福島原発事故の後「過度の相対化は害悪が大きい」って物言いが(特に右翼の間で)多くなり、確かにその通りであると思うのだが、馬鹿どもの間で「相対化そのものが悪」みたいな、いかにも馬鹿が考えつきそうな「過度の単純化」が生じていて、時折は試みられるべきである「真実とされること、正義であるとされていることを『一旦相対化して』再考察すること」も悪であると決めつける馬鹿を見かける様になった。
正義を一旦相対化することは、正義の否定(=あらゆる正義の主張は等しく価値がある、あるいは等しく無価値である)ではなく、より良い正義の概念にたどり着くためのプロセス(の一つ)であるのに、それがわからない馬鹿と、わからないふりをして自分の正義を絶対化したい欲求のある保守野郎が本当に多いのだ。
ワイ「そうやでー『コンプレックス』て言葉自体には『劣等感』て意味はないんやで?」 キッカワくんホテイくん「「あ“あ“?!」」アッホッフッ!