2019-06-16

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今回も雑感。

というより、ここではもう各マンガエピソード感想は語らないと思う。

漫画である必然性

いわゆる白ハゲとかのキャラに喋らせているだけの漫画を見たときちょっとモヤる時がある。漫画という表現媒体に対する考え方に、書き手と私との間で隔たりがあるからだと思う。白ハゲにおける漫画という要素は「書き手の主張をとっつきやすくさせるためのものなのだろう。子供の飲み薬に味がついているようなもの。“書”かれたもの目的で、“描”かれたものあくま手段に過ぎない。だからセンセーショナルではあっても、エンターテイメントである必要はない。まあ、書き手側の意図が違うのだから、私が娯楽の観点から是非を語っても仕方はないのだけれども。

でもエンターテイメント目的で描かれた場合は創意工夫が欲しい時もある。例えば今連載しているのだと、となジャンで読める『文句の付けようがないラブコメ』のコミカライズとかは、もう少し何とかならないのかと思ってしまう。正直、漫画としては面白くない。白ハゲ漫画よりマシってだけで、原作に絵がついているだけの状態に近い。キャラが会話しているだけの、要は安楽椅子状態。それ以外だと、なろう系のコミカライズピンキリ感が凄まじい。

その媒体で何ができるか、どうすれば魅力を引き出せるかって観点マンガに限らず重要だと思う。例えばアニメだってそう。『氷菓』とかは大事件の起きないミステリーものだけど、アニメにする際は絵的な面でハッタリをきかせて、ヒロインを筆頭にキャラを濃く描写することで視聴者をひきつけた。チャラついてしまったという側面はあるけれども、原作イメージもっと寄せたとして、それがアニメとしては面白いかというのは疑問。(評価イマイチな実写のやつだって演出面でかなり工夫してたりする。けれども叔父過去推理するだけっていうプロット実写映画化されてもなあ)

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