はてなキーワード: 宇多丸とは
「老害」だの「時代に追いついていない」だのいうコメントを返してるやつらが不憫でならない。
俺がみる限り、そこそこ歳をとってる人であの映画にポジティブな意見を言う人はほとんどおらず、いたとしてもそれは若者の目を気にしたポジショントークかもしくは馬鹿のどちらかだ。
そりゃそうだ、あの映画を誉めてしまうとろくに文化教養が無いことがばれてしまうからだ。それすら分かっていない馬鹿しか誉めないだろう。
どうして年配者があの映画を腐すかというと、あの映画はストーリーテラーとして最も重要な脚本や演出が驚くほど低レベルでめちゃくちゃでデタラメでヘタクソで、“稚拙”だからだ。
現代のストーリーテリングは当たり前だが人類史と同じくらいの長い時間をかけて、数々の天才の気の遠くなるような切磋琢磨を経て磨き上げ熟成された“技術”の上に成り立っている。
もちろん下を見ればきりがないが、商業映画においても美しい完璧なストーリーテリングの作品などざらにある。
あの映画はそこら変の技術的な巧みさが全くないし、どうにかしようとした痕跡も見当たらない。だから映画界の中で草野球の試合のように見えてしまい、ベテランほど納得のいかない未熟な作品になっているため、賢明な識者はあの映画にできる限りコメントしない。それでも売れてしまったものに手を出すと火傷するのを知っているからだ。(そういう意味ではあの宇多丸評は、その勇気もさることながら物凄い“技術”が詰まっていた。本当に頭が良い人でないとああいう批評はまずできない)
念のため言うが、“辻褄があっている”ということと、“男女の身体が入れ替わる” ということは同時に成り立つ。“男女の身体が入れ替わるわけがない”などという話ではない。“男女の身体が入れ替わる”という土台の上に可能な限り辻褄のあっているストーリーテリングを構築することは可能だ。
その部分の技術が、あの映画は圧倒的に稚拙だ。大人が恥ずかしくなるくらいに稚拙。だから多くの歴史的な作品を見た経験の多い年長者はあの映画を腐す。
技術が足りてないということは、むしろあの映画こそが歴史の潮流に乗れず時代遅れの未熟な脚本演出のカタマリになっているということであり、あの映画を腐す老人が時代に追いつけないのではなく、あの映画のあの程度の技術で喜んでいるで若者こそ、時代に追いついていないのだ。今はもう2017年だ。その時代に見合ったストーリーテリングの技術をあの映画は持ち合わせていない。言うなればhtmlだけで構築し、そこに綺麗な画像を貼っているだけのWEBサイトのようなものだ。
上手い演出というのは例えば、画面に携帯電話を出すなら、なぜ今そこで電話をかけてみないのかの説明をほんの僅かでもワンカットでも挟む。相手の携帯(この映画の場合は自分の携帯)がベットの下に転がって鳴っているのに誰も気づかなそうなワンカットとか、電話帳に無い番号の着信拒否を設定しているとか、理由はなんでもいい。それができないなら、いっそ携帯電話をは一切登場しない作品にしたっていい。「なんで今かけてみないの?」という疑問を放置したりしない。その理由がまったくアホらしくても、説明が全くないのと少しでもある事との間には雲泥の差がある。説明が全くないと制作者側がそこまで意識できていない可能性が否定できず、つまり稚拙な印象を観客に与えてしまう。そこまで気にして作るのがプロの仕事であるのは世の数々の商業作品、海外の映画などを観てもそれが制作者に共通の認識である事は明らかである。
または、数年前の彗星落下を忘れているもしくは知らないのは海外留学していたとか(それでも無茶すぎる脚本だが)、もっと被害が小さいけど大事な人が被害者になるようなものだったり、語り口などいくらでもある。
そこら変がグダグダだから、ミュージックビデオ的でイメージビデオ的だと言われる。
気の毒なのは、世の中にはもっと感動的でかつ美しいストーリーテリングに成功している作品など星の数ほどあるのに、あの映画の主な観客たちはそれを知らないことが明白であることだ。素晴らしい作品を知っていたら「は?」となって当然なのにそうなっていないのは、単に知らないからなのだろう。逆に若い人でも映画などが大好きで多く消化してる人はあの映画を見て「あ?」となっていた。当たり前だ。
いや、そんな事を求めていない、ただ映像が綺麗です薄っぺらい恋愛のようなものを観て感動したいから素晴らしい作品だと言うのならば、まあそれも良いだろうがストーリーテラーとしてレベルが低すぎる事に変わりはないし、その評価が変わることはないのだから、低評価を下している人の感性が劣っているというのは間違いだ。セカチューと同じでなんだかよくわからない状況で恋人が死んで悲しいので満足するのは勝手だが、それでも作品の評価は1ミリも上がらない。
ただ一方で、見方を変えると、あの映画に圧倒的な技術を持った脚本家が1人加わっただけで大化けする可能性があることも事実である。
例えば分かりやすいところで虚淵玄辺りとタッグを組んだら、おれもヒャッハー言う可能性は否定できない。
脚本と演出がどうにかなった時に、本当の大きな評価を手にするんだと思う。
一応、期待はしてる。 mn3
http://anond.hatelabo.jp/20161212204726
あ、童貞Bです。皆さま、コメントとブクマ頂きありがとうございます。
相変わらず「逃げ恥」自体と HiGH&LOW ハイアンドロウ のネタバレもあります。
スイマセン! 偉そうな事、言っときながら HiGH&LOW ハイアンドロウ 劇場2作品とも見れておりません。ごめんなさい。
趣旨の大枠は間違えてない筈ですが……
それと私は HiGH&LOW ハイアンドロウ のストーリーと作品自体は好きではありません。興味深いとは思いますが……
金田淳子さんと宇多丸さんの評論を聞いて慌てて視聴しました。THE MOVIEは終わっていました。別の機会に見ます。
「シーズン1,2,それぞれの最終回以外は面白い。正確には最終回まで つまらなさを感じさせない。ただ最終回の減点がそれまでの得点を吹き飛ばして真っ赤。
逆に言うと作品自体が持つ矛盾、不愉快さ、欠点を 最終回にまで丁寧に集約しているとも言え、ストーリー構成、脚本は完璧。」
「『女性無視』を徹底すれば、他の強度がここまで引き上がるのは発見であり、ある種の快感。作品作りにおける割り切った取捨選択は素晴らしい。
「不愉快と最悪が整理整頓され集約されてる点において、好ましい作品。」「無論。音楽とアクションは最高だと思う。」
です。
「逃げ恥」も HiGH&LOW も役者さんの走り=ダッシュの演技が与えてる説得力が強いのも面白いです。
ドラマ「逃げ恥」10話の津崎 平匡役 星野源さんのダッシュと
HiGH&LOW チハル役 佐藤大樹さんのダッシュは どちらもそれだけで作品性が感じられます。
▽ドラマ10話の
原作2巻相当のみくりさん のモヤモヤを圧縮し、平匡氏のポジションが最弱のタイミングで、ガッキーさんの好感度をほぼ使い切っている小賢しい台詞ですな。
このための新垣さんか……。
みくりさん。貴方。それ言い出したら、平匡氏が最初から無条件で提供してる「雇用と住居」の安定と 安心と信頼はどうなるの? おいくら?
ホント。どうするんですかね?
みくりさんの解呪が実質のフィナーレ でしょうし、あれはみくりさんの内面で起きるから良い訳で……
【返信】
nemunetaさん whkrさん
そう言う訳で……。何かゴメンナサイ……。
kasuganoさん
私は、『平匡氏にとって、みくりさんはガッキー級に可愛く見えている。』と読み取っています。
視聴者に分かりやすいから配役が新垣さんなのであって、みくりさんの容姿も同レベルなら派遣切りにあっていないかと……、
hinailさん
「平匡氏にとっては1LDK さえ過剰なはず。プロの独身を自認してるし、合理的な性格だし、普通ワンフロアでしょ。」ってのが私の要点です。
pikopikopanさん
楽しんで頂けたのなら良かったです。是非、ハイローも見て下さい。
SndOpさん
どうも、そもそも「選択肢」が存在しているという前提が凄いと思っています。先にケーキ食べて羊羹は置いとけば良いと思います。
narwhalさん
それはしらん。
giszkさん
ハイローは1話30分なんで、すぐ終わりますよ。設定だけ見ると複雑そうですがハッキリしたキャラ分けと勢いのある脚本で見易いです。
http://anond.hatelabo.jp/20161110154057
映画見て感動したはいいが、何で感動したのか自分でもよく分からないってことはよくある。
宮崎駿作品なんかクソおもしろいけど実際めちゃくちゃ難解だし。
そこで「この気持ちを共有したい!」となると、増田が挙げている例のように「なんだか良くわからないが面白いから観ろ」みたいになってしまう。
けれどもそういう輩に、映画の面白さをきちんと説明できるように知識を持てと言っても、それは無理な話。
例えば『もののけ姫』がなぜ面白いかを理屈立てて説明しようとすると、①網野義彦の中世観・中尾佐助の自然観をアニメに採り入れたことで誰も見たことが無い世界観を作り出した、②根底にある(ⅰ)拝金主義批判(ジコ坊)、(ⅱ)どんなにつらい人生でも生きなければならない(らい病の長老・アシタカ)、(ⅲ)自然と人間の対立(たたら場と神々)というメッセージの普遍性、③従来のジブリヒロインにない野生味、等々にまで話が及んでしまう。
だから上記のようなウザい映画ファンを撃退したいなら、自分の頭を良くするしかない。
映画の扱うテーマなんて限られてる。よくある名作映画ランキングの上位100本くらいを観れば、新しい映画を観ても、「ああこの話ね」というのが分かってくる。今は町山智弘さんや宇多丸さんやらが優しく解説してくれるし。
こういう物差しを持つと、映画を無遠慮に勧めてくる人が来ても、いくつか問いを発すれば「ああそういうテーマの話ね」というのが分かる。
みんな大好き宇多丸師匠の最近のおすすめ邦画を集めてみたよシネマハスラー時代のは10以内にしてます。
みんなどれだけ見てるかな~?
2010
ヒーローショー
仮面ライダーW FOREVER A to Z 運命のガイアメモリ
http://www.tbsradio.jp/utamaru/2010/12/20101218.html
2011
サウダーヂ
http://www.tbsradio.jp/utamaru/2011/12/20111217.html
2012
http://www.tbsradio.jp/utamaru/2012/12/20121215.html
2013
http://www.tbsradio.jp/utamaru/2013/12/post_884.html
2014
そこのみにて光り輝く
http://www.tbsradio.jp/utamaru/2014/12/2014_2.html
2015
きみはいい子
http://anond.hatelabo.jp/20160804171358
自称「中二病を脱した23歳増田」に乗っかる感じでシンゴジラ批判エントリーを書きたくなったおっさんです。
(あたしも10年前の20代の頃はてなのサブカルおじさんが怖かったからねw)
シン・ゴジラは「日本の実写映画」にとってエポックメイキングになりうる最高に素晴らしい作品だと思うが
この大絶賛の嵐に怖くなってきました。左側からのまっとうな批判が見られない。
まずはじめに私の感想とすると「シン・ゴジラ」は素晴らしい映画なのは確かです。
「日本の実写アクションエンタメ映画」でまともな人間ドラマを描けるでしょうか?
民族やイデオロギー宗教対立のない日本。殺人を含む強烈なDISの激突による止揚や
「個人のエゴがイノベーションを起こす」ことを良しとしないし信じない日本社会では
欧米式の人間ドラマなどは描けないのです。大抵は「もののあはれ」みたいなものに落ち着きます。
そこで庵野監督です。庵野監督は人間ドラマが描けません。人間個人に興味が無いのです。
「電子回路、ニューロンのように情報が錯綜し、通電し、組織が機能する」という
(例えばオネアミスのロケット発射の「手続き」や、エヴァ発進の「手続き」、
さまざまな人間が連携して大きなことを成し遂げる瞬間のカタルシス、岡本喜八の沖縄決戦→ネルフ壊滅なら大組織の壮大な敗北
というものに執着している感じです。そして庵野監督はその演出で他を圧倒してきたのです。
通常は連携を2、3回で終わらせるところを、
7、8、9とどんどん数を増やし、しも連携のスピードを高速化する、
それが今回は最高に上手く行ったと思います。無駄な人間ドラマを省き、人の群れを
通常それでは作劇できませんが、ゴジラという巨大な災厄を扱うことによって可能になったのですね。
とまあ、褒めるのはこんな感じで。みんな褒めてるし。在来線爆弾最高です。
ここからは批判というか危惧を書いていきます。(ネタバレ含む)
「シン・ゴジラ」はゴジラを描くとともに、明らかに3・11の震災、
そして福島第一原発(フクイチ)のメルトダウンをなぞって描かれています。
原爆の子であることことからしてそれは避けられないことでありました。
・「想定外」という言葉が何度もでてくるシンゴジラとフクイチ(フクイチ)
・そしてその放射能を測定した市民から憶測が飛び交うシンゴジラとフクイチ
・自体の収集のため米軍が介入してくるシンゴジラ、事態の収集のため米軍が介入しようとするフクイチ
・シンゴジラにホースを突っ込んで冷却材を流すため特攻する自衛隊、
「自衛隊がゴジラを冷やすために特攻して死んでしまっている」ということなんです。
これは3・11の日本政府はやらなかった。フクイチに自衛隊を特攻させれば
「自衛隊員の命」と「福島の土地の数十年の汚染」を引き換えにはできないという判断です。
そこをシンゴジラはやった。映画的には、作劇的には正しいです。
自己犠牲の魅力に惹かれるところもあるんです。
正直「自衛隊がフクイチに特攻して冷却に成功していた」ら、私も絶賛したでしょう。
その特攻を庵野監督はやった。しかも恐ろしいことにあっさりと。
(1番隊が全滅したら「日本映画のよくあるパターンのように感傷にひたる」
ことなくあっさりと2番隊がすぐさま繰り出された。
おそろしいですよ。でもこれがかっこいいんですよ。/
この冷徹な決断力、かっこよさを恐ろしいと思わないとヤヴァイんですよ。
こんなことできるのはスターリンですよ。スターリンのかっこよさに酔うんですか?)
特攻した自衛隊のように、3、11のフクイチでも自衛隊を特攻させるべきだった。」
実際の日本政府はどうでしょうか?フクイチの凍結に成功してますでしょうか?
私からすると今回のシンゴジラ、演出のエポックメイキングであるとともに、
「3・11の災厄に勝利した日本」の「仮想戦記」にみえてしまうんです。
(昔よくあった「第2次大戦で日本軍が勝つシミュレーション小説」の3・11バージョンですね。)
このシンゴジラを見て「日本はまだやれるんだ」と思った人がたくさんいたと聞きます。
いや、やれてなかったでしょ。と言いたい。3・11で負けたでしょ。無残に。情けなく。
仮想戦記で「日本はまだやれる」って酔ってたらだめでしょ。反省しないと。
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↑というような批判が欲しかったのに全く無くて困ってたので自分で書いてみた。
実際庵野監督はどうなんでしょう。「政治的意志表明」と書きましたが
は? っていうのが率直な感想。2晩寝て起きてもなんかスッキリしないわけよ。
ワケわかんねーってやつは「般若」か「KREVA」でググれカス。2秒もかかるか。
ロクな記事がない。どいつもこいつもねむてーことばっか書いてんなよ。てめーは仕事しろよAmebreakこら。blastが墓場でアクビしてんぞ。
般若がKREVAに噛みついてたのは知ってる。トラックでもライブでもフリースタイルでも、ことあるごとに。
因縁ならある。
KREVAがBBP3連覇して早々にいち抜けしてから、次の世代のバトラーとして踏ん張ってシーンを引っ張った漢と般若からすれば、BBP出場辞退した同じ年にKICKとしてメジャーシーンに躍り出たKREVAが面白くないのは仕方ない。それをもってセルアウトってこき下ろしたくなる気持ちもわかる。
バトルから遠ざかって15年越しにKREVAにケンカをふっかける相手として、般若か漢ほどふさわしい人間はいない。それは間違いない。
それも、いまだかつてないバトルブームの火付けになったフリースタイルダンジョンなんて、格好の舞台だ。番組と般若にとっては、な。
で。「おい、KREVAテメェ ブルってんじゃねーぞ! この野郎! 俺と勝負しろ!」ときたもんだ。
般若よ、その啖呵は本当に正しいのか?
誰がブルってるって? 誰が10年前にバックれただ? 少なくともKREVAが優勝したBBPでバトルできる機会はあったよな。そのバトルが実現しなかったのは誰のせいだっけ? 勝手に敗退して絶好の機会をみすみす棒に振ったのはアンタだろーが。
そもそも次の年も漢に優勝持ってかれて準優勝止まりだったよな。そんでその次の年も正面から負けたのにマル妄引き連れて散々暴れまわってBBPのバトル自体がその後縮小した原因のひとつをつくったのも般若、アンタ自身だよな。なーにが伝説だ。
売れてりゃスゴいとは思わない。逸れにKREVAだって売上は低調気味だ。ライブの集客もヤバイってことは自分で明言してる。確かに一時の輝きは失われた。だけど、メジャーの第一線で、哲学もって今も踏ん張ってる数少ないラッパーなんてKREVAとライムス以外にいるか? しかも自分でトラックつくってんだぞこの人の場合。
アンタが昭和レコードで今も可愛がってるSHINGO西成が悪評高いライブラにいた時、メジャーシーンにいち早く引っ張り出したのは誰だった?
年季も実績も器も格上のKREVAに対して、番犬ども従えてふんぞり返ってるお山の大将が、言うにこと欠いて「俺と勝負してやる、ここに来い」だと?
おい般若テメーふざけてんじゃねーぞこの野郎そうじゃねーだろ逆だろーが! お前が挑戦者としてKREVAに挑みに行けよ!
目の上のたんこぶに引導を渡したいんだか、燻ってるレジェンドに再起の手を差し伸べるストリートの流儀だかなんだか知らねーよ。
得意のカチコミしてたはずだ、俺の知ってる般若なら。かかってこいよじゃねーよ、寝言こいてんなテメーが討ち入りにいけよコラ!!
スキルが全然追いつかねーゴロツキに毛が生えたマル妄時代でもアンタはずっと相手の芯をビジョンを問うスタイルだったよな? 変わってねーと思ったよダンジョンで自ら進んで間抜けな格好してても核の部分はちっとも変わってねーと思ってたのに。
ふんぞり返っていい気になってんじゃねーよ、そんな言葉アンタのその口から聞きたくなかったよ。
外野がdisるな? はあ? そりゃ無理っすわ。なんでって? 他ならぬ般若だからだよ!! そんなこともわかんねーやつはラップの辞書でも引いて出直してこい。
芸能界? 知らねーな。プロレスだ? 演出だ? 聞いてねーよ。
裏ではとっくに出演が決まってるかも? オファーしたけど断られたから引きずりだそうとしてるのかも? かもかもウッセーよ外野の外野は黙ってろよ見えてることがすべてなんだよ視聴者様にとってはよ! 観客の野次にブチキレて暴走した般若が突っ走っただけに決まってんだよ!!
そういうとこが般若らしいって? 全然筋が通ってねーんだよこれは。ケーダブのおっさんみてーなみっともねー絡み方すんなよ。
KREVAに何のメリットがあんだよ。出るわけねーだろバカか。それでも、代々木公園で遠吠えされるのとはワケが違う。地上波でケンカふっかけられて、出なきゃ出ないで芋ひいたと思われて、あのフリースタイルができないでおなじみのメガネのパーマンと同列に語られることになるのかよ。冗談じゃねーぞどっちに転んでもババ引くだけじゃねーかクソ。フェアじゃねんだよこんなの。
こんなとこで匿名で書き散らしてる俺が一番卑怯もんなのは知ってんだよ。でもアンタ言ったよな? 筋道礼儀のないやつは、どこにいっても愛されないんだったよな? ガッカリさせないでくれよ頼むから。アンタはいままさにキッズにとってのスーパースターになりつつあるってのに。
2011年のBBPでゴタゴタあって結局引っ張り出されたKREVAが無茶ぶりされて久しぶりにフリースタイル披露してから、ちょうど5年ぶり。普通だったら「ごめん無理」。KREVAならたった一言「(テメーが)来ればいいのに」で終わりだろこんな茶番。はい解散。
なんて全部ウソです強がりですぶっちゃけ見てえよ2人のバトルKREVAと般若の対決見たくねー日本語ラップ好きなんてそれこそウソだろこんなアツいビーフ日本じゃもう起こってねーだろここんとこ見たくねーわけねーだろバーカ!!!!!!!!
あのサKREVAさアンタがスルーするとは思えないけどでも何の得にもならないBEEFどころじゃねーろくでもねー出演オファーにとりあわないだろうなって知ってるようけたくなけりゃうけなくていいだけどみんな見たいんだよ王者の貫禄休んでる場合じゃねーだろボス猿を黙らせろこっちは本気で願うよケンカちょっとしたピクニック気分でもいいからぶっ潰してくれよミニチュアモンスターどもも会場の空気もZeebraのちんけな目論見も一切合切アンタには100万なんて朝飯代いらねーもんなドブにでも捨ててやれよけどそもそも般若がなんでここまで食い下がるかなんてバレバレだろうがわかってんだろ好きの反対は無関心なんだよこんなの見え透いた熱烈なラブコールでしかないだろ今試されてんのはアンタだろ大人な対応なんて誰も望んじゃいないだからジャッジに宇多丸でも呼んでバチバチ熾烈なバトルかましてその後堅い握手かわして和解して2人で一緒にコラボ曲出してオリコン1位かっさらってくれよそうすりゃバトルだけじゃないほんとの意味で日本語ラップが息吹き返すかもしれないだろそんな夢も見さしてくれよ一瞬でいいどっかのバカが吠えてると思ってくれていいけどもっと盛り上がってほしい予定調和だっていいんだよここまできたらもう別に!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
大昔からのことだし、蛇いちご賞は2011年を持って終焉した。
批判がダメだというより、批評家が正直に批評をしてくれなくなった。
進撃の巨人が試写時点では大好評だったのを君は知っているか。関係者大絶賛!秘宝周辺大絶賛!
(というか勉強しろ。その批評で40点というのは、対して低い数字ではない。ガッチャマンは何点だと思ってる。)
相対評価で良い映画と悪い映画の区別がつきにくいような批評を、良しとする風潮のほうが悪い。
この絶対評価時代の中で相対評価を繰り返している宇多丸は、いい加減基準を明確にすべき。
批評家がすっかり役に立たなくなった。
【スクリーン雑記帖】今の日本映画にもの申す…「レベルが本当に低い!」 英映画配給会社代表が苦言(1/5ページ) - 産経ニュース
俺は普段映画を見ないのね。で、話題になった次の増田を読んだ。
挙げられている映画は10本。ブコメを見る限りでは、いいリストであるらしい。しかし、うち7本はまったく聞いたこともなかった。『野火』と『花とアリス殺人事件』はかろうじてタイトルを聞いたなあという程度。『海街 diary』はむしろ評判悪いと勘違いしていた。もちろん俺の情報感度が鈍いというのは認める。ただし、そんな俺の目にも触れる程度の大きな話題にはならなかったというのは事実だ。
一方で、こういうのはホッテントリ入りして目にするんだよな。
2015年 この映画はいったい誰が観に行くんだ!?大賞 結果発表 - 破壊屋ブログ
つまらない、またはつまらなそうな映画をいかに面白おかしく茶化すかという大喜利企画。洋邦問わずだけど、標的にされるのは邦画が多い。
あと、こういうのとかさ。
超映画批評「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN」40点(100点満点中)
超映画批評「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド」30点(100点満点中)
今はこれ。
映画ファンは、とくに邦画に関して、いかに貶すかバカにするかという点で芸を磨きすぎている感じがするんだよ。読んでみればわかるけど、上の記事はすこぶる面白いんだよな。他にも挙げれば宇多丸の罵倒芸とかさ。面白い。面白すぎるんだ。結果として、どうにも邦画の悪いイメージばかりが先行してしまっている。
一般論として、褒めたりお勧めしたりするよりも、批判したり貶したり茶化したりするほうが拡散伝播しやすいというのがあると思う。その上、映画ファンは邦画に関しては後者に力が入っているのよね。結果、邦画がつまらないという話ばかりが蔓延して、良作が話題にならず埋もれてしまっている。素晴らしい作品だよという話を、いろいろな人から様々な形で目にし耳にすれば、1度劇場に足を運んでみようかと思うだろうけど、邦画に関して言えば、つまらない下らないバカバカしいと駄作の評判ばかり聞いて、良作を知る機会が少なくなってしまっているんだよね。俺が増田の紹介する10本の殆どを聞いたことすらないというのもこれが原因だろう。『海街 diary』を評判悪いと勘違いしていたのも、有名女優(タレント)を揃えた邦画というだけで駄作なんだろうなという先入観をもち、認知を歪めたのだと思う。
じゃあ映画ファンはどうすればいいかというと、駄作の罵倒の蔓延に負けないくらい大きな声で繰り返し繰り返し、自分の好きな映画・評価できる作品を勧め褒めちぎるってことなんじゃないかな。参考になるのは『ガールズアンドパンツァー』というアニメ映画。「ガルパンはいいぞ」という言葉は目障りで気持ち悪いくらいに広がり、結果として多くの人に知られ、興行的に大成功を収めた。もちろんもともと良作なんだろうけど、それだけではこの興行収入は達成不可能だった。ファンがしつこいくらいに宣伝しまくって(自分も何度も足を運んでってのもあるようだが)、あの数字を叩きだしたわけだ。実写ファンもこういうことをやるべきなんだよ。くだらない映画を茶化すことに頭をひねるのではなくて、見るべきだと思う映画をしつこいくらいに宣伝し、褒めちぎり、身近な人を半ば無理やり連れて行き、その作品の数字を残す。映画の話題で駄作の割合を減らし良作の割合を増やすように努力をする。そうすることで、邦画を取り巻く現状は大きく変わるのではないかと思う。傑作に心打たれるよりも、駄作をバカにしている方が楽しいんだったら、そりゃ日本映画のレベルが低いのはお前らが望んだことじゃねえかとしか思わんよね。
宇多丸は若干「俺たち」のチーム感を押し付けてくるからな。ファンがいてこそのミュージシャンの性だから仕方ないのかも知れないけど、それでにわかフォロワーを生み出してる感じが複雑なんだよなあ。
ライムスター宇多丸の映画評によって映画が好きになった奴はかなり多い。かくいう自分もそう。
自分が映画好きになったのは宇多丸のおかげという自覚があるから妄信的な信者になりやすい。
指摘の通り、宇多丸はキャッチーな文句を生み出すことに長けているから、真似するだけで映画超人になれる気がする。
映画をたくさん見て、映画の話をして、どこかで宇多丸フィルターでは対処できない場面に遭遇する。
年間200本の映画を観るぼくがオススメする7つの映画と7人の映画監督 - 私を構成する映画監督 - - Hikikomotrip
信頼できる映画評を各人間を見分けるにはコツがいる。見ればわかる程度のアレもいるが。
一番わかり易い見分け方は、まずライムスター宇多丸のラジオ映画評番組(正しくは番組内の一コーナー)「ムービー・ウォッチメン」を聞くことだ。
信頼出来ないやつはそこで述べられた評言をまんまパクる。咀嚼せずにパクる。宇多丸はラッパーだけあってキャッチーでクリティカルなフレーズを次々と考案してくれるので、使い勝手が良い。
そういうのをアホは何も考えずに右から左で流すだけだから、「それってどういう意味なんですか?」と聞かれたときにうまく対応できない。
感想や評論のパクりが悪ってわけじゃない。むしろ、それが有用だと思えばどんどんパクるべきだ。
しかし、それにはあくまで自分の感性や理性というフィルターを通して自分なりに噛み砕いたうえで、自分の言葉として精製する過程が必要だ。
それがアホにはできない。
たとえば、コレ。
この人がぼくに与えてくれたのは「ヒップホップ」。彼の映画の作り方はとってもヒップホップの思想に近いと思うんですね。サンプリングやオマージュを多用するパッチワーク的方法論はまさにヒップホップそのもの。ぼくがラップが好きなのは彼の映画が好きだからなのかもしれません。
じゃあお前、ウンコとオシッコは似たようなプロセスを経て製造されるけど、オシッコほど喜んでウンコまるのみできる自信あんの???
こういうのは圧倒的リファレンスを有し、かつ日本ヒップホップ界のレジェンドである宇多丸が言うから重みがある(別にタランティーノを形容してヒップホップ的と評したのは彼が初めてではないし最後でもない)のであって、そのへんのやつが言うと「え? 具体的にどういうこと?」と疑問が湧いてしまう。タランティーノ映画観てて「あ、このBGM、『アラモ』だな」とか「あ、このシーン、『修羅雪姫』だな」とか思うか?本当にタランティーノにヒップホップ魂を感じているのか?ちなみにタランティーノ映画で流れるヒップホップってせいぜいウータン・クランくらい(っていうかRZA)だぞ。
いやいやタランティーノは我々の知らない引用ネタをさも知っているものかのように見せるのが巧くて……と言うのだったら、手法として最もヒップホップ(=引用のパッチワーク)的な『ジャッキー・ブラウン』が肌にあわないってどういうわけ?
結局、ヤクザか狂人が出てきて人が無残に殺される映画が好きなだけってなら最初からそう言えば?
そもそも宇多丸リスペクトしてんなら『ハート・ロッカー』以外の気に入った映画も劇場で複数回観ろや!
こういう何も考えずに宇多丸にフリーライドして周囲の評判を稼ごうとする人を業界では「紫の服の人」と言います。
用例:
映画会社社員A「このまえ公開された◯◯なんですけど〜ネットにひどいこと書かれてて〜見て下さいよこのブログ〜」
広告会社社員B「ん〜???ああ、このブログね。これは「紫の服の人」だから気にしなくていいよ」
というところで、本日の増田、お開きです。最後に増田がおすすめする本当にキモチいい七人の監督の七作を紹介してお別れです。
周防正行:『舞妓はレディ』と『終の信託』以外全部。入門編は「シコふんじゃった。」。シコったあとで『Shall We Dance?』を見ればこの監督独特のリズムに慣らされる。
キャスリン・ビグロー:『ハート・ブルー』と『ゼロ・ダーク・サーティ』。最初に観るなら『ハート・ブルー』。それを最後にしてもいい。
北野武:ヤクザ映画全部観た後でまだ北野武を知りたいと思う余力が残っていれば『みんな〜やってるか?』あたりも。『アウトレイジ』は単発として間口は広くても北野映画の入り口にはならないと思うので『BROTHER』あたりで覚悟をきめておこう。
タランティーノ:一通り全作観終わった最後に『デス・プルーフ』。この監督はフィルモグラフィー順に観るのが良い。よって入門編は「レザボアドッグス」
ポン・ジュノ:全部。入り口としてなら『グエムル』。度胸と覚悟と自らのゲスさに自信があるなら『殺人の追憶』から入ってもいい。
園子温:ない。七人のなかで一番優先順位が低い。強いて挙げるなら『地獄でなぜ悪い』(スラップスティック好きなら)と『冷たい熱帯魚』(とにかくエグい救いのない話が好きなら)。
クリント・イーストウッド:全部。ただ順番があって、西部劇諸作飛ばしていきなり『許されざる者』を、『許されざる者』や『ダーティ・ハリー』飛ばしていきなり『グラン・トリノ』観ても感動はしてもよく飲み込めないと思う。気軽に楽しみたいなら『インビクタス』や『ジャージー・ボーイズ』あたり。
自分は、(あんまり質が良く無い)映画をあんまり見ない映画秘宝好きとして、版型の小さい頃から読んでいて面白い事を書く人がいるなぁ…と思っていたんだけど。いつからか、あんまり面白いと思えなくなってきて、何年も前から定期購読も止めてしまった。
た。自分も年を重ねたせいで、感性が合わなくなったのかも知れないけど。
そう言えば、宇多丸氏の映画評とかも興味無くなったなぁ…昔は聴いて「面白いなぁ…」とか思ってたんだけど。政治的に正しい事にあまりに自覚的過ぎて、そこに押し込めるような評価がイヤになっちゃんたんだよなぁ…質は高いんだろうけど。続けて聴きたいとは思わなくなった。