「夫が定年したら離婚を考えています。夫の年金って、妻が半分もらえるんですよね?」 https://precious.jp/articles/-/8510
あなたの価値観がどうであれ、世の価値観はこのような感じなのだ。これに反発を覚える男性は結婚に向いていない。幸い 結婚させようとする社会的な圧力は低下傾向にあり、家事労働も道具の発達で軽減されているので、生涯未婚という選択肢も十分現実的だ。かくいう私もその一人に挙げられる。
ミソジニーをこじらせるのも結構だが、価値観が対立する場面は 視野が広がるチャンスだ。少しだけ冷静になって自分の生き方・考え方をよい方向にできないかを考えよう。
「二人とも働いて、家事も半々で」みたいなノリは必ず破綻する。家事・育児に関連するあれこれを完全に半々にすることなんてできっこないからだ。「どっちかが得しないように全部半々。これで公平でしょ」という価値観は対立を生むだけだし、均衡する領域が非常に狭く、環境の変化に対して脆弱な かりそめの安定をもたらすだけだ。
そこで、二人の間で役割を決めるという発想になる。昭和的な価値観では「猛烈リーマンの夫&専業主婦の妻」という役割分担があり、最近の価値観では「共働き夫婦&家事育児を分担」という分担が一般的になっている。程度の差こそあれ、役割分担を選択するということは、数あるタスクへのコミットメント具合が夫婦間で異なることを意味する。「お金を稼ぐ」というタスクに対して夫が400万円のコミットメントをし、妻が200万円のコミットメントをするという事態は不当ではないのだ。同じく、「幼稚園児の送迎」というタスクに対して、夫が週 1回のコミットメントをし、妻が週 4回のコミットメントをするという事態は不当ではない。
タスクごとに夫婦間でコミットメント具合が異なることを受け入れ、安定した共同生活を営むために必要なことは何か?もちろん、不公平がないようコミットメントの総量が同程度になるよう調整することは大事だが、どうせ、そんなことはできっこない。一番大切なのは、お互いを信頼し、尊重することだ。「確かに俺の方が稼いでいるけど、奥さんはその分面倒な町内会の活動をやってくれているし、俺より生鮮食品を安く手に入れる術を持っている」とか、「夫は送り迎えをしてくれないけど、買い出しの際や終電を逃したときにすぐに車を出してくれる」とか。
それでは、このように、お互いを尊重することを阻害している要因はなんだろうか?そのうちの一つとして、価値観の狭さがあげられよう。自分のコミットを過大評価し、相手のコミットを過小評価する。「俺は稼いでやっているのに」とか「家事の大変さがわかってないでしょ」などの典型的な夫婦喧嘩はこれに起因する。もちろん、価値観の近い相手をパートナーに選ぶことはこの問題を軽減させることに寄与するだろう。しかし、このズレは累積して破滅的な結末を迎えることも少なくない。
結局、謙虚な精神が必要なのだろう。「自分には価値が見いだせないがあの人は一生懸命やっている。きっと私にはまだ十分感じることができない価値があるのだろう。その判断を尊重して、今ある不満をぶつけるより事態の推移を見守ろう」。男性には結構独善的な人が多いので、いかに謙虚になれるかというのは一つのカギだろう。自分のモノサシを絶対化せずに、相手のモノサシの価値を認めるということだ。
あなたは幸せになる権利がある。だがその一方、幸せとは何かについて深く考えているだろうか?
日々の仕事に忙殺されると、「とりあえず金稼ぎたい。稼げれば幸せになれるっしょ。」「この金をどう使えば楽しいだろ。旅行?メシ?ゲーム?」といった短絡的な思考に陥りやすい。まあそれを否定するわけでもないが、その価値観いつまでも続けられる?とは問いたい。自分が幸せになるという課題に対してもう少しの熟慮してもよいとは思わないだろうか。そして、「普通の」人間にとって幸せな生活には結婚という家族形態が伴うことが多いのも事実だ。
あなた、本当に結婚しなくていいの?結婚をしなくて幸せになれますか?
私は、仕事が嫌いで、自分が一番頭がいいと思っていて、社会性を獲得しきれずにおり、お金が一番好きで、家事になんの価値も見出さず、子供が嫌いだ。若いころは性欲ドリブンで結婚をしようかと思ったこともあったが、30も半ばを過ぎて落ち着いた今は結婚をしていなくて本当に良かったと思っている(もし結婚していたら、相手も全く同じことを思っていただろう)。
だが、それとこれとは話が別だ。結婚に向いている男性というのは、同時に対人関係が良好な男性という側面もある。結婚しなくていーや、という単純な話ではなく、社会で上手くやっていくために、結婚に向いている価値観を身に着けたり、身に着いているフリをすることは大事だと強調したい。