はてなキーワード: ドッジボールとは
埼玉はまあどうでもいいんだけど。
南京とかアウシュヴィッツが無い、捏造って言ってる人って結局今言われてるような、って意味で言ってるのがほとんどに見える。
でもそれを受けてありましたって人はそれ自体の有無として憤ってる場合が多いように思う。
原爆が捏造って言われたらどう思うかって言い方をしてる人も見たけどあー捏造って言ってる人の話通じてないんだなって思った。
どっちが正しいとかじゃなく客観的に。
だって見てたら捏造って言ってる多くの人の言い分はどうも実際の罪より大きな罪だと騙られているって理不尽さを前に挙げたものでそれに対しての反論としてはあんまりよく分からない。
アメリカだって原爆5発落としたとか1000万人が死んだとか空襲は敵国日本を憎み殲滅する意図で主に民間人を殺す目的でレジャーのようにやったとか言われたらまあ普通に捏造だそれは違うって否定するんじゃない?って思うし。
国として主張してる、とする事に対して大きく離れたり証拠が精査されていなかったりバイアスがかった想像が含まれていそうな事ならって意味で。
捏造派が主張してるのはそういう事なんだし。
捏造派の立場や展開する言い分が正しいって事じゃなくて是非とか証拠の有無とか信用性とかじゃなくあくまで論理の構造と立場の話として。
感情面の事なんて反証し様なんてないけどそれでもそれは違うって言うと思うし実際アメリカさんも南京虐殺じゃないって言ってる人がよく言うやつと同じように大空襲の民間への攻撃問われて事前に逃げろってビラ撒いたし軍に関連するかしないかなんて分かりようがないんだからって言ってるわけで。
だからってその違うって否定がアメリカが当時民衆を殺した事を何とも思ってない証拠だって言うのは飛躍してるなと思う。
殺人で5人殺した奴に10人殺したって言ったらそんな事実ない捏造だ、って反省してようが元々の罪を認めてようが言うだろうしそういう話だと思う捏造派が言ってるのは。
繰り返すけどそれが正しいって話じゃないよ主張の論理の話。
でもそれに対して憤り、悲しむ人はその否定は全ての否定だって捉えたり人を殺す事自体の恐ろしさを説いたり殺したって事実に向き合うべきだっていうような事を言ってる。
そこで言うなら加害側とされる方が確実な証拠を反論として出せないならそこを違うと否定するのは倫理的に傲慢である、とかそういう類の話だと思うんだけど。
あるところで認知バイアス的。
ただただ噛み合ってないなって思う。
証拠とか証言とかそれぞれが実際どうかとかじゃなく外野から見てて言い分がキャッチボールやドッジボールどころか相手の頭高く遠投し合ってるなって印象。
相手のボール取れないから目端で追いながらこれがあなたの投げたボールですってポケットから自分のボール出して相手に投げてる感。
個人的には中国とかドイツとか日本とかユダヤとか埼玉とか高須とか関係なく、実際それをやったのなら中身が違っても否定するな、その違うって主張はやった事を認めてないのと同じだって論は意味分かんないなって思うけど。
実際の証拠があろうと無かろうと本当に10人殺してようと5人だろうと関係なく発想自体に法倫理的に引いてしまう。
けどその否定であり自身の正しさの主張ってその要素自体に中身関係なく被害者感情は煽られ傷つけるものなんだそれは酷い事なんだこれ以上何を傷つけようって言うんだって考えは理解はできる。
でもやっぱりそれが理不尽だ公正でない確実な証拠がない事なら語るべきではないって言い分も分かる。
語るべきでないとする事に対しての100%やってない、は100%やった、と程度は同じだと思うけど。
遠投してないでキャッチボールすればいいのにって思う。
わざと取れない方向に投げてる人も多い気はするけど。
学校に行きたくなかった。
少なくとも破滅的に悪い人は居なかった。
体育の授業が苦手だった。
運動神経が悪くてつらかった。
でもそれだけならそれ大変だってだけだったと思う。
ドッジボールが駄目だった。
①逃げなくてはいけない
どんくさい私には難しかった。逃げられずにチームの足でまといになるのがいやでいやで仕方なかった。
②ボールをぶつけられる
痛い。単純に痛い。人からボールをぶつけられるの怖くてたまらなかった。バレーボールがたまたま狙いが外れて当たるのとは訳が違う。
明確な意思を持って人に狙わられるその心理もボールの重さも痛くてたまらなかった。
③ボールをぶつけなければいけない
嫌だった。誰かを狙うなんて嫌だった。強い子を狙後々が怖かったし、弱い子を狙うのは自分が狙われてる時を思い出して心がぐちゃぐちゃになった。自分と関係が良くないクラスメートも狙えない。仲が良くて強い子なら狙えるけど、そんな子が味方チームだったり外にいたりすると何も出来なくて、パスを回してブーイングされたりした。つらかった。本当に辛かった。
体育の授業でだけならまだ耐えられたかもしれないけど、毎日休み時間にやらされた。
体育の授業は毎日じゃないけど、ドッジボールの練習は毎日だった。
昼休みつらかった。
楽しい座学授業も給食もドッジボールがあるというだけで心が黒く重く塗りつぶされてつらかった。
大人になったらもっと大変なんだから子どものうちに我慢することに慣れなくちゃって思って頑張ってた。
こんなに嫌だったこと、大人になったら笑い話なるんだろうなと思ってた。
大人はすごく大変で、自分はこんなドッジボールごときでくじけて弱音を吐いてはいけないのだと思ってた。
後悔している。
我慢するべきではなかった。
大人になって大変なことはもちろんあるけど、子どものつらさより大人のつらさの方が「偉い」なんてことはない。
ある程度の我慢はもちろんしなくてはならない。わがままばかり言うことは出来ない。
でも心が歪むほどつらかったのならそこから逃げ出していいのだと昔の私に言いたい。
大変だね。頑張ってるね。つらかったら逃げていいよ。
大人はもっと大変とか、私より貧しい人はもっと大変とか、私より頭悪い人は大変とか、私より鈍い人はもっと大変だから、とか我慢しなくていいよ。
「普通」か「普通より少し恵まれている」あなたの大変さはなかなか理解されにくいけど、だからって大変じゃないってことにはならない。
でも学校から逃げて将来生活していけるのか?って不安あるよね。
死ぬくらいなら不登校で良いよって言う人は多いけどそれで将来どうすればいいのか提示してるひとは少ない。
ツクヒは普段から不機嫌が服を歩いているような人間だったが、この日は特に虫の居所が悪かったようだ。
体調が完全に回復していないのだろうか。
それとも昨日は寝入りが悪かったのか、はたまた寝起きの低血圧か。
朝食を食べ損ねたからなのか、朝の占い番組の結果がダメだったのか、エレベーターが中々こなかったからなのか、通学路の信号で尽く足止めをくらったからなのか、気温がいつもより低めだったからなのか、湿度が高かったからなのか、変なところで足をつまづいたからなのか、苦手な先生が話しかけてきたからなのか。
結局のところ理由は分からないけれど、当の本人すらよく分かっていないんだから、俺に分かるはずもない。
でも分かっていることだってある。
何かを指摘して、それが結果的に合っていても間違っていても、火に油を注ぐ可能性がある。
「どうしたの? 随分とイライラしているね。食生活が偏っているんじゃない?」
対立は決定的となった。
「御託は結構」
ツクヒは、ペットボトルの飲み口部分を握り締め、既に臨戦態勢だ。
俺たちはそれを止めようとはしない。
いま、あの場にいるのはツクヒじゃなくて、俺たちの誰かだったかもしれないのだから。
「ブリー君。どうしても断る理由があるのならいいけど、ないのなら受けて立った方がいい」
「ブリー君には自覚がないようだけど、これは必然的な戦いなんだ」
「もう、分かったよ。やればいいんでしょ。でも、何でペットボトル……」
気圧されたブリー君は、渋々といった感じでペットボトルを握り締める。
このペットボトルを武器にして戦う慣習は、学校の生徒たちによって作られた。
なぜこんな方法が生まれたかというと、「怪我をしにくいため」。
そして何より「子供のケンカに大人がしゃしゃり出てこないようにするため」だ。
だけど、これは両方とも大人の言い分だ。
お年玉と一緒さ。
身勝手な大人は、その“お年玉”を子供たちが与り知らぬところで使う。
そんな状態で、もうどうにも止まらないことが起きた時、子供だけの社会で何ができる?
大人たちが毎日どこかでやっていることより、遥かに平和的なケンカだ。
なのに、出しゃばりな大人たちは大きく騒ぎ立てるんだからバカげている。
同じ人間として扱っているようで、内心では子供たちを見下しているんだ。
だから、違うレイヤーに平然と土足で入り込み、その干渉が正しいとすら思っている。
そんな大人たちに、俺たち子供の世界を侵略されるのはゴメンだ。
そうして当時の子供たちは、子供たちによる子供たちのためのルールを自然と作っていった。
それは時代によって形を変えつつも、今なお残り続けている。
このペットボトルによる戦いも、その一つってわけだ。
そして今、その火蓋は切られた。
「おい、ブリーどうした! 腰が入ってないぞ!」
「いや、だって、ぼくはこれ初めてだし」
「ビギナーであることを言い訳にするな。オレはこの容姿のせいで、10戦10敗だ」
「それ、きみが弱いだけじゃ……うっ、脇はやめて」
今回使われていたペットボトルは、エコタイプだったので柔らかめ。
しかも、二人とも運動神経がよくないから、勝負の内容は凄まじく泥臭かった。
「さっきからお前は、口だけか!」
「ぐっ……ぼくは間違ったことを言ってない」
「“間違ったことを言ってないだけ”だ! お前はそれをウィルスのようにバラ撒く! だからみんな近づきたくないのだ!」
それでも俺たちは見入った。
ツクヒがブリー君に投げかける言葉、振り下ろされるポリエチレンテレフタラートによる一撃。
それらは、いつか誰かが実行していたに違いない。
それがツクヒだったというだけだ。
「オレはまだまだギブアップしないぞ!」
「こっちだって!」
ブリー君も雰囲気にあてられて、ペットボトルの振りが本格的になってきた。
「いいぞーやれー!」
「チャイムが鳴るのはまだ先だ! 頑張れー!」
ドッジボールをしていたときよりもエキサイトする、とても自由で豊かな感覚だ。
「あなたたち! 今すぐにやめなさい!」
だけど、終わりは突然だった。
俺たちによる俺たちのための闘争は、より力のある人間によって簡単に介入され、無理やり組み伏せられる。
それをしたのがルビイ先生だとは思ってもみなかったけど。
体罰否定派の想定している「体罰が使用されるシチュエーション」っていうのは
・子どもに100点を取ってこいと言ったのに98点しか取れなかったので、ビクビクおどおどして謝る子どもを骨折するまでボコボコに殴り次回は必ず100点を取るように命令する
みたいな感じだけど
体罰肯定派の想定している「体罰が使用されるシチュエーション」は
・スーパーで両手をめちゃくちゃに振り回しながら超音波のような奇声を発しつつ爆走して商品棚に突っ込んで積まれた商品を崩落させたのに知らん顔で立ち去ろうとする子どもを捕まえて頭を平手打ちして叱る
くらいの差があると思う
はてなーは高等遊民多そうだから信じられないかもしれないけど子どもなんておとなしくて聡い子の方が少数でほとんどがワガママでバカな獣だよ
緘黙より多動、いじめられっ子よりいじめっ子メンタル、読書はつまらないけどドッジボールは大好き、他人への思いやりより堂々と自分を優先する、そっちの方が普通
体罰は絶対に絶対に反対!話せば必ず分かってくれる!とか言ってるはてなーも地方の公立小学校とかに放り込まれたらすぐ発狂して体罰肯定派になるよ
冬休みに入る少し前、衣替えが済むかどうかのビミョーな時期。
「この度、私たちのクラスに新しい仲間が増えます。さあ、どうぞ入ってきて」
担任教師のしゃらくさい言い回しと共に、その転校生は教室に入ってきた。
第一印象は可もなく、不可もなくって感じだ。
強いて言うなら風貌が若干イモくさくて、身だしなみにはやや無頓着なタイプってくらい。
「ええー、転校生のブリー君です。両親の仕事の都合でこちらに越してきました……はい、どうぞ」
「……」
教室内が、妙な静かさで覆われた。
担任も俺たちも戸惑う。
「あのー、ブリー君?」
「先生、『はい、どうぞ』と言われても、どこに座ればいいか分かりません。空いているところを適当に座ってもいいので?」
「え……あ、うん。それでもいいけど、その前にみんなに自己紹介をしましょう」
「うん、そう。じゃあ自己紹介どうぞ」
「う、うーん……そうかもしれないけど、本人から直接言った方がいいかなあって」
「自己紹介した方が良かったのなら、先生が紹介する必要はなかったのでは?」
こりゃあ、中々に面倒くさそうな奴が来たな。
俺だけじゃなく、この時みんなそう思った。
それから数日経ったが、この転校生の厄介さは俺たちの予想以上だった。
例えば体育の時間など、グループで何かをやる時はそれが顕著だ。
「今日はドッジボールをやりまーす。出席番号が偶数の子はAチーム。奇数の子はBチームに分かれて」
この時、俺はAチーム。
「そもそもボールをぶつけるゲームなんて、危ないのに何でやるかなあ。それに、ぼくみたいな球技の苦手な人間まで巻き込んでやらせないでよ。共産主義とか現代の遺産なのにさあ」
ボールを捕れなくても、内野で避け続けているだけで相手のミスを誘えるし、時間切れに持ち込めば残り人数で勝利に貢献できる。
能力や積極性に違いがあっても、誰もがチームの力になれるゲームなんだ。
体育でやるスポーツとして鉄板なのは、それなりの理由があるわけだ。
……とドッジボールの良さを俺たちが説明してもなお、ブリー君の調子は変わらない。
「あ~あ、突き指とかしたくないなあ。ボールのゴム臭さも気分が悪くなるし」
当然、チームの士気は下がり続ける。
それと同時に、俺たちのブリー君に対する評価も下がり続けることになる。
まさか、こんな形で足を引っ張る人間がいるなんて思ってもみなかった。
俺たちはどんな遊びにおいても、どんな鈍くさい子でも、いないよりはいたほうが良いと思っていたし、楽しいとも思っていた。
だけど「こちら側のどこからでも切れます」が切れないように、何事も例外というものはある。
その例外が自分たちの身の回りで起きたことは衝撃的だったけど。
通っていた教室では年に1度発表会があって、多分強制じゃ無かったんだろうけど、当時はお月謝とか教室のシステムとか何も知らずに、ただなんとな〜〜く通っていたので、なんとな〜〜く発表会にも出席していた。
正直、ピアノの練習は好きじゃない。先生が発表会のために選んでくる曲は毎年複雑な曲になっていくし、やんちゃだったので、ピアノのために学校の体育なんかで指を怪我しないように気をつけるのもめんどくさかった。というか指をほぐす運動?運しの練習?のただ単調なアレ(名前忘れた)が最大級にウザかった。最高に楽しくないと思う。そんなのよりもう弾ける好きな曲弾いてた方が楽しくない?って感じだった。もっと言うと、音楽のセンスが無かったし、ピアノに没頭できるほどの興味も多分なかった。いつだかにのだめカンタービレのドラマとか映画とかを見て「ふーん、音楽が好きな人はこんな考え方をするのか」なんて思った記憶がある。
ここまで書いたけど、教室に通うのはそんなに嫌いじゃなかったと思う。教室ではでっかいグランドピアノが弾けるし、きちんと調律されてる綺麗なピアノだし、友達もいたし。
発表会だからって練習する曲は増やされるし、難しいし、怪我しそうなドッジボールとか避けなきゃいけないし、レッスンの時に先週より上手くなってなかったらいつも以上に怒られる。
ここまではまだいい。
発表会当日には、無駄に着飾らされて、母に連れられて遠い会場に来て、順番待たされて待たされて、そんでめちゃめちゃ大勢の前で震えながらなんとか1曲弾いて、それで終わったと思えば写真をしこたま撮られ、先生や友達の家族に挨拶をさせられ、そうすると母親たちの世間話が始まって、子供の私はまた長時間待たされるのである。クソ楽しくねえ
さらに言うならば記念写真の時間が世界で一番大大大大大大嫌いすぎる。大多数の人類には分かんないだろうけど、私は写真に私が写ることが、台所に出てくるGくらい嫌いなんだ。理由を考えたこともあったけど、嫌いなもんは嫌いなんだよバーローとしか思い至らない。というか変に着飾らされた小学生のブスが写真写り良くなるわけがないだろ。
あと、発表会が終わったあと、会場の至る所で花束を抱えている生徒がいたのも、両親のみならず祖父母叔父叔母あたりが駆けつけてくれてる生徒も羨ましすぎた。父親は子供に無関心だったから仕事が休みでも来てくれなかったし、家族や親戚にも来てくれる誰かや花束をくれるような誰かはいなかった。
変に着飾らされて、上手くもないピアノを大勢の前で弾かされて、死ぬほど嫌いな写真に撮られて、隣には母親ひとりだけで、花なんて持ってなくて、ひとりで帰ることも出来ずにただ母親たちの世間話が終わるのを待ってるブス(私)。最ッ高に最低な日でしょ。初めて働いた居酒屋で「掃除してきて」って言われて座敷で仕切り板ずらしたら大量のGが出てきた日くらい最低だと思う。今思えばそんくらい嫌だった。ちなみにGは泣きながら雑巾で潰したし、その後バイトは辞めたし店は潰れた。
結婚したくないし、できる気もしないけど、もし将来子供が出来てピアノを習わせることがあったとしても、子供が発表会出たい!やりたい!って言わない限りは発表会させたくない。だって私の子供だし、未来の旦那が相当な陽キャじゃない限り、きっと私と似たような趣味嗜好・思考回路になる。子供に習い事させるのがステータスみたいな風潮あっても、やりたい/やりたくないをはっきり言える歳になるまでは習い事極力させない。絶対させない。させたくない。
私ならよくわかんない年齢の時に「ピアノやりたい?」ってしつこく聞かれて「(よくわかんないけど)やる〜」って答えさせられてなあなあでピアノやらされ続けるの絶対やだ。実際よくわかってない年長さんのころから始めて、なあなあで中2くらいまで続けてしまった。こんなこと次世代にまでさせていいわけがない。断固拒否する。
いや恋人すらいないんですけどね
なので神に贔屓にしてもらったが故の、持って生まれた才能がある。
それに加えて割かし努力家。
強くなるための環境も出来ていた。
何よりゲームみたいなシステムが跋扈しているこの異世界は、文明こそ遅れていたが酷く快適だ。
そんな俺が、この異世界で活躍することは定められた運命に近い。
これまでの功績は控えめにいっても半分以上は俺の手柄ではあるが、それでも恵まれていたことは否定できないだろう。
そんな俺でも、長く冒険を続けていればピンチの一つや二つあってもおかしくはない。
だけど、そのピンチを切り抜けることが可能な“奥の手”がある。
ヴェノラ「明らかに嫌なヤツめ、溜飲を下げさせてもらうぜ! ジャストコーズ・オン!」
その奥の手こそが「ジャストコーズ」という、俺に備わっている独特なパワー。
正当な理由があるとき、目的を最大限遂行するための力を一時的にその身に宿すことができるのだ。
ヴェノラ「ジャストコーズ・ドッジボール! これで頭に対するあらゆる攻撃を無効化できる!」
粗野な冒険者「なんだ、それは! すごくズルいぞ!」
発動しなくても何とかなることは多いが、発動できればどうにかできることが多い。
その圧倒的な効果により、目の当たりにした敵の多くは口々に「ズルい」と負け惜しみをほざく。
俺もズルいパワーだと思うときもある。
こう言ってしまうと、ジャストコーズを使っていれば楽勝ムードだと思う視聴者もいるだろう。
ヴェノラ「俺のジャストコーズは魔法じゃない。つまり、それで放たれるマジックリーンも魔法属性ではないので防げない!」
魔法使い「そ、そんなズルい」
もちろん俺はすごい人間なので、それを尽く挫いてきた。
ジャストコーズが目的を最大限遂行するための力であるならば、それを防がれる道理はないからだ。
だが、そんな中でも予想外な対策をされ、酷く狼狽したのがこのエピソードだ。
ヴェノラ「ジャストコーズ・オン!……なぜだ、発動しない!?」
ウロナ「……ああ、そっか! 今のヴェノラには、それを行使するだけの正当な理由がないんだ!」
ヴェノラ「正当な理由がない……?」
ウロナ「ヴェノラはいつも相手を『嫌なヤツ』だと言ってからジャストコーズを発動させてきた。でも『嫌なヤツ』だという理由だけじゃ足りなかったんだ。他にも、ちゃんとした理由がなきゃダメなんだ」
ヴェノラ「な、なんだって!? 嫌な奴を懲らしめて溜飲を下げたいってだけじゃあ、正当な理由にならないのか!」
この時まで、俺はジャストコーズの発動条件を勘違いしていたんだ。
仕方ないので俺の元々のスペックで何とか懲らしめたが、この傭兵くずれが俺よりも強かったら危なかった。
今回のエピソード以降、敵以上に俺もジャストコーズについて考える必要が出てきたわけだ。
「今まで万能だと思っていたジャストコーズに、こんな弱点があったなんて! これをリアルタイムで観たときは衝撃だった」
「ジャストーコーズで勝利という流れが定番になってきた頃に、このような展開を入れてくるのがすごい」
「久々に己のスペックだけで勝利するヴェノラの戦闘シーンは迫力満点!」
「『そもそもジャストコーズを発動させない』という対策をしてきたこともそうだけど、それをポッと出のモブキャラがしてきたことも予想外だった」
18卒で、今ニート。
金銭的に裕福じゃないから、きちんと仕事をしようと求人サイトを漁るけどその先の行動がなかなか起こせない。
世の中の人は特別興味のある仕事なんてしていない、生活のため世間体のためそうするのが当たり前だから好きでもない仕事をしているらしい。
ネット上でもリアルでも、社会人の職場への不満は散々撒き散らされている。
毎日毎日満員電車に乗って東京に出て靴底すり減らしておっさんの顔色伺いながらやりたくもない仕事して将来の保証もなく理不尽に耐え忍び少ない手取りで生きていくのが怖い。
じゃあフリーターかと言われると、その選択は正社員以上に未来がないのが見えてる。
どうしよう仕事を見つけなければと焦る。まだ待遇がましな正社員への道があるのは若いうちだけ。
わかっちゃいるけど、面接でオフィス訪問しただけで辛くなってくる。
就活し始めてから色んな社会人に会ったけども、みんな精神強すぎるのかぶっ壊れてるのか。
社会人たるもの甘えた学生時代とは違って、お客様へ笑顔を提供するためにこんな事業をやっておりますそのためだったらなんでもできるところで甘えた学生の皆さんなんでうちを志望したのその経験難の意味があるの給与については聞くな休みについてもだ楽しいことなんか求めるな仕事は辛くてあたりまえこっちが期待してる答え言えよああそうだわたくしはこの会社に入れて社会貢献できて大変幸せだと思っていますさあみなさんもどうぞ。にこにこ。
こういう人たちに囲まれて染まっていくのも怖い。毎日毎日楽しいこともなく社会貢献とお客様の笑顔のために辛い思いして働く想像ができない。
社会人なんだから楽しくなくてあたりまえ辛くてあたりまえと言う人が必ずいるけども、ナニもオフィスでゲームやって漫画読んでドッジボールしたいとか言ってるわけじゃない。
同年代と気負わず談笑とか将来開けてるとか、新しい発見とか余裕とか、そういうものが楽しみ。面白みといった方が近いか。
辛くて当たり前というけども、履歴書手書き問題のような不満が多くて必然性を欠くものはなくてもいいんじゃないですか。だめか。
手書きもできないようなやつを弾くため、適正を見ているんだ、社会はそういうものだ。
と言われればその時点でコールド負け。
そうはいっても、こういう世界で週5日8時間以上毎日働いてる人の方が多数派だ。自分もそれになろうとしてる。お客様の笑顔のためじゃなくて生活のためだけど。
これ読んでるどこかのだれかさん。
おそらく働いてる人もいるでしょう。なんで毎日仕事行けるの?秘訣ある?子供時代から精神強かった?疑問に思ったことない?
ないんだろうなあ。
最後に同じニートに言っておく。就活エージェントはやたら足元見て追い詰めて来るけど、会社ごとに言ってることも紹介求人内容もバラバラだからあんまりショック受けんなよ。あれ商売だから。
なろう版(同一内容):https://ncode.syosetu.com/n0012dq/
「おはよう」
水曜日の朝、母さんはいつものように、リビングでコーヒーを飲んでいた。
「もう朝ごはん食べる?」
「うん」
母さんはお皿にフレンチトーストを2枚載せて、テーブルに持ってきてくれた。
「あのさ」
「ん?」
「やっぱり、ただの夢だったみたいだ」
「夢って、上履き隠しの?」
「うん。昨日、犯人がわかったんだ」
「そう、良かったわね」
今にして思えば、狐につままれたような気分だ。
俺は家を出て、学校へ向かった。
いつもより少し早く着いたけど、こんな時間でも、校庭では縄跳びをして遊んでいる奴が何人かいる。
東校舎の玄関の下駄箱は、男女別にあいうえお順に並べられている。こんな早くから教室にきている奴も結構いるんだと、収まっている運動靴の多さでわかる。
俺はプーマの運動靴を脱いで、下駄箱にいつも通り収まっている上履きに履き替えた。
ぼーっとしている奴もいれば、最近おはスタで放送が始まった『デュエル・マスターズ』の話をしている奴もいる。
タカヒロはまだ来ていないみたいだった。
「あ、ケン君」
ユカだ。
「あ、もう知ってたんだ。良かった。でも、大変だったね」
すごく大変だった。
「アヤちゃんに謝ってもらわなくていいの?」
「いや、もういいよ。早く忘れたい」
俺は本心でそう言ったけど、ユカは怒っているようだ。
その時、
「おはよー」
その声を聞いて、ユカが叫ぶ。
「アヤちゃん! こっち来て!」
良いって言ってるのに。
「なに?」
「『なに?』じゃないじゃん。 アヤちゃんのせいでケン君がどれだけ……」
「ごめん」
アヤネが呟いたから振り向くと、やはりいつものように、まっすぐ俺の目を見ていた。
「もう、良いよ。名乗り出てくれて助かったよ」
あれはそれなりに勇気が要っただろうと俺は思っていた。あの時アヤネがああやって叫んでくれなかったら、俺は今でも自分を責めていたかもしれないし、クラス中から変態だと思われていたかもしれないんだ。
「良かったね、ケン君優しくて」
タッタッタッ
「はぁ、はぁ、はぁ」
タカヒロだ。
「ケンジ、僕さ」
「よお」
「悪かった。昨日、あんな言い方して」
「ああ、あれはもう」
「違うんだ。僕は、本気でケンジが変態だと思ってたんじゃなくて……」
当たり前だろ。なに言ってるんだ。
「でも、誰もお前のこと疑ってなかっただろ」
「それがさ……」
そう言ってタカヒロは、アヤネに目を遣る。
「アヤネ、あの時、密告用紙になんて書いた?」
『密告用紙』……? なんのことだろう。
それを聞いたアヤネは一瞬驚いたようにした後、「耳貸して」と呟いて、タカヒロの耳元で囁いた。
タカヒロが同じようにして囁き返す。
アヤネはタカヒロの右手を彼女の左手で取って、彼の掌に人差し指で字を書いているようだった。
「あぁ、やっぱり」
「昨日、親に連絡網見せてもらって、ヒロミの漢字確認してさ、『もしかしてこれか』って……やっぱりそうだった」
「ケンジ、あのさ、僕の名前の『弘』って言う字、『弓』にカタカナの『ム』なんだけどさ、あれヒロミの『ヒロ』と同じなんだ」
混乱する俺の耳元に、アヤネが筒を作るようにして両手を置いて、筒の反対側から俺の耳に声を吹き込んだ。
「おとといケンジ君が休んでた時、先生が密告用紙配ったの。それで、私がその、ヒロミの名前を書いちゃったから、その『弘』の字をタカヒロ君が見ちゃったんだって」
「お前、そんなことであんなに慌ててたのかよ。マジダッセーな」
「け、ケンジだって、あんなに取り乱して、お前自分がやったと思い込んでただろ」
言われてみれば、お互い様だった。
放課後、俺はいつも通り、タカヒロと一緒に駅の側道を歩いた。じつに8日ぶりの『いつも通り』だった。
『こちらは世田谷区役所です。光化学スモッグについてお知らせします。ただいま光化学スモッグ注意報が発令されました。外出や屋外での運動、お急ぎでない方の自転車の運転は———』
その瞬間、頭の中でなにかが弾けた。先週の水曜日、9月8日も、俺はこの放送を聞いていたんだ。あの日は注意報が出ていたから、誰も外でドッジボールなんてやってなかった。遊びたい奴は体育館に行ったけど、俺は気分が乗らなくて、こいつと教室に残ってぼけっとしてたんだった。俺は下駄箱にも行っていないし、水槽にも、校庭にも行かなかったんだ。
「……よし、やろう。久しぶりに!」
「ピアノは?」
「光化学スモッグ注意報出てたら、休みなさいってどうせ言うからさ、うちの親。外で運動するわけじゃないのにね」
「は? エディットキャラありでやろうぜ」
「んー、じゃあ両方やろうぜ。合計勝ち数で勝負な」
「なんでもいいよ、僕が勝つから」
「うっざ。絶対後悔させてやる」
(完)
「先生、遠藤さんの上履きがありません!」は、第9話「ケンジ」をもって完結といたします。
今までの人生を振り返ってみて、やはり最初に思うのは「失敗だった」ということです。何が失敗だったか、どこからが失敗だったか。色々と考えてはみますけれど、明確に何が、どこからが、というのはわからず、強いて言うのであれば最初から、何もかもが失敗であったと思います。
幼稚園に通っていた頃、私は1人で遊ぶのが好きな子だったそうです。みんなが仲良く遊んでいる中、1人でいたのだと。そのような記憶は自分にはありませんが、今考えれば納得はできます。私の社会性の無さというものはその時点で明確に顕れていたのだと思うのです。
小学生の頃の記憶はあまりありません。あったとしても、嫌な思い出ばかりです。途中まではそれなりに、上手くやっていたかもしれません。私の社会性の無さ、性格の歪み、それらを隠すことが出来ていました。しかしそれらが露呈する出来事がいくつかありました。
一つ目は、小学五年生の頃だったかと思います。転校してきた男の子に、何故か好かれました。私も小学生でしたから、好かれていると思うと、相手が気になります。それが恐らくクラスの女子の気に障ったのでしょう。色々なことを言われました。一番言われたのは、男好き、ぶりっ子などという言葉です。
私は、クラスの女子のように、教室の隅に集まってコソコソと話すのが好きではありませんでした。外に出て、ドッジボールやバスケットボールをするのが好きでした。だから、男子と遊んでいました。それだけです。そこに男子に好かれたいなどという気持ちは一切無く、ただ自分のしたいようにしていただけなのです。それでもやはり、男好き、ぶりっ子と言われます。ですから、言葉遣いを男子のようにしました。今思えば、くだらない反抗心のようなものだと思います。勿論無駄でした。
二つ目も、小学五年生の頃です。クラスに虐められている子がいました。クラスの女子のほとんどが加害者でした。ほぼ傍観者であった私と2人を除いて、無視をしていました。その件は、クラスの女子全員が、被害者の家へ直接謝りに行くことで収束していきましたが、その時私はとても白けた気持ちになったことを覚えています。私がもしその子だったら(勿論私はその子ではないので勝手な推測でしかありませんが)、自分を虐めてきた相手が家まで押しかけてくる、なんて状況には耐えられません。この人達はドラマか何かの見過ぎなのではないか、この一連の状況を映画のワンシーンだとでも思っているのではないか。この頃から私は、心の底からクラスの女子を見下すようになりました。しかし、どんな理由があろうとも、こうやって他人を見下すこと自体、性格が歪んでいるのです。それに、最近まで気づくことが出来ませんでした。
中学生になり、女子校に進学しました。勉強をしていなかったため、第1志望の中学は不合格でしたが。
中学一年生の夏、知り合いの、特に付き合っていない男子に、セックスがしたいと言われました。断ったら嫌われると思い、了承しました。けれど、直前になって怖くなり、何も言わず約束を破りました。嫌われてもいいから、逃げたかったのだと思います。そこまでは良かったのですが、それを母に知られました。私が学校の宿泊行事に行っているあいだ、携帯のメールを見られたのです。妊娠してるのではないかと泣かれました。あの時のことは、今でも鮮明に思い出せます。もちろん私がすべて悪いのですが、それ以降、なんとなく家族と距離を置くようになりました。
もともと小学生の頃、塾での成績が悪く、そもそも勉強していなかったことに対し叩かれたり、怒鳴られたり、やはりそれも私がすべて悪いのですが、そういったことがあったために家族とはそこまで仲がよくありませんでしたし、正直苦手でした。
話が逸れましたが、中学、高校はとても楽しかったのです。人生のピークだったように思います。私が私が友人だと思っている相手に友人だと思われているか。そういったことはここでは考えないようにします。中高と、友人に恵まれていました。
ただひとつ失敗があったとすれば、高校二年生のときです。ある人と付き合いました。その理由は、今考えれば、依存できる人間が欲しかった。それだけです。そんな理由ですから、勿論振られました。振られて、精神を病みました。私が悪いにもかかわらず。病みたいのは相手の方だったでしょう。そのとき私は死のうと思いました。けれど死ねなかった。ここで死ななかったのが、最大の失敗です。
暫くして大学生になり、新しく異性の友人ができました。その友人と付き合うことになりました。これも今考えれば、依存できる人間が欲しかった。それだけの理由です。何度も喧嘩して、頼み込んで復縁して。それを繰り返していくうちに、本当の終わりが来ました。思いの外すぐに立ち直り、1人でいるのも意外と良いものだと思いました。その過程で、今までの自分がどれだけ他人を傷つけ、苦しめ、依存し、時間を奪っていたのか、自覚しました。もう人と付き合うのはやめよう。そう思っていた矢先、別れた相手から連絡がありました。復縁したいという旨の連絡です。
その頃には私は自分にはなんの価値もないのだということが理解出来ていましたから、断るつもりでした。しかし、断ったことで相手を不快にさせていいだけの価値も、私にはありません。ですから曖昧な返事をし、気づけば付き合うことになっていました。
けれど相手にはもっと相応しい相手がいます。私といても幸せになれません。ですから、思い切って別れを切り出しました。
そして、4月から社会人になりました。私は仕事ができません。心も弱いです。他人が耐えられることに、耐えられないのです。
何より辛いのが、無価値な自分が、何も出来ない私が会社にいることで、他人に迷惑がかかっていることです。
私さえいなければ、上司も気持ちよく仕事ができるのに、私がいるせいで、注意をしなければいけない。ヒヤヒヤしなければいけない。余計な時間を使わせてしまう。
ここまで書いて、何を言いたいのかわからなくなってきました。
ただただ私は、消えたいだけなのです。こういった場所にこういったことを書けば、じゃあ消えろ、死ね、メンヘラと言われることはわかっているのです。全て分かった上で書いています。
迷惑をかけるくらいなら、生きていたくない。けれど死ぬのは怖い。
人と付き合いたい。誰かひとりに愛されたい。けれど付き合えば必ず不幸にする。私の心に問題があるから。
親孝行をしたい。けれどできない。私は結婚も出来なければ、幸せそうな顔を繕えるほどうまく生きられる人間ではないから。
親孝行もできず、付き合えば相手を不幸にし、働けば他人に迷惑をかけ、挙句の果てにはこうやってインターネットにどうしようもない文章を放り込む。
もっと書いてすっきりしたいことはあったはずなのですが、思い出せません。これだけ長々と書いて、言いたいことはこれだけです。
どうすれば、うまく生きられるのですか。
小学校四年時
家から漫画を持ってきて読むことにした。我ながら中々のワルである。
読んでいたのはスーパードンキーコングのコミカライズ作品というキワモノ。
それをクラスメイトのメガネ君に見つかって珍しいから読ませてと頼まれて読ませてあげて以降
お互いの漫画を学校に持ち寄って休み時間に読むというのが俺とメガネ君の休み時間の定番になった。
クラスで漫画を読むなんてことをしていれば当然目立って、先生にチクられて怒られたら辞めようくらいに思っていたが
そうはならずに読書仲間が一人二人と増えていき、あっという間にクラス中に漫画の回し読みが蔓延した。
読書仲間の増加で漫画の供給が追い付かなくなってきたので、俺は家にある漫画を教室のロッカーにストックした。
すると読書仲間もそれに追随してくれて教室のロッカーがあっという間に漫画だらけ。
更に女子が少女漫画を持ってきだすと、漫画持ってない奴が図鑑を段ボールで持ってきたりして
こうなってくると貸し借りのトラブルが発生するのは自明の理である。
そこで図書委員だったメガネ君の提案で貸出票と管理用ノートを作成。
俺とメガネ君は貸出票の作成と管理に追われて漫画を読む暇もなかったが、
お互いを館長・副館長と呼び合って楽しくやっていた。
漫画図書館の名声は他所のクラスにまで広がり、俺はいい気になっていたが
他クラスの奴が借りにきだした時点で、担任の先生からストップがかかった。
先生はクラスで漫画図書館が運営されていること、その首謀者が俺だということを見抜いていたのだ。
教室が漫画だらけなんだからバレて当たり前っちゃ当たり前なんだが……
先生は「授業に支障はきたしていない」「皆で楽しく図書館運営している」といことで黙認していてくれたのだ。
ただ他所のクラスにまで波及してしまっては担任一人で責任を負えない。