はてなキーワード: 印象操作とは
オリンピック関連のホロコーストネタで盛り上がったが、個人的にはあまり興味はなかった。何せ、私はホロコーストそれ自体のことは実際詳しく知らないのだ。興味が偏っていて、関心があるのはいわゆる「ホロコースト否認論」だからである。否認論に詳しいのに、ホロコーストそれ自体のことをあまり知らないって変に思うかもしれないが、そりゃまぁ全然知らない人よりは遥かに詳しいけど、例えばワルシャワゲットー蜂起なんて言う有名な事件についてなどほとんど全然知らなかったりする。だもんで、話題になったホロコーストネタについては「へー」程度にしか思わなかった。興味が湧かないんだから仕方ない。
でも、ホロコーストへの興味が向く契機にはなる。最近は、ホロコースト否認に対する活動も停滞していたのだけど、Netflixで暇つぶしでもしようと思っていたら、たまたま目についた『シンドラーのリスト』。そう言えば、まだ二回しか見たことがない。その二回とも、ホロコースト否認やホロコーストそれ自体にすらほとんど知識がなかった頃の鑑賞だったので、ある程度知識のある今ならどんな感想を持つだろうと思って、鑑賞したのである。史実・原作通りではないこと程度は当然知ってる。例えば、映画の中の本当の主役であるアーモン・ゲート所長は、あのバルコニーから狙撃するのは実際には不可能だった、なんて話も知っている。プワシュフ収容所跡地はユダヤ人団体の反対により、当時使うことは出来ず、近所の採石場を使ったので、それに伴って原作の記述から変更したのである。
ともかく、映画は原作通りではなく、史実に基づき考証も経ているとはいえ、全体としてはフィクションである。そんなことは細かい話を知らなくとも映画を見てりゃ誰でも分かるはずなのだが、呆れたことにこのシンドラーのリストですら、ホロコースト否認論者たちは「事実ではない」と否認論に利用するのである。例えば以下のように。
この映画は、全く持って史実ではありません。その事を、私は、ニューヨーク・タイムズの2004年11月24日の記事で知りました。同紙が2004年11月24日に掲載した、エロン大学の歴史家であるデイヴィッド・M・クロウ(David M. Crowe)教授へのインタビューの内容は衝撃的な物です。クロウ教授に依ると、この映画が描く出来事が有ったとされる時期に、シンドラーは、収容所所長であったアモン・ゲートへの贈賄によって刑務所に入れられており、この映画が描く様な活動を出来た訳が無いのです。その他、多くの矛盾を同教授は指摘しており、この映画を「実話」と錯覚する事は全くの間違いなのです。(詳しくは、ニューヨーク・タイムズ2004年11月24日に掲載されたクロウ教授へのインタビューをお読み下さい。)
この映画が、イスラエルの墓地の場面で終はる事が、イスラエル建国の美化である事は余りにも明らかです。プロパガンダは感動的である事の一例です。皆さん、もっと、冷徹に物事を見てはいかがでしょうか。この映画が、オスロ協定に基ずく中東和平交渉とそれによって起こったイスラエル・ブームの時期に公開された事は、はたして偶然だったのでしょうか?私は、スピルバーグ監督が好きですが、同監督が、フィクションを史実と錯覚させるこの作品を作った事を本当に残念に思ひます。
http://blog.livedoor.jp/nishiokamasanori/archives/7074177.html
西岡は、マルコポーロ事件で一気にその界隈の知名度トップに上り詰める以前は、英字新聞の常連投稿者であったらしい。だからニューヨークタイムズも定期購読でもしていたのであろうか、そうした記事を見つけたのだろう。
さて、西岡の文章、後半のイスラエル云々は、ネットの一般否認者でも使う論理なので無視して良いと思うが、問題は前段である。西岡の書き方では、『シンドラーのリスト』全体が全くの嘘であるかのようにすら読めてしまう。もちろん、映画はフィクション性が強いと言っても全くのウソではない。オスカー・シンドラーは実際に約1000人のユダヤ人の命を救ったのである。トマス・キニーリーの原作は史実と見做されているし、映画は概ね原作に沿っている。では一体どう言うことなのであろうか?
西岡は、私自身とTwitterでやり合った時もそうであったが、参照文献の示し方が杜撰なことが多い。その時は、西岡は「国会図書館で読める!」と豪語しながら文献名すら示さないという呆れた態度すら取っていた(その後その文献をめぐってややこしいやり取りになったがここでは触れない)。今回もまた「ニューヨーク・タイムズ2004年11月24日に掲載されたクロウ教授へのインタビュー」である。あのね、そりゃそのニューヨークタイムズは探せばどっかにあると思うけど、常識的に考えて一般日本人が、ある特定の日のニューヨークタイムズなんてすぐに探せると思う? 「普通は」とはあんまり言いたくないけど、普通は他者の参照のし辛さを考えて、一部その記事を引用とかすると思う。それを「お読み下さい」って、いちいち図書館にでも行って調べろとでも言いたいのか?
というわけで、普通ならニューヨークタイムズなんか参照できないと諦め、西岡の言っていることを鵜呑みにするか、あるいは真偽不明として信じないか、だけだろう。ところが、今時の時代、ある程度ならなんでもググれば見つかる便利な時代であった。その記事とはこれのことである。
Book Adds Layers of Complexityto the Schindler Legend - The New York Times
ニューヨークタイムズの記事って、有料だとほとんど全部ネットで読めるそうだけど、まさかこれが無料で読めるとは意外だった。当該部分のみを翻訳して引用しよう。このニューヨークタイムズの記事自体、ちょっと書き方が悪い。
「シンドラーはリストとはほとんど無関係だった」と語るのは、ホロコースト史家でノースカロライナ州イーロン大学教授のデビッド・M・クロウ氏である。『The Untold Account of His Life, Wartime Activities and the True Story Behind the List(オスカー・シンドラーの人生、戦時中の活動、そしてリストの背後にある真実の物語)』を今秋、Westview Press社から出版した。
映画では、リーアム・ニーソン演じるシンドラーが、1944年にポーランドのクラクフにあるエナメルウェアと武器の工場のユダヤ人経営者に、比較的安全な現在のチェコ共和国に連れて行くべきユダヤ人労働者の名前を教える場面が描かれている。しかし、クロウ氏が電話インタビューで語ったところによると、当時シンドラーは、映画の中でラルフ・ファインズが演じた残忍な親衛隊の司令官アーモン・ゲートに賄賂を贈った罪で刑務所に入っていた。また、経営者のイツァーク・シュターン(ベン・キングズレー)は、当時シンドラーの下で働いているわけでもなかった。
クロウ氏によると、リストは9つあったという。最初の4つのリストは、主にマルセル・ゴールドバーグが作成したもので、彼は腐敗したユダヤ人保安警察官で、ユダヤ人輸送を担当するSS将校の補佐役だった。(ゴールドバーグは後に、賄賂を受け取ったことや、好意的な態度をとったことで非難された。)シンドラーは何人かの名前を提案したが、リストのほとんどの人を知らなかったとクロウ氏は言う。他の5つのリストの作成者は不明である。
「そもそも、「シンドラーのリスト」はなかった」だなんて、ほとんどの人が「えっ?」と驚くに違いない。タイムズ紙も妙な書き方をするものである。だが読み進めれば分かるとおり、映画で描かれたようなシュターンとシンドラーが二人してリストを作ったというようなことはなかった、とクロウ教授は言っているだけなのである。そして、記事に書いていない内容を記事から類推するに、シンドラーは刑務所から釈放後、ゴールドバーグらが作成したリストに何人かの名前を加えるよう提案した、としてリストに関わっており、何れにしてもリストは存在していたのである。実際、原作者のトマス・キニーリーが使ったとされるリストはオーストラリアで発見されている。
'Schindler's list' found in Sydney
ともかく、西岡の記事だけを読めば、シンドラーのリストの話自体が全部嘘のように読めてしまうが、事実は、単に映画には細かい相違があるというだけの話なのだ。こんなの余程うるさい人でもなければ「映画は事実ではなくウソである!」だなんて言わないレベルの話でしかない。ホロコースト否認論者ってどいつもこいつも常にこの調子で読み手を騙しにかかるので注意されたい。西岡の場合などは特に、イスラエルがどうたらこうたらと余計な印象操作まで含めているので、より悪質度は高い。ただし否認論者としては必須のはずの「スピルバーグはユダヤ人」を入れなかったのは否認論者としての自覚が足りないとは言える(笑)
最初に書いた通り、ホロコーストそれ自体の知識はあまりないので、どこが史実でどこが違うのかなどの細かい話は、Wikipediaレベルの知識しかない。その上で言えば、オスカー・シンドラーはリーアム・ニーソン演じたような人物ではなかったと思うけど、概ね的なレベルでは史実通りと見なして良いと思う。「所詮はフィクションだから」と言う人も多いけど、現代の基準から言えば、信じがたいレベルの惨劇が起きていたことは事実だし、映画ではそれを描き切れてなどいないとさえ言える。そもそも描き切るなど無理だろう。今年もホロコースト映画が何本も公開されていて、食傷気味だという意見も多いし私もそれら映画を見る気もないけど、『シンドラーのリスト』や『戦場のピアニスト』程度の代表作はぜひ見ておいて欲しいという気はする。
今まで、割り振られたプロジェクトを一人で方針を練って取引先とコミュニケーションを取ってクローズする、個人事業主みたいな仕事のやり方でした。
あまり社内で協力を依頼することもなく、担当専門の仕事があればその人へ依頼するというぐらいでした。
管理職になると事業計画とか色々な事を聞いて部下となる人に説明するんですが、こういう人がいることに気が付きました。
他にもいるんですが、全員一致するのが「管理職よりも自分は上の立場」で、「管理職 = 秘書またはお手伝いさん」とみなす人が多いんだと知りました。
自分が管理職になる前は、管理職の人にはある程度の意思決定をしてもらうなど役割分担をして、その仕事をお願いしていました。
たまに雑談をするぐらい人が、肩書一つ変わるだけで役割ではなく上下関係の色眼鏡を掛けて人と接する人だったのか、という衝撃と学びがありました。
なんとなく仕事は回っているようには見えていたのですが、同じ部署の人たちがお互い「私が偉いのを、どうしてお前は理解できないのか? バカなの? まずは私の命令に従え」みたいな、いがみ合いが繰り広げられてたようでした。
観察したところ、振られた仕事を他人に押し付けて確実に定時上がりをするためのようでした。例えばパートレベルの人は、新人の頃にレクチャーされた仕事以上の事は「忙しいからやりません」と拒否し、可能な限り回避してきたようです。
その人が入社する前は半日アルバイトの人がその仕事をやっていて、問題はありませんでした。その人が来てからは仕事内容から変わってないどころか減らしています。
で、その人は何をやっているのか正直分からない状況です。少なくとも作業手順書は更新していないようです。
コロナによって売上が伸びないのに営業が歯を食いしばって頑張る中、それでも倒産なんてありえる状況なのに「他人がどう動くのは自由だが、自分の仕事は変えさせない」と自分の都合を最優先させている状態になっています。
この人達には心が無くて、まともな状況判断はできないのか、と思った事が何度もありました。
いがみ合いの緊張状態が続く中でも定時上がりは死守するので、連絡もなく遅延し周りの部署や客にやんわり迷惑を掛けている状態でした。
その人たちの仕事の関心はもっぱら不労所得やら社内ニートみたいな立場を狙っているので、改善とか出来ないと判断しています。
明確な事件とかが無いので解雇は難しいらしく、それができないならどうすれば良いんだ、という気持ちしかありません。
お互いがチームとして結束し、漏れがないように助け合い、連携して定例業務を完遂するというのはチャレンジング(実現不可レベル)なものらしいようです。
誰かがヘルプに入った瞬間にその場から別の人が離脱を試みたりと想定できない事が多発してました。
よくあるサイボウズの新人教育資料で見るような「チームで成功を!」みたいな世界では無いことは明らかです。作業品質がとにかく安定していません。
マニュアルを作っても見ないし、自発的にマニュアルも作っても他人に明け渡さない、口出しさせない(不備と訂正を指摘しても、仕事が分からない奴に何が分かるんだ等の反論して改善しない)状況で改善とか無理だとしか思えない状態です。
仕事に対してポジティブな考えがあれば、意見の相違は有っても落とし所を作っていくのは出来るのですが、まず仕事をとにかくしたくない、でも最大限の給料も賞与も貰う!!という人ばかりで、交渉や調整という解決手段が使えません。
結果、通常業務でも漏れが発生するため、対処療法の尻ぬぐいばかりをしています。
「仕事をしてもらいたければ、俺の雑用係になれ」と業務をこまめに止めてくるので、腹を括って仕事を肩代わりして影響が出ないようにしています。
根本対策が出来ないし、ビジネスに直接つながる仕事でもないのでモチベーションが上がっていません。
管理職になると大きな仕事をして、金を稼ごうという気持ちにはなっていたのですが、チームで何かをするという見通しを立てられないので、これはでかいハズレ籤を引いてしまったなという感想を持っています。
(以下返信)
嫌われ役をやる。怖がられろ。てめぇサボるなぶんなぐんぞぐらいのことを言え。
この辺りは部下の人たちが自分たちのことを「善良な市民で被害者」というポジション確保に全神経を注いでいるので即、「管理職になったら人格が変わったパワハラ野郎がいるぞ」と通報するでしょうね。
あとはネチネチ監視、というのも「管理職が自分の仕事してない」みたいな他部署への印象操作や話のすり替えとかの攻撃連携できるようなので、とにかく彼らの卑劣な術に嵌まらないように注意しています。
自分たちに歯向かわせないようする体制は彼らが作っているので、モンスターだらけの部署にいたんだと腹を括って、「管理職としてパッとしないね」と評価されて、わざと配置転換を狙った方が良いかなという事も考えています。
新卒の採用面接時には自分のことを潤滑油だとアピールする人がよくいましたけど、今そんなことをアピールする同じ世代の人はいなくなってしまいましたね。
たいがい板挟みになってメンタル削られるだけ、っていうのが殆どですし。
年上の人がこれをバイブルにしてる人もいるとは思うので、無知を詰められるのを防いだり話が噛み合わないのを防ぐ目的含め読んでみます。
日本人は勤勉だ、という話がありましたけどその話は信じられないほど多くの人が手を抜いたり、平気で0から1の「害のある嘘」を言いますよね。
自分の仕事だけ、っていうのが自分で数字を作る部分もあったのでモチベーションはある程度あったので、一般社員のときはそういう明確な環境なのが良かったですね。数字に対しての評価が適切ではない、という疑念がずっと付いてきますけれど。
指摘ありがとうございます。直しました。
もしそうなら、結果を出せても出せなくても、次も似たような部署になるよ。
主語が欠落したところを「彼らが善良な市民」ではなくて、「私は善良な市民」と読み解いてしまったのかな...
とりあえずそこは補足してみました。
また「優秀なヒラを元増田に任せたい」は遭遇した事ないのですが、「任せる」話は要らない部下を厄介払いする時だけだと思います。
日本らしいアイコンを使わなかったのは前グループが使いたくないと明言していたからじゃないでしょうか。
あの会場でプロじゃない人が太鼓を響かせるのも難しいですし、明らかな日本的アイコンを使うとなると、それこそ人集めが難し過ぎます。残り2ヶ月弱ですでに批判されている日本のオリンピックなんて、伝統を重んじている人が出たいわけないじゃないですか。
伝統的なものをされている方を応援している人々は基本的に保守的です。
あなたが言いたいのはサブカルのような文化がオリンピックなんていう世界を舞台にする場面に出てくるな、ということで間違いないでしょうか?
それなら私も全くの同意見です!
そもそもなんで椎名林檎とMIKIKOだったんでしょう?掘れば小林賢太郎よりやばい発言死ぬほどしてますよ。サブカルチャーとは鬱屈した人間が狭い世界の中で出来たものなのに、それを表舞台に引っ張ってきて「私あなた達のこと好きなのよ」って擦り寄ってきたでかい組織が気持ち悪くて仕方がありません。
残念ながら私はその薄暗いサブカルチャーの世界で生きてきた人間なので表に出た彼らを応援するしかなかったですが、結局上の人間に使いはたらせてアイツらはゴミクズだった!!っと叩かれるのは悲しくて仕方がありません。
たぶん何言っても噛み合わないだろうから1つ1つに反論はやめとく。
確認なんだけどさ、あのクイックジャパンの内容はお前はちゃんと読んだわけだよな。
さらに当時インタビュー現場にいたというライターが、その経緯を説明している。(記憶をたどった推測でしかないが)
それをお前は真っ向から「擁護だ!」と言って信じないわけだけど、
逆にロキノンやクイックジャパンに書かれたいじめ内容については「こんな酷いイジメをしていた!」と信じるのは何で?
それこそ、あーいう雑誌で語ってたこと自体が、すべて小山田の虚言でフィクションだったら?
現に「私が被害者です」って誰も名乗り出てないんだよ?学校も現段階ではわからないと回答してるよね。
なのに、この26年前のサブカル雑誌に書かれている内容だけで、イジメしていた!と信じるのに、
北尾氏が書いてることは印象操作だ!といって批判するのがわからんのだけど。。
勝手に自分の中で被害妄想膨らまして、小山田と擁護する人たちを叩きたいようにしか見えない。
(勘違いされるとめんどくさいから言っておくと、自分は小山田がいじめてないと言いたいわけではないし、QJもいじめも肯定しているわけではない)
https://anond.hatelabo.jp/20210723063526
だからこそ北尾修一さんは沢田さんの話だけして村田さんの話をほとんどしないことで印象操作を図ってるなと感じた。
💩食わせたではないにせよ、村田さんの方は結構ひどいことやってたんだが
北尾さんは、あれだけ言ってもほとんどの人間はQJの記事を読まないとわかってたんだろうな。
村田の部分まで読んだら余計印象悪くなるのわかってるのに、沢田さんのはなしだけでごり押ししたら騙せると思ってたのかな。
舐められてるなネット民。
おまえへの反論
よって、何も知らない第3者のお前が語る主張の方が偏りよろしく主観的である。
(北尾氏は自業自得といってるし、「小山田圭吾と村上清は悪くない」とは結論づけてないだろ笑)
(2)26年前の過去の記憶を辿って推測するしかないのは当然であり、
良い解釈もなにも拡散される内容と自己の記憶とイメージの乖離があるから本音を語ってるだけ。
「M氏」と表現するのは、炎上と攻撃が続く中で芸能人でもない名前を公表することは控えておこうという
プライバシーへの最低限のマナーとか配慮かもね。(悪意持って都合よく切り取り攻撃される恐れもあるからね)
「デビルマン」については、理性と冷静さを失ったお前らのような身勝手で独りよがりな怨念が、
あのデーモン達のように小山田に集中砲火を浴びせているこの惨劇を例えているんだろ。
(3)お前は当時のライターじゃないだろ?そしてその界隈にすらいないだろ?北尾氏以上に村上氏の何が語れるの?
あと、拡散されている「孤立無援のブログ」については、確かに切り取りと巧妙な順番の入れ替えによって
悪意ある印象のミスリードが行われているのは明らか。北尾氏を批判する前にまずそこ認めろよ。
(どうせお前もあのブログに乗せられて被害妄想膨らませて叩いてたんだろ?)
(4)「既成事実化」って単語ばっか使ってうるさいけど、適切じゃないから使うのやめろ。
北尾氏の内容は、状況を見てあの記事が書かれた経緯を「推測」しているだけ。
美化してるというよりも、書き手にそういう意図があったのだろうとプロ視点で解釈してるだけだろ。
実際に北尾氏のブログが出る前から、原文読んだ勢からもそういう意見あったし、自分も同じように捉えていた。
(5)はぁ、、しょうもな。村上氏はいじめられていた側だよね?
この「いじめ紀行」ってのは、いじめられていた側の視点から生まれた企画なんだよ。
当時もいじめはアウトだし、「いじめ自慢」なんか小山田サイドからしたら断られるはずなのに(現に最初は渋っていた)
許可した背景には、村上氏なりの強いコンセプトがあった。それを小山田も受け取ったからあの記事ができた。
「いじめ紀行」の冒頭でも、世間はいじめは悪と言いつつ綺麗事ばかりで、
世の中からいじめが無くなることはないというようなことが書いてるだろ。
だから村上氏なりの視点でいじめ問題を紐解くきっかけを模索していたんだろ?
「いじめっ子といじめられっ子の対談」という手法は見る角度によっては悪趣味で間違っていたし、
いじめはエンターテイメントだと自虐的に表現しながらも、決していじめを肯定しているような企画ではないんだよ。
当時の鬱屈した社会の中で、未熟なライターがデビュー記事であの小山田圭吾と過激だけどかつて誰もやっていなかったことを企画して実現しようとしていた。
その熱い思いに小山田も動かされた。結果的に考えが甘く、いじめられっ子との対談企画も失敗したわけだが、
2人がやろうとしていた実験的試みは、露悪的だけどほんの少しだけ社会に風穴を開けるきっかけになったのかもしれない
(今は違う形で穴をあけてるが、、)
そういったものをライター目線で振り返れば宝石と例えてるだけ。お前のサブカル偏見で単純化するな。
(6)当時を知る北尾氏の証言と推測が出てきてくれたおかげで、一部だけど冷静な意見もでてはきていて、
少しは全国民が共有してしまった「鬼畜いじめ妄想」を止めるような方向へ進んだようにも見える。
が、同時にいまだお前のように被害者を傷つけたーとか妄想を繰り広げ、拡散を助長するようなバッシングを続けるやつもいて、
逆に独りよがりのお気持ち正義マンをあぶり出してくれたのかもしれない。悪態ついているブコメとか見るとよくわかるよ。
北尾氏には感謝としか言いようがない。ある意味、北尾氏から村上氏へバトン。
このアンフェアで建設的じゃない状況から早く脱して前に進めということ。
その下部にツッコミ。
【冷静に考えてそんなことありえないですよね。】
→北尾修一の主観に過ぎません。そもそも、北尾修一が冷静に考えている保証は何もありません。村上清をMと伏せ字にしている上に、QJの関係者などから、北尾修一が加害者側に立っていることは明白です。
【これは推測ですが、インタビュアーへのリップサービスで、小山田さんが学生時代の出来事を大げさに話したのではないでしょうか。】
→これも小山田圭吾に都合の良い、北尾修一の想像に過ぎません。
【と考えるのが自然じゃないですか。】
→小山田圭吾と村上清を擁護するために「自然」と言っているだけ。
【こう考えると、この私のおぼろげな記憶がおそらく正しいのではないか、という気がしてきます。】
→自分の記憶が正しいと云う結論が先に有って、そのために「こう考える」と云う方針を立てる。そして「こう考える」から自分の記憶が正しいと言う。それは循環論法では?
【「目の前に現れたM氏の力になりたい」と小山田さんが思った。
特に実際に会って《打ち合わせ》をした後で、そう思うようになった。
そうとしか考えられません。】
→小山田圭吾が何を考えていたのかを、想像に過ぎないのに、その想像を元に「そうとしか考えられません」と主観的に結論づけています。
→度々「自然」と云う表現を用いるのは、北尾修一自身が「小山田圭吾と村上清を擁護するために不自然になっている」と自覚しているからだと推測されます。
→あくまでも小山田圭吾の視点に留まり、イジメ被害者からの視点で想像しようとはしません。
【きっと《打ち合わせ》に向かう小山田さんも、そんな感じだったんじゃないかなあ、と私は想像します。】
【妄想が暴走しすぎで「大丈夫か?」と思われているかもしれませんが、でも、これくらいのことが小山田さんとM氏の間で起きないと、普通に考えて実現性ゼロのこんな記事、この世に存在しえないと思うんです。】
→態々、仮定の上に仮定を積み上げる北尾修一のような論理のアクロバットを駆使しなくても、シンプルに「当時のQJと小山田圭吾は、イジメ被害者の尊厳や人権を軽視していた」「批判が寄せられたとしても、情報発信力の勾配の非対称性があったので、一般人からの批判は黙殺できると思い、実際にそうしていた(批判のお便りが来ても掲載しなかった(批判意見を誌面に掲載しなかった)」と考えれば説明は可能です。
【小山田さんが「過去に行ったとされるいじめ暴力行為」を私は擁護しません。
ただ、この記事から読み取れる小山田さんの(悪ぶっていても)隠しきれない優しい側面については、私は全力で擁護します。】
→イジメ被害者と云う「他者」を排除して置き去りにした、サブカル村業界人に対してだけ発揮される内輪向けの「優しさ」には意味が有りません。暴走族、ヤクザ、マフィアだって、時には身内に優しい時は有るでしょうが、それは被害者にとって無意味です。
【だってさあ、何なんだよ、この『デビルマン』みたいな今の状況。
こんなものを一刻も早く終わらせたくて、私はこの原稿を発表しています。
だから、小山田さんの人格を全否定する乱暴な言葉には抗います。】
→擁護するつもりは無いと言いながら、ここでデビルマンの喩えを持ち出したことで、北尾修一が小山田圭吾と村上清を「加害者」ではなく「何も罪を犯していないのに迫害を受けている被害者」と見なしていることが分かります。これぞ馬脚を露わす。
【私は時空を超えて、26年前の『Quick Japan』編集部に行って伝えたい。
今ごろやっと気づいたんだけど、良かったね、M氏というか村上くん。
村上くんが気合いを入れて書いていた企画依頼レターと、あのとき全力で小山田さんに伝えた気持ちは、ちゃんと伝わっていたんだね(26年後に再読してやっと気付いた笑)。】
→いつの間にか、北尾修一が想像したに過ぎない「企画依頼レターの中身」を既成事実化しています。悪質な印象操作ですね。
【でも、私はこの記事を一緒に作っている小山田さんと村上くんの姿を思い返すと、若い頃にどんなに酷いことをした人間でも、どんなに酷い目に遭った人間でも、あるとき誰かのことを思って本気で動けば、そんなふたりで宝石みたいな何かを残せるかもしれない。この記事は、その揺るがぬ証拠として26年後の私には読めます。】
→「誰かのことを思って」の誰かには、イジメ被害者は含まれていません。あの「イジメ紀行」の記事が、北尾修一の主観では「宝石みたいな何か」になるのだそうです。
=以下、総評=
(1)北尾修一は「当時のQJの現場に近い人間が、事の真相を語る」かのように装っているが、大部分が「想像ですが」「推測ですが」「そうとしか考えられない」と主観のオンパレード。端的に言えば羊頭狗肉。「自然」と云う表現を多用しているのは、おそらく書き手である北尾修一自身が「小山田圭吾と村上清は悪くない」と結論づけるために強引かつ不自然な文章になっていると自覚していることを示唆している。
(2)イジメを擁護するつもりはないと北尾修一は言う。しかし、村上清を"M"と伏せ字にしていること、北尾の述べる想像や推測は徹底して小山田圭吾と村上清に都合の良い解釈だけであることから、北尾修一が小山田圭吾と村上清を擁護しようとしていることは明らかである。更に、デビルマンの喩えを用いていることから、北尾修一は小山田と村上を「罪を犯してもいないのに迫害されている」と見做していることも明らかである。
(3)村上清が小山田圭吾に送った(かもしれない)企画依頼レターの内容については、北尾の想像に過ぎない。にも関わらず、何故か北尾修一の書いた文章のクライマックスに至ると「村上くんが気合いを入れて書いていた企画依頼レターと、あのとき全力で小山田さんに伝えた気持ちは、ちゃんと伝わっていたんだね」と既成事実化している。北尾修一は、孤立無援のブログを「印象操作している」と非難するが、むしろ北尾自身の方が悪質な印象操作を行っていると言える。
(4)小山田圭吾の証言と、それを都合良く解釈した想像だけを根拠にして「加害者である小山田圭吾とイジメ被害者との間に何らかの友情が存在した」と、既成事実化し、その上で「イジメではなく友人同士の遊びであった」かのように読者に思わせようと、北尾修一は意図している。しかし、北尾修一のしていることは、DV事件の加害者を「殴ったり蹴ったりしたけど、被害者のことを自分なりに愛していた」と美化するようなものである。イジメ加害者側の身勝手な「友人意識」を持ち出すことで、イジメ加害者の罪を減ずることが可能であるとする北尾修一の考え方を、DV事件との比較で考えれば、どれほど時代遅れ且つ間違ったものであるか一目瞭然であろう。
(5)北尾修一の書いた文章からは、サブカル村の住人の「自分たちさえ良ければ、イジメ被害者などどうでもいい」と云う、自己中心的、自己陶酔的、自画自賛な意識がハッキリと窺える。村上清による小山田圭吾インタビューを「宝石みたいな何か」と評価していることがそれを表している。
ルックバックの件についていろんな反応が自分の中でもやもやしたものがあるので整理する。
・作者が明言していない以上そのような意図はなかった。
→明言していようがいまいが内心として何らかの意図があったかどうかは本人にしかわからない。個人的には作者には差別的な意図はなかったと思う。デンベレやグリーズマンも差別する意図は本当になかったんだろうなと思う。意図と差別であるかどうかは別。差別の定義って明確になってないと思うので毎回議論が発生するんだろう。激ムズだからそうそう誰もが納得しうる結論は出ず、喧々諤々やってくしかない。
あと、ルックバックに批判的なエントリに対して、そのエントリに書いてないことをあたかも書いてるかのように解釈して批判しているコメントもあり、書いてないことに対しても想像で意図を補完するのは当たり前だよなあと思った。そして嘘もつけるのだから内心について明言していたとしてもそれを信用できるかは別の話になる。これは誰にでも言える話。これも双方向コミュニケーションなら一個一個確認しながら進めていけば建設的な話になるかもしれない。ただ、ディベート的に勝利したい目的の人がいるとあらさがしと印象操作に時間が使われて建設的ではなくなるけど。まあはてブは建設的な議論というよりいろんな視点を確認できるというのがめっちゃいいところだと思う。
→ヘイトスピーチについては制限を受ける。ルックバックは個人的には表現の自由の範囲内と思う。かきなおしまでする必要はないと思う。(あの漫画において該当の場面をかきなおしたところであの漫画上特段マイナスはないようには思うけど。)
・作者の意図しない解釈をもとに問題視や難癖をつけるのはクリエイターを委縮させる
→作者の意図しない解釈も当然あり、個人がどのように受け取ったかを表現することも表現の自由である。多様な解釈の表現を批判するのも自由であるがその批判は個人の表現を委縮させる点では同じでありクリエイターであるかそうでないかは関係がない。ヘイトスピーチや誹謗中傷をのぞき表現の自由は確保される。
→規制についてはヘイトスピーチ・誹謗中傷をのぞけば同意。キャンセルの要求については登用への不快感の表明や個人的な不買の意思決定は個人の自由であり、それを考慮したうえで登用したり登用をやめたりするのは結局自由としか言えないと思う。この点はたしかになにか危険な動きのような感覚もあるが具体的にどこまでが?とかじゃあどうする?とか整理できてない。
また、そもそもルックバックについて規制までは求めている声は少ないように思う。が、やはり内心としてどのような意図があるかはわからない。
というか、規制を求めること自体は悪いことではないか。それに対して反対することも。結局は投票とかそういうときにしっかり意思表示しましょうということか。
自分がどのような印象をうけたかと他人がどのような印象を受けるかは違うのは当たり前で、例えば差別を助長するか否かという点では「俺はそうは思わなかった」は差別を助長しないということにはならない。
その表現で偏見を持つ人が増えるかどうかが大事と思う。もちろんそれをゼロにしろというのは無理だと思う。だから規制するのは極めて慎重にすべきで、それを補完する意味で影響力の大きいもにに対する批判は積極的になされていいのだと思う。それで個人の想像力を補うことができることもあるから。
自分がルックバックを子供の時に読んでいたら差別的な感覚を意識的にも無意識的にも持たなかったかというと絶対大丈夫とは言い切れない。
あんた嘘つきだな。それだけの仕事観があるなら、セックスワーカーが労働者(事業主に雇用されている労働者、つまりは被雇用者)として認められていないことは当然理解しているはずだ。
にもかかわらず、セックスワーカーを建築業等の被雇用者と比較して、安全・衛生に関してあたかも同等のリスクを背負っているかの様に見せかけて、セックスワーカーを被雇用者と似たような立場であると論ずるのは悪質だ。
被雇用者(労働者)は労働基準法等の様々な労働法によって守られる存在であるのに対して、セックスワーカーは自営業者(たいていは個人事業主)として自己責任で働くことを強いられているんだぞ。何しろ職業安定法や労働者派遣法において性風俗業等は「公衆道徳上有害な業務」という扱いだから、性風俗業に労働者が従事することは認められていないからな。
あんたが「労働」ではなくカタカナ語で「ワーク」と表記しているのは、労働法で守られることが無いというセックスワーカーの法的立場を誤魔化すためだろ? それも太字協調で印象操作までして。
セックスワークは「労働」として認められていないんだ。そこが、建築業やらその他の被雇用労働との大きな違いだ。その点を誤魔化している以上、元増田で書かれていることは、読者を誤った認識へと誘導させる悪意に満ちた文章と言わざるを得ない。
2015年を境に、彼のことを知る人はいなくなってしまったんやな。
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なぜ自分があれだけ容姿で差別されてきたのに女性に対して簡単にブスとか言えるのか本当に謎。
ネトウヨ(22)はルックス故にネトウヨから「フジテレビデモのイメージダウンを狙った朝鮮人スパイ」呼ばわりされた、ネトウヨのある意味被害者。そしてアンチネトウヨのν速民のアイドルだよ (´・ω・`) “
ネトウヨ(22)「日本の報道はもう信用できない。印象操作をしていると感じたのでお台場に来た
かわいそうだからAA作って死んだら許してあげる → デモ参加者のネトウヨ(22)がキモいと評判