はてなキーワード: 粛々とは
スポーツの祭典を象徴するロゴの騒動は、辞退した事もあって一応の落ち着きを見せ、総括の段階に入ったようだ。
つまり、アレは一体何だったのかという説明と、それに対する反発の第二ステージに入ってきたと言って良い。
ロゴに関しては、専門家の説明と素人の感情の両方がネットでは読めるので、説明はしない。
ここで触れるのは「自分がもしも佐野氏の立場になったら」という対処法だ。
一番簡単なのは、諦めることだ。
店長を思いローソンカラーに塗ってみたら面白かったので、Twitterに写真を載せた。
「それ、セブンイレブンのパクリでしょ?」「べつやくれいが恐竜に塗ってたのパクった?」
続々とリプが飛んできたとしよう。クソリプとは言えない。適切な感想だし。
ここで、「いや、思いつきで」とか「セブンイレブンのヤツは今ググったけど、みたことない」
みたいな反論は火に油だ。転載されてどこかのまとめサイトにでも載ったら、まあオシマイだろう。
最終的に識者に「著作権的にはグレーですが、迂闊な公開とは言えるかもしれません」とかオチが付いたりする。
相手の意見を肯定しつつ諦めることで、2,3日すれば「消すくらいなら上げるな」的なクソリプも収まる。
ちょっとややこしいので、まず分類しておこう。
「パクリ」と「似てる」には明確に差があって、
「パクリ」は「誰かのに似せる」という「行為」を問題視される。盗用や盗作等、黙って使うと非難される。
「似てる」は「誰かのに似ている」という「結果」を問題視される。途中経過は、あんまり関係ない。
「パクリ」とは「似せる」という「行為」を問題にされるので、やってるやってない双方で証明は異常に難しい。
これは「所有権を主張するなら、譲ってもらった相手が譲ってもらった相手のそのまた譲ってもらった(以下略」と最初まで遡って証明せよ、と言われていたいわゆる所有権の悪魔の証明みたいになる。
そして、対処法も法律の枠組みと同じになる。証明責任を転換させる「権利推定」という手法だ。
「この事実があるんだから、この権利があるものと推定する」という方法。
プロセスに沿って仕事してましたよ、と説明すれば良くなる。(というか、良くなることにしないと進まないのでそう決めてる)
先行技術調査、なんていい方をするけど、似た特許がすでに無いか調べてから出願する(特許を出す)のが一般的だ。
この場合、特許庁に登録されているもので調べれば、少なくとも仕事の上では、以後問題になることはない。
プロセスに沿って仕事していれば、特許無効審判で潰されても、賠償問題にはならない。
ポイントは大きくは2つあって、まあ「格」と「情緒」と言っても良い。
人間の屑であってもクレバーな人間は多いし、サイコパスだからこそ社会的に成功するなんて論文もある。
冷静に考えれば、「人間性」と「その人が行った成果」は、全く関係ないんだけれども、世の中そうはなっていない。
「格式」は、服装振る舞い挨拶儀礼ほぼ全てについて回るので、まあ、根強いし仕方のない面もある。
「情緒」は、論理性とかは特にないので、同じように情緒的に対応するしか無かったりする。
こういう場合、特許情報プラットフォームで調べると、出願されてるかは判る(例えば「はてブ」は、登録5672858で登録済み)
例えば、全くの天啓で「アノニ増田」を思いついたとする。(これは商標登録されてない)
こういう時は、弁理士か弁護士に依頼して、商標出願してもらうのがプロセスになる。
こうすると、「パクリじゃない」と調査してくれた上で、「似ている」場合のリスクの報告もしてもらえる。
そして、法律上の問題点をクリアした上で、「格式」として、類似に見えるサービス展開はどうだ?みたいな話になる。
なんで言質をとって関係者展開で事実を積み上げるかというと、次への布石になるからだ。
「格式」や「情緒」しか問題がない場合は、明らかな「難癖」は、見た目で判りやすくなるからだ。
(仕事で良くある「それは法律上の」とか「それは盗作や盗用のリスクが」という批判を潰せる)
まあ仕事でもないと、プロセスに則って何かをやるってのは難しい。
個人では弁護士に依頼して調査してもらう(お金で責任の肩代わりをしてもらう)ことはまずない。
そうすると、言質をとって対応するのが次善の策になる。
「パクリだ!」→「これはこういうことで」→「そういうことを言ってるんじゃない!」というのを、前提とするってことだ。
特に、発言の多様性で意味を変えてくる(大抵謝ったりしない)相手に対応するときの基本方針になる。
これは、コミュニケーションを繰り返すという意味ではなくて、想定しておくという形になる。
この深津氏の説明が優れているのは、「言質をとって切り分ける」想定問答集として理想的な形になっているからだ。
たいへん雑で恐縮だが、「対処法」に絞って整理すると、説明としては以下のようになる。
途中、デザイン寄りだったり、秘匿性の話が挟まっていたりはするものの、きちんと切り分けされている。
「オマエのことが気に入らない」とストレートに言う人間は、実は非常に少ない。
「俺は、なんとなく、気に入らない」は、ほぼ無敵で対処法が存在しないけれども、
「みんなは、法律的に、問題視するのでは」という「第三者批判」は対処法がある。
その為、深津氏の説明は、
という流れで、以下の結論に持って行ってる
反論しようとすると、法律の問題か感情の問題かのどちらかをハッキリ言わないとバカに見えるようになっている。
(オリジナル部分が違えばパクリではないと規定しているが、妥当な前提だろう。似てるだけなら全部ステンシル書体のパクリになるし)
(「著作権的にオリジナル主張が難しい」という弁理士や弁護士やその他デザイナーが指摘はできる構成)
仕事上で諦められないなら、プロセスに沿って仕事してた、対応は粛々としますと切り返せ。
仕事でネット上で炎上したら……感情の解消と、法律面の対応は、両輪。
「情緒」の解消は、基本的に当事者間の話し合いになるので、そこをクリアするとネットは沈静化するよ。
(法律面は粛々と対応。「格」対応は、週刊誌ゴシップで蓄積有るはず。基本根回しとコネ)
……上記は、難癖対応であって、弁護士が代理人としてやってきたら、ちゃんと対応しよう。
まあ、今までは週刊誌で盛り上がるだけなんで抑えも取引も効いただろうけど、ネットから燃え広がるとコントロール難しいからねー
一般人とやくざの関わりについて、現実ベース、ネットで見かけるはなしが「まぁ、関わらないのが一番」に終始していて困っています。
この春からしがない地方公務員として働きはじめまして、いかにもお役所的な窓口対応や許認可業務、申請書受理処理なんかを粛々と、社会の歯車しているのですが、それは私の性にあっているようなのですが、どうしてもその中にやくざやさんが時折いらっしゃるのです。
まだまだ混みいった問い合わせや、条例や開示している要領の字面だけ機械的に辿るだけでは即答で判断のつかないようなケースというのは、先輩や上司なんかに丸投げているのですが、妙に電話のひとつひとつが終わるたびに偉い人たちが打ち合わせ打ち合わせしているなぁと思ったら、「あの業者さんけは、コレだからね」みたいのが、度々あるんです。
私もいつまで、雛鳥ではいられません。でも、やくざというものがあまりにピンと来ないのです。
殴られそうになったり長時間怒鳴られたりで最終的に警察を呼ぶみたいな話は、思い出話でよく聞くけれど、その手前のヒヤリハットにいるのは「何言ってるのかよくわかんないけど兎に角不満だらけらしいおじいちゃん」とかで、ヤクザというよりも病気かなにかの人にみえるし。
私の観測範囲でのヤクザさんは、法律なんかにとても詳しくて、グレーゾーンに詳しくて、制度の逃げ道に詳しい、みたいなように見えるのですが、こういったいわばサイコパス的存在がやくざさんなんでしょうか。
それなら、極端な話、一般の県民市民住民と、大きく何かが変わることはなくて、ただこちらの「法、条例に基づいた装置としての判断」を逸脱した部分、根拠も何もない、好意善意親切心「とりあえず、お役所にそういわれたから、そういうもんなのかな?」に甘えた、公権力の皮を被ったお願いが通用しなくなるっていうことなんでしょうか。
この春から行手法かなにか、改正があったらしくて、申請者をしばるようなことをする時は根拠の法や条例を明示しなきゃいけないらしくって、そうしたらますます、違わない気がしちゃうんだけど。
それともあれかな、「殴られたら警察呼べばいい、じゃおせーんだよ!」みたいな感じなのかな。
http://anond.hatelabo.jp/20150829085753
飲んだり食べたり憎んだり愛したり、そういう人間の営みの中で
「穢れ」を持ち込むのは許されないというのなら
その祭事にかかわるシンボルマークに、「選考の透明性」だの「俺の感覚的にダサい」だの
それが神様ってことでありハレってことだ
そうじゃない、オリンピックは民主的に進行される人としての祭典だというなら
お前らが気に食わないだか世間が許さないだかしらんが「神様」に代弁さすな
「日本人にとってケガレは重要な概念で~」とかいうならば、それが何かくらい分かっとけ
自分の都合のいいように神様切り貼りして、あまつさえ神様のふりをして他人を攻撃すんのが
お前の言う「古きよき日本人」かって話だよ
恥ずかしい、ほんとうに
「いただきます」を「生産者や身を捧げてくれた生き物への感謝」として言うというのはまだ分かるが、「ごちそうさま」というのはそういう意味ではないよ。
「馳走(ちそう)」とは、そもそももてなすために走り回って食材を集めるという意味であり、「ご馳走」というのは、そのように苦労して提供された『料理』のこと。従って、「(今私がいただいたのは、誠に)ご馳走でした」というのは、素直に言葉通りに受けとると『料理提供者』への感謝であって、料理提供者をねぎらう言葉。それに対して、『料理提供者』が謙遜をするのは別段間違った行為ではないよ。
違和感が拭えないとすれば、価値観を修正するのは増田の方だろうね。もし、「生産者や身を捧げてくれた生き物への感謝」というなら、増田は食後に「いただきました」というのが正しいんじゃないか。「いただきました」に「おそまつさま」と言われたらそれは変だが、その場合、料理してくれた奥さんに感謝の一片もないとすれば、そのこと自体が大変おかしい行為のようにも思う。増田は自分で献立を考えて誰かに料理を提供するという行為を、継続的に行ったことはあるのかね?
個人的には、昨今のようにたかが「いただきます」「ごちそうさま」程度の礼儀にいちいち理屈を付けたがる神経が病的だと思う。何も考えず粛々と飲みかつ食らうのが料理への正しい「作法」ではなかろうか。
団塊ジュニア以降は生涯未婚率男1/3女1/4とか、出生率1.3とか1.4とか聞いて、女性がショボイ男と無理に結婚させられずに自分で人生決められるようになったんだからいいことじゃないか、豊かになったから自由になったんだよ、皆婚に回帰せよとか中世人乙、老害乙、非モテ乙って思ってたんだよ最近まで。
でも、その人達が後期高齢者になって、高齢化率40%、所得税も消費税も社会保険料も数十%ずつ、経済は衰えて労働環境や賃金、生活水準は21世紀初頭より数割引き、ってなったとき、自分たちの7割しかいない子世代、半分しかいない孫世代に向かって、「年収同世代上位2割の女扱いのうまいフツメン以上と結婚できないなら生涯未婚を貫いて老後は他人の産んだ子や孫の負担する賦課方式の社会保険にフルにぶら下がる権利は、このように社会を貧しく荒廃させてでも最後まで絶対に守りぬかなければならない神聖至高の女性の権利なのよ」って言い張ってよいものだろうか、子孫たちはそんな高齢者たちをどう思ってどう扱うのかなって疑問が湧いてきた。
とここまで書いて思ったけど、子世代も孫世代も下の世代に同じことをする(すればよい)なら、案外みんな反発したり恨んだりせずに、未来人にとってはこれが当たり前、みたいになって粛々と衰退、滅亡していくのかな。どうなんだろ。
どう頑張っても今の情勢だと当選できなさそうだな、その条件を満たすと。
まあ、何も考えずカネを積み上げてカネで黙らせりゃよかったのに「粛々と進める」で事態を悪い方へひたすら転がした政府を恨め。
ミニマリストクラスターに、はてな古参ぶったのがはてなのえぐみ全開で噛みついたのに、粛々と通告されて削除されたりブコメ非表示にされたりしてて笑う。これまでその手で随分いろんな奴等をはてなから追い出して来たのに歯が立たない。
ここまで熱くなれる話題だと思わなかったから、最初なにを揉めてるのかしばらくわからなかった。
コケにされながらTwitterで周辺の人間関係までチェックして夢中だなw
自分達がどんなにミニママーどもをどうでもいいつまんない奴等だと思ってるか絶叫してる様が哀れ。あいつらに関心もってもらえなくてかわいそうにな。
散々人に嫌がらせして粘着してきたような連中がブクマかくあるべしとか人の道とか説きはじめて、どの口で言ってるのかと思うわ。賛同ブコメもおまいう揃い。
とか言うと、「瀕死の夜ちゃんを救うための募金活動をしているんじゃないか」くらいに勘ぐられるかもしれないけど、俺は昼のことも好きだよ。
暗いより明るい方が安心かつ安全だし、利便性も高い。いや、好きというよりは生活必需品みたいに感じているのかもしれんな。
でもさ、何でもかんでも照らし出しすぎじゃね?照らし出しさえすれば何でもわかるとか思い込んでね?照らされてない世界に住めない奴は落ちこぼれのレッテル貼るところまで行ってね?
昼の全体主義だこれは。夜のアウシュヴィッツだ。昼は欠かせないけどさ、いくらなんでも侵出し過ぎでしょ。
煌々と光る中でも平気で情事を交わす人より、「いやだ、消して」って言う人の方が俺は好きだ。
夜は暗くて見にくい(醜くはない)。妖しさがある。でもその妖しさは想像力の活きる場所なんだ。アタマの方だけじゃなくて、身体性も夜のほうが活きるのかもしれん。エロい意味じゃない。暗いと彼我(彼の大正は必ずしも人間とは限らない)の境界がわからなくて融けだしそうになるでしょ。それを食い止めるために身体を意識するのだ。でもこれってやっぱりアタマの仕事だろうか?
ひと目でわかると助かるものは多いけど、必ずしもすべてのものに適用できないはずなんだ。抽象的だろ。夜っぽいだろ。夜の男だ。でも夜の○○ってのは大体擬似夜だ。そんなわかりやすい言分け((C)丸山圭三郎)は無用の長物なのだ。
俺は真っ暗な空間で音楽を聴いていたい。これこそきっと夜だ。踊り出すかもしれん。でも考えたら、これってクラブじゃね?って思った。
俺はいわゆるクラブは好きではない。あそこに行くやつらは大体イケてるからな。自分の踊ってる姿が照らし出されても恥ずかしくないやつらだ。むしろ恍惚とするやつらだ。他人の目線バッチコイだ。ちょっと前に流行ったファレル・ウィリアムスの"HAPPY"動画シリーズなんてサブイボしか立たない。
俺はイケてないから誰にも見られないところで粛々と(上から目線)踊りたい。巷にあるクラブはすんげえ昼って感じだ。でもオウテカのライブは真っ暗でよかった。他人の無意識が混ざってくる感じがした。言葉で交流するのが苦手だから、無意識で交流出来たらいいなと思う。
東大の教養学部英語コースに合格した海外の学生の7割近くが東大入学を蹴ったそうですね
http://www.47news.jp/smp/CN/201503/CN2015032801001115.html
しかし東大の滑り止め化は2007年度にはすでに始まっています
京大が2007年度に保健学科以外の後期入学試験を廃止して以来、一部の京大生は東大後期を滑り止めにしました
「自宅から通える」
「東京が嫌い」
「京大の方が楽しそう」
という意見が返ってきました
私は権威が好きだったので、親が下宿を許すなら間違い無く東大を目指していました
しかし京大に入学してなんとか卒業し、就職して東大生出身者と交流するうちに、東大よりも京大を選ぶ人間の気持ちがわかりました
私が見てきた範囲なので偏っていることを前提にしますが、京大は次の点で圧倒的に東大よりも勝っていると思います
フェルミ推定はできても分析哲学や認識論の話はできない、ハイカルチャーなどの教養がない学生の割合が京大より高い気がします
東大には受験と就職に関係ないことはわからない学生が多い印象があります
しかし官僚や東京の有力者や名家の子息がごろごろいるのが東大で、そういう人は教養あることが多いです
吉田寮など家賃が月々千円未満の安い寮に入れば、かなり金銭的負担は小さくなります
思修館の院生だと専用の寮にタダで、しかも奨学金付きで住めます
また、授業料申請も半額免除までなら通りやすく、うまくいけば学生支援機構で借金しなくて済みます
それに図書館では名作と言われるクラシック音楽、映画、文学がほとんど揃っています
学生証を見せると入館料がタダの美術館・博物館も近隣にあります
お金がないけどハイカルチャーに飢えている人は是非来てください
なお、東京の某芸大の教授のご子息が「東京には文化がないけど京都は文化でできている。だから僕は京大に来た。」といっていました
そもそも東京より京都の方がのんびり暮らせますが、京大は特に時の流れがまったりした、おおらかさのある独特の空間だと思います
変人が多いのではなく、変人がのびのび暮らせるから自分を抑えない、もしくは普通の人が普段は隠している個性を発揮しやすい環境なだけです
東大はよくも悪くも真面目で、アンチコスプレ卒業式派の私からしたら「安田講堂に入れなくてもこんなに姿勢を正して粛々と式辞を聞いている東大生は真のエリートだなあ」と惚れ惚れします
フェミニズムには現在残念ながらふたつのおおきな側面があって、ひとつはもちろん「女性の社会的地位向上(男性との権利バランス)を目指す」ってものです。この運動や思想ってのは否定されるべきものではない。でももうひとつには「社会的地位において搾取されてる女性がスカッとする」ってのがあって、こっちはもう、どうにもならんほどただれて瘴気を放ってしまってる。
これはけっして諦めろという意味ではないんですが、日常生活を送ってる「社会的地位が搾取されてる女性」個人が、その個人の搾取された状況を変えろって無理ですよね。たとえば企業勤めの女性が上司の「そろそろお嫁に行かんのかね」発言をやめさせようとしたって無理がある。「そんなの訴えろよたれ込めよ!!」っていうかもしれないけど、そんなことしたら職場にいづらくなるだけでしょ? 職を失ってまで戦えっていうのはやはり現実的じゃない。もちろんだからこそ、そういう発言はよくないですよ、という社会風潮を形成するために前者のフェミニズム運動があり、それは必要だと思います。
しかしながら「ド許せない犬畜生にも劣るハゲ爺だしね」なんて言い放つってのは、特に実際体面もしてないネットで炎上ってのは、それはもう、なんというか、自分をすっきりさせるための行動なんですよね。そんなセリフいってどうなるの? といえばすっきりするだけです。まあ居酒屋の愚痴みたいなものですね。
思想運動政治運動ってのは時間のかかるものです。10年、いや歴史をみれば100年越しの運動なんてのも珍しくないわけです。
ですからそういう運動というものは果実を受け取る期待とは無関係にすべきなのだと思います。つまり、利益が直接自分がえられない、自分自身はすぐさまは救われない。「しかし」それが正しいから賛同し、運動する。次の世代のために地ならしとして粛々と進めておく。そういうスタンスが思想運動には重要です。なぜかといえば、自分自身が利益を即座に受取ろうとすると往々にして後者のヒステリーになるからですね。
前述したとおり、個人がその個人の置かれた周囲数百人の思想を個人のちからだけで一晩にして解決するのは難しい。ほぼ無理だといっていい。誰もがそんなことは言葉にしなくても肌で感じている。そうである場合、個人にとっては「目先でスカッとする」ことのほうが重要(利益があるように感じる)になってしまうわけです。現実自分の置かれた苦痛を麻痺させるために、言葉の棍棒を振り回して自己慰撫するような状況です。
最近出ているアンチフェミってのは後者に対する反発運動だと考えれば理解がすっきりします。まあ仕方ないですよね。誰だってこん棒で殴られたくはないです。「これだから男性優位社会なんだ、男性は優遇されてる、男性は世界を支配してる、みんな死ね!」みたいなことをサービス残業計算したら最低賃金割ってました本当にありがとうございましたみたいな弱者男性にいったとしても「こっちくんなよキチガイ。ほっとけ、俺は自分サバイバルで手いっぱいなんだ」としか返答のしようがないです。
日本における思想運動家ってのは人気商売なので(っていうか要するにTVタレントなので)、前者の「粛々と運動を進める」スタンスだと金になりません。後者の炎上発言をして、女性の「うんうんそうだよね、よく言ってくれた、スカッとした」みたいなのを集めないと生活が立ち行かないという構図もあります。そんなわけで、こん棒的な発言や人材には事欠かないわけです。
しかし中長期的に見れば、フェミニズム運動(前者)の障害は後者であるという結論になりかねない、なりつつあるというのが現状ではないでしょうか?
なんか色々と疑問を感じる。
この動画では、有名なドローン少年が有楽町で、飛べないドローンのカメラ機能を使って、ネット配信中に
警察に囲まれたあげく強制的に連行されている場面の一部始終が確認できる。
https://www.youtube.com/watch?v=GIeJcIovzmo
警察が途中でしきりに「危ないからカメラをしまえ」と言っているが、
もしカメラをしまったら、その瞬間に、もっと強引に連行されていたのではないかと思い、恐怖すら感じる。
違うのかな?理由がわかる人は教えて欲しい。
まさか本当に危ないと思っているわけないよね?
一番気持ち悪いのは警察がここまで必死になる理由がよくわからない点。
これは無いよね?
確かに落ちて来たら痛いかもしれないけど、このドローンは大きさの割りには軽いし、羽も小さいから
よほどピンポイントで思いっきり目に刺さったりしない限りは、ほとんど問題ないと思う。
そもそも飛ばせないと説明しているし実際にプロペラを取ってて飛ばしたくても飛ばせない状態なのは見ればわかるはずだ。
これも微妙。
そもそも飛ばせないし、万が一どこかで飛ばされて、それが最悪の形になったとしても、
それはこの少年が悪いのであって、警察の面目がそこまでつぶれるとは思えない。
彼のドローンはみんな知ってるから何かあったらすぐに逮捕できるし。
これも違う気がする。
身分を明らかにしている時点で、そこまで警戒する必要は無いよね?
「なぜあんなに危険そうな人物をちゃんとマークしてなかったんだ!」と非難されるのが嫌とか?
ナイフなどを所持していて、誰かを刺しでもしたら「なんで職質してたのに、解放してるんだ!」と言われるのが嫌とか?
でも、やっぱりこれも無いと思う。
むしろ何か事件が起きたら「いや職質したけど任意だからと拒否されました。我々にはもっと力が必要です」と主張して
警察の権限を高める方向に世論を動かせるきっかけになるのでは?
こんなしょうもない理由で?とも思うけど、これが一番ありそう。
つまり「任意ですよね?拒否します」と言われて、そのまま解放したら警察の面目がつぶれると思っているのではないか。
この少年に危険はほとんど無いのは理解しているけど、そんな事はどうでも良くて、とにかく捕まえたいのでは?
反抗的な態度を生中継している時点で、もう何がなんでも捕まえて、警察の力を見せつけないと気が済まないのではないか?
とくに、羽を取ったドローンでわざわざ撮影しているので、それを警察に対する挑戦だと受け取った可能性が高そうに思える。
警察に反抗する奴は、違法性が無くても問答無用で攻撃する、という態度に見えるのだが、違うだろうか?
どのケースでも私服警官(?)が何かをする前にすぐに声をかけている時点で、この少年は警察に完全にマークされているのは確実なのだが、
警察がそこまでする理由がイマイチはっきりしない。官憲にたてつく奴は全力でつぶすというメッセージだと考えるのが一番腑に落ちてしまう。
いずれにしても、現場の警官は上の命令にただ従ってるだけで、彼を捕まえなきゃいけない理由はよく分かっていないのではないかと思う。
そうじゃないと、あれだけの数の警官がお互いに相談もせず悩みもせずに、ただ粛々と職務を遂行している理由がわからない。
この少年は一目見て危険だとわかるタイプでは無いし、生中継してるならむしろ危険性は少ないはずで、絶対に捕まえなきゃいけない理由はないと思う。
微妙なラインなのに、全員が何の迷いもなく粛々と職務を遂行しているのは、すごく違和感がある。
それと面白いのは皇居の近くで捕まった時もそうだったが、パトカーに乗せられた瞬間から警察が無反応になる点。
路上では色々と質問したりして賑やかなのに、パトカーに乗った瞬間から態度がコロっと変わるのはなぜ?
他人には「ちゃんと答えなさい!」と高圧的な態度なのに、自分たちは答えないって、どうも納得がいかない。
あと「なぜ強制的に保護したのか?」という問いには絶対に答えないんだけど、これって本当に大丈夫なんだろうか?
法的には完全にアウトだよね?
などなど、とにかく色々と疑問が多過ぎる。
法治国家って言ってるのは単なる建前なんだなーと、つくづく感じる。
一方で、この少年というか、生配信というものにも問題が多いと思う。
配信者は多くのビューを獲得するために出来るだけ過激な映像を撮ろうとする。
この少年も、建前では「江戸城から見える景色が知りたい」などと言っているが、
本音は警察などとトラブルになった方が美味しいと思ってるよね?
トラブルになる事がわかってないとは思えない。彼はそこまで馬鹿じゃないと思う。
普通の人だったらビビってしまうような場面も彼らにすれば美味しい場面なので、
恐怖心より功名心の方が勝ち、結果として勇気のある人に見えてしまう。
うらやまけしからんので、この仕組みを広く知らしめて、効力を無くしたい。