2022-08-10

俺のおじいちゃんの命日が昭和20年8月10日だった件

俺のおじいちゃん昭和20年8月10日に亡くなった。戦争で。この前押入れから出てきた、国から送られてきた通知書?に書いてあった。

ビルマ戦死だってビルマだったんだ。インパール作戦なのかな。てか戦争終わるまであと数日じゃん。あともう少し生き延びてたら、生きて帰ってこれたんじゃないの?

実は俺の父親は、おじいちゃん自身父親)と会ってないんだ。俺のおばあちゃん父親を身ごもってたんだけど、生まれる前におじいちゃん招集されてしまい、ビルマに行ったんだ。辛すぎるよ。

通知書と一緒におじいちゃんからハガキも出てきた。絵葉書だ。達筆過ぎてちゃんと読めないけど、子供は無事生まれたかとか、元気で帰るとか、帰ったらみんなで遊ぼうなとか、そんなことを書いてあった。戦場で書いたのかな。まじで辛いわ。

戦争が終わって、元気で帰ってくるのかと思ったら、その通知書だけ送られてきたって聞いた。遺体を回収することもできず、遺骨もなし。悲しすぎる。

その後おばあちゃんは一人で父親を育てた。女手一つで大変だったろうな。再婚もしなかったし。

そして、父親は元気に成長し、一般企業に勤めた。そして職場結婚し、俺が生まれた。おばあちゃんは俺が生まれてそりゃ嬉しかっただろうな。

ただ俺は、おばあちゃんのことほとんど覚えてない。俺が生まれてすぐ亡くなったから。俺を抱っこするおばあちゃん写真けが残っている。

それで、俺の父親もさ、去年亡くなったんだよ。

正直言ってあまり父親遊んだことがないし、話もあまりしてないんだ。

きっとさ、父親はおじいちゃん戦死たから、父としてどう振る舞ったいいのか分からなかったんだろうな。

今ならそういう気持ちがわかる。戦争父親亡くして、寂しい思いをして、いざ自分が父になったら、どう振る舞っていいかからないよな。そんな中、よく育ててもらったと思うよ。

それでさ、俺にも息子がいるんだよ。3歳の。

親になってやっと分かったんだよ。俺だって父親にそこまで遊んでもらったわけじゃないからさ、子供とどう関わっていいか分かんないんだよ。

これって、言ってみれば、戦争でおじいちゃんが亡くなったのが原因のひとつなんじゃないかなって思うんだよ。誰のせいっていうのではなく、父親を亡くした負の連鎖が続いてるんじゃないかって。戦争なんて関係ないと思ってたけど、こうやって連鎖してんだなって思った。

でもこうやって、日本が生き残って、命が繋がれて、俺が生きている。そして息子が生きている。奇跡しか言いようがないよ。

戦争招集前におばあちゃんが俺の父親を身ごもってなかったら。おばあちゃんが懸命に俺の父親を育てなかったら。俺は存在しないし、息子も存在しない。本当にすごいよな。

息子が大きくなったら、この絵葉書を見せて、色んな話をしてやりたい。お前の命はどんなに大切な命かってこと、伝えたいんだ。

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