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はてなキーワード: 明治時代とは

2016-12-08

歴史上の人物感情

大学史学って、

政治史社会史、民俗史などを勉強するもんだと思うんだが、

テレビなんかでは、

わりと1人の人物クローズアップした人物史・偉人伝的な番組が基本だなぁ、と。

詳しくないんだけど

日本って源平の登場以前は、

政治軍事力を持っている人が別々。

登場後は

政治軍事力を持っている人が一緒。

明治時代以降は

また別々。

昭和前半は

軍人さんが総理になった時は一緒。

昭和後半以降から今に至るまで別々。

どっちかっていうとドラマ映画になるのは、

政治軍事力を両方握ってた人がいた時代であることが多い。

あと、歴史ドラマ

過去になればなるほど、美醜で見られ、

近代になればなるほど、善悪で見られる。

個人的には、

史学は美醜や善悪を超えた所にあるような気がするんだが、

人物史や偉人伝をもとにしたドラマは、

それを乗り越えることは難しいのかもしれない。

2016-10-24

普通であることを強要するならその基準義務教育で教えろ

「~であるのが普通!そうでないやつはトンデモ!」みたいに扱う人の多い社会だけど、

じゃあその「普通」の基準義務教育で教えろよと。明治時代大卒初任給物価比較のために社会家庭科時間で教えてる暇があったら、今の大卒初任給平均とかを教えるべきだろ。義務教育で教えられてる「普通」「平均」「正常」に当たるものなんてせいぜい法律違反しないようにぐらいのものだった気がするんだが。

こっちも遅くとも中学生までに、こういうふうに「普通」でないといけませんよ、と教えられてたらもっとそれに向かって努力してたと思うんだけどなあと。

あ、平均身長かいう知っても努力のしようがない要素についてはなぜかかえって知ることができたけど。

あと、他の地域社会階層じゃ普通のことを、この学校では異質だから社会一般でも異常なんだみたいな風潮が学校にあったとしたら、それは教師積極的に違うと生徒児童に諭すよう努力するべきだと思う。その風潮や教師発言を真に受けて「普通」でない方向にわざわざ努力してしまった生徒が社会へ出てどれ位苦労するかって話か考えてくれよと。

2016-10-20

駅乃みちかを叩いてる連中は自身が撒き散らしてる萌えフォビアに気づけ

連中がやってるのは自分が気に入らない表現をただ叩いているだけでそこに正義などありはしない。なのに社会一般から見てこれは公共の場で許されない表現! などと理屈として成立しないこじつけをしながら叩くから反発が大きくなる。

ただ単にお前が気に入らない表現というだけだろ。なぜ素直にそう言えない?

もちろん理由は単純。理屈をつけないと広く支持を集められないと思い込んでるからだ。ただのこじつけにすぎないから支持など元より集められないのに近視眼的になっているからそんなことも理解できず理屈にならない理屈をこねる。

萌え絵化された駅乃みちか一般人が見てヨガり顔だと思うだろうか。ブレザーを着てるにもかかわらずおっぱいデカいと思うだろうか。スカートが透けてると思うだろうか。

答えは何とも思わない。

そう読み解く目がないし、そもそもそんな細かいところまで見ていない。

なのに一部クレーマーメトロに凸って表現を変えさせる。自分が気に入らないことを公共ふさわしくないと言い換えて。

1950年代には悪書追放運動が沸き起こり、マンガが叩かれた。

明治時代には夏目漱石が、小説が叩かれた。

ミケランジェロの『最後の審判』も死後、局部が隠された。

一部クレーマー自分理解できないもの、嫌いなもの社会のためと言いながら徹底的に攻撃する。そこにはあるのは自分嫌悪するもの社会から消し去りたいという下卑た欲望だ。

叩くことそのもの目的から「美おっぱいグランプリ」を擁護しながら駅乃みちかを叩くという無理筋なことさえしてしまう。

クレーマーは「美おっぱいグランプリ」が「女性目線」だからセーフという。おっぱいエロへの批判からセーフという。女体に関して、女が自ら主導権を握っていればセーフという。

ではなぜ主催者新聞社を集めて撮影会などしたのか。写真が表に出れば男性視線を向けられることは避けられない。女性女性のために自らのおっぱいを誇るだけであれば報道写真もいらないだろう。むしろ報道によって写真が表に出ればそういったコンテクストは失われ、おっぱいは性消費物に堕する、と思うのだがそういった批判フェミニストからなぜか聞こえてこない。むしろ駅乃みちかダメ理由として引き合いに出される始末だ。

「美おっぱいグランプリ」をエロ目線で見る男が悪いということか?

駅乃みちかエロとして扱うフェミニストと何が違う。

駅乃みちかセクハラ公共の場所にふさわしくないという。

「美おっぱいグランプリ」がニュースサイトで報じられることは男性に対するセクハラだと考えたことはないのか?

あるいは「Fカップマギーが思わずさわり 」という見出しになぜ怒らないのか。これは純然たるセクハラではないのか?

しかフェミニスト駅乃みちかを叩いて「美おっぱいグランプリ」にまつわるエトセトラは叩かない。

そこにあるのはけっきょく女性尊厳を守りたいといったことではなくただの萌えフォビアである

萌え絵からは、やはり、性的欲望の発露を感じる。

それも、現実の3次元女性への性的関心と異なる、少し歪んだ欲望

内向的で、未成熟人間の、現実逃避的な、性的欲望に思える。

http://togetter.com/li/1038572

となどと

前ツイに「カチン」とくる人はいるでしょうから以下、理由

次元水着女性グラビア欲情するのは、普通のスケべな性欲だと思うけど、

萌え絵オタク欲望に応じて、オタク理想通りに作り上げられた、非現実女性から

オタク差別ではありません。

http://togetter.com/li/1038572

差別でないといえば差別でなくなるわけではないと萌えフォビアを撒き散らしてる連中はいい加減理解すべきだろう。

2016-10-03

http://anond.hatelabo.jp/20161003203336

逆だよそれ

このくらい強制力がないと解決できないって言ってる

 

統計をちゃんとみてない人は戦後ばかり見てるけど

実際は明治時代から緩やかに少子化は始まっている

もはや現代病だ

移民を入れようが何をしようが長期目線で言えば解決しない

 

でも、どこかのタイミング倫理さえ捨てれば解決するから

別にそんな重く捉えなくて良いんじゃないの?」って言いたいんだよ

 

今は「倫理を捨てるなんてとんでもない」っていう時代なんだ

ぜんぜん切羽詰まっていない

 

だけど切羽詰まってくるとその価値観はきっと変わるはず

中国のようにね(事象は逆だけど)

2016-09-29

http://anond.hatelabo.jp/20160929210520

結局、まだ戦略とかを輸入している明治時代の段階。

と。

日本人だと選手の起用に情が入ったり、恨みを買ったり

逆に情を入れちゃだめだと思って厳しくしすぎたり

するからだめなんだと思う。

狭い世界からさ。

誰がいいと思う?

まあ五輪監督日本人で成果出してるしね。

2016-09-20

http://anond.hatelabo.jp/20160919221323

国語という科目がよくわかってない。

国語」の授業は単純に「日本語」の授業だけではないことは明らかだし、「国学」とも違う。

外国語に訳したら、なんという言葉になるのだろうか。

内田樹のいう国語力とは、ethicsなのか、japaneseなのか、rhetoricなのか。

明治時代国語という科目を作ったとき、なにを目的にどういう設計をして作ったカリキュラムなのか気になる。

推論だけど、自由七学芸のうちの修辞学、論理学文法を輸入して、まとめて1つの科目にしたんじゃないなかと思う。

修辞学のうち、弁論術が大きく省かれて、文章においての修辞だけに特化したのは、それまでの儒学教育からの流れか。

品詞分解と詩学に特化してたのは江戸時代から伝統だし。

古典小説評論と詩と、ぶっちゃけ授業の目的とする方向性はまったく別だよね?

教材として日本語文章を使うところは共通してても、別のカリキュラムだと思う。

2016-08-12

http://anond.hatelabo.jp/20160812002113

それは見ている本が悪いだけでは?

それともライティングがろくにない明治時代とかの話をしてるんだろうか

2016-08-09

NewsPicksより

(引用)

崩御、即、改元ではないとしたら、象徴天皇制であっても明治時代以来の転換となりますので、これまでのあり方が大きく変わることになります政府にも国民にもそれなりの自覚が求められますが、果たしてどこまで考察が深まるだろうか。

追記 拙著東条英機処刑の日」(文春文庫版)の宣伝と思われるのがいやだったので書きませんでしたが、皇太子時代の、15歳の誕生日戦犯処刑されたのはGHQが仕組んだ導火線でした。天皇誕生日ごとに休日となりあの戦争を思い出す仕掛けです。しか昭和天皇長寿ですっかり忘れられてしまいましたが、今上天皇陛下はひとときも忘れずアジア沖縄など戦争被災地訪問し続けたのです。

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明治以降の転換なのでこれまでのあり方と大きく変わる

という認識があまりないのかなというのを感じる

2016-07-07

[] 国鉄6200形蒸気機関車

6200形は、1897年明治30年)および1900年明治33年)に、イギリスニールソンネルソン)社

(Neilson & Co., Hyde Park Locomotive Works) で製造され、官設鉄道が輸入したテンダー式蒸気機関車である

他社製の同形機をあわせて1909年明治42年)までに135両が輸入された、明治時代後期を代表する旅客列車用テンダー機関車

一つである。他社製造機も含め、原設計を行なった会社の名を取って「ネルソン」と愛称された。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%846200%E5%BD%A2%E8%92%B8%E6%B0%97%E6%A9%9F%E9%96%A2%E8%BB%8A

銀行はなぜ合併しなければならなかったのか

江戸時代日本は米・金・銀という三種類の通貨システムを平行して扱っていた。徳川幕府諸侯領(明治時代以降藩と呼ばれるようになるやつ)が入り乱れた連合国家であった。諸侯領間における政治経済システムの違いは大きかった(要するに戦国の遺風を引きずった藩とそうでない藩があった)。上記のような事情があった結果金融業の発達は著しく、幕末には多くの諸侯がこうした金融業者の支配下に置かれるありさまだった。

明治政府戊辰戦争後、

などといった問題対処するために、新貨条例および国立銀行条例が制定した。これらの制度

というなにがなんだか分からない制度になっていた。しかしこれは当時の国際情勢を考えると仕方がない話で

といった状態で、日本近代金融システムを構築するにあたって模範とすべき制度はまだなかった。結果アメリカを真似して兌換券の分権的発行を主軸とする制度が作られた。このため各地に割拠していた金融資本国立銀行への転換が進んでいった。

しか殖産興業の進展、西南戦争による莫大な戦費などといった問題対処するために、不換紙幣の発行を国立銀行に認めるに至った。

結果インフレなど金融システムの混乱が見られたため、ここにアメリカ型分権型金融システムには限界があることが明らかになり、日銀法と旧銀行法が導入されイギリス式中央銀行制度が導入されることになった。これが 1882 年。

このような経緯があったため、金融資本の再編といった事態にまでは話が進まず、そのまま第一次世界大戦関東大震災突入する。戦争景気による企業の無理な業容拡大と戦後景気後退震災によって銀行には不良債権が蓄積された。

上記のように各地に雑多に存在する金融資本江戸時代のそれを引きずっていたため近代銀行としては規模が小さく、これによって金融不安が高まり昭和金融恐慌に至った。これが 1927 年(1929 年や 1930 年ではない)。

その状態さらに 1929 年 1024 日はやってきた。 1930 年にはその影響が日本にも及ぶに至った。

かかる状況の中で昭和二年旧銀行法改正により 1927 年から中小銀行の整理が進められていたが、 1936 年馬場鍈一大蔵大臣により「一県一行主義」が掲げられた。馬場大蔵大臣としては失格者で財界との対立の結果大蔵大臣から放逐され憤死することになるのだが、翌 1937 年に日中戦争が開戦、日米開戦もほぼ既定路線となるなかで一県一行主義継続され日米開戦のころには中小銀行の整理は完了した。

こうした集権的かつ計画的経済運営にあたったのはいわゆる革新官僚たちで、その親玉吉田茂だった。彼らは社会主義的な経済思想国家主義的な政治思想を併せ持っており、戦中戦後日本の内政を主導した。

全然関係ない話だが、社会主義国家主義反自由主義という思想セットは革新官僚リーダーの一人である岸信介の孫の安倍晋三にも受け継がれていることはよく指摘される。

戦後岸が政界進出したこともあり、結果として一県一行主義体制および統制的な銀行体制はほぼそのまま戦後に引き継がれることになった。もちろん建前上は一県一行主義廃止され、戦後資金流通の円滑化のために戦後地銀いくら設立されたが大勢に大きな影響をあたえることはなかったのだった。

このような情勢のなかで、戦後日本金融当局==大蔵省銀行に対して

  • とにかく安定して資金供給を行うこと
  • 間違っても競争などしないこと

を求めて各種の行政指導や各種許認可を縦横にもちいて銀行群をコントロールした。これをいつしか護送船団方式と呼ぶようになっていた。

これは実際うまくいっていた。バブル崩壊までは。バブル崩壊の余波は大きく、護送船団方式では銀行を守り切れないことは明らかになっていた。 1995 年には木津信用組合兵庫銀行倒産するに至った。

また長らくの護送船団によって日本金融システム陳腐化は著しく国際社会において東京金融都市としてまったく影響力が無い点も問題とされた。

これらの問題対処するためとして金融ビッグバンと称し護送船団は解体されてしまった。銀行はここに自由サービス投資を行えるようになった。

ところで足元の経済情勢を見るに 1993 年から 1996 年にかけて経済成長率は 2-3% を維持しており、ここに橋本総理大臣バブル崩壊による不景気は終了したという判断をするに至った。また 1995 年には武村正義大蔵大臣により「財政危機宣言」が出されており財政再建を開始すべきという機運が高まっていた。

そこで橋本内閣は 1997 年、消費税増税などを含んだ超緊縮予算を成立させる。これが大失敗であった。緊縮財政により景気は悪化金融システム不安は再発し北海道拓殖銀行山一證券破綻、翌 98 年には橋本内閣総辞職現在まで続く長い長い不景気が始まった。

しかしここに至って護送船団方式の再開は難しく、銀行はノーガードで野に放り出されてしまった。かかる状況のなかでは銀行経営効率を上昇させるような積極投資は難しいことは明らかで、銀行合併による規模の拡大によって身を守るという手段をとらざるを得なかった。

結果生まれたのが三大メガバンクである。このような事情によって、消極的理由で成立した合併であるから当事者たちは乗り気であるはずもなく、旧来の自己立場防衛のために果てしない内紛が始まることは、それはもう仕方のないことだったと言えるのではないか

そのような事情の中で銀行システムの開発にあたる SIer技術者は内紛の道具の一つとなり疲弊を重ねている。

僕が言いたいことは何か。誰か頭が悪い人が一人いたからこのような状況になっているという訳ではないということ。むしろ一人ひとりができることを着実にやった結果がこうなのだということ。つまり、逆に言えばこの状況を解決する手段など無いということ。みずほ現場で苦しむエンジニアにできることは、逃げることだけだということだ。

2016-06-17

http://anond.hatelabo.jp/20160617172442

明治時代小説家斎藤 緑雨が、

鳥の血に悲しめど、 魚の血に悲しまず、声あるものは幸いなり

と言っています

魚は鳴かないので羊とは扱いが異なるのかもしれません。

2016-05-27

地方だと今もそのままだ

http://anond.hatelabo.jp/20160525224521

地方明治時代からそんなに女の扱いが変わってないのだな。

関東だけだぞ、女にまともな就職口が有り、外に遊びに行く権利が有り、結婚強要されないなんぞ。

2016-05-25

[] 三百代言

意味

詭弁を弄すること。また、その人。また、弁護士をののしっていう語。

明治時代の初期に、資格のない代言人弁護士)をののしった語からいう。

▽「三百」は銭三百文の意で、わずかな金額価値の低いことを表す。「代言」は代言人弁護士旧称

  

用例

日本労働者は三百代言にも劣った陰険な心を持っとるのか。(木下尚江・火の柱)

  

出典:新明解四字熟語辞典

http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/idiom/%E4%B8%89%E7%99%BE%E4%BB%A3%E8%A8%80/m0u/

2016-05-09

なぜ貨幣価値は次第に下がっていくのか

学校インフレとかデフレとか習う。ちょっとそれと同じように考えていいのかわからないので教えてほしい。

明治時代から「円」って使用されているけど、段々貨幣価値が下がっていっているよね。

昔は1円って大金だった(明治時代のある時期で、今の2万円とか3万円したという)けど、今は1円はまさに1円の価値だ。ほとんど何も買えない。

ほかにも昭和時代から自動販売機ジュースコーヒーの値段が上昇し続けている。銭湯の値段もそうだしカレーライス一杯の値段もそう。

なんでも値段が上昇し続けている。これは貨幣価値が下がっているってことでいいよね?

金本位制から管理通貨制度シフトし、さらヴァーチャル貨幣が用いられていく中で貨幣価値相対的に下がっていくって話はわかるんだが、そういう大きなシステムの変動がない時代もじわりじわりと貨幣価値が下がって(モノの値段があがって)いっていないか? 

私は今年で30歳になるけど、私の子供のころから比べてもモノの値段はあがっている。デフレだとかなんだとか騒いでいた時代をまたいだにも拘わらずだ。

アメリカなどの諸外国もこの傾向があると思う。なぜこうなるんだろう? また弊害はないのだろうか? などと思う。

2016-05-03

「新しい憲法を制定する推進大会」の記事を読んだ。

https://www.buzzfeed.com/satoruishido/kaiken-genjitsu

壇上のいちばん右に「日本の歴史文化伝統香り高い憲法をつくろう」と書かれていることで、もうお里が知れているようなものだ。彼らが言う「日本の伝統」とは、たかだか100年ちょっと前の明治時代を指しているにすぎない。

実際、渡部昇一は「基本は明治憲法かえること」と言って、その意図を隠していない。しかしそんな短期間(それも欧米列強に追いつこうと蒼白になっていた一時代)を取り戻そうなんて、イヤなこったというしかない。

彼らにとって明治時代が「日本」であって欲しい理由は、それがオッサンたちが大いばりできた時代であったからであり、さらに言えばお国のために有用人材になれと励ましてくれた母親へのノスタルジーだ(偉大なるマザコン評論家江藤淳イデオロギーを信じ込んでいる人もいる)。

自民党改憲PR誌に「この70年で女性地位は向上した。でも個人の自由が強調されすぎて…」と書かれているように、改憲=オッサン権力闘争という側面は否定できないだろう。

本当に「日本の歴史文化伝統」を学んだうえで言うのであれば、周りを海に囲まれ地理的条件を踏まえ、海外からの「舶来物」を換骨奪胎して取り込む融通無碍日本を、その本来的な姿と考えるべきではないのか。

そういう節操のなさを日本本質だと考えれば、アメリカから押し付けられた憲法をいつの間にか自分の都合のいいように玉虫色解釈して使っている現状こそ、日本お家芸披露しているようなものだろう。

もしこの部分の矛盾放置するのが難しいとしても、基本コンセプトとして「明治にかえれ」は戦略的にもお粗末だ。明治とはモーレツ社員以外を排除して成立したブラック企業であり、社畜天国である。それは現代日本にも脈々と引き継がれているが、いずれ超克すべきものだ。

江戸以前に遡れば、混浴だの男色だのが謳歌されていた伝統日本にはあり、LGBTどころの騒ぎではない多様なアジア世界が展開されていた。そういう歴史文化を学んだ上で、「伝統」という言葉を使ってもらいたいものだ。

2016-05-01

http://anond.hatelabo.jp/20160501215402

まあ童貞臭い正義というか、明治時代くらい辺りは童貞であることはむしろ称賛されてたらしいしな

日本人感性はそんな大昔から大して変わってないということなのかもしれない

2016-04-16

サクラソウ生地が一面の草で草

草で腐すことを覚えたのがいつだったかは覚えてないが、それでも草を生やさずにいられなかった。

ソメイヨシノの季節が一週間経たずに終わって、まだ里桜や八重桜が残っていたけれど、なんか物足りないなぁとググること五分、サクラソウ存在を知ったのが一週間前。

震災を機に、俺のような底辺でも移り住めるほど家賃がだだ下がりしたTDLのお膝元の浦安からサクラソウの自生地がある荒川の辺りまで40km、行けるじゃん、行こうぜと脳内麻薬をドバドバ出しながら歩ききったのが二時過ぎ。待ち受けていたのは草っ原だった。


欄干から下を見下ろした時、何となく爽やかな緑色だなぁという予感はあった。荒川日本に誇るスーパー堤防は、それが守る川からして明治時代に作られた放水路という徹底管理された人工緑地だが、遠目には美しい。だが、近寄ってみれば羽虫が湧き湧きしているやはり近寄りたくない所だ。足立区付近だとブルーシートも点々と湧き湧きしていて、北区との格差を考えてしまう。

爽やかな風に運ばれる虫にいい加減に疲れていた俺は緑と青以外の色に焦がれていたわけだが、サクラソウ生地は近寄ってみてもやっぱり一面の草だった。いや、よくよく見れば雑草の影になってピンク色の可憐な花が顔をのぞかせている。これがサクラソウか。だが、如何せん草だらけだ。


見学路に面して奥ゆかしく白い看板が所々に立っていた。サクラソウ、うむ。カントウタンポポ西洋タンポポじゃないんだ。アリアスミレ、咲いてないのが残念。ノウルシ、さっきからサクラソウ邪魔しているのはこいつかー。


よくよく見れば埼玉絶滅第二種国内で準絶滅種と書いてある。サクラソウ絶滅しかけている貴重な花とのことだったが、この目を凝らせないと分からないような黄色花弁をつけたノウルシも貴重だった。さっき、疲れて自制心が落ちかけて手で退けようとしたのをすんでで止めて良かった。手が被れるところだった。

サクラソウ説明によれば、夏場は背の高いヨシがサクラソウを守るとのことだったが、つまり背の高いヨシが(光を防いで他の草の植生を妨げることで結果として)サクラソウを守るということだろう。違ってたらすまぬ。

要するに、いつもなら周りの草が生え揃う前にサクラソウ可憐な花を咲かせて、その後育成の遅いヨシが生えてきて日陰ネラーサクラソウを守る、みたいなサイクルだったのが、暖冬だった今年、サクラソウより早く雑草っぽい貴重種が花と一緒に生い茂ってしまったわけだ。絶滅危惧種という植生ピラミッド底辺さら底辺を虐げる。サクラソウ生地という、定期的に通る武蔵野線車道雰囲気をぶち壊しにしていく都会だか田舎だか分からないような微妙さの中で行われる生存競争に、俺は日本社会の行く先を思わずにいられなかった。

サクラソウが虫媒花がどうか知らんが、俺が虫だったらよっぽど目立っていたタンポポに集まっていたと思う。実際綿帽子だらけだった。サクラソウを圧倒していたと思う。縁が白いシロバナタンポポにも久しぶりに出会えて、サクラソウより写真撮った。さすがタンポポ美人より万人に受ける可愛さを選択した植生界の子持ちDQNサクラソウ生地サクラソウ自治区だと思い込んで手を打たなかったら三十年後はタンポポしか生えてないんじゃないの?

こんなことなら、赤羽近くの土手に植えられた芝桜を麓からもっとちゃんと見ていたほうが良かったな。ニッコウキスゲを初めて見た時はカタログ詐欺じゃなかったんだが、つくづく難しい。

2016-04-11

JavaScript時代分類

・旧石器~飛鳥時代

 「とほほ」などを見てscriptタグjsを直書きしている。ライブラリは使えない。全体の10%ぐらい。

 ( ´∀`) < ボタンクリックしたらテキストの色が変わるようにしたwww。

奈良時代室町時代

 ライブラリを使ってやりたいことがやれれば満足。プログラムはよくわからない。全体の50%ぐらい。

 (,,゚Д゚) < jQueryが使えればそれでよくね?

>> プラグラマとデザイナの壁 <<

江戸時代明治時代

 はやりのツールを使うことに優越感を感じている。プログラムをどう書くかにまで頭がまわらない。全体の30%ぐらい

 ( ・∀・)< React + Redux + react-router …

大正昭和

 プログラミングのものが好き。実務には興味がない(できない)。全体の9%ぐらい。

 < `∀´> < async…いいよね…

平成

 仕様を決めている。ブラウザ実装している。頭おかしい。残りの1%

 (*゚ー゚) < 1010101011101101001110010101

 

2016-03-29

どうして北海道を開発しないのか

北海道新幹線のおかげで「函館から札幌まで3時間かかる」などといったことが話題だが、

そんなだだっ広い北海道をどうして開発しないのだろうかと疑問に思う。

いや、明治時代には積極的開拓していったわけで、

しろ「なぜ開発しなくなったのか」ということが問題だろう。

北海道九州四国を合わせたよりもさらに広い。

本格的に開発されれば、独自経済圏確立できるほどのポテンシャルがあるはずだ。

そうなれば首都圏から距離なども問題にならない。

寒さが問題なのか? 土地に原因があるのか? それとも別の理由

2016-03-09

http://anond.hatelabo.jp/20160309233422

民衆が無学で何も生み出さなかった時代

馬鹿民衆馬鹿なりに単純な芝居や読物を作り出した江戸時代

海外作品パクるだけで偉そうにできた明治時代を経て、

現代になってようやく高度な創作ができるようになったと言うのに。

2016-03-06

JKだが奇声あげて規制すんのいい加減にやめろ

JK1ですが愚痴っていいですか?

いやあ本当愚痴ですよ。

まずな、俺は処女だけどさ、

高校生セックスしたら「おめでとう」ではなく「何だこのクソビッチ」とか「高校生の癖にふしだらだ」とか言うの止めていただけませんか。

こんな世の中で「若者さんよバンバン子供作ってね!(後は勝手しろ)」とかよく言えるな。

まずはそこからだ。10代の出産に対しての風当たりが強すぎる。

最悪相手捕まるとかどういうこと。

あと児童ポルノ規制やめろ。高校生でも自分意思グラビア出たりとかしたいよ。俺がそう。

https://www.npa.go.jp/safetylife/syonen/no_cp/

>児童性的虐待等を受けている姿の記録そのもの

>児童は、性的虐待性的犯罪被害を受けただけでなく、その姿が記録され、形として残されてしまます

これは虐待からさ、サツより児相仕事じゃないのか?

>将来に渡って児童を苦しめる

>一旦流出すると、インターネットを通じて世界中に広がり、完全に消し去ることは困難となり、児童に消えることのない苦しみを与えます

成人女性AV女優とかでもこういう事例あるのに、児童を異常に特別扱いおかしい。

>児童を性の対象とする風潮を助長する

>児童を性欲の対象としてとらえる風潮が助長され、児童一般を他の様々な犯罪に巻き込む危険性を高めます

>児童ポルノは、幼児から中・高校生等の青少年まで幅広い年代被害者となっていますが、特に、抵抗するすべを持たない小学生・未就学の低年齢児童児童ポルノ、約5割が強姦強制わいせつ手段によって製造されており、絶対に許されません。

そもそも小学生はともかく未就学児童は少ないんだよ。

本当に性的虐待を受けてる子供の為になることしろもっと

性的虐待に限らず虐待するような親をただ糾弾するんじゃなくて受け皿作れって。

児童ポルノ関係ないが刑法175条とかいい加減撤廃しないの?って思う。

刑法自体明治時代に作られた物だし、再検討しないのか。

2016-03-05

関東地方

明治時代まで関東といえば蛮族が住む非文明の後進地域だった。先進地帯たる西日本から蔑視されていた。

しか東京の発展で立場が逆転した。今や関東在住はステータスである関東といえば無条件に都会として扱われる。

しか北関東は実は今も田舎だ。東北地方と同レベル九州四国あたりには普通に負けている。熊本とか鹿児島とか松山とかド田舎だと思ってたけど北関東よりずっと栄えています

2016-02-10

http://anond.hatelabo.jp/20160208234330

その取り壊した歴史遺産ですらせいぜい江戸時代だったり明治時代だったりというのが悲しいな。

やっぱり京都ナンバーワン。

2016-01-26

名付けのリテラシー

名付けについて、もう何度目かっていう議論が巻き起こっている。

昔は通名でも諱でも、ある程度ルールがあった。

いわゆる諱だったら大抵二文字で、家ごとに通字がある。源氏のある種の家系松浦党は諱一文字で特例だ。通字は一種類のこともあれば、たまに二種類のこともある。三条家とかは二種類通字がある。諱が二文字になる以前の古代の話は省略するぞ。すまんな佐伯今毛人。

通名もある程度ルールが決まっている。江戸時代百官名東百官など。東百官って実はルールの逸脱なんだけど、それがルール化してしまっている。

要するに昔は名前の付き方にかなり厳格なルールがあったということ。

江戸時代農民はどうやって名前を付けていたんだろう。

言い方は悪いが、キラキラネームを付ける人は教養がない人が多い(書いてて思うが、こんなこと増田じゃねーと書けないな)。

江戸時代農民はまぁ教養はそんなにないだろう。キラキラネーム付けちゃうことはなかったのだろうか。

個人的には農民であってもある程度名前ルールがあったように思う。すなわちキラキラネームは付かない。なぜか。

彼らはほとんど名前について考える知識も素養も機会もなかったから、そこらにある名前をあまり考えずに適宜つけていたか教養のあるお坊さんなんかに頼んだのではなかろうか。

これならば著しいルールからの逸脱は起こらないだろう。

明治時代になっても、何らかのルールはあったはずだ。次第に通名と諱の区別が無くなる。私の曽祖父祖父明治期茂三郎と名乗っており子孫も茂三郎じいさんと呼んでいたようだが、天保期の文書には茂三郎直俊とある明治時代に諱を使用しなくなった世代なのだろう。あるいはこの世代の中には諱の方を名乗りに採用した人もあるだろう。とにかく、何となくルールは存続する。「~子」という、伝統的に見えてその歴史結構浅い女子への名付けも、元は公家社会女子名にルーツがある。要するにルールがある。

さていよいよ戦後だ。戦後民主化。これが実はキラキラネームの直接的な引き金になっている。またその基礎部分には西洋文化の流入がある。この流入は明治維新前後から連続しているが、本格的に高度経済成長を迎えるところに画期があるように思う。服装和服が消えるころ。このころに、名付けというか、名付け方への変化が起こる。

要するに民主化なのだ。個人個人が投票権を持つようになったのと同様に、個人個人が考えて名前を付けるようになったのだ。だからキラキラネームが続出する。とくにルール意識されていた世代が亡くなったのち。江戸時代農民と今のキラキラネームを付ける層(雑駁な分類だとはわかっているがあえてこうするぞ)。両者の違いは何か? それは「自分で考え行動する度合い」だ。選挙が本当にわかやすい。江戸時代人間為政者を決めることはできないし決める必要もない。個人に人権が与えられ個人の権利がなんと国の根本法典にまで認められた現代では、個々人が自由に選択し思考することを全く妨げない。ここに両者の違いがある。知識のない人が自由に考えた結果どうなるか? 光宙が生まれるのだ。

これは必ずしも悪いものではない。知識や故実に詳しい人、少しでも馴染んでいる人はキラキラネームに顔をしかめることもあるだろう。しかルールなき名付けこそが民主化成熟とも言いうるのだ。だがここに民主化問題点も浮き彫りになる。教養がなくてもやっていけるのだ。教養批判なんてそこらへんで見かける。確かに教養ってのは鼻につく存在で、自分がそれを知らないとバカにされたような気になって教養批判に走りがちだ。しかし、なんと、これが現代では許される。何故か。自由憲法保障されているから。江戸時代じゃ無理。武家社会でやってけない。今なら別に教養無くてもいい。あってもいいけど。ということで名づけのルール消失現代社会を占う一つの要素だ。私としてはこういう自分で考えなければならない時代からこそ個人で努力し、考える力をこそもっとも重視して培わなければと思う。

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