自己評価としては、高卒(大学中退した)文系としては科学的にも情報的にもリテラシー高いほうだとは思ってる。
精々マイナスイオンが出るケータイストラップ使ってたり、プラズマクラスターが搭載された掃除機を買ったぐらい。
最近はトクホマークのついたコーラ飲んだりヨーグルト飲んだりしてるぐらい。
新興宗教にハマってしまった知人にお金貸したこともあるけど、世話になったし、帰ってこなくてもいいや、ってドライに(あー騙されてますねー)って思いながら貸した。
そんな感じで、いざとなって真剣に検討したら上位1~2割に入るぐらいには、論理的科学的な思考や判断が出来ると思ってたし、今まではそうだった。
その場で判断してしまって勢いで自分の意見を出来るだけ持たないようにしてるんだけど、まあそれは大体思った通りの結果に落ち着くのが今まで。
例えば、このニュースはめっちゃみんな賛同してるけど、裏がない(簡単に非難してしまってよい)か? って思ったら、翌日には実はこうでした~、非難してた人は悔い改めましょう~。
みたいな。
だけどたまに、自分の思ってた方向とは違う方の深堀されてく記事ももちろんあって、AというニュースにBという反論が出て、やっぱりにわかに判断したらいかんね、って思ってたらAを擁護してBを非難するもっともらしいCが現れたりする。DとかEとかまで行くともう追いきれないとか、学術論文の世界に踏み込んでったりして、自分の能力では判断できない、意見を持てないって状況に頻会する。
これって、今まで一応裏取りする気でいたけど、暇もなかったし感覚的に裏取りしないで放置してた案件について最近暇だから、その後も追えてしまうから起こった、ある意味では成長と自分の限界に行き当たったってことなのか、
一見正しいっぽいことに対して、ちゃんとした批判が目につきやすいような世の中になってきたのかどっちなんだろう。どっちもなのかな。
それはともかく、他の増田はどのくらい自分の判断を疑ってたり、ちょっと怪しいとかそんなに怪しくもないものに対しての確度をどうやって担保してるんだろってのが知りたい。
あ、ブクマカさんは反射でブコメ書いて、その後そのブコメがめっちゃ恥ずかしいこと書いてることになってもなかったことにするタイプの人が多そうなので意見とかいらないです。
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