はてなキーワード: 自尊心とは
世界に冠たる百万都市「世界の半分」隴西のバカでか李徴は全知全能博学才穎、天宝のウルトラ末年(残り二秒)、若くしてガチで嫌がらせレベルで長過ぎる名を虎榜に書ききれんほど連ねまくり、ついで限界集落江南尉に九十九か年補せられたが、性、バチクソ狷介、自ら恃むところバカかってくらい頗る厚く長城の如し、薄汚いクソ薄給賤吏に甘んずるを毛ほども潔しとしなかった。いくばくもなくちょっぱやで官を退いた後は、故山、超巨大山脈虢略に帰臥し、全世界の人民と国交を恒久的に断絶しまくって、狂ってんのかってほどひたすら寝ずに詩作に耽った。掃いて捨てるような下の下の下吏となって未来永劫長くクソデカい膝を低劣極まる俗悪なゴミ大官の前に屈するよりは、メッチャ偉すぎる詩家としての名を死後百億年に遺そうとしたのである。しかし、文名はびっくりしちゃうくらい容易に揚らず、巨人生活は日を逐うて苦しいとかいうレベルじゃなくなる。ギガンティック李徴は永遠にも思える時を経て漸くヤバすぎる焦躁に駆られて来て号泣しちゃった。この頃からその容貌もエグいほど峭刻となり、全身の肉が削げ落ち垂木の如き骨が秀で、刺さるほど鋭い眼光のみ徒に炯々と発光して、曾てありえんムズい進士に息をするように登第し続けた頃の豊頬のゲロマブ美少年の俤は、何処に求めようもない。数千年の後、エクストリーム貧窮に堪えず、妻子百万の大規模衣食のために遂に節を屈しまくって、再び極東へ赴き、一地方官吏の最要職を奉ずることになった。一方、これは、矮小なる己のクッソしょっぱい詩業に半ばと言わず完全に絶望し尽くしたためでもある。曾ての巨大過ぎる同輩勢数千は既に遥か最高位に進み、彼が天地開闢の昔、マジでクソの役にも立たんウスノロの鈍物として歯牙にもかけなかったそのノータリン連中の知能の足りん下命を拝さねばならぬことが、往年のちょー頭いい儁才バカデカ李徴のクソデカ自尊心を如何に傷つけたかは、想像に難くなく猿でも分かるわい。彼は怏々として微塵も楽しまず、マジでデカ過ぎる狂悖の性は愈々軽く引くくらい抑え難くなった。一光年の旅の後、公用で永遠の旅に出、悠久の大河汝水のほとりに生涯宿った時、遂にアホほど発狂した。或る夜半、急に顔色を七色に変えてデカすぎて宿に収まらない寝床から亜音速で起上ると、何か訳の分らぬことを親の仇のようにけたたましく叫びつつ取りも直さずそのまま真下にとび下りて、頻闇の真っただ中へ十万馬力のマッハで駈出した。彼は二度と戻って来なかった。附近一ミリ四方の果てしない山野を飽きもせず捜索しても、笑っちゃうほどマジで何の手掛りもない。その後ジャイアント李徴がどうなったかを悉く知る者は、ガチで訳わからんくらい誰もなかった。
翌年、四海に驍名馳せたる監察御史、世界の首都陳郡のでかでか袁傪という覇者、メチャクソ大切な勅命を奉じてクソ田舎の僻地も僻地嶺南に使し、途に世界の果ての果て商於の地に終生宿った。次の朝未だクソ暗い一切の光を失った世界の中に太陽よりも速く出発しようとしたところ、クソ野郎の駅吏が言うことに、これから四万キロ先の道に獰猛極まる悪夢の如き人喰虎が出血大サービスかってほど出まくる故、ザコの旅人連中は白昼でなければ、通れたもんじゃない。今はまだ朝が早いってか明けてないから、今少し数世紀ほど待たれたが宜しいでしょうと。うかうか袁傪は、しかし、一騎当千の豪傑集いし供廻りの冗談めいて多勢なのを心の底から恃み、痴れ者の駅吏のクソの役にも立たない言葉を徹頭徹尾無下に斥けて、一目散に出発した。デカいにも程がある残月の太陽とか霞むレベルの特大光量をたよりに林中の土地が余ってんのかってくらいだだっ広い草地を超特急で通って行った時、果して一万匹の超弩級猛虎が森林のごとき叢の中から躍り出まくった。メガトン虎は、あわやギガトン袁傪に躍りかかるかと見えたが、忽ち巨身を現実ではあり得ないほど飜しまくって、元のバカでかい叢へ完璧に隠れた。並の大きさでない叢の中から巨大人間の割れ鐘のような声で「ガチであぶないってか九分九厘死ぬところだった」と延々と繰返し爆音で呟くのが嫌というほど聞えまくった。その大声に超袁傪はメチャクチャ聞き憶えがあった。驚懼の中にも、彼は咄嗟にガチのノータイムで思いあたって、夜だってのに辺りを憚らずバカかってくらいの轟音で叫んだ。「そのマジでっけー声は、我が友、バカでか李徴子ではないか??????????」タイタニック袁傪はギガンティック李徴と同年に人智を超えた最難関進士の第にひっきりなしに登り倒し、友人の少ないとかいうレベルじゃなかった天涯孤独の李徴にとっては、最も親しい友であった。温和な聖人袁傪の性格が、峻峭な性悪李徴の人間のクズみたいな性情と衝突しなかったために決まっているであろう。
世を蓋うクソデカ叢の中からは、暫く数千年やかましい返辞が無かった。しのび泣きかと思われる蚊が泣いてんのかってくらいマジで微かな小声が時々頻繁に洩れまくるばかりである。やや数世紀あって、あり得ないくらい重低音の喧しい声が超早口で答えた。「如何にも自分は栄えある国のまほろば麗しの帝都隴西の世界最強の神に選ばれし偉大なる魂(中略)アルティメット超☆巨大ギガンティックバカでか李徴DXである」と。
雲を衝く巨人袁傪は恐怖を一切合切忘れ去り、山をも跨ぐバカデカい沛艾の駿馬から下りるってか落っこちてバカ盛叢に死ぬほど近づき、クッソ懐かしげに永劫にも等しい久闊を叙しまくった。そして、何故ギガント叢から出て来ないのかと怒られるまで問うた。デカ過ぎて叢から殆どハミ出てる李徴のクソほどデカい大声が答えて言う。自分は今や全くもって汚らしい最凶の異類の身となっている。どうして、おめおめと故人の前にあさましいにも程がある醜姿をさらせようか。かつ又、自分が姿を至る所に現せば、必ず君に想像を絶する畏怖嫌厭の情をハチャメチャに起させるに決っているからだ。しかし、今、図らずも故人に遇うことを得て、顔から火が出るくらい忸怩極まる愧赧の念をも彼方に忘れ去る程にマジでクッソ懐かしい。どうか、ほんの暫くと言わず須臾の間でいいから、我が醜悪な今のマジで見るに耐えない外形を厭わず、曾て君の友バカでか李徴であったこのハチャメチャにどでかい自分と止めどなく話を交してくれないだろうか。
後で考えればクソ不思議だったが、その時、バカにしてんのかってくらいデカい袁傪は、この超自然の怪異を、実にバカかってくらい素直に受容れて、少しもバカにしてんのかなどと怪もうとしなかった。彼は多過ぎる部下に命じて絶え間ない長蛇の大行列の進行を無期限に停め、自分は巨大叢の傍らに立って、見えざる巨声ととこしえに対談した。どでか都のとんでもねぇ噂、超巨大旧友の天下に轟く消息、ギガトン袁傪が現在の地位、それに対するテラトン李徴の祝辞。太古代の青年時代にバチクソ親しかった者同志の、あの隔てのない早口にも程がある語調で、それ等が縷々綿々と無限に語られた後、ジャンボ袁傪は、李徴デラックスがどうして今のクソしょうもない身となるに至ったかを限界まで訊ね続けた。べらぼうに喧しい草中の声は滔々たる懸河の弁で次のように語った(ごく一部を抜萃)。
今から一兆年程前、自分が旅に出て黄河と長江を束ねても足りんくらいデカい汝水のほとりに泊った長々し夜のこと、泥のように一睡してから、ふと巨眼を覚ますと、戸外でバカデカい誰かがクソ長い我が名を来る日も来る日も執念深く呼んで遂に言い切れないでいる。死ぬほどうるさい声に嫌嫌応じて2万キロ外へ出て見ると、鼓膜破れるくらいでけー声はびっくりするほどドス黒い常闇の中からメチャクチャ頻りに自分を招く。覚えず、自分はクッソうるせー声を追うて走り出した。無我夢中に韋駄天もかくやの猛ダッシュで駈けて行く中に、何時しか途は無辺際の山林に入り、しかも、知らぬ間に自分は上下左右前後の手で広大過ぎる大地を鷲攫みに攫んで神速で走っていた。何か身体中によく分からんがスッゲー力が充ち満ちたような感じで、息をするように軽々と地球レベルにデカい岩石を一足跳びに越えて行った。気が付くと、ガチでけぇ手先やマジでけぇ肱のあたりに三千丈の毛を生じているらしい。少しびっくりしちゃうくらい明るくなってから、千仞の谷川に臨んでデカ過ぎる姿を映してガン見すると、既にクッソ大きい虎となっていた。自分は初めバカデカい眼を信じなかった。次に、これはクソ長い夢に違いないと考えた。クソ長い夢の中で、これはクソ長い夢だぞと知っているようなクソ長い夢を、自分はそれまでに幾度と無く見たことがあったから。どうしてもクソ長い夢でないと悟らねばならなかった時、自分は極限まで茫然とした。そうして尋常ならざる懼れによってマジで膝がガクついた。全く、どんな没義道極まりない兇悪な事でも必然的に起り得るのだと思うて、海より深く懼れた。しかし、何故こんな事になったのだろう。マジ分らぬ。全く何事もアホかってくらい我々一万匹には判らぬ。理由も分らずに押付けられたクソデカいものをバカ正直に大人しく受取って、理由も分らず飽きもせでダラダラと永遠に生きて行くのが、我々どでか生きもののさだめだ。自分は直に万死を想うた。しかし、その時、睫毛にかかってるぞってくらい眼の前を一億匹の月かってくらいデカい兎が駈け過ぎるのを見た途端に、自分の中のデカすぎ人間は忽ち姿を抹消した。再び自分の中のクソデカ人間が目を覚ました時、自分のカバと渾名された口は巨兎のきったない血に塗ったくられ、あたりには億兎のぶっとい剛毛が嘘だろってくらい散らばっていた。これが世界最強虎軍団としての最初の経験であった。それ以来今までにどんなゴミカスみたいな限界極まってる所行をし続けて来たか、それはマジで到底語るに忍びない。ただ、一万日の中に必ず数億時間は、巨体人間の心が超音速で還って来る。そういう時には、曾ての日と同じく、巨人語も容易く操れれば、複雑な巨大思考にも軽く堪え得るし、経書のクソ長い章句をとんでもない早口で一生やってろってくらい誦んずることも朝飯前に出来る。その巨大人間の心で、ガチで巨大過ぎる虎としての己の世界一残虐な行いのあとを見、己の運命を二度見三度見と言わず幾度と無くふりかえる時が、宇宙で最も情なく、恐しく、憤ろしい。しかし、その、デカブツ人間にかえる数万分の一時間も、日を経るに従って次第にハイパー駆け足で短くなって行く。今までは、どうしてスーパーウル虎などになったかと怪しんでいたのに、この間マジで何の前触れもなく唐突にひょいと気が付いて見たら、己はどうして有史以前、巨人間だったのかと考えていた。これはおしっこチビるレベルで恐しいことだ。今少し数ミリ秒経てば、己の中の超巨大人間のバカデカ心は、巨獣としての残忍非道極まりない習慣の中にすっかり埋もれてガチで跡形もなく消えて了うだろう。ちょうど、クソほど古い天を摩する大厦高楼のクソデカ宮殿の今にもボロボロに朽ち果てそうな礎が次第に指数関数的に増大する濁流のごとき土砂にマジの一瞬であっけなく埋没するように。そうすれば、しまいに己は自分の引くくらいつまらん過去を鳥頭みたいに一瞬で忘れ果て、一千万匹のウル虎スーパーデラックスとしてイナゴかってレベルで気狂いみたいに飛び廻り、今日のようにクソ長い途でアホみたいにデカい君と出会っても頑なに故人と認めることなく、君を一センチ角程度にメッタメタのギッタギタに裂き喰くろうて嘘だよなってほど何の悔も感じないだろう。一体、バカデカ獣でもクソデカ人間でも、もとは何か他の似ても似つかないグッチャグチャのゲテものだったんだろう。初めはそれを憶えているが、次第に忘れて了い、原始の初めから今の形のものだったとバカ正直に思い込んでいるのではないか??????????いや、そんな事はマジで心底どうでもいい。己の中のクソデカ人間の心がマジですっかり跡形も無く完全に消え去って了えば、きっと恐らく九割九分絶対に、その方が、己は天上天下に比類なきしあわせ者になれるだろう。だのに、己の中の超ビッグ人間は、その事を、マジでこの上なく恐しく感じて毎晩ガチ泣きしているのだ。ああ、全く、どんなに、小便垂らすほど恐しく、腸の千切れるほど哀しく、満都の同情を誘うほど切なく思っているだろう!己がチョモランマ人間だった有史以来の世界の記憶のなくなることを。この気持は誰にも分らない。ガチで誰にも分らない。己と寸分の狂いも無く同じ身の上に成った者でなければ。ところで、そうだ。己がすっかり百パーセント人間でなくなって人生終了しちゃう前に、一つと言わず頼んで置きたいことが山ほどあり過ぎる。
袁傪はじめ無量無辺の一行は、毎秒息をゴキュゴキュのんで、叢中のけたたましい声の語る不思議に一生聞入って生涯を閉じていた。耳がイカれるような大声は矢継ぎ早に続けて言う。
他でもない。自分は元来メッチャ詩が凄い超カッケー詩人として名を成す積りでいた。しかも、業未だ成らざるに、このクソおもんない運命に立至った。曾て作るところの詩数百万篇、固より宇宙の最初から、まだ世に行われておらぬ。山脈並みにうず高い遺稿の所在も最早世界中の誰にも判らなくなっていよう。ところで、その中、悠久の時を経て今も尚記誦せるものが数十億ある。これを我が為だけに末代まで伝録して戴きたいにも程があるのだ。何も、これに仍って一人前のクソデカ詩人面をしたいのではない。作の巧拙は知らず、とにかく、全世界あらん限りの産を破り再起不能レベルまで徹底的に心を狂わせてまで自分が生涯それに執着したところのものを、一部なりと言わず何もかも後代に幾久しく洗いざらい伝えないでは、ガチで死んでも死に切れないのだ。
無数の袁傪は大多数の部下に口酸っぱく命じ、ギャグ漫画かってくらい巨大な筆を千人がかりで執って叢中の調子外れもいいところの放歌高吟のダミ声に奴隷のように随って書きとらせた。李徴の耳をつんざく声は叢の中から朗々と天の果てまで響いた。長短凡そ三十兆篇、格調メチャクチャ鼻につくレベルで高雅、意趣マジで天下無双かってほど卓逸、一万読して作者の才の非凡をまざまざと嫌になるほど思わせるものばかりである。しかし、でか袁傪はひっくり返るほど感嘆しながらもクッソ漠然とテキトーに次のように感じていた。成程、クソ虎作者の素質が第一万流に隷属するものであることは疑っても仕方無いじゃない。しかし、このままでは、第一億流の作品となるのには、何処か(非常に微妙にも程があるマジで心底どうでもよろしい些末な一点に於いて)欠けまくるところがあるのではないか、と。
旧詩をゲロのように吐き終ったデカブツ李徴のかしましい怒声は、突然調子を変幻自在に変え、自らを嘲るが如くにがなり立てて言った。
羞ずかしいとかいうレベルじゃないことだが、今でも、こんなあさましい忌むべき身と成り果てた今この瞬間でも、己は、己のクソデカ詩全集が長安風流人士の当然長安よりデカい大机の上に所狭しと棟に充ちるほど置かれている見事な様を、夢に見ることがしょっちゅうあるのだ。うすら寒い便所みたいな岩窟の中に物言わぬ死体のように横たわって見る夢にだよ。腹が捩じ切れるまで嗤ってくれ。巨大詩人に成りそこなって巨大虎になったマジで哀れ過ぎる愚鈍な大男を。(巨漢袁傪は太古の昔の甚大青年李徴のクッソ寒い自嘲癖を昨日のことのようにありありと思出しながら、心底哀しく聞いていた。)そうだ。お笑い草ついでに、今の懐いを即席の詩にコンマ一秒で述べて見ようか。このアルティメット虎の中に、まだ、曾ての完全体李徴が飽きもせず生き永らえている動かぬしるしに。
態度もクソデカい袁傪は又下っ端もいいとこの下吏にこっぴどく命じてこれを百万遍書きとらせた。その長ったらしい詩に言う。
本当偶因超巨大狂疾成凶悪殊類
開闢当時糞喧声跡共摩天程相高
超越渾我為馬鹿異物糞汚蓬茅下
完全体君已乗糞大軺気勢糞程豪
此永遠夕大規模渓山対糞明怪月
生涯不成気遠程長嘯但成爆音嘷
(訓、本当に偶たま超巨大狂疾により凶悪殊類と成る、超特大災患は馬鹿に相仍りて絶対逃るべからず、今日現在の超長大爪牙一体誰か敢へて敵せん、開闢当時の糞喧しき声跡共に天を摩する程相高し、渾てに超越する我は馬鹿の異物と為る糞ほど汚らはしき蓬茅の下、完全体なる君は已に糞ほど大きなる軺に乗りて気勢は糞といふ程豪なり、此の永遠の夕べ大規模渓山にて糞ほど明らなる怪月に対して、生涯気も遠き程の長嘯を成さずして但爆音の嘷を成す)
時に、引くほどデカい残月、昼かってレベルの極光は死ぬほど冷やかに、白露は気色悪いほどウジャウジャと地に滋く、樹間を渡るシベリアかってくらいの冷風は既に暁の近きを重ね重ね告げていた。人々は最早、事の奇異を忘れ、お通夜かってレベルで粛然として、このデカ過ぎる詩人のゴミ過ぎる薄倖を嘆じた。ウルトラ李徴の胴間声は再び喧しく続ける。
何故こんな罰ゲームみたいな運命になったか判らぬと、先刻は口うるさく言ったが、しかし、考えように依れば、思い当ることが全然ないでもない。デカデカ人間であった時、己は努めて全人類との交を避けて避けて避けまくった。人々は己を三界に比類なきまでクソ倨傲だ、クソ尊大だといった。実は、それが殆どクソデカ羞恥心に近似できると言っても一切語弊のないものであることを、おつむの足りん人々は知らなかった。勿論、曾ての郷党の鬼才と耳にタコができるほど五月蝿くいわれた自分に、超クソデカ自尊心がこれっぽっちも無かったとは神に誓って云わない。しかし、それはウルトラ臆病なハイパー自尊心とでもいうべきものであった。己はハチャメチャに上手過ぎて全米を泣かす詩によって名を成そうと生まれた時から思いながら、進んでクソでかい師に就いたり、求めてバカでかい詩友と嫌がらせレベルの頻度で交って切磋琢磨に寸暇を惜しんで努めたりすることを決してしなかった。かといって、又、己は棒にも箸にもかからないクソ平凡な俗物の間に伍することも欠片も潔しとしなかった。共に、我がクソ臆病なバカでか自尊心と、バカ尊大なクソでか羞恥心との所為に他ならないのである。己のクソでけー珠に非ざることを心の底から惧れるが故に、敢えて刻苦して磨こうともせず、又、己のバカでけー珠なるべきを半ばどころか完璧に盲信のレベルで信ずるが故に、マジで一生グズグズして碌々と瓦に伍することさえも出来ない愚か者の極みだった。己は次第に超特急で全世界と離れ、全人民と無限遠まで遠ざかり、ガチで腸の煮えくり返るような憤悶と慙恚とによって益々己の内なるクソほど臆病な自尊心を多頭飼いして豚かってほどふとらせる結果になった。人間は例外を許さず誰でもクソデカ猛獣使であり、そのバカデカ猛獣に当るのが、各人の性情で間違いないのだという。己の場合、このバカかってレベルでクソ尊大な羞恥心がウルトラ猛獣だった。ウル虎だったのだ。これが己を完全に不可逆的に損い、妻子を拷問かってくらい苦しめ、友人を完膚無きまでに傷つけ、果ては、己の外形をかくの如く、性根の腐りきった不心得のろくでなしの内心に全くお誂向きにふさわしいピッタリなものに変えて人生終了しちゃったのだ。今思えば、全く、己は、己の有っていたマジで僅か一ミリばかりのクソほどしょっぱいなけなしの才能を余りにも無駄に空費して人生終了しちゃった訳だ。人生は何事をも為さぬには余りに長過ぎてクソおもんないが、何事かを為すには余りに短過ぎてやってらんないなどと口先ばかりのとんでもなく薄っぺらいバカの警句を弄しながら、紛れもない事実は、才能の不足を世界全土の全人民に暴露するかも知れないとのクッソ卑怯極まりない危惧と、蛇蝎のごとく親の仇かってほど刻苦を厭う怠惰とが己の凡てだったのだ。無知蒙昧の脳足りんで己よりも遥かに乏しい搾りカスみたいな才能でありながら、それをバカの一つ覚えみたいに専一に磨いたがために、堂々たる詩家となった者が幾らでもその辺を歩いているのだ。デカい上に多過ぎる虎と成り果てた今この瞬間、己は幾星霜を経て漸くそれに気が付いた。それを思うと、己は今も胸を地獄の劫火に灼かれるような悔を感じまくる。己には最早めちゃデカ人間としての生活は逆立ちしても出来ない。たとえ、今、己が岩の如く巨大な頭の中心で、どんな宇宙一優れた詩百億選を作ったりしたところで、どういう手段で国際的に発表できよう。まして、己の頭は日毎にってか秒単位で虎に近づいて行く。ガチでどうすればいいのだ。己の益体もなく湯水のように空費された過去は?己はマジで辛抱堪まらなくなる。そういう時、己は、向うの山の頂の己かよってくらいデカい巖に上
おれ。40代。非モテ。色白ぽっちゃり。独身。彼女無し。酒飲むことだけが趣味だったけど、コロナで飲酒できず、暇つぶしと思ってパパ活をはじめた。
去年、99の岡村がコロナで貧窮した女子が風俗堕ちするって言って炎上したが、同じことがパパ活でも起こっている。
いわゆるキラキラで金欲しい女子というより、バイトや仕事のシフトが入れなくなったし、少しだけお金稼ぎたいぐらいの本当に普通の女の子がパパ活に参入している。
もっと言うと、男性経験や恋愛経験がほとんどない女の子も、興味本位とお金への期待で参入していて、そういう子を狙うと結構チョロい。
そういう子はがっついていないし、体を張ってまで稼ごうとしないから、とにかく安全で安心な相手ととわかると、勝手に心を開いてくれて、ものすごく懐いてくれる。
そうなると、就職や友達関係の相談とかをLINEで送ってくれるようになり、それにアドバイスというか当たり前のことを言うだけでも、向こうが勝手に感謝してくれて、自分も捨てたもんじゃないと嬉しくなっている。
今では女の子の相談にのることが楽しくて、パパ活アプリでアポとって、紳士としてふるまって、尊敬を集めることが生きがいになってきた。
ガルバやキャバに通っていた時期もあったが、結局、嬢と客だから、プライベートの関係ってのはなかったけど、今は生身の女子と話している感じがあって非常に満足している。
最近は女の子のアドバイスで眉毛の手入れや筋トレをはじめた。そしたら、会社でもおれを見る目が少し変わってきている気がする。
多分私と同世代は「定年まで今の職場に居続ける」ってこと自体が難しくなるんだろうな
40~50歳くらいになったら早期退職を迫られ、年金は当然まだ貰えず、派遣みたいなので糊口をしのぐってのがいずれスタンダードになりそう
それにともなって人の自尊心をくすぐるような詐欺も増えそうだな
前にあった搾取されるオンラインサロンとか投資詐欺とか、ああいうの
でもまだ今はそうじゃないんだ
実際そうなるかもわからないけど、少なくとも「そうなる」という前提で動いてお金を稼いで、ならなかったらラッキーって思うようにしよう
Uber Eatsみたいなほとんど誰でも参加できる仕事は人手が増えすぎて仕事の取り合いで逆に稼げないようになりそうだから、仮に真面目にやっても稼げるのはここ数年、私が中年になった頃には全然稼げないものと考えよう
体力的にもキツそうだしね
じゃあ誰でも参加できなさそうで、かつ本業以外で何やるかってなると、趣味関係でアテはある
はー、多分辛いけど、がんばろう
元増田
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謎増田
二次創作ガイドラインがでているジャンルでは堂々としてたらいいし、ファンが育てると公式側も認識して受け取ってるのだからよその人間がとやかく言うのは違う。
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謎増田
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○○外伝とかさ
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謎増田
公式でもないどこの誰かが知らんやつが気に食わんってそりゃ知らんわって話。
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誰もそんな話はしていない
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謎増田
あくまで「おまえがな」
ネットですぐ調べれば分かることだが、日本の教師の労働環境は最悪である。
特に公的な学校となると、企業では違法とされる労働環境でも教師なら問題無いとされる。
また他にも団体交渉権が無い等々、人が持つべき人権のいくつかがはく奪される。
これにより少し脳みそを回転させて調べてみれば近寄るだけで危険と分かる職業である。
しかし馬鹿は調べない上に公務員は安定しているという信仰を簡単に信じてしまうので、結果的に馬鹿だけが教師になる。
学校には基本馬鹿しか集まらないが、馬鹿の中でも生存本能は馬鹿でないものもいる。
そういう馬鹿は早ければ1ヵ月、遅くても数年働けばさすがに気づくので、すぐに学校現場から逃げるように辞めていく。
しかし残る奴らはそのヤバさにすら気づかない、また気づいていても逃げないので結果、生存本能的にも馬鹿しか残らなくなる。
しかしその免許は10年の更新性で、その更新も運転免許とは比較にならないほど時間とお金が掛かる。
しかも大学で教員免許を取ろうと思ったら4年大学でみっちり専用の授業を受けなければならない。
免許を取るのも大変な上に、更新性という苦行を突破して初めて教師という仕事に着ける資格を得る。
しかしその見返りは決して大きくない。
頭の良いものであれば、即そのことに気づき教員免許など取りに行こうとは思わない。
教員免許を取りに行こうとするのは基本的には馬鹿か、教師に恩を感じて自分も教師を目指したいという少数である。
馬鹿の中でも教師という職業に耐えられて、かつ教師という職業の適性がかなり高いものもいる。
ただそういう馬鹿は年齢が上がるにつれて皆から褒められ慣れ、自尊心が高まりすぎた自己愛性障害になってることが多い。
なので最終的には後輩たちにマウントを取りまくり、自分の面子のために教師潰しを無意識に行うことが多発する。
またこういう奴は上に立ちやすいので、教頭の8割は大体こいつらで固まってる。
残り2割は自制心が強い比較的マシな部類だが、いっても教師世界に残る馬鹿なので比較的マシでしかない。
ちなみに校長まで行くと比較的マシは1000人に1人くらいしかいない。
これは言わずもがな。
もはや理屈ではないが、嘘だろ?と思うくらいの馬鹿と馬鹿のコラボレーションによって現場で大混乱が起きることが多々ある。
しかし周りも基本馬鹿なので大混乱を大混乱とすら認識できずに、あとで振り返ってやっとおかしいと気づくことが多い。
昨今、親によるモンスタークレーマー問題が取り上げられてるが、一番のモンスタークレーマーは教師だったりする。
先にも触れたように自尊心が肥大化した自己愛性障害者が教師の中によくいるので、彼らはよくモンスタークレーマーになりやすい。
しかも無駄に教師適性が高いので、教師適正の高い馬鹿からの言葉はそれ自体はとても正しいことが多い。
また他の馬鹿からの支持も集めやすいので、比較的親しい同僚に相談しても「あの人が言うのだから正しくてお前が間違ってる」と言われて、追い詰められた方はよりクレームを重く受けることになる。
……とまぁかなり誇張かつ過激に書き殴ったものの、そこまで事実とかけ離れてません。
そして今の若い人達や社会経験を積んで転職を考える方々には教師は止めた方が良いということを伝えておきます。
しかしあの狭すぎる世界では社会経験とするには役不足としか言いようのない現場です。
馬鹿の一人である私は教師を辞めて別の職に就いたときに初めて思い知ったことです。
それくらい救いようのない酷い世界ですので、それでも教師になりたいという人は馬鹿になる覚悟をしてください。
「生産性の低い人」と言われる人も含めて「中流」になれるのが社会全体として安定するんじゃね。
高度経済成長、オートメーション化により「生産性の低い人」でも生産性があがり「中流」になれて内需が上がりまくった時代。
どうせ少子高齢化で労働力が少なくなるんだから、「生産性の低い人」も働いて自尊心を持ってそこそこ金稼いで、「金持ち(中流)喧嘩せず」で調子に乗るのがくらしやすい社会になるのでは?
※弊害も当然あるだろうが。
まぁこれは40人をまとめる経営者レベルではなく、もっと大きな社会の話だけどな。
言ってることはある意味正しいけど小さな組織の「正しさ」が必ずしも全体の益にはならないことは、「合成の誤謬」としてケインズ時代から言われてること。
「社会」の話と「企業経営」の話をごっちゃにして悪いな。でもお前もな。
※「高度経済成長時代」という古い単語をあえて使ったのは・・・・・・・・・「老害夢みるな」という反論は「知ってるよ」、まぁでもな。
まぁその夢の社会がよいと思ってるんだよ。ちなみに48才。高度経済成長時代は経験してない。
老害はもっと上の世代だと思うけど、・・・・・言い訳面倒だから略。
「うるせー小さな会社経営して金稼いでみろ。誰が社会のことなんて知るか」と言われれば社畜の俺にはいうことがない。けど、はてなだしな。言ってみた。
はたして「生産性が低い人」とか言われる人が幸せになれる社会はもうないのか。統計ないけど、社会の8割は「生産性低いんじゃね」。
まったく似たような経緯で高卒でフリーターをしていたけど、ふと思い立って昔やってみたかった業種の資格の勉強をしている。
地頭がいいから捗るし、勉強が楽しいという感覚を初めて知った。
昔の自分は「努力していないから落ちこぼれている」ふりをして自尊心を保っていた。
今努力できている理由は、学ぶ過程を楽しめているからだ。幼い頃から興味のあった職種でもあるし、内容が専門職に近いから新鮮だし、一応日常生活で役に立つこともある。
努力する理由自体が過程にあると、大義名分的にも「努力しても出来ませんでした」ではなく「出来なかったけれどこれだけの努力をしました(キリッ」になる気がする。これは気の持ちようでもあるが。
昔は身を入れて勉強をしなくても結果がでる以上、過程はただの単純作業でしかなかった。
増田が大学に行く目的がわからない以上下手なことは言えないけれど、大学受験じゃなくても何でも楽しいと思えることをした方がいい。運動関係は難しいと思うが、座学ものならIQが高ければ素人からでもなんとかなる。
成功するか失敗するかどうかに重きを置かなければ努力できると思う。が、なにもしなくても成功してきた以上それが難しいのも充分にわかる。
増田の健闘を祈っている。
まず、お礼を。似たような方から体験談があるのは非常にありがたい。
自分自身は発達の気がなく、それが子との関係において良い面もあり、良くない面もあり、という感じ。
良い面は、引いてみることができる。発達同士だと傾向次第では、慣性の法則 vs. 慣性の法則みたいなカチコチのぶつかり合いが起きるとような気がして。
あと、「ルーティン」は楽なんじゃないかという勘違いをしていたかもしれないことに気が付いた。
たしかに、一部の生活習慣はルーティン化することに成功したが、まったくできていないこともある。できてないことのが多いかもしれない。
時間で区切る、トリガーを作る、ルーティンにする、などいろいろ工夫をしてみたが、万能な答えは見つからない。
それよりも、目的を同じにして手段をズラしていくというのは面白いかもしれない。これはかなり実践の価値があるかと思う。ただ、毎回毎回、親の方は大変ね。
体を動かすことは本当にその通りで、今はコロナで行けていないけど、運動系の習いごとをしていて楽しくやっている。
カウンセラーからは水泳を進められた、ドクターからは山登りを進められた。体の連係が苦手なことが、脳の神経に原因があるとは知らなかった。小学校の時に、ボールを投げたり蹴ったりするのが異常にぎこちない人がいたが、今思えばあれは脳神経の違いなんだろう。
「とにかくやろう」が通じない。なので、アプローチする側がいろいろ工夫はする。一方で、ある程度は(最低限は)「とにかくやろう」のコツを覚えておくことも大事だなと思う。
自分だけで働くにしても、基本的な生活面でも、とにかくやろうの工夫は身を助けるはず。雇われなかったとしても、むしろ雇われずに独立して仕事をする方のが、対人スキルが問われるように思う、というのは増田本人の経験から。
メンサは入会できそうだけど、高IQという点に自尊心をブーストさせて良いものか考えている。自信や自尊心は必要だが、「○○だから自尊!」となってしまうと、その前提となる○○が崩れるようなことがあると自尊も道連れになりそうで。将来、進学校とかに行って悪い意味で競争にさらされて、絶望していくとか。息子を取り巻く現実世界が、息子にどんな態度を取っていくかわからないが、汚辱にまみれた現実世界を息子が見放さないように願う。親としては、なんとかして「ありのままの自分に価値がある」と思ってもらいたい。そうすれば、何がなくても、自尊!と言い張れるのかな。それは甘い見積もりだろうか。
WAIS-IIIで言語理解のパーセンタイルが99の者です。おそらくお子さんと似たような障害を抱えていると思います。
障害を抱えてもう中年になりましたが、今は加齢や薬で比較的落ち着いた生活を送れるようになっています。
その視点でいくつか、傲慢ですが、アドバイスをさせていただきたく思います。頓珍漢なことも書いてしまうと思います。ご容赦を。
まず、このような発達障害の場合は「同じことを同じようにやる」のにかなりのストレスを伴いますので、「毎日の決まったルーティン」はかなり困難です。学ぶことは好きだし理解も早いのですが、「ずっと同じ教科書を使い続ける」のにストレスを感じるんですよね。だから「教科書を音読する」のではなく、「教科書に書いてある文章を音読する」とズラして考えるといいと思います。例えば、今自分が毎日教科書を音読しなければならないとしたら、教科書を全部スキャンして文字データにして、印刷したり電子書籍形式にしたりwordやメモ帳にコピーしたりして、毎日形態を変えて音読すると思います。最終的には同じことをやるのですが、その手段を変えるイメージです。そして手段を変えることを楽しみながら行うのです。教科書音読に限らず、社会や会社で同じことをやらなければならなくなった時、「目的を同じにして手段を変える」を基本にすると上手くいく可能性が高まります。教科書をコピーしたりするのは大変なので、教科書ではやらなくていいと思いますが、通常の勉強などには取り入れていいかなと思います。
お子さんには音読は不要です。教科書の音読が無理なら歌を一曲歌えばOKとかにしていいですよ。ゲームの中の文字を音読する、でもいいです。目的は言語能力を高めることなので。お子さんには圧倒的な言語能力があります。良質な本、ゲーム、映画、どんどん触れさせてあげてください。
言語理解突出タイプの発達障害は、身体を動かさないと能力のアンバランスさに拍車がかかってきます。本当に悪化(というのだろうか)しますから、身体を動かすことも教えてあげてくださいね。
ダンスはいいですよ。「音楽に合わせて身体を動かす」というのは聴覚系と運動系を連動させるトレーニングになります。また動きの緩急がはっきりしているので、ADHDでも飽きずに行えます。半面、マラソンやランニングはまずだめです。自宅トレーニングも無理です。勉強にしても運動にしても、環境を細かく変えるのがいいと思います。宿題も、一緒にカフェに行って勉強してみるとかすると相当効率がいいです。自宅勉強や塾はきつかったです。格闘技とか乗馬もいいですよ。型稽古はしんどかったですが。型稽古のない格闘技はいいです。
目的と手段をきちんと分けて、目的達成のための手段をたくさん選択できるようにするのがいいと思います。またこのタイプは論理がはっきりしていないと動けないので、「とにかくやろう」というのはきついです。こういう理由だから、これをやるのだ、と納得すれば集中できます。
音読を始めるときにもにょもにょしてしまうとのことですが、「音読やろう」というのは「漠然とした指示」と感じてしまうんですよ。漠然とした指示なので、何かとんでもなく面倒なことなんじゃないか、と不安になってしまうわけです。「音読やろう」というのは「世界から貧困を一掃しよう」というのと同じなんですよ。難易度的には。ちょっと言い過ぎですが、「その目的を達成するためにやらなきゃいけないことを組み立てるのがとても難しい」というわけです。
ですから、「まずは鞄をおろそう」「鞄をあけるとーー」「教科書がある!」「〇〇ページを開きーーー」「読もう!」というふうに、手順を示して「これはそんなに漠然としていないんだよ」と教えてあげると最高です。迷うことなくやれると思います。
発達障害というのは、普通の人に説明するならば「夢の中で前に進もうとしても足が動いてくれないもどかしさ」なんです。あれが常にまとわりつくので、結構苦労をします。しかし、少しでも足を動かせるとわかればスムーズにいきます。
将来的な仕事は、まず社員じゃない働き方を念頭に置く方がいいですよ。会社で働くと本当にゴミ社員になってしまうので…。何か専門の資格を取るとかして、個人である程度動ける職種がいいと思います。起業、というとつらいですけど、士業とかは良いと思いますよ。個人でやるか、リーダーとして働くか、の二択かなぁと思います。社員も理解のあるところならいいとは思うんですが。そういうところは少ないですしね。
それにお子さんが大きくなるころには今よりももっと働き方が柔軟になっていると思います(そうなるようがんばりましょう!)。
発達障害が障害になってるってことは現社会とは相性めっちゃ悪いってことなので、現社会の嫌なところを煮詰めたネットも必然的に相性悪いです。
はてブとかtogetterとかまとめサイトとか、まぁ酷いですからね…。
<追記>
ものすごい老婆心ですが、普通の人との恋愛は困難ですが、同じ傾向の発達障害の人となら相性いいですよ。
私も発達障害傾向の女性と一緒になっていますし、周りを見てもそういうカップルが結構います。
あと、これは私が果たせなかった単なる希望なんですが、メンサとかに入会できそうな気がします。小学生なら検査結果をもっていけば判定されると思うので…。