2014-05-16

意見を異にする人との対話を諦めた話

テーマ最近またホットな、放射線がもたらす健康影響について。自分自身は、もともと(事故直後から)「これぐらいの量でそんな深刻な影響が出るかよ」という考えで、行政が発表する各種の数字や、これまでに得られている学説等は原則として正しいとするスタンス。これまでの3年間で、放射線による健康被害を憂える人に対して、対話を即諦めたことが三度ほどある。

一回目は2年ほど前、30代前半のリアル友人(女)と会話していた時のこと。彼女震災後に妊娠したのだが、不幸なことに死産だった。彼女は当時ホットスポットと呼ばれる地域に住んでおり、今のマンションは売って引っ越すのだ、と話した。「私がこんな場所に住んでいたせいで、子供にかわいそうなことをしてしまった」と言う彼女に、私はいちおう、おそらくそのせいではないし、あなたは悪くないよ、と言ってはみた。「でも、わかんないから」とだけ返され、その会話は終わった。

二回目は半年ほど前、別のリアル友人(30代前半、女)と。震災後はデモに参加するなど、かなり反原発側に傾倒していた。居酒屋で会った彼女は「最近西日本産の野菜を買うようにしている」「東日本のものは食べたくない」と話した。私は「福島なんかでは検査を頑張っているし、(彼女の好きそうな)ナチュラル系のスーパーでは検査結果を明示している」「第一、こんなタバコの煙が流れてくる居酒屋で、酒を飲み塩分たっぷりのツマミを食いしている方がよっぽど体に悪くね?」と反論してみた。それに対する答えは、「でも、なんか気持ち悪いじゃん」。私は対話を諦めた。

三回目はつい最近Twitterフォロワー(たぶん30~40代ぐらいの、たぶん女性)と。ときたま反原発の話題をRTしているので、まあそういう思想の人なんだろうな、ぐらいに思っていた。そして最近の『美味しんぼ鼻血騒動。この人は「低線量被曝だってどうなるか分かったもんじゃないのに、体制側はシロと言い切る! グレーゾーンにあるものをシロと言い切るのは無責任!」(大意)とツイートしていた。百歩譲ってグレーゾーンにあるとして、それをクロって言い切るのも無責任じゃん…と思ったが、@を飛ばす気力もなく、そっとリムーブした。

この3件に共通するのは、「ケガレ」の感情なのかな、と思う。科学が何と言おうと、放射線は怖い、気持ち悪い、不快だ。誰だかが今回の話題に「これは科学の敗北だ」とコメントしていたが、ある意味で正しい気がする。科学的話法、科学コミュニケーションの敗北。いまだに根気強く対話しようとしている科学サイドの人は凄いなと思う反面、感情的放射線を怖がっているような人には、もはや科学的根拠を伝えても通じないのではないだろうかと思う。

今回の騒動を見ていて、もうこのテーマに関して、データ学説論文を持ち寄った対話を行うのは無理なんじゃなかろうか、と感じた。ケガレ感情を持った人が科学サイドの言い分に対抗しようとすると、学界ではマイナーだったり、すでに否定されたような学説データを引っ張ってくるんじゃないのかな、と推察する。そうすると、科学サイドの人はそれを否定するので、ますます溝が深まるわけで。

反原発サイドの人はこの際、感情だけ――何と言われようと放射線は怖い、気持ち悪い、ストレスだという気持ちだけ――で訴えたらいいのではないだろうか。そうすれば私のように感情論が苦手な人は閉口して静かになるし、「放射線が怖い」というその気持ち自体には共感する人だって多いだろう。科学サイドの人も、そういう人を科学で殴ることはもうやめるべきだろう。いくら殴っても説得できないどころか、対抗して謎学説が生まれるだけだろうから

一人目の友人は、結局その後引っ越して、元気な子供を生んだ。楽しそうに暮らしているのを聞いて、ストレスから解放されて何よりだな、と心から思っている。

  • 私も学問をやってる人間だから,学者のいうことにはある程度信頼をおいてよいと思ってる.が,学者・行政の情報の信憑性が疑われているなか(情報公開の恣意性のほか,前例のない...

    • 句読点がくどい。そういう理系アピールはしなくていいから。 それと、前例のないことによる影響の予見不可能性とかバカ丸出しだな。 前例のないことの影響を予測するのが科学っても...

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん