はてなキーワード: 今はもうないとは
(追記)
数文字読んで真っ当な共感かと思ったら、このおばさん子供いるじゃん。
何がわかるんだよお前に。
その瞬間だけをみても、性欲の発散先として素晴らしい価値提供をしている。
それ以降の文も読んだけど、読まなかったことにする。
決して共感者ではない
(追記ここまで)
25歳
彼女いた事ない歴=年齢−1
低身長
後輩の苗字が変わった。
幼馴染は三人で暮らすための家を買った。
妹は婚約者を連れてきた。
俺だけが、何も無い。
背伸びして車を買ったくらい。
年相応にステップアップしていくはずが、
うち数人は声をかけたらその日のうちにどこかへ遊びに行けるくらいの関係だった。
でも、それは、つまるところ、俺を異性として、オスとして見ていないからこその振る舞いであり、関係性なんだって気づいたのが最近。
それすら、今はもうない。
婚活をしようと思った、結婚を中間目標として、その間に「①人に好かれる」「②パートナーを作る」の2つ小目標とした。
自宅と職場の近くで開催される街コンなりパーティーを探してみた。
自宅近くでは趣味を共通点とした街コンがいくつかあったが、俺に大した趣味はないのでどれも参加できなかった。
職場近所では、学歴、職歴、年収、資格で厳密なボーダーを引かれた婚活パーティーがたくさんあった。参加費も一万円〜数万円くらい。
勤め先はマイナー業種(同業は日本にもう1社しかない)すぎて職歴もアウト。
年収はボーダーの倍か3倍以上あったけど、他をクリアしている人は3倍4倍5倍あるだろうからこれに意味はない。
と、参加資格すら持ち合わせていなかった。
企業団体が主催するハードルの高い交流は諦めて、自分なりに相手を見つけようとしてみた。
数少ない女友達、妹、姉に声をかけたが、にべも無く振られる。とりつく島もない。
俺が嫌われているなら状況は単純なんだけど、そうでなく、時々飯や近況報告くらいはする仲なので、「俺を知り合いに紹介したくない」ということなのだと思う。そんなに気持ち悪いんだな。
最後の手段(正確には最後から2つ目)で、セルフで見た目を整えてみることにした。要するにナンパを目指した。今考えてみると悪手も悪手だね。
これ書くのは辛いから一言で、「体型も顔も悪くて、どんな髪型、服装にしても全体としてブサイク」になった。
もちろん主観のみでなく、服飾のコンサルタントと美容師の判断も仰いだ。
誰が見ても微妙な反応で、はっきり何か言ってもらうのは申し訳なくて聞いていない。もうその反応が答えだから。
で、諦めた。
他人に何一つ価値を提供できない人間だとぼんやり気づき始めたので、これ以上もがくのは誰のためにも、もちろん自分のためにも良くないと思って。
もう少し早ければ振るまいなり見た目なりを治療して、勉強して資格や収入も嵩上げできたかもしれないけど、そんなもしもの話は今なんの意味もなくて後悔にしかならない。
結局、婚活すらしないまま、ただ自分が不出来だってことだけが明確になった。
自分は人生で2回しか行ったことないからよく分からない。小学生の時に1回、高校生の頃に1回。どちらも地元にあった店舗。
小学生の時は家族で夕飯食べに行ったけど、その時は家族連れが多くて店の中がワーワーキャーキャーうるさくてウンザリした(自分も小学生だったけど騒ぐタイプの子供じゃなかったし、学校でも授業中うるさい子とか嫌いだったから余計に嫌だった)。
高校生の時は昼食食べに行った。全体的にサラリーマンっぽい人が多くて静かだったけど、店の一角にいた女性グループだけがうるさくてなんだかなあと思いながらご飯食べてた。
それ以外は行ってないけど、土日になると中学生や高校生の自転車が店舗沿いにギチギチに並んでて、店の中やばそうだなと思ってた。
地元の店舗はコロナの頃に閉店したから、今はもうない。客層のせいなのか、コロナ禍での採算の問題だったのか、借地権か何かの都合なのかは知らないが。
味は不味くはないけど、何度も行きたくなるほど特別美味しいとも思わなかった。安いとは思ったけど。子供の頃に行ったきりだから今は美味しいんだろうか。
ある田舎の国道バイパス沿いにトラッカー向けの定食屋があった。今はもうない。
白飯がうまいというのがウリで、実際に美味かった。おかず類はとにかく味が濃かった。コップはワンカップの空き瓶だった。店内にはなぜかクレーンゲームの類がたくさんあってギラギラしていた。
その近くにはエロ下着屋があった。入ったことはないのだが、深夜帯によく流れていた素っ気ないCMからするとでかい倉庫みたいな店内でまんこや乳首丸出しになる原色の下着をワンオペで売ってるらしかった。誰が買うのか不思議だったが後年利用したことがあるという人に遭遇した。ふつうのおばさんだった。夫婦のお楽しみグッズらしい。聞いてもないのにその話をしてきた。
その店ももうない。
正解がないのが正解な気もするけど、それでも正解を探してしまう。
探すほどに正解が分からなくなる。
正解を見つけたい理由が「正解の分かる俺スゴイ!正解が分かってないくせに感動とか言ってる奴らザコすぎwww」でマウント取りたいだけな可能性に気づいたのでもう辞めることにした。
以下は副産物。
なんでフォスが最期流星になる必要があったのか、それはこの宇宙と一体化するためだったのではないだろうか?
夜空をかける流れ星に願いを叶える力があるのは、流れ星もまた誰かの幸せを願っているからなのではないか?
この宇宙に瞬くすべての星は、フォスのようにそんな思いを持っているから輝くのでは?
宇宙は真っ暗闇なんかじゃない!
流星になったフォスは、在りし日のフォスの元へ。
バラバラになって二度と会えなくなったと思っているけど、気づかない内に再開は終わっている。
皆きっとここにいるからきっと寂しくない。
振り切るでもなくただ自然と手放して前へと進む。
懐かしい思い出は今も心のなかにある。
宝石の国はもうない。
求めていた場所にようやく辿り着いたフォス。
煌めく宝石のような日々は、新しい仲間たちの心の光。
ここが本当の宝石の国。
素朴だけれども輝くような毎日。
今はもういない皆の祈りはフォスが救われること。
フォスが今ココにあるのは皆がフォスの幸福を願ったおかげ。
それが誰だったのか彼はもう思い出せない。
でも彼は確かに救われている。
今はもう兄機だけが覚えている皆が願ったように。
兄機はやり遂げた。
皆もやり遂げた。
電車で女性が隣に座ると許された気がするのは「男性のあるある」と書き込まれていたけど、おばさんの私も似たような感覚がある。
私自身が16歳から24歳くらいにかけて、なぜか生理的嫌悪感のセンサーが異様に鋭かった時期があって、
同時に態度に出すと失礼だし、相手に知られると怖いという気持ちもあって、
強い感情を隠しているストレスを感じている生きづらさがあったのだけど、今はもうない。
もう「嫌悪感を覚えるような元気(?)」がなくなったというか、全部の動物的感覚が鈍ったというか…。
(この全部が鈍って楽になった感じこそDon't trust over 30の源なんだろうか。生理的嫌悪感だけじゃなく義憤のような感情も消えた気がする)
だから二十歳前後の女性が隣に座ってくると、「生理的嫌悪感の感度がMAXの世代に許されたから大丈夫」みたいな偏見由来の感覚がある。
若い男、イケメン等が隣に座ったところでそういうのはない。モテてる男が警戒心を持ってなくて、ろくに知らない女からもらったクッキー食べてたりしたの見てきたから、
男はあんまり周りを見てない、男が隣に座ることには意味がないし何のお墨付きにもならない、という偏見を持ってしまう。
一番、鋭敏な生理的センサーを持っているのが若い女性だから、若い女性が隣に座ってくると「私は大丈夫な気がする」と思えるのは、
ジャニーズアイドルが大好きなオバサン数名が、推しアイドルの誕生日を祝ってケーキを持ち込んでいた。
自分の周りにはアイドルファンはいないので、いったい何をやっているのか最初は意味が分からなかった。
まあでも、周りにもケーキのお振る舞いがあるので適当に話を合わせて付き合っていた。
そのオバサンは、推しが担当するCMの商品やサービスをキチンと利用するようにしていると話していた。
そうすれば、推しが他のCMにも番組にも出られるようになるから、と。
アイドル推し活ってそんなことまでするんだ、と軽い衝撃を受けた。
その極めて真面目なジャニーズアイドルファン達は、今の状況をどんな気持ちで見ているのだろうか。
大学四年になる頃、就職活動が本格化した。当時は就職氷河期で厳しい状況だった。講義もレポートもあるし、当然サッカーだってやらないといけない。居酒屋(どんがま、というお店一本になっていた。今はもうない)でのアルバイトは週二に減らした。
当時は、三年の秋から企業説明会が始まって、四年の春以降に面接スタートというのが一般的だった。俺が行きたいと思っていたのは総合商社だった。説明会に行ってみて、とある商社に惹かれたのだ。ほかの総合商社に比べて「オレがやってやるぞ!!」みたいな社員の人が多かった。
三菱商事は、政府の高官みたいなキャラの人が多くて、三井物産はスマートなイケメンキャラが多かった。伊藤忠商事は、頭を鈍器で殴られても生きていそうな人が多かった(生命力があるという意味)。そんな記憶がある。
その春までには、俺とキャプテン君はmixi上でマイミクになっていた。お互いの日記にコメントをした繋がりがあって、サッカー友達ということで俺から申請をしたっけ。いや、もう正直覚えてないけど。とにかく、俺とキャプテン君はmixiで友達になった。
キャプテン君のmixi日記はすごかった。俺も、彼もサッカーのことを綴った日記が多かったが、彼の場合はなんというか、思考のレベルが違った。普通に大学サッカーをやってるヤツが、一生懸命サッカーのことを考えているのだとしたら、彼の場合はもっとずっと、『上の視点』からサッカーそのものを見詰めていた。
例えば、同志社大学のサッカー部は、今でも大学単位のブログを更新し続けている。各選手が自分の生活やサッカーに関する考えを書き綴っていく。
ここにある後輩達の日記は、読む価値がある。若いながらも自分なりに考えて学生生活を過ごしている。
当時のキャプテン君のmixi日記は、この内容をはるかに上回っていた。日記そのものは、すでにこの世にデータはないが、当時の俺個人の日記に断片的なメモがある。
当時、キャプテン君はこんなことを日記に書いていた。ほぼサッカーのことだ。本当は繋がりのある文章なのだが、断片化しているので意図がわかりにくいかもしれない。
・集団というものは常に問題に直面してる。人が寄っている以上は必ず争いが生まれる。価値観の違いとか、追求する目標の度合いとか、相手への要求の基準とか、争いの種は無数にある。それでも同じ集団として、組織として「仲間」を自称して日々共に暮らしている。
・自分らは、全員で一丸となって目標に邁進するために集まったはず。でも、いつからか、別の方向を向いている人たちをひとつの目標に進ませることに奔走してる。組織とは難しい。
・組織には、絶対に衝突や背信が生まれる。リーダーには、それをまとめる人間としての自覚がいる。自分がやらなければならないという責任感が。自分には実力が足りないといって何もしないのは卑怯だ。逃げだ。後輩には、早くこのことに気付いてほしい。
・理想を語って、現実に不平不満をこぼし続けるのは簡単。問題を黙って見過ごすのも楽だけど、人間が腐っていく。
・オレは現状を変えたいと思った。現状を変えるにはかなりの労力がいる。俺はあの時、みんなに不快なことを言ったけど、妥協してほしくないからあえて言った。
・言いたいことを言い合えない集団に未来はないんやで。お互いに機嫌を伺って本音を出せないとしたら、自分らの関係は友人ですらない。本当の仲間って、暑苦しくて、うっとうしくて、そして清々しい。
・ぶつかっても、嫌われてもかまわない。まだ間にあう。オレ達はここからが勝負だ。残された時間を考えると、今は悩みながらでも正しいと信じることを貫くしかないよな!
ぶつかっても、嫌われてもかまわない。何年か経った時に俺の伝えたかった真意を理解してくれれば、それはそれで素晴らしい。
・愚直にやることは本当に重要やで。ひたむきにやらない人間に付いていく気にはなれん。
・結果を出すことは、集団をまとめるための必要条件であっても、十分条件にはならん。サッカーの試合に出れない人の方が多いんやし、俺達のチーム!!って愛情をみんなが持てるチーム作りをしないと。勝って喜んでいるのはレギュラーだけってことにもなりかねない。今の俺には難しい。
・好む好まざるに関わらず、人には立場が与えられ、それに見合った働きが要求される。自分には難しい、できないかもしれないと言ってるヒマがあるなら必死に勉強しなきゃいけないし、責任を負える人間にならんとな。
・今のチームには、勝ちたいという執念を見せるヤツや、自分を演じてでもチームのために尽くそうとする人間が少なすぎる。たしかに個人個人は頑張ってるけど、みんなそこ止まりなんよな。他人に対して意見を言おうとせん。勝ちたいなら叫ばなきゃいけない場面もあるのに。だから俺は三年に怒ったんや。なに自分のことだけ頑張ってんねんと。自分らの代やったらそれ相応に振る舞えと。
・他人に言及することは、自分へのハードルも上げることにもなる。言ったからには自分もやらなきゃいけない。そんな風に、自分を追い込んで成長していかんと。
・時には集団のために自分を演じる必要がある。嫌われ役でも買ってでよう。自分を大事にしすぎるあまり、みんな守りに入ってもうてる気がする。
・自分のことだけに集中して動くのは本当に楽。でも、それなら今の場所にいる意味はないからね。引退までに、俺らの4年間を後輩に叩き込もうと思う。そうやってチームの魂は引き継がれていくものなんやで。
上の日記は、なんJ民が書いたものではない。日記を書いたのは、当時21歳の大学生だ。一般的な学生とはレベルが違う。社会人の域に達している。キャプテン君が反則で退場処分になったサッカーの試合を見た時は只者じゃないと思ったが、ここまでとは思わなかった。
実際、彼はいい奴だった。対面で話したことは数回しかないけど、でも確実にいい奴だった。熱い闘志が漲っていて、爽やかな笑顔が眩しい。それでいて面白いことも言える。ずるい。
就職活動に話を戻す。必死でエントリーシートを磨いて、SPIの勉強をして、面接対策をして、総合商社の一次試験を突破した。二次試験のグループ面接も通って、いよいよ三次になった。
会場は、晴海トリトンスクエアという海が綺麗な高層ビルだった。会場には、当たり前のようにキャプテン君がいた。緊張している様子だったから、声はかけなかった。かと思えば、ほかの志望者と一緒に雑談をしていて、さすがだなと感じた。
面接試験の部屋の前で待っていると、自分の前に終わった人が出てきて、「頑張ってください」って言われた。「ありがとうございます」と返して部屋の前に立った。
肝心の面接試験は、一応やりきることができた。子どもの頃からやっていたサッカーのアピールもできたし、面接官二名もサッカーをしていたことがあったらしい。「インカレにスタメンで出ました」と言ったら、「おー、うまいんだね!!」と言われた。
面接全体だと、簡単な質問もあったし難しい質問もあった。覚えてる限りだと、
□卒業までをどう過ごしたい
□総合商社で叶えたいことは何か
□弊社の弱点を教えて
こんなところか。ゆっくり落ち着いて答えていった。こういう時、サッカーをやっていてよかった。緊張はするけど、それが心地いい。失敗してもいい、飛び込んでもいいやって思えた。よい意味で、周りが見えなくなる。
時間というものの退屈さを感じない。これは採用試験なのだという不安も忘れて、不採用がありうるという事実すら忘れてしまって、どんな恐れすらも感じなくなる。面接、という世界に全身全霊で移り棲んでしまったからだ。
面接が終わった後は、さっきの自分と同じく、面接試験の部屋の前で待っている人がいた。俺は、ちょっと迷ったけど、「頑張ってください」って言った。その人は、「ありがとう。行ってきます」と返して面接室の前に移動した。
それから、普通に社屋を出て、ちょっとその辺でご飯を食べて、夜行バスが来るまで街を歩き回って、バスが来る頃にはすっかり疲れ果てていた。
続き
高校生の時に都立青山高校っていう東京都ど真ん中の高校に通ってた実情を書いてみる。
都会にいるっていうのが、どういう文化レベルなのかの一例となれば幸い。
青高は東京メトロ銀座線の外苑前駅の近くにあって、ヤクルトの本拠地の神宮球場の目の前の高校。
高校生クイズ選手権時の予選会が神宮球場にあったりしたんだけど、そこで一番近い学校だっていう事で注目されてた時もあった。すぐに敗退してたけど(笑)
国立競技場も近くて、僕は高校生の時はサッカー部だったんだけど、「いま一番国立近い学校だから(物理)」みたいな冗談はことは友達には言ってた。
まぁ、もっと近くに國學院高校っていう学校があって嘘なんだけど。
僕は大江戸線の国立競技場前って駅から青高まで歩いてたんだけど、国立競技場の敷地内を歩きながら学校に通ってたのは、なんか誇らしかった気持ちがあったかな。
あと高校生の時はお金がまじでなかったから(お小遣いが月3000円〜5000円だったから)滅多に行かなかったのだけど、ホープ軒で食べるラーメン美味しかった思い出がある。(今思うと全然美味しくないが)
立地はこんな感じ。
次にイベントについて書いていく。
確か5、6月ぐらいに体育祭があってその一環とし、応援団を作って、応援合戦みたいなのをやるのがあった。
応援団をやる人は2、3週間くらい応援団の練習をするんだけど、練習場所が代々木公園だった。
定期がある人は電車乗っていくんだけど、みんながみんな定期あるわけじゃなくて、代々木公園までは歩いていくってのが恒例になってた。
外苑前から原宿超えて代々木公園まで行く道ってのは結構面白くて、
インテリアショップとか眼鏡屋とかブラジル大使館とかあったり、
表参道を歩いたりとか、原宿の竹下通を歩いたりとかしながら、代々木公園まで行ってた。
今はなき原宿のコンドマニアで「お前買ってこいよ」「やだよ、お前いけよ」「なんでだよ!じゃあ一緒に行こうぜ」みたいやりとりをやってたりした。結局買わないんだけど、当たり前だけど。しょうもないけどそういうの楽しかったような気がする。今思うと全然面白くないが。
11月には外苑祭っていう文化祭があるんだけど、外苑祭では1年生から3年生の全部のクラスが劇だったりミュージカルをやるってのが伝統になってて、夏休みから外苑祭の前までは、「神宮外苑の絵画館」前のちょっとした広場的な場所で練習をしてた。
正直僕は外苑祭に乗り気じゃなかったから、全然練習参加しなくて数回だけしか行ってないくても、なんか思い出にはなってるね。
文化レベルって観点では、絵画館の建物自体がすごい美しい建物だったし、絵画館と銀杏並木の風景っていうのはすごく美しかったのは、高校生でも感じる部分があった。
イベント的にはそんなもんがメインで、その他の時期は普通に駅と学校を行ったり来たりするだけの生活してた。
個人的には、学校に自転車を置いたのもあって、学校サボって自転車乗って、原宿行ったり、246を赤坂方面まで走らせて、皇居らへんまでいったりとかは楽しかったな。
あと僕は部活やってたからバイトはしてなかったけど、周りの人とかは学校周辺でバイトやってる奴もいた。そういう奴は結構大人な世界を垣間見えたんじゃないかな。お金も増えるしね。
僕は遊ぶ金なんて全くなかった。だから高校生の場合、都心のど真ん中にあったとしても、そこまでは楽しめてなかったんじゃないかな。
まぁでも表参道とかの建築を見て、建築学科に進むっていう決断をしたので影響は大きかったのかもしれない。
あと仲良かった奴が、「スイスでヘルツォークアンドドムーロンの建築観てきて良かった!青山にもあるから観に行くと良い」って言ってくれたりして、周りの人間の文化レベルたけぇなって思った。
お金が無いなりに楽しんだって思えるのは、原宿の古着屋でHanjiroっていうお店が全盛期だったんだけど、そこで100円になってる服を買ってた。てかそれしか買えなかったんだけど、あれは楽しかったな。
あとはまぁ、今はもうない明治公園でフリマがやってて、そこで 安く売られてる服とかを買ってたりしたな。
もちろん高校時代を都会で過ごした影響はかなり大きかったんだけど、僕の中で影響が大きかったのは、やっぱり大学ですね。100倍くらい大きいんじゃないかな?
高校の時は受動的にやること っていうのが多くて、能動的には動けなかった記憶があるけど、
大学生になったらぼぼ全部自分で考えて、行動するから大学生の時の方が、濃密な時間を過ごせたと思ってる。
まぁ今なら、文化ってインターネット発なのが多いし、都会にいなくても、最先端な文化に触れられるのじゃないかな?
僕が好きなVtuberのぽこぴーとか滋賀県出身で電車ない土地に住んでそうだけど、最先端いってる。
僕が高校生の時は、まだスマホとかなかったし(シャって開くタイプの携帯とか、インフォバーとかが流行ってた時期だったし)、高校生の時は家族パソコンしかなかったし、ニコニコ動画も知らないし2ちゃんねるも知らない。パソコンの授業の時に友達が「スーパーマリオのTAS動画」見せてくれた時も「おもしれー!TASさんって人まじで超マリオ上手いやんけ!!!」って思ってたレベルだったから、住んでる場所の影響大きかったと思うが、今はどんどん差が縮まってきてる。
いや、無理無理w
無茶言うなよ
面白いこと言うな
ゲームの中では簡単にライフ(命)を消耗するけど、それと一緒だよ
どうせ大切にされない命なら粗末に扱うに決まってるやん
過去は家庭の中で、家族の中で命を大切に扱われて、それをまた引き継ぐって連続性あったけど
今はもうないやん
無駄に作られて消費されるだけってのが、当たり前でその現実を語るこういう場所があるわけじゃん
当たり前じゃん
足りない衣食住で寿命が半分になっても、愛されない人生よりも愛される人生の方がましだから
そんなもんいらんわバーカ
駄目だと言うなら、遠慮なくお前らの人生徹底的に破壊して遊びます
残念でした〜w
引っ越しで断捨離してたら、河田くん(仮名)のことを思い出した。
ただ、なんだったんだろうと言うだけの話だけど、寝る前に書こうと思う。
小学校の同級生だった河田くんは、背が小さくて痩せていて、少し外斜視の目がエキゾチックな男の子だった。
ちびまる子ちゃんの野口さんみたいな雰囲気で、無表情かニヤッと笑っているかの2つしか見たことがなかった。
河田くんは女の子が苦手で、かといって男の子の友達も多くなく、よくひとりでいた。
私は彼のことが気になってよくちょっかいをかけていたし、私の母と彼の母がPTAで親しかったこともそれに拍車をかけていた。
河田くんは4人兄弟の長男で、狭い和室にぎゅうぎゅうに置かれた2つの2段ベッドの右下1段が彼の唯一パーソナルスペースのようだった。
枕元に派手な色のカエルのぬいぐるみと星新一の小説が置かれていた。
カエルの首を掴んで「こいつかわいいだろ」と言っていたのを覚えてる、その小さなベッドの上は河田くんのお城に思えた。
なんだか私だけは特別な存在だと全く誰も羨んでいないのに優越感を感じた。
でも、河田くんと私はそれからたいした友達にもならずにクラス替えやら成長期を挟み疎遠になったまま小学校を卒業した。
河田くんは女の子が苦手だから、男子校に進むんだとお母さんに聞いた。
川沿いの薬局は駅を挟んで反対方向で、わざわざ見に行くこともなかった。
話に登ることも思い出すことも滅多になかった。
次に聞いた河田くんの近況は、亡くなったというお知らせだった。
それは母から聞いた。
葬儀は2人で行くことになった。
葬儀場には同級生らしい学ランの子たちが沢山いて、並んでいる間チラホラ小学校の同級生も見かけたけど、どれも河田くんじゃなくて河田くんのお母さんと付き合いのあったような顔だった。
棺の中の河田くんの傍にはあのぬいぐるみのカエルが寄り添っていて、一度だけ行ったお家のことを思い出して、なんだか目の焦点がうまく合わなくなった。
お葬式のあと、お食事をしていって下さいと言われて、嫌だったけど母が「こういうのは礼儀だから」っていうから案内された席に着いた。
油っぽくて味のしない天ぷらを食べてると、隣で河田くんの高校の同級生と思われる男の子が何人かで話していた。
「どうする?明日」
思い出話じゃなかった…と思って意識を天ぷらに戻そうとした瞬間、信じられない言葉が聞こえた。
「今日こんなキツいのに、明日はサカタの通夜とかキツすぎるわ」
え?と声に出てしまったと思う。
箸を持ったまま彼らの話を聞き入ってたけど、私の知りたかったようなことは、もうとっくに話し尽くしたみたいだった。
わかったことはそれだけだった。
声をかけようかとも思ったけど、そんな野次馬みたいなこと亡くなった2人に失礼なんじゃないかと思って声が出なかった。盗み聞きしてるくせに。
それに、訃報を聞いたようにいつかお母さんが誰かから真相を聞いて、私に教えてくれるかもしれないとも思った。
結局すこしの天ぷらだけ食べて、最後に河田くんのお顔をみて家に帰った。
なんで河田くんはあんなに弟思いだったのに、とか、誰にも相談できなかったのかな、とか、河田くんとサカタくんは友達だったのかな、とか、答えの出ないことをぐるぐる考えてうまく眠れなかった。
結局今日に至るまで、お母さんが「そういえば…」ってその話をしてくれるなんて都合のいいことは起きなかった。
何もわからないしわかることもないまま、高校は卒業して就職もして今引っ越ししようとしてる。
私は河田くんのことを何も知らない。これから新しく知ることもないと思う。
あの部屋の小さな河田くんの世界の記憶だけが鮮明で、お別れのこともフワッとしか思い出せない。
私が知っている12歳の河田くんは、5年間でどう変わっていったんだろう。
地主さんの記事を見てから無性に行きたくなって初めて行ったレポ
最初に謝っとく
前置き
ちょい郊外じゃないと店がないしそもそも店舗数もそこまで多くないってのもあるし
本題
土曜11時半
まだすいてるかなという感じ
入り口で新人名札をつけた大学生っぽい男性が声を張り上げていらっしゃいませと言う
検温もあった
一人だったのでカウンター席へ
一蘭みたいな感じだけど店内広いし自分のスペースも広いから圧迫感はない
注文は眼の前の仕切りに貼り付けられたタブレットのタッチパネルで注文する方式
とりあえず地主さんリスペクトで肉ごぼう天うどん750円と、かしわおにぎり1つ100円、ぼたもち1つ130円をチョイス
うん、まあふつうの見た目通りのかしわおにぎりとぼたもちだなという感じ
ぼたもちが地主さんの記事よりさらに値上げして130円になってた
うどんきた
実は今26日くらいまでは大盛り無料(新生活応援とかなんとか)だから大盛りにしたのだ
長さ10cmくらいのごぼうの天ぷらが5本と、甘辛くにた肉、ねぎが少々、資と文字の入ったかまぼこ2枚
つゆはあっさり目だが、肉の味とごぼう天の天ぷらが時間経過で剥がれてとけてきてどんどんあぶらっぽくくどくなってくる
ごぼう天をあとにとっといてちまちまとろろ昆布とうどん食ってたんだけど、
ふと気づいてごぼう天もちあげたらつゆに浸かってた部分がフニャフニャどころから衣がはがれてた
あわてて全部たべたけど正直失敗
この失敗を日曜にも繰り返してしまった
最初からうどんにごぼう天がのってるのは初心者が上手に食べるハードルが高い
仮に注文したものが届いてそっこー食べようとしても、
運ぶ人とか順番の関係でつゆに浸かってる時間があってすでにふにゃってる可能性も高い
うどんの麺はつるしこ
牧のうどんほどフニャフニャではないが、丸亀製麺ほどしこしこ固く感じることもない
割と好みだった
トッピングかけ放題なのはとろろ昆布、七味、つけもの(黄土色のたくわん)、天かすだけだったし
うどん食いおわったときはそうでもなかったけど、デザートとしてぼたもちを食ったら一気に腹が膨れた
よるまでおなかすかなかった
日曜16時
まずはおでんを物色
あと3,4種類も品切れであまりやる気を感じられない
あと値段みてびっくり
やすいので100円、そうじゃないのは150円とか
地主さんの記事だと昔70円で記事のとき10円うpで80円になってたっつってたから、
80円、せいぜい90円だと思ってたのに
100円ならわざわざ資さんうどんでくうほどのことはないけど・・・
せっかくだからお試しで、と頼んだ
牛串とかも食いたかったけど150円は高い
んで席に戻って食う
見た目通りの味で、これで100円は高い、と感じた
(かけうどんが370円。ごぼう天単品が110円だから、ごぼう天うどんとして頼んでも別にお得ではない。
つまり初日の肉部分のトッピングだけで270円。それに気づいたから今日は肉なしのごぼう天うどんにした)
んできのうと同じ失敗をした
時間おくとふにゃるどころか衣がはずれてごぼう天うどんじゃなくてごぼうと天かすうどんになっちゃうんだよ
まじで失敗
別に頼んだらごぼう天5本110円でこれはめちゃ安いしコスパいいと思うし
ごぼう天うどんくったあと腹八分目でちょうどいいカンはあったけど、
どうしてもカレーを食べてみたくて頼んでしまったカツカレーを・・・
そんで1/4くらい残してしまった・・・本当にごめんなさい・・・
カツカレー840円
カレーは中辛、となっている
正直、辛くない
ただ、運もあると思うけどカレーの具の牛肉が割と多めな気がした
カツ
ロースハム4枚分くらいの厚さのハムカツ、もしくは駄菓子のビッグカツ2枚分かという感じ
カツ!!!カレー!!!を期待してこれがきたらがっかりするよ・・・
それもあっておいしくてどんどん食べ進める、ってことができなかったのも多分あった
これで840円はかなり割高だなあ・・・
あとメニューみてはじめてしったのがロッテとコラボして雪見だいふくぜんざいってデザートもあった
さすがに入らなかったし、ただ雪見だいふくいれただけならそこまで・・・と思ったし
別件だが雪見だいふくも小さくなりすぎてんだよな・・
総括として、昔の値段でこのクオリティならよかったと思う
ただ値上げした今となっては割高で値段に見合ってないように感じて、いまいち満足できなかった
ごぼう天とかはてめえの食い方が悪かっただけだろと言われるかもしらんが