず、次々と続編を創ることを余儀なくされたガンダム産業比喩でもあり、だからこそガノタの胸に響く。

もちろん、我々ガノタは、その選択の先に待つ「F91」や「V」の時代が、必ずしも希望に満ちた未来でないことを知っている。だが、そうだとしても、「これまでと同じことをひたすら繰り返すだけ」より「失敗覚悟で新しい世界を創る」ことを選択した若者たち決断は、とても尊いものとして描かれる。

それを見届けて、シャアアムロもようやく成仏する。一年戦争呪いから宇宙世紀が解き放たれた瞬間である

富野信者が、勝手なことしやがってと怒るのはわかるが、しかし、ともかく、それがこの映像が発したメッセージなのだ

だが、恐ろしいことに劇場で上映されたこの作品は、実に4年間、7巻かけて書いた結末を、直後にみずから全否定するのだ。スタッフロールが終わり、何が始まるか。


突然に、1stガンダムリメイク、「機動戦士ガンダムORIGN I」の予告が始まるのである

http://www.gundam-the-origin.net/


正気か、と思った。全部台無しだろう、と。

一年戦争時代から解放テーマにした物語ラストで、唐突に「一年戦争」がリメイクされますよーと嬉々として宣言されるのである。よーやく成仏できたシャアは30分待たずに現世に呼び戻される。この予告編意図的に、映画機動戦士ガンダムⅠ」の予告に似せて作ってある分、余計ループ感は強い。

唖然とした。個人的には「UC」7話はそこまで引き込まれるものではなく(イデオンネタは超大喜びしたけど)、「及第点」ぐらいの印象だったが、それでも感動を返せ、という気になった。本篇終了後即座に全否定される映画なんて聞いたことがない。一体、原作者監督スタッフは、どうしてこんな暴挙を認めたのか。本当にそれでいいのか。このあたりの意思決定の構図はよくわからないから、とりあえず「送り手」と一緒くたにする。ともかくこの送り手が、自分で発した「箱の解放」とか「一年戦争呪縛の終結」とか「歪んで腐敗した旧体制から混乱覚悟新しい時代へ」なんてメッセージをまるで信じていないし尊重する気もないことだけはあまりに明らかだ。

新しい時代なんて創るつもりはないよ。

俺たちは一生一年戦争もので食っていくよ。

え? じゃあ「UC」はなんだったのって? ほらわかるでしょ、本音と建て前ってやつですよ、おたくニュータイプだったら察してくださいよ、ねぇ。ほら、キュピーン! って。

これはそういう宣言だ。

ハルトーシ少年継承した「富野の箱」を手みやげにサンライズ財団の重鎮となり、バンダイム・エレクトロニクスガンプラを売る人になりました……それが4年かけた「ガンダムUC」の結果です、と言っているのだ。おかしいですよ晴敏さん! そんなの富野信者の晴敏さんの言うことじゃないですよ!


そんなわけで「UC」の内容についてまともに批判することの意味を私は見失った。だって送り手が、自分の語った物語を信じてない、それどころか一番ひどい形で全否定を行ってしまっているのだ。今更何を言っても単なる死体蹴り、いや、それどころか、そのような批判こそ、送り手はむしろ望んでいるのだとさえ思えてくる。

まりこういうことだ。

メチャクチャ単純化すれば「UC」での賛否両論というのは、ガンプラオタク富野信者の対決である。前者はとりあえずMSVが一杯出てくれば喜ぶし、後者富野神の書いた聖典に他の誰かが一筆書き入れることなど許さぬと批判する。ガンプラオタク濃度が濃いヤツは「UC」肯定するし、富野信者濃度が濃ければ「UC」否定という話だ(繰り返すが、メチャクチャ単純化すれば、である)。

だが、両者は本当に対立しているのか? 前者の主張は「ニュータイプ思想とかどうでもいいから新しいMSV一杯出せ」であり、後者の主張は「下銭な二次創作者如きが富野神のニュータイプ思想宇宙世紀史でもいいが)に手を触れることなど一切まかり成らん」である

この両者は必然的に「永遠に一年戦争外伝だのリメイクだのを作り続ける」という結論に帰結するしかない。前者は積極的に、後者消極的にそれを肯定する。そして送り手もまた、それこそを望んでいるのはすでに見たとおりだ。

そうしてガンプラオタクは送り手の造ったMSVのプラモを買い続る。富野信者は彼らを嘲笑うことで「自分こそ富野神の思想を守り続ける孤高のニュータイプ」という立場を確保できる。

これは対立と言わない。共犯関係と言う。

しかし、私は富野信者として、そこに安穏とすることはできぬ。そんなことをすれば脳内カミーユ・ビダンが「あなたはいつも傍観者で、人を弄ぶだけの人ではないですか!」とスイカバー突撃をかけてくるからである。散っていたお禿様の髪に顔向けできぬからである富野信者であるということは、富野聖典とすることではなく、富野のように生きることだと信じているかである(だから、今度の「Gレコ」だけが本当のガンダムなんですよ、という立場にも私は立つことができぬ)。


しかし、だからと言って、私はどうすればいいのだろう。

(大人しくガンダム卒業すればよいのはわかっている。それができれば苦労はしないのだ!)

ガンダムロボットアニメでありサブカルチャーであるガンダムビジネスとの兼ね合いの中でしか生まれこないし、それこそがガンダムの強さ、ガンダムの同時代性の源であることは、絶対に否定できない(ガンプラ売りに徹した「ガンダム」は嫌だが、押井守映画のような文学モドキの「ガンダム」なぞもっともっと嫌だ)。

からハルトーシ少年だって、私が↑で書いたことは百も承知かもしれない。きっと彼は叫ぶだろう。

「やりました、やったんですよ、必死に! その結果がこれなんですよ! 映画の「ローレライ」(と「戦国自衛隊」と「亡国のイージス」)がコケて、右傾エンタメ作家の席は百田尚樹に奪われて、今はこうして富野二次創作を書いてる! これ以上、何をどうしろって言うんです! 何と戦えって言うんですか!」(註1)

私は、彼に答えるべき言葉を持たない。こんな時は、富野神に還るしかない。神は言っている。

"Century color Million color" ――せいきの色はまんこの色であると。

違う。

ターンAターン、だと。∀だと。全肯定であると。

送り手が自分メッセージを一切信じていないなら、それを批判して何の意味があるだろう。逆だ。有効なのは、相手が信じていないメッセージを、こっちが文字通りに全肯定してやることだ。つまりUCだ。

バナージが何も考えずに箱を開けた、その蛮勇を評価するように、富野ニュータイプ思想を継ぎ、「逆シャア」の先を書こうとした覚悟は評価する。

駄作も愚作も一杯出来るのを承知で、宇宙世紀のその先が語られるのを心から望む。

できるかぎり応援する。

それしかガンダムに対し、緊張感を持って向きあう=富野である方法は、ないような気がするのである

むろん、それは、終わりのないディフェンスである

ガンプラオタクからはそっぽを向かれ、富野信者罵倒に耐えねばならぬ。

しかし、それでも、えんえん一年戦争リメイク外伝を造り続けるよりマシだと信じる。

箱は解放されるべきだし、呪縛からは解き放たれるべきだ。

から、「UC」の先に行かねばならぬ。

その向こう側に何もなくても――いや、しか脳波コントロールできてしかも手足を使わずコントロールできるマシンにセシリーが触手レイプされ、バイク戦艦が街々を踏みつぶし、カテジナさんがオデロもシュラク隊も鏖にして、月光蝶でみんな灰になったあと、全人類無限力に溶け合って何もかもが因果地平の彼方にスペースラナウェイする哀しみが待っていたとしても――、かまわないのである

STAND UP TO THE VICTORY!



註1:いや、もちろん田母神俊雄と戦ってくれればよい。ついでに百田も撃てばよい。実は「ガンダムUC」の小説版には、田母神論文事件露骨に批判した箇所が存在する。詳しくはこちら → http://kaito2198.blog43.fc2.com/blog-entry-388.html小説版が出た頃には、ただの右のヤバイ人だった彼が、若者の支持を受ける保守系政治家候補となってしまった現在こそ、福井田母神批判はアクチュアリティを増している。

2013-09-03

集合知ネガティブベクトルに学ぶプロジェクトマネジメント卑怯

プロジェクトマネジメントというのは、とっても卑怯でクソだ。それを今から説明する。

プロジェクトマネジメントなう\(^O^)/

http://ponponpainnow.blog.fc2.com/blog-entry-252.html

はてなブックマークで怒涛のヒットしたこれ。

プロジェクトマネジメントおいて、とても普遍的な内容なので説明するのに利用させて貰う。

記事の作者を批判するわけではない。顔文字うざいとかはこちらではやらない。

さて、この中で似たような内容が繰返し出てくる。

ポリシー

 5)リーダーメンバーフラットオープン関係を築けなかったプロジェクトは、中長期的には失敗する。

フラットオープン(この項は全部)

 4)全ての情報を全てのメンバーオープンに。基本的にはメールメッセージは常に全てのメンバー宛に。

スケジューリング

 2)スケジュールWBSは似て異なるものスケジュールは見易さ扱い易さが命。メンバーが手元にスケジュールを持っていないプロジェクトは失敗する。

リスク

1)フラットオープンの実現が最大のリスク管理メンバーからアラート頼み)である

大切なのはプロジェクトオープン

フラットオープンにすることで、プロジェクトが抱える、全ての課題リスク可視化するために必要とされる。

詳しくは、元記事を読め。

だが、このフラットオープンとは正反対のことも書かれている。

プライド

 4)ほめる時はみんなの前で、注意する時は一対一で。

コミュニケーション

 1)チーム全体で話す。数人で話す。一対一で話す。それを上手に使い分けること。

 2)状況によって話がぶれないようにすること。相手によって話を変えてはいけない。

 3)常にメンバー全員の気持ちを知っておくことは大切。定期的に一対一で話すなど。

●ヒント5(ファイアープロジェクト

 A)全てのメンバーと1:1で話をして問題や要望を挙げてもらう。リーダーサブリーダーからは出てこない様々な話が出てくるはず。

「1:1」「人によって」

フラットオープンとは間逆の発想。

この矛盾した指標がさも当たり前のように書かれる。これがプロジェクトマネージメントいうものである

クソであり卑怯である

が、しかたない。その証左の1つが今のネット

最近ホッテントリした増田のこれ。

はてブの陰りの内部要因は「ヘイトが溢れてるから

http://anond.hatelabo.jp/20130902181730

ヘイト化について書かれている。

でも、ネットに悪意が増えたのかというと間逆である

彼らのほとんどは悪意がない。

彼らは、社会不自由な部分に対しての問題提起をしている。

世界をよりよくしようという思いが、錯綜し、

逆に袋小路に迷い込む苦しいネット世界を作り上げてる。

もしこれがプロジェクトなら、フラットオープン化したせいで

ネガティブな懸念ばかり蓄積され、解決策が提案されない状況。

プロジェクトマネジメントとは、それを理解しないといけない。

解決策として、矛盾した指標が導入される。


中には、この卑怯を許せない人が、たまに変なルールを導入する。

  • 隠し事は一切しない。
  • 議論は建設的でなければいけない。
  • 解決案の無い発言は発言として認めない。

最初フラットオープンの話から言えば、これは逆にプロジェクトを閉鎖的にするだけである

リスクは隠され、プロジェクトを致命傷に導く。

でも、彼はプロジェクトを貶めたいわけじゃない。

自分正義に従いプロジェクトを適切に運営したいだけだった。

プロジェクトマネジメントとは、いかに 卑怯 で都合よく、群衆を扱うかという技なのである

それは群衆が集まったところで、叡智など存在しないかである

から卑怯にも近い叡智で人を導かなければならない。

そりゃ、純粋ロリコンじゃ自暴自棄になって、地球隕石落としたくなるわ。

逆シャアを見て思った。

2012-06-10

脱原発には40年かかる。

ロボット工学の偉い先生の講演を聴いてきた。あの311から原発事故現場に関わってきた先生の話だ。

先生の発表はとても熱かった。みんな資源エネ庁の公募に応じてくれと、国内学者技術者、国公立の機関民間企業、あらゆる所から英知と技術を集めて、あのぶっ壊れた原子炉を何とかしようとしていた。なんか発表中ずっと、BGM逆シャアのメインテーマが聞こえる気がしたよ。私はもう平常の研究開発、普段の企業の業務に戻った気でいたけど、その先生はまだ非常時モードで、まだまだ戦っていたんだ。

先生曰く、あのぶっ壊れた原子炉の中身、溶けてしまった燃料棒を全てきちんと片付けてしまうには、30年から40年かかるという計画がすでにたっている、のだそうだ。

建屋の最上階に人類が到達できるまで数年。もう一度格納容器を水で満たすまで10年。それからすこしずつ核燃料を取り出し、しかるべき所に処理を始め、終わるまで30年はかかるんだと。

先生ロボット撮影した様々な動画を見せてくれた。水のシャワーが滝のように流れ落ちる中をあっぷあっぷしながら進むかのような、原子炉の中をファイバースコープ撮影したノイズだらけの動画もあった。多分その動画はないけど、東京電力サイトでも結構動画を公開しているのだとか。

原子炉事故が起こった時に、最初に入ったロボットルンバ会社の軍用ロボットPackBotだった。あれに、なんでロボット大国の日本なのに日本ロボットじゃないのか不思議に思った人、結構いたんじゃないだろうか。そのあと原子炉建屋に入った日本ロボットはQuinceという。千葉工業大学先生が作ったプロトタイプだ。恐るべき走破性の高さで建屋の最上階まで行けたが、1号機は帰り道で自分でケーブル切っちゃって帰れなくなった。

重要なのは、PackBotは量産機で米軍がいっぱい持ってて普段からいつでも使えるように用意してあるのに比べ、Quinceは先生学生さん手作りで作った一点物であるということだ。これは想像だが、一点物のこのスーパーロボット、使おうとしたら先生研究が遅れちゃったり学生さんがうっかりすると留年しちゃったりモーター焼けたら代わりのモーター買うのに先生がやたら書類書かなきゃいけなかったり下手すると論文に間に合わせるために学生居酒屋で稼いだ私財を投入しちゃったりするようなものなんじゃないだろうか。私の理解では、大学研究室ロボットというのは大体そんな感じの物だ。でも、ルンバはいつでも買えるようになっているよね。リアルロボットであるというのはそういうことだ。PackBotもお金出したら米軍はいつでも売ってもらえるんだ。

2001年には、原子炉やその周辺で動けるロボットというのは、プロトタイプではあったが、相当数あったらしい。バケツウランかき回した奴がいたせいで開発予算が付いたんだね。でも、ついたのは開発予算だけ。2011年には、動く状態で残っていた当時のロボットというのはなかったんだと。10年というのは、そういう歳月なのだ

原子炉建屋の外で遠隔操作の建機ががれき除去を始めた時、何で中のロボットはないのに外のロボットはあるんだよ、と思った人はいいかな?あれな、雲仙普賢岳火砕流から街を守る建設をする時に開発が盛んになったものが、今でも技術が受け継がれていつでもお金出せば買える状態になってるんだって。屋内の作業ロボットは滅びたのに、なんで遠隔施工建機は生き残っていたんだと思う?

これはな、国交省役人意図的に生き延びさせたんだそうな。私が思うに多分、まるで伊勢神宮式年遷宮のように、工事費の多少の無駄は承知で、「この工事は無人でやらないと入札できません」ってやったんだと思う。そのおかげで、今、建屋の外はかなり片付いている。原子炉敷地内の線量マップスライドに出てきたけど、ほとんどが2ミリシーベルト毎時以下まで下がってた。高いけど、即死はもうできないレベル

日本技術ってのは、プロトタイプを作るところまではアメリカにそんなに顕著に劣ったりしないんだと。ただ、無駄かもしれないものを軍が買い支えて育てるシステムがあるアメリカと違い、日本プロトタイプが良くてもすぐ死滅しちゃう。商用に持ち込まないと、生き残っていけないから、なんとか技術を維持するために無理してでも需要を創出していかないといけない。ロボット工学の偉い先生は、そう語っていた。

これさあ、原子力技術にも言えるんじゃないかと、私は思う。原発事故の本当の終わりまで40年かかるのであれば、今まだ生まれていない子供が育ってたずさわらないと、終わらない。じゃあ、それまで原子力業界にちゃんと人が流れ込むようにきっちりと産業として生きていないと、こわれたあの原子炉は片付かないんだ。

まあこの辺でわかってもらえると思うけど、私は今の夏までに原子炉を動かすだの動かさないだの、そういうのは馬鹿馬鹿しくなっちゃった。とっとと動かして、その間に万が一への安全策増設を淡々設計して、次の点検の時に追加すれば良いじゃない。即座の脱原発なんて無理よ無理。だっていちばん危ないのが片付くのが40年後、そこに40年後までまともな技術供給し続けないといけないのだから、40年後まで他の原発もある程度動いていないと、技術継承的に無理がある。40年後片付いたら、完全な脱原発の作業がやっと始められるんじゃないかな。

追記:6月10日正午

技術がおのずからお金を稼いでこないと、その技術を維持継承発展するのには意外なほど膨大なコストがかかるよ。

いわゆる伝統芸能伝統工芸で残ったもの残っていないもの、投入されている公的な予算を考えると良いよ。

日本場合軍需にお金がちょっぴりしか出ないから、それ以外の公共や民間がよろこんでお金を出すような需要を創出しないと技術は簡単には残っていかないよ。

2011-03-13

ツイッター上で善意ツイート拡散していく感じが、逆シャアクライマックスたいで、なんか感動するね。

ツイッター伊達じゃない!」

2010-05-07

コスト/ベネフィットの視点で語るならその正当性を証明しないとダメなんじゃね

http://anond.hatelabo.jp/20100505220916

話が横にそれちゃったので戻すと、言いたいことって言うのは「その病院にはなんとなく行きたくないなあと思う人は多分多いだろうし(おいらもその一人だし)、たぶんそれは事実を知ってもあんま変わんないんじゃないかと思う」ってことです。たぶん個々の人に事実(実際の感染の可能性)を知らせた上で「行く」って聞いたら「行く」って言うと思いますよ。差別主義者だって思われるのやだし。でも実際の行動って違うんだろうなーって。

私は行くよ。ってか病院関係者HIVポジティブの人が「いない」保証って「誰」かしてんの?って話だよね

今回は「たまたま」不当解雇って形で浮き彫りになっちゃったけど今回の一連の話を読んでいればわかると思うけど、HIVポジティブであっても病院で勤務してオッケーなのなら、モトマスダが通院していたA病院HIVポジティブの職員がいますって話を聞いて「うわなんだあの病院、マジキメエ。B病院に行くか。少し遠いけど」ってB病院に行ったとして、そこの病院HIVポジティブの職員がいないって言えるわけ??モトマスダHIVポジティブの人を見分ける能力とかでも持ってないとそんなの見分けられないよね。「見分ける」術があるとするならばそれは病院情報を開示した時以外ないんだけれども、そもそもHIVポジティブである事がなんら医療業務を遂行する上で支障がないなら情報を開示する義務も責任もないって話になる筈だよね。

なんらかの理由で「HIVポジティブの職員が勤務している」という「情報」を入手しただけでそこを「忌み」の対象として眼差すのってアホの子のすることだと思う。


なんでここまで弄れてるのかっていう話だけど、昔の調査でエコに関するアンケートを取ったところ。殆どの人がエコに関する日常のことはすべきであると回答してた。でも、実際の行動を観察すると殆どしていなかったし、していたとしてもゴミを持っていってもらえないなどの不利益を被るものだったと言う。

調査内容の詳細がわからないので、書かれた文章から推察する以外にないのだけれども「ゴミを持ち帰る事」と「エコに関する日常のことはすべき」と回答する事は矛盾していないように思う。

っていうか「問いのたてかた」が曖昧だと思う。まあモトマスダは「エコに関するアンケート」を取るくらいエコの事に関心が高いんだろうからレジ袋は断ってエコバックを使うとか自家用車の利用機会を減らして公共交通機関を利用するだとか勤務している企業のペーパーレス化を推進したりリサイクル名刺を作るとかの活動に日々従事されているのかもしれないんだけれども、「エコに関する日常のこと」って何よって話だよね。エコバックを持ち歩く事なのか、スーパーに買い物行くときは自動車使わないとかなのか、ペットボトルを水洗いして潰したり牛乳パックを平たくしたりしてリサイクルステーションに持っていく事なのかもしれない。そうした事の中に「ゴミを持っていってもらえない」が入っていないだけなんじゃね?てか「ゴミを持っていってもらえない」って何処で発生したゴミを「持っていってもらえない」って話?何処かの行楽地で出たゴミを持って帰らないって話?それはエコではなくてマナーの問題だよね。

個人的には行楽地でゴミが分別して排出出来るならその場所で分別・廃棄したほうがゴミを持った儘交通機関を使う事によって出るであろうCo2の事を考えると「エコ」だと思うんだけど、その考えは正しくないんだろうか。


で、ここでシャアの登場。つっても「逆シャア」の時のキレたシャア。多分当時の様相だと全ての人類宇宙に出ることが地球再生する一番いい方法だったのだろう。でも、動いてくれない。”人類革新”が待ってるのに動いてくれない。たぶん、ジオニズムってものすごい崇高な理想だしかなり実践的な哲学でもると思うのだけど、多分、みんなそうだよねっていう思想なんだけど。皆乗らない。でシャアはどうするのか「だったら地球にいられなくシテヤンヨ」と言うふうになる。

シャアの行動というのはファーストの時から一貫して私怨を晴らす為だけに政治とか戦争とか自分の才能だとかを使っているだけにしか見えんのよ。

人が宇宙に行ったら革新しますとかそんなのシャアにはどうでも良いんじゃね、っていうか自分の行動を正当化する為に言いたいだけなんじゃね

なんか、おいらを非難している人たちからこのシャアの苛立に似た「インテリ上から目線」と「焦燥」を感じるんだよね(妄想かな?)

妄想だよ。モトマスダ自身がシャアのようだって話ならわからないでもないけれどwww

てかシャア言いたかっただけだろwww 

ガンダムネタを入れておけばはてブがついてオレ最強とか思いたかっただけだろww

2010-05-05

http://d.hatena.ne.jp/bookstore/20100503/1272856385

HIV感染した看護師さんの件とシャア・アズナブルの憂鬱

今回の件、まず個人の立場を述べておきたい。

  • 当人に無断で検査をしたことは許しがたい
  • でも、患者としてこの病院に「行きたくない」という人は責められない
  • なので病院としては困ってるんだろうなぁと思う

この3点

事実って言うか感染の可能性についてはNATROMさんの

1. 看護師の業務で、ミスも含め、看護師患者への感染が起こるようなことはきわめて考えにくい

 「針刺し事故」というのはありますが、これは患者に刺した針を誤って医療従事者に刺すことです。何百回、何千回も採血をやっていれば、稀にはそういうこともあります。しかし、医療従事者→患者感染させるには、一度、医療従事者に針を刺すという事故があった後に、さらにその針を患者に刺すという、稀なミスが二度続けて起きなければなりません。そのような事故が起きたことなんて、聞いたことがありません。

2. これまでの報告で、医療従事者から患者へのHIV感染はきわめて稀で、しかも看護師の業務よりも感染リスクの高い医療行為によるものだった

 医療従事者から患者への感染事故の報告をまとめた論文があるのですが、HIVについては、2003年の段階で、全世界で3例のみです。こんにゃくゼリーのほうがずっと危ないです。しかも、その3例は、看護師業務だけではなく、心臓外科手術などを行う医師も含めての話です。執刀医がHIVキャリアだったら、執刀中に誤ってメスを自分の指に刺しただけで感染の可能性がありますから、「HIVキャリア医師は外科手術はダメ」というのは合理的で差別ではないでしょう。この場合、稀なミスが二度ではなく、一度で感染の可能性が生じます。

3. HIVより感染力の強いB型肝炎ウイルスも、看護師の業務によって感染していないという事実がある

 B型肝炎ウイルスHIVより感染力が強く、しかもキャリアの数も多いです。日本人集団の1~2%がキャリアです。B型肝炎ウイルスキャリア看護師は多くいます。もしHIV看護師業務でそれほどたやすく感染するとしたら、B型肝炎ウイルス感染がもっと多く観察されてもいいでしょう。しかし、看護師業務によるB型肝炎感染は、私の知る限りではありません。

で間違いないんだろうと思います。

 

でもそれがわかっても「なんとなくやだ」というのは消えないだろうし、ほかに病院があるなら多分多くの人は多分そっちに行っちゃうだろうなぁと

 

さて?

 

この病院を変えた人を、「バカ」だの「残念な人」だの言えるかどうか?今回ちょっと煽っちゃえ的に「行かないよ」なんつっちゃったので煽られちゃった人も出てきてちょっと困っちゃったりしてるわけですが、普通この場合(時期的にまあ想像がつくとしても)理由としてそれは挙げませんよね。だってこうなるから。多分理由なんて問われないだろうし。

そこを無理やり捕まえて「この差別野郎」といっても「うるせぇこのレッテル貼り」で終わる話で平行線。おそらくこの方がいる病院とほぼ条件が変わらなけば他の病院に行くひとが多いだろうと。これ考えすぎですかねぇ。

まあ上記の仮定のもとで経営に影響が出た場合。その怨嗟は当然その人個人に向かうわけで。廃院なんてことになって、特定されてなければなんだかんだ言ってその病院から採用しない→どこからか特定→病気以外の不採用条件を決定→その不採用条件に該当するものは全て不採用(もちろん当人も)→不当と訴えるも不当性の証明が困難みたいなコンボは軽く妄想出来るわけで。あ、妄想ですねすいません。

 

話が横にそれちゃったので戻すと、言いたいことって言うのは「その病院にはなんとなく行きたくないなあと思う人は多分多いだろうし(おいらもその一人だし)、たぶんそれは事実を知ってもあんま変わんないんじゃないかと思う」ってことです。たぶん個々の人に事実(実際の感染の可能性)を知らせた上で「行く」って聞いたら「行く」って言うと思いますよ。差別主義者だって思われるのやだし。でも実際の行動って違うんだろうなーって。

 

なんでここまで弄れてるのかっていう話だけど、昔の調査でエコに関するアンケートを取ったところ。殆どの人がエコに関する日常のことはすべきであると回答してた。でも、実際の行動を観察すると殆どしていなかったし、していたとしてもゴミを持っていってもらえないなどの不利益を被るものだったと言う。

 

人なんてそんなもんで口では正当性を口にするがなんだかんだでベネフィット/コストで動く。つーかほとんど正当性なんかじゃ動かない。で、ここでシャアの登場。つっても「逆シャア」の時のキレたシャア。多分当時の様相だと全ての人類宇宙に出ることが地球再生する一番いい方法だったのだろう。でも、動いてくれない。”人類革新”が待ってるのに動いてくれない。たぶん、ジオニズムってものすごい崇高な理想だしかなり実践的な哲学でもると思うのだけど、多分、みんなそうだよねっていう思想なんだけど。皆乗らない。でシャアはどうするのか「だったら地球にいられなくシテヤンヨ」と言うふうになる。なんか、おいらを非難している人たちからこのシャアの苛立に似た「インテリ上から目線」と「焦燥」を感じるんだよね(妄想かな?)

 

で、何なんだろうなも思う。貴方達が頭良くて冷静なのは分かった。アクシズをぶつけてこないことも分かった。でもなんか、そうなんか「なんだかなぁ」っていう気分が消えなくてダラダラこんな文を書いてみました。

 

で言いたくなったわけさ「ならば、今すぐ愚民共すべてに叡智をさずけてみせろ」って。ただそれだけ。

2010-01-07

言いたい事がわかってもらえなくて、逆シャアが見たくなった。

今度、借りてこようかな…。

どうしてもわかってもらえないなら、

アクシズが落ちてきますように。(星に願いを込める感じで)

2008-07-25

ガンオタ以下略

http://anond.hatelabo.jp/20080721222220

∀ガンダム富野由悠季監督

まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「∀以前」を濃縮しきっていて、「∀以後」を決定づけたという点では

外せないんだよなあ。長さも4クールだし。

ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。

この世界名作劇場的総まとめな作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報彼女

伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」試験としてはいいタスクだろうと思う。

機動戦士ガンダムSEED福田己津央監督)、機動戦士ガンダムSEED DESTINY福田己津央 監督

アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうなアニメ(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの

という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには

一番よさそうな素材なんじゃないのかな。

ガンオタとしてはこの二つは“腐女子向け”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。

機動戦士ガンダム00水島精二監督

ある種のSFアニメオタが持ってる軌道エレベーター時代への憧憬と、スタジオオルフェ監修のオタ的な考証へのこだわりを

彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも水島精二

俺ガン(俺ガンとは - はてなダイアリーではなく、「俺がガンダムだ」の台詞)なださカッコよさ」を体現する刹那

童貞的に好みな女」を体現する王留美

の二人をはじめとして、オタ好きのするキャラ世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。

新機動戦記ガンダムW池田成高松信司監督

たぶんこれを見た彼女は「○○○だよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。

この系譜の主義主張が(先進国では)その後続いていないこと、これが中東では大人気になったこと、

全米ならドキュメンタリーになって、それが劇場で公開されてもおかしくはなさそうなのに、

00年代でこういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。

SDガンダムフォース阿部雄一監督

「やっぱりアニメ子供のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「機動武闘伝Gガンダム

でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかける3DCGへの思いが好きだから。

断腸の思いで削りに削ってそれでも「ガンダムシリーズ」の最長の全52話、っていう尺が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、

その「3DCG」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。

「ザコザコアワー」の長さを俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれが

富野福田だったらきっちり全50話にしてしまうだろうとも思う。

なのに、各所に頭下げて迷惑かけて全52話を作ってしまう、というあたり、どうしても

「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえSDガンダムがそういう作風でなかったとしても、

親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。

機動戦士Zガンダム富野由悠季監督

今の若年層でZ見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。

逆シャアよりも前の段階で、富野哲学とかアニメ技法とかはこの作品で頂点に達していたとも言えて、

こういうクオリティの作品がテレビアニメでこの時代にかかっていたんだよ、というのは、

別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくアニメ好きとしては不思議に誇らしいし、

いわゆるブレンパワード以前の富野を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。

機動戦士ガンダム 逆襲のシャア富野由悠季監督

富野の「目」あるいは「絵づくり」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。

「終わらないガンダムシリーズに区切りをつける」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、

だからこそアニメ版∀ガンダム最終話は「ディアナ様、また明日」以外ではあり得なかったとも思う。

「人気シリーズ化したガンダムと共に生きる」というオタの感覚今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の

終着点は逆襲のシャアにあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、

単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。

機動戦士Vガンダム富野由悠季監督

これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。

こういうヤンデレ風味の恋愛をこういうかたち(カテジナさん)でアニメ化して、それが非オタに受け入れられるか

気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。

機動戦士ガンダム富野由悠季監督

9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にファーストを選んだ。

∀から始まってファーストで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、80年代以降のアニメ時代の先駆けと

なった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。

というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら

教えてください。

2008-07-23

http://anond.hatelabo.jp/20080723152030

はっきりいって、恋人趣味勧められるのってウザいからやめてほしい。

「わー楽しそう!」とかって社交辞令ですから。

一緒に行きたい、見たいなら自分で「一緒に行きたい(見たい)なー」っていいますから。

ましてやアニメで、ジブリ以外見せられるのとかって頭沸いてる。

そういう自分は逆シャア無理矢理見せられてから

ガンダムシリーズZZまで見ましたけどね。

2008-07-09

オタク現実の問題について考えるとき・語るときの注意点

※友人がオタクについて語った文章が面白かったので、許可を得て増田転載

 以下、友人の弁。

オタク現実の問題について考えるとき・語るときに陥らないよう注意すべき点として、オタクのなかに強く見られる論理と心理の問題を以下に例示する。

これはべつにオタクじゃなくても当てはまるだろうという指摘があるとすればそれはその通りだが、ここで対象オタクに限定したのは、筆者自身がいわゆるオタクであり、オタクのなかに見られる論理と心理について、ほかの集団のそれについてよりもよく見知っているという理由による。したがってここで例示したものは、あくまでそれがオタクにおいて比較的傾向的に強く見られるという筆者の観察に基づいている。

カッコイイズム

「カッコイイ」ものに対する素朴なあこがれと肯定の心理。ここで言う「カッコイイ」ものとは、たとえば、強さ、正義純粋さなど、ヒーローものやロボットアニメなどに典型的に表されている価値観。こうした「カッコイイ」という観念は、具体的な作品を通して、実体的なものと結びついている場合が少なくない。典型的には武器・兵器との結びつき。強さへのあこがれと肯定が武器・兵器へのあこがれと肯定になって表れる。とくに男性オタクの場合、幼少期の経験によって、こうした素朴な心理がほとんど所与のものとなっている場合が多い。

こうした心理が現実の問題に適用された場合、非妥協的で一方的な強硬論の主張として表現されることになる(ヒーローはその純粋さと強さでもって有無を言わさず正義を実現する!)。たとえば、オタクが対北朝鮮問題について一方的な強硬論を唱えたり、日本安全保障について軍拡論(さらには核武装論)を唱えたりする場合、その中には素朴なカッコイイズムの心理(しかも軍事力と結びついた軍事カッコイイズム)が混入していることが少なくない。もっと穏やかな形では、「あんなヤツやっつけちゃえよ」といった言説。自分だけの単純・素朴な心理(しかもしばしば暴力と結びついている)だけでもって複雑な現実を捉え解決しようとする点で非常に問題。

善悪二元論……敵の悪魔化と味方の無謬

正義と悪の戦いというものの見方。典型的ヒーローものの論理

敵=悪玉の論理。相手が何か一つでも悪事をはたらけば、事の大小も問わず、責任限界も取り払って、相手を邪知暴虐な悪の枢軸にしてしまう。相手のすべての行動が邪悪な行動とされ、相手は邪悪なことなら何でも企みうるし、なし得るとされる。敵の悪魔化・万能化。行動が悪なのは人格が悪だからという論理、悪の人格からは悪の行動しか出てこないという論理。さらには、その悪に関係する人、組織、集団や、悪を擁護するものも一律に悪とされる。悪の肥大化

これと対照的な形で善玉の論理が出てくる。上記のような巨悪を批判・非難する側はつねに正義であり、悪を殲滅するまで徹底的に攻撃を加えるべきだとする論理。結果として、邪知暴虐な悪との対決にはあらゆる手段が用いられ、往々にして敵よりも残酷で非道な手段を用いることも少なくないが、そうした手段は目的の「正しさ」によって正当化される。敵が悪魔化されたのとは対照的に、味方は無謬化される。宗教戦争典型的に見られる正戦論の論理

こうした論理現実に適用されている例は枚挙にいとまがない。犯罪者バッシング不祥事バッシングのほとんどがこうした論理によって展開されている。

現実はもっと複雑であり、善悪二元論で割り切れるものではないということ。善からは善のみが、悪からは悪のみが生まれるわけではなく、しばしばその逆であるということ。仮に犯罪不祥事があったとしても、その事実ありのままに観察して論じること。特定の人格、集団、組織にすべての悪を引き受けさせるのは現実的なものの見方ではない。悪をなした側には悪をなした側なりの論理や心理がありうる(一応、オタク文化にもそうした側面に配慮した例外的な作品はある。『逆シャア』など)。単に人格的なレヴェルの問題だけでなく、構造的なレヴェルでの問題を見ること。そうした現実の複雑さに耐えきれず、問題を最初からすべて善悪二元論の鋳型に流し込んでしまうのは、宗教家デマゴーグの方法。

問題の人格

肯定・否定問わず、あらゆる対象を大小さまざまに人格化・キャラ化する論理

これが現実に適用されると、典型的には民族国家人格化するようなことが起こる。さいきんでは『ヘタリア』の例。人格化された対象はある一定の本質を持っているように描かれ、ステレオタイプが促進される。

さらに、人格化された対象が実在の特定人格と結びつく傾向もある。たとえば、日韓関係小泉vs盧武鉉のような形で著しく人格化されて語られた。これを歴史観に反映すると特定の人物に歴史を仮託した英雄史観になり、現実政治に適用された場合には指導者待望論につながる。

感情移入と過度の思い入れ

対象感情的感傷的に没入する。対象と一体化した共感・同情。惚れた状態。マイナス面が見えなくなる。あばたもえくぼ

現実に適用された例としては、拉致被害者家族会に対する感情移入。「被害者家族はこんなにかわいそうなのに、どうして北朝鮮に譲歩するのだ」という主張。共感・同情・思い入れが唯一の原理になる。没入対象民族国家などの場合は排外的ナショナリズムになる。

主観主義・心情主義

主観的心情と客観的現実とを同一視。あるいは、客観的現実を無視。

典型的形態としては精神論。あきらめず努力すれば必ず夢は叶うという心情(ジャンプ的な少年マンガにも、少女マンガにも共通した心理)。

しかし現実は言うまでもなくもっと非情である。

観念的空想

観念的な空想をもとに話をしてしまう傾向。「あれは??に違いない」「これは??なのではないか」という、根拠の薄い空想や概念操作を前提として議論を展開する。

オタク的な想像力の源泉とも言えるが、現実の問題に適用された場合、「どうせ??だろう」といった非現実的な憶測・陰謀論や、「もしかしたら??かもしれない」といった希望的観測にしかならない。

拗ね者意識ルサンチマン

オタクがなお社会的弱者であるという現実から引き起こされる心理。潜在的にせよ顕在的にせよ、自分が疎外されているという意識

こうした疎外感や拗ね者意識オタク文化が閉鎖的土壌のもとで独自に発展する要因ともなったが、関心が外の現実に向けられた場合、マジョリティメインストリーム既得権益、さらにはほかの社会的弱者に対する引きずり降ろしの心理がはたらく。

また、社会的弱者であることを一種の免罪符としてあらゆる粗暴が肯定され(被抑圧状態の復讐)、ひとしきり気分よく暴れることで欲求不満を一時的に解消しようとする。

「正しさ」信仰による偏向

どこまでも「正しい事実」を追求する態度。オタク文化創作物のなかには「正しい公式設定」が存在しうるし、作品解釈をめぐってはそうした(しばしば枝葉末節に渡るほどの)「正しさ」が重要な論点となる場合がある。オタクパラノイア的側面。

しかし、現実世界においては「正しい公式設定」は存在しない。正しい見方、正しい歴史、正しい勢力は存在しない。あらゆることが論争の対象。「正しさ」だけをもって現実を語ることはできない。政府の「公式見解」が時として「正しい事実」に反することには異議を唱えなければならないが、一方でそれが時として「事実上」(de facto)通用するという現実意味も認めなければならない。現実の複雑で多様な側面に目を配る必要。一方だけの「正しい」主張しか知らないのはいかにも中途半端で偏向している。

中道、無関心への逃避

積極的な主張をするのではなく、むしろ中道や無関心を言うことで、現実の多様性とそこから要請される態度決定を忌避しようとする心理。「人それぞれ」という底なしの相対主義もこの系列

しかし中道や無関心も歴然とした1つの立場である。これを認識することが肝要。むしろこうした無自覚な中道派や無関心派は、普段から積極的に態度決定する訓練をしていないだけに、イザというとき冷静な判断ができないおそれがある。

議論ずらしと無責任

ネタ」「ベタ」「メタ」という形で議論のレヴェルをずらす傾向。オタクのスキゾ的側面。

空想や観念世界に思いをめぐらす議論ならともかく、現実について考える・論じるときにこれをやると、とんでもない無責任方言責任回避になる。

とくにネットのような場所では、万人が非常に気軽に意見表明できると同時に、その影響範囲はきわめて広範囲に及ぶ可能性があり、責任は思いのほか重大。他者に責任転嫁したり、「ネタだから」などとごまかすくらいならば、意見表明などしないほうがよい。


※投稿者としてはこの主張全てに同意するわけではないのだけど(例えば、一口に「オタク」と言っても、北朝鮮への一方的な強硬論や核武装を訴えるような軍オタにはそうそうお目に掛かれない)、こういう傾向は確かにあるかもしれないと感じる。これを見ているオタク増田諸兄はどう思われるでしょうか。

2007-09-10

http://anond.hatelabo.jp/20070910070852

科学的かどうかって言うか、その設定や手段に科学的で無理のない理屈が通るとか説明されてるってこと。

例えばガンダムニュータイプには科学的な説明がされてないし、エスパーのようなファンタジー要素がある。

ゼータガンダムとか逆シャアとか完全にファンタジー

広義ではサイエンスファンタジーSFとかいうとか言ってるけど、狭義の話ね。

エヴァは完全にファンタジーだし。

アルマゲドンSFかなぁ。

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