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はてなキーワード: 孤立とは

2017-12-22

anond:20171222145954

ああ、BではなくてAだときつくいったら反発食らって、周りの人間使ってBだといってお前押さえて仲良くしてろよ。

という感じになって全部切って孤立して何とか走っている愚か者ですが?俺は。

どうでもいいことはBといって、距離を置くのが正解だったんだなと後悔してるね。

anond:20171222125910


からhttps://anond.hatelabo.jp/20171222085544

をもう一回読んでくれ。

そもそもAED設置してある場所は人が多くて、一人きりになる事はまずあり得ないような場所なので

嫌なら周りの女性に頼めばいいだけでは。

というかほっといても人集まってくるし皆見てるような場所だろ。

大体公共施設なので、そこの職員がやる事になるだろうし。

孤立無援で誰にも頼れない、俺がやらなければその女性死ぬ!」という前提は

ただの正義ヒーロー妄想しかないのでは。

たらい回し」ではないでしょ。

男性女性にやることの問題に関して元増田文句を言ってるわけだが

それなら周りの女性にたのめということが言いたいの。

勿論男しかいない場合事情違うってのはわかった上で。

その上で

anond:20171222084802

そもそもAED設置してある場所は人が多くて、一人きりになる事はまずあり得ないような場所なので

嫌なら周りの女性に頼めばいいだけでは。

というかほっといても人集まってくるし皆見てるような場所だろ。

大体公共施設なので、そこの職員がやる事になるだろうし。

孤立無援で誰にも頼れない、俺がやらなければその女性死ぬ!」という前提は

ただの正義ヒーロー妄想しかないのでは。

迷子の子供にしても、その子が他に誰もいない場所に一人でいるという前提がそもそもリアリティが無い。

よっぽど田舎に住んでるの?そんな田舎迷子なる子供って?

いつぞやの北海道の親に怒られて山の中で何日間だか生きてた子供みたいな子とか?そんなのどんだけレアケースなのか。

2017-12-20

anond:20171220195315

まだ学生か、大した仕事してないんだろうけど

仕事の場だと人脈作って利用するってのはごく普通の事であって、そんなの別にずるくも何ともない。

しろそれが出来ない奴が無能扱い。

(つーか学生だって目当ての業界パイプがある教官と仲良くしておいて就職の際に口利いて貰うとか普通にあるだろうが。なかったのか?)

成功してる人ってのはそういう所も上手く出来るものだ。

そういう人間関係構築の為の根回しをしない・出来ないのに成功している、

孤立してるけど能力が超高いから誰も文句言えない人」なんて中二設定のマンガの中にしかいない。

そうやって人脈広げようとしている人に対し、女であれば身体を求めるのは当然の事、という認識セクハラなんだよ。

患者の周囲の人間は全員医療スタッフである洗脳したい無能たち

https://news.yahoo.co.jp/byline/miwayoshiko/20171218-00079439/

骨折糖尿病が「その人」そのものになってしまったとは、通常考えられないでしょう。しか精神障害精神疾患では、病気が「その人」そのものになってしまたかのような受け止め方が、未だに一般的です。なぜでしょう?

「出たよ、この喩え」という感じで思わず笑いすら出た。

精神医療関係者は必ずと言っていいほど外科内科患者の喩えを持ち出す。

かに外科内科患者において、この喩えにおける関係性は「『病気・外傷』とそれが影響を及ぼす対象者としての『患者』」という登場人物で完結する。

精神障害精神疾患を同じように喩えるならば「『障害病気』とそれが影響を及ぼす対象者としての『患者』、症状に影響を受けた『患者』が行為者となって危害を加える『他者』」というものになる。

精神障害精神疾患における『他者』は登場人物から絶対に切り離すことができない。

無論、自らの身体状態境遇を嘆いて周囲に当たり散らすという行動はどちらにもあるだろうし、それについては病気と直接的な関係はないが、病気で高まった攻撃性や抑制の利かない感情衝動による言動病気との直接的な関係)というのは精神障害精神疾患しか見られないからだ。

にもかかわらず、精神医療関係者はこれを完全に混同し、決して『他者』をその関係の中に含めて語ることをしない。

根本的な話として「どんな怪我病気にも人格はない」し、「行為者」にもならない。

しかし症状により引き起こされる諸々により実際に自らが「行為者」となる精神障害者・精神病患者は違う。

どれだけ言い繕ったところで、言動患者自身によるものだ。

たとえその言動病気に起因していようとも「行為者はどこまでいっても患者自身であるのに、精神医療関係者はその「言動責任帰属先」を「病気」にしようとする。

帰属先の人格存在しないのに、それを当然の論拠のように語る彼らに「言動責任行為当人帰属する」という当たり前の話は通じない。

原因はどうあれ、加害者行為者であり、被害者はそれに晒された人間であるのに、彼らはそれを否定するところから話が始まる。

患者理不尽に晒された人間(主に家族からの話を聞く際に「それは病気の特徴です。それも病気の特徴です」など、「どう対処すればよいか」の話ではなく「病気の症状の答えあわせ」からまり病気がどんなものなのか理解していない」という無理解レッテル張りに繋げるというパターン殆どであるため、彼らとの話に意義を感じなくなり患者孤立を深めるのだが、それを自覚している精神医療従事者の話を聞いたことがない。

どこまでも「医療サービス従事者」の延長上で考え、「患者感情をもって接し、生活仕事を共にする人間」への認識が決定的なまでに欠落している。

晒された理不尽・それを与えた「患者に対して当然沸き起こるであろう怒りや悲しみ」を彼らに否定され、更にそういった反応をされることに対する「精神医療従事者の無理解への怒りや悲しみ」を彼らに伝えても、彼らはそれすら「患者に対するそれ」として八つ当たり扱いし表向きは聖人君子よろしく「全て受け止めますので私達に吐き出してもらって構いません」と臆面もなく言うのである

患者自身にとってはカウンセリングや投薬判断など重要役割果たしているのかもしれないが、それ以外は何の役にも立たないどころか害であることすら珍しくない彼ら。

今日もどこかで「家族の方とお話をしたい」と無意味な呼び出しをして「全て受け止めますので私達に吐き出してもらって構いません」と独善的台詞を吐いている無能がいるのだろう。

2017-12-17

社会保証が削られることに怒れない理由

自分とは全く関係いか

社会から孤立してる低賃金労働者だけど、社会福祉が削られても自分生活が良くなったり悪くなったりすることはない

特に体が悪い訳でもなく、ただただ能力が劣るというだけだから、何か社会福祉恩恵を受けられるような立場じゃない

なんでみんなそんな関係ないことに怒れるの?

怒ることで何か生活変わるのかね

2017-12-16

anond:20171216212508

対面ができればそれは一番いいけれど、確かに孤立してる生徒さんには、授業だけでも、先生の授業の教室の様子を聴いてるだけでも

引きこもって不登校になるよりはいい気がするけれど、簡単な事じゃないのかも。

やっぱり、家庭自体問題がある場合は、根本的な解決にはならないんだろうなぁ。

経済的貧困に陥ってる人間は悲しいが頭が悪い

社会普通に働いて生きている人間創造はるかに上回る。

その頭の悪さゆえに社会から孤立し、頭の悪さを加速させる。

ネットであってもそれは例外ではなく、頭の悪い奴はすぐに相手にされなくなる。

匿名掲示板であれば、また新しい人格として参加はできるが、

すぐに相手にされなくなる。

匿名ゆえに社会的な信用の蓄積もされず、社会から孤立したままになる。

悪循環に嵌ってしまっている。

この循環に入る前に教育で救うのが一番だが、そのまま中年を迎えた者は氷河期世代同様に救いようがないと思う。

こういう人達は、ベーシックインカムであれ、食糧給付であれ、収容施設であれ、社会コストを最小限にして、

ひっそり死を迎えるのを待つしかない。

こういう頭の悪い人間を生んでしまった社会システム反省改善し次の頭が悪く社会から孤立する人間が生まれないようにしなければならない。

もしくは殺処分

2017-12-15

anond:20171215202930

楽しいわけ無いじゃん

どこかしらのグループに居てたまに単独行動が「自由であって

常に一人は孤立だろ

2017-12-11

anond:20171211162307

ぜんぜん横だけど、乱暴者って孤立してた?

なんか我儘に中心にいたイメージ

嫌いだったけど。

キモ金を救わないと生活保護キモ金以下になるのは当然

なんではてさってこんな簡単なことを理解出来ないんだろう

孤立無援の低賃金労働者代表キモ金を救わない限り、生活保護金額はそれに合わせて引き下げられるに決まってるじゃん

だって、それで生活しててかつ誰もそれを憲法違反だって言ってないんだから

論理的に言ってまずは現状のキモ金達の生活は、健康文化的ではないっていう立場を法的に明確にしない限り、生活保護の引き下げは妥当となる

誰が考えたってそう

キモ金をキモいから救わなかったツケが、受給者に行くわけだど、多分はてさにとってはそれは良いことなんだろうな

それを理由に国を叩けるから

国を叩くのが目的から文句を言いつつ本音では燃料キターって感じなんだろう

合理的な考え方の持ち主なら国に受給額の引き下げを行わせない為にも、キモ金の生活状況がまず憲法違反だとするはず

これをやらないってことは、本音は上の通りなんだろう

どんなに声高に建前を叫んだところで本音が透けて見えててひたすら滑稽

頭悪いの丸出し

anond:20171211160154

いったん「乱暴者」にカテゴライズされて保護者同士で情報共有されちゃうと、同級生から避けられたりいじめられて孤立する可能性もある。

子供に手加減しろってのは難しいから、自宅ではやらないとか子供同士では絶対にしないとか約束しないとだめ。

似非科学に関して青春時代の思い出を交えた個人的考察

 似非科学というのはいつの時代もなくならないものだ。パッと思いつく例だけでも、血液型性格診断ゲーム脳環境ホルモン水素水マイナスイオン、等々、枚挙に暇がない。多くはマスコミによって支持され、テレビ番組特集が組まれ、その科学的根拠あいまいにも拘らず世間に流布されて浸透する。テレビ番組などはあたかもその説を「検証」しているかのような映像を作り、怪しい肩書専門家コメントを添える。視聴者の多くはなんとなく「科学的に証明されている説なんだ」と信じ込み、疑問を持つことなく受け入れてしまう。一億総白痴化社会の完成である最近ネット上で多くの意見を比べて読むことができるので、情報収集能力の高い人たちはそこまで騙されやすくないとは思うが、未だテレビ新聞が主な情報源である人たちにとっては、上述の似非科学が今でも信じていることが多い。特に血液型性格診断などは、宗教のように信じ込んでしまっている人も相当数いるだろう。

 私も子供の頃はこれらの似非化学に騙されやす人間だった。最近ほとんど見ないが、昔はテレビが娯楽の中心だったこともあり、夕食時などはよく見ていたものである特に捏造問題で打ち切られた「発掘あるある大事典」などは、親が好きだったこともあって毎週見ていた。その中で血液型性格診断特集を何度か行っていたことは、今でも何となく覚えている。番組の中で「数名の幼稚園児を血液型別に分類してその行動を観察する」という検証が行われており、ものの見事にその血液型の特徴が行動として現れていた。見ていた私は「やっぱり血液型性格には関係があるんだなー」とぼんやりと納得していたが、今になって思い返してみれば数名の幼稚園児の行動で結論を出すのは早急すぎるし、番組が「○型かつ××な性格」の幼稚園児を数名集めることな造作もないことだし、そもそも集められた幼稚園児の血液型が本当に表示通りだと証明する根拠は何も無い。極めつけはあの「あるある」である。そういえば「あるある」マイナスイオン特集も何度かやっていた記憶がある。まあ、放送内容の真偽を検証するのは今となっては不可能に近いことだからやめておくにしても、心理学会において血液型性格判断の真偽は何度も検証されており、いずれも関連性を肯定するものがないことから、かの理論が出鱈目であることは疑いようがないだろう。

 しかし、科学価値は小指の爪の垢ほどもない血液型性格診断であるが、この似非化学が私に教えてくれたことが二つある。それは「人間客観的事実よりも自分が信じたいものを信じる」ということと「何かを信じ込んでいる人間を説得しようという試みは大抵徒労に終わる」ということだ。付け足すなら、当時私はまだ純粋ティーンエイジャーだったので、「大人は平気でうそをつく」ということも学んだと言えよう。

 私が初めて血液型性格診断反証する意見に触れたのは、中学二年生のことだったと記憶している。当時別段読書が好きでもない(むしろ嫌い)だった私が、たまたま休み時間図書館に立ち寄り、ふと目に留まった一冊の本を手に取ったのがきっかけだった。それは村上宣寛という方の著書『「心理テスト」はウソでした。受けたみんなが馬鹿を見た』(2005、日経ビジネス)という本である。新作であったこの本は本棚の上に表紙が見えるように立てられており、そのセンセーショナルタイトルに興味を惹かれたのを覚えている。

 10年以上前に読んだものであるためにうろ覚えな部分もあるが、本の内容は大きく2つに分かれていた。前半が血液型性格診断への反論、後半はまた別の心理テストへの反論が主であった(後半の内容は忘れた)。本文の中で、今日血液型性格診断の源流である能見正比古氏の著書をけちょんけちょんに貶し、また血液型性格診断のような「占い」を人に信じ込ませるための心理テクニックであるバーナム効果」についても詳しく説明があったと記憶している。

 当然、本の内容は著者の考えであり、本の内容が絶対的事実であるとは(今となっては)思わない。しかしこの本の内容は、血液型性格診断科学的根拠のある学説だと何となく思い込んでいた私にとっては、とても衝撃的な物であった。血液型性格診断のものというより、これまで固定観念的に信じ込んでいた常識が、脆くも崩れ去った瞬間で、まさしく目から鱗であった。活字嫌いな私が、数日図書館に通って本を読んだのは、(マンガ喫茶を除けば)後にも先にもこの時だけであろう。「借りて読めよ」と言われるかもしれないが、当時の学校図書館ルールで、新作は借りれなかったのである

 新しい知識を得たら人に言いふらしたくなるのが能のないアホウドリの常である。当時は全盛期こそ過ぎたものの、血液型性格診断世間一般根付いており、それを否定する論調は(少なくとも大手メディアでは)ほとんど存在していなかった。要するに「他の誰も知らないことを自分けが知っている」ような状況だったのだ。腕のケガだと偽って毎日手に包帯を巻いて通学していたリアル中二病の私にとって、これほどドヤれる材料は無い。とは言え、何の脈絡もなく血液型性格診断の話をするのも変である。友人との会話の中で血液型の話が出てくるのを待ち、出てきた瞬間にこれでもかと否定する。それによって「頭が良い奴」と思われて皆からちやほやされる。正に完璧計画だった。

 ところが、実際に反論してみたところ、いずれもあまり芳しくない結果に終わってしまった。どや顔血液型性格診断否定しても、「でも何となく合ってる気がするし…」と、決まって歯切れの悪い反応しか返って来ないのである挙句教師からも「屁理屈ばっかりこねるな」と言われる始末。今となってはどちらが屁理屈なんだと思わざるを得ないが、確かに思い返してみれば、血液型の話でわいわい盛り上がっている時に、キモいデブどや顔否定して来たら、場が白けてしまうのは明白だろう。要するに私の敗因は、イケメンではなかったこである

 冗談はさておくにしても、それ以降、私は血液型性格診断の話が出てきた時、余程仲の良い間柄でなければ、ニコニコして受け流すようにした。まさに2017年現在でも血液型性格診断肯定論者の方が言うところの、「否定する奴はモテない」という説を支持する対応であった。情けないとは思うが、当時ただでさえ友達が少なく、これ以上周りから孤立するようなことは避けたかった私を責めることなど出来るだろうか。ちなみに今は目上の人でなければそれとなく否定している。相変わらずチキンであった。まあ、事実事実として、TPOに合った会話合わせというのは必要だと思っている。

 そこで私が学んだことが、先の「人間客観的事実よりも自分が信じたいものを信じる」「何かを信じ込んでいる人間を説得しようという試みは大抵徒労に終わる」の二つだ。血液型性格診断を信じている人に、上述の心理学会の話や、バーナム効果の話をしても、決まって返ってくる言葉は「でも何となく当たってる気がする」「私の周りでは当たっている」と言ったものだ。査読のある学術誌に投稿された数千人規模の調査結果よりも、自分の身の周りの数名の事例を優先するのである。当然その事例には得てして強い確証バイアスが掛かっているのだが、本人はそれに気付くことができない。「客観的事実よりも自分が信じたいことを信じる」典型である

 これは、似非化学に限らず社会の中のあらゆる現象に対して言えることである。例えば昨今、「若者の○○離れ」という言葉をよく耳にする。○○の中には、テレビ新聞、車、バイク、酒、読書など、ありとあらゆるものが入り得る。そして、その原因は大抵若者帰着させることが多い。「最近の若者は人との関係希薄から酒を飲みながらのコミュニケーションをしないのだ」とか、「世間政治に対して無関心だからテレビ新聞を見ないのだ」とか、とりあえず若者悪者にするような結論が多いが、決して「社会の変化によってニーズも変容し、製品価値相対的に下がった、すなわち製品自体時代の変化に追いつけなくなったのだ」といったような、自らに責任帰着させることは決して言わない。やはり自分が信じたいことしか信じていないのである

 また、血液型性格診断を信じている人の共通点として、否定しようとすればするほど攻撃的になって反論するというものがある。先の中学生の時の教師がその典型例だろう。理論的な反論が出来なくなると「屁理屈をこねるな」と論点をずらして逃げるのである。「否定する奴はモテない」というのも同様で、血液型性格診断の真偽について反論しているのに、「モテるモテない」の話にすり替えさら相手を「お前は場の空気の読めないモテない人間だ」と罵倒しているのである。そうなってしまうと、もはや冷静な会話は成り立たない。こちらがいくら事実を述べても、返って来るのは罵倒だけであり、最終的に相手が逃げてしまうのである。そこに残るのは無駄時間の浪費と徒労感だけで、何ら生産性のない労力を費やされることになる。

 こちらもやはり社会全般で言えることだ。例えば「若者犯罪ゲームアニメによる影響だ」などの持論を展開する人に、「若年層の犯罪率は年々下がり続けており、反対にゲームアニメ市場は伸び続けている。」と反論しても、恐らくその後は謂れなき若者批判罵倒くらいしか返って来ないだろう。論理的反論を受け入れられない人間にとっては、実は事実などどうでも良く、会話を勝ち負けを決める手段としてしか考えていない。そして自分が負けるのが嫌だから最後子供のような罵倒に終始し、逃げてしまうのである。こういった手合いは、「自分の非を素直に認められない」ことも共通点と言えるだろう。人間であれば誰しも少なから負けず嫌いな側面は持っているが、この手の人間特にその傾向が強い(と何の統計的データもなく私の主観でそう思っている)。

 似非科学のような嘘を信じ込んでいる人は、宗教信者に近い。もちろん宗教否定している訳ではない。宗教というものは、「事実か否かを証明する術がない」にもかかわらず、「否定は許されない」というのが特徴である。これ自体別に悪いことではなく、「鰯の頭も信心から」と言うように、それを信じることによって本人の精神的支えとなるのであれば、それで良いと個人的には思っている。客観的証明できなかったとしても、個人の中で信じていれば問題はないのである。ただし行き過ぎると他者に対する不寛容に繋がり、戦争弾圧に容易に発展してしまうため、注意は必要である仏陀キリストと「顔を描いてはいけないあの人」の誰が一番偉いかというような論争は、決して行ってはならないのである(仏陀キリストが同じアパートの一室で生活しているマンガはあるが)。

 「宗教」と「似非科学」の明確な違いは、前者は「事実かどうかわからない(事実であることに重きを置いていない)」のに対し、後者はそれが「明確な嘘」だということである。明確な嘘を流布すれば、社会に対して損害が生まれる。血液型性格診断であれば、近年問題になっている「ブラハラ」なる差別を生じる。ゲーム脳であれば、本来何も悪くないゲーム会社風評被害を受ける。水素水であれば、医学的根拠のないただの水を健康に良いと信じ込んで高額な値段で買わされる消費者が現れる。そして、損をする人の裏側では、他者を騙して得をする悪人存在しているのである。大抵は嘘っぱちの本を書いた奴とその取り巻きだ。

 だからこそ似非化学は撲滅しなければならないし、似非化学の考案者やそれを流布するメディア批判されなければならない。日本表現の自由保障されているから何を言おうと自由であるが、それはあくま公序良俗に反しないことが前提であり、嘘によって不正利益を得るのは詐欺である表現に対して批判を行う自由もあるのだから客観的に見て明らかに事実と異なる論説に対しては、毅然とした態度で批判すべきである

 そして、一般消費者である我々は、常にその情報事実であるか否かを見極める努力が求められる。媒体を問わずメディアは平気で嘘をつく。他人に言われたままのことを信じる人間は、その情報が誤りであった場合他人責任を求めがちである。何が正しいか自分判断し、自分責任において選択する力こそが、情報化社会を生き抜くために必要スキルと言えるのではないだろうか。

 似非科学流行は、社会におけるメディアリテラシー成熟度合いの指標と言えるかもしれない。

2017-12-06

anond:20171205191547

仮面ライダーシリーズをはじめとする東映ヒーローって、基本マイノリティメンタリティなんだよね。

石ノ森章太郎原作作品特に顕著だが、昭和時代なら改造人間バッタ男とか、左右非対称な失敗作の人造人間とか、平成でも狼男とか吸血鬼とのハーフとか、戦隊でもメンバー宇宙人だったり、着ぐるみ獣人キャラだったり。

そういうの、学校でも世の中でも孤立して「俺、世間の『普通人間』と違うのかなあ…」と疎外感を抱いてる奴にはすげー響く。

anond:20171205221847

そうなのか。正直、高卒事務の子とかが多いのかな?と思ってしまってた。

そう思うくらい、都民感覚で見ると特殊環境に見える!

Uターンの子が多いってことは、地元のほうが心地いい=地元コミュニティ存在結婚出産やす環境というのは大きいと思う。

都会は出てきている人が多いわけで、この逆になる。これは個人事情というか自分語りなっちゃうけど、私は両親と死別しているので子供は諦めている。忙しい職種なのもあるけど、親の存在はそれくらいデカい。

そういえば友人が都内40代~60代の女性が多い事務系の職場に勤めてるんだけど、みんな未婚なんだそうな。

その年代だったらお見合いとかで結婚してそうじゃん?そういう、周囲がもたらすチャンスがなかったということだ。都会は隣人関係希薄から孤立やす環境だというのは間違いなくあるなと思う。

2017-12-05

anond:20171205180051

ほんとこれ。

自分所業孤立を招いてるから差別イジメとは到底言えんと思う。

自分我慢できないけれど、周りは理解を示して我慢すべき」なんて問屋が卸さんよ。

たとえ意図的でなくても人の気持ちを踏みにじったりするような奴と仲良くしてやる道理はない。

コミュニケーションはギブアンドテイクだから、どちらかがギブオンリー、テイクオンリーだといつか暴発する。

ぼっち会社員

会社では半端ぼっちだ。

平均的に慕われているけど、特に仲良い人もなく、ランチ基本的ぼっち

職場友達作りの場じゃないから全く気にしてなかったのに、バックオフィス(社内の人間関係健全か見る人)に、孤立してるんじゃないかと言われた。

誰とでも喋れるし、ほかの人の評価でも結構好かれてるのに行動がぼっちじゃあかんのか?

2017-12-04

この技術実用化させればインパクトがあると思って創業した。本当に実用化できればインパクトがある、それ自身は今も変わらない。

だけど、「起業」という形を選んだがゆえに、嫉妬するやつや付け込もうとするやつに付け込まれて完全に孤立している。

俺はライセンス料を払って使うだけだ。自分自身が開発したもの大学ライセンス料払うんだぞ。

それでも大学と組むのがメリットがあるから構わないと思ってる。

組んでくれる先生税理士先生しか味方がいない状態

あとは、自分より上のやつが嫌なぱっぱらぱー起業家と、霊感商法の不幸な占い大好きな母親

さらに「そいつらに折れておとなしくしてろという大量の周りの人間」「そいつらに折れておとなしくしてろという大量の周りの人間」「そいつらに折れておとなしくしてろという大量の周りの人間!!!

あいつらに屈するってことは確実に失敗するんだが。ぱっぱらぱー起業家はあれはまずうまいかんだろう。それ以下になれということだ。

霊感商法母親ももあんネガティブの塊の存在に付きまとわれてうまくいくわけがない。

まあ、もうネガティブの塊になってるが。

開発も派手に手戻りが発生している。それでも可能性はあるが、時間との戦い。

今の状態なら、もう営業一切やめれば卒業までは先生研究費だけで金が持つ。年500万程度は稼げる職に就ければ借金は返せる。返済開始からも月十数万の返済だから

もう、自分の手で実用化はあきらめようか。そうすれば「社長」として必死で売ること、資金繰りを回すためのを考えての行動をしなくて済む。これ以上の出費はなくなっていく。

なによりも「社長」に嫉妬、取り付きたいする存在から自由になって、技術の開発に専念できる。

こんな肩書いらねぇよ。

シャチサンシャチサン言われたくて起こしたんじゃねーよ!これしか道がないと思ってやったんだよ!

研究開発ベンチャーのやめどころ。

筋は見えるんだけども、味方はほぼいない。

しろ、今までプライド傷つけて敵に回ってしまったやつの周辺のやつがちらほら。

ベンチャーなんて起こしている時点で孤立気味。

自身性格かね?初めからボスざるになるためのいろいろ人間関係マウンティングばかりに集中してたら+他人アドバイスなんかしなかったらこんなことにはならんかったのかなぁと。

迷惑散々かけてくるあほだったから半分罵倒みたいになったが。

なんか、気力のほうが失われてきている。

イノベーションなんて本当は誰も求めてない。それより、みんな仲良く、ボス猿みたいなのがおったらそれに服従してキャッキャウフフムラ社会こそが真の望み。

研究開発ベンチャーなんてアカデミックポストをすでに持ってるやつしかやったらあかんのや。それか、とにかく嘘のうまいやつか。

検証時間がかかるが、その間の研究費、自分自身生活費すら数百万でもきついのだから

さて、でもやめた後どうするかなんだよね。実績も学会発表一つだけ。論文は書けるネタはあるが、アクセプトまで数か月かぁ。

借金返せる職に就きたいなと思いつつ、今の時点ではそれが無理だなと思いつつどうするか、、、、、、。

2017-12-02

東京地方との東京五輪への思いの格差やばい

事情があって東京へ行ったがすごかった。

どこもかしこ空港から商店街オフィス街まで東京オリンピックロゴだらけ。

2020年に向けて成功させようという熱い思いが伝わってくる。

一方地元東京五輪?なにそれおいしいの?という状態

そりゃそうだ、東京五輪が開催されたところで東京とその周辺が栄えるだけで地方には何も恩恵はない。

東京五輪開催のおかげであらゆるもの規制される。東京オリンピック恩恵があるので規制不利益相殺できるが地方はできない。

テレビでもネットでもあちこち2020年!と叫ばれてる、しかしその叫び地方ノイズしか聞こえない。

東京日本から孤立してるのか地方日本から孤立してるのか私にはよくわからない。

2017-12-01

飲みサーの幹事の話

昔の話。

飲みサーの幹事となるとさぞかしウェイウェイしてるだけと思うかもしれないが、そんなことはない。考えることはたくさんある。

なお当人たちは「飲みサー」という言葉自称したがらない。あくまで他称「飲みサー」を好むのだ。

幹事仕事飲み会の開催前から始まっている。サークルにはがさつな人で溢れている。事前の出欠確認に期待なんかしてはいけない。

出欠を取り、なおかつ全体リマインドを行っても返信率は50%を上回ればいいほうだ。

リマンドなんて初めからなかったかのように個別に出欠の連絡を取らなけらばならない。

慣れれば時期によって来る人、来ない人は感覚にわかる。

連絡すると

「え?いつー?行くに決まってんじゃん!」

と返信が来る。

店選びでは、行ったことがない場所危険信号だ。このご時世ではコール禁止の店は多い。客層やトイレ位置・配置を確認しておき、店長らしき人と友好関係を結んでおくことが望ましい。小上がりがあるほうがいい、むしろこの有無の違いは飲み会の後半に顕著に現れる。

いざ予約する段階では想定される人数よりも少なめに言っておく。ドタキャンはいつでも発生する。なおかつ店側は人数が少なくなる分には当初の予定通りの金額請求するが、多くなる分には柔軟に対応してくれる。そのためにもこの人数でこの場所に案内されるだろうな、という目星は付けておきたい。機動力が求められる飲み会でスペースの狭さは致命的だ。

集合は早め設定する。それでもどうせ時間通りには集まらない。なので18:30に集合と伝えれば、19:00から予約を取っているのだと周りは勝手に勘違する。実際には19:15に予約をとっておく。

会が始まると幹事はまず盛り上げ役に徹する。積極的コールを振る。序盤には周りを巻き込める、かつテンポのいいコールをチョイスする。必要があれば自らが飲む(自発的に飲むのは基本的には序盤だけに留めなければならない)。ここまでは一般的な飲みサーの幹事イメージかもしれない。

中盤に差しかると、いちおう「飲みサー」なので各々のエンジンがかり自走し始める。この時の幹事の役目はコールを振ることではない。スムーズお酒供給であるコールは周りが好き勝手に始める。

なおこのような飲み会ではジョッキでの提供はとても追いつかない。基本的に瓶ビール提供してもらい、グラスで飲むことになる。瓶ビール自体テーブルに一つ一つ店員さんに置いてもらうのは申し訳ないし効率も悪いため、瓶のケースで用意してもらい一箇所に置いてもらう。そこから必要に応じて各テーブルへと幹事を筆頭に運ぶのだ。

コールが流れてる時の注意として、その人の周りにいつでもすぐさま次のお酒提供できるように複数のグラスを用意しておく。これがスムーズに行えるように、後輩たちには周りでコールがかかったらグラスにお酒を注いでスタンバイするように教育する必要がある。

幹事は飲むことはあれど、飲みすぎてはいけない。幹事目的はみんなを楽しませることである。早飲み選手権があれば、本来ならば2秒で飲みきれるところを、周りの盛り上がりを伺いながら5秒くらいかけて飲む。また、自分コールが降りかかれば、苦しそうに隣の人に更なるコールを振ることも大切である

ビール炭酸なのでみんなの胃のキャパはすぐになくなる。つまりリバースが盛んになる。全員が全員トイレの狙った位置リバースできればいいが、なかなかそうもいかない(幹事にはanywhere, anytimeは必須スキルである)。

リバースするかしないかの境目を見極めながらコールを続ける必要がある。言い忘れたが、グラスを用意した人は、それと同時に飲んでいる人の口元におしぼりを添えて、お酒が床にこぼれるのを防ぐ役割がある。

自由自在リバースできる人には積極的リバースしてもらうのが好ましい。後で溜め込んでトイレに立て込まれるのが一番やっかいだ。

幹事トイレをこまめにトイレットペーパー掃除しよう。標準をもろに外していない限りは対処可能だ。

コールもある程度落ち着くと、5~6人程度のグループにそれぞれが分かれた状態で適度に盛り上がっている。ここで意外に思えるかもしれないが、飲みサーでも全てのメンバーがノリノリでコールを振れるわけではない。中には中盤から少し孤立気味になってしまう人もいる。

具体的に言うと、おとなしめな女の子サークル本業をメインで活動する人(飲みサーは他称なのだ)、ノリに着いてこれない新入生などがそうなりがちである飲み会が激しいサークルであっても一定数必ず存在する。

誤解してはならないが、実は根っこの部分でサークルを支えているのはこういう人たちであることが多い。大多数は好き勝手にウェイウェイして私生活もウェイウェイやってるだけなので、ウェイウェイ人材だけではサークルは回らない。

全体の満足度を高めるためにも、自ら輪に入れない人たちには話題を振ることで輪に入れるようにする。女の子場合にはそこらへんの男を呼べば食いつく。下級生は何かしらの話題を見つけてそれに合った人を呼び込む。

輪に入れないからといって、飲み会が嫌で嫌で仕方ないというわけではない。ある程度の期間在籍してくれている人なら、きっかけがあれば打ち解けてくれる。

飲み会お金は会の途中で払っておく。これは飲み会の終了時にスムーズ二次会に進むためということもあるが、店側から追加徴収を取られにくいというメリットもある(飲み残し食べ残しによって追加料金を取られるのを防げる)。また、酔っぱらいが多いため、周りのものを破損しがちである飲み会終了時に料金を支払うと追加請求される場合があるが、予め払っておくと再度お金請求されることは滅多にない。

飲み会が激しいと出禁になることも多々ある。初めの方にも書いたが店員さんへの根回しはけっこう効く。

二次会の会場はもちろん近いほうが望ましい。感覚として一人で歩いて行く時の5倍の時間がかかると見積もっておくといい。

全く誇れることではないが、こんな感じで幹事はわりと大変である

anond:20171201202951

5流プログラマでした。

頭も悪くがんばるしか取り柄が無かったのですが、

体を壊してがんばることができなくなりました。

次第に、周りから浮き始め、会社孤立し、

コミュニケーション不足から仕事が周りと噛み合なくなっていきました。

そうなれば、負のスパイラルです。

信頼は失われ、技術も蓄積されなくなり、

そして今無職となっています

なにか、参考になれば。

2017-11-30

anond:20171129204640

ネットの影響だと思うんだよね。

ネットなんて無い時代からオタクだったけど、昔はここまで酷くなかった。

当時から似たようなメンタリティオタク存在したんだろうけど、

殆どオタクコミュニティでも底辺扱い(目立てるほどの創作能力があるわけでもなく、人望を集められるほどのコミュ力もない)の彼らは

同類とつるむ事も出来ずそれぞれ孤立していたから、ここまで広範囲迷惑を振りまけるほどの大きな力など持てなかった。

一人か少人数で狭い周囲に対して同じような事をやってるのはいただろうけど、それが表に出る事もなかった。

それがネットを通じて同類同士が繋がる事が出来るようになった事で、集団で周囲を攻撃するようになったし

攻撃自体カジュアルに出来るようになった。

(昔も有名人に対する嫌がらせなんかは山ほどあっただろう、でも昔なら匿名で出来る嫌がらせは精々手紙程度で

それ以上の事をするなら顔を晒して捕まるリスクを負って直接会う必要があったのが、今は匿名毎日粘着して罵詈雑言を繰り返す事が容易にできる)

それが他からも見えるようになった為すぐ批判される→批判されて「オタクから差別されてる」の逆切れますます周囲を攻撃する、の悪循環になってる。

所詮ノイジーマイノリティではあるんだけど

日中罵詈雑言ネットに書き込んでいるような人間一定数いればそれなりのインパクトになるからね。

2017-11-27

anond:20171127142051

何がダメです?

ただムカついただけですか?

から世間から孤立すんだよ。

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