はてなキーワード: 狩猟とは
旧石器時代の花泉遺跡からハナイズミモリウシ(野牛)、原牛、ヤベオオツノジカ、ヘラジカ、ナツメジカ、ナウマンゾウ、ノウサギなどの化石が大量にまとまって発見され、これらの骨には解体痕があり、また骨角器と、敲石と思われる使用痕のある石器も発見された。これらから花泉遺跡は狩猟による動物を解体し食肉を得たキルサイトと考えられている。また長野県の野尻湖立ヶ鼻遺跡も、ナウマンゾウとヤベオオツノジカを主としたキルサイトと考えられている。東京都の野川遺跡などからは礫群や配石(置石)が発見されている。礫群は焼けたこぶし大の石が数十から百個ほど1ヶ所にまとまったもので、動物質の有機物が付着したものも発見されている。礫群は食肉を焼くのに用いたと考えられている。当時は更新世の氷河期で、日本列島の大部分は亜寒帯性の針葉樹林が広がっていた。植物性の食品は乏しく漁撈は未発達なため、ビッグゲームと呼ばれる大型哺乳類の狩猟を主とした食肉に依存する生活と考えられている。
※個人の見解です。善悪を述べていますが、そもそも善人も悪人も人類全てに生きる権利も幸せになる権利も不幸になる権利もあると考えています。ただし俺に被害を与えるものには厳正に対処・抗議します。
# | ラベル | 分かる度(5点満点) | 説明 |
---|---|---|---|
1 | 動物愛護 | 4 | 屠殺が残酷だという理由から動物食を辞める人々。「殺すために育てる」ことに思いがあるのは理解できる。俺はそれでも食いたいから食うが、実際の屠殺場を見たらもしかして思うところがあるかもしれない。 |
2 | 動物愛護(強) | 2 | 屠殺が残酷だという理由から動物食する人を罪人として咎める人々。確かに【屠殺を無くす】のならば人類がせーので肉食を辞める必要がある。しかし生命を食べるのはこの世の定めで、多くの人間の体には動物食が必要であるため、なくすのは自然ではない。「食品ロスの縮退」もしくは「狩猟生活への回帰(ただし非現実的)」を訴えるべきであると考える。 |
3 | 健康理論 | 3 | 動物を食べない方が健康だからと動物食を辞める人々。押し付けないだけいいが、実際には健康を害する人間の方が多い(しかし誘惑と戦うので頑固になり止まらない)。家族友人からすれば当人には健康でいてほしいのでできればやめていただきたいが、人間には個人で死ぬ自由も与えられるべきだと考えるため、難しいところ。 |
4 | 健康理論(強) | 0 | 動物を食べない方が健康だからとインフルエンスし動物食する人を罪人とする人々。ハッキリいって金の亡者。ファッションヴィーガン。最も憎むべき悪。人殺し。 |
# | ラベル | 分かる度(5点満点) | 説明 |
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5 | 命の不平等 | 1 | #1,2への反論に「植物は食べてもいいのか」という人々。「牛食と菜食」転じて、例えば「猫を殺すのと花を詰むの」を同等に考えるのはハッキリ言っておかしいと俺は考える。どちらにも本当に同程度悲しみを感じるのであれば、氏の感性には何も言えない。そうでなく反論するための詭弁としているだけなら、ただ人を叩きたいだけの愚か者、議論の邪魔、人類の足を引っ張る者。 |
6 | 嘘やめろ | 5 | #4に対して、人が苦しむ嘘により金を得ようとしている連中に対する言及をする人々。人格攻撃にまで行くのは悪へ足を突っ込むことになるが、問題点のみ毅然と指摘することは必要な活動だと考える。(俺はめんどいからしないけど) |
それはまあ、屠殺場を即刻閉鎖するのは無理だよね。働いてる人もいるし。
(代用肉が安くなれば自然とそうなるという楽観視がないわけではない)
それもある程度同意できる。
人間は野生から始まって、炭水化物に依存した状態など、様々な栄養上の問題を克服してきたし、産業としての食肉文化から脱却することは可能なはずだ。
これは端的に事実だけど、同時にこれを理由として食肉文化に倫理的な利点を見いだすのは、マッチポンプであろうとも思う。
人間は家畜化した動物たちに明確な責任がある。彼らを野生状態に返すべきではないだろう。
一番の問題は、「食べるために殺す」ことよりも、「殺すために産まれさせる」ことだと俺は思ってる。
あと飼ってる猫とか犬に肉をあげないのはやめたほうがいいと思う。
それはそう。ジビエとか狩猟を俺は否定しない。交通事故で死んだシカとか、むしろ食ってやったほうがいいと思う。動物愛護系のヴィーガンには狩猟をやめろっていう人もいるからややこしくなるけど。
あと、野生の大型動物による生態系の破壊は、そもそも人間がその土地のバランスを崩したために起きてる場合が多いはず。
ヴィーガンは人間の幸福を減ずることを推進しようとしている。すなわち、人間の幸福を軽視している。なぜそうなのか? 貴方がたがありのままの人間を愛せないからだと思う。
他の種を搾取することによる一時的な幸福は正しくないし、必ず代わりが見つかると思ってる。
それはわからないし、ありのままの人間でいたいのもわかるが、そうするには人類は進歩しすぎてると思う。
ペット虐待反対運動なら、俺も賛成するよ? フェイクファー推進や象牙禁輸もまあゆるすわ。しかし社会的な肉食の禁止とは!自分と自分以外の他者の人生を嫌悪してないとその発想は出ないんじゃないか。
その間にあるのって「自分に利益があるかどうか」だけじゃない?
他の人のことはわからないけど、俺はハンコ作るために殺されるゾウは減ってほしいし、死ぬために生まれるオスひよことかにも減ってほしいよ。家畜たちにも幸せになってほしいんだよ。
安心してちょうだい元増田ちゃん。あなたは死ななくていいわ。誤解なのよ。
あなたがどういう道筋でその“正しいヴィーガン”にたどり着いたのかはわからないけれど、私の知る範囲で(倫理的)ヴィーガンの主張のなかにその結論を肯定するものは無いわ。早まらないで。
功利主義に基づく倫理的ヴィーガンの観点から、あなたの誤解についてお答えするわ。
功利主義的には「苦痛の総量を減らす、または苦痛と快楽の収支がプラス(快楽が苦痛を上回る)になる」のが倫理的に良いことなのね。最大多数の最大幸福。
細かく言えば「苦痛と快楽」とは別の指標を用いた功利主義もあるけれど、動物倫理の場合はもっぱらこれ。
したがって、畜産において“飼育、屠殺による動物の苦痛”が、人類の得る利益(快楽または苦痛の低減)を上回る場合、“畜肉を食すべきではない”と判断できるわ。
逆に、動物の苦痛が人類の利益に比して十分に小さい場合、それは倫理的に許容されうるわ。
同上
ただし、たまごや乳製品はそれ自身が苦痛を感じる能力を持たないため、畜肉と比べると倫理的ハードルは低いわ。
例えばジャイナ教は非暴力が重要な教義の一つなので必然的に菜食主義だけれど、苦痛を与えずに絞った乳は飲むわ(ラクト・ベジタリアン)。
同上
衣料品の場合、動物を苦しめずに済む代替品が豊富にあるならば、あえて動物性の衣服を着るのは倫理的に肯定しがたいわね。
医薬品の場合、主に動物実験に関する問題ね。この領域は動物倫理的にかなりホットよ。
功利主義的な動物倫理においては、動物実験は必ずしも否定されないのよね。まあ論者にもよるけど。
動物実験における動物の苦痛と、完成した医薬品による人間の苦痛の低減。これの比較で後者が十分に大きければ正当化され得るってわけ。
もたらされる苦痛や死が“意思に反して”いるかどうかは、功利主義的には必ずしも重要ではないわ。
“意思に反”することで、苦痛がより増えるのであれば考慮に値するといった程度かしら。
例えば、糧を得る唯一の方法が狩猟であり、それをしなければ(人が)死んでしまう場合、狩猟による動物の殺害は倫理的に正当化され得るわ。
植物は(少なくとも痛みが神経系によって発生するという生物学的知見を踏まえれば)苦痛を感じないため、功利主義的には道徳的考慮の対象ではないのよ。
ちなみに、倫理的な考慮の対象となる立場を「道徳的地位(Moral standing)」と言うわ。
「何が道徳的地位を持つのか」というテーマは分野や論者によって異なっているわ。功利主義の場合、「苦痛を感じる能力を持つ」ことが道徳的地位を持つ条件ね。
厳密に言えば動物でも苦痛を感じない、例えば海綿動物(きわめて原始的な動物群。神経を持たない)、も功利主義的には道徳的地位を持たないと言えるのね。
また、道徳的地位は持つ/持たないの2択ではなく、強弱も存在しているわ。功利主義なら苦痛を感じる能力の程度ね。
例えばエビ1匹を殺すより、ヒト1人を殺した方が倫理的に悪いと判断できるわけ。
これは個々の人間にも適用でき、健常な成人を殺すより新生児や重度の知的障碍者を殺す方が倫理的に悪くない(もちろん両方悪いが、比較すればそうなる)。
功利主義者がリベラリスト(の一部)、特に障碍者支援者などから嫌われるのことが多いはこれが理由ね。
同上
命を奪うかどうかにこだわってるようだけれど、功利主義的に重要なのは苦痛よ。死は苦痛の一形態たり得る資格を持つというだけ。
自然破壊につながる水道水やミネラルウォーターを飲むべきではない わかる
んー?ここら辺は倫理的ヴィーガンよりも環境主義的ヴィーガンの主張に似てるかしら。
でも環境主義的ヴィーガンの場合、畜産や養殖(の一部)による環境負荷を語ることが多いから、ヴィーガンの主張としてはあまり見ないわねこれ。
水資源の利用による環境破壊はあるにせよ、この書き方だと曖昧過ぎるのよねえ。元増田ちゃんもうちょっと具体的にお願い。
なお、功利主義的に答えるなら、その営為で発生する苦痛が人間の快楽(または苦痛の低減)を上回らない限りOKってことになるわ。
地球温暖化に寄与している二酸化炭素は化石燃料などの地下資源由来で、地上で吸って吐いてした分はほぼ無関係よ。
陸上の炭素循環は(長期的に見れば)収支が釣り合っていたのだけれど、地下に封印されていた(炭素循環の外側にいた)分の炭素が放出されたことで、プラスに傾いちゃったわけ。
家計で言うなら年収200万円(手取り)で年間支出が200万のご家庭に、月々1万円の副収入が加わって年12万円の余裕ができましたって話よ。呼吸は年収に含まれ、支出は炭素固定(主として光合成による)で、化石燃料が副収入。
ちなみに、畜産による温室効果ガス放出(主としてメタン)への寄与はけっこうな割合(確かCO2換算で全体の約14~18%くらい)。あなたが牛ならゲップをやめるのは倫理的かもしれない。
全部わかる
あら?もしかして徳倫理学の方だった?功利主義は結果主義の一分野なので“気持ち”なんてほとんど関係ないもの。
徳倫理主義は、雑に言うと「動機が善ならば善」というもので、良かれと思ってやれば善であるっていう素朴な倫理なのよね。
最近は見直しが進んでるって話だけど、あまり勉強してないから詳しくないのよ。この分野。
呼吸し、水を飲み、命ある動植物を自然から奪い、貪る者は悪魔だ
みんな死のう
死なない者は悪魔だ
功利主義からはまず導かれない結論なので、やっぱり徳倫理主義なのかしら。
でも、良かれと思って“呼吸し、水を飲み、命ある動植物を自然から奪い、貪る”なら、徳倫理主義的には善なのよね。
ここまでは功利主義の観点から答えてきたけれど、やっぱり本人の倫理的観点も考慮しなきゃ片手落ちよね。
でも困った。元増田ちゃんがどんな倫理的基盤でヴィーガンになったのか、わからないわ。
最初の方の考えは倫理的ヴィーガンに対するよくある誤解またはジャイナ教当たりの非暴力主義とPlant thoを混ぜこぜにした感じ。中盤は環境主義っぽいけど問題視する部分がズレてるし不明瞭、後半はさっきも言ったけど徳倫理学っぽいけどなんか違う。
うーん、ネットからいろんな主張(誤解や曲解を含む)を集めてきてパッチワークした感じなのかしら。
ヴィーガンへのバッシング目的で書かれたなら「藁人形乙」で済むけれど、真剣に悩んでいるなら誠意ある回答が必要よねえ。
けっきょく“正しいヴィーガン”が何なのかはわからなかったけど、変な結論から脱却するための私的おすすめ方法を3つほど挙げてみたわ。
良ければ死ぬ前に試してみてちょうだい。チャオ!
辛いならヴィーガンなんてやめちゃっていいと思うの。割に合わないわ。もし心苦しいなら減肉食主義(Reducetarian)くらいから始めてみたら?
私も環境主義的観点(スパイスとして功利主義も一振り)からSemi-vegetarianやってるけど、あまり縛り無いから楽よ?
ヴィーガンからは偽善だなんだ言われるかもしれないけど、まあいいじゃない。自分が納得すればいいのよ。
(2) 勉強する
ヴィーガンやるなとは言わないけれど、何かしらの倫理的または論理的支柱がないと厳しいと思うの。
元増田ちゃんの考えを見るに、あまり一貫した基盤を持っていなさそうだし、環境問題についても詳しくなさそう。体系立てて学ばないと混乱して変な結論にたどり着いちゃうものよ。
いろんな視点、論者ごとに調べてみて、自分に合う立場のものを探してみるといいわ。まずは模倣からよ。
おすすめはピーター・シンガー。「すごいなあ。ぼくにはとてもできない」ってなるわ。
(3) 食生活的ヴィーガン(Dietary vegan)になっちゃう
食事だけヴィーガン。健康目的が多い。一番気楽なタイプのヴィーガン。動物倫理とかうっちゃってる(またはつまみ食い)。毛皮のコートも着ちゃうかも。時たまニセ科学に両足突っ込んでるから注意。
やめたいときにやめられるし、始めたいときに始められる。亜種として一時的ヴィーガン(Part-time vegan)なんかもあるわ。
「ちょっと一週間くらいヴィーガンになるかー」とかできちゃう。「それヴィーガンなの?」という気持ちに蓋ができるならおすすめ。
飼育、屠殺は動物を苦しめるから畜肉を食すべきではない わかる
同様の理由で動物を利用する衣料品や医薬品を使用するべきではない わかる
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意思に反して命を奪ってはいけないので狩猟された肉や魚も食すべきではない わからない
ここに一つの壁がある
狩猟された肉や魚を食べないのはその動物が絶滅する恐れがあるからであって、
肉食動物と同じように狩猟して肉を食うことに倫理的な問題はない
狭いところに閉じ込めて移動の自由を与えず、生まれたばかりの親子を引き離し、食べたくもない餌を大量に詰め込まれ、
生殖の自由を謳歌する前に殺されることがシステム化されているからだ
そしてなぜ植物食が許容されるかというと、植物の命を奪うかどうかではなく、
作物を育てて食べることが彼らの苦痛につながらないと判断できるからだ
もちろん植物の主観など分からないが、植物の生態系から論理的に考えればそうなる
動物は人間のご飯でした。過去数千年も人間は狩猟採集で生きていました。
狩で仕留めたマンモスを食べて氷河期を生き抜き、山でシカやイノシシを食べて生き抜きました。私たちの祖先はヤギや豚や牛や羊や鶏を、長い長い長い年月をかけて家畜化しました。家畜化なんて一朝一夕一世代で出来ることではありません。祖父から父へ、父から子へ、飼育のノウハウを受け継ぎながら、家畜を食べる肉食文化を発展させました。
色々な国で色々な食文化が発展してきました。それは日本のように仏教によって禁止されながらも、こっそりと楽しまれたり、文明開化とともに最先端の料理として食べられたり、ヨーロッパのようにソーセージやベーコンや干し肉なんかにして長期保存できるようにされたり、焼いたり蒸したり揚げたりして、美味しく食べれるように工夫されたりしてきました。イヌイットのように生食する民族も、沢山の香辛料でスパイシーに食べる民族もいます。食文化は、宗教やその土地の気候と密に絡み合いながら発展してきました。
文化は人間が長い歴史の中で作り上げた叡智の結晶です。衣、食、住の1つである、生き物にとって欠かせない「食」の文化は何にも劣らない人類史の大切な要素です。文化人類学的な価値を持つものです。
生物学的にも人間が動物を食べるのには意味があります。日本人だけが海苔を消化できるように進化したことは有名ですが、お肉も同じです。人間が肉を美味しく食べて、消化して、エネルギーとして利用できるのも、人間が長い間肉を食べ続けて、そのように進化したから美味しくお肉が食べられるのです。お肉を食べるのは人間が生態です。人間は雑食なのですから。
連綿と続くこの歴史の中で、動物が可哀想だという考えを持ち、肉食をやめることもまた文化です。人類がそのように方向転換し得る可能性を持つこともまた大切なことです。
しかし、それを望まぬ人に強要すること、人間全体から肉食文化を奪うことは文化の破壊です。畜産家や肉屋やコックさんから仕事を奪う権利は誰にもありません。
食文化は生活に根付いて始めて意味があります。レシピの本だけあっても仕方がありません。肉を食べないということは今まで育んできた肉食文化を永久に手放してしまうことになります。日本の和食が文化遺産であるように、世界の肉食文化は和食よりもうんと重要な文化です。ヴィーガンの肉を食べない「食」が尊重されるべきように、私たち雑食の食文化も尊重されるべきです。
飼育、屠殺は動物を苦しめるから畜肉を食すべきではない わかる
同様の理由で動物を利用する衣料品や医薬品を使用するべきではない わかる
意思に反して命を奪ってはいけないので狩猟された肉や魚も食すべきではない わかる
同様の理由で採集することによって植物の命を奪う野菜も食すべきではない わかる
落ちた果実を採集することによって本来その栄養を得るはずだった生物の命を奪うことになるので食すべきではない わかる
自然破壊につながる水道水やミネラルウォーターを飲むべきではない わかる
地下水の利用は自然破壊につながるので湧き水は飲むべきではない わかる
川の水や雨水を利用するのは生態系に影響を与えるので飲むべきではない わかる
酸素を吸収し二酸化炭素を排出するのは生態系に影響を与えるので呼吸すべきではない わかる
全部わかる
呼吸し、水を飲み、命ある動植物を自然から奪い、貪る者は悪魔だ
みんな死のう
死なない者は悪魔だ
80年とか生きてるんだもん、30年しか生きてない自分が理解しようというのがおこがましい。
祖父が普通じゃないんじゃないかとうすうす思っていたのだが、そもそもうちがだいぶおかしいのではないかと、設定盛りすぎなんじゃないかと思うので、ちょっと判断してほしい。
電器屋40年、自営業で半生を過ごす。祖母は元芸子、ものすごくよく働く。自営業もかなりの部分を支えた。
ここまでは経歴的に普通だと思う
本人、副業というと怒るんだけど、お礼にお金もらってる時点で、副業だったと思う。今は本業だけど。
ゆえに、霊の話がほぼ食卓に上がる。
趣味の狩猟(今は引退済み、マツタケ取りと山菜取りくらい)と同じ温度で、霊の話と神の話をする。
中高生の時は、毎回のように祖父に祈りを受けるんだけど、あまり実感したことはなかった。
昔はあまり実感できなかったけど、今はすごく助かるのでまあ、霊も神さんも普通にいるんだなぁと今は思ってる。
ところが、世の中だと、このジャンル、どうも詐欺しか横行してないっぽくて、何それと思うお祓い方法とかお祈りに、ドン引いてしまう
自分は最初からちゃんと効果があるお祓い受けて育ってきたけど、それが普通じゃないどころか、やっばいジャンルだと知った時のアレ
創〇〇会とか幸〇の〇学とか、そういうお祓いやってるから人気なんだと思ってた。
隠居で家にいることが多くなった祖父とは話す機会が増えて、あんなもんにお金払う奴狂ってると言うようになり、自分でも調べたら、なんでこれに人が集まるんだ?と思えるレベル。
しかし、だ。
というか、祖父何者なの。
なんだったら、かなり偏屈で差別主義者で、熟年離婚されなかったのが奇跡レベルのクソ野郎と言ってもいい
何度か他人のお祓いを受ける姿も見るし、自分も受けるけれど、元気になるので効果はあるのは確かだ。
10代のころ、母親が死んだり、こいつが育てた父親があまりにも同じくクソ野郎なので、神とか霊とか嘘なんじゃないかと妄言なんじゃないかと疑ったこともある。
神は人間に興味がないのだ、と祖父の言ってることから理解したので、最近はそんな風に思うことはない。
神、と言ってるのは、ただのファンタジーで、人間を救う前提ではないのだ。
科学者が、自分の好奇心から、病気を解明するのと同じ。ついでに人が救えたというだけのアレ。
できることが多い人間と考えれば、見ず知らずの人間なんか、救うわけないじゃんね
というわけで、祖父はかなりの選民、差別、モラハラの塊でありながら、他人に憑いた霊を取り除く
こんな不可思議な家族がいて、自分が普通に育つはずがないのだが、まあ、そんなことはどうでもいい
こういう話を家族にしかできないので、鬱憤がたまっていた。世間的評価としては嘘だというんだろうな。
30年も交流してきた家族を嘘つきとは言えないから、本物だと信じると思うなら、他人から見れば滑稽だろうな。
自分の父親がかなり嘘つきだったので、本人が妄想を信じているだけなのか、その場しのぎで嘘ついているのか、けっこう検証しているつもりなので、祖父は詐欺師ではないと思ってる。事実、お祓いは結構きく。プラシーボだと言われたらそれまでだけど
一週間雨が降り続けた時期だった。
「雨が多くて困る、晴れるよう頼むか」と、祖父が言った次の日に、その集落だけ、晴れたことだ。
ぽっかりとまるく晴天がのぞいていた。ほかはどんよりとした雲が覆っていたのに。
自分の子供はちゃんと教育できずに嘘しかつかないのに。短気でカッとしやすく、すぐに祖母を怒鳴るのに
生涯未婚率が高い今は、そんな重圧避けようと思えばいくらでも避けられるんだから、現代の問題にするのは違和感。武士たる者、日本男児たる者なんていう時代とっくの昔に終わってる。
今はシングルマザーでもやってける様に社会保障あるし、昔と違って女でも母親でも働けるし、近代よりはよっぽど良くなってるのに、なぜ狩猟採集時代と比べる?
稼いで家族を養ってっていう価値観で育てられた重圧は確実にあるよ。
それができないと社会では認められない、逃げても自分を含めた社会の価値観からは逃げられない重圧が。
優遇されたのなから、自分が死んでも家族が無事に過ごせると思えるのはとても生きやすい社会なんじゃないのかな。
少なくともそれだけで救われる、とまではいかないかもしれないけど、肩の荷が降りて平常心で仕事に行ける人は多いんじゃないかな。
っていうかそれだけで救われる人がいるような社会って。
こんなに技術が発達したのに狩猟時代より幸福度が増えないのって、どうかしてるんじゃないのか。
自分は死んでも構わない、それが家族の幸せに繋がるのなら怖くない。
一番怖いのは自分の才覚では家族を幸せにできない、たとえ自分の死をもってもそれは変わらない、そんなことをしたら逆に家族を不幸にするだけにしかならないと悟った人。
こう書くと誤解や語弊が生じるが、早い話「自分から好きになった人とは付き合ったことがない」ということ。
(こう書けばただの「あるある」だろう)
しかしなぜかまったく眼中になかった(失礼!)相手にはよく見初められ、相手からの告白・アプローチをきっかけに付き合い始めた(あるいはそれらをお断りした)ことなら何度もある。
一見うらやましそうでいて、私自身にとってはこれほどの"屈辱"はないと感じている。
学生時代ならまだしも、社会人になって何年もたった今ではその屈辱度合いが大きくなる一方である。
自分から好きになった人と付き合えない=狙った獲物をしとめる能力も魅力も価値もないポンコツである、という屈辱的烙印を押されたに他ならないからな。
狩猟の時代ならいざ知らず、現代においてはいくらたくさんの異性からアプローチされてもそこに「本命」がいなければ何の意味もない。
そんなことが続くうちにどんどん自信を失ってしまった。
そこでそれらを取り戻し、自らの魅力や価値を高めるべく、仕事に励み、金を稼ぎ、運動時間を増やし、見た目や言動にも気を遣い、知識や教養を増やし、趣味や家族関係も楽しんで取り組んでみた。
しかし一向に自信はつかないし、狙った人と付き合えたためしもない。
自信がつくから狙った人と付き合えるのか、狙った人と付き合えるから自信がつくのかわからないが、多分後者ではないので私自身にまだ何か問題が残っていると考えざるを得ない。
何だ…あと何が足りないんだ、何がいけないんだ。
今 冷たくなっていく 二度と目を覚まさない 俺は
俺は桜を見ていた 今立っている足元には多くの死と俺と無念と怒りと死と涙とオニギリ、巻き込まれて死んでいった無数の動植物の死骸と黄金の精神 が埋まっている 今 薄桃の春が美しく咲いている この足元から立ち上る命で 春を感じる
https://youngjump.jp/goldenkamuy/
長い。今北産業
・選挙に行け
・ゴールデンカムイを読め
誰しも、それが最後の言葉になる可能性がある。だから今伝えたい。ゴールデンカムイをよめ。
ネタバレなし
以下の文章にはネタバレ、いわゆるスポイラーはありません。これにより記事はより空気力学的に洗練され、その結果としてより高速で疾走できるようになりません。
アンサイクロペディアはウィキペディアのパロディであることを知らないのであれば、充分注意して、救急箱を手放さないようにしてください。
ゴールデンカムイ最新刊17巻は今日発売されたばっかりだ。ぜんぜん間に合う。買ったか?ゴールデンカムイとは、2016年まんが大賞を受賞し、イギリスの大英博物館の看板になるくらいすごいのだ。
かってないのか?いつお前はチタタプ言えるかな?ってこのアシリパさんに言われなくていいのか?
http://www.kamuy-anime.com/character/asirpa.html
ゴールデンカムイは、まず出てくる登場人物全員の気迫が違う。エンジン音が違う。全力だ。
ボーっと生きてる人などいない。荒れ狂う葛藤をかかえながらも怒らず笑わず表情筋が動かずボーっと生きてる「ように見える人」もいるのだ。
ヒンナヒンナをネタバレなしに説明するなら、アニメ公式のいうhttps://twitter.com/kamuy_anime
冒険・歴史・文化・狩猟グルメ・ギャグ&LOVE和風ラッコ鍋ウエスタンがしっくりくるだろう。
舞台は気高き北の大地・北海道。明治時代後期、日露戦争をくぐり抜けた「不死身の杉元」杉元佐一は、ある目的のために大金を欲っしてた。
一攫千金を目指し 砂金を求めて北海道に渡ってきた杉元を待ち受けていたのは、網走監獄の死刑囚が隠した莫大な埋蔵金への手がかりだった。
圧倒的で、畏怖の念を抱かせるほどの大自然! VS 凶悪、変態で【禁則事項です】な死刑囚! そして、誇り高き変顔の天才アシ(リ)パさんとの出逢い!
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シライシ@shirasiri 安定のいつめん てかマジ久しぶりやろ海(笑)
#白石#アシリパ#杉元佐一#くりからもんもん#cute#kawaii#pink#二階堂#関節#みんながみんな狂人#f4f#北海道開拓の村
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出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。
雑多な内容を羅列した節があります。
https://tonarinoyj.jp/episode/13932016480028986524
読んだ?血は戦争が始まったら怖くても否が応でも血を見なきゃいけなくなる。苦手とか言ってられなくなる。
選挙に行こう、我々は無血で政治を決めるやり方を生み出した。我々にできること一番のことは選挙に行くことだ 並ばなくていい期日前投票制度もあるし 投票率上がるから会場で献血みたいにジュースとカップラーメンくれ。
選挙行ってもムダだって?まぁすぐに恩恵はわからんさ。筋トレと一緒だ。 続けるか否か
昔海で遊んだ経験があれば 海で楽しいという思いをしていれば 辺野古を埋め立てようという議員に投票はしない そうニュースで語る人を見た
知らないと、本当にどうでもよくなってしまうのだ。
開拓され消えた樺太のアイヌの村は 消えていった。北海道のアイヌもそうなる 厳ついグルグルピアスが言う。
知ること それが行動の第一歩だ
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・ンチャヌプコロ
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/54833
心で感謝しているのに、 それを態度で示そうとしないのは、 プレゼントを包んだのに、 渡さないのと同じことだ( ジグ・ジグラー)