はてなキーワード: 烙印とは
コンパクト五輪:失敗。当初掲げた予算目標を大幅に超過。担当大臣すら予算の全容を把握していないことからして、そもそもこの目標を実現する気が有ったとは思えない。
人類がコロナに打ち勝った証として完全な形で開催する五輪:失敗。人類全体も日本も未だコロナ禍の渦中にある。観客数や五輪関係者への行動制限など様々な制約を付けた不完全な形で五輪を強行。
"安心安全な大会を成功させ、未来を生きる子供たちに夢と希望を与える歴史的な歴史に残る大会を実現したい"五輪:すでに半ば失敗。緊急事態宣言を発令せざるを得ず、バブル方式も名ばかりで穴だらけな状況を安心安全とは言わない。運動会やその他の学校生活は大幅な自粛を求められる一方で五輪は強行される等、与党の都合による様々な矛盾した施策を見せつけられた子供たちが夢と希望を抱けるはずもない。政治の劣化と腐敗をまざまざと見せつけられて、子供たちはこの国への失望と己の未来への危機感を抱くことだろう。
車では彼はボソボソ少ししか話してくれなかったので、喋るのが苦手な私がひたすら頑張って話していた。
に、「女性に慣れていない男性」について、何一つ分かってなさそうなのでコメントしたら、
相手とコミュニケーション取ろうとしない人間がいたって話をどうやったらこんな意味不明に解釈できるん?謎の上から目線といいまじキモすぎる
そもそも「相手とコミュニケーションを取ろうとしない」と受け取る時点で、かなりずれてる。
もちろんそうではない。「女性に慣れていない男性」は話そうとしている。コミュニケーションを取ろうとしてる。
ではなぜ彼は発話しないのか。「女性に慣れていない男性」にとっては、むしろ話さないのが当然なのだ。これにはいろいろな要因がある。が、多い要因としては以下だろう。
男性のほとんどは仕事に費やされる。女性にはわからないだろうが、仕事で「出来ない」という烙印を押される事は死を意味する。割と冗談ではない。仕事が嫌いなのに、仕事に費やさざる得ない苦しさは全くわからないのだろう。好きな仕事をすればいい?正気か?そんなことは不可能だ。そもそもそんな圧倒的な能力があるなら、婚活なんかするわけがあるまい。
結婚すれば家庭に入るのだからという思いで、家庭や親の話をするし、仕事が中心にならざる得ない。それ以外は会話のバリエーションなどあるわけがない。「女性に慣れていない男性」はあまり仕事ではパッとしないことが多い。だからこそ、仕事中心で考えざる得ないのだ。
「女性を意識しすぎる」のは、失敗したくない、付き合いたいというのももちろんある。それと、仕事しかしてなく、慣れてないからだ。慣れてないから、何から切り出していいかわからない。その結果何も切り出すことも出来ない。
え?なんでも気軽に切り出せば良いんじゃないの? と思うこと自体、男性のことを何も分かってない。男性では、女性にとても慣れたやつでないとそんなことは不可能だ。
そう思わない人は、そうじゃないところを見すぎなだけ。普通の男性は女性の状態に合わせて話を変えるなんてことは出来ない。
それが出来るのは女性をくどく気満々で、それこそ恋愛工学なんて、内心鼻で笑えるほど考えきって実践したやつだけだ。人数的にはたくさんいるかも知れないが、そうでない人のほうが圧倒的に多い。
まるで慣れてないから「失敗したくない」という意識で自縄自縛になり、何も話せない。これが普通だ。別にコミュニケーションを取りたくないわけではない。失敗できないから、更に硬くなり、さらに失敗していく。
あと、男性は「興味がない女性にはとことん興味が沸かない」生き物だ。女性と付き合いたいとは思うが、どうでもいいかなーと思う女性には、意識が全く働かない。おそらく男性というのはそういう生き物なのだろう。
にもかかわらず失敗できないので、更に自縄自縛が解けない。なにか話そうと思いはするのだが、実際には大して興味がないので、質問事項を思いつかない。なので沈黙が重なるだけ。
これがわからないと、失敗ばかり重ねていく。
ということで、「女性に慣れていない男性」の内容を説明してみた。これの解消は、単純明快、「女性に慣れる」ことしかない。だから、「女性に慣れていない男性」でないと思える場合、大なり小なり、女性には慣れてる。当然ながら、女性をうまくエスコートでき、それが出来るぐらい時間もカネも投資していることを意味する。
なぜ投資をしているかと言えば、女性とやる気満々だからだ。でなければそんな投資はしない。無駄になるだけだから。
少なくともほんとに浮気するかはともかく、能力的には可能であることを意味する。ほんとにその方が良いの?とコメントした。
ちなみに言っておくが、「女性に慣れていない男性」がそのままでいいなどとは全く思ってない。無知度合いがひどすぎるのでコメントしただけだ。
学校みたいに「普通」でいることが求められる場に馴染めたことがない。まあ、ありふれた話ではあるんだが。そりゃもちろん適応する努力はするんだけど、距離感と感覚が異常すぎてすぐにキモさが露呈するし、かといって異常な部分を隠すためにコミュニケーションを拒絶して何も話さないというのもそれはそれでキモいのでもうどうしようもなくなる。
個性的に見られようとして常識外れの振る舞いをするのが最近の流行りらしいが、本当に異常で「普通」の場において周囲の誰とも馴染めない人って惨めさに苦しみながら必死で泥臭く足掻いている人がほとんどだと思う。共感性や常識、趣味趣向などは歪みに歪んでいる一方で、自分を客観視する能力はある人間が、「普通」の場で自らの存在意義を証明するためにできることは基本的に二択になる。自分はキモくないと必死で叫び続けるか、自分を否定してひた隠しにしながら周囲に合わせようとするか。そのどちらかしかない。
でも、どちらにせよそんなことを続けていたらすぐに限界が来る。適応障害こじらせて頭が回らなくなり、仕事や勉強についていけなくなったり、コミュニケーションに失敗していじめに遭ったり。で、インターネットに逃げ込んで黒歴史を大量生産したり。
そして社会が助けようとするのは社会における多数派が共感できる弱者だけなので、俺を含めたこのような人たちは社会からまともに扱われることなく惨めに死んでいく。精神科で与えられた「社会不安障害」「鬱病」といった烙印を抱えながら。そのような現実を生気のない目で見据えながら。「普通」の人間に怒りと憧れを感じながら。
ほんとうに凄い!
これは凄いことだ。
何故かって?
今までのMOBA(マルチ・オンライン・バトル・アリーナ)とは全く違うからだ。
マルチオンラインバトルアリーナとは日本語に直訳すると「多人数ネット対戦式集団処刑場」だ。
MOBAの本質は「ゲームが上手い奴らがゲームの下手な奴らに敗北の烙印を焼き付けに行くゲーム」だった。
RTSが「どっちがゲームが上手いのか完全に白黒をつけ、一生消えない挫折を刻み込みあい続ける」というゲームだったのを、チーム戦にすることで一度に5人の心に傷を植え付けられるようにしたのがMOBAなのだ。
MOBAの勝利条件は相手陣地の破壊であり、それは言い訳のしようがない完全敗北を意味する。
勝負に負かした相手を試合のルールの元で完全に踏みにじる行為がシステムに組み込まれているのだ。
「10分間に多くの点を稼いだほうが勝つ」
これによって「いや……あのポイントが入れば勝っていた」「あと10分やってれば俺が勝ってた」「集団戦1回負けただけ」などの言い訳が無限にできるようになった。
そんな言い訳が出来ないほどの大差がついた場合は「レート詐欺の初心者狩りにあった」と言えばいいので、ユーザーの心は完全に守られる。
凄い。
今まではレーンで負け、集団で負け、陣地を守れず、強力なタワーに守られながらもボコボコにされ、もはや完全に負けたと言わされてきたのが、今度はいくらでも負けてないと言い続けられる。
なんて優しい世界。
今までのMOBAにおいては視界の管理だのレーンの責め合いだのジャングルの管理だのと煩わしい要素が無数にあった。
それらが上級者~初心者までを細かく切り分け、プレイヤー達は自分たちの屍によって格差社会のピラミッドを作らされてきた。
タワーもない。
ただプレイヤー同士が競い合うフィールドがあり、狩られるだけの野良モンスターがいて、ダンクするだけのゴールがある。
レベリングし、相手プレイヤーと戦い、たまにゴールを割って点数を稼ぐ。
それだけでいい。
煩わしい格差を作るためだけのシステムに邪魔されることなくのんびりとゲームだけを楽しめる。
まさに理想だ。
そうかも知れない。
だがそれでいい。
作戦なんていらない。
ゲームなんて遊びだ。
ゲームで仕事がしたいならポケモンなんてしてないでDota2でプロになれ。
・死にそうになったらキッチリ逃げるか味方に仇をとってもらうために削るかハッキリさせよう
これだけ守ればいい
もしもこれがLoLだったら「チームビルドではタンクの数がNでキャリーがXでジャングルがAじゃないと……」「(俺以外の)誰かがワードに金使わないと負けるよ」「なんでジャングルバフ管理してねえんだ」「ラストヒット奪うのやめろ」「ラストヒットちゃんと取れ」「俺が取れそうもないときはちゃんとラストヒットお前が取れ」とあーだこーだクッソくだらんゲームとしての面白さを底上げする役に立ってるんじゃなくて単にプレイヤーにランクをつけて誰が敗北者かを決めるためだけに作られたような要素が山ほど出てきてゲームを楽しむ余裕なんてない。
・人数差を生み出せそうなときには上手く集まろう
・無駄死にを避けてチームのキルレをあげよう
だけでいい。
神ゲーだ。
やはりブコメと同じくヤフコメも開催などありえない、今すぐ中止しろの大合唱。
それにあわせて、緊急事態宣言に対して懐疑的というレベルを超えて今や守る気など起きるだろうか、という雰囲気。
あちこちで三密になってるのに感染者数が減るわけがない、検査を意図的に減らしているのだという見方がヤフコメでは支配的。
陰謀論と紙一重なのでブコメは慎重と思われるが、そう簡単に減るだろうかという懐疑派という意味では一致。
ヤフコメはスガが大嫌いだが、それ以上に立憲民主党が大嫌いである。
自民はどうしようもない悪政を敷いているのに、それを是正できないどころか文句ばかり言って何一つコロナ問題を解決できていない、
これはアンチ立憲というより、そもそも国会議員へのヘイトが積もりに積もっているといえる。
あるいはブコメでは妖怪どっちもどっちと攻撃されるために居場所がないのかもしれない。
とにかくヤフコメでは議員定数を削減しろ、議員報酬を返上しろ、というのがお決まりの攻撃パターンである。
ブコメでは大して話題にならないが、ヤフコメでは連日のようにこの結婚は今すぐにでも破断にするべき一択で大騒ぎである。
下手したらスガやオリンピックやコロナよりも盛り上がる日が少なくない。
ブコメ勢が見ればヤフコメはネトウヨの巣窟ということになるだろう。
三浦先生の訃報を聞いてから時間が経ったが、ショックすぎて気持ちがまとまらないのでここに吐き出させてほしい。
リョナ趣味の後輩から「主人公のやられが多くて興奮するから見てくれ」と勧められて以来頭にはあったが、グロが怖くて読んでいなかった。でも受験を終えて燃え尽き症候群に陥っていたから、この際フヌケの自分を変えてくれるならグロでもなんでもいいかと思ってなんとなく1巻を手に取った。
なんだ、この漫画。主人公がめちゃくちゃやさぐれてるじゃねえか。自分の巻き添えになった爺さんのことも何とも思ってなさそうだし、美少女が建物から落ちそうになってんのに助けないのかよ。
ジャンプ漫画の清く正しく美しい主人公しか見てこなかった自分にとっては衝撃的な展開の連続だった。
人を助けないし、自殺教唆するし、お供の妖精はいじめるし、一体なんなんだこいつは。
けれどもそういう殺伐とした殺るか殺られるかの世界観は、案外すんなり肌に馴染んだ。
これは自分の家庭環境がボロボロで、現代日本なのに親と殺るか殺られるかの戦いを毎日繰り広げてたからというのも大きいと思うが、とにかく「綺麗事で済ませない」といったベルセルクの雰囲気は自分の感覚に合うな、という印象があった。
親の金でユニバに行くクラスメイトよりも、親代わりのガンビーノを殺しつつも愛を求める気持ちを捨てられないガッツの方が身近に感じた。
ガッツが鷹の団に入るまでのストーリーは読んでてキツかったが(親代わりの大人に貞操売られてぶち殺すってどんな話だ?)、黄金時代のストーリーは面白くて夢中になって読んだ。ガッツの初仕事(川沿いで奇襲かけたあと殿ひきうけたやつ)の話も、ユリウス伯爵の暗殺も、ドルドレイ戦も、そんなに上手くはまるわけないだろと思いつつも毎回読んでてワクワクした。
読み進める度に胸が熱くなるようなシーンが次々出てきて、この先どんな物語が待っているのかとページをめくる手が止まらなかった。
(個人的にはプロムナード館での夢の話が好きだ。「夢に支えられ、夢に苦しみ、夢に生かされ、夢に殺される」……夢を表した言葉としてこんなにも的確な言葉は珍しいと思う)
そして黄金時代も佳境に入り、グリフィスが全てを失い絶望の果てに蝕を起こす。
無数のモンスターに対峙する鷹の団の見開きの絵を見たとき、初めて気がついた。
バカなので蝕に辿り着くまで三浦先生の絵の偉大さが全く分かっていなかったのだが、大量のモンスターと鷹の団の苦悶の表情を前に、三浦先生の凄さを""分からされて""しまった。
びたびたと飛び散る内臓。好きだったキャラクターの割れた頭蓋骨と、はみ出した脳みそ。どういう骨格をしているのかよく分からないがとにかく気持ちが悪いことだけは分かるモンスターの群れ。一度見たら忘れることのできないガッツの咆哮の表情。抜ける女体。死ぬほどイカした造形の新生グリフィスことフェムト。
ゴッドハンドの女が「愛、憎悪、苦痛、快楽、生、死、すべてがあそこに……」と言っていたが、まさにその通りだった。読んでるだけで頭がおかしくなりそうだったし、自分が体験したわけではないのに脳みそを上下に全力で揺さぶられたような衝撃で心がめちゃくちゃになった。
蝕のシーンがショッキングすぎてトラウマになり、心ここにあらずな日が続いた。授業も全部上の空だった。何をしていても蝕のことが頭をちらついた。あんな凄惨な光景は二度と見たくないと思うのにもう一度触れさせるような、魅力を越えた魔力があった。蝕の絵は、麻薬だった。
蝕のショックから正気に戻った後は坂を転がり落ちるように、その時出ていた最新刊(36巻だったかな)まで一気読みした。蝕以上にショックなシーンはなかったが、ただただガッツの行く末を見届けたくて、三浦先生の絵が凄すぎてもっと見ていたいという気持ちが強くて、一心不乱に読み続けた。
(個人的には蝕以降のエピソードだとロスト・チルドレン(偽エルフの谷)の話が好きだ。エルフの女王の造詣がクリーチャーとしてクオリティが高すぎるし、女王になった女の子の親父が自分の父親にそっくりで「ああ、いるいる、こういうくそ野郎」「不幸な家庭があることをぼかさずに書いてくれるんだなあ」と、汚いことも忌避せずに描いてくれる姿勢に信頼が置けたからな)
やがて奨学金を借りつつも大学生になり、バイトを始め金に余裕が出てきたので、スイパラのコラボも行った。
普通ならサンリオみたいな可愛いものとコラボするようなところがなんでベルセルクとコラボした?と思わなくもなかったし、店内にはファンシーな雰囲気にはミスマッチなキャプ画が張られてて一種異様な空気が漂っていた。
どう見てもベルセルクファンの自分、場違いじゃねえか。コースターとポスター目当てで行ったが終始いたたまれなかった。
注文したベヘリットのチョコケーキは普通に美味かった。まあ中身スイパラだもんな。
そんなこんなでちょろちょろベルセルクコンテンツに触れたり、他の漫画やアニメに浮気したりしつつ、ずっとベルセルクは続いていくんだろうな、早く次の巻出ねえかなー、でも三浦先生には無理しないでほしいしな……と思いながら、年1ペースで出る単行本を追っていた。
相変わらず知り合いに「ベルセルクは良い漫画だから読んでくれ、トラウマになるとは思うが読まずに人生終わるよりいいと思う」と吹き込み続けながらいつも通り41巻発行の報を待っていたある日、そのニュースは訪れた。
何が起こったのか全く分からなかった。職場のトイレにいたのにどういうことなのか分からなくてしばらくぼうっとしていた。胸の上にどすっと重たい何かがぶつかり、心を胸の内側から弾き飛ばしてしまったようだった。
もうベルセルクの新刊は出ないのか。もう、三浦先生のお描きになった素晴らしい新作の絵を見ることはかなわないのか。
そのことが信じられなくて逃げるように仕事に戻った。全く効率は上がらなかったが、何もしていないよりかはましだった。
けれども何をやっても三浦先生がこの世にもういらっしゃらないのだと知らされた衝撃が消えることはなくて、明日会社に行くのをやめようかと一瞬考えた。
仕事を終え、訃報を聞いてから4時間ぐらい経ったあたりで、自分がもっとお金を落としていれば、先生に美味しいものを食べて気持ちよく寝てもらってと、健康的な生活を送ってもらえたのではないかと自分を責める気持ちが湧いてきた。
もちろん自分が高校生のときには既にベルセルクは大ヒット漫画だったし、その時点で三浦先生のポケットにはベルセルクマネーがドカドカ入っていたのだろうから、ファン一人がたくさんのお金をつぎこまなかったからこんなことになったというのは馬鹿げた考えだというのは分かる。
だがそんな考えが浮かんでくるぐらい、自分にとって三浦先生の訃報がショックだったのだろう。
結局当日はショックを受け止めきれず、友人に話を聞いてもらった。
自分にとってベルセルクがすごく大事な作品だったこと、もう二度と続きが出ないなんて信じられないこと、自分を責める気持ちになってしまったこと。拙い言葉での話だったのに、友人は最後まで黙って聴いてくれた。
それで大ベルセルク展が9月に開催されるから絶対に行こうと思っていることを伝えると、友人は穏やかにこう言った。
「そうだね。でもたぶん売り上げは関係者のところに行くと思うから、ご家族とか近しかった人に届くと思うよ」
この一言が、沈んだ心を救ってくれた。
一般的に言って、亡くなった方が気がかりなのはなんといっても残された家族のことだろう。自分の金が三浦先生のご家族のところに行ってその生活に役立つというのなら、天国におられる先生が安心してお休みになられることに繋がるはずだ。
ショックで放心状態になっていたが、友人のおかげで「大ベルセルク展で金を落とす」という目標ができた。
今年9月に大ベルセルク展が無事開催されたら、ガッツのマウスパッドと複製原画と烙印のピアスを買おうと思う。そのためにいらないものをメルカリで売って、給料から天引きする形でささやかながら貯金もすることにした。三浦先生がお亡くなりになられたショックは消えたわけではないが、今から少し楽しみだ。
このコロナ禍の中でオリンピック開催を止めようとせずに参加を望む選手を批判するのが、増田も含めたネット社会の一部のムラの中で流行っているけど、リベラル的にそれらの言説は全体主義には当てはまらないの?
今まで競技に人生をかけてきて、これからの人生のオリンピックによって左右されるかもしれない選手たちを、”社会のため”という言葉の棍棒で袋叩きにして、世の中に対して非協力的な"悪"だと烙印を押すのは全体主義と何が違うの?
オリンピック選手批判がもしも正しい言説だというなら「少子化のせいで国が傾くので、女性の社会進出を妨げて家に閉じ込め、昔のように産めや増やせやしてもらおう。それに反するヤツは非国民だ!」って暴論だって通ることになってしまわない?
コロナのように今すぐ直接的に人が死ぬわけではなくても、少子化によって国力が弱まれば十分な医療が受けられずに死ぬ人は出るだろうし、日本という枠組みが滅びることにより様々な形で未来の日本人がその身の安全を脅かされる可能性もある。そういう意味ではコロナ対策への協力も少子化対策への協力も同じでしょ?
普段から個人の人権なんて知るか! ってスタンスの人はともかく、リベラル面しておきながらオリンピック選手批判している人達はどうやって自分の思想に折り合いをつけているのか非常に気になる。
いや、まあ俺もオリンピックの開催には反対だよ。
このご時世にオリンピックとかアホの極みだと思うさ。
ただ、それに人生がかかっている人達が開催を望むことが悪いことだとは思わないんだよ。
開催を望む意見には反対だけど、開催賛成派そのものを悪だというつもりはない。中止を望む世論が強まろうと彼らにはそれに抵抗する権利があると思っている。
その権利さえ否定して、「社会のことを考えている自分たちの意見に従わない者は悪人だ!」なんて言ってしまうのは、悪しき全体主義と同じだと思うから。
のことを真面目に考えたほうがいいと思うんだよね。
無理やり強硬開催してウィルスカクテルして各国選手や記者が国に持ち帰れば、東京オリンピック株ができるかもしれんし。
そもそも今の状況で開催側が言ってる勇気も希望もオリンピックで貰えるとはおもえねーよ。不安と疑惑があるだけ。
日本はIOCと対等に協議するテーブルに座って、これから先こういう世界規模の災害が起きたとき開催国とIOCはどのように折り合いをつけて、できるだけ両者損せず中止もしくは延期にする方法を模索、取り決めした方が国際社会のためにも五輪の未来のためにもなると思う。
この状態で開催国の感染?知らんがなとかいう団体、もう誘致したい国なくなるでしょ。
日本が強硬開催して蔓延したら、ひょっとしたら次の冬季開催の中国がそういう立ち回りをして、世界からの心象を変えるかもしれないね。
そうすれば日本は前回の戦争だけでなくもう一つ『短絡的思考で常識的判断ができず突き進むアホ国家』の烙印を押されるわけだわ。
とにかく、今やって三年後国家がどのように言われるかのことを考えて動いてほしい。
あと、このへんコロナは虚言・ただの風邪系の人がどういうことを言ってるのか興味があるんだけど、あの人たちそもそも五輪キライみたいであまり触れてないことのほうが多いんだよな…。
氏は、管理職でもないのに勝手に他人へ日常業務という名の課題を出して、勝手に他人のことを試験する。
被試験者である下級職は、自分が試験に供されていると気づかない。
よりにもよって成績は振るわず、氏は被試験者を不合格とした。被試験者は落第の烙印を押されたことにすら気づかない。
氏はその「勝手な試験の不合格」を管理職へ突きつけ、被試験者の今後の処遇について進言するのである。被試験者は氏の進言にすら気づかない。
氏は地固めを怠らない。被試験者が成し得なかった日常業務を、自らが献身的にこなすのである。細かなほうれん草を添えてコミュニケーションも忘れずに。
管理職は氏を信頼するあまり、自らがつけた下級職の評価を差し替えた。氏の発言をそのまま流し込んだ。自分で見たことよりも信頼する人から聞いたことの方が、管理職にとっては優先されるらしい。
そうして人事権が発動され、下級職は飛んだ。
氏は業務の割り振りや座席配置を管理職へ吹き込み、それらは見事に採用された。
氏のフロンティアが、そこにはある。
手前まで慎重になった分、カンケイになっちゃえ!って思い切りがついて、やっちゃった後は、それまでの警戒が嘘のようにお互いがホワイトだという前提でイチャイチャしてしまう。
おそるおそるしたキスは最初の一回だけで、後はお互いのダムが決壊した。溜まってたのか、体質なのか、びしょ濡れだった。
コロナならではの醍醐味というか、何か相手との距離感が良い。ずっと状況が焦らしプレイだった。
緊急事態宣言でデートはイケナイ事の烙印を押され、自分たちで配慮したデートプランを建てて、どこかへ行くのだ。
戦争中って昔はこんな感じだったのかな~とか思った。こうやってできた関係は普段よりも強固で儚さがある気がしてる。
他にもそんな人いない?
次女が4月から小学生になる。このたび連れ合いが会社で昇格して忙しくなるらしく、次女の小学校まわりの準備をやらせてもらうことにした。
プリントに目を通し運動着やシューズを買い揃えた。小学校の事前説明会に2回とも参加したし、健康状態の調査票も母子手帳を見ながらなんとか書いた。仕事と家事の間になんとか隙間を見つけて入学式の日にもってこいというものを一通り揃えた。小学校のプリントって同じようで微妙に違うような内容が色んなとこに書いてあってわかりづらくて苦労した。
4月になって、連れ合いがプリントには書いてないサブバッグやら着替えやらを用意し始めた。なぜか小学校にやってくる新しい先生の経歴情報や子供のクラス人数、男女比、入学式の注意事項まで知っている。
配布されたプリントに載っていないそれらの情報をどこで情報を仕入れたのか尋ねると、入学前に既に全員女性の母親LINEグループが存在しており、そこで知ったという。サブバッグと着替えは長女の経験からも知っているとのこと。そりゃそうだ。
次女の小学校準備は任されたものと認識していたので、教えてくれればやったのにと抗議したところ「知らなかったのはあなたの不備」「知らなくて当然という態度で怒るのがおかしい」と反論された。
全員女性のLINEグループに飛び込む勇気はないし参加したところで場をピリつかせるだけだ。小学校の準備やお世話は連れ合いにLINEグループ情報を聞いたり経験を頼ったりするわけだが、重要な情報をすべて握られており自分は何もできない無能という烙印を押された気がしてとても落ち込んでいる。
でも連れ合いはこんな大変な仕事を一人で何も言わずにこなしてきたわけで、有能だしそりゃ昇格もするわと思った。今後も無能なりに謙虚な気持ちで教えてもらいながら小学校の準備お世話をしていきたいと思う。