フェミニズムには現在残念ながらふたつのおおきな側面があって、ひとつはもちろん「女性の社会的地位向上(男性との権利バランス)を目指す」ってものです。この運動や思想ってのは否定されるべきものではない。でももうひとつには「社会的地位において搾取されてる女性がスカッとする」ってのがあって、こっちはもう、どうにもならんほどただれて瘴気を放ってしまってる。
これはけっして諦めろという意味ではないんですが、日常生活を送ってる「社会的地位が搾取されてる女性」個人が、その個人の搾取された状況を変えろって無理ですよね。たとえば企業勤めの女性が上司の「そろそろお嫁に行かんのかね」発言をやめさせようとしたって無理がある。「そんなの訴えろよたれ込めよ!!」っていうかもしれないけど、そんなことしたら職場にいづらくなるだけでしょ? 職を失ってまで戦えっていうのはやはり現実的じゃない。もちろんだからこそ、そういう発言はよくないですよ、という社会風潮を形成するために前者のフェミニズム運動があり、それは必要だと思います。
しかしながら「ド許せない犬畜生にも劣るハゲ爺だしね」なんて言い放つってのは、特に実際体面もしてないネットで炎上ってのは、それはもう、なんというか、自分をすっきりさせるための行動なんですよね。そんなセリフいってどうなるの? といえばすっきりするだけです。まあ居酒屋の愚痴みたいなものですね。
思想運動政治運動ってのは時間のかかるものです。10年、いや歴史をみれば100年越しの運動なんてのも珍しくないわけです。
ですからそういう運動というものは果実を受け取る期待とは無関係にすべきなのだと思います。つまり、利益が直接自分がえられない、自分自身はすぐさまは救われない。「しかし」それが正しいから賛同し、運動する。次の世代のために地ならしとして粛々と進めておく。そういうスタンスが思想運動には重要です。なぜかといえば、自分自身が利益を即座に受取ろうとすると往々にして後者のヒステリーになるからですね。
前述したとおり、個人がその個人の置かれた周囲数百人の思想を個人のちからだけで一晩にして解決するのは難しい。ほぼ無理だといっていい。誰もがそんなことは言葉にしなくても肌で感じている。そうである場合、個人にとっては「目先でスカッとする」ことのほうが重要(利益があるように感じる)になってしまうわけです。現実自分の置かれた苦痛を麻痺させるために、言葉の棍棒を振り回して自己慰撫するような状況です。
最近出ているアンチフェミってのは後者に対する反発運動だと考えれば理解がすっきりします。まあ仕方ないですよね。誰だってこん棒で殴られたくはないです。「これだから男性優位社会なんだ、男性は優遇されてる、男性は世界を支配してる、みんな死ね!」みたいなことをサービス残業計算したら最低賃金割ってました本当にありがとうございましたみたいな弱者男性にいったとしても「こっちくんなよキチガイ。ほっとけ、俺は自分サバイバルで手いっぱいなんだ」としか返答のしようがないです。
日本における思想運動家ってのは人気商売なので(っていうか要するにTVタレントなので)、前者の「粛々と運動を進める」スタンスだと金になりません。後者の炎上発言をして、女性の「うんうんそうだよね、よく言ってくれた、スカッとした」みたいなのを集めないと生活が立ち行かないという構図もあります。そんなわけで、こん棒的な発言や人材には事欠かないわけです。
しかし中長期的に見れば、フェミニズム運動(前者)の障害は後者であるという結論になりかねない、なりつつあるというのが現状ではないでしょうか?