はてなキーワード: タレントとは
VTuberへの誹謗中傷で和解金を払う羽目になった例はもうすでにある
2021.09.01
弊社所属タレントへの権利侵害・誹謗中傷行為における対策活動のご報告
日頃より、弊社が運営するVTuber事務所「ホロライブプロダクション」を応援いただき、誠にありがとうございます。
カバー株式会社では、昨年度より所属タレントに対する節度を超えた権利侵害・誹謗中傷行為に対して、弊社代理人弁護士を通じて法的措置の活動を実施して参りました。本活動について、2021 年 9 月 1 日時点で下記 2 件の対応を完了しておりますことをご報告致します。
・タレントA / 2月02日 / 誹謗中傷発言の投稿 / 弊社への和解金支払いにて合意
はてサも気をつけてな
twitterとかで「Vtuberに対する誹謗中傷は成立するのか」という話を今更している人もいるので、
大手Vtuberグループであるホロライブ・にじさんじを運営するカバー・えにからの報告ページを貼っておく。
「これから対応します」という内容ではなく、「こういう対応をしました」という報告になっているので参考にしてください。
弊社所属タレントへの権利侵害・誹謗中傷行為における対策活動のご報告
https://cover-corp.com/news/detail/20210901_1/
https://twitter.com/matsudosimasuda/likes
そですか?
男がやってても「男がやってます」とは絶対に言わないと思いますよ。— ルドルフ=ラッセンディル (@rudolph_zenda) September 21, 2021Vtuberでバ美肉と呼ばれることをしている人はいるけど、この件のVtuberの方は女性かと。さすがに批判されている動画は見た方がいいのでは。 https://t.co/EDg6jTyRT4— ただの社会人 (@toyoY9603) September 21, 2021
社長の板倉氏から「私も女性だし、VTuberのタレントも女性だし、関わっているスタッフも女性だ。」と直接抗議を受けているにも関わらずこの誤った認識を正そうともしない姿勢には恐れ入る。
元増田は単にこの機会に話題になって桶ダンスが無くなってほしかっただけだろうけど
作り物の乳揺れとテレビにジャニーズのタレントが出ることをうんざりすることとして同列に並べたブコメが星を集めた後だから
岡山かどっかで、立憲民主党の候補者が反ワクチンに決まったんだって?
立憲民主党や立憲支持者は何やってるの?
コロナ対策できてないとか、検査スンナ派とか意味分からない仲間受けだけの批判する前に、候補者なんとかしろよ。
綱領がまともに立てられないから、公約まがいの政権交代したらやりたいことリストを脈絡無く出したり、反ワクチンみたいなの担ぐんだろ。
戸定梨香の件でホットエントリに上がっているブコメを見ると、VTuberニワカが「何でただの絵と中の人を同一視するの?」と疑問を呈し、
それに対してVTuberオタクが「VTuberのガワと中身は1対1だぞ」と突っ込む構図がよく見られる。
しかし実際の所、「VTuberの体と魂は1対1」という考え方はVTuber黎明期には必ずしも定説ではなく、「中身を入れ替え可能なタレント」としての役割をVTuberに期待している者もいた。
ガワはミッキーマウスやガチャピンのぬいぐるみのようなもので、演者はあくまでそれを動かすだけ……というイメージだ。
VTuber黎明期……まだ四天王とかいう言葉が現役だった頃……というのは、3Dモデルを用いて収録した動画コンテンツが主流だった。
台本がガッチリ組まれていて撮り直しが出来る動画であれば、声さえ似せることができれば中の人を交換可能なのでは?というのは、まあさほどおかしくない考え方である。
しかし、この「ガワ=ぬいぐるみ理論」は、VTuberの主流コンテンツが収録動画からLive2Dを用いた生配信に移るにしたがって廃れていった。
演者のアドリブで成り立っている生配信では、ぬいぐるみではなくむしろ中の人の個性こそがコンテンツのキモで、中の人などいない、が成り立たないからだ。
現状のVTuberにとってのガワはガチャピンのぬいぐるみではなく、デーモン小暮のメイクに近い、中の人と融合してコンテンツを形づくる物と言えるだろう。
小暮隆以外の人間があのメイクをしてもデーモン小暮というタレントにはならないように、
VTuberの視聴者が楽しんでいるのもガワというメイクと中の人が融合したナニカであり、ガワそのものでも中の人そのものでも無いのである。
これどころじゃなくもっと直接的な未成年者への加害行為も取り沙汰されてるヤベー人だという印象なんだけど、何故か偉大な人みたいに褒め称える風潮があり、亡くなってからはいっそう悪く言えなくなった。でも私あの人がいなくならなかったらどんなに魅力的なタレントがいようが一生ジャニーズには近づかなかったよ。
ジャニオタのなかでも『全く知らないでおもしろおじさんと思ってる』『薄っすら知ってるけど注目してない・気にしてない』『知ってて問題意識がある』と層が別れているので、一概に批難するのはどうかと思うけど、「ジャニー氏が女性に性的な目を向けない(少年に向けてるから)のがわかるから安心してその世界に浸れた」みたいなことを言ってる人を見かけたときはゾッとするとともに複雑な気持ちになった。
もしかしたら呼び込みたい客層に響くの誰だ会議が開かれた結果、松下さんじゃなくて松さんと決まったため・・・とも見れるが、タレント側からの申し出、ただ松さんが好きだった、ほかにも大人の事情が絡んでる可能性も大いにあるよね
答え:「ある」 ただし、間接的に
『企業vtuberは女性による自己実現ではない』のは当たり前です。企業Vtuberは企業が創作した架空のキャラクターなので、自己も自我もありません。なのでキャラクターが男性だろうが女性だろうが自己実現のしようがありません。まずは現実と創作の区別をつけましょう。それとも、架空のキャラクターにも人権があって〜みたいな電波な話をしたいのかな。君、ワクチンを打つと5Gに繋がるとか信じてそうね
当たり前のことですが、架空のキャラクター、浦島太郎とかかぐや姫には人権はありませんし、自己も自我もありません。しかし、十全な人格・人権を有する自然人とキャラクターの間というのは、そんなにはっきり見分けられるのでしょうか?
たとえば、架空のキャラクターであっても、竈門炭治郎や両津勘吉になると、著作権者の著作人格権があるので、取り扱い方によっては著作者の人格を害する可能性はあります。これらのキャラクターの画像を勝手に修正したり、風俗店の看板に使えば、著作人格権の侵害になるでしょう。
次に、芸能人について考えましょう。例えば、所ジョージはある種のキャラクターであり、芳賀隆之氏ではありません。しかし、「所ジョージは実は犯罪者だ!」と公言すれば、間違いなく名誉棄損になり、民事では芳賀隆之氏(またはその代理人)から訴状が届くことになります。
もう少し考えてみましょう。NHK教育で放送されていた「つくってあそぼ」の主役の「ワクワクさん」というキャラクターのことは皆さんもご存知でしょう。タレントの久保田雅人氏が演じるワクワクさんは、明らかに番組のために創作されたキャラクターです。しかし、実際のところ、久保田雅人氏のタレント活動は「ワクワクさん」としてのものがほとんどであり、「タレント久保田雅人」と「ワクワクさん」に対して、どこまで別の存在だと言い切ることができるのかは判然としません。
別の例を見てみましょう、パペットマペットという芸人、あるいはコンビがいます。これは、実際に操作しているのは、後ろの黒子ですが、表に出ているキャラクターは「うし」と「かえる」です。この、本名も顔もわからない黒子にとって「うし」と「かえる」は単なるキャラクターなのでしょうか? 黒子と「うし」や「かえる」は人格的に密接な繋がりがあり、「うし」や「かえる」を否定することは、黒子の人格を否定していると判断される可能性は十分にあります。
ここで、VTuberを見てみましょう。多くのVTuberは中の人とキャラクターの間に密接な人格的つながりがあります。VTuberは、セリフのあるお芝居ではなく、シナリオの無いトークライブやゲーム実況といった、本人の人格が反映されたタレントとしての活動が中心であり、キャラクターと言うよりは、3Dの着ぐるみを着たタレントと言うべき存在です。
このように考えると、自己も自我も人権もある中の人の人格を反映させたVTuberというのは、間接的に自己も自我も人権もあると言えるのです。
コムドットについて詳しくなくとも、SNSで拡散される彼らの活動を目にする機会は多い。彼らはそのように有名になってきたのだから、彼らのファンでない私のような人間が彼らに言及することも、ごく自然なことだと言える。
彼ら、というかリーダーのヤマト氏の炎上に対する声明を読んだ。
少し調べれば、多くの人がその文章に対し強い違和感を抱いていることがわかる。今暇なので、この違和感を明文化してみようと思う。
まず、コンビニ、近隣住民への騒音での迷惑等についての謝罪がある。これはそうだろう。コロナ禍でなくても絶対にやめてほしい。赤ちゃんが寝付いたばかりかもしれないし。
ここでは明確に謝罪の対象にしていないが、彼らは当然マスクをしていない。感染症予防のため、飲食店等を除き、複数人でマスクなしで密になることは避けるべきという『ルール』がある。
コムドットはこれまでも何度か炎上しているようだ。YouTuber飲み会をはじめとするそれらは、『ルール』に違反したから炎上した。
ではここで、この『ルール』について踏み込んで考えてみよう。
ここでの『ルール』とは、法律ではないものの、社会全体の利益のために守るべきこと、とでも言い換えられるだろうか。現在におけるマスク着用はまさにそれだろう。
私が彼らの炎上やそれにまつわる弁明について調べ強く感じたのは、彼らは本当にこの、マスク着用『ルール』の必要性を理解しているのだろうかという疑問である。
マスク着用ルールは、判子は斜めに押すとか、乾杯の際はグラスを下にすべきとかそういうクソくだらない仕草ではなく、疫病の蔓延を防ぐためという目的を持ち、また明確に効果が判っているものである。マスクは本当に不便だが、私たちは自分がウイルスの運び屋にならないよう、大切な人、あるいはそうでない人を守り、この疫病を根絶させるため、マスクをして、密を避け、ときには帰省や結婚式を我慢して過ごす。
自分と他人を守るための『ルール』を履き違え、大きな問題となった、NAMIMONOGATARIというHIPHOPフェスについて、知る人は多いだろう。HIPHOPにカウンターカルチャーの側面は認めているものの、それは体制的な抑圧であったり、不条理な命令であったりに対するカウンターである。
おそらく参加者にとって、マスク着用、密の禁止、禁酒もしくは減酒というルールは、「根拠のない、上からの不条理な命令」程度の認識だったのだろう。だから破っていい。
コムドットメンバーの根底に、同じような気持ちを認めるからこそ、ファンは不安すら覚えているのではないか。
コムドットのファンには良識的な人が多いと感じる。悪いことをしたことは認めつつも、応援の姿勢を示し続けることは簡単なことではない。
だからこそ彼らは不安を抱くのではないか。自分が応援している人たちが、バカではないと信じているからである。
コムドットと『ルール』は意外と根深い関係性を持つ。彼らが盗撮を嫌い、直接ファンに苦言を呈する動画をアップロードしたことは有名らしい。
盗撮はもちろんルール違反であるが、ただちに法律違反ではない。そんなことを言い出したら、彼らの撮影中映り込む人々は、彼らを訴えていいことになる。
では何をもって悪意のある盗撮とみなすのか、その線引きが難しいからこそ、『ルール』によって彼らは自分たちの、また、ファンは彼らの盗撮を許さない。
マスクおよび密を避けるというルールと、この盗撮に関するルール、正当性については述べるまでもないが、彼らは前者のルールをたびたび軽んじ、それどころか、タバコは外で吸うが(条例違反)、他人のタバコのポイ捨てを厳しく指摘するなど、矛盾が多く見られる。
これは大きな違和感であるし、彼らもその矛盾を否定はしないだろう。だから謝罪文は早々にその姿を変える。
ヤマト氏による謝罪文は、いかに多くの誹謗中傷が寄せられ、その恐怖が如何程であるかを切々と述べている。情に訴えている。
さらには過去に行きすぎたネット上の誹謗中傷により自ら命を絶った有名人をもちだし、覚えていないのかと訴える。
ここにも大きな違和感がある。明文化するのは難しいかもしれないが、やってみよう。
まずここでの有名人はまず間違いなく木村花氏のことであろう。彼女の痛ましいニュースは私たちに否が応でも画面の向こうに人がいることを思い知らせた。もちろんそれを私たちに教えるためだけに彼女は亡くなったわけではない。
まず第一に、このタイミングで彼らが自らその話を持ち出すことに対する違和感である。
任意の誰かが社会通念上誤ったことをしたとき、「そんなに叱ったら死ぬよ!」などと言われたら、私たちはどうしたらいいのだろう?
死は究極的に個人的なものだ。100人いれば100通りの死に方があるだろう。もしそれが自死であれば、その理由は本当に個人的なものだ。
彼らはあえて木村花さんという個人名を出さないことで、これに関するそしりから逃れようとしているのかもしれないが、個人名を出せないということは、それは配慮ではない。後ろめたさがそこにあるということである。
木村花さんは、何もしていない。本当に何もしていないが、マスメディアにより悪意のある人間に仕立て上げられ、自分の意見を述べることもできず、頼れる人もおらず、また前例もないため、亡くなるほど追い詰められていたことに気づく人もおらず、孤独に死を選んだ。彼らとは土台から違う。それを指摘されたくないから、個人名を出さなかったのは、卑怯とすら思う。
自分たちの引き起こした不祥事に、無関係の故人を持ちだし、自分の死を匂わせることで、批判から逃れようとする姿勢がダサい。彼らの肩で風を切るイメージとあまりに相反する態度に、違和感を覚えるのである。
もちろん誹謗中傷はルール違反ですらなく法律違反だし、絶対に行ってはいけない。密になるよりマスクしないより騒音を起こすより、明確に悪いことである。そういう人に対し、彼らは私刑に出る必要もない。法的にアプローチすることができる。皮肉なことにこれは、あきらかに木村花さんの事件あっての効果である。
正直なところ、そんなに批判の矢面に立つのが嫌なのであれば、大きな芸能事務所に入ればいい。大きなところであれば文春スキャンダルを揉み消すこともできるし、こういった際矢面にたちタレントを守ってくれる。
しかし彼らは自由でいることを選んだ。事務所のものになり、金銭的、肉体的な縛りを受けるより、自由に活動していくことを選び、彼らのそんな姿勢がウケているのである。
自由は必ず痛みを伴う。これは、自由な者は痛みを覚えるべきということではない。痛みを受けることと自由であることは、ほとんど同じ意味であるということだ。
総合的に一貫性がない、悪い意味で、あらゆる立場のいいとこ取りをしてやろうという彼らの甘えを私たちは感じ取っており、彼らと彼らのファンが大事にする『筋を通す』ことができていないことに、失望を抱かれているというのが、現状への分析である。
全国フェミニスト議員連盟(以下フェミ議連)が戸定梨香さんの交通安全PR動画の削除を迫った件。
一刻も早く事態が収束し、戸定梨香さんの名誉が回復されることを祈っている。
仮にも議員を名乗る集団が「性犯罪の誘発すら懸念される」という表現を用いた公開質問状というフルスイングの圧力をかましたために、大規模な騒動となった今回の一件。
荻野議員らが発起人となって4万人を超える署名が集まり、フェミ議連に対して抗議文と公開質問状の送付がされるに至った。
自分も署名したが、この一件に疑問を感じている人は是非とも署名に加わってほしいと思う。
さて、長く沈黙を貫いてきたフェミ議連の回答は驚くべきものだった(まだ期日ではないので正式回答ではないことに注意・・・回答するよね?)
千葉県警等に提出した抗議ならびに公開質問状にご関心をお寄せいただいた皆さまへ 提出した文書は、公的機関としての認識を問うたものです。 当該動画の掲載も、削除も、ともに千葉県警によるものです。現在、メール等が多種の内容で寄せられており、個別に回答は致しかねます。悪しからずご了承ください。
「公的機関としての認識を問うたもの」という大嘘に加え、まさかの警察への全面的な責任転嫁という、厚顔無恥なスタイルはさすがに人々の度肝を抜いて、「全国フェミニスト議員連盟」がTwitterのトレンド入りするなど大規模な炎上騒動になってしまった。
しかし、彼女らは仮にも政治家だ。保身のプロフェッショナルだ。
ここまでアホな回答を本気でするだろうか? と考えたがひとつだけ心当たりがあった。
キズナアイNHK騒動や宇崎ちゃん献血騒動の火付け役となった人である。
しかし、自身は火をつけた後は一切の批判意見を無視し、自身の意見を発することなく賛同意見のリツイートのみを行うため、自身には炎上の火の粉が振りかぶらないという、実に保身に長けた放火魔として有名な人物である。
性的表現に対する炎上騒動はそもそもの論理に綻びがあるため、長期戦になればなるほどボロが出て自身が炎上するというのがいつものパターンだ。
キズナアイ騒動の時にも、後からやってきた専門家先生が杜撰な批評記事を書いて批判を浴びた。
このように、無理筋な擁護をしようとしてもっとヤバいやつが出てくるためにそっちに炎上の矛先が向かっていくというのが、いつもの流れなのである。
それを踏まえて、フェミ議連の声明を見ると気が付くことがある。
これは、署名が始まって以降、俗にツイフェミと呼ばれる人たちによって展開された頓珍漢な批判とあまりに同じなのである。
荻野議員のtwitterなどを見ればわかるが、フェミ議連が声明を出すずっと前から、ツイフェミたちはここに論点を逸らそうと腐心してきた。
あまりにアホすぎる上に、他に優れた批判がたくさん出回っているため、ここで再度語ることはしないが、とにかくそれぐらい浅い論点ずらしだ。
政治家ともあろう人が、この主張の危うさに気付かないとは考えにくい。
彼女らは長期戦の構えに入った。
あの声明は、批判者を説得するためのものではなく、自身の支持者(信者といってもよい)を力づけるためのものだ。
「本丸のフェミ議連が同じ主張をしているのだから、この路線で突っ切れる」という自信を与えたのだ。
こうして論戦の舞台を、自分以外の尖兵に委ねて自身は沈黙を貫こうという魂胆だ。
ただでさえ苦しい擁護なので、遠からずボロを出して大炎上する人が現れるだろう。そしたら炎上の主題はそちらに移り、フェミ議連にかかる火の粉は小さくなるのだ。
太田啓子弁護士と違って、フェミ議連という実効力を持った組織による行動というのが問題なので、完全な雲隠れは不可能だろう。
しかし、それでも長期戦になればなるほどターゲットが増え、論点が逸れ、相対的にダメージは減る。
自身の意を汲んでくれた警察に責任を擦り付けるような組織なので、自身の支持者が燃えるぐらいはなんとも思わないだろう。
とにかくのらりくらりと批判をかわし続けて、炎上が落ち着くまで長期戦で逃げようというのが、彼女らの思惑ではないかと推測される。
あくまで推測なので、彼女らの糸がこれで正しいかはわからない。心から警察のせいだと思っている可能性もある。
いずれにせよ、長期戦は彼女らを利するばかりというのは事実である。
なので、批判者側の戦略としてはフェミ議連を逃がさないことが必須だと思う。
期日までに正式な質問状への回答を出させ、その上で本人たちを議論の場に引きずり出すこと。そして、フェミ議連が送った公開質問状の是非を、きちんと白黒つけさせること。
批判者も目先のヤバいやつに釣られずにこれらの主題を見失わないことが大切だ。
vtuber戸定梨香さんの炎上及びPR動画削除が話題ですね。
フェミニスト側にもvtuber側にもそれぞれ主張があると思いますが、ある表現が過剰に性的かどうかの受け取り方にはどうしても個人差がありますので、議論が難しいところだと思います。
そこでこの増田では、戸定梨香さんのように公的組織とコラボしている/属している既存vtuberのデザインについて、淡々と記述していきます。
先例のデザインと比較することで、今回の戸定梨香さんが果たして女性蔑視と言われるほど問題があったのか確認する狙いです。
これを読んだ方々がvtuberの多様なデザインについて理解を深め、また表現について考える手助けになればと思います。
実際に提出された抗議文によると、
「セーラー服のような上衣で、丈はきわめて短く、腹やへそを露出しています。体を動かす度に大きな胸が揺れます。下衣は極端なミニスカートで、女子中高生であることを印象づけたうえで、性的対象物として描写し、かつ強調しています。」
とのことです。それでは、これらの点に注目して、数例を確認していきましょう。
※比較の性質上、vtuberの方の体型について言及する箇所があります。失礼は承知の上、どうか許していただければと思います。
https://www.suntory.co.jp/enjoy/socialmedia/nomu/
第1ビジュアルよりも第2ビジュアルの方が露出が多く、肩や脇を大胆に出し、スカートには大きくスリットが入ります(脚にはタイツを履かれています)。
胸にはシルエットがなんとなくわかるような皺が入り、股付近にはV字の皺が入ります。
股付近に入るV字の皺に関してはラブライブ!サンシャイン‼のみかん大使ポスターでも話題になりましたね。
また、燦鳥ノムさんには3Dの身体も存在しますが、胸は揺れません。サイズも極めて平均的なものだと思います。
https://twitter.com/rohto_cocoro/status/1372440042207989760/photo/1
通常ビジュアルではミニスカートで肩を露出し、別衣装ではより大胆に肩付近を露出されています。
ミニスカートの丈は「極端なミニスカート」と評された戸定梨香さんと同じくらいです。
3Dモデルでは胸は揺れません。サイズは平均より大きいかと思います。
上衣はノースリーブに近いヘソ出しの衣装、下衣はミニスカートと、戸定梨香さんにかなり近い衣装を着用されています。
3Dモデルでは胸は揺れません。サイズも平均的なものだと思います。
沖縄県の公式組織所属ではありませんが、沖縄テレビCMに出演されるなどご当地vtuber的な活躍をされており、戸定梨香さんと条件が近しいと思います。
上衣は沖縄らしい衣装で腕~脇を露出し、ヘソもちらっと露出しています。
3Dモデルでは胸は揺れません。サイズは平均よりやや大きい程度だと思います。
https://www.pref.ibaraki.jp/bugai/koho/koho/pr/characters/hiyorin/ibarahiyori.html
3Dモデルでは胸は揺れません。サイズは平均的なものだと思います。
https://www.pref.iwate.jp/kensei/seisaku/1011972/1026485/index.html
上衣には道着、下衣には袴を着用されており、露出している部分は首と腕くらいしかありません。
3Dモデルでは胸は揺れません。サイズは平均的なものだと思います。
上記6人、企業所属から県公認vtuberまで広く紹介させていただきました。
いかがでしたでしょうか?
このような先例と比較する限り、戸定梨香さんに先例との違い(問題点)があるとすれば「3Dモデルの胸が揺れる」ことのみかと思います。
揺れるたびに胸下の影も動くのでより強調されて見えるという感じでしょうか。
しかし、抗議文で言及された残りの部分は先例vtuberの要素にも取り入れられているところであり、これを直ちに性的、蔑視と断定するのは厳しいかと思われます。
特に「女子中高生であることを印象づけ」と書かれていますが、戸定さんのセーラー服は真っ赤な色に大きなリボンと、いわゆる学生服とは大きくかけ離れており、アイドル要素を前面に出したただのファッションの一環なのではないでしょうか。彼女が女子中高生であるというプロフィールの記述も見つけられませんでした(知っている方がいたら教えてください)。
以上、直ちに性的と断定するのは胸揺れ以外無理があるというのが私の見解です。
胸揺れは人によって受け取り方は分かれると思いますが、紹介した6名の公認vtuberがどれも3Dモデルに胸揺れを採用していないことや、戸定さんの胸揺れが現実の一般的な胸揺れよりも若干強調されて見えることからして、まぁ苦言が出てもおかしくないかな、という感想です。
今回の件ですが、議員の名前を出して即動画削除を求めるほどの過激な動画では、全くありませんでした。
唯一明確に先例と比べて逸脱していると言えるだろう胸揺れについても、モデルの胸の物理をオフにして揺れないようにして撮り直しを提案することや、今回私が確認してきたように既存の公認vtuberは胸揺れを採用していないモデルが多いことを論理的に示すなど、もっと穏やかな指摘の仕方はいくらでもあったと思います。
具体的な他例を示さないまま一方的に削除するのはかなりの悪印象を与えますし、決して賢いやり方ではないと感じます。
1つの表現についてこの表現は正しくないのではないかと声を上げること自体は悪くありません。
Twitter上で議論が錯綜している、自分の気持ちの理解のためにも、論点を整理してみたい。とにかくめちゃくちゃムカついてるし、フェミニズムを失墜させる最悪な出来事だと思う。
1. フェミニスト議連(地元の市議を含む)という団体が女性を表象した表現に対しどこからOKかという線引きをし、削除を求めることをしていいのか?
自分としては、これはダメだと思う。女性表象云々の問題ではなく、表現規制に対する権力の濫用には反対する立場だからだ。民間から「これはさすがにエロいんじゃない?」とか、市民や県民の多くが異議を唱えるならいいが、議連という県警が忖度する可能性のある立場から、表現の線引きを行うことは非常に危険なことだと考える。表現をどう感じるかは自由だが、議員という立場から物を言うということの重大性を認識するべき。
実際のところ、千葉県警は議連だから忖度したんじゃなくて、「やべ、なんか燃えそうだ。燃える前に消そう!」とか、偉い人から「これ燃えそうだから消しといて」的な話があって消しちゃったという、消すほど燃えるという昨今のデジタル広報の基本を理解してなかっただけだと思うけど。公的な権力からの抗議→取り下げという前例を作ったことは悲しい出来事。
2. 警察という公機関のポスターに、ヘソだしルックの少女を起用すべきなのか否か
→公機関の制作物はどのようなチェック基準でつくられるべきかという問題
個人的には今回のVTuberのデザインはかわいいと思う程度で、女児向けコンテンツに多い表現方法で性的に過度に強調されているとは思えません。
ただ思う人もいるかもしれない。何を公共の場にはふさわしくないとするかは、年齢や住む地域、所属するコミュニティ、時代、そしてそのキャラや個人と地元の関係性によってもだいぶ違う。だからこそ大事なのはガイドラインを定め、市民のコンセンサスを得ながら定期的にアップデートするということなのかもしれない。警察の動画は税金でつくっているのだから。松戸の方々が同意している基準があれば尊重すべきだし、この話は民間での表現や女性自身の表現の自由(ミニスカでヘソだしで街を歩いていいか)とは関係がない。
今回のVTuberさんは地元応援系の方でもあり、良い関係を地元の方と築いてきていた可能性もあるので、それをあまり理解せずに議連が質問状を出したのは市民を置いていきすぎじゃないの?とは感じる(実際はどうかわかりませんが、社長や本人の釈明からはそう感じる)。やはりフェミニスト議連はやりすぎである。
目線を変えて、マーケティング的な観点からすれば今回の動画は若年層向けで、プリキュアやアイカツを見て育ったり、見慣れたりしている世大に向けられたものだと思う。Vtuberというジャンルのタレント起用も、議論になっている見た目も、自分たち向けのものと感じてもらうに機能するものになっていると思う。ターゲットの価値観を無視しているということになれば、フェミニスト議連は相当ナンセンスというか、アップデートが必要な人たちにはなってしまう。
3. 社長も女性、VTuberの中の人も女性、女性の自由な活動をフェミニストが奪っていいのか。
まず社長やVtuber本人が女性かどうかは、あまり重要なイシューではない。ポイントは、フェミニスト議連の"スタンス"にある。スタンスによっては、フェミニストであれ女性を批判することはできる。歴史的に見れば、今回の主張で、フェミニスト議連は、(かなり極端なラディカル)フェミニスト議連ということになる。これは、たとえ女性が自分の意志で着てようが、女性の隷属制などを感じさせるものならば、家父長的な価値観を内在化させていて本当の自分の意思とはいえないから規制してもいいいのだというスタンス。
フェミニスト議連がどれほどフェミニズムに詳しいかは疑問だが、表現規制を推進するラディカルフェミニズムの対象はポルノだ。その際のポルノはただエロいとかそういうことではなく、特定の集団(女性とか女児)が、隷属的だったり性差別的に描かれ、その集団が実被害を被るものということ。今回の質問状から見ても、フェミニスト議連は戸定さんというVtuberの衣装をラディカルフェミニズムの立場からポルノと見ていることが明らか。性犯罪誘発の懸念って言ってるのだから。
この議論はフェミニズムの歴史から見てもあまりスタンダードではない。第二波フェミニズム、1970年代のフェミニストセックス論争でも、表現規制派のラディカルフェミニストと、あくまで実被害のみを批判するリベラルフェミニストで意見が割れた話。なにをポルノにするかは個人の見方だよねという意見が主流になった第三波フェミニズム以降で、局所戦的にラディカルフェミニストが起こしたゲーマーゲート論争でも、売春婦の表現だったり、男性に従属的な露骨な表現が批判されたにすぎない。(その程度でもゲームにポリコレ持ち込むな!と超炎上した)
児童ポルノの規制は実被害の観点から多くの国で採用されているが、キャラクター等創作物に関しては規制しないというのが各国対応の主流なはず。ヘソだしミニスカで若干胸が揺れる程度の女子アニメ的デザインをポルノと認定し、規制をかけに行くのは、ラディカルフェミニズムの立場からしてもかなりかなりかなり極端と言わざるを得ない。この点から「プリキュアやアイカツも似たようなものだろ!」「セーラムーンの方が性的だ!」という疑問はもっともである。戸定さんをポルノと認めたら、世の中のそこら中のキャラクター表現はポルノになる。
もはやフェミニズムは第四波とも言われ、よりヒューマニズム的な側面が強くり、インターセクショナルな視点を取り入れて進化している。バトラー的な女って立場を拠り所にフェミニズムを語ること自体、性の固着化につながってるという議論にもフェミニズムは影響を受けながら、よりさまざまなジェンダーとの連帯も模索しながら進んでいる。
その中で、未だに第二波フェミニズムの残滓のようなフェミニストたちが、「フェミニスト議連」と名乗って、フェミニストの代表かのように振る舞っているのは、日本のフェミニズムの遅れを改めて感じさせる。本物のフェミニストなんてものはいないのだろうが、少なくともかなり古臭く、世界的に見ても相当に極端なラディカルフェミニストたちではある。
「ミニスカはフェミニストが獲得したものだろう!」という批判にはあんまり意味はない。貞淑をよしとする女性的な服装へのカウンターとして誕生したファッションであり、新しい女性の自由なあり方を示す手段のひとつがミニスカというだけであって、公機関の制作物に好ましいかは別の話。また、そのカウンターとしての効力が陳腐化している日本では、ミニスカが性表現の固着化につながっているという議論自体は成立すると思う。だから、スカートを伸ばせという議論だったら完全にバックラッシュで笑っちゃうが。
●結論●
今回の件、フェミニストもフェミニズムも関係ないから、目的語を大きくした、批判はやめよう。
ただひたすらにフェミニスト議連のスタンスが時代的に遅れていて、キモいだけ。ラディカルフェミニズムのスタンダードですらない。(性犯罪誘発って言ったのが戸定さんをポルノ認定してて一番ヤバいとこ)
あと、千葉県警はそんな極端な団体の意見なんて聞かずに堂々と動画を復活させてほしい。その上で松戸市議会や千葉県議会で公的機関の表現のあり方を議論した方がいい。
Twitter上で議論が錯綜している、自分の気持ちの理解のためにも、論点を整理してみたい。とにかくめちゃくちゃムカついてるし、フェミニズムを失墜させる最悪な出来事だと思う。
1. フェミニスト議連(地元の市議を含む)という団体が女性を表象した表現に対しどこからOKかという線引きをし、削除を求めることをしていいのか?
自分としては、これはダメだと思う。女性表象云々の問題ではなく、表現規制に対する権力の濫用には反対する立場だからだ。民間から「これはさすがにエロいんじゃない?」とか、市民や県民の多くが異議を唱えるならいいが、議連という県警が忖度する可能性のある立場から、表現の線引きを行うことは非常に危険なことだと考える。表現をどう感じるかは自由だが、議員という立場から物を言うということの重大性を認識するべき。
実際のところ、千葉県警は議連だから忖度したんじゃなくて、「やべ、なんか燃えそうだ。燃える前に消そう!」とか、偉い人から「これ燃えそうだから消しといて」的な話があって消しちゃったという、消すほど燃えるという昨今のデジタル広報の基本を理解してなかっただけだと思うけど。公的な権力からの抗議→取り下げという前例を作ったことは悲しい出来事。
2. 警察という公機関のポスターに、ヘソだしルックの少女を起用すべきなのか否か
→公機関の制作物はどのようなチェック基準でつくられるべきかという問題
個人的には今回のVTuberのデザインはかわいいと思う程度で、女児向けコンテンツに多い表現方法で性的に過度に強調されているとは思えません。
ただ思う人もいるかもしれない。何を公共の場にはふさわしくないとするかは、年齢や住む地域、所属するコミュニティ、時代、そしてそのキャラや個人と地元の関係性によってもだいぶ違う。だからこそ大事なのはガイドラインを定め、市民のコンセンサスを得ながら定期的にアップデートするということなのかもしれない。警察の動画は税金でつくっているのだから。松戸の方々が同意している基準があれば尊重すべきだし、この話は民間での表現や女性自身の表現の自由(ミニスカでヘソだしで街を歩いていいか)とは関係がない。
今回のVTuberさんは地元応援系の方でもあり、良い関係を地元の方と築いてきていた可能性もあるので、それをあまり理解せずに議連が質問状を出したのは市民を置いていきすぎじゃないの?とは感じる(実際はどうかわかりませんが、社長や本人の釈明からはそう感じる)。やはりフェミニスト議連はやりすぎである。
目線を変えて、マーケティング的な観点からすれば今回の動画は若年層向けで、プリキュアやアイカツを見て育ったり、見慣れたりしている世大に向けられたものだと思う。Vtuberというジャンルのタレント起用も、議論になっている見た目も、自分たち向けのものと感じてもらうに機能するものになっていると思う。ターゲットの価値観を無視しているということになれば、フェミニスト議連は相当ナンセンスというか、アップデートが必要な人たちにはなってしまう。
3. 社長も女性、VTuberの中の人も女性、女性の自由な活動をフェミニストが奪っていいのか。
まず社長やVtuber本人が女性かどうかは、あまり重要なイシューではない。ポイントは、フェミニスト議連の"スタンス"にある。スタンスによっては、フェミニストであれ女性を批判することはできる。歴史的に見れば、今回の主張で、フェミニスト議連は、(かなり極端なラディカル)フェミニスト議連ということになる。これは、たとえ女性が自分の意志で着てようが、女性の隷属制などを感じさせるものならば、家父長的な価値観を内在化させていて本当の自分の意思とはいえないから規制してもいいいのだというスタンス。
フェミニスト議連がどれほどフェミニズムに詳しいかは疑問だが、表現規制を推進するラディカルフェミニズムの対象はポルノだ。その際のポルノはただエロいとかそういうことではなく、特定の集団(女性とか女児)が、隷属的だったり性差別的に描かれ、その集団が実被害を被るものということ。今回の質問状から見ても、フェミニスト議連は戸定さんというVtuberの衣装をラディカルフェミニズムの立場からポルノと見ていることが明らか。性犯罪誘発の懸念って言ってるのだから。
この議論はフェミニズムの歴史から見てもあまりスタンダードではない。第二波フェミニズム、1970年代のフェミニストセックス論争でも、表現規制派のラディカルフェミニストと、あくまで実被害のみを批判するリベラルフェミニストで意見が割れた話。なにをポルノにするかは個人の見方だよねという意見が主流になった第三波フェミニズム以降で、局所戦的にラディカルフェミニストが起こしたゲーマーゲート論争でも、売春婦の表現だったり、男性に従属的な露骨な表現が批判されたにすぎない。(その程度でもゲームにポリコレ持ち込むな!と超炎上した)
児童ポルノの規制は実被害の観点から多くの国で採用されているが、キャラクター等創作物に関しては規制しないというのが各国対応の主流なはず。ヘソだしミニスカで若干胸が揺れる程度の女子アニメ的デザインをポルノと認定し、規制をかけに行くのは、ラディカルフェミニズムの立場からしてもかなりかなりかなり極端と言わざるを得ない。この点から「プリキュアやアイカツも似たようなものだろ!」「セーラムーンの方が性的だ!」という疑問はもっともである。戸定さんをポルノと認めたら、世の中のそこら中のキャラクター表現はポルノになる。
もはやフェミニズムは第四波とも言われ、よりヒューマニズム的な側面が強くり、インターセクショナルな視点を取り入れて進化している。バトラー的な女って立場を拠り所にフェミニズムを語ること自体、性の固着化につながってるという議論にもフェミニズムは影響を受けながら、よりさまざまなジェンダーとの連帯も模索しながら進んでいる。
その中で、未だに第二波フェミニズムの残滓のようなフェミニストたちが、「フェミニスト議連」と名乗って、フェミニストの代表かのように振る舞っているのは、日本のフェミニズムの遅れを改めて感じさせる。本物のフェミニストなんてものはいないのだろうが、少なくともかなり古臭く、世界的に見ても相当に極端なラディカルフェミニストたちではある。
「ミニスカはフェミニストが獲得したものだろう!」という批判にはあんまり意味はない。貞淑をよしとする女性的な服装へのカウンターとして誕生したファッションであり、新しい女性の自由なあり方を示す手段のひとつがミニスカというだけであって、公機関の制作物に好ましいかは別の話。また、そのカウンターとしての効力が陳腐化している日本では、ミニスカが性表現の固着化につながっているという議論自体は成立すると思う。だから、スカートを伸ばせという議論だったら完全にバックラッシュで笑っちゃうが。
●結論●
今回の件、フェミニストもフェミニズムも関係ないから、目的語を大きくした、批判はやめよう。
ただひたすらにフェミニスト議連のスタンスが時代的に遅れていて、キモいだけ。ラディカルフェミニズムのスタンダードですらない。(性犯罪誘発って言ったのが戸定さんをポルノ認定してて一番ヤバいとこ)
あと、千葉県警はそんな極端な団体の意見なんて聞かずに堂々と動画を復活させてほしい。その上で松戸市議会や千葉県議会で公的機関の表現のあり方を議論した方がいい。
Twitter上で議論が錯綜している、自分の気持ちの理解のためにも、論点を整理してみたい。とにかくめちゃくちゃムカついてるし、フェミニズムを失墜させる最悪な出来事だと思う。
1. フェミニスト議連(地元の市議を含む)という団体が女性を表象した表現に対しどこからOKかという線引きをし、削除を求めることをしていいのか?
自分としては、これはダメだと思う。女性表象云々の問題ではなく、表現規制に対する権力の濫用には反対する立場だからだ。民間から「これはさすがにエロいんじゃない?」とか、市民や県民の多くが異議を唱えるならいいが、議連という県警が忖度する可能性のある立場から、表現の線引きを行うことは非常に危険なことだと考える。表現をどう感じるかは自由だが、議員という立場から物を言うということの重大性を認識するべき。
実際のところ、千葉県警は議連だから忖度したんじゃなくて、「やべ、なんか燃えそうだ。燃える前に消そう!」とか、偉い人から「これ燃えそうだから消しといて」的な話があって消しちゃったという、消すほど燃えるという昨今のデジタル広報の基本を理解してなかっただけだと思うけど。公的な権力からの抗議→取り下げという前例を作ったことは悲しい出来事。
2. 警察という公機関のポスターに、ヘソだしルックの少女を起用すべきなのか否か
→公機関の制作物はどのようなチェック基準でつくられるべきかという問題
個人的には今回のVTuberのデザインはかわいいと思う程度で、女児向けコンテンツに多い表現方法で性的に過度に強調されているとは思えません。
ただ思う人もいるかもしれない。何を公共の場にはふさわしくないとするかは、年齢や住む地域、所属するコミュニティ、時代、そしてそのキャラや個人と地元の関係性によってもだいぶ違う。だからこそ大事なのはガイドラインを定め、市民のコンセンサスを得ながら定期的にアップデートするということなのかもしれない。警察の動画は税金でつくっているのだから。松戸の方々が同意している基準があれば尊重すべきだし、この話は民間での表現や女性自身の表現の自由(ミニスカでヘソだしで街を歩いていいか)とは関係がない。
今回のVTuberさんは地元応援系の方でもあり、良い関係を地元の方と築いてきていた可能性もあるので、それをあまり理解せずに議連が質問状を出したのは市民を置いていきすぎじゃないの?とは感じる(実際はどうかわかりませんが、社長や本人の釈明からはそう感じる)。やはりフェミニスト議連はやりすぎである。
目線を変えて、マーケティング的な観点からすれば今回の動画は若年層向けで、プリキュアやアイカツを見て育ったり、見慣れたりしている世大に向けられたものだと思う。Vtuberというジャンルのタレント起用も、議論になっている見た目も、自分たち向けのものと感じてもらうに機能するものになっていると思う。ターゲットの価値観を無視しているということになれば、フェミニスト議連は相当ナンセンスというか、アップデートが必要な人たちにはなってしまう。
3. 社長も女性、VTuberの中の人も女性、女性の自由な活動をフェミニストが奪っていいのか。
まず社長やVtuber本人が女性かどうかは、あまり重要なイシューではない。ポイントは、フェミニスト議連の"スタンス"にある。スタンスによっては、フェミニストであれ女性を批判することはできる。歴史的に見れば、今回の主張で、フェミニスト議連は、(かなり極端なラディカル)フェミニスト議連ということになる。これは、たとえ女性が自分の意志で着てようが、女性の隷属制などを感じさせるものならば、家父長的な価値観を内在化させていて本当の自分の意思とはいえないから規制してもいいいのだというスタンス。
フェミニスト議連がどれほどフェミニズムに詳しいかは疑問だが、表現規制を推進するラディカルフェミニズムの対象はポルノだ。その際のポルノはただエロいとかそういうことではなく、特定の集団(女性とか女児)が、隷属的だったり性差別的に描かれ、その集団が実被害を被るものということ。今回の質問状から見ても、フェミニスト議連は戸定さんというVtuberの衣装をラディカルフェミニズムの立場からポルノと見ていることが明らか。性犯罪誘発の懸念って言ってるのだから。
この議論はフェミニズムの歴史から見てもあまりスタンダードではない。第二波フェミニズム、1970年代のフェミニストセックス論争でも、表現規制派のラディカルフェミニストと、あくまで実被害のみを批判するリベラルフェミニストで意見が割れた話。なにをポルノにするかは個人の見方だよねという意見が主流になった第三波フェミニズム以降で、局所戦的にラディカルフェミニストが起こしたゲーマーゲート論争でも、売春婦の表現だったり、男性に従属的な露骨な表現が批判されたにすぎない。(その程度でもゲームにポリコレ持ち込むな!と超炎上した)
児童ポルノの規制は実被害の観点から多くの国で採用されているが、キャラクター等創作物に関しては規制しないというのが各国対応の主流なはず。ヘソだしミニスカで若干胸が揺れる程度の女子アニメ的デザインをポルノと認定し、規制をかけに行くのは、ラディカルフェミニズムの立場からしてもかなりかなりかなり極端と言わざるを得ない。この点から「プリキュアやアイカツも似たようなものだろ!」「セーラムーンの方が性的だ!」という疑問はもっともである。戸定さんをポルノと認めたら、世の中のそこら中のキャラクター表現はポルノになる。
もはやフェミニズムは第四波とも言われ、よりヒューマニズム的な側面が強くり、インターセクショナルな視点を取り入れて進化している。バトラー的な女って立場を拠り所にフェミニズムを語ること自体、性の固着化につながってるという議論にもフェミニズムは影響を受けながら、よりさまざまなジェンダーとの連帯も模索しながら進んでいる。
その中で、未だに第二波フェミニズムの残滓のようなフェミニストたちが、「フェミニスト議連」と名乗って、フェミニストの代表かのように振る舞っているのは、日本のフェミニズムの遅れを改めて感じさせる。本物のフェミニストなんてものはいないのだろうが、少なくともかなり古臭く、世界的に見ても相当に極端なラディカルフェミニストたちではある。
「ミニスカはフェミニストが獲得したものだろう!」という批判にはあんまり意味はない。貞淑をよしとする女性的な服装へのカウンターとして誕生したファッションであり、新しい女性の自由なあり方を示す手段のひとつがミニスカというだけであって、公機関の制作物に好ましいかは別の話。また、そのカウンターとしての効力が陳腐化している日本では、ミニスカが性表現の固着化につながっているという議論自体は成立すると思う。だから、スカートを伸ばせという議論だったら完全にバックラッシュで笑っちゃうが。
●結論●
今回の件、フェミニストもフェミニズムも関係ないから、目的語を大きくした、批判はやめよう。
ただひたすらにフェミニスト議連のスタンスが時代的に遅れていて、キモいだけ。ラディカルフェミニズムのスタンダードですらない。(性犯罪誘発って言ったのが戸定さんをポルノ認定してて一番ヤバいとこ)
あと、千葉県警はそんな極端な団体の意見なんて聞かずに堂々と動画を復活させてほしい。その上で松戸市議会や千葉県議会で公的機関の表現のあり方を議論した方がいい。