はてなキーワード: 必然性とは
今回も雑感。
というより、ここではもう各マンガのエピソード感想は語らないと思う。
いわゆる白ハゲとかのキャラに喋らせているだけの漫画を見たとき、ちょっとモヤる時がある。漫画という表現媒体に対する考え方に、書き手と私との間で隔たりがあるからだと思う。白ハゲにおける漫画という要素は「書き手の主張をとっつきやすくさせるためのもの」なのだろう。子供の飲み薬に味がついているようなもの。“書”かれたものが目的で、“描”かれたものはあくまで手段に過ぎない。だからセンセーショナルではあっても、エンターテイメントである必要はない。まあ、書き手側の意図が違うのだから、私が娯楽の観点から是非を語っても仕方はないのだけれども。
でもエンターテイメント目的で描かれた場合は創意工夫が欲しい時もある。例えば今連載しているのだと、となジャンで読める『文句の付けようがないラブコメ』のコミカライズとかは、もう少し何とかならないのかと思ってしまう。正直、漫画としては面白くない。白ハゲ漫画よりマシってだけで、原作に絵がついているだけの状態に近い。キャラが会話しているだけの、要は安楽椅子状態。それ以外だと、なろう系のコミカライズもピンキリ感が凄まじい。
その媒体で何ができるか、どうすれば魅力を引き出せるかって観点はマンガに限らず重要だと思う。例えばアニメだってそう。『氷菓』とかは大事件の起きないミステリーものだけど、アニメにする際は絵的な面でハッタリをきかせて、ヒロインを筆頭にキャラを濃く描写することで視聴者をひきつけた。チャラついてしまったという側面はあるけれども、原作のイメージにもっと寄せたとして、それがアニメとしては面白いかというのは疑問。(評価がイマイチな実写のやつだって、演出面でかなり工夫してたりする。けれども叔父の過去を推理するだけっていうプロットを実写映画化されてもなあ)
健康を損ねさせてまでヒールを強要する必然性がない、って話だな
・「表現の自由」には「どこで表現するか」という選択も含まれます。つまりゾーニングは規制
・特定カルチャーだけを「ゾーニング」しなければならない必然性がない。君らのお気持ちだけじゃあねぇ。
・ゾーニングした表現は新規顧客の獲得を妨げられ、明確な不利益が出るということもお忘れなく
・取り下げるまで殴った奴の言うことじゃねーわ
・それらの人のためになる、というエビデンスは?根拠がねーんだよ徹頭徹尾。
・それらの人の人権だけがオタクの人権に優越するべきという根拠は?根拠法は?
・それあらゆる表現に言ってくれる?「誰もが見たがる表現」なんかないからさ。オタクカルチャーにだけ言うのって君のお気持ちじゃん。
他なんかあったっけ?
大体のところ、
・主張してる「害」のエビデンスは?
・それ君の主観だよね?
どれかが当てはまる
数年ぶりに恋に落ちたのでどうしようもない気持ちを吐き出させてほしい。落ちて思ったけど恋はヤバい。
相手とはまだ2回しか会ってなくて、そのうちの1回は人が大勢いたのでちゃんと喋ったのはほぼ1回。でもすでにめちゃくちゃ好きでヤバい。
ちゃんと喋った1回のときにLINEを交換して、それからたまに連絡をとり合ってたら好きになってしまった。もともと、その人のSNSとかウェブに載せてた文章が好きで仲良くなったから当然っちゃ当然なんだけど、文字のやりとりだけでこんなに早く恋だって思うなんて自分でびっくりした。
恋って自覚するまでに何度か「好き~!」「嬉しい~!」みたいな回があった。相手はそういうこと恋愛対象じゃなくても言える人だって知ってたから、好きって言われたときは単にちょっと嬉しくなって画面のスクショを撮ったりしただけ。でもいま考えると、「好き」のスクショ撮ってる時点で大好きだったんだと思う。
2週間くらい前、共通の知人から飲み会で「──(相手)いま恋したがってるらしいよ」って聞いたとき、正直言って最初に自分のことが浮かんだ。
でも、じゃあ私とのやりとりは恋のそれじゃなかったってことだよなやっぱりって気持ちが先に来てしまって、「えーじゃあ〇〇さんとかどうかな」と思ってもないことを口走った。知人が「あータイプだと思う」って言ったとき、ものすごく心臓の鼓動が速くなったのがわかった。
ちょっとトイレ行ってきますね~、って入ったトイレで用を足し終わって正面の鏡を見たらなんかめちゃめちゃ泣いてて、うわーすごい好きじゃんって思っちゃってそこからはもう駄目。
相手に「恋したいの?」ってLINEしたら「今はそうでもないかな」って返ってきて、咄嗟に頭の中でいい友人ルートと万一の恋人ルートを天秤にかけた。
絶対に友達のままのほうが得策なのがわかっていた、けど、LINEに表示される名前を見るだけで胸が苦しくなるくらい好きだってことを、どうしても相手に伝えたいと思ってしまった。相手が嬉しいときは真っ先に教えてほしいし、相手がしんどいときは一番近くにいてできたら抱きしめたいと思った。だからもう、「好きな人できたらぜったい応援するけどごめんちょっと嫉妬する!」って酔った勢いで送った。送った瞬間、ていうか送る5秒くらい前から後悔してた。
返信がくるまでの2時間、最寄り駅のひとつ前で降りてコンビニで酒を買って歩いた。Spotifyで聴いてたアルバムがなんだったのか覚えてないけど、どの曲がきても頭がぐちゃぐちゃになってしまうのでシャッフルのボタンを押しまくっていた。
「嫉妬してくれるのなんか嬉しいよ」って返事がきて、そのまま雑談が続いたとき、失恋したなこれはと直感的に思った。そこからいままでのLINEを見返しはじめて、この会話最高に楽しかったなとかクソーこの写真可愛いなとか思ってたら、LINEの下のほうに新しいメッセージが届いた。「一番好き」って見えた気がしたけど、酔ってるから幻覚かと思ってそのまましばらく硬直していた。
息を吸ってずっとスクロールしたら「──ちゃんに恋してるからもう今は恋したいとか思ってないよ」って文字が見えて、それが自分の名前なのを確認して、うっ、ってなって力入れすぎて飲んでた缶がちょっと潰れた。
デートの約束をした。相手はずっと遠くに住んでるので、来月のデートの約束だけど死ぬほど嬉しかった。
恋、本当にヤバい。起きた瞬間から寝る瞬間まで常に頭のどこかに相手がいる日が何日も続いてて、毎日混乱している。
「好きだよ」って送ると「好きだよ」って返信がくる。夢? って思う。
でも私はもう20代後半で、今日みたいに眠らないで「好き!」「もっと好き!」「私のほうが絶対に好き!」なんて言い合うテンション、人と付き合う中でほんの2週間くらいしか続かないってわかっている。もう少し付き合い続けたら、絶対にどこかで相手のことをちょっと嫌いになったり飽きたり飽きられたりする日がくる。だから今日は、仮に一生のうちに7人と付き合うとして、全部合わせても100日ないくらいのヤバい日だ。二度と戻らない日、って思うともう、何見ても泣きそうになってしまう。
本当は自分に特別なところなんてなくて、相手にとって恋をする相手が私じゃなきゃいけなかった必然性なんてないっていうのもわかってる。ちょっとでもタイミングがずれてたら、相手は私じゃなくて別の人と恋に落ちてたかもしれない。他愛ないLINEがずっと続くような相手だったんだから、仮に私が友達のままだったら、相手に恋人や配偶者ができてもこのまま何年も仲良くできたのかもしれない。でも、それでも恋に落ちることのできるタイミングを逃さなかった私を私は褒めたい。
理由は書かないけどたぶん、結婚とかはできない。いつかできるのかなあ。してみたかったな。
これからどうなるのかを考えると苦しくなるけど、これを増田に書いた今日のことはたぶん忘れないと思う。私いま相手のこと死ぬほど好きだよ。
2019-06-03
■恋はヤバい
数年ぶりに恋に落ちたのでどうしようもない気持ちを吐き出させてほしい。落ちて思ったけど恋はヤバい。
相手とはまだ2回しか会ってなくて、そのうちの1回は人が大勢いたのでちゃんと喋ったのはほぼ1回。でもすでにめちゃくちゃ好きでヤバい。
ちゃんと喋った1回のときにLINEを交換して、それからたまに連絡をとり合ってたら好きになってしまった。もともと、その人のSNSとかウェブに載せてた文章が好きで仲良くなったから当然っちゃ当然なんだけど、文字のやりとりだけでこんなに早く恋だって思うなんて自分でびっくりした。
恋って自覚するまでに何度か「好き~!」「嬉しい~!」みたいな回があった。相手はそういうこと恋愛対象じゃなくても言える人だって知ってたから、好きって言われたときは単にちょっと嬉しくなって画面のスクショを撮ったりしただけ。でもいま考えると、「好き」のスクショ撮ってる時点で大好きだったんだと思う。
2週間くらい前、共通の知人から飲み会で「──(相手)いま恋したがってるらしいよ」って聞いたとき、正直言って最初に自分のことが浮かんだ。
でも、じゃあ私とのやりとりは恋のそれじゃなかったってことだよなやっぱりって気持ちが先に来てしまって、「えーじゃあ〇〇さんとかどうかな」と思ってもないことを口走った。知人が「あータイプだと思う」って言ったとき、ものすごく心臓の鼓動が速くなったのがわかった。
ちょっとトイレ行ってきますね~、って入ったトイレで用を足し終わって正面の鏡を見たらなんかめちゃめちゃ泣いてて、うわーすごい好きじゃんって思っちゃってそこからはもう駄目。
相手に「恋したいの?」ってLINEしたら「今はそうでもないかな」って返ってきて、咄嗟に頭の中でいい友人ルートと万一の恋人ルートを天秤にかけた。
絶対に友達のままのほうが得策なのがわかっていた、けど、LINEに表示される名前を見るだけで胸が苦しくなるくらい好きだってことを、どうしても相手に伝えたいと思ってしまった。相手が嬉しいときは真っ先に教えてほしいし、相手がしんどいときは一番近くにいてできたら抱きしめたいと思った。だからもう、「好きな人できたらぜったい応援するけどごめんちょっと嫉妬する!」って酔った勢いで送った。送った瞬間、ていうか送る5秒くらい前から後悔してた。
返信がくるまでの2時間、最寄り駅のひとつ前で降りてコンビニで酒を買って歩いた。Spotifyで聴いてたアルバムがなんだったのか覚えてないけど、どの曲がきても頭がぐちゃぐちゃになってしまうのでシャッフルのボタンを押しまくっていた。
「嫉妬してくれるのなんか嬉しいよ」って返事がきて、そのまま雑談が続いたとき、失恋したなこれはと直感的に思った。そこからいままでのLINEを見返しはじめて、この会話最高に楽しかったなとかクソーこの写真可愛いなとか思ってたら、LINEの下のほうに新しいメッセージが届いた。「一番好き」って見えた気がしたけど、酔ってるから幻覚かと思ってそのまましばらく硬直していた。
息を吸ってずっとスクロールしたら「──ちゃんに恋してるからもう今は恋したいとか思ってないよ」って文字が見えて、それが自分の名前なのを確認して、うっ、ってなって力入れすぎて飲んでた缶がちょっと潰れた。
デートの約束をした。相手はずっと遠くに住んでるので、来月のデートの約束だけど死ぬほど嬉しかった。
恋、本当にヤバい。起きた瞬間から寝る瞬間まで常に頭のどこかに相手がいる日が何日も続いてて、毎日混乱している。
「好きだよ」って送ると「好きだよ」って返信がくる。夢? って思う。
でも私はもう20代後半で、今日みたいに眠らないで「好き!」「もっと好き!」「私のほうが絶対に好き!」なんて言い合うテンション、人と付き合う中でほんの2週間くらいしか続かないってわかっている。もう少し付き合い続けたら、絶対にどこかで相手のことをちょっと嫌いになったり飽きたり飽きられたりする日がくる。だから今日は、仮に一生のうちに7人と付き合うとして、全部合わせても100日ないくらいのヤバい日だ。二度と戻らない日、って思うともう、何見ても泣きそうになってしまう。
本当は自分に特別なところなんてなくて、相手にとって恋をする相手が私じゃなきゃいけなかった必然性なんてないっていうのもわかってる。ちょっとでもタイミングがずれてたら、相手は私じゃなくて別の人と恋に落ちてたかもしれない。他愛ないLINEがずっと続くような相手だったんだから、仮に私が友達のままだったら、相手に恋人や配偶者ができてもこのまま何年も仲良くできたのかもしれない。でも、それでも恋に落ちることのできるタイミングを逃さなかった私を私は褒めたい。
理由は書かないけどたぶん、結婚とかはできない。いつかできるのかなあ。してみたかったな。
これからどうなるのかを考えると苦しくなるけど、これを増田に書いた今日のことはたぶん忘れないと思う。私いま相手のこと死ぬほど好きだよ。
2019/05/20 本日はアイドルマスター シンデレラガールズの第八回総選挙の結果発表日である。
結果発表は正午。
総選挙に参加したモバマス・デレステのユーザは皆この上ないレベルでワクワクしてたはず。
そんな朝07:51、デレぽに投稿された第八回シンデレラガール 本田未央(勿論この段階では未定)の投稿がこちら
なーんて !
デレぽとは、デレステ(リズムゲームの方)にだけ存在する、シンデレラガールズに登場するアイドルだけが投稿するゲーム内の仮想SNS(ツイッター)である。
総選挙の結果発表は、モバマス・デレステ両アプリ内で本日正午。それなのに本田にこんな投稿をさせる運営はバカだとしか思えない
完全にネタバレである。「5月を制する者は、一年を制するのだ ! 」なんて、総選挙の意味以外なにも考えられない。
1月なら年のはじめ、4月なら新生活のスタートになりやすい月だから同様の発言にも必然性がある。
ネタバレ!ネタバレ!ネタバレ!ネタバレ!ネタバレ!ネタバレ!
Spoiler alert! Spoiler alert! Spoiler alert! Spoiler alert!
何故ネタバレが嫌われるかなんて今更言うまでも無いが、新鮮な驚きが失われるからである。
アプリ内で2位の表示に進むクリック・タップを推す際の期待感・高揚感は、参加者にとっては何にも変えがたいものがある。
それをよりにもよって運営に奪われた。
つい最近、アベンジャーズ エンドゲームのネタバレを映画館で叫んだやつがボコボコにされる事件があった。
俺もあのデレぽにGOサイン出した奴をボコボコにしたい。誰かわからないから出来ないし出来たとしても実際はしないだろう
それでもボコボコにしてやる!と目を血走らせてこんな増田を書いている。
あんな投稿をさせておいて、本田未央が総選挙1位、シンデレラガールズのタイトルを獲得できなければそれはそれで酷い事件である。
なぜ運営がユーザの楽しみを奪うの?なぜこんな投稿にGOサインが出てしまうの?
こんな事言ってもなんの保証もできないが、本稿筆者は未央Pでも加蓮Pでもない。8th10位以内のアイドルには一票も入れていない。
それでも楽しみにしてたんだよ、誰がCGとるかなって。9割本田だとも思ってたよ。それでもなぜこんなメリット皆無なネタを
結果発表当日朝に入れるの?気分悪すぎる
加蓮は来年頑張ってくれ!
ボイスが確定したりあむ・こずえ・雪美・ナターリアもおめでとう!
ベビーカーと人間が座席のある中央部まで来ることは無いから、乗る前に確認と乗ったら中央の方に向かえば全然平気だよ。そもそも元増田が想定してる混雑具合なら移動しようと思えば全然行ける。
嫉妬を読みとったのは、過去の何周回分のもろもろを見てきたことと、元増田の長文の内容から。
たとえば冒頭「他人にあたりたくなると思う」。元増田は炎上を恐れるふりをしてその実、自分の意見が絶対的に正しいと考えて反対意見を「他人(元増田)へ当たり散らすもの」と設定している、一方で自分は反対派であると、まるで自分は客観的に俯瞰できていて冷静に反対しているのだとでも言いたげだ。
その、たった数行下に
また、これも炎上しそうなことではあるが、お母さんたちは日々の子育てや家事に加えて仕事に行かなければならない現状でいっぱいいっぱいなのだろうとは思う。
ただ、そのうえで更に、というのは酷なのだろうとは思うが自分の事情は他人には理解してもらうことは難しい、無理に理解させるのは悪手だとわかってほしい。
お母さんたちがいっぱいいっぱいであるように、子供をもっていないその他の人にもなんらかの事情があるということを分かって欲しいのである。
この3行に込められている意味は、自分の方が本当は大変なのだからベビーカーが遠慮するべきだ、ということだろう。なぜなら、これ全部、鏡に映したら全部元増田に帰ってくる話だからだ。昨今の少子化死すべしなご時世でいうのは気が引けるが、増田と「仕方なく通勤にベビーカーで乗り込んでくるダメな親」の必然と事情は頑張ったってイーブンでしかない。
なのにそれに気づいている様子がなく、自分は客観的に俯瞰できているし他人に理解させるのんは難しいと達観すらしている……と主張しているがすぐ下の文章ではその逆で客観性を失っているのだ。
何故か。この3行に隠れている、私の方が本当は大変だし抱えている事情も大きく子連れより優先的に扱われるべきだ、と思っているからだろう。
論理的に考えれば、満員電車に乗って周りに迷惑をかけるのが趣味でもなけりゃ、あんなでかくて当たると痛くて迷惑で中にいる子供も危ないし白眼視されるしでろくでもないものを、満員電車に好き好んで載せている人間はいないわけで、引き算による必然性の量を算出したら、多くの場合において親子の方が必然性が多いのではと思う。もちろん全てとは言わない。平日朝・下りの京葉線とかはノーマナー子連れがわんさか乗っててウンザリしたりすることがある。みなさん舞浜で下車。あとはベビーカーのせいで満員電車に乗れず親の死に目に会えなかった人などもいると思うし。
作り話なんだからいいだろ、って態度にうんざりする。作り話だからこそもっとリアリティを気にしろ。
自分でも不自然だって言ってるけど、日本ではどんなに極悪非道な犯罪でも一人の殺害では死刑にはならない。
「今回だけはなぜかそうなった」なんて言っちゃったらなんでもありになる。別になんでもありでもいいけど、そうすると同じお話のほかの部分で書かれてることもそうである必然性がなくなる。まあ要するに「下手な」作り話になる。この女を「死刑囚」にする必然性もどこにもない以上、もっと全体の構成を考えたうえで設定を作れよ、と思う。
あと、この女が取り調べから公判を通してさらに今に至っても自分の行動の目的にこのクソガキの救出があったことを否認しつづけているまたは公にしていないというのも全く意味がわからない。別に何らかの事情があって隠してるんでもいいけど、そのことをお話の中の誰も(クソガキはまあ何も考えてないのがわかるからいいとして、施設のおじさんも、マスコミも、警察も、判事も)疑問に思ってないのが本当に変。
なんか深刻な設定並べて、そこに何か大事な意味があるような雰囲気を滲ませたいのはわかるけど、起こるはずがないことが起こる世界で、登場人物が悉くしなくてもいいことをしたって「その言動の裏には何か意味があるに違いない」なんて誰も思わないんだよ。まあ何の想像力もないデキの悪い部類の中学生ぐらいならボンヤリとそんな気になるかもしれんが。
男性が女性を好きになるモチベーションは、本質的に性欲でしかない。
現実の女性の不条理な振る舞いを我慢してまで、現実の女性を好きになる必然性が無いのだ。
昔は、いい年したら結婚しないと・・・みたいな結婚圧力があったために、
無理やり結婚させられていた人も多かったように思う。
※だらだら書いたので恐ろしく長い。
※あくまで「自分の周りでの評価」の話でこれは決して一般論でない。面白さの感じ方は人それぞれということも重々承知している。ごくごく個人的な見解だと思ってもらえれば。
※推敲もせず勢いにまかせて書いたので、多少ふざけている部分もあるし、すぐ脱線するし、色々な意味で所々間違っているかもしれないし文章も順序も何もかもめちゃくちゃだけどおおよその意味は通じると思うので堪忍してほしい。
※小学生~大学生あたりまでは欠かさずジャンプを買い続けてきたオッサンなのでいわゆるWJお約束のアンケート事情等は踏まえている。
WJをずっと読み続けている友人が数人いるのだが、誰も火ノ丸相撲を読んでいない。読んでいない理由、ほぼ全員が口を揃えてこう言う。
「大相撲編からついていけなくなった」「高校相撲の時は面白くて毎週読んでいた」「ごちゃごちゃしてわかりづらくなり読むのをやめた」系統の理由。
自分は原作連載時の初期の方だけは本誌で読んでいて元々相撲好きというのもあり、珍しい題材なのに巧みに関心を引く、驚くほど絵が上手くて話も面白い漫画が始まったなという印象だった。
そしてアニメをみているうちに改めてもう一度通しで原作をちゃんと読み直したくなったクチなので、彼らの評価を確かめるべく単行本を最新刊まで読み進めた結果、なるほどそうか・・・と腑に落ちた。
火ノ丸相撲といえば・・・知名度のわりに本当に単行本が売れていない、アニメ化されても伸びない、掲載順はいつもだいたい後ろの方。(これらはしばしば公式でも自虐ネタに使われているようだ) このような状況でありながら打ち切りの危機を免れてきたのは、根強いタニマチ(後援者、ファン)の後押し、国技を題材とした作品である社会的な評価、少年誌作品とは思えない画力と構成力、質の高さ、純粋に作品としての魅力が高かったからに他ならない。
大相撲編がイマイチな理由の一つとして「異様なほどの性急さ」が挙げられる。これはWJ連載である限りある程度しかたないことかもしれんが・・・
本来であれば、
A★→B→C→D★→E→F→G★ (★は物語の進行上外せない重要な話とする)
と進むべきところが、
★以外のエピソードをすっとばして読者を置いてけぼりにしている感がすごい。 つまり、WJ特有の事情で話を早くすすめたいがために最低限描かなければ成立しない部分しか描かせてもらっていない印象をうけるのだ。この流れは非常にまずい。なぜならばかつて打ち切られた作品で幾度も幾度も目にしてきた流れだからだ。
高校相撲編ではここらへんが比較的丁寧に描かれていたので余計に異様さが際立つ。
なお、この「すっとばし」はキャラクターにも多大な悪影響を与えている。
一人目は主人公火ノ丸。高校時代までの彼はどこか浮世離れしたつかみどころのないキャラクターでまさに相撲の申し子、ある種神聖視された存在だった。ところが大相撲編では詳細は省くが色々な意味で「人間」にまで「落ちて」しまった。神の化身(横綱)になろうとする者がそこから遠ざかってどうするんだ!?と首を傾げざるを得なかった。(もちろん無垢であること=神性というのが単なる概念にすぎないのは百も承知として)
極論ではあるが、親方に薦められるままにお見合いの女性と所帯を持つ方がよほど彼らしかった気がする。それほど色恋には淡白なのが火ノ丸だと思っていた。
彼は一見他人にも自分にも関心があるように見えて実はかなり希薄に思える。かといって他者から本物の好意を向けられれば真摯に応える度量は持ち合わせている。相手によほどの理由がない限り彼は好意に応えようと努力するだろう。とかく恋愛経験値が低い者は猛烈な「押し」には弱いものだ。誰が主人公の心を射止めるかというのは少年漫画の面白さの一要素でもある。そういう意味ではあの咲や景子ですらヒロインになりうる一種のワイルドカード的な魅力が無自覚の神性を有していた頃の火ノ丸にはあったように感じる。
さらに言えば、主人公を射止めたヒロイン(レイナ)のキャラが強く立っているにも関わらず、動機付けの弱さ、たまたま近くにいた異性、半ば成り行きのような、描写不十分でさほどの必然性がないように見えたことがとても残念で引っかかるのだ。
いささか潮火ノ丸というキャラクターに幻想を抱きすぎた感はあるが、少年期の彼の印象はどうしても強いのだ。
二人目はヒロイン枠のレイナ。ライバルらしいライバルは千鶴子くらいのものだったので、これはまぁ順当ともいえるが(ちなみに自分は1話での火ノ丸との運命的な出会いからずっと彼をひたむきに愛していた千鶴子推しであった…)、あまりにも性急に距離が急接近したのにはさすがに困惑しかなかった。彼らが後々恋愛関係になることは容易に予想できたし特に異存はない。ただあのような相思相愛関係?に至るまでのプロセスがあまりにお粗末すぎるのでは?何なら高校相撲編のレイナが火ノ丸の相撲に魅せられていく名前のつけられないあの純化された感情を抱いた付かず離れずの関係性をもっと見ていたかった・・・。
三人目はチヒロ。主人公や国宝を脅かすほどの屈指の人気キャラでありながら夢を追うために渡米し実質的な退場となった時は「なんて潔いんだ!!」と感動したものだ。しかし彼は帰ってきた。それは別に良い。問題は特段なんの経緯も語られることなくいきなり彼がシングルファーザーとなっていたことだ。読者は大困惑でしかない。あきらかに悪い意味でのサプライズといえる。
実際この漫画がきっかけで相撲に興味を持った子供もいると思うが、高校相撲編はともかく自分の子が小学生以下なら大相撲編は読ませたいとは思わない。高校相撲編に関しては各種教育関連機関や業界団体等(?)からの推薦も十分受けられそうな内容だと思っていただけに遺憾だ。
安易なお色気(下ネタ)、ギャグ、過度な恋愛要素に逃げる作品は総じてレベルが低い。(余談だがお笑いに関しても同様だ)そんなものに頼らなくても十分面白いものこそ本物の面白さなのだ。
※火ノ丸相撲は今時珍しく「硬派」な漫画だと思っていたから(大相撲編での品格の落ち方、別方向への舵の切り方に)結構ショックを受けたとは友人の弁。
硬派イメージが強かったのは、高校相撲編までは極力セクシャルな描写が避けられてきたからだと思う。
第1話で満員電車で堀千鶴子が痴漢被害に遭うシーンがあるが、彼女はあまりのおぞましさに心底怯えた表情をしている。一見流してしまいそうだが賞賛すべき点がある。痴漢という最低の犯罪行為を決して性的な興奮材料にしていないことだ。他作品には被害女性の顔を紅潮させたり目を潤ませたりといった不適切な表現が見受けられるが、火ノ丸相撲はそのようなけしからん作品とは一線を画していた。
彼女は優秀な観察眼を持つ記者であることは言うまでもないが、若い男性(とりわけ少年)の裸体や尻に向ける欲望が度を超えておりセクハラまがいの行為が目につく。女性→男性であるから流されがちだが本来はあってはならないことだ。ギャグとして笑い飛ばすにはどぎつすぎるし、もはやそういう時流でもない。
これは本当に驚いた。①であのような配慮を見せた作者とこれを書いたのは同一人物なのかと目を疑ったほどだ。事のあらましは、意気消沈して部屋に引きこもる火ノ丸をレイナがドアを蹴破り強引に拉致し車でラブホテルへ連れていき、彼の合意を得ないまま性行為を迫るという驚くべきものだ(結果未遂に終わったが)。
たとえ交際していても合意を得ない場合の性交渉はレイプである。これも女性→男性だから見過ごしがちだが、この立場を火ノ丸が女性でレイナが男性だったとしたらどうだろうか・・・笑えねえよとなるはずだ。さらに悪いことに「成人が飲酒した状態で未成年に性交を強制する」構図なのだ。これはオチウこわぁいどころの騒ぎではない!マジでどうしたんだ川田先生!いよいよウェンカムイに取り憑かれたか?(??)
主人公の魅力度が落ちた作品はその人気も下降の一途をたどるのはいうまでもない。高校相撲編での火ノ丸は他を寄せ付けない魅力があった。あの輝ける国宝たちの中にあってもだ。大相撲編になってからはあきらかに精細を欠いている。主人公陣営(メインサイド)の話よりも童子切や草薙、大包平や三日月等の敵陣営の話の方に興味を引きつけられるほどに。むしろそちら側メインの話を読みたくなるというのは相当問題に思える。
火ノ丸はまごうことなき平成終盤生まれの平成の子だ。しかし彼の中に古き良き?昭和のスポ根漫画の主人公を見ていたのは自分だけではないはずだ。
不幸(両親を若くして亡くしており裕福ではない環境)、逆境(あまりにも小柄な体躯)、自己実現能力(自らを厳しく律し、徹底的に稽古で肉体を痛めつける)、黒電話、携帯を持たない、機械音痴、時代がかった物言い、兄貴肌、相撲のことしか頭にない、私生活が見えないなどいかにも昭和のヒーロー感(?)満載である。
潮火ノ丸の中に矢吹丈のような壮絶な最期を遂げる姿を夢見ていたのかもしれない・・・。モブも言っていた「鬼丸のハッピーエンドが見えない」。決してハピエンが悪いわけじゃないしそちらの方が良いに決まってる・・・が、いかにもな予定調和エンドだけは勘弁してほしい。
ハピエンではなくとも「あしたのジョー」は不朽の名作だ。主人公は最期に勝利し真っ白に燃え尽きて生死すらどうなったかわからないなんてこれ以上ハートが震えて痺れるラストがあるだろうか?ヒーローが完全に浄化され何者にも貶められない最上級の存在になった瞬間だと思う。
取組を殺し合い、命のやり取りとまで作中で表現しているならそれくらいの危うさがあってもいい。昨今の少年誌では厳しいかもしれんが。
第1部を第2部以降がクオリティで上回る作品はほぼない。あってもごくまれである。(ちなみに続編が悉く期待外れだった作品としては東〇喰〇等が挙げられる。続編の一報を聞いた時は飛び上がるほどうれしかったものだが、完成度の高い前作とどうしても比べてしまい、しだいに期待は失望へとかわっていった。)少なくとも火ノ丸相撲に限ってはそうはなるまいと思っていたのだが・・・
WJの数多くの縛りや規制、大人の事情に阻まれて駄作になるくらいならいっそしかるべき媒体(アプリ、あるいはヤンジャンなど)に移籍してのびのび描いてほしい。青年誌の方が表現の幅が広がるだろうし。もし角界の諸問題(暴力、八百長、パワハラやモラハラやセクハラ等)の闇の部分に切り込んだりする気があるのならばなおさらだ。
高校相撲編のような神々しいまでの輝きを取り戻すことはもうないのかもしれない。それでも自分は火ノ丸相撲という稀有な作品に魅せられた一読者して、最終話まで見届けたいと思う。
長々とかいてきてアレだが、要約すると
・・・だろうか。
「国際会議で世界の科学者の八割が、炭酸ガスが原因だと認めています」と言う。しかし、科学は多数決ではないのです(バカの壁)
精神医学は科学を標榜しているが、多数決で結論を出すこの学問のどこが科学なんだろう
DSM-Ⅳの作成委員長を務めたアレン・フランセス氏は自著『〈正常〉を救え』の中で、「うつの条件に科学的な必然性があるわけではない。どこに基準を設定するかの最終判断は主観的になる」と断言している。
DSM-IVには374の病名があるが、病名及びその病名の症状はアメリカ精神医学会の委員の挙手による多数決によって決められている、権威のある“曖昧なマニュアル”であるとの批判がある[15][16]。
すべての精神科医がDSMを信じ込むほど愚かではなく、2001年にロンドンで行われた精神保健専門家による国際調査で精神医学書のワースト10に入っている。英国王立医科大学のデニス・ドーマン博士は「精神医学にエセ科学的なイメージを与える本」「関係者に入るのは懐に入るのは血税」と批難している[17]。
薬物療法なしで統合失調症が治療できると主張しているローレン・モシャーは、「DSM-IVは、精神医学が概して医学によって認められるように模造して作ったものである。内部の者はそれが科学的というよりも政治的な書物であると知っています。DSM-IVはその最大の欠陥にもかかわらず権威ある書物となり、カネを生み出すベストセラーになった。」と述べている。
現在、WHO(世界保健機関)の疾病分類「ICD-10」、米国精神医学会「DSM」等では、同性愛は「異常」「倒錯」「精神疾患」とはみなさず、治療の対象から外されている。そして同性愛などの性的指向については、矯正しようとするのは間違いとの見方が主流となっている。
かつて「DSM-Ⅰ」で同性愛は「病的性欲をともなった精神病質人格」と規定されていたが、1973年12月、アメリカ精神医学会の理事会が同性愛自体は精神障害として扱わないと決議した。
Number of “ No” votes-votes to keep “homosexuality” in the DSM as a mental disorder: 3,810
Number of “Yes” votes-votes to remove “homosexuality” from the DSM as a mental disorder: 5,854